どうしても諦めることが出来ません
その日は風の強い日であった。
王城警護の任を終え、騎士寮へ戻ろうとしていたクラウスは、寮の手前に佇む女性を見て歩みを止めた。
誰か待ち人だろうか。
騎士寮を訪ねたのであろう令嬢と見受けられるが、声をかけるのも躊躇われ、とはいえ無視して通り過ぎて良いものかとクラウスが逡巡していると、その女性がクラウスに気付き、声をかけてきた。
「恐れ入ります。クラウス=オルデンベルク男爵でいらっしゃいますか?」
見知らぬ女性から名前を呼ばれ、些か戸惑いながらクラウスが答えた。
「はい私がクラウスですが、あなたは?」
「突然の訪問をお許しください。私、マイツェン子爵が次女アメリアと申します」
にっこり笑って彼女が名乗ったその時、風が強く吹いた。
風に髪が煽られ瞬間クラウスは瞬いた。
煽られた髪を慌てて撫で付け、アメリアと名乗った令嬢に再び目を向けた時、彼女は目を見開いて固まっていた。
アメリアはクラウスの顔の右側を凝視して、少しだけ口を開いた表情のまま動きを止めている。
しまった。鱗が見えてしまったか。
クラウスはもう一度髪の毛を撫で付けてから少しだけ後ろに下がった。
マイツェン子爵令嬢。
彼女が例の見合い相手ということか。
俺が見合いを断ったからここまで来させられたのだろう。
なんということだ。不憫な。
クラウスは心の中でアメリアに同情して、怖い思いをさせたことを詫びた。
「マイツェン子爵令嬢。誰かに送らせましょう。少しだけお待ち願えますか?」
怖がらせたまま一人にするのは申し訳ないが、自分が離れたほうがアメリアは落ち着くだろう。
クラウスは誰かにアメリアを頼もうと騎士寮に向かいかけた。
その時アメリアがクラウスのマントを慌てて引いた。
「待ってください!」
幸いアメリアが引いたのはマントの左側であったので、クラウスは怖がらせないように慎重に少しだけアメリアの方を左越しに見た。
「あの、お見合いをお断りされたのにも関わらず、突然訪問して申し訳ありません。けれど、どうしてもお願いしたくてお伺いしたのです!」
アメリアはクラウスを見詰めて必死の表情で言い募る。
「オルデンベルク男爵と私とでは釣り合わないのは分かっております!けれど、せめて一度でもお会いしてからお断り頂きたかったのです」
目を不安そうに揺らしたアメリアは少し視線を落とした。
「会ってももらえずお断りされたのでは、私、どうしても諦めることが出来ません」
そういうとアメリアがクラウスのマントをぎゅっと握りしめたので、クラウスは動くことも出来ずに答えに窮した。
状況に理解を追いつかせることが出来ずにいるクラウスが
「では今お会いしたので、これで問題なくお断り頂けるということでしょうか」と問うと
アメリアは顔色をなくしてクラウスを見上げた。
「やはり私では考慮しても頂けませんか?どのような女性であれば良いのでしょうか。至らぬとは思いますがご要望に沿うように努力致しますので、ご希望を教えてくださいませんか」
アメリアの言葉は、まるでクラウスとの結婚をアメリアが望んでいるかのように聞こえる。
しかしこのように可愛らしい令嬢が、例え鱗がなかったとしてもクラウスとの結婚を望むとは思えない。
ましてやアメリアは今、鱗を見てもいるのだ。
身体を強張らせるような恐怖であっただろうにこのように必死になる理由はなんなのだ。
とはいえ、このようなところでこれ以上話し込むわけにはいかない。
まだそれほど多くはないものの数人の騎士がこちらを気にしながら寮を出入りしている。
クラウスはアメリアに申し訳なく思いながらも、こう言うしかなかった。
「ではマイツェン子爵令嬢。改めて見合いの席を設けるということに致しましょう」