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最果てに天深く  作者: 高原 景
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23

 惣領家の屋敷の手前でかいは立ち止まった。鋭い日差しに浮かび上がる屋敷は、重々しく少年を睥睨している。無論そう感じるのは己自身の気持ちのせいだ、と灰は思う。

 背後に控えるげんは、屋敷にたどり着くまで何も言おうとはしなかったが、断固として少年の側を離れるつもりはないらしい。このまま屋敷の中まで着いて来るつもりなのか――自身を影と称する男の心中などはかりようもなく、灰もとりたてて弦の行動をどうこう言うつもりはなかった。

 灰は外に出る時には必ず頭に巻いている布を手早く解くと、軽くかぶりを振った。乾いた音をたてて髪が揺れた。弦はその様子を黙って見ていたが、再び灰が歩を進めるとその後に続く。

 惣領家の屋敷を守る衛兵は少年と男の姿を認めると、俄かにに表情を険しくした。

「止まれ! ここは多加羅惣領家の屋敷であるぞ! 何用か!」

 誰何する声には威圧する響きがあった。銀の髪に訝しげな視線を向ける様子から、灰のことを国境地帯から来た者だと思ったのだろう。灰はそれに落ち着いた声音で返した。

「俺はその惣領家の者です。通していただく」

 衛兵は目を大きく見開いた。まじまじと灰の姿を見つめ、漸く悟ったらしい。一気に青褪めると頭を下げた。

「申し訳ございません! とんだ御無礼を!」

 灰はその場で叩頭しかねない様子の衛兵の前を通り抜け、ひんやりと仄暗い屋敷の中へと入る。

「惣領の執務室は二階の奥でございます」

 すかさず弦が言うのに灰は頷くと、正面の階段を昇る。途中すれ違った人々もまた、衛兵と同様の反応――すなわち余所者への胡乱な眼差しと、少年が誰かを悟った驚きの表情を示したが、灰はそれを尽く無視した。もっとも屋敷に仕えるらしい人々が灰を呼びとめなかったのは背後にいる弦の存在のせいでもあるらしい。屋敷の者は誰もが、弦が惣領の側近であることを知っている。少年が誰であるかに気付かぬ者も、弦の一瞥で彼らに道をあけた。

 執務室の前に立った灰は軽く扉を叩く。応える声を聞き、静かに扉を開けると、二人の男が中にはいた。一人は無論部屋の主である。もう一人は接見の間で峰瀬の隣に控えていた老人であることが灰にはわかった。察するに玄士の一人、それも最高齢の白玄はくげんだろう。

 峰瀬みなせと白玄は突然あらわれた灰に、一様に驚きの表情を浮かべた。

「灰ではないか。どうした」

 手に持つ書類を傍らに置いて峰瀬は問うた。驚きの表情をすぐさま消した白玄が一礼して灰のために場所をあけると、そのまま扉へと向かう。それに目礼して灰は前へと進み出た。

「惣領にお願いしたいことがございます」

「なんだ?」

「白玄様もいていただけませんか?」

 これは静かに退出しようとしていた老人に向けた言葉だった。白玄は足を止め、訝しげに振り返った。

「なぜでございましょう」

「白玄様は警吏けいりを管轄していると秋連しゅうれん師匠に聞きました。これからの話は警吏に関わりのあることです」

 不審な表情を浮かべる白玄をそのままに、灰はあらためて峰瀬に対する。男はそんな少年の様子を眺めていた。観察するような視線である。

「さて、その願いとやらを聞こうか」

「今朝、來螺らいらの者が火つけの犯人として警吏に捕まりました。丈隼たかはやという者です」

「ほう」

 峰瀬は白玄へと視線を流す。

「まことか?」

「はい」

 白玄は不承不承といった様子で頷いた。

「なぜ私に知らせなかった」

「まだ、容疑の段階でございますれば。いちいち惣領にお知らせすべきことではないと判断致しました。むろん容疑が固まればすぐにお知らせ致します」

「ふむ……まあよい。先を続けよ」

 灰は頷くと言葉を続けた。

「捕まった丈隼は火つけの犯人ではありません。何者かが彼に罪をなすりつけようとしたのです」

「その來螺の者をお前は知っているのか?」

「はい。丈隼は俺が來螺にいた時に親しくしていた者です。つい先日、言葉も交わしました」

「して、お前の願いとは丈隼を釈放せよ、ということか?」

 峰瀬は淡々と問うた。少年の背後で白玄が苦虫をかみ潰したような表情になる。しかし、少年はゆるりと首を振った。

「俺の願いは、丈隼を告発した者を教えていただきたい、ということです」

 峰瀬は暫し考えるように灰を見つめ、問うた。

「丈隼とやらが無実であるというならば、なぜ釈放を求めぬ?」

「それを求めて聞き入れていただけるとは思えませんので」

 明快な答えだった。

「わからぬぞ。お前は惣領家の人間だ。特別に取り計らうかもしれぬ」

 これに灰はうっすらと笑んだ。ひどく大人びた笑みである。

「そうでしょうか? 多加羅惣領がそのように偏った判断をすれば、惣領家への信頼が揺らぎます。いかに己の主といえども、一度生じた不信は後々厄介な火種となるかもしれません。それもさしたる根拠もない俺の言葉だけで來螺の者を釈放すれば、人々は黙ってはいないでしょう」

 そのような危険を冒してまで來螺の者を救うはずがない、と灰は言う。表情も変えずにその言葉を聞いていた峰瀬の視線が、僅かに鋭さを増したようだった。

「だが、告発者を教えよというその願いは、惣領家の者としての特別の取り計らいを求めたものに聞こえるがな。単なる街衆ならば、そのようなことを願ってもかなえられまい」

「俺は特別に取り計らっていただきたい、と申し上げているのです。伯父上」

 事も無げに灰は言った。少年の背後で白玄が唖然とした表情になる。俯きがちな弦の表情にはさして変化はないが、二人の会話に全神経を集中していることが峰瀬にはわかった。峰瀬自身もまた内心に驚きを感じていたが、それを出すことはない。

「それはまた勝手な話だ。その願いを私がかなえると思っているのか?」

「それは俺にはわかりません」

 素気ないほどの答えである。これが人にものを頼む態度なのか、峰瀬は思わず笑う。

「確かにな。決めるのは私だ。だが、一つ問おう。なぜ、告発者を知りたいのだ? 答え如何によっては、教えるわけにはいかぬ」

「俺は告発者がなぜ丈隼を犯人に仕立て上げたのか、そして真の犯人が誰かを知りたいのです」

「なるほど。お前は丈隼とやらを告発した者が犯人自身であると……少なくとも犯人と関わりのある者だと考えているわけだ」

「はい」

 沈黙が落ちる。峰瀬は考える風を装って目の前の少年を見つめた。その後ろでは青くなったり赤くなったりと忙しい白玄が、そして何を思うのか静かな表情の弦が、峰瀬の言葉を――その決断を待っている。峰瀬は表情を引き締めた。そうしないと口元が綻びそうになったのだ。目の前に三人がいなければ、笑い声をあげているところだ。それも清々しい心からのものに違いない。気持ちのままに笑うなど一体いつ以来だろうか。

 答えた声は内心を悟らせず、平坦なものだった。

「よかろう。特別に告発者を教えよう。白玄」

「は、はい」

「告発者が誰か調べよ。灰には弦を通じて知らせる」

「ありがとうございます」

 灰は一礼すると、茫然とした様子の白玄の前を通り過ぎ、静かに部屋から出て行った。その姿を見送り、漸く白玄は我に返ったのだろう。ずかずかと主へと迫った。

「何ということを! そのような、そのようなことを約されるとは!」

「不満でもあるのか?」

 しれっとした顔で言う峰瀬に、白玄は頭をかき毟らんばかりの体である。

「おおいにございます! 灰様もなんと厚顔無恥な! これこそ惣領家の者への特別扱いではございませんか! 皆が知ればそれこそ批判を浴びるのは灰様のみならず、惣領御自身なのですぞ!」

「皆がこのことを知ることはない」

「ええ! そうでございましょう! だいたい……なんですと?」

「皆がこのことを知ることはないと言っている。なぜ伯父と甥の会話を公にせねばならん。身内のやり取りまで取りざたされてはたまったものではないぞ」

 絶句した白玄とは対照的に、弦は僅かに笑んだらしい。これは珍しいことだ、と峰瀬はそれを見て思う。

「よいか、私は甥の切実な願いに絆されて、今回の告発者を教えるのだ。別段容疑者を釈放するわけでも、真犯人の捜索をあらためて警吏に命じるわけでもない。世間話の範疇のことで、この場限りの出来事だ」

 公には何事も変わらぬのだと、灰が告発者を知ってどのように動こうと己は知らぬ存ぜぬで通すのだと、億面もなく告げた。白玄の顔に驚愕と、納得と、そして僅かな不満が浮かぶ。

「ですが、それでは灰様を一人突き放すようなものではございませんか」

「ふむ、白玄もどうやら灰に絆されたか」

「そのようなことはございません! しかしあまりにも……」

 白玄は続く言葉を呑みこんだ。己の言葉の矛盾に気付いたのだろう。峰瀬と灰の行動を批判しながらも、灰の立場を懸念するとは――白玄は漸く絞り出すようにして言った。

「灰様は若衆であられる。一人というわけではございませんでしたな。いやはや、いらぬ心配でございました。ただ、惣領から告発者を知らされたことを吹聴せねばよいが……」

「それをご案じなさる必要はございません」

 弦である。

「灰様は若衆を抜けられました」

 あっさりと言う。峰瀬が無言で先を促すと、弦は訥々と言った。

「來螺の青年が捕まったよし、灰様に知らせたのは同じく來螺の者にございます。仲間を助けるために若衆わかしゅうの一員である灰様の助力がほしいとのことでしたが、その場は若衆の鍛錬所であり、折悪しくも祭礼の稽古のために全ての若衆が集っておりました。若衆頭は真犯人は別にいると主張される灰様の言を聞き入れず、來螺の者の言うことを信じるならば若衆の資格はないと……」

「そして灰は若衆に背を向けたか」

「はい」

「なんと……では來螺の出身であることも皆には明らかとなったのだな」

 白玄の問いに弦は頷いた。

「灰様はおそらく若衆の力は借りずに真の犯人を捜し出すおつもりかと」

「來螺の者と言ったが、彼らは灰に手を貸すのか」

「どうでございましょう。さして友好的でもございませんでしたが、仲間のこととあらば灰様とともに動くやもしれません」

 これには白玄が苦々しい表情になった。つまり、來螺の者が多加羅の街中を嗅ぎまわるということだ。

「灰様も思いのほか……向こう見ずであられる。惣領に直接に告発者を教えよとは、普通ならば聞き届けられるものではございません。しかも來螺の連中とともに動くなど」

 峰瀬は首を傾げた。白玄は灰の行動を少年らしい後先考えない浅薄なものと捉えたらしいが、峰瀬は少年が確信していたのではないか、と思う。無論、峰瀬が告発者を教えるということを、である。

「まあ、良いではないか。むしろ灰が真の犯人を見つけ出すことができれば、我々にもありがたいことだ。捕まった者が無実であろうとなかろうと、來螺との関係悪化は避けられぬ。死罪にでもなってみろ。来年から來螺の連中は興行にも来ぬかもしれぬぞ。そうなれば味気ないことだろうな」

 多加羅の祭礼が多くの人を惹きつけるのは、祭礼自体の魅力だけによるものではない。來螺の興行も大きな役割を担っているのだ。多加羅の人々がそれを認めることはないが、もはや祭礼と興行は切っても切れぬ関係になっていた。峰瀬が言うとおり、來螺の興行がなくなればこれほどの人々が集まるかどうかも疑わしい。

 白玄は主の言葉に怪訝な表情を浮かべていたが、はっとする。彼は峰瀬が言外に秘めた意味を正確に悟る。つまり灰の行動は峰瀬にとっても都合が良いのだ。告発者を教えるのは単なる気まぐれではなく、明確な思惑あってのことであり、峰瀬にとっての選択肢はもとより一つしかなかったのだ。そして、と白玄はさらに考える。あの少年ももしかすると――

「灰様はそのことまで見越して……?」

 峰瀬は笑んだ。心底楽しげなそれである。

「さあて、それこそ腹を割って話さねばわからぬ」

 そして峰瀬は俄かに表情を引き締めると言った。

「白玄、告発者が何者か調べて知らせよ。だがくれぐれも内密に、誰にも悟られてはならぬ」

 暫し躊躇した白玄だったが、納得したのか、あるいは諦めたのか、もはや反論することはなかった。

「承知致しました」

 そのまま部屋を出て行く老人を見送り、峰瀬は静かに言った。

「弦、灰から目を離さぬようにせよ」

「はい。……惣領、お願いがございます」

 峰瀬は目を見開いた。今日の弦は何とも珍しいことばかりするものだ。

「灰様の命に従うお許しをいただきたく存じます」

 静かな物言いの底に、固い決意が感じられる。影として仕える男には不似合いなほどのそれに峰瀬は小さく笑み、そして言った。

「よかろう。これより先、お前は灰の影となれ」

 弦は瞠目した。予想をはるかに超える主の言葉である。正式に灰の配下になれと峰瀬は言っているのだ。答える弦の声は淡々と、深い。

「御意」

 静かに部屋を出る弦を見送った峰瀬は、ゆったりと椅子の背に体を預けた。

(なるほど、秋連しゅうれん、お前の言う通りだ)

 嘗て、あの少年には人を惹きつける何かがあると秋連は言っていた。一度の対面で見抜いた友の眼力に今更ながらに感嘆を覚える。

(さて、どうなることか。お手並み拝見といこうか)

 ひっそりと峰瀬は笑んだ。その笑みを見た者は、無論誰もいない。

 登場人物の言葉で、ある程度その人物像や物語の中での立ち位置というものがわかると思います。今回の弦の言葉、「それをご案じなさる必要はございません」で、弦という人物のスタンスが固まったように思います。弦の言葉に「いやいや、そういう問題じゃないだろう」と思ったのは書き手だけでしょうか?? 弦にとっては主が絶対、主の決定が全て、というわけで、灰が若衆を抜けたということは問題にはなり得ないんですね。意識して考えたわけではなく、自然に書いた言葉だったのですが、弦という人物像が確立した瞬間だったかなあ、と。

 ではでは、今後ともよろしくお願いいたします!

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