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第2話

 大学生の実家は、元造り醤油屋で最盛期には敷地に蔵が五つも並び、広い屋敷の中には座敷牢があったほどだという。所有する山も相当数で、彼の家の敷地を通らずに隣町へは行けないなどという逸話まであったらしい。

 しかしそんな景気のいい話も戦前までで、よくある話だと大学生も笑っていたが、祖父が手広く事業を始めた為に家はみるみる没落していき、唯一の救いは、残された山々が原子力発電所の建設場所として県に高く買収された事だった。

 そのおかげで、屋敷はそのまま残っているのだと言う。

 肝心の恋人というのは彼、田辺豪の幼馴染みで、一ノ宮信乃といった。血はかなり薄いが親戚筋の娘との事である。

 血は薄いが比較的近しい親戚だという話だが、この辺りの説明になると、央子の頭は混乱を極めた。とにかく引き裂かれる恋人との仲をなんとかせねばと、単純な頭はただそれだけに占められる。

 礼は時間を確認すると、央子に家に連絡してくると言ってその場から離れた。央子の勢いに押され、つい一緒に乗り込んでしまった事を家に報告する為だ。

 なにせ行き先が新幹線で三時間。そこから高速バスに乗り換え二時間もかかる場所へ向かっているからだ。

 とりあえず携帯電話を使う為に車輌から出た。連結部分は中と違ってえらく蒸し暑く感じた。

 礼は、だるそうに壁にもたれかかって外を眺めている凛太郎をみつけると、申し訳なさそうに声をかけた。

「先輩」

 凛太郎はちらりと礼に視線を向ける。かなり不機嫌である事は間違いなかった。礼はさらに申し訳なさそうな声で、

「あの……。うちのバカ央子が。ほんとうにごめんなさい!」

 凛太郎は、頭を下げる礼に一言も答えず、視線を外に戻した。

「あのぉ。もしかして本気で怒ってます?」

「かなりね」

 即答である。

「なんにしても、央子がああ入れ込んでしまっている以上、何を言っても無駄だろう」

 すでにかかわってしまっている。凛太郎はぼそりと呟いた。礼はそれを聞き取れなかったせいか、ひたすら頭を下げ、詫び続けたのだった。



 最終の交通手段だった高速バスを下車したのは、午後の三時を少し過ぎたところだった。

「あれ? 信乃が迎えに来てくれているはずなんだけどな」

 豪は辺りを見回した。

「道路が混んでんじゃねえの?」

 央子はその場にへたり込み、逆光の豪を眩しそうに見上げて言った。先程央子達が下りたバスが、折返し運転でバス亭に戻ってくる。

 礼は、

「じゃあね。私と立花はこれで帰るけど、あんたも適当なとこで帰ってきなさいよ? いくら夏休みだからって、いつまでも田辺さんとこにお邪魔してちゃ、だめなんだからね。いい?」

「恋人達の危機を救ったらな」

「なーにが、恋人たちの危機よ。救うのはアンタじゃなくて先輩でしょうが」

「なにおう?」

 そこまで言い返したが後が続かない。その通りだからだ。

「おい! ヘンタイ野郎。俺がいなくなったからって央子になにかしてみろ。ぜったい許さねえからな!」

 立花は鼻息荒く、凛太郎に食ってかかる。央子に思いを寄せる立花としては、凛太郎と央子をふたりきりにするのは気が気ではないのだ。

 凛太郎は呆れたように溜息を吐く。反論する気も起きないようだ。

 うだうだと凛太郎に因縁をつけている立花をよそに、停留所に停まったバスへ礼が先に乗り込んだ。

「立花! 礼はもう乗ってンぞ? おまえも乗れっ」

 しゃがみ込んだままの央子が怒鳴った。央子には逆らえない立花は、渋々それに従う。央子に睨みつけられながら、項垂れてバスへと乗り込んだ。

「わけのわかんねえ事言ってンじゃねえよ。バカ立花」

 後部座席に座り、こちらを向いてちぎれんばかりに手を振っている立花。央子は相変わらずしゃがみ込んだままだったが、口は元気だった。

 バスが走り出すと、立花は座席から立ち上がり、なにかを叫んでいるようだった。隣にいる礼が耳を塞いでいる。かなりの大音量なのだろう。次の瞬間。礼のげんこつが立花の横っ面を捉えた。

「あ……」

 豪も見ていたらしく、礼に殴られて座席から立花の姿が見えなくなると、驚きの声を上げた。口をぱくぱくさせながら凛太郎に顔を向け、バスの進行方向を指差した。凛太郎は眼鏡を掛けなおすと、

「日常茶飯事ですから。気にする事はありません」

 そう言って安堵する自分の心の変化に凛太郎は気付いていた。新幹線に乗り込んだ時からあった、嫌な気分。いらいらする気持ちに思い当たる節も無く、それが更に凛太郎をいらつかせていた。

 不思議と立花の姿が視界から消えた途端にそれが消えた。消えたというより治まったと言った方が正解に近い。とりあえず凛太郎の心に平穏は戻って来たのである。

「さて、これからどうしますか? 信乃さんをもう少し待ってみますか?」

「そうだな。十五分くらいでいいや。待ってみよう。それでも来なかったら携帯に連絡を取ってみるよ。ところで……凛太郎くんだっけ?」

「はい」

「その……僕よりも年下の君達にこの問題が解決できるのかな。ああ、ごめんよ。お願いしたのはもちろん僕の方からなんだけど。ただね。僕の実家のあるところは、その、いわゆる」

「部落、ですか?」

 豪の表情が一瞬にして強張った。凛太郎はそれを汲み取り、

「大丈夫ですよ。俺も央子もそういうのは少しも気にならない性質ですから」

「いや……。まあ、そうなんだけど。その中でも“村八分”ってやつでね」

 豪は言いにくそうにそこで言葉を切った。

 狭い世界の部落社会。その中で村八分にされるという事は、まさに生きるか死ぬかの状態だろう。互いを支え補って初めて存在できる過酷な環境の中で、誰からも支えてもらえず、分け与えてももらえずに生き残ってきた田辺家。

 確かに豪が言うように、たかだか高校生ふたりが何をしてやれるのだろう。

 凛太郎は央子を横目で見た。なんとも呑気な顔でだらけている。しかし、央子は言い出したら聞きやしない。たとえ今の話を聞かせたところで、央子の意志を突き崩す事は無理だろう。

「でも……もうかかわってしまった事ですから」

 凛太郎は、いつもは厳しい顔をやさしく綻ばせた。央子はいつもやっかい事を持ち込んでくる。そう思いながらも凛太郎の顔は綻ぶ。

「ありがとうな。町に着いても思うように買い物とかできないけど。ああ、その時は遠慮なく言ってくれよ。いつでも車を出すから」

 豪はそう言って時間を確認してみる。凛太郎とのお喋りで十五分はとうに過ぎていた。

 信乃に連絡してみると言って、豪はふたりの傍から少し離れた場所で携帯を掛け始めた。しばらく携帯を耳に当てていた豪は、首を横に振りながら戻って来た。連絡が取れなかったようだ。

「ごめん。ここからまたバスに乗る事になるけど。いいかな」

「それは仕方ないでしょう」

 凛太郎はそう言ってまだしゃがみ込んでいる央子の腕を取り、立ち上がらせた。央子は「うえー」とぼやいたが、凛太郎のきつい一瞥で口を閉じた。

「ちょうどいい時にバスが来た。あれに乗るんだよ」

 やって来たバスは、どこからか払い戻された物のようで、綺麗に塗装されてはいたものの、何ともボロだった。


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