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最果てに天深く  作者: 高原 景
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 おうなの執務室には三人が集っていた。部屋の主である媼、宇麗うれい、そしておうである。

 宇麗は傍らに座る黄と、正面の媼に向かって言った。

「以上が、蛇との会話です」

 蛇との思わぬ遭遇について語った宇麗は二人の反応を見やる。既に詳細を聞かせていた黄は、改めて聞かされた内容に表情が険しい。対象的に媼は眠るように瞳を閉じている。穏やかにも見える表情だったが、特に集中して考えを巡らせる時に媼が見せるそれだった。宇麗と黄は媼の言葉を待つ。

 宇麗が蛇と会話を交わして既に一日が経っている。そして昨日から所用で笠盛を離れていた媼が戻ったのが一刻程前である。

 媼が瞳を開ける。ゆっくりと言った。

「面白いこと」

 ふふ、と笑う。書物をくるように柔らかく手指を動かして、とん、と卓に人差し指を置いた。

「ここに私達卸屋(おろしや)

 とん、と左にずらして指さす。

「ここに蛇」

 さらに三角を描くように指を動かす。

「そしてここに鬼逆きさか

 まるで戯れのように囁きながらも、媼の瞳は硬質に煌く。

「渦の中心はどこかしら。まるで謎解きのようね」

「はい。改めて須樹すぎを問い詰めましたが、何も言おうとはしません」

 宇麗は苦々しく言った。昨日屋敷に戻り、ことの顛末を黄に話した後、すぐに青年のもとへと向かった。

 ――蛇を知っているか?

 そう問うた宇麗に対して、青年は肯定も否定もしなかった。蛇の仲間なのかといくら問い詰めても何一つとして答えようとせぬ。

「そう。困ったものね。貴女自身はどう考えているの?」

「多加羅若衆だとすれば反論すらせぬのが不可解です。耶來やらいの一員などと言われて、黙っているとも思えません。それに先日屋敷に忍び込もうとした者達の狙いが彼だとすれば、それが何を意味するのか。あいつが耶來ならば、大方の説明がつくのです。蛇が忍び込んだのであれば、仲間を救うため、あるいは殺すためでしょう。鬼逆が忍び込んだのだとすれば、緩衝地帯での所業が己の仕業であると知るあいつの口を封じるため」

「そうね。つまり、彼が多加羅若衆だと伝えてきた者ではなく、蛇の言い分を信じる、ということかしら」

 宇麗は顔を顰める。迷う素振りを見せながらも、意を決したように言った。

「……あたしは思うんです。今回緩衝地帯で起こったことを、蛇の言葉か影の言葉か、そのどちらを信じるか、という問題に帰して良いのか、と。信じるか否か、それはもっと別のところにある。たった一つ確かに目の前に存在するもので判じるべきではないでしょうか」

「確かに存在するもの……? 何だ、それは?」

 黄が問う。

「須樹です」

 宇麗は答え、媼を見つめた。一晩悩み抜いて出した結論だった。

「媼、以前彼が何者かわかるような気がする、と仰っていましたね」

「ええ」

「彼をどのように思いましたか?」

「それは貴女が見極めるよう、言った筈よ」

「ですが、もう時間がない。蛇との取引は十七の刻、あと数刻しかありません」

「宇麗」

 媼の声音は静けさに満ちていた。

「私は今回の一件、貴女の判断に委ねたいと思っているのよ」

「そんな……あたしなど、まだ若輩です! このような大事に、そんな判断は出来ません!」

「貴女に重荷を背負わせていること、それは私もわかっています。でも、貴女が言うように私達が判断するよすがは彼しかいないわ。彼を最もよく知っているのは宇麗、貴女なのではないかしら」

 それに宇麗ははっとする。媼が言う通りだった。

「貴女は彼をどう思っているの? 彼を耶來の一員だと思っているのかしら?」

 静かに問われ、宇麗は眼差しを落した。握りしめた己の拳を見つめ、言った。

「いえ、あたしには、あいつが耶來だとはどうしても思えません。己の欲得のためだけに人の命すらも奪う、そのような連中と同じだとは到底思えないんです」

 そう、と媼は呟く。

 ふと静寂が落ちたその時、慌ただしく扉が叩かれた。媼の答えも待たず、扉が開かれる。ただならぬ形相で入って来たのは屋敷の周囲で警備に当たっている若者の一人だった。

「どうした」

 宇麗の問いに、若者は肩で大きく息をつくと言った。

「あの……媼にお会いしたいという者が来たんです。通すべきかどうかお聞きしたくて……」

「媼は事前の約束がなければお会いにはならない。そんなことも忘れたのかい?」

 宇麗の厳しい声に、若者は大きく首を振った。

「それが、多加羅若衆を名乗っているんですよ! この屋敷に自分達の仲間が捕われているから返してほしい、と」

「何だと!」

 黄の大音声が響く。宇麗は驚きに息を呑み、咄嗟に媼を振り返っていた。媼は一瞬目を瞠り、そしてゆるゆると、まるで花が綻ぶように微笑む。艶やかな笑みに乗せて、歌うように言った。

「どうやら、全ての役者が揃ったようね」

 戸惑いもあらわに立ち尽くす若者に媼は言った。

「すぐにお通ししなさい」

「あ、はい!」

 弾かれたように駆け出して行った若者の足音が遠ざかる。媼は宇麗と黄を見やる。

「貴方達も同席してちょうだい。何が真実か、見極める正念場かもしれないわね」

 宇麗と黄は頷くと、開け放たれた扉へと視線を向けた。



 執務室へと招じられたのは六名の若者達だった。中でも一際落ち着いて見える青年が先頭に立ち、部屋の中へと臆することもなく踏み入って来る。それを、媼達三人は立って迎えた。

 媼の背後、黄と左右を守るように立った宇麗は、目の前の一団を見やった。若者達は何れも簡素な平民服を纏い、剣を身に帯びるわけでもなく一見すると街衆と差異はない。だが、注意深く見やると、幾つかの特徴がわかった。身ごなしには無駄がなく、六人ともに背筋の伸びた立ち姿である。立ち位置も明確に序列があるように思えた。申し合わせてそうしたのでなければ、常日頃から身についた習慣によるものだろう。

「私は多加羅若衆副頭の設啓せっけいと申します。突然に無理を申し上げたこと、お詫び申し上げます」

 中心の青年が言った。

「私が媼です。多加羅若衆の方々がこのような場所に来られるなんて、どのような御用件かしら」

 媼の声音はまるで孫に対するように柔らかである。若者達は驚いたようだった。緩衝地帯を裏から牛耳る媼が、如何にも優しげな初老の女性だとは思わなかったのだろう。だが、中心に立つ青年、設啓は表情一つ変えるわけでもなく、淡々と答えた。

「単刀直入に申し上げれば、こちらに捕われている我らの仲間を返して頂きたいのです。名は須樹、多加羅若衆において副頭を務める男です」

「まあ、面妖だこと。ここに貴方達のお仲間がいるなどと、何を根拠にそのようなことを。貴方達が緩衝地帯でこのようなことをするとは、己が立場を何と考えておられるのかしら」

 おっとりと言った媼の言葉には、先程の温かみは欠片もなかった。途端に張り詰めた空気が部屋に満ちる。

「媼、私達は腹の探り合いをするためにここに来たわけではありません。まずは、私達の話を聞いて頂きたい」

 その言葉を測るような間合いの後、媼は頷くと言った。

「いいでしょう。まずは貴方達の話を聞かせてちょうだい」

 すすめられるままに若者達は卓を挟んで媼達と向かい合う形で座る。設啓は早速に話を切り出した。

「実は私達は数日前から笠盛に留まり、あることを調べていました」

 その第一声に、宇麗は厳しく問うた。

「多加羅若衆が密かに緩衝地帯で動いていた、ということか」

「はい。本来ならば不干渉という原則を破る許されぬことです。ですが、私達にはやむにやまれぬ事情がありました。まずは何故、私達が緩衝地帯に赴いたか、そこからお話し致しましょう」

 宇麗は媼の隣りで、一言も聞きもらすまいと耳を澄ました。虚偽の欠片を見逃すことがないよう、若者達の所作を見つめる。だが、目の前に座る六人の表情はどれも迷いがない。並々ならぬ決意があらわれているようだった。

「全てはこの冬緩衝地帯で起こっている不可解な出来事に端を発しています。無論、貴方達の方がより詳しく知っておられるとは思いますが、冬の始め頃から、緩衝地帯の各地で何者かによる狼藉が起こり、何時しかそれが多加羅若衆の仕業であると考えられるようになっていました。そのことを我らが知ったのは一月程前のことです」

 設啓の言葉は簡潔だった。

「無論、我らは潔白です。しかし多加羅若衆の名誉に関わることであるため、まずは私を含め若衆副頭の四名がこの一件について話し合い、私と須樹が直接に緩衝地帯に赴いてどのような事態になっているのかを調べました。幾つかの村や街を回り狼藉の実態や噂を調べ、結果的には容易に対処出来ることではないと判断し、多加羅若衆としてどのように動くべきか会議を開くこととなったのです」

 誰も言葉を差し挟まぬ中、設啓は明瞭に語る。

「ですがその時副頭の一人が、緩衝地帯で起こる一連の出来事が、多加羅若衆を意図的に貶めるために謀られたことではないか、とそのように考えたのです。彼はその考えを須樹に話しました。その数日後、若衆頭も交えての会議の前日に、須樹は笠盛に赴いたきり消息を絶ったのです。丁度、冬季修報会が開かれるあたりのことでした」

 冬季修報会――その言葉に、媼はあら、と呟いた。修報会とは季節ごとに卸屋が開く集会だった。卸屋の多くは属す縄張りを持っており、季節の始め、その集団ごとに開かれるのが常だった。中には全くの個人で動く者もいるが、集団に属する方がより多くの情報を得ることが出来、有利だと考えられている。

「卸屋の習慣にお詳しくていらっしゃるのね」

「私の家系は多加羅惣領家のお膝元で代々卸屋をしております故」

「まあ、そうなのね。どうりで交渉が上手でいらっしゃるわ」

「いえ、お恥ずかしい限りです」

 束の間にこやかに会話を交わす二人の横で、宇麗ははっとする。冬季修報会――あの青年を捕えたのも丁度その時期だった。設啓は再び話を続けた。

「須樹は会議の当日姿をあらわしませんでした。私達は誰もが訝しく思いました。何故なら、須樹がそのような大事な場を無断で欠席するなど、およそ考えることが出来なかったからです」

「真面目なお人柄なのね、その方は」

「そうです。須樹は責任感が強く、自分のことよりもまず他人を気遣うような奴です。だからこそ私達は不安を覚えました。特に、緩衝地帯での一件が何者かに企まれたことではないかと須樹に伝えた副頭は、己の言葉のせいで須樹が笠盛で何か厄介なことに巻き込まれたのではないか、とそう考えたのです。例えば、実際に怪しい動きをしている何者かに気付き、相手を探ろうとして逆に捕えられたのではないか、と」

 須樹不在のまま若衆の会議は開かれた、と設啓は語る。

「その場では多加羅若衆として動くべきか、それとも静観すべきか、それで議論は割れました。その中で須樹に何か起こったのではないかと、そう考えた副頭が、緩衝地帯で起こっていることは何者かの謀略かもしれぬこと、そして動くか動かぬ以前にまずはそれについて調べるべきだと意見を出したのです。そうすれば、謀の首謀者を捜す過程で、須樹の行方を捜すこともかなう、という考えからでした。最終的には、若衆頭もその意見を認め、若衆として密かに緩衝地帯で調査を行うことを決したのです」

「惣領は貴方達の決定をお認めになったのね」

 媼はさらりと問う。

「はい」

 肯定だけをして設啓は続けた。

 その後緩衝地帯に赴いたのは調査の案を出した副頭を含め十人、緩衝地帯で何が起こっているのかを調べ、そして忽然と姿を消した須樹の行方を追った。だが、目ぼしい情報は何も無かった、と設啓は言った。

「では、何故ここにその須樹という方がいるとお考えになったの?」

 媼の問いに、設啓は懐から一枚の紙を取り出した。それを広げて媼の前に置く。白い紙の真中に書かれた一文――それに張り詰めた静寂が落ちた。

「多加羅若衆の副頭を、媼が不当に拘束せしめるものなり」

 設啓の声が静寂を破る。

「これは、一昨日の朝私達が寝泊まりしている家の扉の下から入れられていた物です。誰が送ったかはわかりません」

「でも貴方達はここへ来た。つまり何者からかもわからないこの文を信じた、ということね?」

 否、と設啓は首を振る。

「この文を信じたわけではありません。須樹がこちらにいるのではないかと、この文が届けられる前に既にそう考えている者が我らの内にいました」

 設啓は束の間言葉を切り、おもむろに言った。

「この文の内容が真実であるのか、真実であるならば、何故届けられたのか。おそらく、この文の狙いは我ら多加羅若衆に媼に対する疑念を植え付け、ひいては多加羅惣領家と媼との間に軋轢を生じさせることではないかと……そう考えたのです」

「何だと」

 それまで黙っていた黄が、思わずと言った体で言った。宇麗もまた呆然と、設啓の言葉を反芻する。

「文の狙いの通りに媼へと疑念を抱き、敵に回せばどうなるでしょう。仮にこちらに須樹がいれば、益々彼を救うことはかなわなくなります。須樹を多加羅に取り戻すためには、文に踊らされるべきではありません。私達がここに来たのはそのためです」

「私達を敵に回すのではなく、味方につける、ということね」

「はい。私達は、正体もわからぬ文の送り主よりも貴方達を信じたい」

 強い口調で言った設啓に問うたのは宇麗だった。

「聞こえは良いが、向こう見ずに過ぎはしないか? そもそもこの文とて不信を煽るためと言うが、真実何を目的とするかはわからぬ。多加羅惣領も無謀なことをお許しになるものだな」

「無茶は百も承知です。それに、惣領は私達の行動を御存知ありません。これは私達の一存、須樹がこちらに捕われているのであれば我らのもとに返していただきたい、その一念で参ったまでです」

 決然と、それは強く響いた。宇麗は益々唖然とする。では、彼らの行動は多加羅惣領家も了承せぬ独断で行われた、ということか。若衆ならば、緩衝地帯における多加羅と沙羅久の微妙な力関係を知らぬ筈がない。如何に仲間のためとはいえ、あまりに無謀に思われた。

「先程、文が届く前に私達のところに須樹という若者がいるとわかっていた、と言ったわね。それは何故かしら」

 設啓は媼に向き直ると言った。

「今回緩衝地帯で起こっていることの背景には耶來がいるのではないか、と私達は考えています。中心となるのは蛇と呼ばれる男、おそらくこの文は蛇が私達に送ったのでしょう」

 ――蛇――

 宇麗は目を瞠った。黄が鋭く息を呑む。その気配が伝わったのか、設啓の眼差しが鋭さを帯びた。

「実はこれらのことは、ある一人の少女との出会いでわかったことなのです。名前はこん、媼が開いておられる孤児院にいた少女です」

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