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君の隣で、笑って

作者: 赤目のうさぎ

ピピッ

体温計は36.3度を示していた。

「さむっ」

体温計の電源を切り、朝食を用意しに台所へ向かった。


 朝の空気は澄んでいる気がする。朝といっても大学の始まる時間は遅く、もう小学生なんかは授業が始まっているが。「いくら教室のなかとはいえ、半袖短パンは寒くないのかなぁ」なんて小学校の教室を見ながら考える。そういえば私も小学校低学年の頃は1年中上着を羽織らない、なんてチャレンジしていたっけ。元気だったな。


 大学に着いてから、体調管理表に昨晩と今朝の体温を記録する。これは大学の決まりで毎日しなければいけなかったが、真面目に書き始めたのは今年の夏頃からだった。私は7月生まれなのだが、今年の誕生日に、これからはちゃんとやるべきことはやろうと心を入れ替えたのだ。私はかなり飽き性だが、今回は割と長続きしていると思う。

「低いよなぁ」

小さく独り言をつぶやいた。これは一人暮らしの性だろう、買い物中やバイト中にもやってしまう。最近はずっとマスクを付けっぱなしで口の動きがバレないから余計にだ、気をつけなければ変な人になってしまう。

低い、というのは体温のことだ。私は平熱が36.8度と高めで、37度を超えることも多々ある。でも、寒くなってきたら起床時の体温も低くなってきた。もしかしたら私は変温動物なのかもしれない。

「変温動物...?」

なんだか胸がちくりと痛んだ。


 冬は陽が落ちるのがはやい。さっきまで夕焼けが綺麗だったのに、気づいたら真っ暗だ。ここは仮にも東京なのに、よく星が見える田舎で、今日もオリオン座のイチモツの辺りにある6等星が見えている。冬の大三角よりそっちを見てしまう私は本当に20代なのだろうか、頭の中は中2から変わっていない気がする。もしくは50代のおじさんだろうか。


 次の日、今日も朝はよく冷え、私の体温も低かった。自動車の教習所に向かい、2時間の学科と1時間の技能を終える。車は昔から好きだった。父が運転好きでドライブにしょっちゅう連れて行ってもらっていたし、私が上京してからは、実家から10時間以上かけて会いに来てくれて、そのまま一緒に帰省することもある。将来欲しい車もあるのだ、まぁ手に入れるのはかなり先になるだろうが。しかし、乗るのが好きであることと運転が上手いことは全く関係がないらしい。私は割と運転は下手くそだ、仮免許の技能試験もかなりギリギリで合格だった。頑張らなければ。


 教習が無事に終わると、カフェに入った。落ち着いた店内にはパソコンを開くサラリーマンや本を読むご老人、穏やかにおしゃべりを楽しむおばさま方がいて、存外混んでいた。お腹も空いていたのでキャロットケーキとカフェオレを頼み、なんとか空いていたカウンター席に腰掛けた。日光が当たらずなかなか快適だ。SNSの返信を済ませて、教科書とノートを開く。テスト前はカフェで勉強するに限る。高校の頃はお金が無くて、船着場にある無料の休憩所で放課後や休日勉強していたが、今はずいぶん贅沢になったものだ。

しばらく経ってだいぶノートも埋まってきた頃、スマホが震えた。

「同窓会の開催を計画しています。開催時期を決めるためのアンケートにご協力お願いします。」

高校のグループLINEだ。同窓会かぁ、皆は今、どこでなにをしているのかな...

「俺さ、変温動物なんだよね。寒くなると体温が下がるんだ」

不意に頭の中に浮かんだ記憶。私が高校生の時に大好きだった人との会話だ。



「うわっごめん!」

高2の冬。私の机の上の消しゴムが、通路を歩いていたクラスメートの制服の裾に引っかかって落ちた。その人はすぐに謝って拾ってくれた。

「あ、ありがとう」

顔をあげてその人をみた時、私はその人が誰かわからなかった。うちのクラスにあんなイケメンいたっけ?メンクイな私は、学校の3大イケメンと呼ばれる人たちを入学してすぐ発見したし、そのうちの1人は影で王子と呼ばせていただいている。だから、イケメンが同じクラスにいて気付かないはずないんだけど。ましてや、今は1月だ。クラス替えしてはや9ヶ月、なんなら次のクラス替えも迫っているのに。

…後から思えば、あの瞬間、私は君に恋したのだと思う。その人は、同じクラスでアニメオタクのK君だった。以前は髪がモサモサしてて暗めな印象だったのだが、あの時は髪をばっさり切った直後で、かなりさっぱりしていた。背はそんなに高くないしあまり目立つタイプではないが、端正な顔立ちなんだなとぼんやり思った。

 それからの3ヶ月間、ずっと君のことは気になっていたけれど、何かアクションを起こす訳でも無くただ時が流れた。


 4月、私は高3になった。今年で高校生も終わりだ。クラス替えは、最も仲の良い友達は選択科目の都合で必ず同じになれるので安心していたが、君ともう1年同じクラスになりたくて一生懸命祈っていた。でも、祈りは届かず。君は隣のクラスになってしまった。このままじゃいけない、と感じた私は、最後の1年間少しでも君に近づこうと決意した。


 その月の終わり、開校記念遠足。高3になって初めての行事だ。学校の近くの山を全員で登る。皆学校指定の上下真っ赤なジャージを着ているため、この日、ふもとから山を見ると赤がちらちらと見えるらしい。1年の時は、想像以上にハードな山に「このまま登れないかもしれない」と諦めかけたし、坂道のぬかるみにはまって上がることも下りることも出来なくなり、無事に帰れないかもしれないと覚悟も決めたものだ。近くの高校は、開校記念遠足で水族館に行くのだが、伝統を重んじる古臭いうちの高校は毎年登山で、生徒は皆文句ばかり言っていた。でも、いざ最後の1回となると、不思議と楽しいものだ。山の下からダッシュで駆け登っていく、いつも筋トレをしているような男子たちや、中間地点で座ったまま動けなくなってしまった女の子たちを横目で見ながら、体力が同じくらいで両頬のえくぼとさらさらのボブヘアーが愛らしい同じクラスのAちゃんとのんびり登る。私の体力はこの学校では中間より少し上くらいだ。この学校は偏差値ばかり高くて運動が得意でない人や日常会話にベクトルを用いるちょっと変わった人なんかが多い。そのおかげで、中学まで勉強は良い意味で、運動は悪い意味で目立っていた私が、すごく普通の人になってしまった。(数3が始まると、勉強が悪い意味で目立つようになったのだが。)

「おい、待てよー!速いって!」

後ろから隣のクラスの男子の声がした。私たちより後にスタートしたはずなので、何人も抜かしてきたのだろう。4、5人くらいの集団だろうか。狭い山道なので横を通り抜けられるよう端に寄って後ろを振り返ると、笑顔で先頭を進む君がいた。陸上部で長距離走をしている君は、登山部の子も追い抜いて、すごいスピードで近づいてくる。いつも履いてるぼろぼろの蛍光グリーンの靴が、不安定なはずの地面を躊躇なく踏みしめていく。あっという間に通り過ぎた彼らの後ろ姿を少しだけ見つめた後、

「行こっか!」

Aちゃんと2人で進み始めた。頂上まで辿り着くと、皆思い思いの場所にレジャーシートとお菓子を広げて駄弁っていた。1時間後に開校記念式典をして、その後すぐ下山になる。私は、この日、初めてのアクションを起こそうと心に誓っていたのだ。そのアクション、とは、君と写真を撮ることだ。人見知りで友達が少ない私は、これまでの2年間、学校行事で男子と写真を撮ったことなんてなくて緊張してしまい、Aちゃんのジャージの袖をつかみ、どうしよう!?と焦っていた。なかなか動き出せずに時間はどんどん流れ、同じクラスの友達、違うクラスの友達、部活仲間、なぜか所属していないテニス部のメンバーなど、いろんな人と写真を撮ったりお菓子を交換したりしているうちに、式典まで残り15分を切った。早く行かないとダメだと思った。意を決して、Aちゃんにカメラ役をお願いし、君の元へ向かった。

「急にごめん!一緒に撮ってくれない?」

我ながらあの時の勇気は賞賛したい。だって、私にとってあの言葉は、あなたに好意がありますと伝える、告白のようなものであったから。君は驚いていたけれど、一緒に撮ってくれたね。上下赤ジャーはとにかくダサいし、山登りで髪がぐしゃぐしゃだし、緊張し過ぎてなんかポーズが変だし笑顔も不自然で、全く盛れたとは言えないひどい写真だけど、私の宝物になった。


 私は高校生の間、女子ハンド部のマネージャーをしていた。陸上部に所属している君とは、週3回、グラウンドで部活が被る。被る日はどうしても、君の姿を見てしまう。君は、部活中ずっと走っている。本当に、ただひたすら走っている。私なら体育の授業で1周しただけでも息が上がるようなトラックを何周も、苦しそうな顔も見せず、ひたすら走っているのだ。そして、走り終わったら部活仲間と談笑している。努力している姿も、それを楽しめるところも、君の魅力なんだよな。


 気温はどんどん上がり、6月も終わりに差し掛かった。部活の引退試合が終わり、受験勉強を始めないといけない時期だ。この頃、私は市の図書館に通い始めた。休日は図書館で過ごすようになって何日か過ぎたある日、1人席が空いておらず、仕方なく6人掛けのテーブルに座り、ぼーっと部屋を見渡した。すると、見慣れた蛍光グリーンのぼろぼろの靴が視界に飛び込んできた。シンプルな私服に不釣り合いな派手な色合いのスニーカーを履いた君がいたのだ。休みの日に会えるなんてラッキーだ。いつも聴いている某有名男性アイドルの曲じゃなくて、ちょっとマニアックでおしゃれな感じがする海外のアーティストの曲を再生し、教科書を開いた。

しばらくすると、君が部屋を出ていく姿が見えた。お手洗いではなく、1階へ降りていったので、おそらく休憩しに外へ行くのだろう。何を思ったか、私も立ち上がってついていった。案の定、館外に出ると斜め前のコンビニに入る君の姿が見えた。まるでストーカーだな、なんて思いながら私も入り、リンゴジュースを買った。ちょうど私が店を出ると、コンビニのドアの前でさっき買ったばかりだと思われるおやつを開ける君がいた。

「え、Kくん?偶然!何してるの?」

「図書館で勉強してるんだ。ていうか、今日君もいるでしょ」

「あ、もしかして1人席にいる?見覚えある靴の人がいるな〜とは思ってた(笑)」

「多分それが俺だわ(笑)」

笑うとくしゃっと下がる目尻が可愛くて、思わず見惚れてしまう。

「糖分補給ですか?」

「そう、これ好きなんだよね。一口いる?」

私がいいの?と頷くと、君は一口というには多いくらいのバームクーヘンを自分が食べていない側からちぎって手渡してくれた。正直あの時は嬉しさと緊張で、全く味がわからなかった。ただ、その時からコンビニのバームクーヘンは私の大好物になった。


 その1週間後は、体育祭だった。体育祭の1番の目玉は、3年生全員によるフォークダンスだ。1、2年生の時、先輩たちが踊っている様子を見て、すごくどきどきした、今年はついに自分が踊れるのだ。でも本番、私は不貞腐れていた。3年生全員でひとつの輪は大きすぎるということで、クラスごとに2つに分けることになったのだ。そして、君とは違う輪に。男女比率を考えると仕方ない分け方ではあったが、少しくらいは期待させて欲しかった。もしかしたら一緒に踊れるかも!?とわくわくしたかったのだ。ちなみに、その輪の中では、部活でお世話になった男子ハンド部の顧問で、なかなかガタイの良い先生と踊ったのがいちばん楽しかった。力が強いからかなり振り回されてしまい、憂鬱な気持ちも吹き飛ばしてもらえたように感じた。

この時には、私の君への好意はバレバレだったので、写真を撮ってもらうのは容易だった。なぜか王子(と、私が勝手に呼んで崇拝していた人)にも知られていた程だ。フォークダンス直後だったので、その入場のポーズをしてもらい撮影した。男子が手のひらを上にして女の子に差し出し、その手に女の子が自分の手を重ねるポーズだった。ほんの少し手が触れ合うだけできゃあきゃあ言っていた私たちは、なんて初心だったんだろう。


 夏休みに入った。しかし、休みとは名ばかりで、高3の夏休みは大学受験の山場だからと前半は毎日補習があった。そんな補習の最終日、私は君と一緒に船着場の休憩所へ向かっていた。普段、君は図書館で勉強することが多かったが、席が埋まっていたり図書館自体が空いていなかったりする時は困ってしまうということで、私がよく利用していた休憩所を紹介することになった。君は、当時話題だったアニメ映画を勉強の合間に見たらしく、その感想を熱弁してくれた。同じ監督の過去作の話や、今後の予想など、たくさん話す君が愛しくて、隣を歩けることが嬉しくて幸せな時間だった。


その後、夏休み中に出会うことはなかったものの数日間LINEで連絡を取っていた。しかし、ある日、君から「勉強に専念するために、スマホ触らなくなります」というメッセージが来た。そのまま夏休みは明け、なんとなく私から話しかけに行くことも減っていった。


「俺さ、変温動物なんだよね。寒くなると体温が下がるんだ」

夏が過ぎ、秋も深まり山が紅に染まりきろうとしていたある朝、登校中に君に出会った。朝から変なことを言う君がおかしくて、思わず吹き出してしまった。でも、この後受験勉強が佳境に入り、私たちは顔を合わせることすらも無くなってしまった。


 卒業式ではいろんな人と写真を撮った。同じクラスの子、3年間一緒にいた友だち、1年生の時のクラスメート、担任の先生、部活の仲間、…。君とは撮らなかった。ハンド部が撮っている時、目の前に陸上部がいたけれど、私は目を合わせることもできずにそのまま立ち去った。遠足の時のような勇気が当時の私にあれば、お別れする前に、最後に、一緒に話すことが、君の隣でもう一度笑うことが、できたのだろうか。


 彼は端正な顔立ちをしている。彼は努力家。彼は結構オタク。私は、そんな彼の笑顔が、真剣な顔が、好きだった。ひたすら走る姿が、朝から自主練をして汗をかきすぎ、1時間目の授業中ずっと立っていたちょっと間抜けなところが、将来は獣医になりたいと語る真剣な横顔が、好きな作品の話をする時の輝いた瞳が、好きだった。ちょっとした優しさが、私の夢を聞いた時に全力で肯定してくれたことが、たまによくわからない冗談を言ってくることが、本当に嬉しかった。ほんの数ヶ月だったけれど、君と一緒に過ごせたあの日々は私の宝物だ。


気づけば陽はずいぶん傾いていて、私の頬に当たった。すっかり冷めたカフェオレをすすり、荷物をまとめる。今、君は何をしていますか。どこかで君がまた素敵な仲間に出会って、笑顔でいることを願います。懐かしい記憶に蓋をして、LINEの画面をそのまま閉じた。「テストやば…」マスクの中で小さくつぶやきながら、急いでバイト先へと向かった。

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