魔王・名古屋コーチン 〜転生OLを溺愛する彼の前世は、どうやらペットのニワトリです〜
安アパートの玄関を開けて、私はそのまま床に倒れ込んだ。
ああ、スーツが皺になっちゃう。
でも、もう限界。
時刻は午前三時。
辺りはみんな寝静まっていて、カラスの声すら聞こえない。
パンプスで足が痛いし、重い鞄で肩も痛い。
でも、あと三時間後には、また出社しなきゃ。
(……定時直前に、『これ、明日までに作っておいて』って言われた資料、なんとか仕上げたけど、不備があるかも。早く行って確認しなきゃ。
あと、給湯室の毎朝の掃除。もし忘れたら、小壺さんに叱られる……。
忙しくて昼食も夕食も食べてないから、さすがに今朝はなにか食べないと。ああ、でもその前にお風呂入って。
あれ、もしかして、寝る時間無いな)
床に突っ伏していると、フローリングの上の埃がよく見える。
最後に掃除したの、いつだったかなあ。
思わず、涙がにじんだ。
(……お父さんたちと喧嘩して、勢いで田舎を飛び出してきて……。
『東京なら何とかなる』って、信じてた私、馬鹿みたい。
コネもスキルも足りてないなら、こうやって使い潰されるだけって、全然わかってなかった。
だけど、今さら帰れないよね……)
全身が重い。
涙が止まらない。
こんなことしてる場合じゃないのに。早く立ち上がって、お風呂入って、ご飯食べて、掃除もして、出社しなきゃいけないのに。
……でも、なんのために?
体に力が入らない。
意識がぼーっと遠くなる。
目の前がどんどん暗くなる。
あれ、これ、まさか、死……。
……転生、しました。
だけど、人生ドン底のままです。
ここは、とある貴族の庭園。
私はしがない小貴族の娘として、昼下がりの屋外パーティに参加中。
色とりどりの明るいドレスに身を包んだお嬢様たち・奥様たちが、あちらこちらに集まって、軽食をつまみながら談笑している。
私は、会場の片隅で椅子に座り、縮こまっている。
……だって、みんなの笑いの種は、私だから。
「見て。レオン様、また新しい女性と懇ろよ」
「あら? 婚約なさったはずでは?」
「それが、名ばかりの婚約らしくて、愛は無いのですって」
「あらまあ。それで、あんな堂々と浮気を……」
「気が多い方ねえ」
「それで、レオン様の婚約者って?」
「確か、フレデリカ様よ。今日も来ていらっしゃるはずだけど」
「フレデリカ?」
「ほら、いつも目立たない、おどおどした子」
「ああ、ほら、あちらよ。……隅で座ってる……」
「うふふ、お可哀想に」
「それにしても、地味なドレスね。茶色よ」
「だから浮気されるのかしら」
全部聞こえてるよ……。
でも、何も言い返せない。
私とレオン様の婚約に愛が無いことも、私が臆病なことも、全部本当だから。
新しい世界で『フレデリカ』になった私は、前世と違って、親に逆らわないように生きてきた。
一人では何もできないって、思い知ったから。
だから、親が決めた婚約に従った。
でも、レオン様は、私なんかどうでもいいみたい。
パーティ会場のど真ん中、一番大きな人だかりで、レオン様は他の女の人といちゃついている。
「イザベル、君は相変わらず誰よりもきれいだ。
その薔薇色のドレス、世界一似合ってるよ」
「いやん。
レオン様がプレゼントしてくださったおかげですわ。
このルビーのピアスも、ネックレスも」
「君よりその宝石が似合う女性はいないよ」
「あら。……誰よりも?」
「もちろんだとも!」
浮気女のイザベルが、私を見て、くすっと笑った。
レオン様は、私を見もしない。
私は、情けなくて、うつむいた。
(……私のドレスも、レオン様の贈り物。
絶対着て行けって、お母様に命じられた)
でも、私のは、こんな茶色のドレス。
レオン様は、『君の髪の色に合わせたんだ』って言ってたけど、そのせいで全身茶色だよ。
それに、私にはろくな装飾品も無い。
顔立ちも、イザベルと違って、地味。
周りの人たちの笑い声が聞こえる。
恥ずかしい。
(前世で苦労したら、転生して幸せに……。
そんなご都合主義、ありえないよね。
私なんて、前世も現世も、誰にも愛されない)
地面を見つめて、唇を噛む。
……芝生を見ていたら、ふと、思い出した。
(あ、でも。
あの子だけは、私を愛してくれたな。
ピコちゃん、今も元気かな?)
ピコちゃん。
それは、私が貴族令嬢フレデリカになるよりも前。
前世で田舎の小学生・梨花だった頃、実家で飼っていた、ペットの名古屋コーチンだ。
酔っ払ったお父さんが、お祭りのカラーひよこを貰ってきたのを、私が世話していた。
(懐かしい。ニワトリって、飼い主のことを仲間だと思って、すごく懐くんだよね。
……独占欲、すごかったなあ……)
すくすくと成長したピコちゃんは、見事なトサカと尾羽根を持つ、立派なおんどりになった。
そして、おんどりというものは、自分の群れのメスを、猛烈に愛するのだ。
私がお父さんに叱られて泣くたび、けたたましい雄叫びを上げながら、お父さんに連続飛び蹴りをかましたピコちゃん。
私が携帯ゲーム機に夢中になって構わなくなると、ゲーム機に激しく嫉妬して、つつき回して蹴り倒し、液晶画面にヒビを入れた。
動物病院で予防接種を受けるとき、注射針を刺されても、ピコちゃんはどっしり構えて動じなかった。
お医者さんは言っていた。
『おんどりは、群れの女の子の前では、絶対に弱そうな姿を見せないんだよ。
君にカッコいいと思ってほしいんだね、この子は』
……思わず、涙がこぼれた。
ここには、ピコちゃんは居ない。
私は孤独な『フレデリカ』で、ここは不快なパーティ会場。
どんなに幸せな思い出でも、もう、戻ってこないのに。
(……私、どうして人間なんかに生まれちゃったんだろう。もしも、私がめんどりだったら、きっとピコちゃんと幸せになれたのに……)
いけない。貴族が、人前で泣いたりしては。
また笑われる。また叱られる。
急いで涙を拭き取った。
その時、ようやく私は気づいた。
やけに会場が静かだ。
みんな空を見上げている。
私もつられて見上げた。
そして、目を丸くした。
空から、巨大な黒い影が……降ってきた。
影は、轟音とともに、パーティ会場に墜落した!
突然の襲来に、誰も身動き一つできない。
テーブルは壊れて引っくり返り、地面は無残に抉れている。
その破壊の中心で、影がゆらりと立ち上がった。
黒い翼が、ばさりと開く。
現れたのは、威厳にあふれた男性だった。
血のように赤い髪。深みのある褐色の肌。
荒々しさを秘めた、精悍な顔立ち。
誰よりも背が高い。
たくましく鍛え上げられた肉体に、翼と同じ闇色の装束をまとっている。
貴族たちは、ざわめいた。
「あ、あれはまさか、『魔王』では!」
「なにっ、あの、巷で噂の?」
「『奥方探し』の魔王なのか……!?」
「運命の相手を探すため、各地を襲撃しているらしいわよ」
「怒ると手がつけられない暴君だとか」
「それにしても、なんて美しいの……!」
「あのお方になら、攫われてもいいわ!」
「まっ、はしたない」
「いったい誰が選ばれるんだ……?」
私は、目をぱちぱちさせた。
そ、そんなおっかない存在が居るの!?
私、友達が少ないから、そんな噂、知らないよ!
なんだか、怖い。
どうか何事もありませんように。
魔王は、ぎらりと鋭く光る眼差しで、会場の女たちを一瞥した。
ひとりひとりの顔に目を留め、小さな声で呟いている。
「……違う。……違う。……違う」
こ、怖い……。
私は、目立たないように、顔を伏せた。
だけど、少し遅かったらしい。
一瞬だけ、目が合った。
その途端。
魔王が、カッと目を見開いた。
赤毛が、ぶわりと逆立った。
ものすごい勢いで突進してきた!
「ひえっ……!?」
ほんの目と鼻の先で、魔王は急停止した。
そして、ものすごい勢いで、私の周りをぐるぐる回ってる!
何!? 儀式!?
怖すぎて、思わず立ち上がった。
何周かして、魔王は満足したらしく、私の正面で立ち止まった。
そして、嬉しそうに、満面の笑みを浮かべた。
「見つけた……!」
両肩をがしっと掴まれた。
魔王は、私に、こう言った。
「ようやく会えた……!
ようやく見つけたぞ、我が運命の妻よ!」
え。
え?
……ええっ!?
私は、目玉が飛び出そう。
会場も、一気に騒然とした。
「うそっ! あの子が!?」
「冴えない娘なのに……」
「私のほうが美人よ!」
「これは大事件だっ!」
「魔族の国は、大陸最強だぞ」
「とんだ玉の輿だな」
私は、あわてて言った。
「あのっ、だ、誰かとお間違えでは!?」
「俺がお前を間違えるものか!
俺はずっと待っていた。
そして、ずっと探していたのだ、リカ!」
……リカ?
私は、思わずまばたきした。
なんで私の名前を……。
いや、それよりも。
『フレデリカ』をそんな愛称で呼ぶ人は、この世界には、誰もいない。
魔王は赤い髪を揺らし、滔々と語った。
私の両肩を、ひしと掴んだまま。
「そうだ。忘れるものか……。
お前が家を飛び出したとき。
俺は、必ず帰ってくると信じた。
だが、一日経っても、二日経っても、お前は帰ってこなかった。
一年経っても帰らなかった。
俺は気が狂いそうだった。
お前の父が、『リカはもう戻ってこないかもしれない』などと呟いた時、俺は堪えられず、あいつを蹴り倒した……」
魔王の目の端に、涙がにじむ。
ちょっと待ってよ。
私は混乱した。
この世界で、貴族の娘になって以来、私は家出なんて一度もしていない。
だとしたら、魔王が語っているのは、『フレデリカ』のことではない。
心がざわついた。
(まさか……。まさか、この人……)
魔王は、何度か首を振って、涙の気配を消した。
そして、私に笑みかけて、強くうなずいた。
「俺は、毎日お前を待っていた。
目がかすみ、体が動かなくなるまで、ずっと。
ついに意識が途絶えたときは、もう会えないのかと絶望した……。
だが、何の不思議か、こうして会えた!
さあ、俺の城へ行くぞ、リカ!
二度とお前を手放すものか!」
魔王がぐいっと顔を近づけてきた。
あ、危ない、近すぎるっ!
おおあわてで、のけぞって叫んだ。
「あの、でも、私、婚約者がいるので!」
魔王の動きが、ぴたりと止まった。
「……こん、やく、しゃ……?」
魔王の瞳から、光が消えている。
怖すぎる。
私は必死でうなずいて、ある方向を指差した。
パーティ会場の真ん中。
レオン様のいる場所。
あ、レオン様、土まみれで尻もちついてる。
爆心地だったもんね。
「……あの、ふざけた男が……」
「ええと、ふざけてるかわかりませんが、彼が」
「……リカの……婚約者だと……?」
「あの、はい、一応、婚約者です」
「…………」
魔王の手が、ゆっくりと私から離れた。
小刻みに震えている。
彼は、大きく息を吸い込んだ。
そして。
「……ふざけるなああああああああ!!!」
こ、鼓膜がっ!!
誰もが耳を押さえたその瞬間、魔王はすでに大地を蹴っていた。
目にも止まらぬ突進。
そして……レオン様に、飛び蹴りしたっ!?
「貴様、貴様、貴様などがァッ!
リカと!
リカとッ!
この、俺の、リカとォッ!
婚約だとおおおおおおお!!
誰が貴様などに渡すものかああああああ!!」
「うぎゃああああ!?
痛っ、いだっ、た、助けてくれえっ!」
「消えろ、消えろ、消えろ!!
俺は絶対に認めないッ!」
魔王、蹴ってる! 叫んでる!
ものすごい勢いで、レオン様を蹴ってる!
(こ、これはまるで、前世で私がお父さんに叱られた時、私の代わりに逆ギレしたピコちゃんの、先手必勝急襲攻撃だ!)
私の婚約者のレオン様は、浮気女のイザベルに泣きついた。
「イザベルっ、助けてくれえ!
ま、魔王に殺されるっ!」
「ええっ!? む、無理ですわよっ!」
「頼むよ! ドレスも宝石も買ってやっただろ!?」
魔王は、再び動きを止めた。
「貴様、まさか……。
俺からリカを奪っておきながら……。
他の女にも色目を使って、浮気しているのか!!」
魔王の両目が、鋭く光った。
黒い翼が大きく開き、辺りに魔力が集まっている。
……竜巻だ!
「しかも、危地において、女に助けを求めるとは!
女を守ることこそが、男の役目であろうが!!
男の風上にもおけぬ腑抜けがあああァッ!!」
「ひいいいっ!?
痛っ、痛っ、砂がっ!
許してくれええええっ!」
「ちょっとレオン様、あたしまで!
いやああっ、ドレスが破けちゃうッ!
砂まみれになっちゃううう!!」
ああっ、魔術の竜巻が!
レオン様とイザベルを、砂まみれにしている!
(こ、これはまるで、前世で庭の警備をしていたピコちゃんが、いたずらカラスを追い払うときの、必殺砂掛けステップだ!)
半泣きのレオン様は、大声で叫んだ。
「くそぉ、これも全部フレデリカのせいだっ!
あの地味女は、疫病神だあっ!」
魔王の赤髪が、炎のように逆立った。
怒髪天だ。
「貴様……よりにもよって……。
リカを……。
この俺の、愛するリカを……!!」
空は真っ黒に染まり、雲は渦を巻いている。
魔王の全身を、火花が包んでいる。
魔力の奔流が荒れ狂っている!
さっきまでの竜巻の比じゃない!
「……殺してやるぞおおおおおお!!!!!」
魔王は、右手を高々と掲げた。
そこには、黄金の雷光の槍!
(こ、これはまるで、前世で家にゴキブリが現れた時、激怒してカーテンに穴を開けたピコちゃんの、殺人ついばみ……!)
あの時、哀れなゴキブリの死体はバラバラに散らばり、私たちは涙目でそれを片付けた。
このままだと、レオン様たちが、ゴキブリみたいにバラバラになっちゃう!
私はあわてて飛び出した。
そして、魔王の前に立ち塞がった。
「やめて!
……ピコちゃん、やめなさいっ!」
魔王は、ぴたりと動きを止めた。
怖い。
でも、きっと、怖くない。
私は勇気を出して、彼の胸元をちょんとつついた。
彼をなだめるとき、いつもそうしていたように。
「ピコちゃん……なんだよね……?
暴れちゃダメだよ。
私、いつも言ってたでしょう?」
「……リカ……!」
雷の槍が消えた。
異様な竜巻も。
魔王は……魔王ピコちゃんは、涙目になって、私を抱きしめてきた。
私も、ぎゅっと抱きしめ返す。
「リカ!
そうだ、俺だ!
ようやく分かってくれたか!」
「ピコちゃん……!
あなたも、転生していたのね。
嬉しい。会いたかった……!」
「俺もだ。ずっと、ずっと会いたかった。
ずっと待っていた。
それでも、会えなかった。
だから、こうして、会いに来たのだ!」
ピコちゃんは、私を見つめて、改めて言った。
「リカ。
俺の妻は、昔も今も、お前だけだ。
俺と来てくれ。幸せにする!」
「ピコちゃん……。
うん、連れて行って。
私、あなたと幸せになりたい……!」
そこへ、情けない声が割り込んできた。
「な、何を言ってるんだ、フレデリカ。
俺との婚約はどうするんだよ!
というか、この怪我、この汚れ!
弁償しろよっ!」
地面に這いつくばったレオン様だった。
服も体もボロボロだ。
私が何か言う前に、ピコちゃんが「ふん!」と鼻を鳴らして、レオン様を蹴り飛ばした。
「貴様などが、リカにふさわしいわけがあるか!
貴様の婚約など破棄だ、破棄!
失せろ!」
(あ、婚約破棄の台詞、ピコちゃんが言うんだ……)
「リカは貰っていくぞ!
案ずるな、幸せにする!」
ピコちゃんは、私をひょいと抱き上げると、力強く羽ばたき、その場を去った。
ものすごく砂を巻き上げながら。
咳き込むレオン様とイザベルの姿は、どんどん小さくなっていった。
あれから、もう数十日。
私は、天空の魔王城で、幸せに暮らしている。
噂好きの渡り鳥が言うには、あれからしばらく、レオン様とイザベルは「魔王に砂を掛けられた二人組」として、社交界で笑いものになったらしい。
部屋に、ノックの音が響く。
「リカ。支度はできたか」
ピコちゃんが部屋に入ってきた。
燃える赤髪、褐色の肌、黒い羽根。
……とっても名古屋コーチンだ。
彼は、優しく目を細めた。
「綺麗だ、リカ」
「えへへ。……ありがとう」
私の今日のドレスは、純白。
……そう、結婚式なのだ。
小鳥の魔族たちが、ぱたぱたと周りで支度してくれている。
そんな彼らの目の前で、恥じらいもせず、ピコちゃんは私を抱きしめた。
……わ、私はちょっと、恥ずかしいんだけどな。
「リカ」
「な、なあに?」
「どこへも行くな」
「……うん、行かない」
「ずっと一緒だ」
「うん。今度こそ」
胸がいっぱいになった。
前世で、私を待っていてくれたピコちゃん。
現世で、私を探し続けてくれたピコちゃん。
大好き、ピコちゃん。
絶対に、一緒に幸せになるんだ。
「リカ。お前に、言っておきたいことがある」
「なあに、ピコちゃん?」
ピコちゃんは、真剣な顔をした。
きりっとしていて、すごく凛々しい。
私も、まっすぐ見つめ返した
……そして、直後に、ずっこけた。
「子どもは、毎日一人ほしい!」
う、嘘でしょ。
頭が痛い。
でも、そうだよね。ニワトリだもんね。
「……あのね、ピコちゃん。
人間は、そんなに卵産まないわ」
「なんだと」




