花嫁舟
懐かしい思い出。
その夜、桜は鮮やかな懐かしい夢を見た。
晴天、桜満開。
昭和40年のこの日、日吉神社で一郎と桜は神前式をあげ結ばれた。
神社は掘割沿いにあり、近くの桟橋には、舟に赤絨毯を敷いた花嫁舟が用意されている。
紋付き袴姿の一郎と白無垢姿の桜は式の後、手を繋ぎ桟橋までやってきた。
「兄貴っ!おめでとうございます!」
舟を係留し2人を待つ男は、両手を振ってみせる。
「サブすまないな、よろしく頼む」
「へい。がんばります。どうぞ、乗られてください」
「ああ」
「はい」
初々しい新郎新婦は舟に乗ると、赤絨毯の上を進み、中央の座布団へ座った。
桟橋の親族や友人から祝福の拍手が起こる。
「おめでとう」
「おめでとうございます!」
調子に乗った一郎は、立ち上がり手を振って祝福に答える。
「ちょっと」
そんなお調子者の一郎の袖を引っ張り、恥ずかしさで赤面した桜は咎める。
「本日は兄貴、桜さん、ご結婚おめでとうございます。これより花嫁舟は出発します」
船頭は舟を進める。
桜はじっと見つた。
懐かしい若い一郎の横顔がそこにある。
「ん、どした」
気づいて桜を見る一郎に、
「別に」
と、彼女はドキリと胸が高鳴った。
「さては、俺の晴れ姿に惚れ直したな」
「それは、こっちの台詞よ」
2人は笑い合う。
「しっかし、きたねぇ掘割だな。よく、桜さあ。花嫁舟なんてしようなんて思ったもんだ」
一郎は高度成長時代の代償として汚れた掘割を見つめ、嘆息する。
「一生に一度のことよ、あなたは船頭なんだからやらなくちゃ、私はあなたの奥さんですもの」
「そんなもんかな」
一郎は真剣な眼差しで言ってくれた桜に、はにかみながら答えた。
「それに掘割も少しずつ、よくなっていっているわ」
この時期、市そして市民は、掘割を存続させる為、美化活動を取り組んでいて、荒れ果てた掘割がーも少しずつ変ってきていた。
「そうだな」
「そうよ」
ちょっと、ドブの匂いのきつい場所に差し掛かり、たわいのない話をしながら、新郎新婦は高まる気持ちを紛らわせる。
すると、
「兄貴」
「どうした?」
「俺、昨日、緊張して眠れなくて・・・」
「え」
と、桜。
「フラフラで・・・もう」
船頭はそう言いながら、赤絨毯に倒れ込んだ。
そのまま寝息をたてる。
「なんてヤツだ」
「あなた」
「ああ、新郎がハレの日に船頭するなんてな・・・とんだ笑い種だ」
一郎は袖を腕まくりして、竿を持つと舟を動かす。
「がんばって」
桜の満面の笑みに、
「おう」
一郎は笑顔で返す。
水面に二重に映るは花嫁舟。
桜は左手を晴天に向け広げる。
薬指の指輪が眩しく光る。
春の掘割を満たされた幸せな舟は、ゆっくりゆっくりと進んだ。
・・・・・・。
桜は目覚めた。
その眼には滂沱と涙が頬をつたい流れていた。
記憶鮮やかに。