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最果てに天深く  作者: 高原 景
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 かいかのの姿に息をのんだ。その周りを囲む五人の若者達はおそらく來螺らいらの自警団の一員だろう。來螺の人々は祭礼の興行で多加羅を訪れはしても、街に入ることは滅多にない。ましてや惣領家の屋敷が程近い中心部にまで来ることは皆無と言える。明らかに街衆とは違う彼らの様子に若衆の中から鋭い誰何の声が響いた。それでも叶は断固とした表情でまっすぐに向かって来る。

「叶、どうしたんだ」

 思わず灰は言う。叶は灰のもとへ来ると、その腕を掴んだ。自警団の若者達は油断なく周りを見回しながら、灰へと胡乱気な表情を向ける。

「灰、丈隼たかはやが大変なことになったのよ」

 開口一番そう言った叶の顔は険しい。

「何があったんだ?」

「今朝、突然私達の宿営所に多加羅たから警吏けいりが来て、丈隼を連行したの」

 灰は一瞬言葉を失う。何事かと周りに集まり出した若衆も唯事ではない様子に、黙って見詰めている。

「なぜ……」

「丈隼が多加羅で火災を起こした犯人だって言うのよ! そんなはずないのに!」

 泣き出しそうな顔で叶が叫んだ。

「丈隼が犯人だっていう告発が警吏にあったらしいの。何日か前に丈隼が多加羅の街をうろつき回っていたうえに、火事が起こった付近で火を灯した硝子筒を持っていたのを目撃した人がいるって……確かに丈隼は街に行ったけどそんなことをするはずがないわ。だって夕刻には戻っていたし硝子筒なんか持って行かなかった。火災が起こったことだって私達は知らなかったのよ! 警吏にもそのことを話したのに耳を貸そうとしないの」

「おい、叶、本当にこいつに丈隼を助けることができるのか? 若衆じゃないか」

 言ったのは叶の背後にいる若者達のうちの一人だった。決して快くは思っていない多加羅の若衆を前にしてその顔は険しい。叶は厳つい容貌のその若者を振り返ると睨みつけた。気圧されたように若者が黙る。

「灰、お願いよ。丈隼を助けて。若衆の言うことなら警吏も聞くかもしれない。それに若衆なら真犯人を見つけることもできるかもしれないでしょう?」

「何の騒ぎだ」

 声が響く。若衆をかき分けるようにしてあらわれた加倉かくらは一瞬目を見張って叶を見つめた。しかしそれもすぐに厳しい表情にとってかわる。加倉の背後には須樹すぎ仁識にしきの姿もあった。加倉は灰へと矛先を向ける。

「一体これはどういうことです。この者達は何なのですか」

「頭、この者の仲間がどうやら火災の犯人として捕まったようです」

 口を挟んだのは、加倉の取り巻きの中の一人である。周りを取り囲む若衆の間にざわめきが起こった。

「違う! それは間違いよ!」

 叶は咄嗟に言うと、周りを取り囲む面々を睨みつけた。急いで街を駆けて来たせいか、僅かに紅潮した顔が生来の華やかさを増して見せる。しかし今そこにあるのは焦燥と怒りだった。

 加倉は叶を睨みつけた。加倉にとっては明らかに多加羅の街衆ではない者がこのような場所にいるのは許しがたいことだ。しかも聞けば最近街を騒がせいていた一連の事件に関連があるという。自然眼差しは険しく冷たいものとなっていた。

「何を根拠に言っている。多加羅の警吏が誤ったとでも? そもそもなぜお前達のような者がここにいるのだ。見れば国境地帯の者のようだな。ここはお前達のような者が来てよい場所ではないぞ。しかも火災の犯人がお前達の仲間だったというなら、多加羅の街に入る資格などない! 早く立ち去れ!」

「なんだと!」

 叶の背後にいる青年が声を荒げると、俄かに双方の間に緊張が走った。

 訳もわからず様子を見守っていた若衆の間に次第に高まる気配に、灰は歯嚙みした。彼とてこの数日は神経を擦り減らすようにして見回りを続けていたのだ。犯人が捕まったとあらば安堵だけではなく、おそらく感じるだろう犯人への怒りも理解することができた。だが、丈隼が犯人であるはずがない。何より、このままでは叶達にまで敵意が向けられかねない。

「待って下さい」

 灰の決然とした響きの声に若衆の視線が集まる。須樹の案じるような視線を感じ、しかし灰は言葉を続けた。

「捕まった男は真犯人と間違えられただけです。彼は無実だ」

「どこにそんな証拠があるんですか」

 正面から加倉を見つめた灰は、落ち着いた声音で言った。

「まず一つには、一回目の火災の時彼はまだ多加羅に来てはいませんでした。彼が来たのはその日の昼です」

「そうだ。俺達は一回目の火災なんざ知らねえぞ」

 同意したのは來螺の若者だった。叶もまた頷く。

「それに彼が街をうろついていたというのは二回目の火災が起きた次の日からです。隔壁を守る衛兵に確かめればわかることです」

「そのようなこと言いきれますか。衛兵が毎日どれほどの人間を見ていると思っているんですか。深夜に入り込んだのかもしれない。それになぜ街をうろつく必要があったんです」

「丈隼は国境地帯の者の中でも目立つ外見をしています。深夜に出入りしていたらむしろ記憶に残るはずです。それに街に来たのも俺を捜すためです。若衆であることを知らなかったために、街中を捜すしかなかったんでしょう」

 若衆は誰もが息を詰めるようにして灰の声に聞き入っている。それは來螺の面々も同じだった。加倉は吐き捨てるようにして言った。

「どれも憶測に過ぎませんな。そもそも、なぜこのような者達が灰様を訪ねて来るのです? 捕まった者も灰様を捜していたというのならそれはなぜです。この者達は何者です」

 聞いていた須樹は言いようのない焦りを覚えた。

「答えるなよ、馬鹿正直に答えるんじゃない」

 低い呟きは仁識だった。ごく小さな声だったがいつの間にか後ろに来ていた冶都にも聞こえたのか、怪訝な表情を浮かべている。

「俺は八歳までを來螺で育ちました。彼女も、俺を捜していた丈隼も、その時の昔馴染みです」

 これには若衆だけではなく自警団の青年達も目を見開く。加倉は一泊置いて言った。絡みつくような声である。

「それは存じ上げなかった。まさか惣領家のお血筋がそのような汚らわしい場所にいたなど」

 その言葉にもとりたてて顔色を変えなかった灰だったが、続く加倉の言葉に視線が険しくなる。

「そういえば、噂であなたの母君が來螺で殺されたというものがあったが……あれも真実だったのか。もっともそのような場所にいたのならば納得はできますな。身から出た錆だ」

 灰は加倉を真正面から睨みつけた。それに黙り込んだのは加倉ばかりではなかった。一瞬ざわついた若衆の面々も一様に口を噤む。灰の声は静かなものだったが、須樹はそこに潜む響きにたじろいだ。聞いたこともない、冷たい怒りに満ちている。

「好きなように言えばいい。だが、一度零れた言葉は力を持つ。それに責が持てぬなら、口を噤んでいただきたい」

 加倉が何かを言いかけ、しかし顔を歪めて口を閉じた。灰はふと俯く。次に顔を上げた時には普段と変わらぬ淡々とした表情があった。苛烈な怒りはすでにない。しかし消えたわけではあるまい。声は、厳しい自制に硬質な陰りを帯びていた。

「丈隼が犯人だとは思えません。そもそも叶達の言うことを聞けば丈隼はすぐに釈放されて当然なのに、警吏が話すら聞こうとしないのはおかしい。このまま放っておくことはできません。若衆は引き続き真の犯人を捜すべきです」

「私は、いや、若衆はそのようなこと認めはしない! そもそも來螺の人間の言う事など信じるに値せぬことだ! その者達が仲間を庇うために嘘をつくことだってあるでしょう。むしろそう考える方が妥当だ!」

 加倉は鋭く叫んだ。そこに潜む虚勢に須樹は気付く。少しでも気圧されたことに腹を立てているのか、加倉の言葉には悪意が滲んでいた。

「あなたも若衆の一員であるというなら、來螺の連中の言うことなどに耳を貸さぬことです。多加羅の警吏よりもその連中の言うことを信じるというなら、街を守る若衆の資格などない!」

 凍りつくような沈黙があたりに満ちた。黙りこんだ灰に加倉が勝ち誇ったように言葉を重ねた。

「多加羅の者ならば、それも惣領家の御方ならばおわかりのはずだ。一体どちらの言が正しいのか。そこにいる者達は即刻街から出て行かせるべきです。それともあなたは來螺のお仲間の肩を持つのか。それならば若衆をやめてそのお仲間の元へお戻りになるといい! 若衆にそのような者は必要ない!」

 漸く答えた灰の声は静かだった。

「それが若衆の総意ならば、俺は到底肯うことはできない」

 言いながら灰は周りを見回した。答える者はいなかった。それに怒りは沸き起こらなかった。彼らの顔にある戸惑いと不信を理解することさえできた。だが、それを理解できても灰には躊躇いはなかった。

「くだらない矜持と思いこみに捕われて真の罪人を見逃すのか。無実であることが明らかな人間を見捨てるのが若衆の在り方か。來螺の者であるというそれだけで、話を聞こうともせぬことが正しいと?」

 灰は正面から加倉を見据えた。

「それが若衆の証ならば、俺はそのようなものはいらない」

 静かに言うと、灰は呆気に取られてやりとりを聞いていた叶を促して背を向ける。茫然とそれを見ていた須樹は思わずその背に叫んだ。

「待ってくれ!」

 加倉へと詰め寄った。

「灰が言ったことが真実であれば、捕まったのは確かに犯人ではありません。若衆は真の犯人を捜すべきです!」

「犯人が捕まった以上我々にすることなどもうないのだ」

「そんな! 矛盾点があるのにそれを見て見ぬふりですか!」

「ならばお前も灰様とともに行け! だがそうすればお前ももう若衆ではない。好きにしろ!」

 須樹は唖然として加倉を見つめる。湧き上がる怒りのまま灰のもとへと向かおうとして、立ち尽くした。灰が振り返って静かな瞳で須樹を見つめていた。そして小さく首を振る。穏やかだが、断固とした拒絶の意思がそこにあった。そのまま無言で灰は踵を返すと、來螺の若者達を促して鍛錬所を後にした。

「皆、鍛錬所に戻れ! もう見回りは必要ない!」

 加倉は声高に言うと鍛錬所に向かって歩きかけ、しかし振り返ると須樹の背中に向かって言った。

「須樹、お前もだ。もっとも、灰様について行くというならば、止めはしないがな」

 遠ざかる足音を聞きながら、須樹は内心に吹き荒れる感情を持て余して拳を握った。戸惑いを浮かべた若者達が次第に散って行く中、なおも立ち尽くす彼の横に気配があった。

「あの若様はどうやら冶都以上に直情径行のようだな」

 仁識だった。今度は斜め後ろから声が聞こえた。

「なぜ、そこで俺の名が出る」

 冶都もまた須樹のもとへと近づいてくる。その顔には冷めやらぬ驚きがあった。

「二人ともどうやら灰が來螺の出身であることを知っていたようだな」

 冶都がぼそりと言うが、そこに責める響きはなかった。

「これで若様は若衆から切り捨てられた。たった一人でできることなどたかが知れている」

 仁識の言葉に須樹は思わず言う。

「切り捨てられたのは俺達の方ではないのか?」

 怒りに任せて衝動的に出た言葉だったが、それは他の二人のみならず須樹自身にも思わぬ強さで響いた。

「このまま灰を放っておく気か? 俺は嫌だぞ。なんというか、後味が悪い。本当に若衆を追放などということになってみろ。惣領とて黙ってはおらんぞ」

 冶都の言葉である。それに対する仁識の声音は静かだった。

「それはどうかな。惣領が若様のために何かをするとは思えない」

「なぜだ!」

「私に突っかかるな。若様がこれまで一応は大過なく受け入れられてきたのは惣領がさほど厚遇しなかったからだとは思わんか? もし惣領家に相応しい扱いを受けていたなら、惣領の血筋に二人の男子がいるという構図が鮮明になる。そうなれば貴族にとって若様はもっと興味を引く、厄介な存在になっていたはずだ。いかにその出自が蔑まれようと、利用しようとする者や、排除しようとする者が必ずあらわれるはずだ」

 意外な観点だった。実際には惣領家を継ぐのは男子に限らない。白沙那はくさな帝国においては女帝も珍しくはなく、長子以外に優れた者がいれば、その者が後を継ぐというのは歴史の中でも多くあることだった。すなわち、悠緋ゆうひが家を継ぐこととてあり得るのだ。しかし沙羅久との微妙な力関係に対するには女性では心もとない、という意見が根強い。疑いなく次の惣領が透軌とうきであると考えていた彼らにとって、灰もそれに列せられる存在なのだとあらためて言われても実感できるものではなかった。灰自身の人となりを知った後であればなおさらである。

「惣領が若様を冷遇したのは、そういう事態を招かないためだろうな。だとすれば、こうなってもとりたてて手を差し伸べるとは思えん」

「気分の悪い話だ」

「もう一つ、気分の悪い話をしようか」

 仁識は皮肉な笑みを須樹に向けた。

「先ほどの中央の舞い手の指名、あれはおそらく透軌様の存在を若衆に印象づけるための茶番だ。考えたのは頭ではないだろう。おそらく絡玄様あたりか。しかしその案を進言したのは頭かもしれんな。頭にとっても面子を潰さずに私に舞い手の役を譲ることができ、透軌様とその取り巻きへのおぼえもめでたくなる、まさに一石二鳥のやり方というわけだ」

 須樹と冶都はまじまじと仁識を見やる。一体どういう思考をしているのか、目から鱗どころの話ではなかった。だが、言われてみればいちいち合点がいくのである。

 誰もが透軌の適格な判断と選択に意外の念とともに感心すらしていた。一度見ただけで舞い手の技量を見定めることは武芸に秀でた者でなければ容易ではなく、惣領家の後継ぎが武人としても優れているという印象を若者達は持ったはずだ。実際透軌自身が見定めた可能性は皆無ではないが、彼がそれほどの能力を有しているとはついぞ聞いたことがない。あらかじめ決められていた茶番であるという方が納得できた。

「お前、一体どういう頭をしてるんだよ」

「さっきも言ったろう。貴族的思考というやつだ」

 仁識は無愛想に言うと踵を返した。その後について須樹と冶都も鍛錬所へと入る。そこにはそれぞれの範の面々が懸念するような表情で集まっていた。いずれもともに街の見回りをしていた者ばかりである。その者達の顔を見て、須樹は波立つ気持ちが静まるのを感じた。加倉の言動に怒りを感じ、抵抗を覚えた者は他にもいたのだ。

「若様は來螺の出身であることが知られれば排斥されることを知っていた。だが、言わずにはおれなかった。愚かな選択だとは思わんか?」

 仁識が言う。

「だが、そうしなければ嘗ての仲間を見捨てることになる」

 須樹の言葉に仁識は頷いた。

「では私達はどうする? 仲間を見捨てるか? それとも若様同様愚か者の真似でもしてみるか?」

 仁識が言った。人を食ったような笑みを浮かべ、しかし真剣な眼差しを須樹に向ける。

「決まっている」

 須樹は低く答えると、強い瞳で若者達を見つめた。

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