プロローグ
新幹線の車窓の向こうに、見事な富士山が姿を現した。夏空の澄んだ青の中で、富士の頂は一層見事に思えた。
東海道下りの新幹線の中は帰省客で満杯で、乗車率が200パーセントに達したと朝の番組はどこも同じようなことを言っていた。しかし、その新幹線に乗り込んでいるのが必ずしも帰省客とは限らなかった。
四人掛けのシートでふんぞり返っていきなり居眠りしているのは、立花恵介。その横では呆れた顔で双子の兄のはしゃぎようを窘めている朝比奈礼。その窘められているお子様な朝比奈央子は、同席している大学生の話に耳を傾けていた。
三人がいる車輌は禁煙車輌で、もちろんエアコンも効いているから傍から見ていても過ごしやすそうだった。
席からあぶれた陣内凛太郎はその様子を横目で見ながら、すぐ傍で煙草を吹かす金髪男に咳払いをひとつして見せ、沈黙の抗議をした。
本来なら凛太郎は今日、日本を出発する予定だった。高校生最後の夏休みを、アメリカにいる家族の下で過ごすためだ。
そのつもりでやって来ていた空港で、とんでもないことに首を突っ込む羽目になった。そもそも、見送りに来ていた二年後輩の央子がいらぬおせっかいなど焼かなければ、恙無く凛太郎は飛行機に搭乗できていたのだ。
なにも彼はわざと央子の前でチケットをばら撒いたわけではなかった。たまたまばら撒かれてしまったチケットを央子が拾い上げ、彼の思い詰めたような顔を見た時、どうしたんですか?などとおよそ普段の央子からは考え付かないような言葉をかけたことが始まりだった。
そう……。すべては央子が悪いのだ。
藁をもすがる思いだったのか、愚痴を聞いてくれれば誰でもよかったのか。その大学生は、心配そうに声を掛けた央子にこう告げたのだ。
「親に恋人との仲を引き裂かれそうになってるんだ」
と……。
央子は彼の手を握り、大丈夫と連呼した挙句、
「な?凛太郎」
そう。これからアメリカに出発しようとしている凛太郎に、央子は言った。
「俺たちでなんとかしてやろうぜ。どうせ夏休みなんだし」
その夏休みの後半をアメリカで過ごすために成田に来た凛太郎に、央子は平気で言ってのけたのだ。
凛太郎はつくづく自分はお人よしだなと思った。嫌だと断ってしまえばいいものを、眉を寄せて自分を見上げる央子にはどうにも弱い。結局、押し切られてしまう。
煙草の煙を誤って吸ってしまい、げほげほと咳き込んだ。先程の金髪男は、ああ悪いね、と言った割には悪びれてはいなかった。