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最果てに天深く  作者: 高原 景
26/117

26

 その夜、星見ほしみの塔を訪れた者達がいた。

 滅多に使われることのない呼び鈴が鳴ったのは、宵の刻も過ぎ、あたりが夜闇に覆われた頃合いだった。訪問者を迎えたのは秋連しゅうれんである。

 扉を開けると、廊下の灯火が作りだす光に浮かび上がるのは、三人の若者だった。青年というにはまだ年若い、しかし少年というには大人びた雰囲気の者達である。思わずまじまじと見つめる秋連に対して、三人のうちの一人が言った。

「遅くに申し訳ありませんが、かい様はおられますか?」

 繊細な面差しはどこか女性めいた柔らかさを感じさせるが、視線は裏腹に鋭い。

「灰ならいるが、君達は?」

「申し遅れました。私達は若衆わかしゅうの者です」

 秋連は怪訝に思う。その彼の思考を読んだように、また別の一人が言った。

「突然に申し訳ありませんが、灰様にお会いしたいのです」

 すがしい落ち着いた声音である。その後ろでは大柄な体躯を縮めるようにしてもう一人が秋連を見つめている。

「ああ、それは構わないが……とにかく入ってくれ」

 言いながら秋連は若者達を星見の塔へと招じ入れた。人が訪れるにふさわしい時刻でも場所でもない。灰に一体どのような用件があるのか、どこか張りつめた若者達の様子を見るともなく見ながら秋連は問うた。

「今朝など灰は朝食も食べずに出て行ったが、若衆は今祭礼の準備で大変なのだろうな」

 別段変わったことを言ったつもりはなかったが、若者達はふと息を詰めるような雰囲気で視線を交わし合った。

「はい、祭礼は二日後ですから」

 答えたのは最初に灰の所在を尋ねた一人だったが、秋連の思い違いでなければ、どこか取り繕うような響きの声だった。

「灰は夕刻から書庫に籠っていてね。何やら調べたいことがあるらしい」

 案内しながら言えば、静けさの中に言葉は沈むかのようである。後ろに続く若者たちは物珍しそうに辺りを窺いながらも、一様に沈黙を守っていた。

 秋連は一つの書庫の前で足を止めると、扉を開いた。書庫は大方が闇に沈んでいたが、連なる棚の間に光の円が広がっていた。その光のもと、棚に背を預けて書物を読む灰の姿が浮かびあがっている。半ば伏せた顔は複雑な影に染まる髪に隠されて窺い知れない。静寂に少年自身も沈み、染まっているかのようだった。

 灰がふと顔をあげる。すい、と向けられた視線が秋連を、そしてその背後にいる者達を捉えた。その瞳が一瞬大きく見開かれる。秋連は灰の表情に目を細め、しかし何も問わずに穏やかに告げた。

「君にお客様だよ」

 そして三人を振り返る。

「あいにくここには客を通す程の部屋もなくてね、せせこましくてすまないが話はここでしてくれるかい?」

 若者達が頷く。秋連は三人を招き入れ、そのまま書庫を後にした。たん、と扉の閉じる音が響く。

 灰は突然の訪問者を前に暫し立ち尽くす。言葉が出て来なかった。それは三人――須樹すぎ仁識にしき、そして冶都やとも同じなのか、気づまりな沈黙が落ちた。

「すごい書物の量だな」

 どこか呆れたように言ったのは冶都だった。沈黙に耐えられなくなったのか、それとも天井まである棚を埋め尽くす書物の量に単純に感心したのかもしれない。

「まだ、この部屋は少ない方ですよ」

 灰は言うと書物を手にしたまま硝子筒を捧げ持って三人へと近づいた。扉の横に申し訳程度に置かれている机に硝子筒を置くと、改めて三人に対する。

「こんな刻限にどうしたんですか?」

 淡々とした響きの問いだった。須樹は言う。

「わかっているんじゃないのか?」

 抑えた声音だったが、灰はそこに潜む厳しさに気付いたのか、ふと息をつめたようだった。

「昨日のことだ。來螺らいらの者が火つけの犯人として捕まったという」

「そのことは……」

「若衆の俺達には関係ない、か?」

 言い淀んだ灰の後を須樹が無造作に続けた。

「単刀直入に言う。灰、俺達も頭の言うことには賛同できないんだ。真の犯人が別にいる可能性があるなら、そいつを捜すべきだと思う」

 なおも無言の灰に須樹は明瞭に言った。

「俺達も真の犯人を捜す手伝いをしたい」

 灰の瞳が揺れる。迷うように須樹を見つめ、漸く言った。

「そんなことをそれば、須樹さん達も若衆にいられなくなります」

「お前は躊躇いもなく若衆を抜けたな。俺達にもそれができないとなぜ思うんだ?」

 なぜ、と問われて灰は答えに窮する。須樹の真剣な表情を見れば、誤魔化しやその場凌ぎの言葉を言うことはできなかった。

「俺は自分のことは多加羅の者だとは思っていません。あの時も若衆のことは本当にどうでもよかったんです。それに、丈隼を助けたいと思うのは、俺自身の勝手な気持ちです」

 沈黙が落ちる。その静けさを破ったのは仁識だった。

「素直ですね」

 呆れたように言う。続く声音には鋭さがあった。

「つまり、若様は私達多加羅の者には御自身の気持ちなどわからない、と仰りたいわけだ」

「確かに灰にとっては昔馴染みを救うことは何をおいても優先されることだろうな」 

 言いながら、須樹は灰が鍛錬所を去る時に見せた拒絶を思い出す。それを見て彼が灰に対して抱いたのは懸念や案じる思いだけではなかった。僅かでも少年に怒りを抱かなかったと言えば嘘になるだろう。それまでの信頼関係などなかったかのように拒んだその裏に、須樹達への配慮があるだろうことはわかっていた。それでも須樹には割り切れなさが残っていたのだ。所詮違う者なのだと、どれほどともに過ごそうと結局相容れぬ、越えられぬ一線があるのだと灰は無言で示してみせたのだ。

 來螺の者として灰を蔑み、拒絶したのが加倉や彼に倣う若衆であるならば、多加羅という枠から出ることができない者達を拒み、そしてその枠に組み込まれることを厭うたのは灰だった。

 もっともそうであるとしても、そのことに灰自身は気付いていないのかもしれない、と須樹は考える。そしてそれを指摘するほど須樹は愚かではなかった。人と人はこれほどに遠い。他人の心の内をはかることはできても、本当に知ることなどできはしない。相手を己の狭い枠に囚われて断じる、それ自体がひどく傲慢なことなのだと須樹は思う。

「灰は俺達を巻きこむつもりはないんだろう。だからあの時たった一人で若衆を抜けたんじゃないのか?」

 須樹は低く言った。

「だが、俺達にも俺達なりの矜持があるんだ。頭とは違う」

 硬い須樹の声音がふと柔らかくなる。厳しい言葉とは裏腹に、そこにあるのは穏やかに包みこむような響きだった。灰がそれに目を瞬いた。

「灰、俺達を見くびるなよ。多加羅の者が皆、來螺に対して偏見ばかりを持っているわけじゃない。何よりも無実の者を見捨てることなどしたくはない。俺達は、自分のためにお前を助けたいと、真の犯人を捜し出したいと思っている」

 灰は答えることができないまま、須樹の眼差しを受け止めた。鍛錬所を後にしたあの時、須樹が、そして仁識が彼に向けていた視線は、惑いと懸念と怒りに染まっていた。今須樹の表情に迷いはない。

 唐突に仁識が口を挟む。まるで放り出すような声音は、どこか面倒くさげにすら聞こえた。

「言わせていただくと、若様がやったことはおそろしく愚かで、向こう見ずで、独りよがりなことです。御自身では冷静に判断したと思っておられるようだが、傍から見たら短気もいいところだ」

「そこまで言わんでも」

 ぼそりと冶都が言うが、仁識は歯牙にもかけずに言葉を継ぐ。

「たとえ義憤や信条があったとしても、もっとやりようがあったでしょう」

「おい、いい加減に……」

「と、いうようなことは、まあどうでもいいとして」

 あっさりと仁識は言った。さすがに渋面で言葉を挟もうとした冶都の顎が、かくんと落ちる。

「どうでもいいのかよ!?」

 仁識は冶都をうるさげに見やり、言葉を継いだ。

「あれだけの大見栄をきったからには、犯人を捕えるだけの見込みがあるんでしょうね」

 仁識はおもむろに腕を組む。真剣な声音になっていた。

「それすらなく一人で何とかすると考えておられるようなら本当の馬鹿者ですよ。愚か者よりも悪い」

 灰は僅かに苦笑した。つけつけと言い放つ仁識の言葉はいっそ清々しいほどだ。

「ついでに言っておきますが、私達は若衆を抜けるつもりはないですよ。そこらは御心配なく」

 どういうことか、と視線で問う灰に、須樹はにんまりと笑った。

「見回りはあくまでも若衆としての活動だったが、これからは剣を帯びず街衆として犯人を捜す。個人の自由な動きまで頭にとやかく言えんだろう。……詭弁だがな」

 これには灰も呆れた顔になった。ぬけぬけと自身の行動を詭弁と言い放った須樹は、どこか面白がるように灰の反応を見ている。

「ついでに真犯人の手掛かりを少し掴んだぜ」

 冶都が身を乗り出すようにして言うと、目を見開く灰に得意気に笑んだ。

「稽古の後に一緒に見回った連中で手分けして、二度目の火災があった現場付近でもう一回街衆に話を聞いたんだ。今までは見回るばかりであまり詳しくも聞いていなかったからな。警吏けいりにも言いづらいことでも俺達には結構言ってくれたぜ」

「どんな……」

 思わず言いかけて灰は口を噤む。須樹を見やり、そして仁識を見れば、どちらも人の悪い笑みを浮かべていた。

「いやあ、良かった。灰が俺達の協力などいらんと言ったらどうしようかと思ったが。そうか、知りたいか。俺達も役に立てるということだなあ」

「まったく、若様のために頑張った甲斐があったというものだ」

「まあ、一人でどうかするというなら、俺達だけで別に犯人を捜すために動いてもいいと思っていたが。確かに力を合わせた方が効率もいい」

「しかしともに動くとなると、若様のお考えも聞きたいものです。まさか今日一日何もしていないということはないでしょうね」

 わざとらしい会話を交わす須樹と仁識に、冶都ばかりが呆気にとられた表情で首を傾げていたが、漸く察したらしく苦笑しながら灰に肩を竦めた。

 ふと、沈黙が落ちた。須樹の柔らかな笑顔と、仁識の不敵な眼差し、そして冶都の人の良い困惑顔を見やり、灰は俯いた。

 拒絶したのは灰の方だった。背を向けたあの時、確かに須樹達まで巻き込めないという思惑があった。しかしその裏に、所詮彼らも多加羅の者でしかないと、來螺の者に手を差し伸べるはずがないという思いがなかったか――それまで接した彼らの人となりを思えば、來螺の出身であるというそれだけで、灰を拒むことなどないとわかっていたはずなのに――多加羅に、そして來螺に必要以上に囚われていたのは灰自身だった。それを今頃になって気付かされた。

「ありがとうございます」

 夜の底に沁みるように灰の声が響いた。ただ、それしか言えず、そして灰は微笑んだ。


「それでだな、どうやら犯人は幽霊らしいぞ」

 書庫から灰の部屋に場所を移し、犯人の手掛かりを語りだした冶都の、それが第一声である。きょとんとした顔の灰の傍らで、仁識が大きくため息をついた。

「阿呆が、もっと話しようがあるだろうが」

「阿呆とは何だ」

 むっとした冶都には構わず、仁識はすました顔で前に置かれた茶に手を出す。優雅とも言える仕草で茶を飲むと、僅かに感心したように眼を見開いた。

「この茶は何です? 金笹きんざさの花茶かと思ったが風味が違う」

「金笹の花茶に香葉を合わせました」

 床に胡坐を組んで座る彼らの前におかれた茶を淹れたのは灰である。

「やはりその香葉とやらも薬草なのか?」

「いえ、香葉は薬草ではないですよ。秋に咲く山野草から作るお茶です」

 思わず須樹が問うたのも無理はない。所狭しと書物が置いてある書庫では座る場所もろくになかったため移動したのだが、灰の部屋も奇妙な場所である。さほど広くもない四角い部屋は植物に溢れていた。壁には干しているのか、何とも知れぬ植物が吊るされている。床には幾つもの籠が置かれ、その中にも様々な草花が入れられているらしい。部屋に一つきりの棚には小さな壺が整然と並べられているが、どうやらそれが薬草から作られる様々な薬なのだろう。

 他愛のない会話に流れた場を再びもとに戻したのは、仁識だった。

「さっきも言ったとおり、私達は外延部の人達、特に火災が発生した近辺で話を聞いてきました。まあ、それほど目新しい話があったわけじゃないが、少し面白いものがあったんですよ」

「それが、幽霊ですか?」

 怪訝に問う灰に、須樹がにやりと笑んだ。

「そうだ。俺達が見回りをしていた時から街に妙な噂があっただろ。黒い外套を着た不審な人物がうろついていたという」

 黒い外套――ふと灰の視線が鋭くなる。

「噂自体は火つけの犯人というには決め手に欠けて立ち消えになっていたが、あの噂には続きがあったんだよ」

「それが驚くなかれ、噂の人物はどうやら姿を消すことができるらしい」

 冶都が声を潜めて言う。またも灰の表情が怪訝なものになる。

「姿を消す?」

「ああ。二度目の火つけがあった夜、火災現場で何人かの街衆が黒外套を見かけているんだ」

 冶都はどうやら件の人物を黒外套と命名したらしい。珍妙な呼び名に思わず顔を見合わせる三人には構わず言葉を続けた。

「どうやらそいつは野次馬の後ろから火が燃えているのを暫く見つめていたらしい。人が増えてくるとさりげなく立ち去ったようだが、さすがに不審に思った一人の街衆がそいつの後をつけたんだよ。で、細い路地に入って行くのを追いかけて行ったら、黒外套は忽然と消えていた、と」

「見失ったんじゃないんですか? ばれないように後をつけるには、そこそこ距離を開けないとだめですよね?」

 問えば冶都はおもむろに頷いた。

「そう思うだろ。だから俺達も話をしてくれた人にそう言ったんだ。だが、聞いてみると黒外套が消えたその路地は行き止まりだったらしい。脇道もなく、人には到底越えられない壁に塞がれていた」

 しん、と場が静まる。

「で、幽霊……と?」

 灰の静かな言葉に須樹は頷くと言った。

「そうだ。さすがに幽霊などという話は突飛なため、噂としても広がらなかったんだろう。不審な人物をつけた街衆がひどく怯えてあまり吹聴しなかったせいもあるだろうが……。このことは警吏も知らないはずだ」

 街衆が警吏に伝えなかったのも無理はないだろう。そのような話を警吏が取り合わないことは目に見えている。だが、もしもその話が真実だとすると――黙り込んだ灰の思考を呼んだように仁識が言った。

「むろん、私達も幽霊が相手ではどうしようもないですが、この話が本当であれば面白いことになると思いませんか?」

 灰は頷く。

 今度は須樹と冶都が怪訝に黙り込んだ。犯人の手掛かりとはいっても、このような話は何の足しにもならないと、実は彼らは思っていたのだ。せいぜいが灰と会って話すための方便としか考えていなかった。しかし仁識だけが灰に伝えるべきだと強く主張したのである。

「なんだ、面白いことって。何かわかるか?」

 須樹は横合いからぼそりと問う冶都に緩く首を振った。

「いいや、わからん」

 二人のやり取が聞こえているのかいないのか、なおも仁識は考え込む風の灰を見つめている。

 漸く言葉を発した灰の声音はひそりとしていた。

「もしもその話が真実であれば、犯人は姿を消すすべを知っていたということですね」

「そういうことです」

 何やらわかっているらしいやり取りに、冶都が口を挟んだ。

「おいおい、わかる言葉で言ってくれ。姿を消す術ってのはそりゃ何だ」

 灰は伏せていた顔をあげると、冶都を、そして須樹を見つめ静かに言った。

「地下道です」

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