とらわれのお姫様には王子様が助けに……
スズが、朱旺から石を受け取る数時間前。その日の昼のことであった。
ここは帝の部屋。梓は一人、痛みに体を小さくしていた。この二日間、梓は帝から暴力を受けていた。性的なものでないことだけが唯一の救いだった。痛みを感じなくなったかと思えば思い出したかのようにひりひりと痛み出す感覚に、梓は何度目かも分からない涙を流した。
「帰りたいよお……」
暴力によってぼろぼろになった服。自分の体を抱きかかえるようにして小さくなって、梓は泣き続けた。
あの、茶髪の、明るく笑って自分の手を引いてくれたスズに、また会いたい。
つい先日までの状況が夢のように思えてくる。
「こっちが夢の方がよかったよお」
涙のしょっぱさと、感じる痛みが夢でないということを示している中、梓はひたすら泣き続ける。この場には梓以外の人間はいない。趣味の悪い豪華な部屋。今もその豪華さを示すかのように梓がいる床にはカーペットが惹かれている。
泣くのにも疲れて横になる。やわらかいカーペットはやさしく梓に触れ、それだけで安心してしまう。枯れたと思った涙が安心のせいかまたこぼれてくる。
「ふええ……」
《いつまで泣いてやがる。このヘタレ!!》
「だってえええ」
ハルが何か言っているが梓には届いていない。むしろ声をかければかけるほど泣いてしまうのだ。
《ちっ。とりあえず黙れ!!》
「うええええええん!!」
わがままを言う子供のようにうつぶせになって泣き続ける梓。ハルの方はもしも体があれば一発、梓を殴りたい気持ちになってくる。女だからと言っても今の梓はそれだけ見るに耐えなかった。
《いい加減に、しろおおおおおおお!!》
今までのように内から響くような声ではなく、外から耳に聞こえきたような怒声に梓はびくりと体を震わせて泣きやんだ。
「ハル?」
思わず、見たこともないハルの姿を探したが見当たらず、見えない不安からさらに泣きそうになったところに再びハルの怒声が響いた。
《いい加減にしろよ!! 今日の朝からずっとその状態じゃねえか!! 昨日はまだ耐えてたってのに今日のこの様は何だよ!!》
「だって、だって。痛いし。スズさんもいないし。あの人は怖いし……」
《それは否定しねえけどな。今は痛覚がねえから分からないが、確かにあいつは怖かったな》
「なら、分かるでしょ!!」
ヒステリックな叫びに対して、外から誰かがやってくることはない。この部屋には今、誰も近づかないようにとの命令が下っているからだ。ただし、梓が死ぬと困るので食事だけはちゃんと用意される。つい先ほども、何とかして口に物を入れて胃の中に入れたのだった。
たった二日ですっかり憔悴してしまい、今の梓からは二日前の明るさがまったく感じられない。どれだけ帝の暴力がひどかったのかをその様子が物語っているようであった。
しかし、そんな梓の悲痛な叫びに対してハルは無情にも突き放した。
《だからってめそめそ泣いてて解決すんのかよ!!》
《その通りですわ》
第三者の声に、梓はうつぶせの状態から一気に上半身を持ち上げた。きょろきょろと顔を動かし、先ほどはハルを見つけられなかったこの部屋の扉の前の空間には十歳ほどの幼女が宙に浮いていた。
幼女は彼女の身長より長いこげ茶の髪に、まるで森を思わせるような深い緑の瞳。服装は白いワンピース。スカートは何枚ものレースを重ねてあるようでふんわりとした印象があった。
《確かに、そちらの方がおっしゃるとおりですわ。梓様、でよろしかったでしょうか?》
幼女はすべるように梓に近づき、優しく微笑んで戸惑う梓の前に立ち、礼をした。
その礼もきちんとしつけられた、梓にとっては映画の中でしか見たことがなかった中世の貴族のようなもので、スカートを持ち上げて深々と頭を下げられた。
《主様より命じられて参りました。風姫とお呼びくださいませ》
「え、えっとはじめまして。吉住梓です。ここへは何をしにこられたんでしょうか」
ついついつられて敬語になってしまい、緊張のためか硬くなっている梓に苦笑し、風姫は目的を告げずに、さらに一歩近づき梓を抱きしめた。
抱きしめられる瞬間、帝からされていた暴力を思い出し身を硬くしたが暴力を振るわれることはなかった。むしろ落ち着いたくらいだった。
《私の力ではそこまで強力な治癒はできませんが、梓様を落ち着かせるくらいなら余裕ですわ。大分、落ち着かれたかと思いますが、いかがでしょう》
「ありがとうございます」
《で、お前は何をしにきたんだ?》
風姫と梓。二人の間にほんわかとした空気が漂ってきたところにハルが割り込んでくる。
風姫はそれまでのやさしそうな笑顔をきゅっと引き締め、用件を告げようとした。
《ええ、そうですわね。主様からは梓様の護衛と、こちら》
出されたのは小さな緑の石がついたネックレスである。よくよく見れば石は風姫の瞳の色と同じ色である。
しげしげと受け取って眺める梓に風姫が説明をする。
《スズ様にも同じようなものが渡されますわ。そうなればそれを介して会話ができるようになるのです》
「へえ……」
絶望の中、ようやっと見つけた、与えられた希望に梓の表情は目に見えて明るくなった。
うれしそうにそのネックレスを握り締める。握り締めた後、風姫にそれをつけてもらい、再び強く握り締めた。
《あともう一つ。護衛の話なのですが、それはもう一人の方に頼まれた方が良いと思います》
もう一人に心当たりがない梓は風姫にそれを尋ねると、風姫はどうして気づいていないのだろうという表情をして梓を指差した。
自分のことかと驚き、確認する梓に風姫は首を振った。違います、そう言ってさらに言葉を続けた。
《梓様の中にいらっしゃるお方ですわ。私よりもよほど守りに長けた力をお持ちのように伺えますが……》
「ハルのこと……? そんなことが分かるんですか?」
《ええ。私は力があるといいましても所詮は精霊でございますが、そちらの方は神なのでしょう?》
所詮、精霊という基準が良く分からないが、風姫には梓にくっついているハルが神だと分かるらしい。
一方のハルの方は照れたように、恥ずかしながらと言っている。都合のいいやつ、とは思ったがハルの力はたしか使えないはずである。そのことをハルに確認しつつ風姫に伝えるとハルがそれを否定した。
《や、大丈夫だ。なじんだって表現がしっくりくるんだが、今なら力は使える。ちょっとお前の協力がいるが、いいか?》
「大丈夫。何をやればいいの?」
二人の会話を聞いて風姫が梓から少し離れた。
そういえば彼女はなぜかハルの声が聞こえている。そのことを不思議に思ったもののたずねずに、ハルの言うことに意識を傾けた。
そして、梓はハルに言われたとおりに行動する。簡単な言葉を言うだけだったのであっという間だった。




