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ハレと魔王2

ハレ…魔王見習い

じい…ハレの教育係

アンヌ…シスター


ミルカ…神官

ラグナ…旅人


セヴィケル…教皇領宰相

第五話 ハレと魔王2


聖都、ヴェルダン――。

宰相、セヴィケルは私室の窓際のテーブルに着いていた。テーブルの上には水晶玉が置かれている。

「……どうした?ジル」

セヴィケルの後ろには、剣を腰につけたダークブルーの髪を一つに束ねた神官騎士が立っている。青年は俯いている。

「……いえ……」

「ミルカのことか?」

セヴィケルは、くくと喉を鳴らして笑う。青年は何も答えない。

「ジル。そんなにミルカのことが心配なのか?」

「……はい……」

はぁと溜息をついて青年が口を開く。

「ラグナはミルカのことをよく知っているはずなのに、どうして……セヴィケル様もミルカは……」

その様子にセヴィケルは笑う。

「ジル。私は、あのような街はこの世から消えてしまっていいと思っているのだよ」

「……」

青年はその言葉に、暗い顔をしている。

「そのために、ミルカを送ったのだよ」

青年は何も答えずにただ眼を伏せている。

「ミルカは私に忠実だから」

「……そう、ですね……」

「しかし、あそこは思った以上に厄介のようだ」

「……魔王の存在ですか?」

「あぁ……あれは一番邪魔だな……あれにミルカが魅かれたら困る」

セヴィケルは立ち上がる。

「ジル。一旦ミルカを連れ帰ってこい。少し、釘をさしておこう」

「……ラグナへの指示は……?」

「首尾よくやれ、と伝えておけ」

「御意」


黒き大地にある血塗城にて――。

そのハレの部屋。じいが部下を連れてやって来た。

「なんだよ。じい。俺は今日は逃げてないぞ」

ハレはムッとしている。

「いえ、ハレ様。実は、ワシは今日から用事で実家の方に帰りますので、そのことを……」

「へ?実家?」

 ハレが間抜けな声を上げる。じいが頷いた。

「えぇ……妻が用があると……教会の連中がハレ様を狙っているというのに……」

 じいが深く溜息をついた。

「本当なら残りたいのですが……」

 じいの妻は、ハレは実際に会ったことはないが、話を聞く限り、かなりの恐妻らしい。じいの妻は竜族の女帝で、じいは入り婿らしい。そのせいか、彼女には頭が上がらないそうだ。さらに、彼女は竜族の女帝というプライドなのか、魔王であるハレにわざわざ会いに来るようなことはしない。じいが言うには、特に、竜族の王族は異界の民を嫌う傾向にあるらしい。それは、歴史的な背景があるかららしい。そんな中じいがここにいるということは珍しい。じいの話では、魔族の王に竜族がつくのは竜族の神、神竜と魔王の契約かららしい。と言っても、じいはここでの生活が好きだと言っていた。

「しょうがないだろ?じいの奥さんって、とても怖いんだろ?俺は大丈夫だし、行って来いよ」

 申し訳なさそうにしているじいの不安を吹き飛ばすかのようにハレは笑う。

「申し訳ありません……」

 俯く、じい。ハレは、ただ笑う。

「ハレ様に、護身用に……」

 じいが部下に持たせていた剣を受け取る。そして、ハレに渡した。

「これは……?」

「本当は、魔剣を渡すべきなのでしょうが、今のハレ様に魔剣は危険ですので、この剣を……」

 ハレは剣を抜く。剣は、片手用で軽く、控え目に装飾の施されていた。

「スゲー……」

「なるべく早く戻っていますので」

「おう。分かった」


 じいが実家に戻ってしまった。課題をいくらか出されたが無視してハレは街に出た。街の表通りをハレはぶらぶらと歩く。

 ふと、昨日のことが思い出された。

 自分が魔王であること、このことが当たり前になって、深く考えていなかった。魔王は人間を殺す。人間と対立する関係にある。人間の友人を救うためにハレは魔王になったのだ。それが、矛盾しているような気がする。ミルカに指摘された通りだ。これは、自分の理想に過ぎない。現実を見れば、魔王は、人間の、敵だ。

「あー、畜生……」

 言いようのない苛立ちがつのってくる。

 自分も、魔王だと言われた時の嫌悪感、これは、きっと皆共通なのだろうと強く感じる。

「どうしたらいいんだ……」

 溜息をついて、広場に行った。

 広場の隅のほうで、アンヌが子どもたちを集めて何か話していた。ふと気になってハレは歩み寄った。


「みんなに、よく考えて貰いたいことがあります」

 アンヌがにこやかに子どもたちに話しかけていた。

「あなたたちは、人間ですか?魔族ですか?もしくは、その間に生まれましたか?」

 子どもたちがざわめいて、口々に声を上げている。

「じゃあ、みんなは生まれが違うから、嫌だなって思ったことがありますか?」

 子どもたちは声をあげている。

「そんなことないよ。だって、ここにいるみんなは友達だもん」

 そんな、声が上がる。その発言に、アンヌはにこりと笑う。

「そうですね。ここのみんなはとても恵まれているのですね。それは、とてもいいことです」

 でも、と言葉を続ける。

「そうではないところもあるのです」

 えー、と子どもたちが声を上げた。

「どちらか片方が優れているとか、その間に生まれたから駄目だとか、そういう風に決めつけているところもあるのです」

「そんなの、おかしいよ!」

「馬鹿じゃない!」

 口々に上がる子どもたちの声にアンヌは、うなづく。

「そう。あなたたちの言う通りなのです。それは、おかしいことなのです」

 けど、と言葉を続ける。

「それが違うと声をあげる人は少ないのです」

「どうして?」

「人間と魔族は昔から戦ってきたでしょう。だから、人間は、魔族は野蛮だと思っている。そんなことないのに……反対に、あなたたちは、例えば、そうね……」

 アンヌが言いにくそうに切り出す。

「神官をどう思いますか?」

「嫌い!だって、ここに住む人たちを馬鹿にするし、殺そうとするもん」

「俺も!」

 子どもたちが口々に神官の悪口を言い始める。

「……みんなが、そんな風に感じているのと同じなのです……みんなが悪口言うように、あなたたちを悪く言っている人間もいるのですよ」

 その言葉に、子どもたちは口をつぐんだ。

「じゃあ、質問をします。どうしてでも、嫌いな相手がいるとします。よくケンカをしてしまいます。ある時、そのケンカが馬鹿らしく思えたとき、みんなはどうしますか?」

「無視する!」

「仲直りする!」

「えー!嫌いなら無視すればいいじゃん!」

 元気よく、子どもたちが答えていった。アンヌは優しく笑いかける。

「……無関心は一番さみしいことですよ……あのね、みんな。私たちは、みんなつながっているのです。みんなは、いろんな人とお話をするでしょう?それだけで、私たちはその人と繋がっていけるのです。それはどんな些細なことでも構わないのです。話をすること、その相手のことを私たちが認めることが大事なのですよ」

「認める?どういうこと?シスター」

「相手を好きになることですよ。だから、相手のいいところを一つでも見つけることです」

「えー……」

 子どもたちは不服そうにしている。

「きっと、まだ分からないと思います。少しずつ分かっていくものです」

 アンヌが微笑む。

「あなた方が、神の見前に立つように、他の方々と接してください。……では、お祈りの言葉を捧げましょう」

 アンヌは手を合せ、目を伏せる。

「……どうか、神様。あなたの見前に立つ私たちが、あなたに適う者となりますように見守りください。父なる神にお祈り申し上げます」


 ハレはその様子を黙って見ていた。

 アンヌの言ったことが、改めて心に響く。アンヌの言ったことは、聖母アンナも、友人だって言っていた。おもわず、涙が一筋こぼれていた。

「あら?ハレじゃない」

 アンヌが気付いて、声を掛けてきた。慌ててハレは涙を拭いた。

「よっ、アンヌ。い、忙しそうだな……」

 アンヌは首を傾げる。

「今、終わった所よ」

「そ、そうか……あ、じゃあ、何かそこで飲まないか?」

 アンヌがしどろもどろなハレを見て、おかしそうに笑いだす。

「どうしたの?そんなに慌てて……いいわよ。飲みましょう」

「お、おう」


 広場のベンチにアンヌを座らせ、ハレは飲み物を買っていた。ジュースを買って、ハレは溜息をついた。

あそこで、泣くつもりはなかったのだ。そう思って、ハレは歩く。けれども、あの言葉は、今の自分に言って欲しかったのだろうと思う。

 何のために、魔王になったのか。

 人間を、殺すため――。

 違う、友人を救うためだ――。

 では、それだけなのか。

 そう考えたとき、いつも答えが、いきつかなかった。

――きっと、怖かったのだろう。自分を、魔王と、魔族と完全に認めるのが。

 いくら、口でそう言っても、心は違っていた。それがよくわかる。

 認めたら、人々に後ろ指をさされ、差別される。心の中では、自分は、人間だったのだから――。

 自分の中のこの魔族を軽蔑する心にずっと気が付いていた。それを、認めたらだめだと、自分を抑制していた。それと同時に、この心の醜さに嫌気がさしていた。だから、アンヌの言葉は救いだった。

「アンヌ。ほら」

 ベンチに座るアンヌにジュースを渡す。

「ありがとう」

 アンヌが笑顔で答える。その笑顔は、本当に眩しく思える。ハレは、アンヌの隣に座った。

「……アンヌは、どうしてシスターになろうと思ったんだ?しかも、こんなとこで、宣教活動とは……」

 思わず、ハレは疑問を口に出していた。

「え……」

 不意の質問にアンヌは戸惑いの色を浮かべている。

「あ……ごめん。嫌ならいいんだ」

「あ、いえ。そういうことじゃなくて……ただ、いい話じゃないから」

 アンヌが、軽く笑う。

「私は、神の見前では誰もが平等だっていうことに魅かれたの」

「……」

「……詳しくは言えないんだけど、私の一族ね、昔、とても悪いことしていたから、いろんな人に嫌われてて、生きる資格すらも与えられなかったの……見つかれば、殺される。だから、日陰しか生きられなくて、ずっと、隠れて生きていたの」

 アンヌは、笑っている。ハレは驚いて、目を見開いていた。

「それで、少し歳の離れた兄が一生日陰でしか生きられないことを嘆いて、私だけでも自由に生きてほしいって、遠く離れたこの地へと逃がしてくれたの」

 ハレは、アンヌはこういうことは経験したことがないと、ずっと思っていた。

「それで、さまよっていた時に、修道院に拾われて、私は、この考えをしったの」

 それなのに、笑っていられるアンヌが、眩しい。

「誰も、差別されることがない。私たちは祝福の光の中で生きているのだから」

「……」

 その言葉にハレは、俯いた。

「それは、魔族だって同じよ……でも」

 アンヌは苦笑いを浮かべる。

「最近は、自信がないかな……神官様があんなことをおっしゃっていたから……」

――なんて、強いのだろう。

 ハレは言葉が出なかった。あんなにつらい思いをしているはずなのに――。

 彼女の笑顔が眩しい。

「ハレは、どうして魔王になったの?」

 彼女は笑って、尋ねた。

「……」

 ハレは、一瞬、躊躇って顔を俯かせる。そして、

「俺。聖女アンナの開いた孤児院にいたんだ」

「え?」

 アンヌは驚いていた。

「子供のころ、飢饉があって、俺の住んでいた村も被害にあった。両親は、食料のこととかあって、俺を孤児院に預けたんだ」

「両親は……?」

 ハレは肩をすくめる。

「さあ?死んだのか、生きているのか分からない……両親のことは考えたことないし……その孤児院で、俺は、セシルと出会ったんだ」

「セシル……まさか!」

 ハレはうなずく。

「そう。教会の連中が神子と呼んで、幽閉している奴だよ」


 苦々しい三年前の記憶がよみがえる。

 三年前、ハレは教皇領内の孤児院にいた、あの時のことを――。


 ハレは目を伏せた。アンヌは、何も言わず黙り込んでいた。

「ごめん……アンヌ。やっぱり、言えない……アンヌは、あいつらとは違うってわかっているけど……」

 アンヌは、優しくハレに笑いかけた。

「いいのよ。ハレが、言えるようになった時に話してくれれば」

「アンヌ……」

 アンヌは首を振る。

「ハレ。私は、あなたにとっては、やっぱり教会の者でしかないから……」

 なんて、さみしそうに笑うのだろう。

「……」

 違う、とは言い切れなかった。

「ここの人たちも、そうだから……優しくしてくれるけど、心のどこかでは、私を憎んでいる。仕方のないことよね。今までがずっとそうだったから……でも、いつか分かり合えるって信じているから」

「……ごめん」

 アンヌのその言葉にハレは、頭をうなだれる。

「いいのよ、謝らなくて。」

 アンヌは優しかった。それが、ハレの心に響いた。


 アンヌと別れ、ハレは城に戻った。

 城の自室。ハレはベッドに寝転がっていた。ただ、ぼんやりと、天井を眺めていた。

 はぁ、とハレは溜息をついた。

――俺は、結局、どうしたいのだろう……。

 心の中で、何度も繰り返す疑問。ずっと考えて、いるうちに、次第にうとうとし始めた。そして、いつの間にかに寝てしまっていた。


 子供のころの自分がいる。まだ幼くて、周りにいる大人が大きかったころだ。

「ハレは、ここにたくさんのお友達がいるから、大丈夫だよね?」

 赤毛の髪の母がにこやかに言った。ここは、孤児院の応接間。これは、田舎村にある孤児院に、初めて両親に連れられたときのことだった。母の後ろには、ハレと同じ黒髪の父がいる。

 そのときは、母の言った意味がハレには分からなかった。ハレは首を傾げていた。

「あのね、ハレ。お母さんと、お父さんは必ず、ハレを迎えに来るからここで待っていて欲しいの」

「え……?」

 ハレは首を振る。

「俺は……?」

「ハレ君は私たちと、お母さんとお父さんを待ちましょう」

 その様子を見ていた聖女アンナが優しく言った。

「ね、セシル。ハレ君と遊んできなさい」

「はぁい」

 聖女アンナの後ろには、ハレと同じ年の子供がいた。白銀の髪で、中性的な顔立ちの子供だった。その子供の名前は、セシル――。

「ハレ、だよね?行こう」

 セシルがその手を差し出した。


 父と母は、深い理由を言わずに行ってしまった。それが悲しくて、よく泣いていた。その度にセシルが慰めてくれた。彼がハレにとって大事な友達となっていった。


 そして、あの日は来た。


 その日は、快晴で、ハレは孤児院の外で別の友達と遊んでいた。孤児院の方からハレを呼ぶ声が聞こえてくる。ハレは振り返ってみた。セシルが呼んでいる。ハレは、首をかしげてセシルの所へと歩み寄った。

「どうしたの?」

「母さんが、部屋にいなさいって」

「え?なんで?」

 ハレの問いにセシルは何も答えずに、先に孤児院の中に入って行った。

「ちょっ!セシル!」

 ハレは慌ててセシルを追った。


 セシルを見失って、ハレは溜息をついて廊下を歩いていた。

「神託が下りたのです」

 そんな声が通りかかった応接室から聞こえてきて、ハレは足を止めた。ゆっくりとドアを開けて、その隙間からハレは中を覗いた。

 中には、聖女アンナと、男の神官が二人いた。神官は、アンナに詰め寄っていた。

「ここには、魔王の血族がいるのです!その者が人間を滅ぼす最悪の魔王になるのです!早く殺してしまわなければ!」

「そんな、子供なんていませんよ。神官殿」

 アンナはにこやかに言う。

「そんな事をおっしゃるあなた方の方が、よほど恐ろしいわ」

 神官たちはアンナの言葉にぐっと声を詰まらせる。

「それに、その神託を受けたのは誰?兄上ではないのでしょう?」

「猊下は今、床に伏せっております。代わりにセヴィケル様が……」

「……あの宰相が……」

 アンナの顔つきが変わる。

「ここには、そんな者いないと伝えなさい」

「し、しかし、アンナ様……」

「いいかしら?」

 アンナは鋭い目つきで神官を見据えた。神官は竦み上がる。そして、恭しく敬礼した。


 その時は、ハレにはよく分からなかった。


 そのあとアンナの体調は優れなくなっていった。床に伏せってしまうことが多くなってきた。

 ある時、ハレはセシルとともにアンナに呼び出された。

 アンナは体調がまだ悪く、ベッドから身を起す。

「呼び出したりして、ごめんね」

「ううん。いいよ。それより母さんは大丈夫なの?」

「私は、大丈夫よ」

 アンナが優しく笑いかけた。

「ハレ、あなたに、大事なお話があるの」

「話……?」

「えぇ……」

 首を傾げるハレを、アンナが微笑む。

「あなたにはいろいろな人がついてくれているから、自分の思うように進みなさい。そして、人々を支えになれるように心がけなさい」

「……アンナさん?」

 ハレは怪訝な顔をした。

「いいこと?ハレ……あなたは、魔王の後継者なのよ」

「え……?」

一瞬、目の前が真っ暗になった。その言葉は、ハレには重すぎた。

「魔王が死んで二十年……後継者となるべき者が、神託によって明らかになった……それが、あなた、よ」

「うそだ!」

 ハレは間髪入れずに叫んでいた。

「俺の両親は人間だ!俺が魔王って何かの間違いだ!」

「ハレ……」

 次の瞬間、小気味のいい音が部屋に響き渡っていた。

 頬がひりひりと痛む。セシルにはたかれたのだ。一瞬の出来事でハレは、呆然としていたが、次の瞬間我に返った。

「なにガタガタ言ってるんだ?馬鹿じゃないの?」

 セシルの声が聞こえる。その言葉に、ハレはカチンと頭にきて、セシルに喰ってかかっていた。

「なんだと!セシルは!」

 セシルの襟首をハレは掴んで、怒鳴りつけていた。

「セシルは、どうせ、笑っているんだろ!自分には影響ないから!」

「……何言ってんの?俺だって、人間扱いされないの知ってるくせに」

「!」

 そのセシルの言葉に、ハレは何も言えなかった。

 セシルは、人間ではない。神子だ。それで、周りの人々から、近寄り難く遠ざけられていた。そのことを、ハレは知っていたはずだったのに。

「別に、人間だろうが、なんだろうが構いやしないのにね」

 セシルが薄く笑う。

「俺は、別にハレが魔王だからって付き合いは変えないよ。ハレはハレだろ?」

 そして、セシルが、優しくハレに笑いかけた。その笑顔がハレは眩しく思える。

「うん」

 その様子を微笑して見ていたアンナが口を開く。

「セシル、ハレ……もう一つ、聞いてほしことがあるの」

 ハレとセシルは、アンナの顔を見た。

「私は、きっともう長くないでしょう……私が死ねば、この国の宰相が、ハレを殺し、そして、自分のために、セシルを利用しようとするでしょう」

「……母さん」

「逃げなさい。黒き大地に行けば、竜族の者があなたたちを守ってくれるはず」

 その言葉は力強かった。そして、最後に、アンナはこう言った。

「決して、セヴィケルに利用されないで」


 その後、聖女アンナは病死した。その時の穏やかな死に顔は、ハレは忘れない。


 しばらくして、教会の人間がハレを捕らえ、母を亡くしたセシルを引き取ろうとやってきた。二人は逃げだした。そして、黒き大地に向かったのだ。


 それからが地獄だった。教会の剣を持った神官兵がハレたちを追いかけて来た。行く先々の街に神官兵たちが待ち受けていた。彼らに見つからないように、隠れながら黒き大地に入るための関所の街へと向かった。


「ここを抜けると、黒き大地だ」

 教皇領と黒き大地を結ぶ関所の街。その裏路地に、ハレたちは隠れていた。ハレの言葉にセシルが小さく頷いた。セシルの顔には不安がよぎっていた。

「セシル……大丈夫!」

 俯くセシルにハレが必死に慰めようとした。

「きっと、俺たちは逃げ切れる!だから……!」

 しかし、セシルは頷かなかった。


 そして、夜が近づこうとしていた――。

 関所の門が閉められる直前に駆け込もうと、ハレたちは門へと走った。門の近くは神官兵でいっぱいだった。この警備を走って、くぐりぬけようとハレたちは試みていた。

 ハレとセシルは走る。それが、困難なことであっても――。今はそれしか道がなかった。

 神官兵が、走ってくるハレたちに気付いて、捕まえようと身構えた。それを、ハレたちは必死に逃げきった。

 後方から、追って来る足音が恐怖を駆り立てる。

――もう少しで、門を抜けられる。

 気持ちが焦ってくる。


 本当に、あと少しの所だった。

 ふと、セシルがその足を止めた。


 ハレは気がついて、振り返った。

「どうしたんだ!早くしないと!」

 ハレはその手を差し出した。セシルは首を横に振る。

「セシル……?」

「きっと、ここを抜け出しても追って来ると思う」

 セシルが言った。

「俺が……俺だけでもここに残れば、追手は来ない。ハレだけでも逃げてほしい」

「な、何言ってるんだ!一緒に逃げるって……!」

 ハレは、セシルの顔を見て、絶句した。

 セシルは泣いていた。

「俺は、ハレが殺されるなんて、考えたくない」

 その表情にハレは何も言えなかった。

「神子様!奴は魔王です!早くこちらに!」

 神官兵の一人がそう叫んだ。神官兵が、もう間近に迫っている。

「早く!早く行け!ハレ!」

「セシル……」

 ハレは俯く。そして、歯を噛みしめた。

「……ごめん。セシル……必ず、必ず戻るから……!」

 涙が一筋ほほを伝う。

 そして、ハレは関所を抜けた。


――必ず、戻ってくる。そして、失ったものを取り返すんだ。


 ハレは、ゆっくりと、目を開いた。

 すべて、夢だったのだ。眼がしらに手を当てる。

「……くそ」

 小さく呟いた。

 無力な自分が嘆かわしい。


――力が、欲しい。皆を守れる、力が。



 聖都ヴェルダン――。その王宮の奥に高い壁で世俗と完全に隔離されている神殿があった。神の庭――楽園と称されている場所だ。

 その中にある池のほとりに、一人の少年がたたずむ。月明かりによく映える白銀の髪の少年だ。よく整った顔をしているが、まだ、幼く感じる。純白の法衣に身を包む彼の名はセシル。神子と呼ばれるものだ。3年前、聖母と呼ばれた母は病気で亡くなり、セシルはその身を教会の庇護の下に置かれることになった。それに抗うべく魔王の神託が下った友人――ハレと共に逃げようとした。しかし、結末は――。

セシルは懐から木彫りのペンダントを取り出した。懐かしい思い出の詰まった大切な最後の砦。それを握りしめる。

――あの頃に戻りたい。

 そう思ってやまない。

 しかし、その思いを打ち壊すかの如く、冷たい神官の声が聞こえる。

「神子様。また、そんな小汚いものを持ち出して……」

 その言葉にセシルは目を伏せる。

「夜は冷えます。どうぞ中へ……」

 セシルはうな垂れる。

――きっと、もう逃げられない。

 そう思い、声に従った。



主要な人がいっぱい出てきました。



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