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最果てに天深く  作者: 高原 景
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 須樹すぎは顔を上げた。暗がりに慣れた目には扉の形がおぼろにわかる。その向こうを通り過ぎる足音が聞こえたのだ。だが、それは立ち止ることなく遠ざかって行った。

 須樹は小さな部屋に閉じ込められていた。椅子に座らされ、後ろ手に縛められている。手にはすでに感覚がなく、指先からゆっくりと這い上る苦痛は上腕にまで達していた。背もたれに手首が固定されているせいで立ち上がることもできない。底冷えする部屋の空気と、同じ姿勢を強いられることとで体が強張っていた。

 目隠しは取られていたが、窓一つない部屋である。時をはかろうにもかなわなかった。三刻程も経ったように思うが、暗闇に捕われ身動きもかなわぬ状況で、己の時間の感覚には甚だ信用が置けなかった。あるいはまだ一刻程しか経っていないのかもしれぬ。それともすでに夜になっているのだろうか。

 須樹は何度も自分の身に起こったことを思い返していた。

 彼を捕えたのは何者なのか。そしてその者達が、多加羅たから若衆わかしゅうの暴挙を吹聴していた男と、何人いるかはわからぬがその仲間をもあの時捕えたのは何故か――最後まで見たわけではないが、あの紅の髪の女が男達をも捕えただろうことを須樹は確信していた。

 やはりあの者達が男達を以前から監視していたのだろう、と須樹は考える。そこに男をつけて須樹があらわれた。監視していた者達にとっては予期せぬ第三者、といったところか。だがあの場で短剣を突き付けるのは解せぬ。下手をすれば監視対象に気取られるだろう。そして実際にその通りになり、結果としてそれまで保たれていたであろう均衡は破れた。

 須樹はそこまで考えて苛立たしく溜息をついた。そこまでは推測がついた。だが、その先がわからないのだ。男達が多加羅若衆を貶める騒動を起こしていた、と仮定する。須樹にしてみれば、彼らを捕えることがかなえば若衆の潔白を証明することが出来ると、そう踏んでいたのだ。だが、あの新たな者達、縄張りと言うからにはこの街の者には違いないだろうが、彼らが男達を監視していたのは何故だ。

 どうやら己は未知の罠が張り巡らされた領域へと無防備に踏み込んでしまったらしい。迂闊には違いないが、予測できよう筈もない。

 何か見落としていることはないか、細部まで記憶を探る。思考は同じ軌跡を描いて際限なく空回りを続ける。だが、いい加減うんざりしながらもやめられないのは、何か考えていないと、不安と自らへの憤りに呑み込まれそうになるせいだった。

(まずは彼らが何者か、探る)

 これは何度も己に言い聞かせていることだ。彼らは須樹が多加羅若衆であることは知らない。それを強みとするか否かは己次第だろう。もっとも、須樹は若衆であることを明かすのは極力避けたかった。若衆は今回の緩衝地帯の一件でどのように動くかはまだ決定していない。なればこそ、これはあくまでも個人としての行動であり、若衆の名を出すわけにはいかなかった。己の失態を若衆に被せてはならない。

 その時、前方の闇が細長く切り取られた。扉の小さな軋みが響き、塗り込めたような濃密な暗闇が呆気なく綻んだ。入ってきた人影は小柄だった。硝子筒を掲げ、するりと部屋の中に滑り込むと扉を閉めた。硝子筒の柔らかな光が、闇に慣れた須樹の目には眩しく映った。

 目を細めて改めて入ってきた人物を見ると、どうやら少女のようだった。僅かに首を傾げて須樹を見つめる様はまだあどけなく見える。十五歳くらいだろうか。波打つ髪は結ばずに背に流されている。

「よいしょ」

 何とも拍子抜けするような声を出して、少女はぺたんと床に胡坐をかくと硝子筒を傍らに置いた。須樹ににこりと微笑む。

「あんまり暇だから来ちゃった。お話し相手になってくれる? お兄さん、お名前は?」

 無邪気な声音に須樹は半ば呆気に取られながらも、ただ黙って見つめていた。いずれ尋問を受けるだろうとは思い、覚悟もしていた。だが、これは予想外である。少女は須樹の沈黙を気にした様子もなくなおも言った。

「じゃ、私の名前を教えてあげる。私はこん。紺色の紺。変わった名前でしょ? でも私は気に入ってる。お兄さんはどこの人? この街じゃあないよね。私、この街のいい男はみんな覚えてるの。お兄さんのことは知らない。お兄さんはとても素敵だわ」

 少女は渦を描くように指を振り、またも笑む。

「答えてくれないんだ。では質問を変えます。家に帰りたい? こんなことされてお兄さんが可哀そう。もうすぐ夜になるから、家族は心配するよね。家族も可哀そうだわ」

 須樹は少女から眼差しを逸らす。

「もしかして家族がいない? それなら私と同じ。でも同じじゃないかも。私には家族以上に大切な人がいるから。お兄さんはどう?」

 あくまでも答えぬ須樹に、少女は可愛らしく唸ってみせた。

「どうして一言も答えてくれないの? 私はお話し相手になりたいの。私達のことを怒っているの? ここのみんなは怖い人じゃないのよ。悪い人でもない。私、色んな怖い人を見てきたからよくわかるの。それに、お兄さんのことも怖い人でも悪い人でもないと思うわ」

 須樹はふと既視感を覚えた。歌うような少女の言葉の抑揚、さりげなくありながら何時の間にか誘われるようなそれである。似たような感覚を覚える相手が居はしなかったか?

「みんなのことは大好きよ。でも私はよくみんなに叱られるの。今も本当はお兄さんには構うなって言われてるの。でも退屈なんだもの。夕食の下ごしらえは終わったし、やることがないの」

 まだ夜ではないらしい、と須樹は思った。夕刻だろうか。

「お料理は私の得意技の一つ。でもあんまり作らせてもらえないわ。あと踊りも得意よ。気に入った人にしか見せてあげないけど。お兄さんも、得意技があるよね?」

 少女はことりと首を傾げた。煌く瞳が、まるで何らの他意も無いといった様子で須樹を見つめている。

「お兄さん、強いよねえ。あんなに強いと思わなかった。えいも可哀そう。お腹のとこ、痣になってた」

 英――短剣を突き付けてきた青年か、と須樹は察する。そして少女の声が、あの時上から聞こえた声と同じであることに気付く。

「あんたが焚きつけなきゃそんなことにはならなかったんだよ」

 張りのある声が響いた。須樹は顔を上げる。戸口にあの女が立っていた。紺がぷっと頬を膨らませる。

「私、焚きつけてなんかいないわ」

「そうかい。無意識ならなお悪いよ。よく考えな」

 厳しい声音に、紺はしゅんとした様子で女を上目使いで見上げた。

「紺、あんたはもういい」

「なあんだ、もういいの? これからなのに」

「この男は無理だ。英のとこに行って慰めてやりな。落ち込んでたからね」

「はあい」

 反省した様子もどこへやら、明るい返事を残して出て行った少女を見やり、女はやれやれといった様子で肩を竦めた。須樹を振り返る。腕を組んで彼を見下ろした。

「さて、どうしたものかね……困ったもんだよ」

 口調はさほど困っているようには聞こえなかった。陽の光のもとでは紅に見えた女の髪は、仄かな火影にはくすんで見える。おそらく赤味の強い茶色の髪なのだろうが、須樹にはやはり炎のような紅に感じられた。二十代半ばか、もしかすると三十になっているかもしれない。その姿は女性の滑らかな曲線を描きながらも、無駄なく鍛えられていることが窺えた。

「あの子、可愛いだろう? さっきの子、紺だよ」

 答えを求められているとも思えず、須樹は再び視線を逸らした。

「大抵の男はああいう風に可愛らしく話しかけられたら、一言二言何か言うもんだよ。他愛の無い話をね。あんたは愛想がないね」

 ああそうか、と不意に須樹は気付いていた。紺と名乗った少女の掴み所のない言葉、相手に気付かせることなく己の望む方向に誘おうとするそれが、かいの物言いと酷似しているのだ。勿論、選ぶ言葉やその使い方は全く違う。灰の言葉はさほど抑揚がなく静かだ。だが普段は無口な灰が、己の主張を通そうとする時、あるいは相手から真意を聞き出そうとする時に発する言葉は、同じように相手を何時しか惹き込む響きがある。狡猾、と言えるかもしれず、だが灰の場合は滅多にそのようなことはしないうえに、本人が意図しているとも思えなかった。無意識なのだ。

 それに比べ、紺は意識的に須樹に何かを言わせようとしていたのだ、とわかる。確かに他愛無くも感じられるが、それは頑なな心を崩す小さな綻びとなるだろう。不用意に答えれば、それがこちらの素性を知る手がかりになりかねない。警戒していたとはいえ、答えなかったのは灰という免疫があったせいかもしれない、と須樹は内心に苦笑した。

「あの男達ね、この街の者じゃないよ。緩衝地帯の者ですらない」

 須樹は唐突な女の言葉に思わず顔を上げる。そして観察するように己を見つめる女の視線に気付いた。女がにやりと笑む。

「やはり、あの男達に興味があるようだね」

 須樹は内心に舌打ちする。辛うじて表情を変えないまま、敢えて女を正面から睨みつけた。

「そんなに警戒されてたんじゃ話にならないね。何も取って食おうってわけじゃないんだ。あんたが何者なのか言ってくれないことには、こちらも対処の仕様がない。あんた自身に疾しいところがなければ、隠すことなんてないだろう。本当のことを言ってくれたらすぐに解放できるかもしれないのにさ」

「この状況でその言葉を信じろって? 脅され、追いかけられて、挙句の果てにどこかもわからない場所に押し込められている」

 須樹は漸く答えた。自分でも意外な程、落ち着いた声音だった。

「確かにその通りだね。それに縛られてちゃ牙をむきたくもなるだろうさ。でもあんたは強い。下手したらこちらが危ういからねえ。あれは、武術ってやつだろう? あたしらみたいに喧嘩で身につけた技じゃない。木剣の構え方も綺麗なもんだった。剣を持ち慣れているんじゃないのかい?」

 須樹は答えなかった。あの少女をまず差し向けた遣り口といい、油断がならない。身を守るためにこちらが築いた壁を、少しずつ突き崩そうとしているのだ。

「まあ、いいさ。あんた、名前は何だい?」

 沈黙――女は小気味良く鼻を鳴らす。

「じゃあ、あたしから名乗ろうか。あたしの名前は宇麗うれいだ」

 女は指先で、名をあらわす文字を宙に書いてみせた。あまりにもあっさりと女が名乗ったので、須樹は虚を突かれる。何を思うのか女は僅かに目を細めた。

 宇麗、と須樹は心に刻みつける。相手の情報がこれで一つ、否、二つだ。一つ目は紺、あの少女だ。だがあの男達が緩衝地帯の者ではないという話を信じることはできない。まだ、今のところは。

 宇麗はなおも須樹を見つめていたが、ふと小さく息を吐いた。

「本名を言いたくないなら、偽名でもいいから名乗りな。こちらも呼び名がないとやりにくいからね」

「好きなように呼べばいい」

「ふん、じゃあそうさせてもらおうか。そういやあんた、自分のことを鼠とか言ってたね。見た感じ鼠はあっちの男の方が似合う」

 須樹の脳裏に浮かんだのは酒場からつけた男の顔だった。僅かな表情の変化を捉えたのか、宇麗が笑んだ。

「むしろあんたは駿馬だ。それともはくかもしれない。知っているかい? 猛獣を喰らう猛獣だよ。まあ、どちらであろうともいずれわかるさ。あんた自身の口から聞かせてもらおう。何故、あの男の後をつけていた?」

「…………」

「質問を変えようか。あの男達の何を知っている。お前はあの男達とどんな関係があるんだ?」

「俺は何も知らない。ただ巻き込まれただけだ」

「まだ自分の立場がわかっていないようだね。そんなことが信じられると思うかい?」

「信じる信じないはそちらの勝手だ。本当のことを言えと言うから、答えているだけだ」

「よく聞きな。野生の獣は縄張りを侵されれば、相手の命を奪うことも躊躇わないんだよ。あんたはあたしらの縄張りに踏み込んだ。それもあたしらが狙う獲物を追ってね。もう少し賢くなりな」

「野生の獣はみだりに殺したりはしない。簡単に殺すのは人だけだ。言っておくが、俺はあんた達の縄張りのことなんか知らない」

「ああ、確かにこの街の者ではなさそうだ。だが、あの男達と無関係ならあんな裏道を何故うろついていたのかね。街衆でも滅多に踏み込まない場所だ。分別があれば途中で引き返す。まさか散歩でもしてたのかい?」

 須樹は口角を上げた。

「散歩してたんだよ」

「そいつは面白い冗談だ」

 宇麗の手が素早く須樹の後頭部に伸びる。乱暴に髪を掴まれて須樹は仰のいた。首筋に冷たい感触があてがわれる。痛みが奔った。相手の体温を感じる程近く、宇麗の顔があった。くっきりとした切れ長の瞳が、不穏に細められる。

「死にたいのかい? あんたがここで死んでも、誰も知ることはない。あたしがあと少し力を込めれば、それであんたの人生は終わるよ。あたしは躊躇わない」

「そこまで必死に聞き出そうとするのは何故だ?」

 掠れた声で須樹は言った。意表を突かれたのか、宇麗が眉根を寄せる。

「俺は本当に何も知らない。あの場所へはただ迷い込んだだけだ。むしろこちらが聞きたいくらいだ。あんた達は何者だ? 何をそんなに怯えている?」

 相手の正体を知らないという、そのことを曝け出す。宇麗の心中に迷いを引き起こすための、これは賭けだった。須樹がどれ程否定しようとも男をつけていたのは紛れもない事実であり、客観的にあの路地での状況を考えれば宇麗が須樹の言葉を信じないのも無理はないのだ。だが、男をつけた理由を言えば、須樹が多加羅若衆であることも言わねばならない。例え、須樹の行動が若衆とは無関係の単独行動であろうとも、である。宇麗達は若衆にとって危険な相手なのか否か、それを見極めねば状況は打破できそうになかった。

 須樹は宇麗の表情をつぶさに観察する。だがはっきりとわかる変化はなかった。

「あたしが怯えているだって?」

「ああ、そうだ。だから過剰に警戒している。あの男達が危険な連中だからか? 何故あの男達を監視していた?」

「わかってないね。質問できる立場じゃないんだよ」

「無関係の人間を巻き込んだのはそちらだ。そうやって自分で自分の首を絞めているだけだ」

「その言葉を信じる程あたしはおめでたくはないよ」

「俺は真実を言っている。あんたも真実を言ったらどうだ」

 無言で暫し睨み合う。

「その度胸だけは褒めてやるよ」

 宇麗は冷たい笑みを浮かべて言うと、須樹の髪を離して一歩引いた。須樹が思わず小さく息をついた瞬間、宇麗が動いた。身構える隙もあらばこそ、宇麗は須樹の鳩尾に拳を叩き込む。無論、防ぐことなど出来よう筈もない。咄嗟に息を止め腹筋に力を込めるも、受けた衝撃に須樹は喘ぎ、咳き込んだ。胃液のせり上がるような嫌な感覚が広がる。

 不意に支えを失い、ぐらりと体が傾いで床に倒れ込む。須樹は苦痛に霞む目で女を見上げた。女の手に握られた短剣を見て、漸く縛めを解かれたのだと気付いた。感覚の無い手を引き寄せる。

 宇麗は目を見開いて須樹を見下ろしていた。意識を失わなかったことに驚いているのかもしれない。確かに強烈な一撃だったが、鍛練で冶都やとの相手をしていれば自然と打たれ強くもなる。反射的に衝撃を減じることができたのは、灰の技の速さや仁識の意表をつく攻撃に慣れていたせいかもしれない。激痛と吐き気の合間に、須樹は思わず小さく笑みを浮かべていた。どうやらあの連中に想像以上に鍛えられていたようだ。

 宇麗はしゃがみ込むと須樹の髪を柔らかく撫でた。顔を覗き込んでくるのを、須樹は見返す。

「あんたの正体がわかるまで、あんたはあたし達にとって敵だ。抵抗するだけ痛い目を見るよ。……あんたは駁なんだよ。自分でわかっているかい? 本当のことを言うまであたしは容赦しないよ」

 猛獣を喰らう猛獣――どうやら相当に危険な人物と思われているらしい。須樹は朦朧とした意識でそう考えた。実際には武器の一つとて持たずに獣の中で立ち尽くしているのはこちらの方だ。いまだに相手が何者か、自分が一体何に巻き込まれたのかが全くわからない。

(いや、もう一つわかったことがあるな。あの男達はこいつらにとって猛獣だってことだ)

 宇麗達が須樹を警戒するのはあの男をつけていたから――そうだとしてもこれは行き過ぎではないかと須樹は思う。だが、あの男達が、もしも須樹が考えていた以上に危険な輩だとしたらどうだろうか。男達を追って新たにあらわれた彼の存在に宇麗達が神経質になるのも頷ける。男達に問い詰めたところで須樹の正体がわかる筈もなく、尚更に不安を感じているに違いない。

 猛獣を喰らう猛獣、駁という例えは、男達と須樹を指して言っているように思えた。

 多加羅若衆と、それを貶めようとする者達と考えれば、その例えもあながち間違いではないかもしれない。

(どちらが喰われる側かは……考えたくないな)

 宇麗は立ち上がると硝子筒を掴んで扉へと向かった。扉を開け、廊下に呼びかける。

「食事を持って来て置いといてやりな。一刻程経ったら食べられるくらいに回復するだろう」

 どうやら廊下には見張りがいるらしい。男の応じる声が聞こえ、遠ざかって行く足音が響いた。

「また来る。どうすべきかよく考えな、駁。この暗闇から出たけりゃ、意地は張らないほうがいい」

 須樹は薄目を開けて女の背中が扉の向こうに消えるのを見送った。扉に閂をかける硬質な音が響き、再び闇の中に取り残される。次第に手に血の気が戻るのがわかったが、まるで自分のものではないかのように感じられた。断続的な痺れと苦痛が指先から広がり、腕へと這い上る。

 この状況を若衆の仲間が知ればどうなるだろうかと、ふと考えていた。冶都は怒髪天を衝く勢いで怒り狂うだろう。灰は普段の彼からは想像もつかぬ狡知を巡らして、たった一人ででも須樹を救おうとしかねない。何せ前例がある。仁識は表情一つ変えずに、しかし心の底から須樹の身を案じるだろう。勿論、痛烈な皮肉の十や二十は――願わくばそれくらいで済めばよいのだが、と須樹は希望的観測を込めて思う――言われる覚悟をせねばならないだろうが。

 早くあの連中のもとに帰った方が良さそうだ、と須樹はぼんやり思った。何時までも多加羅に戻らなければ、彼らは不審に思うだろう。灰にせよ仁識にせよ、ああ見えて気が短い。向こう見ずなところは猪突猛進の冶都と大差がないのだ。何をしでかすかわかったものではない。

 須樹は瞳を閉じた。ゆっくりと沈みこむような感覚は疲労故か――冷たい床に耳をつける。渦巻くような己の鼓動が、やけに遠く聞こえた。

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