7 ベートーヴェンを合奏?
「ただ、欲を言えば」
「欲を言えば?」
「いや、いいんだ、そんな私のヴァイオリンなんて聞けたもんじゃないからね。」
「え?そんなに自分を卑下しないで、言ってちょうだい。絶対に笑ったりしないから。」
「うん、じゃあ。ベートーヴェンの「春」って普通ピアノと一緒に演奏してるじゃない。」
「そうね。それで?」
「やっぱりあの曲ってヴァイオリンだけで弾いているよりも、絶対ピアノと一緒の方が楽しいと思うんだよね。」
「ネットか何かでピアノだけの音源も手に入るんじゃないの?」
「かもしれないけど、欲を言えば」
「あっそうか、生演奏がいいってことね。じゃ、私の家に来てよ。一緒に演奏したらきっと楽しいと思うな。」
「そんな風にできたらいいなとは思うんだけど、私はしょっちゅうつっかえるから、響子ちゃんはつまらないしイライラしちゃうんじゃないかな。」
「私、気長に待てる方だから大丈夫よ。」
「それに私が行ったりしたらご両親が迷惑なんじゃないかな。」
「私、実家は金沢なの。もちろん、両親はそっちに住んでるわけ。だから大丈夫。
私の実家は割と裕福だから、東京にも小さな家を持っていて、私は上京してその家に住んでるってわけ。」
英介は内心狼狽気味だった。何故なら両親が一緒に住んでいないということは二人っきりになるということだし、そうなったら危険だと思うからだ。
英介と響子はまだそんな関係では全然ない。英介はこのガールズバーに飲みにきて、そしたらたまたま響子に出会って話しているというだけのことだ。響子は箱入りお嬢さんで、男と二人っきりになったら危険だと思わないのだろうか。
英介が何と言ったらいいか分からなくてもじもじしていると響子が
「じゃ、今度の日曜日に私の家に来てよ。時間は10時がいいわね。場所はラインで連絡する。そうだ、ライン交換しようよ。QRコードで。
はい、スマホ出して。あら、私と同じiphone12mini じゃない。私のはレッドだけど、あなたのはパープルか。おしゃれね。あら、あなたもケースとかつけないでそのまま使ってるのね。あたしも同じ。さあ、これで連絡取り合えるわね。」
英介があっけに取られているうちに響子はどんどん話を進めていく。今度の日曜日は特に予定はないので行けることは行けるのだが、本当にこれでいいのだろうか。
響子とは今日で会ってまだ2度目、それも二人きりで会っているわけではない。2度会って少し話をしただけなのに自分の方から今度家に来てなんて、よほど男性遍歴があって慣れているか、または男と女がどんな風になってしまうかドラマや映画とかで見ていなくて無防備かのどちらかだ。
どう見ても前者とは思えないから後者に決まってる。どこか都内でスタジオを借りてもいいのでは、とも思うが、個室で二人っきりになるという点では同じだ。
ただそれにしてもこの場合はただ何となく遊びに行くのではなく、ヴァイオリンとピアノを合奏するという明確な目的がある。目的に集中すればいい、と自分に言い聞かせて響子の申し出を承諾した。