魔王と勇者の老後二人旅 〜ハイファンで水戸黄門やっちゃいます〜
女戦士ウィルゼンブブーは酒屋「大勇者亭」の壁に貼ってあったチラシを、陶磁器のように白く、ほっそりした指で叩いた。
「これは何かな?」
ヴィルゼンブブーの外見は、ハイフット族の17歳ほどだ。しかし、彼女はハイフットではありえない。耳はエルフのように尖り、黒髪からは鬼族のように短い角が突き出している。全身から若々しく、燃えるような生命力を放射しており、いかにも駆け出しの女冒険者といった風情だ。
彼女の問いかけに、給仕係の少年が一瞬引き攣るような顔をした。
彼は、パッと見はハイフットだが、口の端からは小さな牙がのぞいている。
「『大勇者様の御子様祭り』、この世に平和をもたらした勇者様のお子様を見つけるお祭りですよ。勇者様の四人のお子様は、魔王との戦いのさい、自らのお命を神に捧げ、勇者様を力を与えました。戦いから十年が経ってます。勇者様は転生したお子様たちを探していらっしゃるので、そのお手伝いをするんです」
「へえ、このあたりじゃ〝そういうこと〟になってるのか。面白いなククルゼン」
ウィルゼンブブーは向かいに座る老人にいったが、彼はうつらうつらして答えない。
彼女はテーブルの下で彼の脚を蹴った。
ククルゼンが「おお」と目を覚ます。
真っ白な髪と真っ白な髭を長々と伸ばし、御伽話に出てくる古の魔法使いの風貌である。ハイフット族としては高齢であり、灰色のローブから突き出した手足は枯れ木のように痩せている。
ククルゼンはゆっくり瞼をあけると咳払いした。
「そうさのお。この大沼トカゲの煮込み肉はまことにうまい。よく煮込まれて柔らかいから、わしのように歯の弱った人間にも食べやすいのお」
ヴィルゼンブブーがまた脚を蹴る。
「ボケすぎだろう。だれもそんなことは話していないぞ」
ククルゼンがゲホゲホとむせてから、しばらくの間目線を彷徨わせ、また口を開く。
「少年よ。魔王という呼び方はよくない。それは魔族の頭領を指す言葉だ。君も知っての通り、魔とは一方的な見方に過ぎない。どの種族も自分たちこそが正当な〝人〟であり、多種族を〝魔族〟だとした。そうした偏見が長きに渡る戦乱をもたらしたのだからのお」
「ぼくもそう思います」少年が頭を下げる。「でも、この街じゃーー」
「こら!半分オークの餓鬼!何サボってんだ!」
店の奥から、少年の言葉を遮るように店主の怒号が飛んだ。
ククルゼンが目を細める。
「いかんのお。ああいった輩がようやく成し遂げられた平和を台無しにするのだよ。どれ、わしがいってきかせようか」
少年が慌てて手を振った。
こんな痩せた老人では、筋骨隆々とした店主に殴り倒されるのがオチだ。
「大丈夫です。たしかにこの街は魔族に厳しいです。領主様がハイフット族を優遇してますから。種族平等のおフレも守られていません。でも、大丈夫。もうすぐお国の偉い人が来ますから」
「へえ」ヴィルゼンブブーが片方の眉をあげた。「誰が来るんだ?」
「東方鎮守府第十三管区副司令官代理補のビーナマン・スワイトン氏です。御子様祭りの判定人としていらっしゃるんです。御子さま候補といえる出場者がいれば、都に推挙してくれます」
「へえ〜。だれ?」ヴィルゼンブブーがククルゼンを見る。
彼がかぶりをふる。
「名前からするとハイフット族らしいが、同族だからといってわしが何でも知っているわけではないよ」
少年がいう。
「ビーナマンさんは、魔王討伐にも参加なさった偉大な戦士ですよ。ぼくは祭りに参加して、ビーナマンさんに直接、領主様の非道を訴えようと思うんです」
「そいつはいい!」
ヴィルゼンブブーは少年の背中を叩いた。
瞬間、彼女の脳裏にかつての記憶が蘇った。
そのとき、彼女はククルゼンと剣を交えていた。ククルゼンは今のように老いさらばえておらず、若く、たくましく、強かった。ハイフット族・ハイエルフ族連合軍の指揮官であり最強の戦士であり、全軍の象徴たる〝勇者〟だった。
一方のヴィルゼンブブーは少数種族連合軍の総大将を務めていた。彼女もまた自軍の〝勇者〟であり、侵略して来た魔王ククルゼンの大軍を迎え撃ったのだ。
戦闘は三日三晩におよび、ついにククルゼンの魔剣ストームブリンガーが彼女の心臓を突き刺した。
地に伏し、途切れかける意識のなか、彼女は配下の四天王たちがククルゼンに立ち向かうのを見た。彼らが命を賭してククルゼンを足止めする間に、彼女の子のうち十人が、自らの心臓を撚り合わせ、彼女のために新しい心臓を生み出した。
「やめて」彼女はそう叫ぼうとした。しかし、死にかけた体は言葉を発することができなかった。傷ついた心臓が取り除かれ、新しい心臓が胸郭に収められた。十人の子供たちの命を集めた心臓は強大な魔力で身体の各所の傷を再生した。
身を起こした彼女は泣きながら子供達を抱き起こした。一人を除いて全員が生き絶えていた。かろうじて息があったのは末息子のラクルナラだ。まだ四歳だった彼は、小さな手で彼女の手を握った。そして「母様、またぼくたちを産んでね」といって生き絶えた。
彼女はククルゼンおよび彼の軍団を打ち倒し、その上で講和を申し出た。ククルゼンは了承し、概知世界すべてを統一する新国家建設が始まった。そうして、すべての種族を平等とする新世界が生まれ、六十年近い年月が流れた。
だが、大戦で死んだ子らが戻ってくることはない。
大勇者にして大魔王のヴィルゼンブブーであっても、死んだ子らをもう一度産み落とすなどできるはずもない。彼らの魂は輪廻し、世界のどこかで新しい命として生まれ落ちた。
だから、世界がようやく落ち着いたこの時期、彼女はどこかで新しい生を生きているだろう彼らを探そうと思いたったのだった。
ふつうならば見つけようがないが、彼女の心臓には子供たちの魔力を宿っている。そして、魔力の個性は転生しても受け継がれる。ゆえに触れれば共鳴により判別可能なのだ。
半オークの少年に背に触れた瞬間、ヴィルゼンブブーはそれと分かった。即座に涙と鼻水が滝のように溢れ出した。だが、言葉を飲み込み、そのまま厨房に急ぐ彼を見送った。
「うおおお」と口の端から声が漏れたのは、少年が完全に厨房に引っ込んでからだった。
ククルゼンが真っ白な両眉をあげた。
「おいおいおい、まさかもう見つけたのか?」
そう言いながらハンカチを差し出す。
ヴィルゼンブブーは受け取ると涙を拭い、遠慮なくハナをかんだ。
「間違いない。あの子は末息子のラクルナラだ」
「ほっ!重畳!しかし、なら何故名乗り出なかったのかね?」
「できるもんか。あの子はラクルナラの転生者だが、この世にはあの子の親がちゃんといるんだ。前世の母親だよ、なんていえば混乱させるだけさ。わたしは、あの子がちゃんと元気に生きてる姿を見られたならそれでいいのさ」
「なるほど、その気持ちは見上げたものだが、あれはいいのかね?」
ククルゼンが厨房を指す。
そこでは、店のオーナーと思しきオーナーに少年が頭を叩かれていた。かすかに、少数種族を侮辱する文句が聞こえてくる。
ヴィルゼンブブーの黒い瞳が一瞬で紅に染まった。彼女の感情が昂ったときに表出する変化の一つである。本来ならば、髪色および角色も変わるはずである。しかし、彼女はどうにか自己を抑えた。
「あの子は明日のお祭りとやらで、お上に訴え出るつもりなんだ。その決意に水をさすのは野暮というものだろう? それに、わたしが魔力を漏らしてしまうと、四天王どもに居所がバレてしまう。心配したがり連中のことだ。即座にこの旅が終わってしまうじゃないか。わたしは十人皆の今を確認するまで帰りたくないんだ」
彼女は深呼吸を繰り返した。
瞳が黒に戻る。
「まずは、あの子が明日の晴れ舞台でここのクソ領主とやらをやり込めるのを見届けるとするよ」
しかし、ことはそううまく運ばなかった。
ーーーーー
祭りの当日、ラクルナラの転生者こと、半オーク少年のガブリが中央広場に設けられた壇上に登ると、群衆から失笑が漏れた。
誰かが、
「勇者様のお子様がオークなどに転生するわけないだろ」というと、
別の声が「オークの子は馬鹿だから、その程度の分別も持たないのさ」
と答え、失笑は爆笑に変わった。
壇上に並ぶ、ガブリ以外の七名の挑戦者はもれなくハイフットである。いずれもハイフットの基準では見目好い男女であり、金のかかった装備に身を包んでいる。ひときわ体格が良く、凝った鎧を身につけている領主のおい、ハーネスト・ルンバローテは、隣に立ったガブリを蔑みの目で見下ろした。
「カスの亜人が祭りを汚すんじゃねーよ」と、本人に聞こえるように毒づく。
この祭りにて御子候補となった子どもは、帝都にある軍士官学校への推挙枠を手にできる。過去、この街の御子候補で試験を突破して入学までたどり着いたものはいなかったが、ハーネストは自分が最初の一人になると確信していた。
なにしろ、戦争の英雄にして、今回の祭の裁定者でもあるビーナマン・スワイトン氏じきじきの指導を受けてきたのである。剣技も魔法も帝都の近衛兵団に匹敵する、とお墨付きを得ていた。
とはいえ、じつのところ、このビーナマン氏は件の最終決戦には参加しておらず、ハイフット族の糧秣管理の一部を後方で担当していたにすぎない。むろん、辺境の街の警備兵などに比べれば十分な腕を持っているが、英雄などとは程遠い人物であった。こうして、祭りに足を運び、謝礼の対価として選ばれた御子を推挙はするものの、中央への影響力など皆無に等しく、彼が推挙した人間が軍学校入学にたどり着いた例はない。それでも、「都の学校は本当に選抜が厳しいのですよ」といっておけば、実情を知らない人間は信じてしまう。
もちろんビーナマン氏は、下級官吏とはいえ、現在、帝国の頂点に立つのがハイフット族の勇者ではないことくらいは承知している。しかし、そんな事実をこのハイフット勢力圏の奥地の街で開陳してどうなるというのか。この街の人々は、ハイフット族が世界を征し、その寛容さで愚かな魔族たちを赦し、現在の平和と繁栄を築いたと信じている。寛容を示したのは魔族の側だったと知らされても、驚き、怒りはしても、喜ばれることはないだろう。
そういうわけで、ビーナマン氏は審査員席に腰を落ち着け、地方領主にしてハーネスとの叔父であるルンバローテ氏と並んで、苦々しい思いで壇上でのガブリの活躍を眺めていたのだった。
御子としての選抜は、壇上での模擬試合トーナメントによって行われる。ハーネスが勝ち上がったのは当然といえたが、ガブリの強さには誰もが驚きを隠さなかった。
ガブリは剣の練習などしたこともないのだろう。模造刀を構える姿はぎこちない。それでも、刃を交えればあっという間に相手の剣を弾き飛ばしてしまうのである。生まれ持った莫大な魔力が全身を強化しているのだ。
ガブリが勝つたびに会場は陰鬱な沈黙に包まれた。大喜びで拍手しているのは、隅で観戦するヴィルゼンブブーくらいのものである。
彼女は「いまのを見たか?なんて才能のある子だ」とククルゼンの脇を肘で何度もつついた。
ククルゼンは彼女をあしらいつつ、面倒なことになりそうだのお、と内心気が重かった。
この街のハイフットたちは少数種族への差別意識が強い。この人数のそれがヴィルゼンブブーの転生した息子に向けば、どうなることか。
ヴィルゼンブブーは強者ゆえの鈍感のせいで、他者の害悪に気づくことが少ないが、種族差別に厳しい感情を持っている。昨年、西の大海でハイエルフを商品とした魚人族の奴隷貿易を取り締まったときなどは、下手人全員がシーサーペントの餌になった。
決勝はガブリとハーネスの組み合わせとなった。
二人は模造刀を手に向かい合った。
領主が「オークのガキなど一捻りにしてしまえ!」と叫ぶと、ハイフットの観衆が一斉に吠えた。
ハーネスは如何にも正統派の騎士然としていた。
均整のとれた体格にミスリル製の美しい防具。
手にした模造刀すら真剣のごとく輝いている。
それに対し、防具なしで、模造刀も錆だらけのガブリは如何にもみすぼらしい。
ハーネスが動いた。
刃が一閃すると、ガブリの肩から血が飛んだ。
観客の一人が「なんという腕前!模造刀で切ったぞ!」と歓声を上げる。
ガブリも呆然とする。
これまでの対戦相手の一撃は、まともに入っても、魔力によろわれた彼の肌に跡すら残せなかったのだ。
本物の剣士とはこうもすごいの!?と背筋に汗が吹き出す。
ガブリが切られたのはハーネスの剣こそまさに真剣だったからなのだが、気づいたのは貴賓席のビーナマン氏と、ヴィルゼンブブーの隣に立つククルゼンだけだった。
ハーネスが剣を振るうたびに、血が飛び散り、観客が沸く。そして、ヴィルゼンブブーは自らが斬られたかのように「あー!」「ああっ!」と声を漏らした。
ビーナマン氏が静観したのは、彼が生来の差別主義者であり、半オークの子供の命などどうでもよかったからである。
そして、ククルゼンが静観したのは、ハーネスの剣はガブリの皮膚を裂くのが精一杯で肉には到底届いていないことに気付いたからである。
ハーネス本人もそれに気付いていた。それなりの角度で刃が入っているのに、ガブリの肉に弾かれてしまうのである。
そして、焦りが剣の振りを粗くした。
「せやあ!」と気合を込めた大振りに、ガブリがタイミングよく己の剣を合わせた。
ハーネスの剣が刃の中ほどで折れた。
ガブリは錆びた模造刀で、真剣を「切った」のである。
みごと、みごと。ククルゼンは内心で軍配をあげた。
ヴィルゼンブブーは拍手をしながら飛び跳ねている。
勝敗は決した。会場のハイフットたちがため息をついた時、ビーナマン氏が「待たれよ!」と声を上げた。
彼は素早く舞台にあがると、ガブリを殴りつけた。
ガブリは倒れ伏し、手から模造刀がこぼれた。
ビーナマンはそれを拾い上げると観衆に見せつけるように掲げた。
「諸君! 模造刀で模造刀を切ることができると思うか? できるはずがない! ではこのオークはなぜそのような真似ができたのか! それはこの剣が真剣だからである!」
ビーナマンはそのまま模造刀を床板の留め金に打ちつけた。耳障りな金属音と共に模造刀が砕け散る。
「諸君! このオークは神聖なる祭りを汚した。すなわち皇帝陛下の名誉に泥を塗ったのである。このようなことは許されてはならない」
民衆に火がついた。
「失格だ!」「勝てないからと小細工しやがって!」「豚人間のガキをぶち殺せ!」と怒号が飛び交う。
そのなかでヴィルゼンブブーが「なんだこいつら?あの子が不正なんてするはずないだろう」と毒づいた。
舞台ではガブリが身を起こし、身の潔白を訴えた。
「ビーナマンさん!ぼくは真剣なんて使っていません!」
「では、なぜハーネストくんの剣が切れるのだ。模造刀で剣を斬るなどできるはずがない」
「でも、切れてしまったんです!」
「これだからオークというものは。観衆の諸君、彼らはこのように生まれつき嘘を付くのに躊躇しない生き物なのだ」
人々のボルテージがさらにあがる。
ガブリはここに来て、ビーナマンに民族平等を訴えようとしていた自分のマヌケさを思い知った。目の前の男はハイフット至上主義者だ。
それでも彼の中の正義心が口を動かした。
「オークだから嘘をつくなどというのは偏見です」
「偏見などではない! 貴様らには正義も誇りもない。生まれついての邪悪、卑怯、卑劣、あのときーー」
ビーナマンは続く言葉を飲み込んだ。ーーあのときハイフット・ハイエルフ連合軍が敗れたのは、魔王軍が姑息な手を使ったからだーー。
彼は咳払いした。
「貴様らのように卑賎な種族に正しさを言葉で説いたとて無意味だろう。こういうときは力でしつけてやるものだ」
彼は右腕に聖なる力を集中した。聖なる力、魔力、神気、恩寵、霊力、波動、種族によって呼び名は異なるが、肉体に宿るそれを操ることで、肉体を強化できる。一人前の戦士が拳に集中させれば一撃で相手を撲殺することもできる。
ガブリは生まれつき莫大な魔力を有しているが、その操作はまだまだおぼつかない。彼は本能的にビーナマンの拳の破壊力が自分の肉体の防御力を上回っていることを察知した。「ひっ」と悲鳴をあげ、両手を前に突き出す。
ビーナマンはそのガラ空きの腹部を狙い、パンチを繰り出した。
ズンと手応えが伝わってくる。
が、彼の拳がめり込んだのはオークの小僧ではなく、見たこともない冒険者風の女の腹部だった。
どこから現れたのか、一瞬の間に小僧との間に割り込み、身代わりとなったのだ。
たいへんに美形な女だが、惜しむらくはハイハットやハイエルフではなく鬼族だった。黒髪の間から小さな角がのぞいている。その黒い瞳には強烈な怒りが宿っていた。
ビーナマンは拳を引いた。
「なんだ君は?」
女は奇妙な笑みを浮かべた。尖った犬歯があらわになる。狼のような唸りが喉の奥から漏れる。
ビーナマンは己の背筋に鳥肌が立つのを感じた。
自分より遥かに格上の怪物に向き合ったかのような感覚。
が、その怪物は顔を歪めると片膝をついた。
彼の拳により、多大なダメージを受けたらしい。
よくよく冷静になれば、相手からは魔力をほとんど感じない。
聖なる力・魔力が戦闘の基礎であることを考えると、相手は遥かに格下だ。
ビーナマンは焦ったことを誤魔化すように鼻で笑った。
「劣等種族同士の連帯というやつかな? だが、わたしの前に立つには実力不足だったな。君の魔力は極めて弱い」
いやいや、わかっとらんのお。ククルゼンは会場の隅で思わず呟いた。ヴィルゼンブブーの魔力は弱いどころではない。まったくのゼロだ。
彼女を敬愛する帝国軍四天王は、宮殿を抜け出した彼女を探さんと目を血走らせている。彼女が魔力を使えばたちどころに感知して転移してくる。それを避けるために使用を控えているのだ。
しかしわしも衰えたもんだ。
ククルゼンはため息をついた。年老いたとはいえ、ヴィルゼンブブーの動きにまったくついていけなかった。かつての勇者としてはやや情けない。
壇上のヴィルゼンブブーはどうにか呼吸を取り戻したらしく、ゆっくりと立ち上がった。
大きな瞳でビーナマンをまっすぐ見据えていう。
「劣等種族だの連帯だのは関係ない。わたしは差別が許せないだけだ。殴られようとするのがハイフットやハイエルフでも割って入るさ」
「これは差別ではない。区別というものだ。豚人間は豚小屋でひっそり生きるべきであり、御子に選ばれようなどという大それた願いを抱くべきではない」
ビーナマンの言葉に、群衆から「その通りっ!」と合いの手が飛ぶ。
ヴィルゼンブブーは首を横に振る。
「その考えは間違っている。すべての種族は平等だ。あらゆる子らは自由な未来を望む権利がある。皇帝もそうした御触れを出している」
「あんなもの。なぜ我らハイフットが魔族と手を携えて生きる必要があるのか」
「それは皇帝への侮辱、国家への侮辱ではないのか?」
鬼族の女の言葉で、ビーナマンは言いすぎたことに気づいた。この女がどこかの亜人領に駆け込んで告発しないとも限らない。
「領主どの!」彼は声を張った。「さきほどからのこの者の無礼、極まりすぎております。このように祭りを汚し、領主殿の催しを台無しにするような輩、騎士として許すことができかねまする。ぜひ、この場での決闘をお許しねがいしたく!吾輩を領主殿の代理闘士としてお認めください」
観衆がたちまち、「決闘だ!決闘だ!」と声をそろえる。
小太りの領主は、ニヤニヤ笑った後、重々しく頷いた。
「うむ!うむ!氏のおっしゃりようごもっとも!領主の権限において決闘を許可する。代理闘士として余への無礼を罰してくれい。そこな豚もろとも切り捨てい」
ビーナマンは、御意、と頷くと腰の鞘から細ぶりな剣をぬき払った。
ガブリは恐怖に身を縮めた。この優しく美しい女性とともに殺されてしまうのか。
怒り心頭はヴィルゼンブブーである。
「お前たち、いい加減にしろ!」と吠えた。
魔力なしでも彼女の声はよく通る。
「法を無視し、国の威厳を傷つけるだけに飽き足らず、よもや命までとらんとは。かくなるうえはわたしも正体を明かそう。我が名はヴィルゼンブブー、帝国皇帝ヴィルゼンブブーぞ」
一瞬の間をおいて、領民たちの笑いが爆発した。誰もが腹をよじり、涙を流すものさえいる。
ヴィルゼンブブーは思ってもみなかった展開に、「んん?」と困惑顔だ。
ククルゼンは思わず顔を手で覆った。
ヴィルゼンブブーは戦士としても為政者としても第一級だが、人の心の機微に鈍感すぎる。この状況で己が皇帝であると明かして、誰が信じるというのか。
ビーナマンは皇帝が魔族であることは承知していたが、さすがにこれほど若々しい女性であるとは考えたこともなかったので、即座に虚言であると判断した。
「まったく亜人は嘘つきだ。そんな馬鹿げたホラ話でこの場を切り抜けようとは」
「ホラなんかじゃあない! わたしは皇帝だ! あそこを見ろ! あの隅にいるじいさん。あれはお前たちハイフットの勇者ククルゼンだ!」
ヴィルゼンブブーがそう叫んで、ククルゼンを指差した。
群衆の目が一斉に彼に向いた。
ククルゼンは思わず一歩引いた。
ヴィルゼンブブーのやつ、魔力を解放すれば秒で済むものを。わしにお鉢を回しおって。
彼はため息をつきながら、全員に向かって手を振った。
「あー、いかにも。ワシは勇者ククルゼンじゃ」
貴賓席にいた領主が大笑いした。
「なんというほら吹きどもだ!そこのジジイが勇者様で、魔族のお前が皇帝? 陛下はハイフットであらせられるし、不老不死の泉に浸かっておられるから若々しく美麗な青年であらせられる。あんな汚らしいジジイなはずがあるか」
ククルゼンは白髪頭をかいた。
「うーん、ここまで辺境に来るといろいろ情報が錯綜しとるようだのお。わしが皇帝になっとるのか?」
彼は、どいたどいたといいながら、人混みを掻き分けて進むと、どっこいしょ、と舞台に上がった。
その体の大きさに領主はギョッとした。
たしかに身体的特徴はハイフットだが、普通の成人男性より頭二つは高い。
領主が片手をあげると、控えていた兵士たちが一斉に壇上にあがった。皆、剣を抜き払っている。
ククルゼンはビーナマンにいった。
「のう、お主は仮にも帝国官吏なのだろう? 皇帝の顔を見たことはないのかい?」
「陛下は自己の神格化をなさらぬよう、肖像画の類をいっさい作られぬようにしていらっしゃるのだ。お前たちはそこを突いてこのような馬鹿げた妄言を吐いているのだろうが、このわたしの目は誤魔化せん。魔力を持たない皇帝などあるか!」
「ふーむ。では、お前さんが知っとるいちばん高位の官僚はだれじゃ?」
「貴様のような痴れ者にその名を聞かせるのは憚られるが、わたしに目をかけてくださっているのは、あの帝国四天王がお一人、全知のランドベルド閣下だ」
目をかけてくれている、とはものも言いようである。
ハイフット族のランドベルドは、ビーナマンの上役の上役のそのまた上役であり、ビーナマンは過去に一度だけ会議にて同席したことがあるにすぎない。だが、そんなことをこのジジイが知るはずもなし、四天王の名に恐れ慄けと考えたのだった。
だが、彼の思惑とは裏腹にククルゼンは「ランドベルド?」と首を傾げた。これはククルゼンが高齢となり認知能力が衰えていることによるものだった。ヴィルゼンブブー配下の知将ランドベルド・フォン・ウルゾーゲンを、彼は〝灰色髪の小僧〟というあだ名で呼んでおり、その本名をすっかり忘れていたのである。
ククルゼンの反応を、ビーナマンの矮小な精神はこれ以上ない侮辱と捉えた。
「四天王ランドベルド閣下すら知らぬくせに、よくも己が勇者だと名乗れたものだ。亜人の魔王と揃って不敬にもほどがある! かくなるうえは成敗するほかない!」
領主が頷く。
「皆のもの!英雄殿にお力を貸すのだ!そこな大男は亜人の加勢ぞ。こちらも加勢すべし!」
兵士たちの包囲の輪が一挙に狭まった。
ビーナマンはヴィルゼンブブーやククルゼンから距離を取り、兵士たちの後ろに回り込む。
用心深い男である。
たとえ魔力なしの亜人と、ボケた老人とはいえ万が一にも不覚を取れば、領主や民衆からの信頼に傷がつく。多少なりとも兵士たちが相手にダメージを与えたところで、さっそうとトドメを刺すつもりなのだ。
ヴィルゼンブブーはその動きを察し、「この卑怯者がっ」と毒づいた。
兵士たちはよく訓練されているらしく、包囲の輪に脱出できそうなスキはない。
彼女は背中に背負っていた剣を抜いた。
後ろにいるガブリにいう。
「わたしの背から離れないで」
ガブリは頷きながら、小声で「あなたはどなたなんですか? どうしてここまでしてくれるんですか?」と尋ねた。
ヴィルゼンブブーは笑った。
「母が子を護るのは当然のことだ」
「母?」とガブリ。すでに亡くなっているが、彼にはちゃんとオークの母親がいたし、そもそも目の前の女性は種族すら違う。
ビーナマンが手を振って、兵士たちに指示した。
「やれ!」
このままでは死人が出る。
ククルゼンはそう判断し、ヴィルゼンブブーを殴りつけた。
巨大な拳の一撃により、彼女は猛烈な速度で回転しながら背後にすっ飛び、四階建ての煉瓦造りの商店の壁に突っ込んだ。壁に大穴が空き、大音響と共に建物が半壊する。
誰もが唖然として動けなかった。
ガブリも、ビーナマンも、領主も、兵士たちも、群衆も、何が起きたのか理解できない。
なぜこの老人はいきなり友人と思しき鬼族の女性を殴ったのか。
なにより、この馬鹿げた破壊力は何なのか。
瓦礫のなかから「ククルゼン!」と怒鳴り声が響いた。
ガラガラと崩れる煉瓦をかき分け、確実に死んだはずの女性が現れる。
埃まみれだが、血の一滴も出ていない。
そして、その黒髪は燃えるような赤髪に変わっていた。
全身から嵐のように魔力が吹き出している。
魔力は波動となって、人々を打つ。
ヴィルゼンブブーは足下を一蹴りすると、ふわりと飛びあがり、壇上に舞い戻った。
ククルゼンの胸を拳で叩く。
「いきなり何するんだお前!」
「なに。ここにいる連中にお前さんの力を見せた方が話が早い思うてな。まあ、老いたわしの攻撃くらいで傷つくお前さんじゃなかろう」
ククルゼンはビーナマンに目を向けた。
「どうかの? これで信じてもらえたかの?」
ビーナマンはどうにか舌を動かした。
「た、たしかにお前たちがふつうではないことはわかったが、だからといって、勇者と皇帝だと? そ、そ、そんな馬鹿なことがあるはずがない!」
「折れんやつじゃのお」
ククルゼンが白髪頭をかいたときだった。
会場の上空で空震が発生した。
青白く輝く巨大な魔法陣が四つ出現し。その中心部で空間が切り裂かれる。
転移魔法である。
数万人規模の人間の魔力を撚り合わせることで、時空間を捻じ曲げ、長大な距離を隔てた地点同士を接続する。
稲光と共に、四つの魔法陣から飛龍や大鷲に乗った兵士の群れが湧き出した。兵も獣も真っ赤な鎧を身に纏い、太陽を模した軍旗を掲げている。帝国四天王率いる近衛軍団である。
龍たちの咆哮に群衆が「ひい」と悲鳴をあげて身を縮める。
四つの集団それぞれから、四匹の一際大きな飛龍が抜け出し、舞台に近づくと、それらの背から四人の男女が飛び降りた。
一人はククルゼンにそっくりなハイフットの大男である。ただし、はるかに若々しい。髪は黒く、身体は鋼のように引き締まった筋肉に覆われている。その筋肉を見せつけるかのように上半身は裸である。
一人は上半身は人、下半身は蛇の女である。上半身は尼僧の格好をしており、大きなメガネが邪魔しているが顔立ちは極めて整っている。
一人は中年のハイフット、灰色の地味な髪に、地味な顔立ち、地味な服装。何の特徴もないのが特徴といった感じの男だ。
一人はダークエルフの女児である。外見は十歳ほどか。いまさきほどまで風呂にでも入っていたのかバスタオルを体に巻き付けている。
ヴィルゼンブブーがいった。
「パルコン坊や、メガネ、書記長、お豆ちゃん?」
お豆ちゃんと呼ばれたダークエルフが「おねえさま!どうしてあたしも連れていって下さないんですかー!」と叫びながら、彼女に飛びついた。
メガネの半人半蛇女子が、メガネのフレームを指で持ち上げる。
「陛下ぁ、なぜ筋肉ダルマだけ名前を呼ぶのですか?こんなやつのあだ名は〝筋肉〟でいいのですよ」
ククルゼンにそっくりな半裸男が胸を張る。
「俺は陛下に育てられたも同然だからな」
平凡男が咳払いする。
「陛下、まずはご健勝なによりにございます。しかし、皇帝ともあろうものが家出というのは褒められた行為ではないかと存じます。陛下の決裁を待つ書類が山のようにたまっております」
ヴィルゼンブブーがククルゼンを見た。
「わたしに魔力を使わせたのは、この子たちに探知させるためか」
ククルゼンが肩をすくめた。
「ランドベルトはこやつらの誰かの本名みたいじゃからの。呼び寄せた方が話が早そうなんでの」
平凡男が「は?わたくしが、なにか?」と、特徴のない声でいう。
ククルゼンが立ち尽くしているビーナマンに首を振った。
「あいつに見覚えはあるか?」
ランドベルド・フォン・ウルゾーゲンは外見こそ名前負けしているが、官僚としての実務能力は世界一である。頭の中の名簿で、目の前の騎士の顔を即座に照合した。
「ああ、ビーナマンさんではありませんか。二年前の西部地区食糧会議ではどうも」
ビーナマンの顔は血の気を失っていた。
「ラ、ラ、ランドベルド閣下!? な、なぜ、このようなところに!?」
「ああ、なぜ財政支出を厳しく監督するはずのわたしが、莫大な費用のかかる転送魔法を使ったのかというのでしょう? 疑念はもっともですが、これは国家の危機ともいうべき話なのです。じつは国父たる皇帝陛下が政務を放り出して行方不明になっていまして。書類の決済が一枚滞るたびに、たいへんな経済的損失が生じます。このような国難を解消するためなら、転送魔法など安いものです」
「こ、皇帝陛下?」
「ええ、そこにいらっしゃる露出過多の冒険者風の女性ですよ」
ランドベルドの言葉が雷のようにビーナマンを撃った。
いや、ビーナマンだけではない、貴賓席では領主が「バカな!そんなことがあるはずがない!」と叫び。
群衆からは「嘘よー!」「皇帝陛下なわけないわっ!」と悲鳴じみた声があがった。
メガネの半神半蛇女子が、そのメガネのツルを持ち上げた。
「妙ねぇ。全人民から敬愛される陛下が降臨されたというのに、なぜこんな反応になるのかしらぁ」
バスタオル姿のダークエルフの女児がヴィルゼンブブーの太ももから離れて鼻を鳴らした。
「匂いがするね。後悔と恐怖の匂いだヨ」
ククルゼンそっくりの若い男も鼻を鳴らす。
「屋台の肉の匂いしかしねえけど」
ククルゼンがその肩を叩く。
「せがれや、お主は少し黙っておったほうがいい」
それから、彼はことのあらましを四天王たちに手短に伝えた。
話が終わるや否や、ダークエルフの女児が全身から真っ黒な魔力を吹き出した。
半人半蛇の女僧侶も、感情を昂らせているのか下半身の鱗が波打っている。
ククルゼンの息子は筋肉が膨らみ、体が一回り膨らんで見えた。
地味男のランドベルドだけが外形的な変化を見せなかった。彼は落ち着いた声でいった。
「極めて深刻な問題です。帝国官吏ともあろうものが……」
ビーナマンが「ど、どうかお許しください!まさか皇帝陛下がこのような亜人だとは知らなかったのです!」という。
ククルゼンの息子が背負っていた大刀の柄を掴む。
ビーナマンが即座に言い直す。
「いえ、失礼しました。亜人などと。こ、このように高貴な種族であると存じませんで」
ククルゼンの息子が吠えた。
「てめぇ!この世には亜人なんて種族はいねーし、高貴な種族なんてものもいねーんだよ!」
あまりの声の大きさに、建物の窓がびりびりと震える。空を舞う竜たちがククルゼンの息子に共鳴するように吠える。
「もっとも!ごもっともです!」ビーナマンが舞台に手をつき、頭を擦り付ける。
ランドベルドが咳払いする。
「ビーナマンくん。君はーー」
「死刑ッ」ダークエルフの女児が冷たい声でいう。
「ひいっ」とビーナマン。
ヴィルゼンブブーがため息をついた。
いつの間にか髪色が赤から黒に戻っている。
「ランドベルド」と一言いう。
「は」ランドベルドがもう一度咳払いした。「君は明白に種族差別禁止法に違反しています。わたしが特別上級巡回判事として調査の上、判決をくだします。厳しい処置になることを覚悟してください」
「は、はーっ」ビーナマンは一も二もなく平伏した。全身が震えている。
ヴィルゼンブブーは貴賓席の領主に目を向けた。
太った領主は這々の体で舞台にあがると、両膝をついて懇願した。
「陛下!お許しください!わたくしはこの男に騙されていたのです。好んで亜人を下に見ていたわけではないのです。そう、この男に強要されたのです!」
「なっ!」ビーナマンが体を起こした。「なにをいうかっ!お前は差別禁止法を知りながら、大喜びで亜人たちを痛ぶっていたではないか!」
「そんなことはない!全部お前にやらされたんだ!」
領主がビーナマンに殴りかかり、二人は舞台の上でもつれながら転がった。
「喝ッ!」ヴィルゼンブブーが魔力を込めて軽く吠えると、二人の動き、そして四天王以外のすべての人間の動きがびくりと止まった。
ヴィルゼンブブーがいう。
「見苦しいぞ。お前は禁止法を知りながら自ら率先して他種族を蔑んできた。そのような人間は統治者としてふさわしくない」
領主が鼻水を垂らしながら手を合わせる。
「そんな!ご容赦を、どうかご容赦を!」
ダークエルフの女児が「死刑がいいと思うナ」とつぶやく。
ーーーーー
騒動が落ち着いたのは、夜半になってからだった。
ビーナマンと領主は取り調べのために、転送陣で帝都に移送された。
当面の統治は半人半蛇のリリアン・シエが担うことになり、その副官の一人が三十名ほどの竜騎兵とともに常駐することとなった。
四天王はそれぞれの職務があるので、順次帝都に戻らねばならないが、みな、ヴィルゼンブブーを連れ帰らんと必死だった。とくに政務面で代理を務めているランドベルドは強く懇願した。
押し問答が長く続いたが、彼女の「わたしが旅をしているからこそ、われわれの統治が行き届かない面があることが明らかになったんだぞ!」という言葉が効いた。ランドベルドにとっては痛いところである。ビーナマンは彼の部下の部下の部下だからだ。
結局、今後、ヴィルゼンブブーが定期的に帝都に便りを出すということで話はまとまった。ただし、彼女は条件を呑むにあたり、ガブリの帝都軍学校への入学をククルゼンの息子にして、軍司令でもあるナルゼンに認めさせた。
今回の騒動はガブリが発端であり、たとえ帝国軍が直轄するとはいえ、その当人が街に残るのは何かと面倒が多いだろうと思われたからだ。
もちろん、ガブリ本人が大喜びしたのはいうまでもない。
ガブリはわずかな荷物をまとめ、わずかな友人との別れを交わすと、ナルゼンが操る竜の背に乗った。
ヴィルゼンブブーは半オークの少年の手を握った。
「君の成長を楽しみにしているぞ」
「ありがとうございます陛下」彼が目を輝かせて彼女を見つめる。その瞳には、感謝、尊敬、崇拝、あらゆる感情が入り混じっている。「その、一つ聞いてもよいでしょうか。なぜ、ぼくみたいな子ども一人のためにここまでしてくれたのですか?」
「わたしが君の母親だからだ」
「え?」
ヴィルゼンブブーが笑った。
「わたしは皇帝であり、全人民の庇護者だ。すべての子どもたちはわたしの息子であり娘だよ」
彼女はガブリが転送陣の向こうに消えるまで、手を振り続けた。
彼女が手を下ろしたところで、ククルゼンがその肩を叩いた。
「よくこらえたのお」
「わたしの子の転生体だなんて知られたら、余計な苦労をすることになるからな」
「うむ」
「それに、ある意味では真実でもある。ここだけの話だが、わたしはこの世で最初の人間の一人だ。最初のハイフット、最初のオーク、最初のエルフ、みんなわたしの子どもだ。すべての民はわたしの孫みたいなものなのさ」
「うむ?ん?はあ?」ククルゼンが彼女の肩から手を離した。「おぬし、いったい何歳なんだ?」
「7万6075歳」
「神々の時代の生まれではないか。いや、待て待て。えーと、今の話が本当だとするとだな、わしもお前さんの血を引いとる?」
「うす〜く、な」ヴィルゼンブブーが微笑む。
「なら、あのときわしを殺さなんだのも?」
「自分の子孫に手にかけるような真似はしないさ」
「なるほど。のう、ひょっとして、お前さんの平等主義もそのへんが関係しとるのか?」
「主義なんて大層なものじゃない。わたしは母親として自分の子どもたち、孫たちに仲良く平和に生きてほしいだけだ。だが、子ってのは厄介なもんだ。放っておくとすぐに喧嘩するんだよ。だから、定期的に帝国を作ってお説教するのさ。ほかの子をいじめるような真似はメッ!ってな」
ヴィルゼンブブーはゲンコツをかかげた。