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最果てに天深く  作者: 高原 景
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 宇麗うれいが疲れ切った体を引きずるようにして部屋へと向かったのは、既に明け方に近い頃合いだった。

 扉を閉め、小さな空間をぼんやりと見回す。二階の一角に寝るためだけに設えた彼女の部屋は、ごく簡素なものである。それが今は常にも増してよそよそしく見えた。絶え間なく指示を出し続けたせいで喉はいがらっぽく、眼の奥に凝る鈍痛があった。少しでも休むべきだとわかっていたが、宇麗は動くことが出来なかった。

 目を閉じれば、暗がりに転がる幾つもの屍が見える。血の臭いが体にしみついている気がした。地下は惨憺たる有様だった。見張りのため地下にいた三人はいずれも喉を切り裂かれて死んでいた。異変に気付いて駆け付けた一人は首を切り落とされていた。昼間には笑顔で言葉を交わした者達だった。物言わぬ骸となった彼らの体は、宇麗がその場に赴いた時、まだ温かかった。

 捕えた男達はさらにひどい死に様だった。部屋一面に飛び散った血糊は天井にまで達し、大量の血は通路にまで流れ出していた。まるで死の前に苦痛と恐怖を与えるのが目的であるかのように、いずれも腹を裂かれていた。止めを刺されるまで彼らは言語を絶する苦痛に苦しみ悶えただろう。尋問にも決して口を割らなかった男達が最期の瞬間に何を思ったか宇麗には測りようもないが、その死に顔にあったのは苦悶であり絶望だった。

 殺人者は宇麗達の追跡の手を逃れ、夜の中に姿を消した。はじめから綿密に逃走経路を決めていたのだろう。孤児院の敷地に多く植えられた木々の影を利用し――それこそ影に溶け込んだのかと訝りたくなるほどの鮮やかな逃げ足である。そして、敷地の内部の探索に時間を割き過ぎたせいで取り逃がしたのだと、宇麗は気付いていた。地下に気を取られ、指示が遅れた。普段の密な連携が崩れていた、と苦々しく思う。失態――取り返しのつかないそれに、荒れ狂うのは己への怒りばかりだ。

 のろのろと宇麗は寝台に近付くとその上に座る。半ば無意識に衣の帯に手をかけて、顔を上げた。小さく扉を叩く音が聞こえた。

 扉を開けるとそこにはまだ二十そこそこの娘が立っていた。孤児院で育った一人で、今では子供達の世話をしている娘だった。ふっくらとした丸顔は青褪めている。

「どうした」

「あの……お疲れだとは思うんですが、どうしてもお聞きしたいことがあって……」

「何だ?」

こんがいないんです。あの子がどこにいるか御存知ですか?」

「いや、知らないが……部屋で眠っているんじゃないのか?」

 娘は大きく首を振ると、早口で続けた。

「火事の後、子供達を寝かしつけて、それからみんながちゃんといるか確かめたんです。そうしたら紺の姿がなくて……あの子、前から火事をすごく怖がっていたから、怯えてどこかに隠れているのかと思ったんですけど、いくら待っても寝台には戻って来なくて……心配になって建物の中を探したんです。でも、どこを探しても見つからなくて……」

「そうか……」

 宇麗は疲労と不安に歪む娘の顔を見つめた。

「どうしたらいいでしょう。こんなことはじめてなんです」

「夜が明けたらあたしも探してみるよ。案外にどこかに隠れてそのまま眠ってしまったのかもしれない」

「そう……そうですよね。私、あんなことが起こって、紺まで何か危険な目にあったんじゃないかと……大丈夫ですよね」

「とにかく、早く寝るんだ。疲れた顔をしている」

「はい」

 娘は頷くと一礼し、部屋を出て行った。それを見送り、宇麗は前髪を掻き上げた。

(紺が、いない……?)

 紺は騒ぎが起こるまで宇麗の部屋にいた。いつものように宇麗の寝台に寝そべり、しきりに笑い声を上げた。だがそこに、子供達が寝起きする三階の一角で火が出た、という知らせが入ったのだ。現場に駆け付ける前に、紺にどのような言葉をかけたか、宇麗は記憶を探る。紺が火事を異様に怖がっていることは宇麗も知っていた。そのため、部屋から出ぬように言ったはずだ。

 出火自体はごく小さなものだった。使われていない幾つかの寝台の掛け布団が燃えたのだ。子供達にも怪我はなくほっと胸をなでおろした時、一人の若者が宇麗の元に連れて来られたのだった。若者もまた孤児院で育ち、最近になって卸屋おろしやとしての仕事を学び始めた者だった。呂律も回らぬ程に怯え、支えがなければ立つことも出来ぬ程に震えながら若者は必死に宇麗に伝えた。地下で仲間が殺されている、と。

 若者の報告を受けて宇麗はまず捕えた男達か、あるいははくが見張りを殺して逃げたのかと考えた。だが、聞けば駁は身を呈して若者を守ったという。ならば、男達が逃げたのか――急ぎ地下に駆け付けた彼女達を待っていたのは、その予想をも上回る惨状だった。

 何者かが外部から忍び込み、地下にいた仲間と捕えた男達を尽く抹殺したのだ。火事は、おそらく地下に目を向けさせぬための罠だった。男達を捕えていた地下とは違い、子供達が生活する上の階には見張りなど置いていないため、火を付けるのは容易かっただろう。そして宇麗達はうかうかと殺人者の思惑通りに動いた、というわけだ。実際、常ならば地下の見張りの数はもっと多い。だが火事のせいで僅か三人だけを残して、他は消火とそれ以外に出火がないかの確認に回ったのだ。その隙に、地下での惨殺が起こった。

 宇麗は再び紺のことを考える。多感で複雑な紺という少女を、宇麗は常から気にかけている。目を離せぬ危うさがあるのだ。何か変わった様子がなかっただろうか、と思う。いつにも増して紺は明るかった。だが、その笑顔に時折掠めるような、不安の影がなかったか――? 部屋を出る直前に見た紺の顔が、泣き出しそうに歪んではいなかったか――? 思えば、どうも様子がおかしかった。

 霞がかったように、記憶の中の紺の顔は曖昧に遠い。もどかしさに宇麗は歯噛みした。目を転じれば、白々とした光が窓から差し込んでいる。

 何時の間にか夜が明けようとしていた。



 仁識にしきは鍛練用の剣を壁に立て掛けると、天を仰いだ。

 鍛練所の広場には、既に若者の姿はなかった。いるのは彼だけである。火照った体に、冷たさを増した風が心地よい。だが汗が引けば、たちどころに体温を奪われるだろう。剣舞つるぎまいの基本的な動作を繰り返しただけだったが、かなりの運動量となる。昼間は若者達の指導に当たるため、自身の鍛練はこの時間でなければ出来なかった。それにしてもどうやら普段よりも熱中していたようだ。既に宵の刻である。

 ひたすらに剣を振った。それで何が振り切れるわけでもなかったが、少なくとも渦巻く思考から意識を逸らすことは出来た。この数日間纏わりつく苛立ち、不安――それらが束の間遠ざかっていた。だが体の熱が引く程に、再び思いは一つの方向へ向かう。

 かい達が緩衝地帯に赴いてから、何の報せもないまま既に五日が経っていた。不安を露わにする冶都やとには何度も焦るなと言い含めている。だが、表面上は繕いながらも、仁識自身が焦燥に捕えられていた。

 灰は明確な目的を持って笠盛りゅうせいに赴いた。すなわち、須樹すぎを見つけ出すのだと。一旦こうと決めた灰の行動力は抜きん出ている。間近で灰を見て来た仁識はよく知っていた。普段滅多に見せることはないが、灰が自発的に動く時、余人には到底無理なことでも成し遂げることがあるのだ。その彼から音沙汰がない。

いくらなんでも、報告が遅過ぎはしないか――?

(埒があかぬ)

 仁識は思考を振り払うように頭を振ると、広場を後にした。ここで考えても、何もならぬ。ただ待つ立場が腹立たしくもあるが、無闇に不安を増大させるのはそれこそ無意味なことだ。

 道具一式を倉庫に戻し、仁識は建物の施錠を確かめると鍛練所の裏手へとまわった。すでに表の門は閉じている。裏の小さな木戸から外へと出た仁識は、そこにも鍵をかけて踵を返した。そしてはたと立ち止まる。簡素な馬車が道の端に止まり、その傍らにはまるで彼を待ち構えていたかのように、人影が一つ立ち尽くしている。

 奇妙なことだった。そこは普段人が滅多に通らぬ裏道である。思わずまじまじと見やった仁識に、件の人物が深々と頭を下げた。

「若衆副頭の仁識様でいらっしゃいますか?」

 仁識は訝しく目を細めた。この人物は真実彼を待っていたということか。

「そうですが」

「我が主が是非ともお会いしたいと仰せです。ともに参っていただきたい」

「その主とは?」

透軌とうき様にございます」

 淡々と答えるそれに、仁識は一瞬息を呑んだ。

「どのような御用件なのですか?」

「それは透軌様が仰られることでございます。さあ、どうぞこちらへ」

 仁識の意向など構わぬ様子で――無論、仁識が拒むことなどできはしないのだが――男は馬車へと腕を述べると、扉を開けた。目の前に開かれたそれを見つめ、仁識は小さく嘆息すると馬車の中へと乗り込んだ。男が扉を閉めた。途端に視界が薄暗く染まる。小さな窓には厚い布が張られ、外を見ることはかなわなかった。つまり、外からも中は見えぬ、ということだ。

 気に食わぬ――仁識は憮然と椅子の背もたれに凭れた。

 男自身が御者台に座っているのか、やがて馬車は軽快に走り出した。轍の音が響いた。


 馬車を降りるとそこは惣領家の屋敷の裏手だった。普段表から見るばかりの壮麗な屋敷は、角度を変えればまた全く違うものに見えた。それは覆い被さるようにして背後に押し迫る森のせいであったかもしれない。木々の影が屋敷の壁を染める様は、まるで建物を呑み込まんとしているかのようにも見えた。寂々と、暗い。

 男の後に続き仁識は小さな扉から屋敷の中へと入る。使用人が使う入り口なのだろう、入った先は細く暗い廊下だった。綺麗に掃き清められていたが、物寂しく煤けた雰囲気がある。

「こちらでございます」

 男が立ち止まったのは、暫く進んだ先にある木の扉の前だった。深い色合いのそれを男は軽く叩く。中から聞こえた青年の声に、男は答えた。

「お連れ致しました」

 そして扉を開けると、視線を仁識に向けた。どうやら男自身は中へは入らないらしい。

 仁識は部屋の中へと踏み込んだ。そこは小さな書庫のようだった。硝子筒の仄かな明かりは柔らかく、部屋の中にある物の輪郭を曖昧にぼかしていた。等間隔に置かれた棚には整然と書物が並べられ、いつか見た星見ほしみの塔の書庫とは対照的な様である。

 透軌は棚の手前に佇んでいた。中へと入り立ち止まった仁識へと顔を振り向けると、穏やかに笑んだ。

「足労だったな。突然に済まない」

「いえ。どのような御用でしょうか」

 透軌は窓辺へと歩む。目でその動きを追う仁識に、こちらへ、と声をかけた。仁識は命じられるままに透軌の傍らに立った。透軌の横顔は何を思うのか、窓の外を見つめている。仁識もまた視線を戸外へ向けた。

「若衆はどのような様子だ? 灰達が緩衝地帯に赴いてから混乱はあるか?」

「常と変わりはございません」

「そうか。君には苦労をかける」

「いいえ、錬徒もおりますので、支障はございません」

「そうか。それなら良い。私がこの場に君を呼んだのは頼みたいことがあるからだ」

「何でございましょう」

「君の助けをかりたいのだ」

 仁識は思わず透軌を見やった。透軌の顔が正面から仁識を見つめていた。

「これは公には出来ぬことだが、惣領のお体の調子はおもわしくない。私自身、今後はより父を支えたいと考えている。若衆頭として時間を割くことは益々出来ぬだろう。なればこそ、君には私の傍近くで若衆頭の任を補佐してもらいたい」

 仁識は僅かに首を傾げた。

「何故、私なのですか?」

「副頭の中でも君が最も中心となっているのだろう?」

「そういうわけでもございません」

「謙遜はせずともよい。君の手腕を私は見込んでいる。行く行くは、若衆頭の座は君に譲ろうと思っている。それに向けての準備と考えてもらってもよい」

 静寂が落ちた。感情を窺わせぬ透軌の瞳を仁識は見返す。まるで互いの思惑を読み取ろうとするかのように、視線が交錯する。硝子筒の炎が一瞬大きく膨らみ、揺らめいた。

 仁識はふと笑んだ。

「私を後の若衆頭とお考えなのですか?」

「君以外に適任の者はおらぬだろう」

「いえ、私はそうは思いません。若衆頭には灰様がおなりになるべきでしょう」

「灰が……?」

 透軌が僅かに目を細める。思案するように――まるで今はじめてその可能性に思い至ったかのように、従兄弟の名を繰り返した。

「灰には若衆頭になるだけの力量があると?」

「私はそのように考えております。それに、灰様こそ、透軌様を補佐するに相応しいのではないでしょうか」

「なるほど」

 ふいと、透軌の視線が逸らされた。その横顔に、複雑な陰影が過る。それが、微かに浮かんだ笑みのせいであることに仁識は気付いた。柔らかく、透軌は笑んでいた。

「さて、困ったものだ。正直に言わねばなるまいね。私と灰の間にはさほど信頼関係がないのだよ」

 穏やかに語られた言葉に、仁識は黙す。その沈黙に、透軌がゆるりと再び視線を巡らした。

「意外に思うかい? だが彼と私は従兄弟と言えどもまともに会話を交わしたことさえない。灰は惣領家を厭うている。惣領家に関わる全てを嫌悪しているのだ。もっとも、彼の立場を考えれば、それも無理からぬことかもしれぬ。私自身、それほどに拒絶されては灰を恃むことも出来ぬ」

 透軌が笑みを深めた。それに仁識は眼差しを伏せた。

「何故、私にそのような話をなさるのですか」

「先程も言ったが、君に、私を助けてもらいたいからだ。今多加羅惣領家は微妙な立場にある。父上のお体が危ぶまれるうえに、緩衝地帯での騒ぎ……いつ沙羅久しゃらくから難癖をつけられるかもわからぬ。若衆頭の任を預けるだけではなく、君には若衆を脱した後にも助けとなってほしい。私は今この時、何よりも信頼できる臣下が欲しいのだ」

 真実多加羅を思い、力になってくれる者が――続く透軌の言葉は僅かに力が籠っていた。

「君の祖父殿は素晴らしい玄士であったと聞く。父上も惣領家への忠義は人一倍強い。大家の名に恥じぬ。君にも私の傍近くにあって惣領家を支えてもらいたい」

「透軌様は私を買い被っておられます。私はとうに父にも見放され、ただの若衆でしかありません。最早大家の称号にもさほどの意味はございません。透軌様をお支えしようという者は他にも多くおりましょう」

 ふと、透軌は息をついた。続いた声音は僅かに低い。

「これは灰のためでもあるのだよ」

 仁識は顔を上げる。透軌は再び窓外を見詰めていた。

「君も知っているだろうが、灰を認めぬ者はいまだに多い。彼らが黙しているのは父自らが灰を多加羅へと招いたからだ。だが、私の代となった時にも、灰を守ることがかなうかはわからぬ」

 仁識はまじまじと目の前の青年を見やった。

「君は大層灰を認めているようだが、そうではない者の方が多い。君もそれには気付いているのではないか?」

「…………」

「君が多加羅中枢で力を得ることは、そのように灰を排斥しようとする者達への牽制にもなるだろう」

「透軌様御自らでお守りになろうとはなさらないのですか?」

「それこそ買い被っているのは君の方だ。灰の行く末を案じぬわけではない。だが私には父ほどの力も人望もない。それは私自身が誰よりも自覚していることだ。灰を排斥しようとする者が大勢を占めれば、私にもそれを留める術はないのだ」

 まるで卑下するかのような言葉でありながら、それはごく淡々と紡がれた。熱を感じさせぬ白い面に浮かぶものを、仁識は掴みかねる。諦めか、と思い即座に否定していた。まるで違う。

 灰を守るために、己の力が必要だというのか――そう問おうとして、仁識は言葉を呑み込んでいた。問うてはならぬ、と自制する内心の声があった。透軌の眼差しは静かに、だが紡がれる沈黙が、語られぬ彼の心情をあらわしているようだった。圧せられ撓められて、蠢いている。

 測ろうとしているのだ、と仁識は思う。それは直観だった。透軌は仁識が真実己の利となる人物であるか否かを見極めようとしている。灰、という名を出し、それに彼がどのように反応するかを見守っているのだ。

 仁識はこの瞬間、誰よりも透軌を理解していた。次期惣領を担う透軌を人々がどう評しているか、仁識とて知っている。勤勉と言われはするが聡明とは言われず、物静かで穏やかな物腰は一部の古参の家臣には覇気がないと見做されている。言葉一つ、あるいはその立ち姿だけで人を引き付ける峰瀬みなせのような牽引力はなく、沙羅久と伍していくにも頼りなく薄弱と陰で言われていた。

 惣領の器としては、あまりに凡百――そしてそのことに、透軌自身が気付いているのだ、と仁識は悟る。透軌が己をそのように見做すまでにどれほどの年月を要したか、それは窺い知れぬ。だが偉大と評される現惣領に比され、周囲の過大な期待の中で己の力が遠く父親に及ばぬのだと自覚した透軌が、どのようにして生きて来たか――そしてこの先どのようにして生きようとしているのか――

 仁識はそれまで抱いていた透軌への印象を改める。透軌は愚かではない。むしろ静かな面の下に滾る我執を抱え、己の不足を補うためにあらゆる手段を講じ、あらゆるものを利用する狡猾な人間なのではないか。透軌にとって人とは、己の利となる存在か、あるいはその逆、行く手を阻む存在か、二つのうちのいずれかでしかないのかもしれぬ。

 仁識の沈黙をどのように取ったのか、ゆるりと透軌が微笑んでいた。

「これから多加羅惣領家は益々困難な時を迎える。私の力だけでは最早それを乗り越えることは出来ぬのだ。仁識、私の力となっておくれ」

 命令だった。もとより拒むことなど許されぬことだった。細く、決して解けることのない蜘蛛の糸に絡め取られたかのような感覚を仁識は覚える。

「承知致しました」

 一礼すると仁識は答えた。互いに目を合わせることもなく、寒々とした部屋の床に素気なく言葉は落ちた。透軌が笑みを深める。

「頼んだよ」

 透軌との対面を終えて部屋を出た仁識は、先程の男が廊下の先で待っているのに気付いた。男は一礼すると彼を再び屋敷の裏手に誘う。来た時と同じままに、馬車が待っていた。どうやら仁識の屋敷まで送るつもりらしい。

 男が無言で開けた馬車の扉の中へ仁識は踏み込む。扉が閉ざされる前に、仁識は屋敷に圧し掛かる木々の様をちらりと見やった。木々が縦横に枝を伸ばす様は、どこか天に腕を述べる人々の群れを思わせた。

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