第五章 『緋翼』 [前編]
ギザギ十九紀14年11月29日、異世界召喚庁長官アリアド・ネア・ドネは世界の果てで起きている事件を感知した。彼女はギザギ国のみならず、できうるかぎりカクカ大陸の情報を収集しており、それが機能したのである。
情報の信憑性を確認し、最悪の結論に達したとき、彼女はらしくもなく顔を青ざめさせた。
アリアドはギザギ国王に謁見を求め、世界の脅威を告げた。
エーライヒ・トイン・ギザギは絶句し、不吉な報告をする魔女に怒りをぶつけた。
「アレはただの作り話にすぎぬ! いるわけがない! もし仮にまことであれば、そんなモノを相手にしたくはない!」
誰だってそうであろう、とアリアドは思った。その名は子供の躾に使う怖いお話の類である。それを正式な場で聴かされて正気でいられるわけがない。そう理解しつつも、王がこれでは国はどうなるのだと心配は深まるばかりだった。
「たしかなのか、アリアド?」
興奮する国王に代わり、国務大臣が問う。
「はい。『緋翼』は大陸西方より出現し、東に進んでおります」
アリアドが再度告げると、謁見の間に集まっていた上級貴族や官吏がまたもどよめいた。
『緋翼』とは全身を緋色の鱗で包まれた巨大な竜である。世界を滅ぼすモノとして歴史にたびたび登場する。数百年周期で唐突に現れ、大陸を焼き、また消える。どこを住処にしているのか、何千年生きているのか、なぜ大陸を死滅させるのか、それすらもわからない。現れるたびに討伐作戦は決行されるが、歴史が語るとおり成功例はない。世界の天敵であった。
「……我が国にも来るのか?」
「おそらく。大陸諸国も抵抗はするでしょうが、斃せるものとは思えません。事実、いくつかの国はすでに壊滅状態です」
「いつだ、いつあやつは来る!?」
国王が声を張り上げた。
「年内には必ず」
アリアドは淡々と答えた。周囲の混乱が彼女を冷静にしていた。
「勇者はどうした、アリアド! この日のための異世界人ではないか! そうだ、十天騎士がおる! あれならば――!」
「そのあたりの魔物とは格が違います。『緋翼』は人が抗えるモノではありません。十天騎士といえど勝ち目はないでしょう」
「では何のために多くの異世界人を召喚したのだ! ペットか、奴隷か!? ゴミばかり集めおって!」
国王の見苦しい暴言に、アリアドは拳を握った。もともとこらえ性のない彼女である。いいかげん腹立たしくなってきた。
「そうしたのは陛下です。十天騎士を召喚したとき、わたしは言いましたよ。彼らははじまりであり、今後一層の勇者も疑似体の改良により可能であろうと。それを怖れ、禁じたばかりか、異世界人すべてに枷をはめたのは陛下ではありませんか」
まさかの家臣の口答えに国王はカッとなった。
「アリアド! キサマ、余の命に意を唱えるか! 何様のつもりだ!」
「私は陛下の忠実な臣です。それがなにか」
アリアドは胸を張って言ってやった。すっきりした。
王は絶句し、顔を赤くして怒りを溜めこんでいた。噴火寸前である。
「いずれにしろ、『緋翼』は確実にこの国へ参ります。陛下、御裁可を」
王が口を開きかけると同時に、アリアドはまくしたてた。この場の全員の眼が国の頂点に立つ男へと向けられた。
「う……むぅ……」
国王はうなだれ、汗を流すばかりである。ギザギは大陸・東の終着点であり、逃げ場はない。例え国を放棄しても頼るツテもない。大陸のどの国も同じ状況なのだから。
充分な時間を与え、何ら答えがないのをアリアドは内心でほくそ笑んだ。
「陛下」アリアドの声に、今度は彼女に視線が集まった。
「私にお任せいただけますか。多少の策があります。異世界人を使い、試してみましょう」
「あるのか、策が?」
「勝率は限りなく低いのですが。ただ、これだけの大事業、もし成せたときは――」
「よい、すべてを任せる。望む褒美もとらせよう。ドネ老師が推奨した異世界人勇者の力を今こそ示してみよ」
「承知いたしました」
アリアドは微笑し、優雅に一礼した。このようなとき、美しい魔女の姿は人々を魅了する。
「ではまず、『緋翼』討伐の拠点としてサイセイ砦を預かります。全指揮権の移譲を陛下よりロッタ―将軍にお伝えくださいますよう」
アリアドはそうしたいくつかの注文を出し、王城をあとにした。
魔女のいなくなった謁見の間では、不安を共有する貴族たちの声が飛び交う。
国務大臣は王にそのはけ口を求めた。
「陛下、これで本当によろしかったのでしょうか? アリアドが『緋翼』を討伐できると本気でお考えですか?」
「あやつにできねば誰にもできぬわ。任せるしかなかろう」
「ですが万事成功したあかつきには、何を要求してくるか……」
国務大臣は見えない先の権力闘争に頭が飛んでいるらしい。国王は不愉快になった。アリアドのほうがまだ可愛げがあるというものだ。あれはあれで深い思慮があるのだろうが、大臣のように他人を蹴落とす論理は持っていないのがわかっている。
「アリアドに能力はあるが、国を裏切ることもない。性根はただの小娘だからな。異世界人に対して贔屓が過ぎるだけだ。多くは望むまいよ。だがどれも生き残って後のこと、今は小娘のささやかな望みを叶えてやろう」
そう言って王はペンを走らせた。サイセイ砦に送る指令書である。
一方、『緋翼』討伐を買って出たアリアドは、城を出るとのびのびと深呼吸した。
「さぁて、ああは言ったけど、策なんて何もないのよねぇ。どうしたものかしら。とりあえず十天を呼ぶとしますか。来てくれるかわからないけど」
彼女は通信水晶強を取り出し、もっとも信頼のおける少女のもとに連絡を入れた。
「あー、レナ。忙しいとこごめんね。ちょっとヤボ用なんだけど、みんなを集めて二日後にウチに来てくれないかしら。……え? みんなはみんなよ。あの10人。よろしくー」
11月30日、アリアド邸への訪問を前に、異世界人管理局・局長であり召喚十天騎士の一人レナから呼び出しを受けて、10人の戦士が管理局・局長室で顔を合わせた。日曜日なので職員は一人もおらず、集合には都合がよかった。
召喚十天騎士とは、アリアドが召喚庁長官となって呼び出した初めの10名であり、本物の勇者として望まれた人材である。国王に語ったとおり、勇者としての特別な疑似体を使用しており、常人の数十倍の体力と魔力を有している。そのぶん耐久性は格段に落ち、計算では9年を境に著しく減衰し、その1年後には機能停止となる欠点もあった。『10年後には死んでもらうから』とアリアドは契約時に告げており、10名はその覚悟を持って勇者となった――はずであった。
「今さら何のようだ?」
もっとも体格の大きい男が、居並ぶかつての仲間を見て不機嫌に言った。『四番騎士』のロックである。
「世界の危機としかわたしも聞いていません。明日、アリアド様ご本人から語られるでしょう」
車椅子に座った緑髪の少女『最初の騎士』レナが、ロックに多少脅えながら答えた。仲間の中で最年少で体も小さい。しかし、倍どころか四倍はあろうかというロックに腰が引けるのは、体格や年齢差のためではない。過去の事件からの苦手意識である。
「それじゃなんで直接じゃなくて、いったんここに集まったのさ?」
巨大な弓を背負った『八番騎士』エクレアが訊いた。その弓の一撃は、魔力を帯びて雷のような破壊力を持つ。
「アリアド様がわたしたちを招集したのは、それだけ相手が強大だからでしょう。ですが、わたしたちはあの頃のまま、未だ不和が続いています。まず、それを解きたいと思い、わたしの一存で集まっていただきました」
レナは訴えかけるように話す。十天騎士が分裂したのは、彼女の現在の姿も無関係ではない。彼女は自分が被害者とは思ってはいないが、自分が中心であったことに間違いはなく、だからこそ呼びかけるのに最適であると考えた。
「オレたちにあやまれってことか?」
ロックはさらに不機嫌になった。彼女の怪我の原因が、北方領土ホクタンを巡る戦いで、ロックをはじめとする数人が身勝手に戦端を切ったためであるのは疑いようもない。しかし、結果として敵を追い払うことに成功したのも、あの奇襲あってこそだと彼は信じている。アリアドすら、その成果は認めていた。
「いいえ。この怪我はわたしの油断によって生じたもの。謝罪は必要ありません。ですが今回は仲間として互いを信頼しあう必要が――」
「何を言ってもロックは変わらねぇだろ。脳筋だぞ、脳筋」
レナを遮って『九番騎士』アキラが吐き捨てた。当時、ロックらの強攻策に反対した一人だった。レナや『三番騎士』バルサミコスも同じ側だ。
「なんだと!?」
「そうだろうが。今も北部の山奥で暴れてるらしいじゃないか。クマと相撲とってるってよ」
「コイツ!」ロックはカッとなり、アキラに殴りかかった。
が、その拳を紫髪の女戦士が止めた。
「よさないか。レナはこのような争いをやめさせるために皆を集めたのだぞ」
「カイン……!」
ロックの怒りの形相が『十番騎士』に向けられた。彼女は十天騎士の正式なリーダーではなかったが、誰もが自然と認めていた『まとめ役』だった。ロックはそれが鼻持ちならなかったが、面倒ごとも進んで引き受けていたので帳消しとばかりに中立を保っていた。あのときまでは。
「過去を水に流すのは難しい。だが、なればこそ今やらねばならない。それをレナが始めようと言うのだ、わたしたちがそれに応えなくてどうする?」
「相変わらず優等生のセリフを吐くじゃねーかっ。自分だけを高みに置いて人を見下しやがって」
「わたしはそれほど高潔ではない。それはキサマの脆弱さが作りだした被害妄想だ」
カインに悪気はない。思ったままを口にしただけである。が、その気遣いのなさがロックの怒りに燃料を投下したのは確かだった。
ロックは本気でカインを殴り殺そうと襲い掛かった。
カインのほうも無抵抗でやられるつもりはなく、向かってくる道理の通じない阿呆に鉄槌を下すべく拳を固めた。
「やめてください!」
レナがパンと手を叩いた。部屋中に魔力が走り、全員の動きをとめた。拘束魔術である。
「話を聞くつもりがないのでしたら結構です。ここを出て好きになさい。いつまでも子供のように駄々をこねている愚かな人にいてもらいたくはありません」
「子供だと?」
呪縛を打ち破ろうとロックは足掻く。しかし叶わなかった。この場の誰よりもレナの魔力は強い。魔術に関しては騎士の中でも頭一つ抜けている。
「そうではありませんか。わたしたちにしか解決できない問題があるのに、それすら無視して我欲に走る者を子供と称せずなんと言うのです。そのような人が勇者であるはずもなく、また、勇者たろうとする者の意志さえも挫く害虫です。ならばその疑似体を有効に使える者に明け渡すべきです」
「ハッ、そんなことできるわけが――」
「なぜできないと思うのですか? アリアド様は元の肉体から疑似体への移行を可能にしています。この逆ができないわけがありません」
「できるならとっととやってるだろうがっ。オレたちがバラバラになって好き勝手やってるのを見過ごしてるのも手が出せねーからだっ。あいつはオレたちを強くしすぎちまったんだよ。自分でも制御できねーくらいにな!」
ロックの言を、他の十天騎士も完全に否定しきれなかった。ドラゴンさえも討伐してみせた彼らの力は、ギザギ国最強の魔術師さえも凌駕している。でなければ、国に従わずにいる異世界人を放置しておくはずがない。
「愚かしいですね。思い上がりも甚だしい。あの方の真意も知らず、本当に子供のよう」
レナは頭を振った。十天騎士が離散したとアリアドから聞いたとき、彼女は異世界人管理局局長を任されて一人だけナンタンにいた。当時の会話を思い出す。
「引きとめなくてよかったのですか? 十天騎士がいなくなっては、アリアド様が王様からどんなお叱りを受けるか」
心配するレナに、アリアドは笑っていた。
「あー、いいのいいの。この国に白雪竜以外の大きな障害はなかったし、それに強制してもうまくいかないしね」
「ですが……」
「悪い面だけじゃないわよ? 全員がバラバラってことは、国中均等に力を持つ者がいるわけだし。彼らが悪い人間じゃないのもわかってる。だから移住先で問題があれば勝手に解決してくれるでしょ?」
アリアドの読みは当たり、例えば東海岸に居を構えたカインは、ときおり現れる大海蛇を「鬱陶しい」と自分の意志で退治していく。
「フリーマンさんやバルサミコスさんなどは定住しないと思いますが……」
「それはそれでいんじゃない? 地方の細かいところを視てもらえそう」
「……」
言葉なくうつむくレナに、アリアドは優しく触れた。
「もう勇者なんていらないのよ。なりたいと望むなら応援もするけど、強制されてなるなんて冗談じゃない。望むなら日本に帰してあげてもいいの。でも、彼らにとっての元の世界はここよりもヒドイでしょう? だから、普通に生きられるならそれでいいのよ」
「帰れるんですか?」
レナは驚いてアリアドを見返した。
「もちろんよ。レナは帰りたい? 病気も治してあげるわよ」
「いえ、わたしは命を救ってくださったアリアド様に一生をかけて恩返しさせていただきます。お役に立つかわかりませんが、普通の疑似体になった後も、ずっと」
「一生はいいわよ。数年で充分。あとは好きに生きなさい」
そのときの困ったようにはにかんだアリアドを、レナはずっと忘れていない。
「……出ていきなさい。自分が誰に救われ、なぜその力を得られたのか、何に対して行使すべきか、それがわからない者にこの場にいてほしくありません。そして残りの一年余りを無為に過ごし、誰からも想われずに消えてしまえばいいのです」
レナは十天騎士にかけた拘束を解いた。
騎士たちの体は動いた。けれど、誰もすぐには動けなかった。
ふぅ、と一息を吐き、シリアス展開が苦手なバルサミコスが頭を振った。
「レナっち怖いよ? わたしは当然残るよ。いちおう世間では勇者扱いされてるしね。逃げたら何を言われるか」
「アリアドへの恩というのは確かにある。が、それ以上にわたしの力が求められるのならば、わたしはいつでも戦う」
カインは椅子に座り直し、腕を組んだ。
「確認。これは本当に国の存亡にかかわる事案か?」
『七番騎士』のセリが静かに訊ねた。
「はい。世界規模の危険ということです」
「ならばやろう。守りたいものがある」
セリは腰の短刀を抜いた。ここ数年、物置の奥深くに封印していた得物だった。彼女はこれを必要としない生活をしていた。願わくば二度と抜きたくはなかった。
こうして次々と十天騎士は席に着き、ロックが残った。
「無理すんな、脳筋。とっとと山奥へ帰れ」
アキラが手を払う。
「ンだとぉ? だいたい、やらねーとは言ってねぇ。気に食わないことが多すぎるだけだ」
ロックは体が大きすぎて椅子が合わず、床に座った。
レナは胸を撫で下ろした。
「ありがとうございます、みなさん。これでまた、みなさんとご一緒できますっ」
少女に笑顔で告げられ、十天騎士たちは照れ臭くなって返答に困った。
翌日、十天騎士はギザギ国王都オースムにあるアリアドの館に集まった。レナとバルサミコスを除いた八名の騎士がここを訪れるのは、六年ぶりである。
「揃ったわね。歓迎パーティーをしたいところだけど、けっこうシビアな状況なの。早速みんなの力を借りるわ」
アリアドは騎士たちを眺めまわして、セリフと裏腹に笑みを浮かべた。
「世界の危機ということだが?」
カインが訊ねる。アリアドは表情を改め、一同の前に動画を浮かび上がらせた。赤い鱗のドラゴンが街を焼き尽くしている光景だった。その動画でもっとも恐ろしいところは、スケールのおかしさだ。
「ちょっと待てよ。このドラゴン、大きさがよくわかんないぞ?」
アキラが唸る。彼の常識範囲を超えているせいで、整合がとれないのである。
「およそ4000メートルよ」
「「!」」
十天騎士は驚きすぎて声が出なかった。思わず椅子から飛び上がる者もいる。
「そんなの斃せるのかよ……」
豪胆なロックでさえ、そう口をついて出た。
「斃すしかないの。逃げ場はないわ」
「今、こいつはどこにいるんだ?」
『六番騎士』ノリアキが冷静に問う。彼はパーティーの頭脳で、作戦立案は彼が主に行っていた。
「まだ大陸の西にいるわ。だけど、この速度なら三週間もすればギザギに来るでしょうね」
付加された情報に、十天騎士はまたも言葉を失う。「速すぎる」と漏らしたのは二本差しの『二番騎士』ツルギである。
「アリアドには策はあるのか?」
カインの問いに魔女は首を振った。
「過去、数千年にわたって『緋翼』退治は試みられてきたわ。でも生存が示すとおり、成功例はない。一時的に撃退したという報告もないの。マルマの常識ではもはや打つ手なしよ」
「それでは、この世界は何度も滅んでいるというのか?」
「あらかたね。でも根絶の事実はないわ。さすがにそこまで徹底的にできるわけでもないようよ。今回も、すでに『緋翼』が通り過ぎたところや小さな村では生前者も確認されている。だからすべてが終わるというわけではない」
「だが、壊滅に変わりあるまい。復旧にどれほどの時間と労力が割かれることか」
「まさにそれが『緋翼』の狙いではないかという仮説があるの」
「狙い?」
首をかしげる一同に、アリアドは古い書物を広げて見せた。彼らには読めない文字で書かれている。
「エルフの歴史書よ。彼らは『緋翼』が現れるたびに記録をつけていたの。それによると、『緋翼』が攻撃するのは単一種のみ。例えば前回は人間のみ、その前はゴブリン種と言ったように。そのとき隆盛を誇った種が排除の対象となっているのよ」
「増えすぎた種を間引いていると?」
「そういうことね。世界のバランスが崩れるときに現れる調停者、それが『緋翼』だとエルフたちは結論づけてるわ。言うなれば『世界の意志』が生み出す僕ね」
「それと戦うのか……」
唾を呑み込む音がいくつか聞こえた。
「戦わなければ滅ぶ。それだけよ。さぁ、どうする?」
アリアドは微笑んだ。
アリアドと召喚十天騎士が『緋翼』対策を講じているころ、一異世界人のショウは世界の危機など知らずにナンタンの町で仕事に励んでいた。
今日はルカとともに中区10番街で建築資材の搬入作業をしている。マルやアキトシと初めてこなした仕事と同じだ。そのときを思い出し、ショウは懐かしい気持ちになった。
昼休み、近くの食堂で食事を済ませた二人は現場に戻ろうとした。
「危ないっ」ショウは、雪に足をとられて転びそうになった少女を支えた。
「大丈夫?」
「平気。ありがと」
10歳くらいの女の子は、ショウと目も合わせずにボソボソっと言い、離れようとした。
それをルカが襟首をつかんで止める。
「ダメだよ、お金を取っちゃ」
「え?」
ショウは腰の布財布を確認した。なくなっている。ショウは仕事柄、外区に行くこともあるのでわずかながら硬貨を持ち歩くようになっていた。異世界人の町ナンタンでも、外区では精算水晶球が使えない場所がほとんどだからだ。
少女はショウの財布を両手で隠すように握っていた。
「兵士に突き出す? 手際から見て常習犯だよ」
ルカがショウに訊ねた。相棒は「う~ん」と唸る。スリは悪いことではあるが、小さな女の子を罰するのにためらいがないわけではない。かといって許したところで彼女は繰り返すだろうし、罰したところで変わるとも思えない。
「放せ!」
少女は暴れて抵抗するが、ルカがガッチリと握っているため逃げ出せない。そのうち襟が伸び、ところどころほつれていた部分から破れていった。
「あ、コラ――!」
ルカが掴み直そうとした瞬間、彼女は逃げ出した。
「ルカ!?」
ショウは違和感を覚えた。ルカは掴もうとして、一瞬だけ硬直した気がした。
「あ……」ルカの手はすでに遅く、空を掴んだだけであった。
「……ごめん、逃がした」
「しょうがないよ。財布にはたいして入ってなかったし、そもそもオレじゃ気付かなかったしな」
ショウはしょげるルカを慰めた。その裏で、彼女の処遇に迷っていたので助かったとすら思っていた。
「ホントにごめん。夕ご飯はおごるから」
「気にするなって。さ、仕事に戻ろうぜ」
ショウはルカの背中を叩く。ルカは「うん」と元気なく微笑んだ。
その夜、ルカはショウたちの前から姿を消した。
ギザギ十九紀14年12月3日夕刻、ショウとマル、シーナとアカリはコープマン食堂で食事をとっていた。
「ルカはどうしたんだ?」
ショウはこの時間にも現れない友人を気遣った。食事の手も進まない。
「朝からいなかったのよね? 仕事もしてないって?」
アカリはショウほど深刻には考えておらず、パンをちぎって食べる。
「パーザさんに確認した。今日は仕事も受けていないし、姿も見ていないって」
「どっかで遊び歩いてるんじゃないの? この町以外に行くところなんてないし、そのうち帰ってくるでしょ」
「とは思うんだけど……」
ルカが連絡もなくどこかへ行ったことはない。一人で行動するにしても、必ず告げるかメモがあった。
「アイリのときとは違うわよ。もうとっくに三日ルールは切れてるんだし」
アカリはピンク髪の少女を思い出し、寂し気な顔になった。
「心配してもしょーがねーだろ。ガキじゃねんだしよぉ」
マルはいつもどおり豪快に食事をしている。
「朝までに帰ってこなかったらパーザさんに居所を調べてもらおうよ」
シーナがフォークを振りながら提案する。
「その手があったか。うん、そうしよう」
ショウは彼女の案に顔を輝かせた。
その様子にアカリがショウをからかう。
「ルカも大概だけど、あんたも意外とルカに依存してんじゃないの?」
「心配してるだけだっ。いなくなったのがおまえでも同じだ」
「へっ? ……あ、そう。ありがと……」
アカリは真っ赤になって礼を言っていた。
「アカリぃ、わかってて言わせたでしょ?」
シーナの目が妖しい。アカリは「そんなわけあるかっ」とさらに赤くなった。
そんな二人のやりとりにかまわず、ショウは安心して食事を再開していた。
同じころ、ルカは外区の古びた家に侵入していた。昨夜からほぼ一日かけてようやくつきとめた場所だった。
薄暗い部屋に男がいる。その前には十数人の子供たちがいた。昨日のスリの少女の姿もある。
男は子供から財布や貴金属などと回収し、多く持っていた子供は褒め、少ない者は容赦なく叩いた。
ルカはその瞬間、殺意を抱いた。
翌12月4日。ルカはショウたちのもとには戻っていない。
ショウとシーナは今日の仕事を放棄し、朝の集会が終わるとパーザ・ルーチンにルカの居場所を訊ねた。
「個人情報に関わることなのでお教えできません」
パーザは一蹴した。が、ショウはあきらめなかった。不安要素を並べ立て、せめて安否確認を頼み、鉄壁の管理局員を降参させた。
ため息をつきつつ確認するパーザだが、すぐに表情が厳しくなった。
「……位置情報が掴めません」
「どういう意味?」
「ギザギ国に存在しないのです。探知範囲外にいるか、もしくは……」
パーザの答えに、シーナは不吉な記憶がよみがえり背筋が凍った。
「し――!」
「そんなわけあるか! 何の前触れもなくそんなふうになる理由がないだろ!?」
ショウはシーナの言葉を打ち消した。その声量に周囲は驚いている。
「ショウさん、落ち着いてください。とりあえず、会議室へ」
パーザは平静を装いつつ彼らを連れて管理局の二階へと上がった。
「ルカは見つかりますよね?」
会議室の扉が閉められると、ショウはパーザに詰め寄った。シーナも懇願する目を向けていた。
「残念ですが、見つける方法がありません」
パーザは視線を逸らす。
「そんな……」
愕然とする少年と少女を前に、パーザは言葉が浮かばない。
「何があったんだ? いなくなった日、何があった? オレの財布がすられた責任を感じてたみたいだけど、だからってそれがなんだってんだ?」
「もしかしてそれでスリの子を探しに行ったとか?」
頭を抱えるショウに、シーナが思い付きで言った。だが、それは信憑性の高い発言だった。
「……そうかも。それで何かに巻き込まれて帰ってこれないのか。わかんないけど、位置情報が掴めないような地下にいるとか」
「可能性はありますね。魔力が封鎖された空間にいるならば、位置は捕捉できません」
パーザも納得した。正確には納得したかった。そんな場所がナンタンにあるとは思えないからだ。
「それだ! シーナ、探しに行こう! おとといの現場近くにヒントがあるはず!」
ショウはシーナの手を引いた。彼女は「うん!」と応えてついていこうとした。
「待ちなさい。危険があるとわかっていて行かせるわけにはいきません」
パーザが引き留める。
「それじゃ、管理局でどうにかしてくれますか?」
ショウは管理局員の目を見た。
「兵士に捜索願を出します。あなたが山で行方不明になって以来――」
パーザの説明は、突然の扉の開く音に遮られた。
「失礼しますっ。局長がお呼びです」
ベル・カーマンがノックもせずに入って来た。困惑した表情だった。
「局長が? 召喚庁の本会議出席で数日は戻らないはず」
十天騎士の集合を、局長のレナは部下にそう告げていた。
「それが、いつの間にかお戻りになっていました」
「……わかりました。こちらの話が済み次第、伺うと伝えてください」
「いえ、呼び出しはパーザさんではなく、ショウさんなんです」
ベルは自分で言っていて、さらに困惑を深めた。
「オレ?」
「はい。局長室までおいでください」
「なんで局長が? 会ったこともないのに」
ショウはベル以上に混乱してシーナを見る。相棒も「わかんないよ」と首を振るばかりだ。
「……どうやら、ルカさんの失踪と関連がありそうですね」
パーザはこの奇妙なタイミングを偶然とは思わなかった。考えてみれば、局長や英雄バルサミコスはショウたちに目をかけていた。これもその延長ではないだろうか。
「それってどういう!?」
驚くショウたちには答えず、パーザはショウとシーナを局長室のある四階へ案内した。
「パーザ・ルーチンです。ショウさんをお連れしました」
「ご苦労様です。ショウさんだけ、入ってください。他の方はこちらがお呼びするまで誰も入室しないよう、お願いいたします」
局長の声に、パーザは扉を開けてショウを部屋に送る。パーザとシーナは扉前で待機するしかなかった。
パーザは局長室に三人の女性がいるのを見た。車椅子に乗った緑髪の少女が局長のレナ、金髪銀鎧の女性がバルサミコス、そして白い法衣を纏った女性だ。
「……!」
横顔しか見えなかったが、間違いない。彼女は異世界召喚庁の長官で、ギザギ最高の魔術師アリアド・ネア・ドネだった。
「いったい、何が起きているの……?」
パーザは口に出したが、答えは浮かびようもなかった。
「ミコさんに、アリアド……?」
この組み合わせにショウは頭が追いつかない。それに自分よりも年少の女の子が局長の机にいる。しかも車椅子である。
その少女が口火を切った。
「初めまして、ですね。わたしは異世界人管理局・局長レナです。こちらのお二方はご存じですよね?」
ショウは人形のようにうなずいた。
「まーったく、この面倒なときにさらに面倒を持ち込んでくれちゃって。ホント、カンベンしてほしいわぁ」
アリアドはソファーでふんぞり返ってため息を吐いた。
「何を言ってるかわかんねーよっ」
ショウは反射的にツッコむ。レナはそんなショウを不愉快に睨み、バルサミコスは笑っていた。
「あなたの仲間、ルカについてよ」
「ルカ!?」
「あの子はもう、この世界にはいないわ」
「なんで!? それにどうしてあんたがそれを知ってるんだ!?」
ショウはアリアドの前に立ち、身を乗り出した。
アリアドは指をくるっと回し、魔術で少年を正面のソファーに座らせた。
「あなたは彼を助けたい?」
「もちろんだ! あいつはオレの仲間だ!」
「彼にどんな過去があって、現在はどんな秘密を持っているのかも知らずに?」
「関係ないだろ! 過去なんてどうでもいいっ。現在だってそうだ。秘密のない奴なんていないだろ!」
アリアドはまたため息をついた。脚を組みなおし、少年を見据える。
「そんな単純じゃないんだけどね。彼――いえ、彼女がこの世界にいないのは、元の世界に行っているからよ。ある人を殺しにね」
「彼女? 人を殺す?」
「ルカの本名は長柄遥。歳はあなたと同じくらい。召喚したとき、彼女は義父に乱暴されかけていた。だからわたしが召喚して助けたのよ」
「え、なに……?」
淡々と語られる言葉に、ショウは呆然とするしかなかった。
「彼女は日常的に義父から暴力を受けていた。実の母親もそうで、耐えきれずに娘をおいて逃げ出した。ルカは自分が母親を守れなかったのが許せなかった。弱い自分が嫌で、男だったら戦えたと悔しがっていた。でも、その記憶はこの世界に来たときにわたしが消したはずだった」
「それが蘇った?」
「ええ。スラムの子が虐待を受けているのを見てね。虐待していた男を半殺しにして、それからわたしのところへ来たわ。そのときはすでに元の姿になっていた」
そのスラムの子と言うのが、先日のスリの女の子のことだとショウはわかった。少女を気にかけ、どうにかしようとしていたのだろう。結果、思いもかけない記憶が蘇った。
「でもどうやってアリアドのところへ? 偶然、この町にいたのか?」
「違うわ。彼女は特別なの。ここにいる二人と同じ、勇者の疑似体を持っているのよ」
「勇者の体?」
「召喚十天騎士。まぁ、彼女は予備の11番目なんだけどね。あなたたちの疑似体よりも格段にスペックが上で、初めから勇者として望まれた人たちよ」
「ミコさんがスゴイのは知ってるけど、局長さんも?」
ショウの目はレナの車椅子に向かってしまう。それだけすごいのになぜ?と。だが、口にはしなかった。
アリアドも視線の意味はわかっていたが答えたりはしない。
「とにかくハルカはその勇者の体の使い方を思い出して、王都のわたしのところへ来た。わたしでなければ叶わない望みのために」
「それが日本に帰り、義父を殺すこと?」
「正解」
アリアドは人差し指を立てた。
「彼女には本当の自分を思い出して欲しくなかったんだけどね。辛い記憶しかないし。でも今ちょっとマジで大変でさ、覚醒しちゃったならハルカの力も借りたい状況なわけ。そこで交換条件を出したの」
「アリアドを手伝う代わりに、日本に行かせてやるって?」
「賢い子は好きよ」
「自分のためにルカの人殺しを容認したのかよ!」
ショウはテーブルを叩いてアリアドに詰め寄った。
魔女は動じない。
「相手は虐待を繰り返していたクズよ。因果応報だわ」
「でもだからって、人殺しなんて!」
「そうしなきゃ彼女は進めないのよ。あなたのように自分探ししている平和ボケの子供にはわからないでしょうね。理想を振りかざすだけで、あなたは何をしてあげられるの?」
「……!」
ショウは言葉に詰まった。反論が何も出ない。
「こりゃ、望み薄いかな」
バルサミコスがレナに耳打ちした。「そうですね」とレナも首を振る。
ショウは考え、考えた。何を言っても理想でしかない。自分には彼女の気持ちは理解しきれない。でも、だからといって、そうではないと思う。進む手段が人殺しは違うと思う。
「……それは、進むって言うのか? 殺した後に、あいつは安心して生きていけるのか?」
「そんなのわかるわけないでしょ? 人それぞれよ」
「なら、違うかもしれない。今ならまだ、できることがあるかもしれない」
「どんな?」
「わかんねーよっ。でも、まず話したい。あいつと話したいと思う」
少年は真正面から魔女を見据える。覚悟は弱いが、決意のある瞳だった。
アリアドは「そう」と微笑んだ。
「なら、あなたはどうするの?」
「わかってて訊くんだな。あんたがここへ来たのって、オレにルカを任せるためだろ? でなきゃ、こんなにいろいろ教えてくれるわけがない」
「まぁね。あの子も少しは報われないとね。……あなたに任せるわ」
「やるだけやってみる。あいつはオレの仲間だからな」
ショウも自然と笑顔になった。
「あなたを日本に送還するわ。でも、疑似体では行けないから元の体に戻すわよ」
「いつでも日本に帰れたんだな。まさかこんな形で答えを知るなんて」
「帰れるなんて知れたら、みんな、マルマに定着しないでしょうが」
アリアドが拗ねたように言った。
「そうかも」単純明快な理由にショウは深く納得した。
「ルカも元の体なんだよな? その、怪我とか、そういうのは大丈夫なのか?」
『虐待』という言葉を避けてショウは訊ねた。
「いいえ、あの子は十天騎士の疑似体で行ったわ。そうでないと力が使えないから」
「え、だって、疑似体じゃ向こうの世界で動けないんだろ?」
「普通のはね。あれは特別だから動けないということもないでしょう。保護魔術も扱えるしね」
「むこうでも魔法を使えるわけか」
「覚醒してるから万全なら最強よ。十天騎士の予備体だけど改良完成版でもあるからね」
「戦うわけじゃないから」
「そうね。……何かあれば頭で呼びかけて。日本時間の22時から15分だけ召喚門を開くわ。忙しいからこの時間以外はかまっていられない」
「わかった」
少年がうなずくと、アリアドは召喚門を開く呪文を唱えだした。
「ミコさん、すみませんが外にいるシーナにこのことを伝えてください」
「おっけー。がんばっておいで」
バルサミコスは笑って手を振った。
ショウは日本人・日比野小吉へと戻り、門をくぐり墜ちていく。懐かしい元の世界へと。