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エピローグ

 スムースに流れていく車窓の緑を一頻り眺めた後、凛太郎は後部座席で足を投げ出して眠っている央子に視線を向けた。

 ミニバンの後部座席はすべて倒されベッド状態になっている。央子はその上で大の字で寝ていた。

「いざ終わってみると、案外あっけないものなんだね」

 運転席から豪が話しかけてきた。煙草に火を点けると、窓を少しだけ開けた。エアコンの涼しい風に混じって、熱い外気が車内に入り込んでくる。

「そういうものです。難しくしているのは、僕たちの方だったりすることも間々ありますからね」

「惣太郎さんと藤乃さんのことが解決したら、僕の方の問題も解決するかなって期待してたけど。ふふ。甘かったね」

 豪は軽く煙に咽ながら、灰皿を引き出して煙草の灰を落とした。ちらりと見えた凛太郎の眉間に皺が寄せられていて、すぐに煙草のせいだと気づいた。豪はそのまま煙草を灰皿でねじ消した。

「結局、自分の問題は自分で解決しろってことなのかなあ。凛太郎くんと央子くんを連れて来たのは僕たちの問題解決の為だったはずなのに……。なんだか可笑しなことになっちゃったね」

 豪はぺろりと舌を出して笑った。

「一度も信乃さんとは話せなかったんですか?」

「うん。一度もね。あそこも頑固だから」

「豪さんも頑張れば、惣太郎さんや藤乃さんみたいにいつか幸せになれますよ」

「う~ん。いつか……は嫌だなあ。生きて幸せになりたいからね。信乃と一緒に。それに」

 豪は言葉を切った。見ると信号が黄色から赤に変わったところだった。車は小さく振動しながらゆっくりと停車した。ハンドルから一旦手を放した豪は、凛太郎の顔を向け、

「それに、僕たちは上手くいきそうな気がするんだ。藤乃さんのあれだけのやる気を見せられたら、もう。がむしゃらになるよ。だからね、凛太郎くん」

 豪は満面の笑みを浮かべ、今までの情けなかった自分とはお別れだよ、と言った。凛太郎は苦笑する。

「いえ。豪さんはいつでも必死でしたよ。一生懸命走り回ってた。そんな気がします」

 情けないのは俺の方です、とはさすがに言えず、その言葉をそっくり飲み込んだ。小さく息を吐く。信号が青になり、車がゆっくりと発進した。

「ねえ、凛太郎くん」

 豪は、視線を前方からは話さずに訊いた。凛太郎は、無言のまま顔を豪へと向ける。

「君と央子くんはつきあいは長いの?」

「どうしてそんなことを訊くんですか?」

 つきあいの長さを問われているのだから、長いか短いかを答えればいいものを、豪の言葉を深読みした凛太郎は狼狽する。

 豪の声音はまるで凛太郎の胸の内を見透かしているかのようで、正直、手やら足やらが強張る。

「央子くんのあの信頼しきった姿を見るとね。ずいぶんとつきあいが長いのかなあって。単純に疑問に思っただけだから。ただ……。央子くんの明け透けのないところは性分なんだろうけど。それに対して凛太郎くんはどこかよそよそしさを感じるんだ。そのよそよそしさっていうのが一体どこから来てるものなのかなってね。はは。ただの老婆心みたいなものだから。あんまり気にしないでくれよ」

 この人はどこまでわかって言っているんだろうか。凛太郎は豪を凝視する。豪に教えを請うたら、なにかが理解るだろうか。

 いや、違う。もうわかっているんだ。惣太郎が気づかせたもの。

「央子はあの通り。ずかずかと平気で人の中に入り込んでくる。図々しいのか人懐こいのか。紙一重のようなヤツですよ。そこまで入り込んでくるのなら、俺も央子の能力を利用させてもらおうと思いましたね。実際、かなり利用させてもらいましたけど。だけど、いつからなのかな。俺の中の央子の待遇が、初めの頃と少しずつ変化していったんです。信頼関係が成立していないと成功し得ない出来事に直面したときも、央子がつまらないものに追い回されているの助けた時も、何故だろう。胸の中で央子の存在が特別に感じるですよ。それが一体いつからで、どういう理由でそうなったのかが理解できなくて、とても苦しかったんです」

 凛太郎は掌を見つめながら告白した。豪が少しばかり驚いた表情を見せた。

「驚いた」

 後部座席から、にゅうと顔が飛び出してくる。件の央子だ。そして文字通り驚いたのは凛太郎と豪の方だった。豪とて、今までの凛太郎のセリフが告白めいていたことに気づいていた。通常の恋愛話ならともかくとして、こと同性に対するそれは、とんと縁がなかった。

 心拍数が上がり、それは央子くんに対して恋愛感情があるっていうことなのかい、と確認しようとしていた矢先だったのだから尚更驚くというものだ。

 凛太郎に至っては弱みを握られたガキ大将みたく、ひどく情けない顔で央子を見つめていた。

 豪は冷や水を浴びせかけられたように顔面蒼白となり、

「ちょっと休憩しようか」

 ウインカーを出し、強引に横道へと入った。フォローをしなければという豪の意気込みだけが車内を満たしていた。

 だが、意気込みだけで、それが具体的な意思表示として表されることはなかった。そこが豪の情けなさというところでもある。

「いやあ、マジで驚いた。凛太郎でも人に相談とかするんだな」

 央子は、ほえ~などと妙ちくりんな感嘆符を吐いたが、すぐに、

「だけどさ。俺のことを豪さんに相談すんのは筋違いじゃねえか? 俺に言いたいことがあるんなら、俺に言やあいいじゃん。だろ?」

 ああ、なるほど。

 豪と凛太郎は両手を打った。コイツは何も聞いちゃいない。凛太郎はいつもの顔で「言えば泣くだろう」と鼻で笑った。

「泣かねえよ。ふざけんな!」

「泣かないって言ったな? 今、確かに泣かないって宣言したな」

「おう。したともよ」

「じゃあ、言わせてもらおうか。せっかくの俺の夏休みをお前の勝手な行動でめちゃくちゃにされて、俺が怒っていないとはよもや思っていないだろうな?」

「それを凛太郎が言うか? 俺、ちゃんと謝ったぞ? だけど凛太郎が気にするなって、お前がよければいいんだって言ったんじゃねえか! なのに、今更そんなこと言うなんて卑怯じゃんか」

 央子の瞳にみるみる涙が溢れてくる。今にも零れ落ちそうな涙を見て、凛太郎が冷たく言い放った。

「泣かないって言ったのは嘘か」

 央子の頬を涙が一気に零れ落ちた。負けん気の強い瞳はそれでも凛太郎を睨みつけている。まあまあと豪が割って入る。意外に子供だね、と凛太郎に耳打ちをする。

 目敏くそれをみつけた央子が二人を指差し、

「俺を子供って言った~~~!」

「あ。べつに央子くんのことを言ったわけじゃ」

「豪さん。そろそろ出発しないと新幹線に乗り遅れますよ」

 すばやい凛太郎の牽制に、豪の言葉は最後まで紡がれることはなかった。

「早く切り上げることができたのに、乗り遅れるようなことになったら大変だ」

 ちらりと央子に視線を向け、

「せっかくの夏休みだからな」

 眼鏡をかけ直した。

 央子はあまりの腹立たしさに憤死したのか、駅に到着するまで一度も起きてくることはなかった。あてつけがましく弁当の空き箱を横に置かれ、凛太郎は辟易していた。空き箱の数は四つ。今、かっ込んでいるのは通産五つ目の駅弁だ。凛太郎の箸が進まないのも道理だ。

 駅の構内で豪が土産にと余分に購入してくれた駅弁を、有難みの欠片も感じさせずに央子がかっ込んでいる。

「そんな食べ方で美味いのか?」

 辟易していた凛太郎が声をかける。央子は弁当箱の中から目だけを向け、

「ああ、美味い美味い」

 とげとげしく答える。

「わかったから。いい加減に機嫌を直したらどうだ」

「い・や・だ」

 そう言ってまた弁当をかっ込む。それにしてもいつ動き出すんだろうか。二人が乗った新幹線は、大雨により一時停止となっていた。

 車窓の向こうは闇に覆われ、雨の具合も測れない。運転停止も已む無しという割には、窓硝子を滑り落ちていく雨の量はさほどではないように思う。

 車内の電光掲示板には運転を見合わせる旨を通知しているだけで、発車時刻の予定などには一切触れていない。

 携帯電話で連絡を取るために席を立つ乗客も出始め、時間は午後の八時を回っていた。滞りなく走っていれば、とっくに到着している時刻だ。

「あの人。お腹空いてんのかな」

 央子は箸で通路を挟んだ隣の座席を指した。凛太郎は促されるように視線を移す。確かに女性が座席に腰掛け、こちらをじっと見ている。時代がかった着物だが若い世代では流行っているらしく、変に浮きだった印象はなかった。

 

 お願いがございます。


 彼女は、距離を感じさせない声量で言った。

「ほら。やっぱりこの弁当が欲しいんだ。あのね、これが最後の一つなんで、あげられません」

「央子。答えるな」

 凛太郎は食べかけの弁当を片付け、立ち上がった。


 お願いがございます。


 彼女は央子だけを見ていた。央子は立ち上がった凛太郎と彼女を交互に見ると、

「もしかして俺……。また?」

「ああ、そうだ。とにかく席を移動しよう。まだ何とかなるかもしれない」

 彼女はじっと央子を見つめている。

「見てる~」

「もう目を合わせるな。いいな?」

 荷物を担ぎ上げ、央子の腕を鷲掴みにする。

「凛太郎……」

 央子の情けない声。恐る恐る振り返る。彼女は席を離れ、央子の背後に寄り添うようにぴったりと立っていた。

「俺、目ぇ合わせてねえよ?」

「と、とにかく。この場を離れよう」

 後ろは振り返るな、と短く言い放つ。

「なあ、凛太郎。あの人って悪い感じか?」

「特に悪い感じは受けない」

「だったらさ」

「ちょちょいのちょいなんて言うセリフを吐いたらこの場に置き去りにしてやるからな」

 凛太郎の言葉に、央子は出かかった同じセリフを慌てて飲み込む。

「さては言うつもりだったな」

「ごめん。─あ! 凛太郎。もうすぐ発車するって。ほら」

 央子が立ち止まり、電光掲示板を指差した。同時に発車のアナウンスが流れた。

「これで帰れるな。凛太郎」

 ああそうだな、と安堵の溜息を吐いた凛太郎の視界に、先程の女性の姿が飛び込んでくる。

「帰られることに変わりはないが、無事かどうかは別問題だな」


 お願いがございます。


 彼女は今度は凛太郎に言った。

「お、俺が悪いのか? 今度も俺のせいなのかあ?」

 央子は人目も憚らずに凛太郎に取り縋り、叫んだ。凛太郎はズレた眼鏡を掛けなおし、

「そうみたいだな」

 ふうっと溜息を吐いた。

 車内アナウンスは優雅に次の停車駅を知らせていた。


「席に戻ろっか」

 央子は愛想笑いを振りまき、うんざりしている凛太郎の腕を取った。

 好きじゃない。好きじゃない。

 凛太郎は溜息を吐きつつ首を振った。


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