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最果てに天深く  作者: 高原 景
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 面白いものがある、という冶都(やと)の言葉に誘われて須樹(すぎ)(かい)が街へとおりていったのは、黄昏には遠く、しかし午後の束の間の熱気も薄れた頃合いだった。

 表通りは通らずに屋敷や家々の裏手の道を通れば、そこにはもう一つの多加羅の街並みが広がっている。長い歴史の中で幾度も戦にさらされ、あるいは自然の力に砕かれた街は、人々の不断の努力によって何度も築き直された。崩れ埋もれた古い街並みは、しかし消えたわけではない。まるで地層に眠る太古の骨のように、其処此処でその面影を晒していた。

 下ったかと思えば分岐してどこへとも知れず伸びあがる隘路の先には細く切り取られた空が眩しい。外から見れば小高い丘にも似た端正な外観の街も、その奥深くには起伏に富んだ複雑な路地が縦横に走り、一度入りこめばまるで迷路のようになっている。

 灰は二人について歩きながら、かつて幼い頃に住んでいた街を思い出す。その街もまた家々の間を細い路地が走り、奥に行くほどに複雑に絡み合っていた。街の人々が裏側と呼んでいたそこは、安易に踏み込めば命も危うい場所であり、実際に年に数十人もの人々の行方がわからなくなる。もっとも大方は外部の者であり、裏側の危険をよく知る街衆は余程のことがなければ踏みこもうとはしない。街の最奥に巣食い、暗く蟠る闇に煤けたその場所と比べれば、多加羅は空が近かった。

「この先だ」

 冶都は言うと急峻な坂を一気に駈け上がって行った。両側の迫るような家の壁が途切れ、踏み出したそこは人々で賑わう広場だった。神殿の対極である街の西に位置する広場は人々の憩いの場として中央には小さな池と花壇が設えてある。今はそれすら見えないほどに人々で埋め尽くされ、露店が所狭しと並んでいた。

「祭礼を前に街の商家が売れ残りの品を一斉に売り出してるんだよ。商人の間では棚崩しと呼んでいる」

 振り返りながら冶都は言う。ちらりと何処かに目をやり気安く手を振る様子から、馴染みがいたのだろう。有数の商家の出である彼にとってこの行事はごく身近なものなのである。一方須樹は例年行われることは知っていても自身が訪れることは滅多にない。予想以上の品数の多さと活気だった。

「大したものだな」

「意外な掘り出し物もあるぜ。去年なんか大貴族の盗まれた家宝が見つかったりもした。裏で取引されて流れに流れた結果がこの場所だったというわけだ」

「おいおい、その商家は責めを負わなかったのか? 盗まれた品を持っているとは穏やかじゃないな」

「負いようがないほど大昔に盗まれた物だったんだよ」

 冶都がにやりと笑む。

「どういう人と場所を巡ってきたかは神のみぞ知る、ということだ」

 人波をかき分けるようにして進んでいた三人は、一つの店舗の前で足を止めた。異国の品ばかりを集めた店のようである。珍しい形の食器や装飾品、小さな武器までもが無造作に並べられている。

「見事だな」

 言いながら冶都が見つめているのは繊細な装飾が華麗な小刀である。実用的なものから明らかに飾りとして用いるものまで、数多く並べられている中で確かにそれは一際目を引く品だった。

「お、さすがに冶都さんだ。目利きだね」

 店の壮年の男が目敏く言う。知り合いなのだろう。

「掘り出し物だよ。多加羅で東方の片刃ははやらないが、これは持って損はしない」

「俺に売り込まんでください。それよりもっといい客がわんさかいるでしょう」

 軽妙なやりとりを苦笑して聞きながら、須樹と灰もまた商品を眺める。その時ふと灰の目が一つの素朴な小刀に吸い寄せられた。先ほどのものに比べればそれが実用目的の物であることがわかる。飾り気のない黒い鞘には柔らかな木肌が何かの動物を模って嵌めこまれていた。

「手に取って見てもかまいませんぜ」

 敏感に気配を察した店主が言う。灰は暫し躊躇ってからそれを手に持った。見た目よりもずしりとした冷たい感触である。間近で見ると、動物はしなやかに身を躍らせて走る様をあらわしているらしい。引き締まった流線型の体躯とくねるような長い尾の造形が見事だった。

「それも地味だがなかなかの品だ。まあ、子どもが持つにはちとそぐわないが、今から大事にして何年後かに身につければいいさ」

 愛想良く言いながらも店主は本気で勧めているわけではなさそうだった。灰の質素な装いと年若さから、到底代金を支払うことなどかなわぬ平民の子弟と思ったのだろう。灰はその言葉を聞き流しながらも、なぜか惹きつけられてやまない図柄を見つめた。

「この図、どこかで見たことがある……」

 ぽつりと灰が呟いた。どこかで――不意に血の気が引くような感覚に襲われて、灰は目をきつく閉じた。次に目を開けた時その感覚は消えていたが、それでも灰は一瞬のそれに動揺する。単なる図柄である。何処かで目にすることもあろう。そう思ってみても、わき起こるのは言いようのない不安だった。

「そうなのか? 珍しい図だがなあ。この動物は何だ? 豹に似ているが……」

 須樹もまた灰の手元を覗き込むと、店主に問いかけた。

「これは何という動物なんですか?」

「いやあ、それは何ともわかりかねまさあ。東方の品であることは確かだが、どこで作られたかもさっぱりなんでさ」

「これも東方の品か。ここらでは見かけない筈だ。一体どこで見たんだ?」

 冶都の問い掛けには答えず、灰はそっと小刀を元の場所に戻した。僅かに顔が強張っているのが自分でわかった。それを悟られぬように意識して表情を繕い、自然に聞こえるように言う。

「気のせいだったみたいです。もしかして前住んでいた場所で似たようなものがあったのかもしれない」

「ふうん」

 幸い灰の動揺に二人が気付いた様子はなかった。

 露天を冷やかしながら歩くうちに奇妙な感覚も徐々に薄れ、灰はひそかに安堵する。やがて他愛のない会話と雑多な気配に、しこりのように凝っていた不安も消えていった。しかしそれでもどこかで気が漫ろだったのか、灰は声を掛けられるまでその存在に気付かなかった。

兄様(あにさま)!」

 人混みの中から一人の少女が手を振っている。

「お、(りん)じゃないか」

 屈託なく答えたのは須樹である。彼は街で何度か稟と顔を合わせたことがあり、いつしか親しく言葉を交わすようになっていた。

「須樹兄様もこんにちは」

 にっこりと笑う稟は小学院の友達らしい少女達と一緒である。髪飾りを置いた店を覗き込んでいた少女達もまた一様にこちらを見つめ、ひそひそと囁き合っては何がおかしいのか鈴やかな笑い声をあげた。

「違うわ。あんなに怖そうなおじさんじゃないったら。きっとあっちよ」

 漏れ聞こえる内容は何を言っているのか皆目見当がつかないが、ちらちらと三人の姿を盗み見るらしい様子に、須樹達は思わず顔を見合わせた。

「何か注目を浴びとらんか?」

 ぼそりと冶都が呟く。

「そうみたいですね……」

 灰の声はどこか苦々しい響きだった。須樹はちらりとそんな彼を見やるが、何を言うでもなかった。

「皆でそろそろ帰ろうって言ってたとこなの。兄様が見終わるまで待っていてもいい?」 

 稟は無邪気に問う。灰は迷うような素振りを見せながらも――恐らくそれは稟の言葉に対してではないだろう、と須樹は思う――言った。

「すみません。俺ももう帰ります」

「そうだな。待たせるのはかわいそうだ。俺達も適当に帰るよ。なあ、冶都」

「お、おう」

 咄嗟に頷いた冶都ではあるが、その顔にはありありと戸惑いが浮かんでいた。目で問いかける冶都に須樹は小さく首を振った。話は後だ、という意図を冶都も察したらしい。灰はそんな二人に小さく頭を下げると、少女へと穏やかな声をかけた。

「稟」

 灰の呼びかけに稟が途端に嬉しそうな笑顔になる。灰に駈け寄りながら少女達を振り返って手を振った。

「私兄様と一緒に帰るね。また明日」

「うん。また明日ね」

 口々に挨拶をする少女達はどうやら並々ならぬ興味で灰を見つめているようだ。灰と稟が雑踏に紛れて見えなくなると、興奮したような顔で口々に言う。

「やっぱりあっちだったね。言った通りだったでしょ」

「でもあんまり似てなかったね」

「馬鹿ね、稟は本当のお兄さんではないって言ってたじゃない」

 やりとりを聞いていた冶都はぎょっとして、少女達に問いかける。

「おい、それは本当か?」

 少女達はびくりとすると、俄かに黙り込んで後ずさった。その様子にため息をついた須樹は少女達の前にしゃがみ込むと、安心させるように笑んだ。

「ごめんごめん。驚かせたね。でもこのお兄さんは見た目と違って怖くはないよ」

 思わず憮然とした冶都ではあるが、半ば感心しながら須樹を見守った。少女達は人好きのする須樹の容貌と穏やかな声音に警戒を解いたようだった。冶都ではこうはいかない。

「さっきの話だけど、稟は灰……彼女のお兄さんのことを皆に言っていたのかい?」

 おずおずと一人の少女が答えた。

「そうよ。私達どんな人かすごく気になってたの。だって稟ったら誰よりも一番好きなのがお兄さんだって言うんだもん」

 ねえ、というように少女は周りを見回すと、他の面々も大きく頷いた。

「みんなで好きな男の子の話をしてる時にね、お兄さん以上に好きな人はいないって。そんなのおかしいって言ったら、本当に素敵で優しいんだからって言うの」

「あんまり稟が言うものだから、私達どんな人かすごく気になってたの」

 いかにも少女らしい物言いと内容である。囀るような会話を再び交わし始める少女に礼を言うと、須樹は冶都を引き連れてその場を後にする。十分に彼女達から離れてから須樹は漸く冶都に向き直った。

「どういうことだ。灰には妹がいたのか? いや、しかし本当の兄妹ではないとか言っていたな」

「そうだよ。もっとも俺も詳しく事情を知っているわけじゃない。どうやら捨て子だったのを柳角翁(りゅうかくおう)が引き取り灰と一緒に育てたらしい」

「全く知らなかったぞ」

 二人はどちらからともなく雑踏を離れて家々の間の路地へと向かった。

「そりゃあそうだろ。灰は決してそのことを言わないからな。この先も決して言おうとはせんだろ」

「なぜだ?」

 須樹は壁に靠れると腕を組んだ。

「それは灰に聞かんとわからんが、推測ならできる。おそらく、血が繋がらぬとはいえ、自分の妹であることがわかると、周りから冷たい仕打ちを受けるかもしれないと思っているんだろう」

 須樹は街に見回りに出た際、稟を見かけたことがある。その時一緒にいた灰は物影に潜むようにして決して稟に近付こうとはしなかった。彼女が気付かぬままに通り過ぎるまで、ただひっそりと佇んでいただけだったのである。なぜ、と問うた須樹に灰はただ笑みを見せただけだった。穏やかでありながら、どこか厳しい気配を含む笑みだった。

 須樹はなおも納得しかねるような冶都の表情を見やる。

「若衆内部での灰への扱いを見てみろよ。俺達の範では受け入れられているが、いまだに嫌な態度を取る連中もいるだろう。灰にしても別に俺達を信頼していないわけじゃないと思うぞ。ただ、灰なりに妹を守りたいんだろう」

 もっとも、稟はまた違うらしい。血の繋がらない兄が惣領家に新たに迎えられた何かと噂に事欠かない人物であることこそ言ってはいないようだが、殊更に隠そうともしていない。先ほどの少女達の話からするとむしろ自らすすんで話してさえいるようだ。

 稟が灰の素生を言わぬのは、少女にとってそのような事情などさして重要ではないせいなのだろう、と須樹は思った。たとえそれが明らかになることによって周りが離れたところで彼女の態度が変わることはないだろう。少女にとっては灰という存在そのものの方が大事であり、誇ることはあっても卑屈に黙ることはあるまい。何度か話しただけではあっても、須樹は少女が灰へと寄せる無二の信頼と愛情に気付いていた。

「確かに、そうかもしれんな」

 冶都も渋々頷いたが、まだ気にかかることがあるようだった。

「何だ? まだ気になることでもあるのか?」

「……あると言うか、ないと言うか」

「なんだはっきりしろ」

 冶都は思い切ったように顔をあげた。

「若衆のことで思い出したんだが、お前は少し灰を特別扱いしすぎじゃないか? 剣舞(つるぎまい)のことだって別に秘密にするようなことじゃないだろう。どうせいざこざが起これば灰も知ることになる」

「そのことか……」

 どうやら冶都は鍛錬所での会話のことを言っているらしい。

「くだらない話を聞かせる必要はないだろう」

「くだらないとは言っても若衆内部の力関係は無視できないぞ。お前がいい証拠だ。人望があるせいで頭や貴族連中に目の敵にされている」

「俺は別に気にしていない。それにただでさえ灰は複雑な立場だぞ。これ以上余計なことを聞かせて煩わせる必要はないだろう。そもそも俺達の範には関係のないことだ」

「だが、若衆でやっていくには知る必要があるんじゃないか? どれだけくだらなかろうとな。それに灰がこの先何事もなく無事過ごせるとも限らんぞ」

 須樹は考え込むように黙り、肩を竦めて言った。

「確かにな。俺はそういう類のことが苦手だから知ろうとも思わなかったし、実際それほど知っているわけではない。だが、灰には必要かもしれんな」

 冶都は安堵の表情を見せる。どうやら過分な信頼を寄せるらしい相手に須樹は苦笑した。

「そんな顔をするなよ。お前が灰にとっていいと思えば話せばいいんだ。お前らしくもないな。いつもの遠慮の無さはどうした」

「お、言ってくれるな。一応お前が錬徒(れんと)だからな。気を使ってやったんだろうが」

 冶都はおどけて言い、次いでため息をついた。

「それにしても俺は傷ついたぞ」

「何がだ」

「さっきの子達だよ。俺のことを何だと思ってるんだ。怖いというのは百歩譲ってまだ許せる。だがおじさんだと!? 確かに灰と比べたら老けて見えるが、まだ十六だぞ! ひどいとは思わんか!」

 真実傷ついたような表情の冶都である。須樹は視線を迷わせ口元を手で覆ったが、答えた声は隠しきれない笑いで震えていた。

「……気にするな……子どもの言うことだ」

「おい、お前まさか笑ってるんじゃないだろうな。人が傷ついたってのに」

「気のせいだ」

「笑ってるだろうが」

 須樹はとうとう堪え切れずに笑い声をあげると、励ますように冶都の肩を叩いた。

「なに、お前がいい奴だってことは俺が知っている。多少老けて見えようが気にする必要はないぞ」

「全く慰められん」

 ぼやきながらも、冶都の声もまた苦笑に紛れた。

「さて、そろそろ俺達も帰ろうか」

 言いながら時を測るために上空を見上げれば、徒雲が一つ物問いたげにあった。

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