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最果てに天深く  作者: 高原 景
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 つんざくような悲鳴をあげ、端然と居並ぶ司祭達の中から一人がまろび出た。地面に這いつくばり、頭を抱える尋常ではない様子のその男は、司祭長の背後に控えていた司祭のうちの一人である。まだ若い。それにも関わらず司祭長の傍近くでの列席を許されているのは将来を嘱望されている証である。それがなぜ胎児のように身を丸めて泣き叫んでいるのか――奇異な光景に誰もが呆気に取られていた。

 來螺らいらの街衆も唖然とそれを見つめる。彼らがさいに聞いていたのは、穂の原を奉じ、おそらくは神殿にいるであろう犯人を追いつめる、ということだけだ。ただそれだけの言葉で采が宿営所の人々を動かしたのは、彼の人望の厚さゆえであるが、それでもまるで雲を掴むような話であることは否めない。だが、目の前のこの展開は何だ。

「どうしたのだ」

 一人の司祭が、蹲る男へと問う。男の声は嗚咽にまみれくぐもっていたが、その場にいる誰もがその言葉を聞いた。

「神よ……お許しを……どうか、お許しください……私の罪を……」

 周囲と同じく茫然と目の前の光景を見ていた采は、表情を引き締めると前へと進み出る。高らかに言った。

「神は我らの祈りをお聞き届けになられた」

「戯けたことを! この不埒な者どもが!」

 響いたのは司祭長の険しい声だった。司祭長はなおもすすり泣く司祭を苛立たし気に見やり、しかし戸惑いをも圧して沸き起こる怒りのままに、來螺の代表である男を睨みつけた。

「あのような芸をよくも神への供物としたものだ! 即刻この場より立ち去れ!」

「それはできませぬ。神は我らにお答えになった。我らの祈りに答えられたのです」

「一体何を言っているのだ」

「貴殿はこのほど多加羅で起こった火災の犯人が捕まったことをご存じか」

 しんと場が静まった。訝しげな司祭長の表情には構わず、采は続けた。

「來螺の青年が犯人として捕えられたのです。だが、彼は無実に違いなく、我らはこの場で神に真偽を問うことと致しました。もしも來螺の者が偽りの罪を被せられたのであれば、真の犯人をお示しくださるよう、罪なき者を貶めた者への我らの怒りを込め穂の原を捧げたのです」

「そのような世迷い事を……」

 司祭長の言葉が途切れる。掠めるように素早く、這いつくばる司祭へと視線が流れた。それを采が見逃すはずもない。――一体どのような怪異を見せたものやら――内心に思いながらも、傲然と言い放った。

「そこな司祭に問わせていただきたい。真の火つけの犯人は誰なのか。誰が我ら來螺の一員に罪を被せたのか。とく、答えていただきたい!」

 静寂に響く采の言葉に、蹲りすすり泣く司祭の背がびくりと震えた。青褪めた顔をあげ、己を断罪する男を見上げる。物影から見ていたかいははっとする。見憶えのある顔だった。祭礼の三日前に行われた鍛錬所での下稽古に、司祭長の代理として来ていた司祭である。あの時、司祭が彼に一瞬向けた焼けつくような視線――それも無理なからぬことだったのだと灰は気付く。かの司祭がもしも丈隼たかはやと灰の会話を聞いていたのであれば、鍛錬所で灰を見た時の彼の驚きはどれほどのものだっただろう。己が嵌めた來螺の青年と親し気に言葉を交わしていた少年が、よもや惣領家の一員だとは思いもしなかったに違いない。

「神殿を愚弄するか!」

 なおも言い募ろうとした司祭長は、微かな声に言葉を呑みこむ。蹲る司祭が不意に顔をあげた。だらりと腕を地面に垂らしたまま呆けたように天を見上げている。

「神は見ておられたのだ。私を……神は見ておられた……」

 震えながら呟くその姿に、見る者を不安に誘う何かがあった。

「私の罪を、見過ごしにはなさらなかった……。私を見ておられた……」

 ぶつぶつと何度も繰り返す声音に、恍惚とした響きがある。それは狂気と紙一重の狂信である。

「私を、その炎でお裁きになった……私を……」

「何を言うておる!」

 司祭長の声がはっきりと動揺をあらわしていた。彼は、その司祭を殊の外見込んでいた。まだ二十半ばの若さだったが、神への信心の深さも、たゆまぬ努力を重ねる辛抱強さも、人並外れた聡明さも、やがては神殿の中枢にいてこそ相応しい人物になる器であると考えていたのだ。それが今や目の前で、人が変わったように泣き叫び、虚ろに言葉を繰り返している。

 采が静かに言った。

「あなたが多加羅の街に火をつけたのか」

 問いかけですらないそれに、司祭が視線を巡らせる。ぼんやりとした表情でゆるりと頷いた。

「私がやったのだ。すべて私が。火をつけ、人を殺した……」

「そして來螺の若者に罪をなすりつけたか」

「私がやったのだ……」

 ぽつりと言う。言いながら、微かに笑んだ。まるで、それが誇らしいかのように――采はぞっとその様を見ていた。この青年は常軌を逸している。それは彼のみの思いではあるまい。広場に集う人々もまた凝然と司祭の姿を見つめている。はっきりと顔を顰めている者もいた。

「お聞きになられただろう。この者は火つけの真の犯人だ。ここにいる全ての者が証人であり、神の奇跡の目撃者だ」

 采は静かに言うと、恭しく司祭長に向かって一礼した。

「この者を如何様になさるか、それは貴殿の権限であると考える。神殿の栄誉に恥じぬ決断をなされませ」

 愚弄でも嘲笑でもない、重々しい言葉だった。

 司祭長の顔が強張る。衝撃のためか蒼白となりながらも、采と、その背後に集う來螺の一団を睥睨した。彼の絶対の信条、神への信仰とその誇りにかけて、取るべき行動は言われずとも決まっていた。それでも來螺という存在への怒りと嫌悪が抑えようもなく沸き起こる。だが、この場において彼の矜持が許さぬその最たるものは、胸中の葛藤を眼前の者達に晒すことである。

 司祭長は厳然と言い放った。

「今、この時よりこの者は破門とする。神の慈悲を求める、いかなる資格もないものと見做す」

 彼は広場の警護についている衛兵達へと目をやる。周囲と同様に茫然と広場で繰り広げられている出来事を見つめていた衛兵はその眼差しにはっと居住まいを正した。

「この者を捕えよ。捕えて警吏けいりへと連行せよ」

 その言葉に鋭く応えると、数人の衛兵が座り込んでいる男の元へと近づき、その体を引き起こした。抵抗することもなく男は立ち上がる。もはやその瞳は何も映していないようだった。あるいは、誰にも見えぬものを見つめているのかもしれぬ。なおもぶつぶつと呟きながら、男は引きずられるようにして歩き出す。その姿に人々は言葉もなく道を開けた。

 男は一度も神殿を振り返ることなく、その場を去った。

 

 灰は遠ざかる男の姿を見送り、ほっと息をついた。彼にとっても、この展開はあまりに予想外のことであった。犯人を追いつめ焙りだすこととて一か八かの賭けだったのだ。まさかこの場で明らかになるなど考えてもいなかった。

 緊張がゆるみ、かわって座り込みそうなほどの脱力感が襲ってくる。この数日の間、己がどれほどに張りつめていたかを彼は悟る。それに加えて怪魅けみの力を使ったことによる疲労も、かつてないほどに甚だしかった。

 芸の間男が見た幻は、叉駆さくの力を借り灰が作り上げたものである。しかしそれは想像以上に困難なものだった。人々の目に見えず、しかし異能を有する者にだけ見える幻――虚と現の挟間、まるで針の先程の空間に精妙な像を象るような所業だったのである。精神をぎりぎりまで張り詰めていたせいか、額の奥が鈍く痛んだ。

 丈隼は解放される――灰は疲労のまま壁に背を預け、思う。これで、丈隼が助かるのだ。いわれなき罪で命を落とすことはない。思うままに沸き起こる安堵に全身が浸された。それゆえ、彼は気付かなかった。彼の鋭い感覚も、この時ばかりはそれを感じ取ることはできなかった。かの幻を目にしたのが真の犯人ばかりではないことを――その者の存在を。

 もしも視野の片隅にでもその姿を捕えていれば気付いただろう。だが、その人物がたまたま死角にいたため、それもなかった。もっともそれは灰にとっては幸運だったかもしれず、相手もまた灰の姿には気づかなかったということだ。

 雑踏の中、凝然と広場を見つめる人影があった。聡達そうたつである。沙羅久しゃらく惣領家の者が多加羅に堂々と来ること自体が大胆極まりない所業である。それに加えて以前若衆(わかしゅう)と遭遇した時とは違い顔すら隠していない。もっとも夥しい人の群の中、顔を隠す方がかえって人目につくものであり、たとえ聡達の顔を見知っている者がいたとしても、この混雑の中では気付かれる可能性は高くはないだろう。

 聡達は踵を返す。気の向くまま多加羅へと来て、広場での出来事を目にしたのは偶然である。もっとも聡達の目に、すべてが明瞭に映ったわけではない。条斎士じょうさいしである彼が操るのは言霊であり、広場で行われたことはその彼の能力をも越えた事象である。しかし凄まじいまでの力の渦が象る形をおぼろげに捉えることはできた。何よりもあれは明らかな人為であった。

 それで十分だ、と彼は思う。火つけの犯人だと告発された男もまた同じものを目にしていたに違いない。だが、それは聡達にとってさほど重要なことではなかった。目の前で繰り広げられた怪異は明らかに異端の術、それも稀有な力の持ち主が作り出したに相違ない。身内に沸き起こるのは熱狂にも似た高揚である。彼の口元は抑えきれない笑みに歪んでいた。


 火つけの犯人が捕まったという話は瞬く間に多加羅の街に広まった。多分に誇張されながら、この上なく衝撃的なそれは祭礼の興奮も相まって街中の噂となり、神の奇跡として人々の熱気を更に煽る結果となった。神殿にとっては不名誉の一言では済まぬ凶事であったろうそれが、尚更に神の祭礼を華やかに盛り上げることとなったのは皮肉の一言に尽きる。

 だがその年の祭礼で起こった一連の出来事、後に炎呪えんじゅと呼ばれるそれはまだ終わったわけではなかった。

 神殿での奇妙きわまりない出来事から半日程たった夕刻、謁見の間で所領内の街や集落の代表者と対していた峰瀬みなせは――街や集落の代表者は神殿へと供物を捧げた後多加羅惣領の元へと参じ、挨拶をするのが習わしである――戸惑いの表情を浮かべた家司けいしから、その者の来訪を知った。

「いかがいたしましょうか」

 困惑顔で問う家司に、峰瀬は淡々と返した。

「断るわけにもいくまい。聖遣使しょうけんし殿をお通しせよ」

 やがて謁見の間に姿をあらわしたのは、二十歳にもならぬ青年だった。落ち着いた様子で進み出ると、優雅に礼をする。皇帝の直属である彼らが叩頭する相手は、己の主である皇帝に対してのみである。

「突然にまかり越したこと、お詫び申し上げます」

 峰瀬はふと目を細めた。

「お父上に似ておられるな、聡達そうたつ殿。沙羅久惣領は息災か。心臓を病んでおられると聞いたが」

 対して、相手は笑みを浮かべた。

「我が父へのお心遣いいたみいります。しかし、私は沙羅久の者として参ったのではございません」

 聡達の言葉は明朗に響く。峰瀬の傍近くに控えていた家臣達がぎょっと目を見開いた。目の前の青年が沙羅久惣領家に連なる者だとは、つゆ考えなかった彼らである。聖遣使が突然に惣領をおとなったことだけでも戸惑いを感じていた彼らは、ますます困惑を深めるばかりだった。

「では聖遣使殿はいかなる用件で参られたのだ」

「今日捕えられた火つけの犯人のことでございます」

「それが貴殿に何の関わりがある」

「私は聖遣使として、多加羅の街で起こる火災について調べる任を帯びております。我らの見立てでは火つけの犯人は異端の力を有する者である可能性が高く、その者を捕えるよう命が下されていました」

 聡達は言う。その彼が数日前に多加羅の街で若衆わかしゅうと遭遇して騒動を起こし、結果として惣領家は神殿に抗議を行っているのだが、それを知ってか知らずか涼しい顔である。

「貴殿の話とは火つけの犯人を引き渡せということか?」

 話の展開についていけず目を白黒させる家臣とは対照的に、峰瀬もまた落ち着いたものである。無論、この場にいる誰もが火つけの真の犯人が捕まったことは知っていたが、それが異端の力を有するなどとは初耳のことだった。

「犯人が捕えられれば当然そのようにお願い申し上げるところではございますが……」

 聡達はふと言葉を切った。笑みが深まる。

「いささか事情が変わりました。今宵、二十の刻、獄舎の守りを解いていただきたい」

「守りを解くだと? 何故だ」

「火つけの犯人を逃すためにございます」

 峰瀬は僅かに目を見開いた。彼の背後にいる家臣達は誰も驚きのあまり言葉もない。

「人の命を殺めた重罪犯を解き放つというのか。なぜそのようなことをする」

「今日神殿で起こった出来事について惣領もお聞き及びでございましょう。來螺の者達が神に芸を捧げ、神がそれに応えて真の犯人を明らかにしたという」

 聡達の声は迷いなく響く。

「あの出来事はとんだ茶番にございます」

「茶番だと?」

「私はその場にいて見ておりましたが、來螺は芸の中に異端の術を込めておりました。常人には見えぬ幻の炎を作り上げ、それを穂の原とともに犯人に見せたのでございます。犯人が明らかとなったのは神の御業でも何でもない、単に來螺の異能者が見せたその幻に、犯人が怯えたからに他なりません。火つけの罪を告発する穂の原と、異端の力を有する者にのみわかる怪異に追い詰められた結果なのです」

 今度こそ驚きの声が、峰瀬の背後で起こった。それを聞きながら、峰瀬は漸く事の全貌を悟っていた。げんの報告を受けていた峰瀬も、真実何が起こったかまでは知らなかったのだ。灰が何かを目論んだことはわかっていたが、当の少年が弦にはその思惑を告げていなかったのだから、それも仕様がないだろう。

 なるほど、と峰瀬は思う。灰はおそらく火つけの犯人が神殿の中にいることも、その者が異端の力を有することも気付いていたのだろう。そして犯人を明らかにするために來螺をも巻き込んで大掛かりな博打を打ってみせたのだ。聡達の言う異端の術を芸に込めたのは灰に違いないと彼は確信する。

 それにしても、聖遣使としての任を帯びているとしても、沙羅久と険悪とも言える関係にある多加羅に堂々と出入りをする聡達の神経も、いささか呆れたものである。

「たとえ、來螺の者であろうとも、皇帝の威光ある土地での勝手な振る舞いを看過することはできません。ましてや神の祭礼でそのような力を振るうとは、許すまじきこと。だが、祭礼が終わるまでに異端の力を有する者を明らかとせねば、その罪を告発することは不可能でしょう」

 祭礼が終われば來螺の街衆は多加羅を去る。それまでに、不埒にも多加羅の街で異端の術を行使した者を捕えねばならぬ、と聡達は言う。落ち着きを感じさせるその声音に、ふと峰瀬は神経を炙られるような不快を感じた。若者の早熟した立ち居振る舞いは品すら感じさせる。それにも関わらずなおも強まるのは凄まじいまでの違和感である。目に映る実像と、醸し出すその空気の乖離――峰瀬の眼差しがすっと冷めた。

「火つけの犯人を逃がすは、その者を釣りだすための餌だと言うのか」

 その言葉に聡達は頷いた。

「おそらく來螺の異能者は火つけの犯人が逃げたとあらば、何とか捕えようとするでしょう。無論、犯人が再び人を害することのなきよう、私が十分に注意を致します。ですが、來螺の異能者は火つけの犯人が到底及ばぬ程の術の使い手、より大きな危険分子を捕えるために必要なことでございます」

「否、と言えばどうなる」

「どうもなりません。ただ、我ら聖遣使は白沙那はくさな帝国の安寧をあずかる者、我らへの応え一つがどのような意味を持つか、惣領はおわかりのはずです」

「真の犯人が捕まったことをまだ帝国中枢は知らぬはずだ。火つけの犯人を解き放ち、來螺の異端を釣りだすというその計画は貴殿の独断と見えるが?」

「私にはそれだけの権限がございます」

 脅しであった。我らに逆らうは皇帝に逆らうこと――傲然と言い放った聡達は、次の瞬間には柔らかく笑んでいた。真綿でくるむような、恫喝の笑みである。

「惣領にはただ獄舎の守りを一時解いていただき、明日、犯人が逃亡したことを街衆に知らせていただくだけでいいのです。あとは我らにお任せください」

「異端を狩り出すは容易なことではあるまい」

「異端を狩るは我らの領分、お気になさる必要はございません」

「……なるほど」

 ひそりと峰瀬は言う。否と言うは帝国への裏切り、ただ言う通りにしてあとは手を出すな、という聖遣使の言葉である。峰瀬は僅かに笑んだ。鋼の眼差しに、見る者を圧する凍るような笑みである。だが、聡達は平然とそれを見返す。

「聖遣使殿の言われた通りにいたそう。二十の刻から一刻の間獄舎の守りを解く。あとはお好きなようになされよ」

「ありがとうございます」

 息を呑む気配とざわめきを一顧だにせず、そのまま一礼して立ち去りかけた聡達は、しかし足を止めると振り返った。いかにも今思い出したという風情で笑む。

「ああ、それからもう一つ、惣領にお願いがございます」

 言いながら懐から一振りの刀を取り出した。それを峰瀬に無造作に差し出す。

「これを灰殿にお渡しください」

「灰に?」

 怪訝な表情で峰瀬は差し出された刀を掴んだ。

「その刀、もとは灰殿のお母上……惣領の妹君の持ち物でございます。わけあって私が持っておりましたが、本来の持ち主に返すのが筋というもの。灰殿にとってはおそらくお母上の形見ともなるものでしょう」

 峰瀬は思わず聡達を凝視する。聡達はなおも言葉を続けた。

「あの事件が來螺で起こった時は私も幼かったものですが、妹君をあやめたのは沙羅久惣領家を勘当されたとはいえその直系の者、それにも関わらず沙羅久に一切の責めをなさらなかった多加羅惣領家の思慮と寛容に、今更ながらに感じ入るばかりでございます」

 淀みなく流暢に、まるで演劇の口上のように響く。峰瀬は対する相手の端正な面をひやりとした心地で眺めやりながら、唐突に先程から感じていた違和感の正体を悟っていた。一貫して非の打ちどころのない恭しい態度でありながら、軋むような不快を感じさせるもの、聡達の面差しの下に蠢くそれである。

 知性と落ち着いた物腰に巧みに隠されていながら、撓む歪みが透けて見える。暗く、峻烈な傲慢さ、薄刃を思わせる酷薄さ――それがこの聡達という青年が隠す本性なのか。そして否、と思う。彼は隠そうとさえしていない。表裏を隔てることすらしていないのだ。知的で明朗であり、そうであればこそ尚更、残酷なまでに冷徹なのが彼という人間なのだろう。

「貴殿は先程、沙羅久惣領家の者としてこの場に赴いたのではないと言ってはいなかったか?」

 揶揄するような峰瀬の言にも聡達は動じなかった。

「ええ、沙羅久惣領家の者としてこの場に立っているのであれば、口が裂けても言えぬことでございます」

「聖遣使の立場で言ったということか。だが、殊更にここで言うべきこととも思えぬが?」

「深読みなさいますな。私は灰殿の心中を思えばこそ、大切なお母上の形見の品をなるべく早くにお返ししようと思ったまで。私は一度灰殿と対面いたしましたが、彼は非常に興味深い。まさに多加羅惣領家に相応しいお方にございましょう」

 灰との邂逅を隠そうともしない。その時彼が若衆に対して術を放ったという、その狼藉を知る家臣が気色ばむ気配を見せた。それにちらりと流した聡達の眼差しが冷笑を含む。

「灰をそのように思うか」

「はい。是非とも一度直接にお話をさせていただきたいものです」

「さて、灰はそれを望むまいよ」

 峰瀬の言葉に聡達は答えず、ただゆるりと微笑む。そして再び一礼し、今度こそ振り返らずに謁見の間を後にした。それを見送り、峰瀬は手に残された刀を眺めた。

 聡達がなぜこれを今この場で峰瀬に渡したのか――言外に秘めた意図をそこに見るのは深読みに過ぎるのだろうか、と峰瀬は考える。

 刀を峰瀬に託すことで、聡達は灰が來螺の出身であることを知っている、と告げたのか。火つけの犯人を捕えるために灰が來螺と行動をともにしたことも隠し通せるものではあるまい。あるいはすでに知っているのかもしれぬ。多加羅惣領家の者が來螺に与することへの警告なのか。それとも聡達が言うように何も意図は無いのか。そうであれば、尚更になぶるような悪意をそこに感じずにはいられない峰瀬である。

 いずれにせよ明らかなことが一つある。聖遣使の狙いである來螺の異端とは、灰その人である。


 その夜、獄舎に繋がれた火つけの犯人が忽然と姿を消した。まるで霧のように、独房から消えていた。何人たりとも逃げること能わぬ獄舎から犯人が逃亡したという、それは翌日には街の人々へと知れ渡る。前代未聞の出来事であった。

 そして人知れぬ闇の中で、狩る者と狩られる者の攻防が始まろうとしていた。

 漸く、第二章が終わりました。

 この先も読んでいただけると幸せです。

 ではでは、今後ともよろしくお願いいたします!

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