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最果てに天深く  作者: 高原 景
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第一部 序章

 はじめまして、高原景と申します。

 目指しているのは硬質な青春ファンタジーです。文章量が多く、読みづらい点も多々あるかと思いますが、楽しんでいただけると幸せです。

 よろしくお願いいたします。

 ところどころ深藍に凝る雲間から、陽光が不意に地上へと降り注いだ。上空ではいまだ激しく風が吹き荒れているのだろう。押し流される雲の其処此処で光の帯はまるで奔流のように空から零れ落ちる。

 男は目深にかぶっていた外套を払い、冷たく濡れた体の不快感も忘れしばしその光景に見とれた。彼の動きを察したのか歩みを止めた馬は、乗り手を振り落とさない程度に軽く身震いをする。鬣からきらきらとした雫が散り、男の顔を濡らした。雲の切れ目からは、鋭く澄んだ浅葱の空がのぞく。先ほどの驟雨に濁りを流されたかのようなその青を、男は見つめた。

 光はなおも降り注ぎ、春から夏へと向かう山々を複雑な陰影に彩る。白沙那(はくさな)帝国の東に広がる森林地帯――その深奥である。かつては神々が宿るとされた森もまた初夏の突然の嵐に打たれ、濃密な命の気配が今は不思議なほどに淡く、大気を染め上げる緑もひっそりとした静寂に沈んでいるようだ。否、と男は考える。無数の命を抱える森は静寂そのものが能弁である。むせるほどの色彩は、蠢き潜むものを隠すと同時に、異邦者である彼らをも獰猛な自然から守っているのかもしれない。

秋連(しゅうれん)様?」

 とりとめのない思考はためらいがちな声に遮られた。男、秋連は戸惑ったように振り返る道連れに曖昧に笑いかけ、再びゆっくりと馬を進めた。しかるに、彼が埒もない思いに誘われた神秘的な風景も、この連れには何らの感慨も与えなかったらしい。名残惜しく再び見やった遥かな空は、すでに夏の気配を秘めた気まぐれな乱流にのみこまれていた。

「あと僅かですが、先ほどの嵐で道が悪い。気をつけてください」

 低い声で話しかける男は名を(げん)という。彼は秋連の乗馬の技術をよく理解しているらしい。ぬかるんだ山道は確かに乗馬に不慣れな秋連には少々厄介だった。決して幅は狭くないが、山肌を伝う道は足をとられでもしたらただでは済まないことになるだろう。それに加え容赦なく嵐にうたれた体は濡れそぼり、旅の疲れにますます拍車をかけていた。

「君は峰瀬(みなせ)様から今回のことをどう聞いている?」

 秋連の問いかけに弦はわずかに逡巡するような様子を見せた。秋連はその姿を興味深く見詰めた。彼が弦と数日を過ごした中で、感情を表すような所作を見たのはこれがはじめてだった。

惣領(そうりょう)は私には何も仰せになりませんでした。ただ秋連様をお連れし、その後はお言葉に従うようにとのみ」

 秋連はなるほど、と内心うなずく。この弦という男は自身の役割と価値をよく理解している。彼に必要とされているのは主の意図をはかりその裏に潜む思惑を探ることではなく、ただ忠実にその言葉を実行することなのだ。そしてそれこそが絶対的な彼の信条でもあるのだろう。

 秋連は憂鬱に目の前の背中を見つめた。無意識にこぼれる溜息を苦い表情でのみくだす。体ははやく目的地にたどり着き休息を得ることを望んでいるが、その先に待つ、託された役割に気持ちは沈むばかりだった。

 最早景色に目を向けることなく、男は残り少ない道程をゆっくりと進んでいった。


 目指す村は、森と山に抱かれるようにしてあった。村の西は深い森に接し、東はゆるやかな勾配の山の裾野に広がっている。秋連達が辿った南からの尾根伝いの道が、その村への唯一の道であり、西に広がる神秘の森を抜けてその村に、あるいは村から外界にたどり着いた者は誰もいないという。そして東のゆるやかな山々はその背後をさらにぐるりと峻嶮な山脈に囲まれている。山脈の稜線は遥かな天空に霞み、一年を通して消えない雪が雲をすかして垣間見える。この山脈もまた人の侵入を拒み、白沙那帝国の内と外を隔てる東限だった。

 秋連は次第に近づいてくる眼下の村をつぶさに観察した。村は森のただ中で、異質でありながらひっそりと同化しているように見えた。それは長く緩やかな時の流れの中で人と自然の営みが作り上げた調和だった。

 村には秋連の目には珍しい木組みの家々が建ち、村人の生活を支えるのだろう、青々と茂る畑がある。山から流れる小川を利用した水路がまるで葉脈のように村を縫い、きらきらと光をはじいている。家の前に張られた紐につられているのは洗濯した衣だろうか。紅がくっきりと鮮やかに映えていた。村と森を隔てる柵は森に潜む獣から村を守る目的があるのか、大人の男の背丈ほどの高さがある。山肌に沿う道はわずかに森の中を通り、今は開かれている門へと続いていた。

 秋連はゆっくりと馬を進め、素朴なつくりの門を通り抜けた。間近で見れば、家々はどれも古くはあったが清潔だった。石造りの建物を見慣れた目には木組みの家は異国を思わせる。どこかで家畜の鳴く声が聞こえ、ほがらかな子供の笑い声が響いていた。

 唐突にその笑い声が大きくなったかと思うと、秋連と弦の前に数人の子どもが走り出してきた。彼らは思わず馬をとめる。子供たちも目の前の余所者にぎくりとし、甲高かった笑い声が嘘のように一様に黙り込んだ。その表情は脅えというよりは、単純な驚きをあらわしていた。子供たちの目がちらちらと己の顔をうかがっているのに気づき、秋連は思わず苦笑した。なるべく穏やかに聞こえるように問いかける。

「すまないが、柳角翁(りゅうかくおう)が住んでおられた庵はどこか教えてくれないか?」

 子ども達は互いに顔を見つめあい小さく首をかしげた。最も幼い子供は五つほどだろうか、指を口にくわえたまま秋連の顔をじっと見つめている。山深い村里の子供とはいえ異端の風貌はわかるらしい。秋連は内心に小さく溜息をつき、再度言葉をかけた。

「誰か、お父さんかお母さんを連れてきてくれないかな?」

 数人が頷き踵を返して駆けて行く。

「おじちゃんの目は紅葉の色なのね」

 幼い少女が舌足らずに言う。秋連はあどけない言いように思わず微笑んだ。その言葉には、これまで少なからず浴びせられたものとは違い、純粋な好奇心しか感じられない。

「ああ、そうだね。今では黄色い紅葉だが、幼いころは深紅の紅葉だった」

 秋連の言葉に子供たちは驚きの声をあげ、まじまじと彼の琥珀の瞳を見つめた。秋連は不思議と不快を感じさせない子供の無邪気さに、心が解けるのを感じた。異端に厳しい都市では、子供が彼に向ける視線は無邪気な好奇心よりも、脅えや嫌悪といったものが強かった。それはひいては子供の親が彼に向ける視線そのものであり、何年生きようと慣れるものではなかった。

 しばらくして子ども達が連れてきた年配の女性は、突然の訪問者に驚きの表情こそ隠さなかったが、彼らを忌避するでもなく淡々と問いに答えた。

「柳角翁といいますと、聖堂に住んでらっした点然(てんねん)さんのことかね」

 秋連は女性の言葉に思わず傍らの弦を振り返ったが、旅の連れは口を開く気配はない。

「点然さんなら一昨年病で亡くなられたんですがね。小さな堂に、私らは聖堂と呼んどりますが、今は点然さんの育ててなさった子らだけで住んでなさる」

 秋連は訝しげな表情が出ないように気をつけながら言葉を重ねた。

「その、柳角翁……点然と呼ばれていた方が育てておられた、年のころが十四ほどの少年がいるかと思うのですが、私はその者に会いに来たのです」

「ああ、(かい)かね。あの子なら最近はよう森に入ってるが、今日は嵐だったもんでおるんでないかね」

 女はきさくに答えながらも、俄かに秋連と弦を不審げな目で見つめた。

「……あんたらはそうそう悪い人には見えんが、あの子らになんの用かね?」

「ああ、申し遅れて失礼しました。私はその……灰という少年の親戚にあたる方から頼まれて彼に会いに来た秋連という者です。こちらは弦といいます」

 弦は表情を変えないまま軽く会釈する。

「そうだったんですか。あの子に親戚がいるなんて私らまったく知らなかった」

 女性は納得の表情を浮かべた。秋連は女性の言葉にやはり、という思いを強くする。どうやらこの村の人々は少年の出自についてはまったく知らないらしい。そしてそれは柳角――ここでは点然と名乗っていた人物についても同様なのだろう。

 秋連は女性に丁寧に礼を言い、教えられたとおりに道を進んでいった。子供たちがすでに知らせたのだろう、そこここで村人たちが物珍しそうに彼らを見ていた。


 聖堂は村の最奥、山の斜面を少し登ったところにあった。古びた小さな木造の建物はひっそりと息をひそめるような佇まいである。秋連と弦は馬からおり、あたりの様子をうかがう。堂の扉は開け放たれていたが、中に人がいる様子はない。覗けば小さな文机があり、その上には読みかけなのか、書物が無造作に置かれている。ひっそりとした室内はほの暗いが、清潔に保たれているのがわかった。

「先ほどの女性の言葉だが」

 秋連は中の様子をなおもうかがっている弦に声をかけた。

「柳角翁が育てておられたのは、灰という少年だけではなかったのだろうか」

「存じません」

 素気ないほどに簡潔な弦の答えに、秋連はそれ以上問うのを諦めた。

 秋連は堂を取り囲む木々の濃密な緑を見つめながら、生前の柳角の面影を思い出す。面影とは言っても彼が柳角に会ったのは十五年ほども前、峰瀬が惣領になった祝いの席でのことだった。それも出席を固辞しようとする彼を、峰瀬自身が説き伏せて招いたということを、当の峰瀬の口から聞いて知っていた。博識で知られた柳角が、隠棲していた庵から出て街まで来たことはそれ以降一度もない。

 不意に軽い足音が響き、堂の裏手から幼い少女が走り出してきた。肩口で切りそろえられた黒髪が軽やかに揺れる。少女は目の前の大人に気付き首を傾げた。愛らしい仕草だった。

「ここに灰という少年はおられるかな?」

 秋連は少女の顔を覗き込みながらたずねた。少女はにっこりとほほ笑むと、堂の裏手に声をかけた。

兄様(あにさま)、兄様、お客様よ」

 その声にこたえるように、すぐに足音が近づいてきた。秋連は思わず体をかたくしてそちらを見やる。堂の裏手は山の木々に覆われ、むせるような緑が深い影を作り出していた。

 そこにあらわれた人物を見たとき秋連は地を揺るがす瀑布の音を聞いたように思った。すっと背筋が冷えるような感覚とともに、彼は鮮烈な記憶を一瞬にして辿り、そして不思議なほど静かに佇む目の前の少年に重なって、確かに見た、と思った。苛烈な瞳で睨み据える乙女の姿を。

 滝の飛沫に、長い銀糸の髪が艶やかに濡れていた。真冬の氷を思わせる紫の瞳は、裏腹に炎の激しさを秘めていた。ただ目を奪われて立ち尽くす二人の青年に一言も発することなく背を向けたその娘は、もうすでにこの世にはいない。

「灰様であらせられるか?」

「はい」

 短く答え、少年が緑陰から歩み出した。一瞬の眩暈にも似た記憶の奔流は、森の静寂に飲み込まれるように唐突に消えた。

 確かに眼の前の少年は、かの人の面影と色彩を色濃く宿しているとはいえ、何かが決定的に違う。それは、森に溶け込むかのような静かな佇まいのせいかもしれないし、その瞳が炎のようにきらめく紫ではなく、澄んだ藍だったせいかもしれない。黒髪に黒眼が一般的である帝国にあって、彼のような容貌は秋連の瞳同様に異端に属するものではあるが、遠く東の草原に住むといわれる風の民は、銀の髪に鮮やかな瞳という、まさしく目の前の少年のような姿をしているという。村人達が秋連の瞳にさほどの嫌悪を示さなかったのも、灰という存在がいるからなのかもしれない、と彼は考えた。

 秋連は手綱を弦に預け、その場で深く叩頭した。

「私は秋連と申します。灰様の伯父上、多加羅(たから)惣領であらせられる峰瀬様からのお言葉をお伝えに参りました」

 弦もまた無言で叩頭する。

 一瞬の静寂の後、少年が小さく息をついた。そのままゆっくりと秋連の目の前まで歩んでくると、目線を合わすように膝をつく。

「よしてください。俺は多加羅の者ではありません。ただの灰です」

 思わず顔をあげた秋連に灰は困ったように言葉を継ぐ。

「どうか、まずは堂で休んでください。嵐に遭われたのでしょう?装束が濡れています。馬も休ませたほうがいい」

 灰は弦の手から手綱を受け取ると、二人を促して堂へと誘う。

(りん)、お茶をお出しして」

 灰の言葉に、少女がはあいと答えてぱたぱたと堂に駆け込んでいった。灰は古木の枝に慣れた手つきで手綱を結びつけると、汲み置きの水を桶に満たし、馬へと与えた。思わず少年の姿を眼で追っていた秋連は、背後から聞こえた明るい声に振り向いた。

「どうぞお上がり下さい」

 見れば稟が堂の床にちょこんと座って頭を下げている。秋連と弦はじっとりと濡れた履物を脱ぎ、建物の中へと入った。稟が敷いた藁織の敷物の上に座り、秋連は薄暗い室内を見回した。強い芳香に視線を転じれば部屋の隅にいくつもの籠が置かれ、乾燥した様々な植物が入れられていた。これが香りの元なのだろう。さらに見やれば、壁にも幾種類もの植物が吊り下げられていた。

「兄様のお薬はとってもよく効くのよ」

 香ばしい茶の入った器を置きながらの少女の言葉に、秋連は思わず聞き返した。

「薬?」

 稟は、ことん、と音がしそうな仕草で首を傾げた。

「お客様は兄様のお薬をもらいに来たのではないの?」

「稟、裏の畑に小枝がいっぱい落ちているから、それを拾っておいてくれないか?」

 答えあぐねていた秋連は、灰の声にほっと息をついた。はあい、と元気な返事を残して駆けて行く稟を見送り、秋連は目の前に落ち着いた様子で座る少年を見やる。

「すみません。稟は薬を買いにきたお客様だと思ったみたいで」

 改めて見れば、少年は年相応にあどけなくありながら、妙に老成しているように秋連には思えた。

「薬…と言うと……」

「点然師匠が……」

 灰は僅かに言葉を切り小さく苦笑する。

「いえ、柳角師匠が薬師(くすし)をされていたのはご存じですか?」

 初めて聞く事柄に秋連は否と答え、横でうなずく気配に思わず弦を見た。弦は秋連の様子には頓着せず淡々と答えた。

「惣領からうかがっています」

「俺はここに引き取られてから、薬師の知識や技術を教えられてきました。師匠は薬を煎じてそれを生活の糧にしていましたので。村の人だけでなく、村の外からも師匠の薬を求めて来る人がいました」

「では、今は灰様が?」

 秋連の問いに少年は薬草の束に視線を流す。

「はい。師匠が亡くなってからは俺があとを引き継いでいます。この村には師匠の薬にずっと頼っている人もいますので」

 堂に静寂が落ちる。秋連は言葉を継ぎかねて、香ばしい茶に手を伸ばした。仄かな揺らぎにも似た静けさは突然の訪問者を拒絶するものではなかったが、どこか水面から透かし見る水底に似て、手の届かない隔たりを感じさせる。気づまりはそればかりではない。何よりも、と秋連は内心に思う。何よりもこの少年はあまりにも秋連の予想とは違っていた。

 少年が八つで峰瀬の叔父、柳角に引き取られた経緯について秋連はさほど知っているわけではない。人伝の話は、信ずるにはあまりに虚飾に満ち、そのほとんどが悪意に彩られていた。峰瀬もまた少年について多くを語らなかった。秋連が知らされているのは、柳角が一昨年に亡くなり、六年前から柳角に育てられていた少年が一人残されたということだけだった。秋連が漠然と描いていた少年の像は、生い立ちゆえの複雑さはあるかもしれないが、ただ年相応の子供だろうというものでしかなかったのだ。

 弦は柳角が薬師をしていたことを、峰瀬から聞いて知っていた。それ以外にも、秋連には知らされていないことがあるのだろう。あるいは何も知らせない、それこそが峰瀬の意図だったのか――秋連は膝の上の拳を強く握りしめる。

(先入観なしに見極めよとでも言うつもりか。あの方はつくづく厄介なことを押し付けてくれる)

「惣領のお言葉とは何ですか?」

 先に静寂を破ったのは少年だった。秋連は居住まいを正した。

「これは失礼いたしました。まずは惣領のお言葉をそのままお伝えします」

 灰がすっと背筋を伸ばした。

「柳角翁がお亡くなりになられたこと、大変悲しく思う。多忙の身の上とはいえ、葬儀にも行けず申し訳ないと」

 言葉は床に物がほとりと落ちるようなそっけなさで響いた。

「今後のことについては、まだ年若い灰様を一人にするわけにはいかない。同じ一族の者として多加羅に来てほしい、そのように仰せです」

 気まぐれな風に吹かれ、壁の薬草がちりちりと音をたてた。それに誘われるように少年の視線がまたもふわりと男達から逃げた。秋連は不意にもどかしさを感じた。それは聞き分けのない子どもを前にした困惑のようでもあり、老練な智者にはぐらかされた苛立ちのようでもあった。

「ただ、惣領は決して無理強いなさるおつもりはありません。この地で六年を過ごされたこと、それは無視できぬ年月の重みであると……。それから、多加羅が居心地の良い場所でないだろうことはわかっている、とも」

「わかっておられてなぜそのようなことを仰られるのか」

 ぽつりと少年は呟いた。惑うような言葉の揺らめきとは裏腹に、少年の瞳に強い光が宿る。俯きがちな表情は移ろう陰影に沈んだ。

「わかりました。少し考えさせてください。それに……行くにしてもすぐに行くことはできません」

「それはなぜでしょうか?」

「この村には今の季節に採れる薬草がどうしても必要な病人がいます。その人の治療を一区切りつけてからになります。それに……」

「あの少女のことですね?」

 秋連は思わず言った。

「はい。稟はこの村には身寄りがありません。稟を一人で残すことはできません」

「それは、私から惣領にお伝えしましょう。何とかしてくださるはずです」

 迷うことなく言う秋連に、灰ははじめて真っ向から視線を向けた。

「あの少女がどのような経緯で柳角翁のものに来たのかお聞きしてもよろしいか?」

 灰は小さくうなずく。

「稟はこの村の者ではないんです。森に一人でいるところを村人が見つけました。今から七年前のことです」

「では、灰様よりも先にこちらに?」

「はい。おそらく捨て子だったのではないかと皆は言っています。ここに来た時、稟はまだ二歳にもなっていませんでした」

「しかしなぜ柳翁様がお預かりになったのですか? そのように小さな子どもであれば女性が引き取ったほうがよかったのでは?」

「誰も引き取りたがらなかったのです。稟がいたのは村人でもめったに足を踏み入れない森の奥でした」

「森の奥……」

「村人は皆森を恐れ、今も何かが潜むと信じています。ですから、そのような場所にいた稟も()み子だと考えているんです。外の人間が入り込めるような場所でもなかったので尚更なのでしょう。……魔の忘れ子だと言う人もいます」

 さらりと語られた言葉に秋連は思わず眉をしかめた。村人が秋連に向けた視線に都市で感じるほどの拒絶はなかった。しかし、ここでもやはり人々の意識に染み付き深く根ざしたものがあるのだ。長い時間の中で醸成されたそれは、知らぬうちに人を歪め、時として思わぬ形で他者を追い詰めるのだと、秋連は経験を通して知っていた。

 そしてはたと考える。村の人々が彼らに向けた視線にはさほどの嫌悪も悪意もなく、ただ突然の訪問者への困惑だけがあったのだと、そう秋連は思ったのだが、それは果たして正しかったのだろうか。村人が見せた不審げな表情は、突然の訪問者へのそれではなく、むしろ村の忌み子のもとへと人が訪れた、その事実に対してではなかったか。異端のもとへと訪れた存在が果たして村に善きものであるのか、それに対しての不安ではなかったのか。

 改めて秋連は銀の髪と藍の瞳という灰の容貌を見つめた。明らかに周りとは違う風貌の少年と、畏敬の対象である森に置き去りにされた少女が、閉鎖的な村でどのような存在なのか―― 

 黙り込んだ秋連に何を思ったか、少年はにこりと微笑んだ。

「とにかく今日はここにお泊まりください。お疲れになったでしょう」

 秋連は言葉を見つけられないまま、曖昧な笑顔でうなずいた。

 読んでいただきありがとうございます!

 序章はあと一話続き、その後に第一章に入ります。

 今後ともよろしくお願いいたします!

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