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最果てに天深く  作者: 高原 景
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 早朝に起きた火事はさほど大きなものではなかった。家の間の細い路地で起こったそれは、傍らの店が商品の運搬に使用していた木の箱が燃えたものだったという。(かい)はそのことを鍛錬所(たんれんじょ)へ赴いて知った。休息日に当たっていた須樹(すぎ)(はん)に突然の召集がかかったのは、まだ昼にもなっていない頃だった。

 鍛錬所の広場には全ての範が揃っているのか、見慣れない顔も多い。大柄な冶都(やと)が手を振っているのに気づき、灰がそちらへ向かうと、須樹をはじめ範の顔ぶれがすでに集まっていた。冶都は挨拶もそこそこに興奮気味に言った。

「おい、知ってるか。放火だってよ」

 放火――それは初耳である。確認するように須樹を見れば、彼もまた頷いた。突然の召集はやはりあの火事のせいらしい、と灰は思う。予測はしていても確信がなかったのである。

「火の気のないところが燃えたらしい。犯人はわからないとさ」

「怪我人が出なくて幸いだったな」

 須樹の言葉である。多加羅の街は石造りの家が多い。例外は外延部であり、貧しい人々が肩を寄せ合うようにして暮らすそこには木造の家もあったが、街の中心部にはまず見られないものだ。今朝のように街の中心部で火事が起こったとしても容易く燃え広がることはないが、それでも炎は脅威だった。

「なぜ若衆(わかしゅう)に召集がかかったんですか?」

 灰の問いはもっともなものだと言えた。火事が起こりそれが放火であったという、しかしそれは警吏の管轄のことである。若衆がそれにどう関わるのか灰にはわからなかった。灰の問いに答えようとした須樹は、しかし不意に口を閉ざし、前方を示した。ざわめく若者達の前に加倉(かくら)が進み出て来たのである。

 加倉は次第に静まる広場を見渡し、おもむろに声を発した。

「今朝方、街で火事があった。ごく小さなものではあるが、放火と考えられている」

 すでに皆知っていることではあるが、加倉の言葉に俄かに広場の緊張が高まった。

「犯人はいまだにわかっていない。祭礼を十日後に控えた時期にこのようなことが起こるとは非常に由々しきことだ」

 不意に加倉は言葉を切ると、視線を一点に向けた。

仁識(にしき)、現在の見回りの担当はお前の範だったな。何か気付いたことはなかったのか。見落としていたことがあるならば、若衆にとっても不名誉なことだぞ」

 須樹は思わず顔を顰める。灰にも、加倉の言葉はこの場に相応しいものとは思えなかった。早朝に起こった火事である。若衆の見回りがそれを察知することなどできようはずもない。それに加えて見回りの担当は一つの範だけではなかったはずだ。なぜ一範だけを責めるのだろうか。仮に何かしらの責があるにしても、若衆が一同に会する場で問い質すのはあまりに配慮に欠ける。

 答えた声は淡々としていた。

「特に何もない。あれば報告している」

 灰は声の主を見た。赤味がかった髪にどこか女性的にも見える繊細な面差しの少年が、臆することもなく加倉の視線を受け止めている。柔和な外見とは裏腹に、その声音には突き放すような透徹とした響きがあった。静けさにも通ずる端然とした立ち姿には無駄がない。

 加倉はそれ以上を仁識に問おうとはしなかったが、腹立たしげな表情が過ったことに灰は気付く。

「皆も知っているとおり、この季節には望ましからぬ者達も多加羅(たから)に集うこととなる。祭礼を無事行うためにも、今日のような事件が二度と起こってはならない。通常ならば祭礼の前に若衆は見回りを行わぬが、このようなことが起こってはそういうわけにもいかぬ。本日から全ての範が分担して、昼夜二回の見回りを行うこととする。その分担をこの後錬徒(れんと)に伝えるので私の部屋に集まってくれ」

 加倉はそこまでを一気に言うと、踵を返して建物の中へと姿を消した。その後を各範の錬徒が追う。須樹に次いで仁識が建物へ入るのを見ながら、灰は加倉の言葉の意味を考えていた。

 参志の儀から、否、それよりも前に出会っていた加倉に対して彼が持っていた印象は、あらゆる人に対して持つのと同様の輪郭のぼやけた曖昧な影のようなものでしかなかった。加倉が灰に向ける嫌悪や忌避感でさえ、多加羅の者であれば少なからず持つものであろうと思うだけだったのだ。だが、それは真実そうだったのだろうか。先ほどの加倉の言葉はあからさまな意図を含んでいた。それは稚拙ではあったが、非常に効果的なものでもあったのだ。

「冶都さん、頭は仁識という人のことを敵視してるんですか?」

 小声で傍らの冶都に問えば、一瞬驚いた顔をしたものの彼はにやりと笑う。

「あまり大きな声では言えんことだが……その通りだ。雲の上の貴族様同士の諍いだから、俺達平民には関わりのないことだが、どっちもどっちと言ったところだ」

 ここまで言って冶都は目の前の少年がその貴族を束ねる惣領家の者であることを思い出したようだった。

「あー、お前は別だが。お前は俺達の仲間だ」

 慌てて言い繕う冶都に灰は思わず苦笑した。それを見て冶都もつられたように笑顔になる。

「須樹が戻って来るまでしばらくかかりそうだな。来いよ」

 言うと冶都は人気のない壁際に行き、胡坐をかいて座り込んだ。灰もそれに倣う。

「須樹はあの通りお節介焼きなわりに妙に真面目で潔癖だからな、あまり若衆内部のいざこざをお前に言わんだろう。だが、ある程度は知っておいた方がいい」

 大らかで単純明快な冶都ではあるが、その実多加羅の政情にも関わりがある父親の影響で、貴族同士の諍いや複雑な駆け引きにはかなり詳しい。

「もう気付いているとは思うが、若衆の中の力関係は単に貴族とそれ以外ってわけじゃない。貴族連中の内でも敵対関係ってのはあるんだ」

 それに灰は頷いた。貴族の中にも由緒ある大家である上位の者と、歴史が浅い、あるいは分流の中位、下位の者がおり、複雑な序列を成している。おしなべて上位の貴族である加倉やその取り巻き連中とは一定の距離を保つ中道の者達もいるのだ。それがごく一部の上位貴族と、中位や下位の貴族なのである。前者と後者は必ずしもうまくいっていないようだった。だが、中道の者達もまとまりはなく、加倉の一派にあからさまに対抗する者はいない。

 灰には複雑怪奇な家系図に端を発する優劣意識などそれこそ奇妙なものにしか思えなかったが、彼らにとっては重大事なのだろう。若者達の関係はそのまま上下関係に縛られた親の勢力図を模したものだといえる。そしてその中でも加倉に唯一対抗し得る者がいるとすれば仁識なのだという。もっともそう思っているのは周りばかりで、本人にそのつもりは皆無のようだった。

「仁識の祖父ってのが前の玄士(げんし)だったうえに、歴史的にも古い上位貴族の出なんだ。仁識の父親が玄士の座につく話もあったが、二代続いて同家の者が玄士を務めることに異論が出たために、結局絡玄(らくげん)様になったらしい。仁識自身も真名(まな)を継ぐ嫡子だから、家の厄介者である二男やら三男の貴族どもとも一線を画している」

 真名とは貴族が代々受け継ぐ字であり、後継者のみがそれを名乗ることができるという、貴族の証そのものなのである。

(かしら)自身が絡玄様の息子とはいえ三男だからな。仁識は本来なら博露院(はくろいん)にでも行って中枢官位を目指してるはずなんだが、あまりにも不真面目なせいで父親が性根を鍛えるために若衆に放り込んだという噂だ。頭脳でだめなら得意な剣術をいかすほうがいいと考えたのかもしれん」

 冶都の言葉は父親の受け売りなのか詳細だった。

「実際仁識は剣術の腕と剣舞(つるぎまい)の舞い手としてはおそらく若衆でも随一だ。とてもそうは見えないがな。頭も仁識を妙に警戒しているんだが、仁識のほうには欠片も対抗しようって気がない。錬徒は引き受けたが、はじめはそれすらも相当に渋ったらしい。その言い分が面倒だから、というんだから」

「頭は仁識を仲間に引き入れようとはしなかったんですか? それだけ存在感のある相手なら敵対するより味方にしたほうがいいですよね」

 灰の問いに冶都は頷いた。

「はじめは頭も仁識を取り巻き連中に引き入れようとしたんだよ。だが仁識が相手にしなかったって噂だ。副頭(ふくがしら)にしてやると持ちかけたのを一蹴したとか」

 何かと便宜をはかり仲間に引き入れようとする加倉に対して、仁識が返したのはたった一言――鬱陶しい――それだけだったらしい、というのは噂である。しかし仁識ならばさもありなん、というのが皆の一致した思いだった。それが真実にしろそうでないにしろ、加倉が仁識を毛嫌いしているのは周知の事実である。

「まあ、俺も仁識の態度を見ていると腹が立つことはあるがな。協調性に欠けるうえ言うことがいちいち辛辣だ。どれだけ剣の腕が良かろうと、あの態度では自ら敵を作っているようなものだ」

 苦々しく言う冶都もまた仁識には良い印象がないのだろう。もしかすると剣術において上回る相手への対抗心があるのかもしれなかった。仁識は冶都や須樹と年は同じでありながら、その剣術の技巧は成人した兵士のそれを上回るという。そして何につけ直情径行の冶都には、恵まれた立場にいながらそれを放り出すような仁識の態度は不可解であり、腹立たしいものなのだろう。

「確か剣舞の中央の舞い手は最もうまい者が務めるんですよね。仁識が随一の舞い手だとしたら、頭は中央の座を譲るんですか?」

「問題はそれなんだよ」

 途端に冶都は苦々しい表情になった。先日須樹が言い渋ったのもこのことに違いない。

 剣舞は五つの複雑な型があり、そのうち四つの型をそれぞれ一人の副頭と三範の年長者が一集団として舞う。そしてあと一つの型は中央に立つ一人の舞い手に任されるが、常であれば頭が務め、それよりもうまく舞う者がいれば譲られることもある。

「剣舞は若衆の誇りだからな、明らかに優れた舞い手がいるのにそれを無視することは頭とてできんだろう。そうは言っても仁識と頭があそこまで反目していてはどうなるかわからん」

 そもそも加倉が順わない者を己の前に据えることなど想像すらできないことである。

「つまり、一波乱あるかもしれない、と」

 低く呟くような声に冶都は思わず灰を見詰めた。灰は僅かに目を細め、続けた。

「要は仁識が中央を務めるに相応しくないということを示せば、頭にとっては都合がいいわけですよね。俺が若衆には相応しくないことを参志の儀で証明しようとしたように」

 冶都が鋭く息を呑んだ。

「……気付いていたのか」

 灰ははっとする。最後の言葉は半ば無意識のうちに零れたものだった。己の思考に沈んでいたために鋭さを増していた表情が俄かに気まずげなものに変わった。

「そうだったんだろうなとさっきの頭の言葉を聞いて思っただけです。頭は意図して仁識への印象を悪くしようとしている感じでしたから」

「まあ……そういうことだ。参志の儀のやり方一つ見ても頭は手段を選ばんところがあるからな……俺が言えた立場じゃないが、お前も気をつけた方がいい。仁識に対しても、お前に対しても頭は何をするかわからんぞ」

 そこまで言って冶都は建物から出てくる須樹の姿に気付いた。須樹はどこか浮かない表情で範の面々に近づいて行く。冶都と灰が足早にその場へ行くと、淡々とした須樹の声が聞こえた。

「俺達の見回りの担当区域は街の外延部だ。仁識の範とともに今日から見回ることとなる。見回りに行くのは範毎に六人、頭から指名があった」

 冶都と灰は思わず顔を見合わせた。

「勘弁してくれ……」

 冶都は呟く。げんなりとした響きだった。次いで告げられた加倉が指名したという見回りの面々の中に、灰の名があったことはもはや意外でも何でもなかった。


 多加羅の祭礼には近隣の街は勿論のこと、国境地帯からも多くの人が訪れる。儀式そのものは三日の間のことであるが、実際にはその数日前から街は常ならぬ活気に満ち溢れるのだ。そして多加羅の街衆にとっても秋の祭礼は一年で最も大きな娯楽なのである。街の家々は黄色の布や造花で飾られ、道端には気の早い露店がちらほらと開いていた。

「納得がいかんぞ」

 冶都はぼそりと呟いた。目の前を歩く背中に聞かせないための小声である。傍らを歩く須樹と灰はちらりと視線を交わし、無言で前を行く仁識を見やった。担当として割り当てられた街の外延部へと向かう途中である。

「なぜ仁識の範と一緒なんだ。しかも街の最も外延部とは何らかの意図を感じるぞ、俺は。納得がいかん」

 須樹の範の面々はすでに灰にとっても馴染みの連中である。いずれも気の良い少年ばかりだが、対して仁識の範の顔ぶれは灰には名を聞くのも初めての者ばかりだった。自然と範ごとにかたまって歩く彼らだったが、不意に仁識が振り返った。

「むろん意図はあるだろう」

 ぎょっとしたのは冶都ばかりではなかった。須樹と灰も思わず立ち止る。対して涼しげな顔の仁識は淡々と言葉を続けた。

「この辺りでは祭礼の時期に騒動が起こらない方が珍しい。多加羅でも最も規範が緩いうえに、国境地帯の者達も多く出入りするからな」

「つまり何事か起こってほしい者にとっては恰好の場所だということか。如何様にも責を問えるからな」

 須樹が言うと仁識は笑んだ。到底友好的とは言えぬ皮肉な笑みに、須樹は眼差しを硬くした。仁識はちらりと灰へも視線を流した。

「そういうことだ。だが、厄介なことに関わりたくはなかったら極力その口を閉ざしていることだな」

「口を閉ざすだけでは頭の思うつぼだろう」

 両範の面々は口を出すこともなく、須樹と仁識の抑えた口調のやり取りを聞いていた。鍛錬所を出てからとりたてて言葉を交わしていない彼らだったが、互いの距離をはかるような視線を交わし合う。

「だからどうした。くだらん思惑に乗る方がつまらん。言いたいことは言わせておけばいい。どうせそれぐらいしか奴にはできんのだからな。そうやって己の力を誇示しているつもりが、結局は愚かさを露呈しているだけだ」

 仁識は言う。加倉の稚拙な言動に対する痛烈な皮肉だった。

「それだけとは俺には思えんぞ。剣舞のこともある。頭は何としてもお前を自分の前には立たせたくないんだろうよ」

 冶都が口を挟む。それに対して仁識が返したのは、憐れむような、馬鹿にしたような表情だった。

「剣舞がどうした。中央で舞いたければ舞えばいい。私はそんなことはどうでもいい。くだらん上下意識に振り回されるのもうんざりだ」

「だが、現実にこうやって振り回されてるだろうが。本当に厄介事に巻き込まれてもそう言ってられるのかよ」

「忘れてもらっては困るが、頭の標的は私だけではない。そちらにもいるだろうが。もっともたかだか若衆頭の浅知恵程度でどうなるわけでもないだろうが、巻き込まれて迷惑しているのは私達の方だ」

 顔を顰めた須樹が何事かを言おうとして、しかしそれは突然の怒声に遮られた。顔を振り向けたその先は、同じく振り返り立ち止まる人々により見えない。徐々に高まる声は誰かが言い争っているらしい。不穏な気配に人垣ができていた。

「さっそく厄介事かよ」

 冶都は苦々しく呟くと、人混みを搔き分けて歩き出す。若者達もその後を追った。威圧的な男の声と怒りを含んだ若い女性の声が響いていた。

「いい気になりやがって! 來螺(らいら)の売春婦風情がお高くとまってるんじゃねえよ!」

「いい加減にしてよ! 先に失礼なことを言ったのはあなたじゃない! 少なくとも來螺に来る客でももっとましだわ! ちょっと、その手を離してよ!」

 次いで聞こえた声に、灰の顔が強張った。

「おやめ、(かの)。すいませんね旦那。私らは今は商売のために来てるんじゃないんですよ。滞在と商売の許可をお役人に届け出る途中でしてね。旦那もこんな野暮はなさらないで、ちゃんと店に来て下さいな。街の外で今年も開きますからね」

 とりなすような年配の女性の声である。

「うるせえ! 俺はこの女に礼儀ってもんを教えてやってるんだよ!」

 漸く人波が途絶えた先で、男が若い娘の腕を掴んでいた。痛みに――それとも嫌悪のためだろうか――顔を歪めた娘を男はさらに引き寄せようとした。冶都は背後から男に近付くと、その腕を掴んだ。振り返った男は頭一つ以上高い冶都の図体にぎょっとし、しかしまだ若いその相貌に気付くと途端に傲岸な表情を浮かべた。

「なんだお前は! 腕をはなせ」

「そうはいきません」

 落ち着いた声は須樹のものである。男は須樹の腰にある飾り気のない剣と、その物腰にようやく誰が相手かを悟ったのだろう。あからさまな薄ら笑いを浮かべると脂の浮いた歯を剥き出した。

「ふん。若衆(わかしゅう)か。お前らのような若造が口を出すことじゃないんだよ」

 須樹ちらりと冶都に視線を送ると、にこりと笑んで言う。

「どうかその方の腕をはなしてください。何もこんな往来の真中で騒動を起こさなくてもいいじゃないですか」

 男の顔が引き攣る。須樹の目配せを正確に理解したらしい冶都が、握る手に力を込めたのである。若衆の中でも力では突出している冶都である。次第に男の顔が赤らむ。僅かに汗ばむ額が、それが怒りのせいではなく痛みのせいであることを知らしめていた。

「わ、わかった。はなしてやるよ」

 男は言うと娘の腕をはなし、同時に解放された自らの腕を抱え込んだ。ぎょろりと須樹と冶都を睨みつけ、未練たらしく娘を横目で見る。

「これからはもう少し客への態度を考えるんだな!」

 男は捨て台詞を残し、肩をいからせて歩き去った。溜め息をついて須樹は二人の女性を振り返った。中年の女とまだ十代だろう、若い娘である。冶都が半ば口を開けて娘を見つめている。須樹もまた思わずその姿に目を奪われた。

 顔をあげた娘は艶やかな美貌だった。栗色の波打つ髪が背の中ほどまで流れ、柔らかに蜂蜜色の光を帯びている。額の真中で分けた髪に縁取られた顔は驚くほどに色が白く、小作りな造作の中で髪と同様に淡い色彩の瞳が印象的に大きい。その顔立ちはただ愛らしいだけではなく、凛とした美しさがあった。薄布を重ね合わせた異国風の衣がゆったりと体を包み、清楚な藤色が白い肌に映えている。

「ありがとうございます。助かりましたよ、お若い方」

 女性は丸顔を綻ばせて須樹に言う。須樹はそれに曖昧に頷きながらそっと娘を窺った。娘は僅かに眉を顰めて須樹の背後を見つめていた。

「さ、叶、行くよ」

 女性に促されて娘が歩き出す。しかし何が気になるのかいまだに娘の視線は一点に向けられたままだ。須樹は娘の視線の先を追った。そこに、灰がいた。どこか青褪めた灰もまた、まっすぐにその視線を娘へと向けていた。再び娘を見やった須樹は、女性に腕を引かれて行きながら、娘の口が小さく動いたのに気づいた。無音のそれは、しかし確かに一つの名を刻んでいた。――灰、と。

 女性と娘が去り、人垣が崩れてなお立ち尽くしていた灰は小さく息をつくと、僅かに俯いた。

「灰」

 呼ばれて灰は顔をあげる。出会ってから須樹が見せる表情はこちらを気遣うものばかりだ、と灰はぼんやりと思い、知らず強張っていた体から力を抜いた。須樹は困惑と懸念をその顔に浮かべながら、何を言うべきか迷っているようだった。

「その……大丈夫か?」

「すみません。ちょっとぼんやりしてしまいました」

 言えば、須樹はそれ以上問おうとはしない。娘が呟いた彼の名におそらく須樹は気づいたのだろう、と灰は考える。須樹の不器用な気遣いに灰は何も返すことができなかった。

「美しいなあ……」

 冶都がまだ陶然とした表情で娘が去った方向を見つめて言った。他の若衆もまた一様に頷く。双方の範に漂っていた気まずさも突然の騒動に霧散していた。

來螺(らいら)芸能家(げいのうか)だな。祭礼の興行に来たんだろう」

 淡々と言った仁識が、観察するように灰と須樹の様子を見つめているのに気づいた者はいなかった。

 一気にここまで更新しましたが、誤字・脱字・誤用があれば申し訳ないです。注意して見ていても見落としが多いもので。

 何はともあれ、少しでも楽しんでいただけると幸せです。

 今後ともよろしくお願いいたします!

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