Sturum und Drung (疾風怒濤)
文字間違えてたらごめんね、
でも、直しはしない。
直しなんて、別にしなくていいのよ!
と傲慢で無礼な私が私を恥ずかしくなる。
えっと、これは一種のお別れの文、
現実世界と夢の世界に区切りをつけないとね。
時々、書いていると分からなくなるの。
私は私であるか、俺は俺であるのか、
文章に性別はあるからね、
明確な冠詞がついていなくても、
性的な何かが、名称には特権的な何かがあるんだ。
僕はふと、思ったよ、思い付きで書いてみよう、
勢いと情熱でなんとかなるってね、
この一度、灯火に満ちた情熱は、
一度やめれば、書けなくなるんだ、
やめたら、もう書くことはない、
やめたら、そこで終わったんだと思っていい、
怖いのは、想像が止まること、
それがあるかぎり、僕は恐れて書く。
まぁ、嘘だけどね、
とにかくなにも考えず、かんせいで書いている、
頭があって、頭がない感じ、
まるで、ウンゲツォイファーのように、
分かるように書けって、僕は僕のために書いてるのであって、君のために手紙を送ってるわけじゃないんだ。ようがあるのならば、スイス銀行を通してって言ってるでしょうが?こんなことを言ったら、頭がおかしいのかもしれない、文章力の向上が人生を決めるわけじゃない、むしろ、どうでもいい。人の決めた定義とはなんだろうか?向上は向上してるのかな?そんなことばかり、考えているとふとしたきっかけで、再びのおやすみタイムに入る。冬眠だ、いつ目覚めるかわからない、僕は僕だけど、僕じゃない時間を忘れるようにして、しかし、創作への意欲は断絶するよりかは続いていく。絵文字なんて使ったっけ、( ^∀^)使おうかな(≡^∇^≡)楽しいなぁ(^-^)、絵文字を使っちゃ駄目だっていうけど、古典なんだよ、いつの時代だよ、俺は時代的な人だよって云々いいたいけど、公的な文章、とかってそれを使ったらいけないもんな、未来になったら、絵文字で会話なんて使ってるのかもしれない。え~とだけど、自由ならば、自由を、だけど、自由って言葉って最近、自由なのかなって悩んじゃうんだ。めちゃくちゃだよね、私。お前はめちゃくちゃだよな。といって、笑ってる自分がいる。エッセイや!君はいつから、エッセイと呼ぶようになったんだい。大抵、顔も見えない他人の言葉なんて無視してる、気にしない気にしない、だけど、センサー張っとかんと、思わぬ事態に遭遇するから、慎重に、丁寧に、心がけようかな。という感じでを字数稼ぎ、とか好きな感じに出来たらなぁとかなんてね。ナンテを口癖にしてみようかなナンテ。どこかの国の方言じみてるよねそれはナンテ。ナンテ地獄に陥る誰々であった。続くナンテないよね。