❺ 道のまにまに...
『普通は見えない』と神薙さんは言っていた。
妹は……澪は、あの鬼の姿を見ていなかった。
自分の状態に知識を照らし合わせたのだろう。
過度なダイエットから栄養不足になった、そう本人は認識している。
医師に処方された経腸栄養剤でケロリと回復、「これ絶対太る!」と大騒ぎしたので、数日間の暴力的な奇行に疲れ果てていた両親はホッと胸を撫で下ろし、澪の部屋が穴だらけだったことに触れようとはしなかった。
疑問も残った。
「おじさんも、ばあちゃんから聞いたってだけで」
「ネットで検索したら、アニメばっかり出てきて」
「どこに頼んだらいいのか、わかんなかったんだ」
親戚にお祓いを勧められた両親は、依頼先を探せなかったそうだ。
神薙さんは、詮索を極度に嫌っていた。
ネット上でお仕事募集とは考えにくい。
左目を奪った鬼を探して、偶然、たどり着いた。
結果的には違った、ということらしい。
あらためて名刺を見る。
祓い屋、神薙、それだけ書いてあった。
「真澄、ちょっと」
「なに、かあさん」
「二階の、穴。とりあえず塞いでおいて」
「外壁は無理だよ」
「業者さんに頼んだけど、今月は一杯で」
再来週以降か。
雨でも降ったら……それより、澪が心配なのか。
「わかった。外の養生と、なるべく似てる壁紙で」
近場のホームセンターで簡単な事情を店員に説明して、売り場をいくつか回り、あっという間に見慣れない商品で買い物かごの底は見えなくなった。店員さんは、「大佐ならうまくやれますよ、ジーク・ジヲン!」と笑顔で立ち去った。
そこまで真実を伝える必要は無かったか……
「忘れてた、キッチン消火器」
休憩用のベンチに腰掛け、途中で貰ったリーフレットを引っ張り出すと、かごに入っている商品とまったく同じものが表紙に掲載されている。
「壁穴の補修にリペアプレートか、商売上手だな」
壁紙を張ればいいと思っていたが、思わぬ出費。
大きなサイズになると、それなりの値段だった。
それでも、ある程度の出費で済んで、澪も無事。
不幸中の幸いかもしれない。
丁寧に作業しておいて、壁紙の張替えを業者に依頼してはどうかと言われたが、そこまで綺麗に仕上がるものか?
パテがこれ。この紙やすりで平らにする。
これは家にあったカンナじゃダメなのか?
そういえば。
あのビームライフルは、自分で改造したと言っていた。
「神薙さんなら簡単だろうな」
「内装補修が? 専門外です」
「そうなのか」
「そうですよ」
修繕のほうが難易度は低い。
向き・不向きがあるらしい。
「壊すの専門、修理は苦手か」
肩越しに伸びてきた、小さな手。
リーフレットを取り上げられた。
「相変わらず失敬な方ですね」
「……えっ?!」
「パテ盛りして、当て木を使って、やすりがけ。これを手作業でするんですか? プラモ作りじゃないんですから。オービタルサンダーが必要なら、持っています。使用経験がなければ手解きいたしますよ?」
オービタルサンダー。
どんな武器だろうか。
それより……
「なぜここに」
「真澄さんが言ったからです」
「あのとき、なんか言った?」
溜息交じりに「ズレてる」と呟いた。
「御町内が消滅したら、困る」
「言ったけど」
「砲身の外装をパージしてバーストモードへ移行する方式は、構造の簡素化が利点でした。反面、現地で戻すには時間がかかる。改善の余地があると思いました」
「あ、それで」
そのための材料を調達しに来たのか。
「その支払い、うちでするよ」
「これは個人的な買い物です」
「いいんだ。お祓いの依頼先、わかんなかったんだから」
「お祓いの、お支払いですか」
かごを2つレジに出す。
両親も納得するだろう。
「そのかわり、と言うわけではないけれど」
「交換条件ですか?」
「連絡先を知りたい」
さっきまでの仏頂面が、天使のような笑顔になった。
「詮索、ここに極まれり」
「祓い屋は個人事業主じゃないの?」
「明確なプライバシーの侵害。個人情報を義務教育期間中の児童から聞き出して、支配下に置く。未成年者略取という違法行為です」
「連絡先を聞いただけで、犯罪者にされた」
少しだけ、沈思黙考。
難しい顔のまま「まぁ良いでしょう」と呟いた。
名刺の裏に、取り出したボールペンをサラサラと走らせて、買い物袋にスポッと入れた。広げてみると、070で始まる11桁の数字が書いてある。
「お支払いいただき誠にありがとうございました。明日オービタルサンダーを持参しますので、真澄さんはパテ盛りまで済ませておいてください」
「サンダー。電撃系の武器?」
「やすりがけの電動工具です」
「やすりがけ」
「では、これにて失礼します」
荷物を担ぐと、ペコリと一礼。
そのままトコトコ帰路につく。
相変わらず、取り付く島もないような後ろ姿。
『持参? 明日、手伝ってくれるのか――』
ぼんやり考えながら立ち去る少女を見送った。
……その足が、何歩目かで止まる。
「束縛するタイプ?」
「ぇ、今、なんて?」
「嫌いじゃないです」
「えっ……なにが?」