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世間知らずの龍神さまのお世話係

はじめまして。松本志保と申します。

この作品は、わたしが長らく書いていたSSの中から長編に改編したものです。できるだけ途中で設定が狂わないように努力しますが、あれ?というところがあっても大目に見てください。

ほかにもSSからの作品を投稿するかもしれません。どうぞよろしくお願いします。

 1.ファーストコンタクト


 3月も下旬になったある日のこと。わたし、海神寿々穂(わだつみ・すずほ)は家の近くの海辺をぶらぶら歩いていた。

 大学に合格して、来月からは念願だった外国語大学に進学する。でも、それは同時に故郷や家族と離れて一人暮らしをすることになることを意味する。ほんの少しの寂しさが心にかすかな影を落としていた。

不意に、足元が翳った。反射的に視線を上げると、長身で見たこともないほど綺麗な男の人がそこに立っていた。ギリシャの大理石像のように整った、そしてもう少し男らしい顔立ちをしている。目の色はわたしと同じ翡翠色だ。年はたぶん、わたしとそう違わないだろう。彼はじっとわたしの顔を見つめて、不意に言った。

「寿々、私は凛だ」

「……え?」

 そんなはずない。絶対にない。わたしはじりじりと後ずさりながら、

「嘘つき!あなたが凛のはず、ない!」

と叫んだ。彼はゆっくりとした歩調で近づいて来ながら、

「信じて欲しい、寿々。私はどうしても寿々に話したいことがあってここまで来たのだ」

と、穏やかな声で言った。でも、この美形がわたしの知っている凛のはずがない。だって、凛は「人間ではない」のだから。とにかく彼から逃げようと背を向けた瞬間、頭の中に馴染んだ声が響いた。

『寿々。これで信じてくれようか?おまえとこうして念話ができるのは私だけだということは知っていよう』

 わたしは足を止めて振り返った。わたしの頭に直接話しかけてくることができるのは確かに凛だけだ。わたしはちょっと考えた。わたしも、同じように凛の心に直接話しかけることができる。彼が本当に凛ならば、わたしのメッセージを聴き取り、答えることができるはずだ。わたしは彼の心に語りかけた。

『あなたが本当に凛なら、わたしが初めてあなたに話しかけた言葉を覚えているよね?』

『10年前のあの日、おまえはわたしに呼びかけた。「どうしたの?なにか、悲しいことがあったの?」と』

 間違いない。たとえ人間の姿をしていても、彼はわたしの幼馴染の凛だ。わたしは思わず手を差し伸べて凛の手を取った。一度も顔を見たことがなくても、10年にわたって毎日会話していた一番の親友に会えたのだ。わたしは素直に嬉しかった。凛も穏やかに笑った。

「ねえ、凛。それで、なんの話をしにわざわざ陸まで来たの?テレパシーでも言えたんじゃない?」

 わたしたちが流木の丸太に座ると、わたしはさっそく疑問をぶつけた。凛は相変わらず温和な表情で、いきなりぶちかました。

「おまえに大学に行くのをやめて、私の妃になってほしいと言いに来た」

「は?」

 わたしは自分の耳が故障したのか、凛の頭がどうかしたのだと思った。凛はわたしに異性に対する好意のようなものを表したことがない。あくまでも毎日テレパシーで会話するだけの幼馴染で、顔を見たのも今日が初めてだ。なのに、いきなり妃だなんて、あまりにも無茶だ。まして、わたしはもうすぐ大学に行く予定で、凛にもそのことは懇々と説明した。卒業したら実家に帰って来ることも話した。理解してくれているものだと、うかつにも思い込んでいたのだ。

 わたしは、唖然としていたので気が緩んでいた。だから、不意に凛が顔を近づけて来たとき、反応が遅れた。暖かくて柔らかい、未知の感触にはっと我に返り、とっさに右手を振り上げて凛の頬をぶとうとした。凛は予想していたのか反射神経がよかったのか、すばやくその手をつかんだ。

「なにするのよ、凛!」

 わたしが口で抗議すると、凛は不思議そうな顔をした。

「これは、人間の好きな相手にする愛情表現だと聞いた。なにか間違っていたか?」

「誰に習ったか知らないけど、キスするには相手の同意が必要なんだよ」

 凛は人間ではない。だから、人間の世界のことは全部勉強して覚えたものだ。だから、時々変な勘違いをしていることがある。別に好きな相手がいるわけじゃないけど、特に好意を持っているわけでもない幼馴染にファーストキスされたのはちょっとダメージだった。凛はちょっとしょんぼりした。

「おまえが嫌がるとは思わなかった。すまない」

「初めてだったんだからね!」

 わたしが強い口調で言うと、凛は涙目でわたしを見た。

「私だって初めてだったのだ。寿々だからああしたのだ」

 わたしはため息をついた。凛は人間のことをよく曲解している。たぶん、教えている先生もあまり人間の習慣や文化を知らないのだろう。だから、怒ってみてもしょうがない。子供に文句を言っても通じないのと同じだ。

「それで、どうしても大学に行くのか。私の妃になってくれる気はないのか」

「ないよ。言ったじゃない、わたしは中国語を勉強したいの。卒業したら帰って来るよ。凛と結婚するつもりもないけど」

「おまえは4年間も東京に行くのだろう。私は心配なのだ。都会は危険だし、私のことを忘れてしまうかもしれない」

 凛は指先で目頭を押さえた。子供の時からの泣き虫はちっとも変わっていない。

「今と別に変わらないよ、凛。入試の時にテレパシーが届くのは確認済みだし」

 凛は海の底に住んでいる。わたしとかなり離れているはずだけれど、テレパシーは届く。大学入試で東京に行った時に試してみたけど、至って普通に会話できた。凛だって、そのことはわかっているはずだ。

「それにね、海神神社はわたしが跡継ぎなんだよ。必ず帰って来る。というか、わたしが凛のお妃になったら、誰が神社の宮司を継ぐのよ」

 そう。わたしは神社の跡取り娘だ。それも、凛を祀っている神社。今の宮司はお父さんだけど、お父さんは凛の「お告げ」が神社の中でしか聞こえない。弟の寿樹も似たり寄ったりだ。海神神社は基本的に女性が宮司になる神社だ。お父さんの代は女の子がいなかったからお父さんが継いだのだけど、次になるのはわたしだ。子供の頃からそう言われて育ったし、なんの抵抗も不満もない。

「寿樹が継げばいいだろう。あれもわたしの声が聞こえないわけではないのだし」

 凛はあっさり言った。そうは言っても、寿樹もいきなり宮司を継げと言われても困るだろう。なにより、寿樹は凛の声が聞こえるけれど、自分から凛にメッセージを送れない。これは大きな欠点で、お父さんも凛の「お告げ」にわからないところがあっても訊ねられなかったのだ。わたしが凛とテレパシーで通信していることを知ったお父さんはとても喜んだ。わたしが次代の宮司になることは決まっている。

「そもそも、凛のお嫁さんになったら海の底に住むんでしょう?電気も電話もガスも水道もインターネットもないんでしょう?そんなところにお嫁に行きたくないよ」

「電気と電話といんたぁねっとは無理だが、ガスはプロパンガスがあるし、水は私が海水を真水にできる。問題ない」

 凛は平然と言った。わたしはどっと疲れがこみあげてきて、右手で額を押さえた。

「とにかく!わたしは大学に行く。それは譲れないからね。結婚は卒業してからまた考えよう」

 わたしは凛にこれ以上絡まれたくない一心で、問題を先送りした。案の定、凛はぱあっと顔を輝かせた。

「わかった。今後のことはおいおい話し合うとしよう。では、私はこれで」

 凛は満足そうに立ち上がり、まっすぐ海にざばざばと入って行った。わたしも特に止めなかった。彼の姿が完全に海へ消えて行ったのを見届けて、わたしもひとつため息をついて立ち上がった。

 凛──わたしがそう呼んでいる親友は、この山陰の海を統べる龍神だ。海に潜ったら、本来の龍の姿に戻って屋敷まで泳いで行くのだろう。

          *          *          * 

 翌日、荷造りをしていると頭の中にお馴染みの声がした。

『寿々、出発は五日後だと言っていたな』

『うん、そう。言っとくけど見送りとかはいらないからね』

 わたしと凛のテレパシーは便利だけど、一つだけ欠点がある。テレパシーを使っている間は体が動かないのだ。そのせいで階段から落ちたこともある。でも、お互いに今何をしているのかわからないのだから仕方がない。

『わかった。電車を見てみたかったが、夜に泳ぐのも危険だしな』

 凛はあっさり同意した。島根から上京するルートはおおむね4つある。まず、わたしが使う予定の寝台特急「サンライズ出雲」。これは松江駅から乗ると終点の東京駅まで寝て行ける。体に負担がかからないし、ナンバーロックができるので安全だ。次に特級「やくも」で岡山まで行き、そこで新幹線に乗り換えるルート。時間的には「サンライズ」より速いけど、中国山地を通る「やくも」はひどく揺れる。それに座りっぱなしなので疲れる。3つ目は高速バスで、これも松江駅前から発車し、都内のバス停まで行く。とはいえこれも座りっぱなしだし、ほかのお客さんが周囲に乗って入るのでリラックスできない。最後は一番速い飛行機だけど、日に2便くらいしか出ていないし、出雲空港まで行かなくてはいけないのでちょっと遠い。

 入試の時にも「サンライズ出雲」に乗った。東京駅から大学までの道もだいたい頭に入っている。わたしが住むことになるアパートの場所も覚えている。母が心配していっしょに行こうかと言ってくれたけれど、家事ができない父とレンジで冷凍食品を温めるくらいの寿樹を置いて行くのはもっと心配だったから断った。わたしのほうがよっぽどしっかりしている。


 あっという間に上京の日が来た。要らないと言ったのに、両親と弟はわざわざホームまで見送ってくれた。シングル寝台に乗って荷物を置き、凛にテレパシーを送る。

『無事サンライズに乗ったからね。アパートに着いたらまた連絡する』

『わかった。気をつけるのだぞ』

 凜は海の底に住んでいるから、スマホも固定電話も使えない。珍しいニュースなんかはわたしがテレパシーで教えている。

 とりあえずベッドに横になった。ごく人並みの体格のわたしにも、それなりに広くて寝心地がいい。電車に乗る前に夕ごはんを食べたこともあって、いつの間にかうとうとと眠ってしまったらしい。

 目が覚めた時、なぜか個室のドアが全開になっていた。サンライズは内鍵を閉めるので、わたしが開けない限り開かないはずなのに。ドアの外には車掌の制服のおじさんが立っていて、わたしを覗き込んでいた。

「お客さん、具合は大丈夫ですか!?」

 車掌さんは目を覚ましたわたしに慌てた様子で話しかけた。わたしには何が起こったのかまるでわからない。

「あのう、わたし、どうかしたんですか?」

「東京駅に着いて20分経ってもドアが閉まったままだったので、何かあったかと思って鍵を開けさせていただきました。大変失礼いたしました」

 わたしにも、なにがあったのかようやく理解できた。サンライズは午前7時に東京駅に着く。わたしはそれに気づかずに眠っていたのだ。早い話、寝坊だ。個室を車掌さんに開けられるほどの寝坊なんて、とてつもなく恥ずかしい。わたしは大急ぎで手荷物を持ち、サンライズを降りた。

 とりあえず薄緑の山手線を探し出し、池袋方面のホームに降りた。まだ早朝なので人はまばらだ。ホームに滑り込んできた列車もがらがらだったので、シートに腰掛けてほっとため息をついた。

 わたしは島根県の県庁所在地に住んでいるけど、こんなに長い車両の電車は走っていなかったし、一時間に二本くらいしか電車は走っていなかった。入試の時、生まれて初めて山手線に乗ろうとしたわたしとお母さんはホームに電車が停まっているのを見て、慌てて走ったけれど、電車はあっさりわたしたちを置いて出て行ってしまった。松江の駅なら、走って来れば待ってくれるのに。

「都会の電車は冷たいねえ」

などと母と話していると、ものの3分かそこらで次の電車が来た。しかも座っている人はほとんどいない。これが都会の電車かあ、とわたしは驚いた。幸いアパートは大学のすぐそばなので、電車通学ではないけれど、こんなに人でぎっしりの電車には乗りたくないとわたしはひそかに思った。

 ようやく大学の最寄り駅に着いて、コンビニでおにぎりを二個とお茶を買った。炊飯器は今日の午後実家から送った荷物の中にあるはずだ。アパートは駅から大学までの道の途中にある。さほど複雑な道でもなかったので、迷うこともなくアパートに着いた。いかにも大学生の住みそうな、白くてさっぱりした二階建ての建物で、階段と廊下は外についている。わたしの部屋は202号室だ。とりあえず鍵を開け、バッグといっしょに持っていた地元のお土産を置いた。テーブルはまだない。カーテンもゴミ箱もなにもない。実家から送られてくるもの以外は買いにいかなくてはいけない。コンビニで買ったツナマヨとたらこのおにぎりで簡素な朝食を食べた。料理はそれなりに得意だけど、冷蔵庫も鍋もフライパンもないのでは何も作れない。

 食べ終わったところで、凛にテレパシーを送った。

『アパートに着いたよ、凛』

『そうか。無事で何よりだ』

 いつも通りの返事が返ってきた。本当は無事でもないんだけど、電車で寝過ごしてドアを開けられた、なんて恥ずかしい話はできない。

 アパートにはまだなにもないので、とりあえずバッグに入れてきた推理小説の続きを読みながらちらちら時計を見た。いくら学校がまだ始まっていないとはいえ、あまり早い時間に挨拶周りするのは迷惑だろうと思ったからだ。

 9時すぎに立ち上がり、地元の銘菓である「山川」が入った袋を持って立ち上がった。松江には江戸時代に不昧公というグルメなお殿様がいて、お菓子屋さんが発展したので名物が多い。この「山川」は白とピンクの綺麗な落雁で、不昧公が名づけたという謂れがある。紅白で縁起がいいので、結納の席にもよく出てくる。

 一階の奥から挨拶に回った。幸いなことに、住人はみんな在宅だった。どの人も喜んでくれたので、ほっとしながら二階の最後の部屋、201号室のチャイムを押した。思いがけないほど早く、がちゃ、とドアが開いて、顔を出したのは……まさかの凛だった。わたしは目を擦って見間違いでないのを確かめながら、

「凛、なんでここにいるの?」

と訊ねた。凛は誇らしげに笑った。

「私もおまえと同じ中国語学科に合格したのだ。いつも傍にいて守ってやるから、安心して学生生活を送るといい。……ところで、私と結婚する話は考えてくれたか?卒業してからでもかまわないぞ」

 わたしはへなへなと玄関先に座り込んだ。四年間、凛とお隣さんで暮らすと思うと眩暈がした。もちろん、凛は大好きな幼馴染だ。でも、それ以上ではない。

 ああ、どうしよう。夢見ていた、自由で楽しい大学生活が~!

                   

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