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掌編小説

顔なじみの猫

作者: 斎藤康介

 会社から帰る途中に二十四時間営業のコインランドリーがある。

 夜中でも煌々と明るく、また通行量の多い道路に面しているためかいつも誰かしら洗濯機を回していた。椅子に腰かけマンガを読む人、喫煙スペースで一服する人、駐車した車の中で電話する人、様々な人が思い思いに時間を過ごしながら洗濯が終わるのを待っていた。

 そんな人々の営みのなかにそいつは居た。

 頭から背に掛けてカフェオレ色をした猫。コインランドリーの前を自転車で通り過ぎるたびに見かけた。店の入り口や駐車場の隅、植木の間と場所はまちまちであったが、そいつはいつも気だるそうに毛づくろいをしていた。


 それは気のせいだったのかもしれない。

 いつものようにコインランドリーの前を過ぎたある日、たまたま猫と目があった。そして偶然かもしれないが猫は私を見て“みゃお”と愛くるしく鳴いたのだ。このころの私はこの猫を見つけることが密かな楽しみだった。

 それから猫は、私を見ると“みゃお”と鳴いた。私は内心とても嬉しかったが、周りに客がいる手前近寄って話しかけることも恥ずかしく、猫が鳴くと挨拶に自転車のハンドルを握った右手を軽く上げた。

 例えればラーメン屋で見る無骨な店長と常連客の関係か、はたまたつい好きな子には意地悪してしまうガキ大将の心情か、とにかく私はそのような緩やかで青臭い情緒を猫との間に感じていた。


 こんな日々が一カ月ほど続いた。

 あるとき残業で会社を出るのが遅くなった日があった。急ぎコインランドリーに向かったが、生憎と猫は居なかった。

 疲れが一気に倍増した。こんな些細なことにどれほど安らぎを感じていたのかを思い知らせれた。一人上京して7年が経つが、いまだ猫に会える会えないで一喜一憂する自分がおかしく、自転車をこぎながらも笑い、そしてなぜか涙が流れた。


(思えば遠くへ来たものだ)


 どこかで聞いたような台詞が胸の内を占めた。決して場所だけのことだけではない。過去から現在(いま)現在(いま)から未来へ、常に遠くへそしてもっと遠くへ、これからも行くあても知れずもがき続けていくのだ。


「思えば遠くへ来たものだ」


 自然と口から漏れでた。

 この時の私は傍から見たら不審者に違いなかっただろう。

 溢れ出る感傷を(こら)えることができず、笑う声は大きくなり、そして無様に泣いたのだった。


 ようやく感情の波がおさまり落ち着きを取り戻した時、道の向こうから見覚えのある猫がてくてくとこちらに歩いて来るのを見つけた。それはいつもコインランドリーの前にいるカフェオレ色した猫だった。私はどこか緊張しつつも猫の方に向かいペダルをこいだ。子供のころに寝小便をした時のような恥ずかしさがあった。さっきまでいい年した男が猫に会えないことを理由に泣いたのだ。

 そして互いに目視できる距離にまで近づいた時、猫は私を見て“みゃお”と鳴きわずかに頭を下げた。

 それは気のせいだったのかもしれない。あるいは見間違えであったのかもしれない。


 それでもそんな些細なことが嬉しく、私は挨拶にハンドルを握った右手を軽く上げた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ストーリーは単純なもののように感じましたが、言葉1つ1つのチョイスが素敵で、穏やかな気持ちで読みすすめることができました。
[良い点] 例えが良い [気になる点] 猫とは何だったのか分からない
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