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逃げ出せます、むしろ逃げます

 絶体絶命の状態で膠着してしまった状況を破ったのは朱旺だった。

 朱旺はスズに頼まれたでかい板を持ってスズを探していたのだ。息子の部屋へ行ってみれば見張りの親衛隊はいなくて、中にも人はいない。その辺にいた人に聞いてみれば二人でお茶をしに行ったとか。しかし、そこに行ってみても人はやはりいなくて、どうしようかと歩いていた時にこの騒ぎを聞いたのだった。

 そして来てみれば、そこでは互いににらみ合い、けん制しあう状態となっていたのである。


「む、朱旺。貴様何をしにきた」


 朱旺にいち早く気付いたのは親衛隊から朱旺のことを聞いた息子であった。

 口調からはさっさとどこかへ行け、といったものが感じられる。または、自分の味方をしろ、だろうか。それをあえて無視して朱旺はスズへと近寄っていく。


「特使殿。昨日頼まれたもの、確かにお持ちしました」


 それは少し古ぼけてはいるが丈夫そうな板だった。大の男が二人乗っても問題ないと感じさせられる大きさと厚さをしていた。スズはそれを地面に置くようにと指示した。


「ありがとうございます。朱旺さん。ところで、風の魔法は使えますか?」


 スズはちらりと前後を確認しながら朱旺にそうたずねた。聞かれた朱旺はなぜそんなことを聞くのかと思った。スズは魔法が使えるものだと思っていたからだ。

 じりじりと息子と親衛隊がスズに、後ろからは帝とまだ無事な兵士が梓を狙って近寄ってきている。


「ちょっと使ってくれませんか? そよ風程度で十分ですから」

「まあ、いいですけども」


 そよ風程度の風を言われたとおりに魔法を使って起こした。

 心地いい風が吹く。


「『わが声に従い、浮かせろ』」


 風を確認したスズがそう言うとそよ風がやみ、地面に置いた板が段差一つ分ほどだけ浮かび上がった。突然浮かび上がった板に驚いて動きを止めた周囲を気にせずスズは板に乗り、梓にも乗るように言う。男二人が乗っても大丈夫そうな板である。少女二人が乗ったところで壊れるようなことはなかった。

 一番驚いていたのは朱旺である。梓に魔法を消されたときも驚いたが、今はまるで自分が発動した魔法を奪う、乗っ取られるような強引な感じを受けた。

 こんなことが可能なのか。いや、可能なのだろう。スズはそんな朱旺の胸中など気にせずに板の向きを変えている。


「朱旺さん。ありがとうございました」


 スズは丁寧に頭を下げて黙礼をする。梓は声を出して礼をする。


「朱旺さんのおかげで、私は帰ることができそうです。朱旺さんにかばってもらっていなかったらと思うと……。本当にありがとうございました」

「だそうですよ。梓、落ちないように気をつけてね。『荒れろ』」


 先ほどのそよ風とはうって変わって立っているのがやっとなほどの突風が発生する。

 その突風の中、スズが何かを言った気がしたが、朱旺からは口が動いたことしかわからなかった。しかし、その内容を板が理解したかのように板は滑らかに動き出す。強風の影響を感じさせない滑らかさと勢いで板は動いていく。馬車もびっくりな速度が出ていただろう。

 それを見て、大声を張り上げた帝や息子はすぐさまあの二人を追うようにと命じる。その一方で帝はいまだに動けずにいる《仮面》のメンバーの捕縛も命じた。

 正直追いつくことはできないだろうと朱旺は思った。あれを追える馬なんていないし、この国には馬よりも速い移動手段はない。この国から出るのならば西への船が唯一出ている港町、西橋(せいきょう)へ行くのは間違いないだろうが、そこまでスズたちが先ほどの速さを維持できるのであれば絶対に追いつけないだろう。

 見苦しくもあがき続ける国のトップを見ながら朱旺は思った。このままでは駄目になるだろうと。あの《仮面》の連中は表立ってきた氷山の一角に過ぎない。はるか昔、今となっては数える事すら億劫になるほど昔の民族同士の激しい争いを制し、煌家(こうけ)が帝としてこの国の基礎を作り上げた。それから何度もの反乱をすべて鎮圧してきたその末裔が今の帝とその息子。

 多少の歴史による誇張があったとしても彼らからは歴史上の偉人達から感じるような魅力はない。朱旺は転職を本気で考えることにしようと決めた。

 まあ、今回の件の伝手で、スズの家でもあるレイゾイールにでも就職できたらいいなと計画を立てながら朱旺はその場を後にした。

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