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最果てに天深く  作者: 高原 景
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「だめだ!」

 須樹(すぎ)の一喝に、鍛錬所の小さな部屋に集う少年達は首を竦めた。まだ若衆に入って間もない者達である。普段は穏やかな須樹が見せた厳しい表情に、一様に委縮したように立ち尽くしていた。

「でも……加倉(かくら)様は俺達と同じ年の奴を一緒に見回りに連れて行っています!」

 負けん気の強い一人が言う。

「俺のほうがまだ剣の腕も立つのに」

(しょう)、それは思い上がりだ」

 須樹の言葉に十三になったばかりの晶は頬を膨らませる。はらはらとやり取りを見つめる少年達も、納得のいかない表情を浮かべる者が多い。それを見やって、須樹は渋面のまま言葉を探した。

「なんだ、どうした?」

 突然割って入った声に須樹は振り返った。入口で冶都(やと)が部屋に満ちる奇妙な沈黙に戸惑いの表情を浮かべている。その背後には(かい)が立っていた。

「冶都さんも聞いてください! 俺達、街の見回りに参加したいって言ってたとこなんです!」

 晶が勢いづいて訴える。

「加倉様は俺達と同じくらいの奴でも見回りに連れていってるのに、なんで俺達の(はん)はだめなんですか!」

 冶都はふうん、と唸るように言うとのっそりと部屋の中へと入ってきた。休憩所と更衣室を兼ねる小さな部屋が、大柄なその体に途端に狭くなったようだ。灰は傍観するように戸口に立つ。

 参志の儀の一件以来、冶都は機会があれば灰に剣術の指南を買って出ていた。今もまた稽古が終わったところなのだろう。単純明快で率直な性格の冶都が、無口で物静かな灰のことを気に入っているらしいのは、須樹には意外であり、何かしら嬉しいことでもあった。灰が剣術において目覚ましい成長を見せているのは、彼自身の才能だけでなく冶都の力に負うところも多い。

「だがなあ、見回りってのはお上品なとこに行くだけじゃないんだぞ? お前達みたいなひよっこが厄介事に巻き込まれてみろ、俺達が迷惑だ」

 冶都の言葉に晶は顔を真赤にする。愚かな少年ではない。年長者が言わんとすることは理解できても、感情を抑えるにはあまりにも幼い。

「でも、灰様はこの前冶都さん達と一緒に見回りに行ったじゃないですか!」

 俄かに室内に緊張が走った。委縮し、あるいは不満そうに沈黙していた少年達が、突然出た名前に敏感に反応する。思わず須樹は灰の方を見やったが、灰の表情に変化はなかった。

「やっぱり身分が高いとそれだけで特別扱いなんだ!」

「いい加減にしろ!」

 冶都が怒鳴った。空気が震えるほどのそれに、晶が依怙地に口を曲げた。

「晶、灰様は冶都に勝ったんだ。お前も見ただろう。この部屋にいる者で灰様に勝てる自信のある者はいるか?」

 須樹の落ち着いた声に答える者はいなかった。

「それだけの腕があるから見回りにも参加することができたんだ。お前ではまだまだ未熟なのがわからないか?」

 晶は俯いて唇をかんだ。貧しい家に生まれながらも、同じ年頃の少年よりもはるかに機敏で敏い晶が、明らかな理不尽に我慢ができないのは須樹とて理解できる。しかし街の見回りという若衆(わかしゅう)の役割が、想像以上に危険が付きまとうものであることもまた無視できない事実なのだ。

 そもそも若衆は全ての人々に快く受け入れられているわけではない。貴族以外の者が剣を所持するには警吏(けいり)の許可がいる。そのような厳しい取り締まりの中で、まだ少年とも言っていい若者達が、見回りのためとはいえ剣を身に帯びて街を歩くことに、根強い反対の意見もあるのだ。また、一見穏やかに見える多加羅の街にも、迂闊に踏みこめば危険に巻き込まれるような区域があるのだ。

「加倉様が貴族の子弟を連れて歩いているのはあくまでも安全な地域だけだ。危険な場所には決して連れて行こうとはしない」

 もっとも自身も行こうとしないのだが、というのは心の中でだけ付け加え、須樹は悔しさに顔を歪める晶を見つめた。

「安全な場所なら晶達を連れて行ってもいいんじゃないですか」

 その時無造作に言葉が投げかけられた。言葉を発した本人は相変わらず皆から距離を取るように立ち、向けられる視線にも頓着していないようだった。

「灰様、それは……」

 須樹の渋面をちらりと見やった灰は、しばし考えるように腕を組む。

「その、灰様というのも何とかならないかな」

 須樹は言葉に詰まった。一瞬何を言われたのか理解できなかったのだ。須樹の様子にはお構いなしに灰は晶へと近づいて行った。

「俺の名前に様をつけるのをやめてほしい。俺は一番の新入りなんだし、第一義理だけで言われても気持ちが悪いだけだ」

 穏やかな声音で、辛辣なことを言う。大方の少年はぽかんと灰を見つめるばかりだ。

「でも、灰様は惣領家の人だ……」

 どこか警戒するような表情の晶に、灰は苦笑したようだった。

「若衆は皆平等の筈なのに、身分で特別扱いされている。だから腹が立つんだろう? ならば特別扱いをやめればいい。俺だって自分のことを惣領家の人間だとは思っていないんだから。俺はただの灰で、晶はただの晶だ」

 冶都が素早く須樹へと視線を送る。須樹もまたその視線に込められた意味を正確に捉えていた。幸い部屋にいる少年達が灰の発言に込められた意味に気づいた様子はない。

「本当に様をつけなくていいのか?」

「ああ、灰でいい」

 灰はくるりと須樹に向き直る。須樹は咄嗟に身構え、そして相手の目線が一月前よりも近くなっていることに気づいた。

「俺からもお願いします、須樹さん。晶達も見回りに参加させてあげてください。安全な地域ならきっと訓練としても役立つはずです」

「灰様、それでは街衆にも示しが……」

「灰、です」

 にこりと笑んで言った灰の目は、真剣な光を浮かべていた。須樹は逃げ場所を探すように視線を彷徨わせ、冶都が素知らぬ顔をしているのを恨めしげに睨みつけた。須樹が次に発する言葉が、少年達の灰への態度を決定づけるだろうことを、冶都も理解しているのだ。少年達に慕われ、尊敬されている須樹が灰にどのように接するか、それによって少年達もまた灰への接し方を変えるだろう。そして、それは身分と家柄に縛られた規範を崩し、目に見えずとも厳然として在る絶対的な秩序の鎖を断ち切る契機となるに違いない。

 どうやら成長したのは身長ばかりではないらしい。それとも灰はもともとこういう人間だったのか。須樹は相手への認識をまたもや改める。灰が時折見せる表情から、須樹は彼が特別の存在として敬われることを快く思っていないらしいことに気付いていた。この少年は無口でおとなしく見せかけながら、その実聡明で狡猾で強情なのだ。望まない状況に甘んじるのではなく、虎視眈々と自らが望む状況へと変える機会を待っていたのかもしれない。

 須樹は観念して灰へと向き合う。ならば望み通りにしてやろうではないか。不意に笑い出しそうになりながら言った。

「わかった、灰。お前の意見は考えておく」

 周囲の少年達を見まわし続けた。

「だが、これですぐに思い通りになったとは思わないことだ。見回りに行きたければ、その分剣術の鍛練に励むように」

「やったあ!」

 晶が飛び上がるようにして拳を突き上げた。

「それから、見回りでは街の人々の目に触れるのだということも認識してほしい。馬鹿騒ぎをして若衆の名を落とすような真似をすれば若衆としての資格はないと思っておけ」

「わかってるって! 任せてよ! 俺達へまなんかしないから」

 途端に笑顔になった晶につられて、周りの少年達も一様にはしゃいだ声をあげた。

「剣術の稽古がまだだろう。はやく広場に行きなさい」

 須樹の言葉に少年達は賑やかに部屋を飛び出して行った。小さな部屋には三人が取り残される。須樹は灰をじろりと見やった。

「灰様、あまりあいつらを焚きつけないでください。まだ未熟な者ばかりなんですから」

「まあ、いいじゃないか! 灰様、おっと……灰の言うことにも一理あるからな」

 冶都は無頓着な様子で言う。須樹は思わず呆れた視線を送った。

「お前、切り替えがはやすぎるんじゃないか?」

「ん?」

「もういい。お前はちょっと黙っててくれ」

 須樹はがしがしと頭をかくと、目の前の少年と改めて向き合った。逡巡し、躊躇い、しかし結局はため息を一つついて両手をあげる。

「わかった、わかりましたよ。あなたはただの灰だ」

「ありがとうございます」

 律儀に礼を言いながらも、灰の瞳には例のいたずらめいた光が宿っている。この少年はまるで年長者に従順に頭を下げているようでありながら、実際には須樹のほうが少年の思うままに言葉を発しているのだ。冶都などはそれに気づいた様子もない。

(策士め)

 心中で呟く悪態は、笑みを含んでいた。須樹も灰に接する時、居心地の悪い思いが確かにあったのだ。初めて出会った時の相手の印象があるせいかもしれない。そして何よりも、若衆内部にある身分に縛られた秩序をその片隅とはいえ崩すことは、須樹にとって爽快なことだった。

 若衆は(かしら)を頂点に、四人の副頭(ふくがしら)、十二人の錬徒(れんと)、さらにその下に従う若者達で構成されている。若衆に入った者はいずれかの錬徒の下につく決まりであり、須樹は錬徒として十五人程の若者を指導する立場にある。錬徒がまとめる集団が、それぞれ(はん)と呼ばれる。この仕組みは単純でありながら、如実に若衆内部の力関係をあらわしている。副頭はそれぞれ三人ずつの錬徒を、ひいてはその下に従う若者達を指導する立場であるが、現在副頭をつとめるのは全て加倉の取り巻き連中である。須樹の範は目下のところどの副頭にも顧みられていない。若衆の中でも爪弾きなのである。貴族連中が取り仕切る今の若衆には、息詰まるような閉塞感ばかりがあった。

 それに加え、本来ならば頭として全体を指導すべき立場の加倉が、それぞれの範とは別に、特に気に入りの者を集めるようになっている。頭本人が街の見回りに繰り出すことに問題は無論ないのだが、気に入りの若者達を侍らせてそれを行うのには、眉を顰める者も多い。晶が不満に思うのも無理はないのだ。

 もっとも現在の若衆であるから、灰が須樹の範に加わることができたのだ。本来ならば新人がどの範に属するかはそう簡単に決められることではない。しかし何かと複雑な立場であり、加倉から敵視されている灰は、参志の儀以来その成り行き上いつの間にか須樹の範の一員として認められていた。

 そして冶都もまた本来属していた範を離れ、須樹の範に入り浸っている。異例のことではあるが、これには規律の緩んだ混乱に須樹もありがたく乗じることにした。冶都は確かな剣術の腕を持ち、指南役としても優れているのだ。やんちゃ盛りの少年達をおさえるために彼の存在は大きく、須樹にとっても幸運だった。もっとも本人を前にしては決して口にしないことではあるが。

「冶都、次の見回りはいつだった?」

「明日が休息日だし……確か明後日からじゃないか? 今は洲界(すがい)仁識(にしき)の範が担当のはずだ。ああ、違うな。祭礼の前だから見回りはやらなくていいはずだ」

「そういえばそうだったな」

 祭礼の前後は多加羅の正規の軍隊である南軍(なんぐん)が街の守りに当たるようになっていたことを須樹も思い出す。多種多様な人々が集まる祭礼に向けて、常になく厳重な警備がしかれるのだ。

 三人は狭苦しい部屋を出て広場へと向かった。窓から差し込む陽光は、夏の名残か、熱気を感じさせた。薄暗い廊下から日差しの中へと踏み出せば、広場ではその半分ほどを使って少年達が木剣を振るい、もう半分では年長者達が剣舞(つるぎまい)の基本的な動作を丁寧になぞっていた。多加羅の剣舞は鋭く華麗である。しかし稽古でのゆったりとしたそれは、まるで水の中をたゆたうように優雅だった。

「今年の剣舞はどうなるかな」

 ぼそりと呟く冶都に須樹はさあな、と答えただけだったが、灰はそこに僅かに懸念する響きがあることに気付いた。

「無事済めばいいんだが……」

「何か問題があるんですか?」

 思わず問いかけた灰に、須樹は緩く首を振っただけだった。

「くだらないことだ。灰は気にする必要はない」

 冶都は一瞬何事かを言いたそうな表情を見せたが、結局は肩を竦めて須樹の沈黙に倣った。

 祭礼は三日の間行われる。一日目と二日目は多加羅所領内にある街や集落から神殿への供物が奉げられ、三日目の夜には多加羅惣領家が供物を納める。その場で若衆の剣舞も神への供物の一つ、奉納舞として披露されるのだ。奉納舞を神に献上する役目は惣領家嫡男の透軌が行うであろうというのが大方の予想である。そして最後に神殿の司祭長によりその後一年の変わらぬ豊穣と繁栄への祈祷が行われ、巫女役である乙女に神の託宣を告げることで締めくくりとなる。

 剣舞は一年を通しての若衆の最大の見せ場でもあり、若者達のそれにかける思いも並々ならぬものがあった。広場の若者達の顔はどれも真剣そのものであり、研ぎ澄まされた集中の中にも期待と不安が入り混じっている。

 街を取り囲む金笹の畑は収穫の季節を迎え、風が吹けば艶やかな輝きが大海の波のように揺れる。そして街もまた、いまや祭礼一色に染まりつつあった。

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