第5話(最終話)
農作物の収穫時期が終わって少し経った頃、それは突然起こった。
バン!
いきなり俺の研究室の事務室に女性が飛び込んで来た。
研究室には研究する部屋はもちろん、応接室、事務室、トイレなどが完備されている。研究室という名称は紛らわしい。研究室の中の研究室というのか?ま、どうでもいい話だな。
研究する部屋は俺以外立入禁止だが、事務室は俺が許可すれば入る事ができる。そう、俺が許可すれば、だ。
「な、何だ!いきなり入ってきて!」
ハァハァと荒い息遣をしながらノックもしないで入って来た女性は、見覚えがある。
1年生のとき同じAクラスで、今は確かソフィアの補助をしている女性だ。
「突然すみません。ソフィア様が…」
「ソフィーに何かあったのか?」
「そ、それが…」
嫌な予感がした、のだが...
「と、特別優秀賞を授与される事になりました」
「は?」
何を言っているのか一瞬理解出來なかった。
「だから、ソフィア様が書かれた論文が高く評価されて、特別優秀賞を授与される事になったんです」
「えっ、えええええ!」
特別優秀賞。
この王立高等学院で最高の賞で、特に優れた成果を挙げた者に授与されるものである。
他には「優秀賞」「奨励賞」がある。
「優秀賞」も基本的に同じで、優れた成果を挙げた者に授与されるものだが、この王立高等学院の生徒はもともと優秀な人材での集まりであり、また10位以内の者でもそれほど差がでるものではない。
所謂「どんぐりの背比べ」というやつだ。
なので、この学院で授与された者は歴史上とても少ない。10年くらいに1人という程度だ。
しかし、この「優秀賞」を授与された者には相当な栄誉、実質的には伯爵位くらいの力が与えられる。
そう、伯爵令息や令嬢ではなく伯爵家当主。
そういう権力を貰って何に使うのか甚だ疑問はあるのだが、そういうものだから仕方がない。
もちろん報奨金も出る。
「奨励賞」は研究テーマがとても優れていて、結果が在学中には出せなかったが、将来的に出せる見込みのある者に授与される。
卒業後、その分野の研究所などで有効なもので、無試験で入所出来る。
上限はあるが、卒業後も研究費が支給される(用途はその研究に限定される)
報奨金や「優秀賞」のような権力的なものは無い。
「奨励賞」も授与された者は非常に少ない。
授与するに値する研究テーマは既に他の研究所や国の機関が保有している。もしくは到底結果が出るようなものではないからだ。
王立高等学院では、結果が出るようなものではないテーマでも、研究する事は認められている。
当然審査があって、あまりにも、というもの以外のテーマではあるが。
研究や開発というのは、思いもよらない結果が出る場合があるからだ。まあそういうテーマを選ぶ人はほとんどいない。近年では皆無だろう。
そして「特別優秀賞」
これは過去に授与された者はいない。
こういった賞を決める時に「スペシャル的なものがあってもいいんじゃね」という程度のものらしい。
もちろん当時はふざけて決めたわけではないが、結果的にそういうものだったという事だ。
なのでソフィアが史上初の授賞者となる。
これに与える報奨がどれほどのものなのか明確に決まっていない。
過去に実績がないからだ。
「優秀賞」が伯爵位の力がある、というも過去の実績によるものだ。「伯爵位を与える」という事はどこにも記載されていない。
過去に授与された者がそれほどの力を得た、という事なのだ。
どうしてそんな曖昧なものが?と疑問に思うが、王立高等学院は、学院というよりは研究所という性質が強い。
なので、優れた研究結果に対してはそれに見合った報奨を与える、という社会的に当たり前のことをしているだけである。
しかし、本当の意味で個別に研究しているのは、10位以内の者だけで、更に期間は1年しかない。
そうそう結果がでるものではない。
あくまで優秀な人材育成のための学院という事である。
ソフィアの特別優秀賞受賞の話は瞬く間に学院中に知れ渡り、一時騒然となった。
俺も心配でソフィアを探したが、見つけることは出來なかった。
おそらく今回の説明や、授与式などの打合せなどで、どこかの部屋に居るのだろう。
それに今、本人が現れたらパニックになる。そういった学院側の配慮もあるのだろう。
しばらくソフィアは学院を休む事になった。おそらく授与式までだろう。
受賞したソフィアの論文について、婚約者で且つ同じ王立高等学院の上位の生徒ということで教えてもらった。もちろん公表されるまでは家族にも秘密だ。
ソフィアの論文のテーマは…
『寒冷地における農業改革』
というものだった。
ここ、クラベルト王国は大陸の北にある。
確かに農業は盛んではない。
大きな農地は南の国境線付近にあって、そこより北には大きな農地は無い。
王都は国の中心より南にある。しかし、この付近で過去に試したが大きな農地にすることは出来なかったそうだ。
寒さに強い作物を村単位で作っている程度との事。
王国に必用な農作物は南の大きな農地やその他を全て含めても足りない。
その不足分は輸入に頼っている。
ランベルト伯爵家と王家の繋がりも、この食料事情によるものが大きい。
ソフィアの書いた論文を読ませてもらったが、さっぱり解らなかった。
品種改良、突然変異、連作障害、効果的有機肥料開発、温室の増設や改造、病気対策、無害な農薬の開発、日照時間、土壌改良などなど。
(現代では当たり前の事だが、この国(世界)はまだ農業が発達していない。連作障害や有機肥料も経験でなんとなくというレベルであり、農家によってもやり方は様々だ。もとよりこの国は農業に力を入れてなかった。なので、農業は学問としては未知の分野なのだ)
個別には解るものもあるが、それが複数になると、それらがどう繋がっているのか解らなかった。
担当の人に聞くと、寒さに強い品種に改良したり、作物がよく育つ環境、つまり肥料や農薬の開発をしたり、温室をよりよく改造したり、また大きな温室を作ったりする。また土壌そのものを改良する。
寒さに強い農作物が他にもあるかもしれない。というか実際ソフィアが何種か見つけている。
それらを専門に行う機関を作ったり、とまあこんな感じだ。
凄く途方もない事に思ったが、これらをソフィアは自分の実験農地で、ある程度結末を出しているらしい。それでもまだまだ不十分らしいが。
凄い!
それしか頭になかった。俺は完璧だと思っていたが、全然だ。ソフィアの方がよほど完璧だ!
まあそれはそれとして。
あとは、国家レベルで専門の部署を設立して、様々なチームに分かれて一つ一つ問題点をクリアにして、実用化を目指す。
おそらくソフィアはその複数あるチームを統括するポジションに就くだろうとの事。
でも、今はその事は全く決まっていないので、これからである。報奨金なども決まっていない。分からないことだらけだからだ。おそらく決まるのは、かなり先になるだろうとの事。
これらが全て成功した場合、ソフィアの試算だと、最低でも現在の収穫量の2倍は見込めるとの事だ。
ソフィアの論文で提案された事は、実現可能と予想されたそうだ。
本当に物凄い事を考えるな。俺の婚約者様は。
特別優秀賞の授与式は王宮にて執り行われる。
単純に人が多すぎて入れない、というもあるが、国王や、他国の王族なども参加するからである。
参加者は学院の生徒や教師、卒業生や学院関係者はもちろん、国王を含めた王族、宰相、担当大臣、高位文官、高位貴族、他国の王族、各担当者など物凄く多い。
もちろん、ソフィアの実家であるランベルト伯爵家、俺の実家であるシュタイン侯爵家も全員参加している。
ソフィアは最前列でちょこんと座っている。
制服姿も最近は珍しい。研究室では白衣だから。
俺がプレゼントしたブローチも着けてくれている。
とても嬉しかった。
全員が所定の場所に着いた。
国王が開始の宣言をした。
司会者が今回の論文の内容を説明すると、あちこちから称賛の声があがった。
そして、それが終わるとソフィアが司会者に呼ばれ、国王陛下の前に立った。
表彰状と勲章が国王陛下からソフィアに授与された。
チラッと聞いた話ではこの賞には王太子くらいの力があるらしい。実質国内ナンパー2という事だ。
例えば、の話だが、王太子とソフィアなら王太子を切り捨ててでもソフィアを守るらしい。
王太子の代わりは居るが、ソフィアの代わりは居ない。つまりはそういう事だ。
「───これからの農業は発展するだろう。よくやった、そしてありがとう!」
「…ん」
ありや、ここでも「…ん」か。
国王陛下相手に凄いな。
それに国王陛下も「ありがとう」とか言うのだな。「大儀であった」とか偉そうに言うと思っていたのに。
まあ、国王陛下からすればソフィアはまだ子供に見えるのだろう。
表彰状と勲章を授与されたソフィアに、会場から割れんばかりの拍手と歓声が送られた。
俺は、自分の事のようにとても誇らしかった。
今日は授与式だけで終了となる。パーティーをする余裕も時間もないので、後日実施される。
ただ、他国の方はそうそう来られるわけではないので、ソフィアと面会することになった。
何故か俺が同席した。...通訳として。
この大陸の北方にあるのはこの国だけではない。
北方にある他国もこの国と同じような問題を抱えており、とても喜ばれた。
更にこの国、クラベルト王国との同盟を結びたいと、数国から打診があった。
この経済効果は農業だけにとどまらない。その上外交的にも強力なカードを得る事が出来た。
ソフィアの成し遂げた事はそのくらいの価値があるものだった。
◆
俺とソフィアはゴトゴトと馬車に揺られていた。授与式が終わってソフィアの家に帰るところだ。
ソフィアはさすがに疲れていた。
俺は、初めてソフィアと会った時からのことを思い出していた。
変な眼鏡の地味な女。
それが第一印象だった。
俺は完璧な婚約者になると決意した。
始めは話が出来なくて困った。
話が出来るまで努力した。
王国高等学院ではソフィアに敵わなかった。
俺の瞳の色のブローチ。
特別優秀賞。
あれ?
俺は完璧か?
試験で1位になったのも、特別優秀賞を受賞したのもソフィアだ。
俺は何もしていない。
完璧なのはソフィアだ。俺じゃない。
でも何だこの感じ。
俺はふつふつと湧き上がる思いが抑えられなくなってきた。
思い?
違うな。
想いだ!
ああ、俺は恋をしているのか。
出会ったあの時から。
そう考えると胸にストンと落ちた。
この想いを伝えたい。
でも…
ガタゴトと揺れる馬車の中でソフィアを見ていた。
…地味じゃない
…全然地味じゃない。
…綺麗だ。
…ソフィア、綺麗だ。
想いが溢れてどうしようもなくなった。
ええい!どうにでもなれ!
「あのさソフィー」
「…ん?」
「特別優秀賞、おめでとう」
「…ん」
あれ、それほど嬉しくないのかな?
「これからこの国はもっと良くなって多くの人が幸せになるだろう。ソフィーは凄い事をしたんだぞ」
「...ルー…ありがと」
お、少し嬉しそうだ。お、「…ありがと」は初めてだ。
「それでさ、俺達はせ、政略結婚だからさ…でも俺はそんな事を思ってなかった。本当は…たぶん…でも」
うう、心臓がバクバクする。たぶん顔も真っ赤だ。
「俺は完璧な婚約者だと思っていたんだ。でも完璧なのはソフィーだった。俺は完璧でもなんでもない。だから、だから…」
いかん、何を言っているのか分からなくなってきた。
「だから、は、初めて会った時から…今も…これからも…」
伝えないと…
「俺はソフィーの事が大好きだ!」
「…ルー…私も」
ソフィアはにっこりと微笑みながら、右手の人差し指で眼鏡をクイッと押し上げた。
おわり
最後までお読み頂きありがとうございました。