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最果てに天深く  作者: 高原 景
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7

 (かい)若衆(わかしゅう)の集う鍛錬所(たんれんじょ)に姿をあらわしたのは、多加羅(たから)に迎え入れられてから三日後のことだった。その頃にはすでに灰の存在は街に知れ渡り、若衆の間でももっぱらその噂でもちきりだった。

 若衆に集う若者の多くは南軍への入隊を目指す平民の子弟だが、貴族の家柄の者も少なからずいる。家督を継ぐことを望めぬ者が、武術を修めるために若衆に入るのはよくあることだった。結果として若衆は、様々な身分と様々な立場の若者が集まる場となっていた。そのような集団に惣領家の者が入るのは彼らにとって前代未聞と言ってよかった。惣領が言ったようにかつては惣領家の者も若衆の一員になっていた時代もあったが、それは戦が日常であった頃のことである。

 まだ朝の匂いが残る九つの刻に鍛錬所を訪れた須樹(すぎ)は、興奮した若衆の一人に灰の訪れを聞いた。急ぎ鍛錬所の中へと向かう須樹の後を、報告をしたまだ幼い顔立ちの少年が小走りでついて行く。彼も年の頃は灰とさほど変わらないはずだ。

「とにかく驚きましたよ。お供の一人もなく単身でやって来て若衆に入りたいってんだから、はじめは誰も灰様だとは思わなかったんです」

「でも灰は……あ、いや灰様は見たらすぐわかるだろ」

「ああ、変わった見た目なんでしょ? 何でも銀の髪だとか。でも髪は布に包んでるしわからなかったんです」

 鍛錬所は四角い箱の半分をきれいにくり抜いたような形をしている。くり抜かれた部分、単に広場と呼ばれるそこが剣術の訓練や模擬試合、そして祭礼の剣舞の稽古の場として使われる。入口と面した部分が建物となっており、あとの三方は壁となっていた。建物の内部には道場と主だった役職に就く者の部屋、そして更衣室や休憩室が連なっている。

 須樹が広場を通り抜け若衆頭(わかしゅうがしら)の部屋がある正面の建物へと入ろうとした時、まさに灰その人が加倉(かくら)と細い廊下の向こうから歩いて来るのが見えた。その後ろを興奮した顔つきの若衆が群がるようにしてついて来る。誰もが好奇心をあらわに新たに加わるという少年を見つめていた。灰の目が須樹を捉える。灰は飾り気のない衣を纏い、はじめて出会った時と同じように青い布を頭に巻いていた。

 加倉が広場に踏み出し皆に聞こえるように言った。

「惣領家の灰様が若衆にお入りになりたいとのことだ」

 無言で灰が頭を下げた。広場にぎこちない沈黙が落ちる。誰もがどのような態度をとればよいのかわからず、戸惑いの表情を浮かべていた。多加羅惣領家というだけで気遅れするのに加え、少年は何かと噂が付きまとう人物である。

 須樹は加倉の側近くに固まる一団が、灰を見て薄ら笑いを浮かべているのに気づいた。いずれも名のある貴族の子弟である彼らは、玄士(げんし)絡玄(らくげん)を父とする加倉の取り巻きだった。それぞれに仕立てのよい色とりどりの稽古着を身に着け、何を思うのか灰に好意的とは言えない視線を送っている。

「惣領家の御方とはいえ、若衆に入るには我々と同じようにしていただかねばなりませんね」

 中の一人が突然言った。加倉が笑みを浮かべる。須樹はそれをどこかひやりとしながら見た。――嫌な笑い方だった。

「それもそうだな。若衆では身分による特別扱いは認められぬ。灰様には他の者と同じように参志の儀を受けていただく」

 加倉の白々しい言葉を待ち構えていたように、取り巻きの一人が二本の木剣を持って歩み出た。

「では、俺がお相手をしましょう」

「いいだろう」

 加倉がにんまりとして答えた。誰の目にも、加倉がはじめからこうなるよう意図していたのは明らかだった。

「待ってください!」

 思わず須樹は声をあげた。相手を申し出たのは若衆の中でも有数の剣の使い手、冶都(やと)である。加倉が疎ましそうな顔を向けるのに構わず、須樹は灰の前に進み出る。

「灰様は剣術の稽古をお受けになったことはありますか? 剣を持ったことは?」

「いえ、一度もありません」

 灰が淡々と答えた。取り巻きの青年達が失笑する。もはやそれを隠そうともしていない。

「頭、剣を持ったことのない者に、冶都が相手ではあまりにも厳しすぎます。別の者にしてください」

「須樹、頭が決めたことに逆らうのか」

 横合いからの声を無視して須樹はなおも加倉に詰め寄った。

「惣領家の者でも他の皆と同じようにするというのなら、灰様にだけ明らかに力差のある者をあてがうのはおかしいでしょう」

「黙れ! 冶都が相手をすると私が決めたのだ! お前が口を出すことではない!」

 加倉が叫んだ。冶都が気まずそうに須樹から視線を逸らす。加倉に無言で示され、冶都は広場の中央に進み出ると、木剣の一本を地面に置き、もう一本を構えた。須樹は苦々しくその姿を見詰めた。

「俺は何をすればいいんですか?」

 灰の声は不思議なほど静かだった。

「若衆に入るにふさわしい者かどうか、木剣で打ち合うのです。適性がないと見做された者はその時点で入ることはできませんが、そのような者は滅多におりません。力試しとでもお思いください」

 加倉の言葉には嘲弄する響きがあった。

「わかりました」

 灰は答える。別段怯えるでもなく広場の中央へと進み出ると、地面に置かれた木剣を拾い上げた。その様子に、加倉が意外そうな中にも腹立たしげな表情を浮かべた。須樹はそれを見て、加倉は少年が脅えをあらわすものと信じて疑わなかったのだろうと考える。

「灰様、無理をなさらないでください」

 須樹は思わず声をかける。灰は須樹のほうを見やり、そしてちらりと笑った。

「手の傷、大分良くなったみたいですね。良かった」

 虚をつかれて黙る須樹をそのままに、灰は観察するように木剣を見やってから無造作に右手に持った。

 突然の成り行きに誰もが戸惑いを隠せず、しかし抑えきれない興奮の波があたりを覆う。高まる緊張の影に見え隠れするのは、困惑と、どうなるのかという興味であり、惣領家とはいえ明らかに異端の立場である灰への少なからぬ悪意である。須樹はもどかしさと苛立たしさに強く拳を握った。青年達の中でも並はずれて大柄な冶都の前で、灰はあまりに力なく小さく見えた。

「はじめ!」

 加倉の声が響いた。

 誰もが固唾を飲んで見守る中で、冶都がじわりと灰との間合いをつめる。対照的に灰は木剣を構えようともせずに立ちつくしている。剣を持ったことがないとはいえ、それはあまりにも無防備な姿だった。

「怖さのあまり動けないんじゃないかな……」

 須樹の後ろで少年が呟く。誰もが少年と同じように思った。

 冶都も同様に考えたのだろう、躊躇いの表情が一瞬浮かぶ。しかし大きく息をつくと、気合とともに一気に灰に迫り、木剣を上段から振り下ろした。風を切る鋭い音に、見守っていた少年達の多くが首を竦める。須樹は痛いほどに目を見開いて、その重い一撃を見つめていた。そして、息を呑んだ。

 灰が打ちすえられて倒れると誰もが思ったその瞬間、灰が動いた。体を僅かに翻して冶都の木剣を避ける。それがあまりに小さな動作だったため、まるで冶都がわざと外して木剣を振りおろしたようにさえ見えた。

 冶都は驚愕の表情を浮かべたが、さすがの手練である。振り下ろした木剣をそのまま灰めがけて斜めに薙ぎ払った。しかしそれもまた鋭い音をたてて空を切り裂いただけだった。灰は僅かに上体を屈めることでその軌道を避け、さらに右足を軸足にして大きく回転し冶都の背後に立つ。流れるような動きだった。

 どよめきが広場を覆う。

 冶都は驚愕の表情で灰を振り返った。俄かにその視線が鋭くなる。灰に向き直ると、相手に余裕を与えぬ勢いで打ちかかった。灰は後ろへ飛んでそれを避ける。冶都はその後を追う。少年の首元に突き出された木剣は、しかしまたも虚しく空を切っただけだ。幾度も繰り出される軌跡を、灰はまるで花びらが風に舞うように避ける。

 広場はいつの間にか割れんばかりの歓声に包まれていた。それは顔を赤くして木剣を振る冶都ではなく、灰へと送られていた。絶妙の間合いで木剣を避ける灰の動きは小気味良く、まるで剣舞のように軽やかだ。

「剣術をしたことがないなんて嘘だったんだ」

「いや、剣術をしたことがないのは本当だろう」

 須樹は興奮した様子の少年の言葉に半ば呆然として答えながら、なおも木剣を構えようとしない灰を見つめた。灰は冷静に冶都の動きを見切っているが、本人が言ったように剣術の心得があるようには見えなかった。鋭い攻撃をかわすそれは、並外れた観察眼と反射神経によるものなのだろうと須樹は気付く。

 次第に息を荒げる冶都とは対照的に、灰はほとんど呼吸を乱していない。それもそのはずだった。灰の動きは必要最低限のものでしかない。冶都の形相はいまや必死なものへと変わっていた。焦燥と苛立ちのためか、表情が険しい。

 だが、徐々にではあるが灰は壁際に追い詰められつつあった。灰が冶都の執拗な攻撃を避けてさらに後方に下がると、周囲の若衆が慌てて場所をあける。大きくあいたそこには思いのほか近い位置に堅牢な壁が聳えていた。

 背後の壁をちらりと見た灰は幾分腰を沈めて冶都へと向かい合う。すでに迫りつつある冶都を睨みつけると、ぶつかるように自身も前へと走り出した。突然向かってきた相手にぎょっとした冶都が咄嗟に木剣を水平に振るうのと、灰が大きく地面を蹴るのは同時だった。木剣の一線を軽々と飛び越えた灰は、着地すると同時に身を翻した。勢いあまってたたらを踏む冶都の背後へ迫ると、右手に持っていた木剣をはじめて構えた。首筋にぴたりとすえられたそれに、大柄な青年の体の動きが止まる。

 一瞬の沈黙の後、喝采がわき起こった。

 加倉が忌々しげに顔を顰める。取り巻きの青年達の顔からも、馬鹿にしたような笑いは消えていた。あまりにも意外な、そして明らかな勝負の結果を加倉も認めないわけにはいかなかった。

「そこまで!」

 広場に響いた加倉の声に、冶都は気づかなかった。恥辱と怒りに体を震わせ、俄かに首筋にあてられた木剣を掴むと振り回すようにしてひっぱる。体格差のある二人である。力任せのそれに堪らずに灰の体が引きずられた。投げ出された体が、強かに壁にぶつかる。半ばもぎとるようにして奪った木剣を投げ捨てると、冶都は沸き起こる驚きと抗議の声にも構わず無防備な少年に向かって叫び声をあげながら迫った。

 灰は痛みに呻きながらも冶都から逃れようと動こうとして、ぎくりと立ち竦んだ。一切の音が突然に消えたような感覚とともに、周りの空気が金属的な軋みをあげる。無論他の者は気づかないだろうそれは、しかし迫りつつある青年へと明確な敵意を向け、今や獣の形を成して飛びかかろうとしていた。

叉駆(さく)、だめだ!)

 咄嗟に灰は意識の触手を自身の周囲に巡らす。それに絡めとられ、猛る存在がもだえ抗うのを感じるが、さらに力をこめて抑え込んだ。微かに恨めしげな気配を残してそれが消える。すべて一瞬の出来事だった。しかしその一瞬は冶都の攻撃を避けるには致命的な遅れとなっていた。眼前に迫る木剣に灰は衝撃と痛みを覚悟して思わず顔を背けた。

 しかし痛みは訪れず、かわりに木と木がぶつかり合う乾いた音が響いた。恐る恐る顔をあげると頭一つ高い人影が灰を守るように立ちはだかっていた。須樹だった。

「やめろ! お前の負けだ!」

 冶都の重い一撃を木剣で受け止めた須樹が叫ぶ。冶都はしばらく凝固したように大きく肩で息をするばかりだったが、不意に脱力するように腕をさげた。木剣の先が力なく地面に触れる。今更ながらに自分が何をしたのか悟ったのか、顔が困惑と羞恥に染まっていた。

「皆見ただろう! これで灰様は晴れて我々の一員だ!」

 須樹の言葉に、広場を埋める若衆が歓声を上げた。それを聞きながら須樹は失望と怒りとを同時に浮かべる加倉を真正面から睨みつけた。須樹の視線から逃げるように、加倉が何も言わずに建物の中へと姿を消す。慌てたように取り巻きの青年達がその後を追った。彼らの中で冶都を振り返る者は誰もいなかった。

「すごい! どこであんな技を身につけたんですか?」

 興奮した少年達が灰の周りに集まってくる。そこには身分が違うという躊躇いが消えていた。口々に話しかける彼らに、灰の方が気圧されたような表情を浮かべた。

「別に技なんてものじゃ……単に避けていただけで……」

 面くらったように答える灰に、思わず須樹は苦笑した。

「おいおい、皆稽古を始めないとだめだろ。灰様とは後でもゆっくり話せる」

 須樹はなおも灰に話しかけようとする少年達を追いやった。少年達は名残惜しそうにしながらも、須樹の言葉に従って三々五々散って行く。灰はどこかほっとした表情でそれを見送って、須樹に向き直った。

「ありがとうございました」

「これは傷の手当のお返しですよ。お礼なんて言わないでください」

 須樹は灰の言葉にひらひらと手を振ってみせた。右手は念のために包帯を巻いているが、傷はほとんど塞がっている。灰の視線が須樹からその背後へと逸れる。それにつられて須樹が振り返ると、気まずそうな表情の冶都がこちらを見つめていた。

「すみません……俺、なんか頭に血がのぼっちまって」

 一人取り残されたように立ちつくしていた冶都が絞り出すように言った。肩を落としたその姿のどこにも、覇気は残っていない。

「いえ、俺も冶都さんを挑発しましたから」

 思わぬ答えに須樹と冶都は思わず少年の顔をまじまじと見つめた。それに灰は困ったように笑う。

「俺は剣の振り方も知りません。冶都さんに敵うわけがないので、とにかく逃げようと思ったんです。それに……相手を怒らせたほうが動きを読みやすいだろうと思ったので、わざとぎりぎりのところで避けるようにしたんです」

 それがどれほど並はずれたことか認識しているのかいないのか、少年の態度に気負ったところはかけらもない。

「本当に剣術をしたことがないんですか? あの動きは咄嗟にできるようには思えません」

 灰が小さく首を傾げる。

「剣術はありませんけど、さっきみたいな動きなら何回かしたことはあります」

「やはり! どういったものなのです、あれは」

 冶都の問いに、いたずらめいた光が灰の瞳に宿った。

「前住んでいたところでは森深く入るとよく獣に出会うんです。大概は大丈夫なんですけど、なかには危険なものもいます。例えば、子連れの母猪に出くわすと襲われることもある」

「……つまり?」

「つまり、猪を避けるのと同じ要領なんだろうな、と思ったんです」

 冶都の口がぽっかりと開いた。須樹が爆笑する。突然のそれに、稽古をはじめていた少年達がぎょっとして振り向いた。涙すら浮かべて笑いながら須樹は冶都の背中をばんばんと叩く。

「確かに……確かに! こいつは猪みたいなもんです!」

 むっとしながらも冶都の口元に笑みが浮かび、しまいには須樹とともに笑い出す。

 陽気な笑い声が弾けるその上で、中天にじりじりと向かう太陽が次第にその熱と輝きを増していた。暑い日になりそうだった。

 今日はさくさく投稿します。どこまでいけるかな。

 とりあえず、若衆です。「若衆」って単純なネーミングですが、これ以外の名前をいまだ思いつきません。この先も若衆を中心に物語は展開します。残念なのは、若衆中心だと女性がどうしても少なくなること。もっと色々な女性を書きたいものです。

 ではでは、今後ともよろしくお願いいたします!

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