第四章 仲間
ギザギ十九紀14年8月1日、ギザギ国の夏がはじまった日、ショウは行方不明となった。再開された薬草採取作業に出た彼は、夏の嵐によって起きた土石流に巻きこまれたのだ。
召喚労働者の現在位置を示す信号が途絶え、ブルーらが捜索をしたが発見に至らず、三日後の8月4日に彼は正式に死亡認定された。
その日の薬草採取作業のメンバーは、警護班にコーヘイ、サト、レイジ、採取班にショウとシーナの他に新人と経験者が一名ずつである。これに依頼人の薬剤師ク―リスが加わっていた。
いつもの薬草群生地や育成地はゴブリン討伐のために刈りつくされ、ほぼ全滅していた。ク―リスは憤り、新たな群生地を求めて奥地への探索を希望した。
「ですが、夏に入ると激しい夕立が降ると管理局で忠告されました。自分たちはこの世界に来て短いので経験がないのですが、危険ではないですか?」
警護班リーダーのコーヘイは、依頼主に困惑の表情を見せた。
「たしかに。だが、今日を逃せば探索の機会すら失うだろう」
ク―リスは挑むような眼を彼に向け、あとはただ沈黙した。
コーヘイは根負けし、小人数でならという妥協案を条件に現地調査へ行くのを承諾した。もし正確な知識と経験があったなら、人の好いコーヘイでも依頼人の激怒を買おうと絶対に譲らなかっただろう。
コーヘイがメンバー選定に思案していると、ショウとシーナが同行を申し出た。身の程を知らぬがゆえの無茶だった。彼らはゴブリンを討伐して生きて帰って来た。それが自信となっていた。いや、慢心である。大抵のことならどうにかなるだろうと楽観視していたのだ。今まで幾度となく過信をするな、運がよかったと言われてきたものを、彼らは直近の成功により都合よく忘れていた。ただ危険しかない場所へ赴くというのに、『冒険だ!』と子供の発想で自ら自殺志願したのである。
この件に関してもっとも問題なのが、本来それを諫めるべく同行している年長者が発起人であったことだろう。状況を鑑みれば、20年以上を薬草の育成に尽力してきた労苦を数日で根こそぎ奪われてしまったク―リスは被害者ともいえる。だが、彼は現地の人間で山にも詳しい。その彼をして目の前の利益に危険を省みなかったのは大人の対応ではない。
このようにして、ショウは約束された死亡への道のりを歩んだのだった。
予期されていた雷雲。予想以上の風雨。大地を抉る天雷。
突然の土砂崩れに流されていくショウに、シーナは泣き叫び、コーヘイは我を失いかけたシーナを留めることしかできなかった。
捜索を申し出た熟練召喚労働者のブルーとピィからの報告を待つ三日間、シーナは後悔に苛まれ続けた。そして管理局から死亡通告されてからも後悔は続いていく。アカリはシーナとともに泣き、彼女を責めなかった。アキトシもリーバも、他の仲間たちもシーナに同情的であった。ただ一人、ルカだけがシーナを責めた。シーナは胸の痛みを覚えたが、どこかでそれを望んでいた。自分が悪いと思い込むのは楽だった。
ショウのいない、新しい生活がはじまる。
8月4日、16時。ギザギ国王都・異世界召喚庁の執務室にいたアリアド・ネア・ドネ長官は、今日最後の書類を受けとっていた。異世界人ショウなる者が事故により死亡したという報告書である。
アリアドは持ってきた補佐官を下がらせると、広い室内で一人笑った。
「おお、ショウよ、死んでしまうとは何事だ」
彼女は報告書を破り、ゴミ箱に捨てた。
ショウの死亡から一夜明けた8月5日。
アカリが目覚める時間はいつもと同じだったが、習慣というよりも暑さのためだった。まどろみどころではない。
「あっつ。今日もあつっ」
アカリは寝汗で張り付いたシャツをバタつかせ、風を取り込もうとする。不快なだけで涼しくもない。
ベッドのカーテンは引いていない。部屋唯一の男がいなくなり、必要がなくなったからだ。
それをアカリは悲しいではなく、寂しいと感じた。悲しい気持ちはもうない。なくはないのだろうが、今はなかった。一晩泣いたせいではなく、その前から覚悟があったからだ。
考えてみれば、救助隊が派遣されたときから徐々に慣らされていたのだろう。初日にショウが戻らなかったとき、アカリの中であきらめが生まれ、二日目で確信に変化し、宣言を受けたとき整理がはじまっていた。そして泣き、終わったのである。
「なんて、そんな簡単には割り切れないけど、なんとかやっていくわ」
アカリはいない誰かに話しかけ、汗を拭って着替えると、メモを残して仕事へ向かった。起きた以上は少しでも日常に帰る努力が必要となる。それは早いほどいい。泣くのも、落ち込むのも、終わりにしたかった。
「いってくるね、シーナ」
アカリは静かに扉を閉めた。
シーナは身じろぎもせず、アカリが出て行くのを待った。彼女は一睡もしていない。眠れるわけがないのだ。救助隊が派遣されたとき、一日目は期待した。今後のこともたくさん考えた。二日目は不安が少し。けれどあきらめはない。救助に向かった二人を信頼していた。手間取るかもしれないが大丈夫だと思っていた。最終日は落ち着かなかった。信じてはいるが、確信はない。アカリにつまらないことで八つ当たりもした。彼女は笑って許してくれた。そのとき、アカリはもうあきらめているのだと感じた。でなければ、ケンカになったはずだ。カワイソウなシーナを守ろうと、彼女は笑ったのだ。
でも、シーナは知っている。アカリが強がっていることを、悲しんでいることを。でなければ宣告を受けたときに同じ行動をとるわけがない。シーナは異世界人管理局の前で、アカリは宿で、ショウを待った。話し合ったわけではない。シーナが先に管理局で座り込んだので、アカリは宿へ行ったのだ。ショウとともにゴブリンと初めて戦ったときのような、完璧なコンビだった。だからこそシーナはアカリとともに泣けたのだ。アカリ以外であれば、シーナは独りで泣いただろう。
寝返りをうち、カーテンを開けた。ショウの使っていたベッドが見える。もちろん、そこは誰もいない。
「……このさき、楽しいことってあるのかな」
シーナは考えてみた。毎日の仕事も、毎食のご飯も、毎度の訓練も、いずれ出る冒険のため、ショウといっしょに楽しむためにあった。彼と出会う前は、いろんな人と話しているだけで満足できた。日本では味わえなかったからだ。『鈍亀』と呼ばれた自分に、一時的な楽しさを与えてくれたのはゲームだけだった。その殻が破れ、人とのつながりが産まれ、『この人だ』という出会いをした。すべてはこれからのはずだった。だが、上がりかけた未来への展望は、粉砕され、欠片も残らなかった。
「こういうのってなんだっけ? 依存症? わたし、ショウ依存症だったのかも。どうしよう、これから……」
シーナはいつの間にか涙をこぼし、泣きはじめた。
「もう少しだけ、いいよね……? 泣いたって、いいよね……」
シーナは悲しかった。寂しいよりも、悲しかった。
パン屋で精力的に働くアカリの姿に、アキトシは心配になった。彼自身がショウの死をうまく受け入れられていないのに、もっと近くにいた彼女は平然としている。無理をしているのではないかと気になった。
「さっきからなに? 言いたいことがあるならハッキリ言いなさいよ」
アカリはその視線に気付いていた。気付かないのがおかしいくらいロコツだからだ。
「えと、あの、げ、元気かなって……」
「はぁ? 元気じゃなきゃ仕事なんてしないわよ。あんたもさっさと準備しなさいよ。それとも、ショウを悼んで休む?」
「あ、ううん。ボクはこれしかできないから……。ショウくんにボクの何かを見せたいとしたら、やっぱりパンを作っているところだと思う」
「そう。あんたはそれでいいの。そんであたしもこれでいいの。お別れは充分したつもりだから。あとはさ、進まないとね」
言葉に比して、アカリの表情は重い。
「アカリさん……」
「だからさっさと仕事しろ! 店、開けるわよ!」
「は、はいっ」
アキトシは工房に戻った。アカリは「まったく」と息を吐く。朝の忙しい時間がはじまる。今日はこの時間帯だけで店を上がる予定だった。いろいろと、やることが待っていた。
シーナはいつの間にか寝落ちしていたのか、目覚めると時計塔は9時を指していた。まだ寝ぼけた頭で、お腹空いたなと考えていた。
「ショウ、コープマンいくー?」
もはや口癖である。無意識に名前が出た。そのあとの現実が胸を締め付ける。
「あたしは食べないけどね、あんたは食べるべきよ」
声が聞こえベッドから顔を出すと、下にアカリがいた。
「仕事いったんじゃ……?」
「今日は朝で終わり。やることあるからね」
「やること?」
シーナはベッドから起き、着替えをはじめた。寝汗が気持ち悪い。
支度を整え、コープマン食堂へと出向く。
食堂ではシーナだけがモーニングを注文した。アカリは飲み物だけだ。彼女は毎朝、パン屋で焼きたてをいただいている。
会話もなく食事は進んでいたが、終わりかけにアカリが切り出した。
「いくつか決めとかないといけないことがあるわ」
「うん」
シーナはうつむきながらうながした。
「まず、宿のこと。二人だと、四人部屋はね……」
「うん。誰か入れる? アカリがそうしたいなら誰でもいいよ」
「いえ、しばらくは二人部屋でいいかなって」
「そうだね。そのほうがいいかな」
「もし、一人がいいなら――」
「一人はヤだ」
シーナは間髪いれず答えた。
「わかった。二人部屋に移動ね。あとで宿に聞いてみる」
アカリはいったん飲み物に手を伸ばした。シーナも残りのスープを口に運んだ。
「それと、倉庫も。あれば便利だから、継続したいんだけど」
アカリとシーナはショウを含めた三人で外区にあるレンタル倉庫を一室借りていた。以前、ブルーの荷物整理依頼で行った場所である。
「だね。名義はアカリに変えてもらおうよ。事情が事情だから、通ると思うけど」
「じゃあ、そうしよう。あいつの荷物はどうする?」
「どうするって、どうするの?」
シーナは身を乗り出した。蒼白な顔をしていた。
「ぜんぶ倉庫に入れておこうかと思ってるんだけど……」
「あ、うん、それがいいよ。部屋には大した物も残ってないし、倉庫の邪魔にはならないから」
シーナはホッとして座りなおした。
アカリはこのとき、危惧を抱いた。あまりにも執着しすぎている。このままでは、死者に捕らわれて生きていくのではないだろうか。しかし、きのうの今日だ。気持ちが定まらないのもわかる。
「部屋に残っているのは、着替えと鎧くらい? あれはどうする? シーナが使う?」
「今はやめとく。夏だから暑いし」
「そうね。いったん、倉庫に入れておきましょ」
「でも、シャツはともかく、下着はアレだよね」
シーナがあごに手を当てて零す。
「下着はさすがに処分ね。シャツは……あたしは一着だけ欲しいわ」
「男物でしょ? 着るの?」
「いえ、あの子が残した服だけ。もうあたししか、あの子をちゃんと覚えてないと思うから」
「アイリちゃん?」
「知ってるの?」
「『インフィニ3』に出てくるアイリそっくりだった子でしょ? 見たことあるし、ショウからも少し聞いてる。……ショウにとってあの子って何だったんだろうね」
「妹かな? でも、本当はあの子のほうが大人だったわ。あたしが少しだけ変われたとしたら、あの子のおかげかもね」
「なに、いい話?」
シーナがニヤニヤした。
「うっさい。……じゃ、まずは宿で部屋換えをお願いして、倉庫へ行きましょ」
「うん」
アカリに続いてシーナも立ち上がった。
宿の部屋換えも、倉庫の名義変更もすんなりとすんだ。どちらも借主はショウであったが、事情を話すと宿の主人も倉庫の管理人も同情的であった。
その賃貸倉庫屋の帰り道、シーナたちは彼らと遭遇した。
ブルーとピィである。ショウの捜索の帰りだった。二人も泥だらけで、ピィの白いローブなど、まだら模様になっている。
アカリがブルーの前に立った。
「あの、いろいろとありがとうございました。そんなにボロボロになるまで探してくれたこと、感謝してもしきれません。このご恩は一生忘れません」
アカリは気丈に言い切り、深く深く頭を下げた。
「すまなかった。オレの力が足りなかった。何も持って帰れなかった。剣と盾はあったんだが、墓標としてあの場所に置いてきた。深く刺してきたから、夏が終わっても残っているかもしれない。いつか、墓参りをしてやってくれ」
ブルーが告げると、頭を下げたままのアカリから一滴だけ涙がこぼれた。
「ありがとうございました……」
シーナはその一言で精一杯だった。落ち着いていた気持ちが、ブルーたちと出会ってまた乱れていた。
「……ああ」
ブルーたちも彼女の心情を感じとり、それ以上の会話を持たずに民間異世界人組合へと歩き出した。
ブルーと別れて中区へと戻ったシーナとアカリは、異世界人管理局の前にいた。
「なんか、入りづらい……」
「わたしも……」
アカリの言葉にシーナも同意する。きのうの今日である。また見知らぬ人間から慰めや励ましをかけられるかと思うと気分が重くなる。もう赤の他人からの言葉は欲しくなかった。それがもっとも気持ちを揺さぶられるからだ。
かといって、お世話になった局員にお礼を言うには入らないわけにもいかない。
覚悟を決めてエントランス・ホールの扉を開く。
中には、ベル・カーマンとツァーレ・モッラしかいなかった。召喚労働者はいない。皆、仕事中のようだ。二人は少し安心した。
「ああ、アカリさん、シーナさん、来て下さったんですね」
ベルが二人を迎えに出た。ツァーレは神への印を切っている。
「え、なにか用がありました?」
「そうですね、語学勉強でしょうか?」
「なんで疑問形……て、ごめんなさい。毎日予約を入れてたのに、無断で休んでしまいました」
アカリが謝罪する。
「いえ、大変でしたからね。今は休んでいいと思います」
「ありがとうございます。それと、ショウのこともいろいろとありがとうございました」
アカリといっしょに、シーナも頭を下げた。
「力およばず、申し訳ありませんでした」
「そんなことないです。おかげで整理がつきましたから。もし救助が行かなかったら、ずっとモヤモヤしていたと思います。自分を責めて」
「アカリ……」
シーナは隣の相方を見た。薄く微笑む赤毛の少女に、シーナは胸が熱くなった。彼女も本当に辛かったのだとわかる。無力を感じていたのだと知る。
「また明日から講義をお願いします」
「はい、承りました」
ベル・カーマンも同じ笑顔を浮かべた。
玄関が開く。早い仕事が終わったのだろうか。召喚労働者が入ってきた。
「あれ、コーヘイ?」
「シーナ? アカリさん……」
おたがいに予想外だった。シーナは昼前にコーヘイがここに来るとは思いもしなかったし、彼も彼女たちと出くわすとは考えなかった。
「どうしたの、こんな時間に? 仕事は?」
「いや、今日は管理局に呼ばれてて――」
また扉が開いた。今度はレックスがやってきた。
「二人とも……」
レックスは二人の少女を見て、とっさに言葉が出なかった。
彼が伝えるべきことを探している間に、アカリが一歩踏み出した。
「レックスさん、コーヘイさん、お二人にも感謝します。いろいろとお気遣いいただき、ありがとうございました」
アカリは丁寧に頭を下げた。シーナも倣う。
「オレのほうこそ、あのときの判断ミスがこんなことになるなんて。本当に申し訳ない。残念だよ。こんな結末、誰も望んでないのに……」
「まったくだ。本来なら、彼もここにいるはずだったんだ」
「え……?」
レックスの言葉に、シーナたちは首を傾げる。
「来ましたか。お二人とも、第一会議室へどうぞ」
事務室から出てきたパーザ・ルーチンが、コーヘイとレックスをうながした。
二人はパーザとともに階段を上がっていく。
「なんです?」
興味本位でシーナがベルに訊ねた。
「先のゴブリン討伐の功績により、お二人ともナンタン守備隊から勲章が授与されるんです。他にも訓練所にいるカッセさんとイソギンチャクさんにも贈られるそうです。それと――」
二階に上がったはずのパーザが戻ってきた。
「ちょうどよいです。お二人も上がってください」
「はい?」
「ショウさんの代わりに、勲章を受け取ってください」
二人を顔を見合わせ、そして大きな声で「はいっ」と応えた。
授与式は簡易的なもので、勲章と報奨金だけが送られてきていた。それをパーザの手から受け取り、式は終わりである。シーナとアカリは、報奨金の金貨5枚をパーザ・ルーチンに預けた。彼女の好きなように使ってもらえればいい。決して無駄にはしないとわかっている。
コーヘイは管理局専属召喚労働者の小隊長に昇格した。セルベントではないレックスを除いて、カッセもイソギンチャクも同様である。
コーヘイは今後、隊を組むような特務が発生したときは、小隊長として部下を率いることとなる。また、特別報酬として、スキルが一つ、無償で覚えられる。
「セルベントになったときの二つもまだなのにな」
と、彼は苦笑いを浮かべた。受章により、訓練所への優先的入所も約束された。彼は明日から訓練所へ行く。また、小隊長の権利として副隊長とメンバーを任命でき、早速、副隊長にサトを、メンバーにレイジを指名した。小隊メンバーとしたことで、二人の訓練所への優先入所も認められた。
「だいたいにして、オレは活躍なんてしてないんだ。レベルが高いからたまたま会議の場にいただけなのに。シャーマンを斃したアカリさんのほうがよっぽどじゃないか」
「あたしは別に。それこそショウに命令されただけだし。ウチのリーダーが評価されたなら、それで充分よ」
「だよね。そんなショウだから、みんな手を貸してくれたんだよ」
シーナは勲章を掲げてみた。授与者の中で唯一の銀特等勲章であった。それは長く戦場にあっても滅多に授与されることのない栄誉であった。異世界人で授与されたのは、7年前の『放浪の魔剣士バル』のチーム以来である。
午後は買い物に出かけた。
ショウのなじみだったケリーの荷馬車古着店には行かなかった。意識してシーナは避け、違う店で一式そろえた。泥だらけで使い物にならなくなった服の換えと、帽子。意味のないアクセサリーも買ってみる。
必要な物を仕入れて、いったん宿へ帰った。新しい二人部屋はすでに準備が終わっていて、荷物も運び込まれていた。
「予備ベッドがないから狭いねー」
「ホント。そのへんに棚でも勝手に作ってやろうかな」
「いいね。三段くらい欲しい」
二人は笑ったが、長くは続かない。
アカリが口火を切る。
「あのさ、ちょっとマジな話するけど」
「うん」
「これから、どうする?」
「どうするって?」
「わかってるでしょ? ショウがいなくなった今、冒険に行きたいと思う?」
「……」
シーナは答えられなかった。ショウと行く、というのがすべての前提にあったからだ。セルベントにならなかったのもそのためである。
「正直に言えば、あたしは揺らいでる。たぶん、あんたと同じように、冒険に出たいと思ったのはあいつがいたから。あいつと仲間で外の世界へ行く。それがあたしの望みだった」
その仲間とは、ショウ、マル、ルカ、シーナ。しかし、二人はセルベントとなり、一人はもうこの世にいない。たった二人になってしまった。
「……他の召喚労働者たちはさ、その日のことばかりで、何が楽しくて生きてるのかわからなかった。そこにあいつが現れて、冒険について熱く語ったの。そうだ、これなんだって思った。あんたがショウにピンと来たように、あたしもそうだった。だから、あんたの気持ちはよくわかるわ。このさき、どうしていいかわからないのよね? 大丈夫、あたしもいっしょだから」
「アカリぃ……」
シーナはアカリに抱きついた。そのとおりだった。誰かと話していても、買い物をしていても、不安はまるで解消されなかった。悲しみも癒えない。後悔も消えない。未来さえも見えない。シーナには、逃げ道がなかった。
「すぐに決める必要はないけど、考えてみて。二人で冒険に出るか、他に仲間を探すか、町で暮らすか、セルベントになるか。この四つしか道はない」
「……どの道を選ぶにしても、強くなりたい。女二人で行くならなおさらだよ。まずは訓練所に入るのを目指そうよ」
「おっけー。それじゃ明日からまた、お金を稼いで、自主練して、がんばろ」
「うんっ。冒険の一番最初に行きたいところは決まってるんだ。そこだけは絶対に行こう」
シーナは明確な場所は言わなかった。けれど、アカリにもわかる。ショウの墓標のある山だ。
目標が決まれば行動はたやすかった。アカリは弓を取り、シーナは剣と盾を取った。
二人は管理局の庭を借り、一心不乱に鍛錬に励んだ。明日のことなど考えず、ただただ剣を振り、矢を放った。
二時間後、荒い息と痙攣する筋肉に、二人は倒れた。
ただでさえ暑い日中に大汗をかいている。水筒に汲んだ水など、10秒も持たずに体内に消える。
その頬に、大粒の雨が当たった。夕立の時間がまたやってきた。
その夜、二人がコープマン食堂にいるとリーバとアキトシがやってきた。それと――
「おう、久しぶりだな、おまえら。て、そんなに経ってねーか」
マルだった。
「なに、あんたら?」
アカリは奇妙な偶然に驚いた。否、偶然ではなく、リーバの発案であった。
「オレが呼びかけた。どうせ二人はここだろうとね」
「他に行くとこないしね。……サルマル、元気にキーキーしてんの?」
「うっせー、クソ女。おまえこそ、ちゃんと生きてんのかよ?」
「まぁね。食欲はバッチリよ」
「そりゃいいや」
マルはアカリのとなりにドッカリと座った。
「……ルカは?」
シーナが控えめに訊いた。
「来たくないってよ」
シーナは自分に会いたくないからだろうと思った。ショウを助けられなかった無能者を見たら、また怒りをぶつけてしまうのがルカもわかっているから。いや、本気で関わりたくもないと考えているのかもしれない。
「夏の間は無理だろうけどよ、あいつの墓にいつか行ってくるぜ。顔くらい出してやんねーとな。いっしょに臭いメシ食った仲だしよ」
マルは笑って言うが、いつもの快活さはなかった。
それを言うなら『臭い場所で』ではないかと思ったが、アキトシは言わず、ショウの話をした。
「ボクは、ショウくんには助けてもらってばっかりだったな。これからもボクのパンを食べてもらいたかった」
「彼とは結局、一度も同じ仕事をしたことはなかったな。それでも、いろいろな話をした気がする。君たちの中では一番まともだったしな」
リーバは珍しく声にして笑った。全員の強い視線を受け、「悪いわるい」と軽くあやまる。
ショウにとって、リーバはよき相談相手だった。仲間ではあるが、年齢差か一線が引かれており、それがうまくいっていたようにリーバは思う。彼自身も、ショウの率直さや熱心さは自分にない美点として気に入っていた。
「リーバ、いつかあいつの墓に行くから、約束の服を作ってくれないかしら」
「わかった。できるかぎりの最高の服を作るよ」
アカリの願いにリーバは応えた。本当は着てもらいたかった。飾るのは、服の存在意義ではない。
「今日は酒だからな」
マルが勝手に決めて、勝手に注文した。反論はなかった。
「ザマァミロだわ。あいつ、酒も飲まないうちにいっちゃってさ」
「ホントだぜ。こっからがお楽しみだろうが」
「いっしょに飲みたかったね」
「オレはおまえらと飲んだ後が怖いよ。無事で済めばいいけどな」
「二人だけで飲みたかったなぁ」
届けられた酒を、五人の仲間は手に取った。
「さよなら、ショウ」
「じゃあな、バカヤロウ」
「ありがとう、ショウくん」
「ゆっくり休んでくれ」
「好きだったよ、本当に」
「「えー!?」」
シーナの唐突な告白に男たちは唱和し、それを横目にシーナとアカリは笑った。
「献杯」
日本、東京。八月の日曜日――
少女は緊張を隠せずにいた。これほど多くの人が集まる場所は初めてであり、自分がしていることを他人から観られるのも初めてであった。
「写真、いいですかー?」
「は、はいぃっ」
ピンク髪の少女は体をビクつかせ、それでも笑顔を作った。彼女は唯一の超絶武器、ボール紙製の杖をギュッと握り締める。何度声をかけられたか、もうわからない。似合っているのだろうか、ちゃんとできているだろうか、落胆させていないだろうか、そんなことばかり考えてしまう。
ここは都内のイベント会場。本日の内容は、『インフィニティ・ハーツVSファイア・オニキス同人誌即売会』である。日本RPG界・二大派閥の抗争を同人イベントにしたものだ。
「サチー、合流~!」
いっしょに会場へ来た友人の町村みほが、別の集団に囲まれながら手を振ってきた。
川見幸は手を振り返し、取り囲む撮影者たちに律儀に頭を下げ、撤退した。
「いやぁ、スゴイね」
二人は建物の隅にあったベンチで休憩をとった。みほがペットボトルを開けて一口飲む。「ん」と差し出され、幸も飲んだ。
「こんなに人がいるとは思わなかった。……でも、楽しい」
幸はほんのりと笑い、みほは友人の顔に満足した。
「そっか。ならよし! わたし、ちょっと本も見てきたいんだけど?」
「わたしはこの辺にいる」
「ん。じゃ、一時間くらいで戻るから」
みほは『インフィニ3』の盗賊カルラの衣装のまま、素早く人波に潜り込んだ。
幸はベンチに寄りかかる。
ふぅと一息をついたとき、視界に知っている人が映った。正確には、知っているような人だ。その人はここにはいないはずで、それに容姿もそのままとは限らない。
けれど、幸は一目でわかった。
少女は立ち上がった。拍子にペットボトルを落としたが、気付かない。
むこうもこちらに何かを感じたようで、足早に近づいてくる。
正面に、彼が立った。
「ごめん、いきなり変な質問するけどいいかな? キミは、オレのこと見えてるよね? 目が合ったもの」
「……え?」
「ああ、わかってるっ。変なことを言ってるのは充分わかってるっ。それと、脅かすとかからかってるってことはないから。ホントに、真面目に訊いてるんだ」
焦って言葉を並べる少年に、幸は微笑んだ。間違いなく知っている人だった。
「はい、見えますよ。あの、よかったら、少し話しませんか?」
「え、いいの? 怪しいと思ったら、逃げてくれていいんだけど……」
幸は可笑しくなって笑った。
幸がベンチに座る。落としたペットボトルに気付いて拾った。
「どうぞ」と誘われ、少年も座った。
「いきなりで本当にごめん。なんか変なんだよ。家にいたはずなのに、気付いたらここにいてさ。たしかにスマホでこのイベント情報を見てて、行きたいなとは思ってたけど、だからってありえないだろ? 自分でも何を言ってるかわからない状態だよ」
「そういうのありますよね」
幸は力強くうなずく。
「え、ないよ! 普通ないから!」
おそらく本気なのだろうが、幸にはツッコミにしか聞こえない。
「ですよね」
幸はまた笑った。
「オレのこと怖がらないの? 他の人はみんな無視しててさ、誰も相手にしてくれないんだ」
「怖くないですよ。わたし、アイリですから」
少年は自信満々に名乗る彼女をまじまじと見た。
「……うん、インフィニのアイリだね。そっくり。似合ってるし、綺麗に作ってるね」
「あ、ありがとうございます! 初めて言われました!」
幸は目を輝かせて喜んだ。かえって少年がヒいている。
「そ、そうなの……?」
「はい! 今日が初のコスプレ・イベントなんです!」
「それはおめでとう。楽しんでね」
「はい!」
少年は元気な少女に顔がほころんだ。彼が知っているアイリは、こんな顔で笑ったのを見たことがない。いや、なんだろう? 目の前の少女に既視感がある。だからこそ目につき、惹かれ、声をかけた。
「……アイリ?」
「はい?」
「いや、そんな。おかしい。でも、ここは……」
少年は立ち上がり、周囲を見回した。焦りが湧く。記憶がつながらない。
「落ち着いてください」
少女が少年の手を引いた。
「……キミは、オレに触れるの? みんなはオレをすり抜けていくのに……」
そうだ。なぜか誰もが無視し、すり抜けていく。思い出してきた。いつの間にか家にいて、でも誰もいなくて、スマホでネットを見ていて、ここにいて……。けれど、それ以前の記憶が出てこない。
「わたしはアイリです。だからあなたに触ることだってできます。だって、同じ世界で過ごした仲間なんですから。ね、ショウさん」
「その名前はゲームで使ってる名前……。なんでそれを? いや、違う。アイリ……? いっしょにパンを食べたアイリ?」
「はい」
「古着屋の倉庫でいっしょに働いたアイリ?」
「はい」
「コープマンでスイーツが頼めなくてガッカリしてたアイリ?」
「はい……て、見てたんですかっ」
「それじゃ、服を残していってくれたアイリ?」
「はい。役に立ちましたか?」
「ああ、今でも着てるよ。アカリもときどき着てる。汚さないようにって気を使って」
「よかったで――きゃぁ!」
ショウはアイリを抱きしめた。やっと、彼女に伝えられる。
「ありがとう」
「わたしのほうこそありがとうございました。わたしは、こうして元気でやれています」
アイリもショウを抱きしめた。周囲からはショウが見えていない。おかしな格好をしていると思われるかもしれないが、彼女は気にしなかった。ただ、温もりもなく、鼓動も聞こえないのが残念だった。
「ああ、ごめんっ」
ショウが自分の行動に気付いて慌てて離れる。
「平気ですよ。みんなには見えてませんから」
「そうみたいだな。やっと記憶がつながってきた」
「ショウさんも日本へ帰ってきたんですか?」
「いや、違う。雷に打たれて、土砂崩れに巻き込まれて、たぶん死んだ……?」
「ええ!?」
幸はまたペットボトルを落とした。
「死んだらこうなるのかな? 魂だけの存在になって漂うとか」
「アリアドさんには会いましたか?」
「いや、会ってない」
「それなら、まだ死んでいないと思います。あの世界では、死ぬとアリアドさんに会うそうです」
「なんでアイリがそんなこと知ってるんだ?」
「日本に帰還する前にいろいろ話したんです。そのときにちょっと」
「ああ、最後になんか質問をしたんだっけ?」
「なんでそれを? それはアリアドさんしか知らない話ですよ!?」
アイリはまくし立てるように言う。なぜか顔が赤い。
「あるとき兵士とケンカして、牢屋に入れられて、そのときアリアドに助けられて、少し話をした」
「……ショウさん、けっこう冒険してますね」
あまりの内容に、アイリはなんと言っていいかわからない。
「うん、意外とね。アイリもいてくれたらよかったのに――てのは、言っちゃいけないか」
「そんなことないですよ。わたしも、あの数日は忘れられません。できるなら、いつかまた行きたいです。今度は、ちゃんと冒険をしに」
「その前に、こっちで冒険するんだろ?」
「はいっ。でも今はショウさんのほうです」
「ああ」ショウはハッとした。和み過ぎて自分の状況を忘れるところだった。
「つまり、死んだ直後にアリアドに会ってないなら、まだ生きてるってこと?」
「おそらくですけど。……幽体離脱、でしょうか」
「幽体離脱か……。そもそも、あの体も本物じゃないしな。でもだからって抜け出て、ここには来ないだろ?」
「想いが強かったのではないでしょうか? はじめは家にいたんですよね? 帰りたい気持ちが作用して家に着き、次にこのイベントに来たかったから移動した、とか」
「うん、まぁ、納得できなくはないけど、だったらオレ、真っ先に帰りたかったのはみんなのところだと思うんだよな」
ショウは仲間たちの顔を思い浮かべる。きっと心配しているだろう。一番にシーナの姿が浮かび、会いたいと思った。うぬぼれかも知れないが、端々から感じる彼女からの好意が嬉しかった。意識するようになると、彼もまた彼女に漠然とだが好意を抱くようになった。無事に帰ったら喜んでくれるだろうか。それならいいなと顔が熱くなった。
「本気で願いましたか?」
「……え?」
アイリのブラウンの瞳がショウをまっすぐに見ていた。マルマではオリジナルのアイリと同じ赤い瞳だった。彼女本来の色は、この世界で産まれた色だ。
「むこうにいるアカリさんたちのところに、本気で帰りたいと望みましたか?」
「……いや、どうだろう」
ショウは考えるが、わからなかった。雷に打たれて以後の思考が辿れない。状況を感じるのが精一杯で、あがこうとしても動けず、パニックに陥りすぐに何もわからなくなった。
「ショウさん、言ってましたよね? いつか日本に帰るって。それが根底にあったから、ここへ来てしまったんではないですか?」
「……!」
ありえると思う。あの世界は、あくまでも異世界であり、帰る場所ではない。その考えは今もある。帰りたいと望む場所は、この世界なのだ。
「もしそうなら、ショウさんはもうむこうへは帰れないかもしれない」
「……そうかも」
「帰りたいですか? アカリさんや、マルさんや、アキトシさんの待つ世界に」
真剣に訴えかけてくるアイリに、ショウはごく自然とうなずいていた。
「なら、話は簡単です。願えばいいんですよ」
アイリは笑顔で告げた。
「それで帰れるかな?」
「疑ってはダメです。奇跡や魔法は信じることからはじめないと」
アイリは薄ピンクのウィッグをはずした。黒髪の、川見幸という少女が現れる。
「……ホントに、強くなったんだな、アイリは」
「はい。強くなって帰ってきました。だからショウさんも待っている人のところへ帰ってあげてください」
「そうするよ。いつかまた会えるといいな」
二人は笑顔を交わし、握手をした。
「またな、アイリ」
「はい、また、ショウさん」
ショウは目を閉じ、願った。マルマの世界へ帰りたいと。心から、深く、純粋に。
歯車の回るような音が聞こえる。閉じた目の奥に一本の糸が降りてくる。それを掴み、辿っていく。光あふれた世界から闇へと続いていたが、ショウは不思議と怖れなかった。このさきに別の光があるのを知っているから。そこに会いたい人たちがいるのを知っているから。
ショウはアイリの前から消えた。
「あのぉ、お休み中すみませんが、写真、よろしいでしょうか……?」
同年代の女の子二人組が、幸にオズオズと話しかけた。
幸は笑顔を浮かべ、「はい!」と応えた。
少女の冒険は、まだはじまったばかりである。
夏が終わり気候が安定する10月、ショウの仲間たちの生活は大きく変化していた。
シーナはアカリのもとを離れて異世界人管理局専属召喚労働者となり、害獣駆除などの仕事で町に貢献していた。訓練所での講習もアカリに先立ち二週間前には終わらせている。
彼女はショウを失ってしばらくはアカリとともにがんばっていたが、精神的な不安定さは拭えないままだった。毎晩のようにうなされ、寝言でショウに謝罪を繰り返す。管理局の医療担当で神官見習いのツァーレ・モッラがときおり精神安定の魔術を施していたが、原因は明確で、しかも本人に改善の意志がないため、効果はなかった。
誰かと共にいるときはまだよかった。気が紛れるからである。しかし、アカリはパン屋の仕事で昼間はおらず、シーナも単発作業で毎日を違う仕事をして過ごしている。夜の数時間しか共におらず、進展になるような話もない。たがいに精神的負担がかかっていた。それが自分のせいだとわかっていたシーナは、親友にこれ以上の迷惑はかけまいと部屋を出ていった。
ちょうどそのころ、彼女は異世界人管理局専属召喚労働者に誘われていた。勧誘者はショウを失ったときに同じ薬草採取作業に携わっていた新人のダイゴである。
彼は出会ったときからシーナに惹かれていた。ショウが死んだあとも、彼はシーナの支えになろうと努力していた。アカリからも昼間の面倒を頼まれていたのもあり、ダイゴは使命感とそれ以上の感情でシーナに尽くした。アカリが出ていくシーナを引き留めなかったのは、ダイゴが彼女を引き受けたからである。
「誰かに頼むのは癪だけど、あたしにはあのコを支えることができなかった。だから、あんたに頼むわ。ショウの代わりになれって言ってんじゃないからね。そこ、間違えないように」
アカリはそう言って彼に頭を下げた。この話をシーナは知らない。
ダイゴとともに訓練所に入り、戦士としての技術と人を助ける魔術を覚え、彼女は落ち着いた。力をつけたことで精神的にも余裕ができたのか、ダイゴという支えがいたからか、ただ時が過ぎたのか、彼女は悪夢を見なくなった。
訓練所を出ると、ダイゴをリーダーとした第17セルベント小隊に参加し、新たな仲間ができた。だが、それでも彼女は以前のようには笑わない。表面上、そう見えることはあっても、ショウたちといたときのような無邪気さはなくなっていた。
同じころ、アカリは独りで訓練所に入った。
希望としては魔法の一つでも覚えたいところであったが、懐事情が許さなかった。彼女は憮然としながら戦士コースを受講した。
自己流だが弓には自信があった。ブルーに教わり、その後はホリィの指導も受けて驚異的な速度で上達していった。
それは彼女の集中力もあっただろう。他に目もくれず、ただただ弓を引いてきた。彼女にはそれしかなかったから。大切な仲間を失い、友人とも別れた彼女には目標がなかった。日常を繰り返す以外の生き方がわからなかった。鍛錬に励んでいるときだけは何も考えずにいられた。その結果に過ぎない。
だからといっていつまでも漫然と生きていくつもりもない。年内はただがんばろうと決めた。年が明けたら次を見つけようと決めた。そして叶う希望と叶わない夢に線引きをして、未来を生きようと決めた。戦士講習はその選別に不可欠であった。
戦士としてのアカリは、剣などの近接戦闘においては最弱だった。しかし、弓を使わせたら文字どおり他者を寄せ付けない。鍛錬とセンスで作りあげた弓術は圧倒的で、個人戦でもチーム戦でも負け知らずだった。『赤い殺人女王蜂』とまで呼ばれ、以後、尾ヒレがついて伝説化するのである。
マルとルカは、異世界人管理局専属召喚労働者・第1小隊に所属していた。リーダーのカッセに誘われての小隊入りである。現在はサウス領西部の村に駐在し、近隣の雑事をこなす毎日だった。
マルはともかく、ルカは小隊入りを望んではいなかった。というより、何もしたくなかったが、しないわけにもいかないのでマルに付いてきただけである。
彼はシーナと同様に、ショウを失ったショックに無気力となっていた。彼女のように悪夢を見るわけでも、発狂することもなかったが、放っておくといつまでも呆けていた。マルからすると、ルカがなぜこうまでショウにこだわるのかがわからなかった。無頓着に質問したとき、ルカは左頬をおさえ寂しそうに微笑んだ。
「彼はいい人だったから。たぶん、ボクが知る中でもっともいい人だった。……ボクは召喚されたときにたくさんのことを忘れてきてるんだ。でもショウといると、そんなのどうでもいいくらい落ち着いた。彼を見てると、人っていいなってそう思えたんだ」
「まー、悪いヤツじゃなかったけどな」
マルの感想はそれだけだった。
ショウは闇から光にたどり着いた。目を開いたとき、視界が歪んでいた。ガラス越しに部屋が見える。周囲に気泡もある。それで少年は気付いた。自分が巨大な水槽の中にいるのだと。呼吸はできるが体は動かなかった。彼は焦った。
目の前に若い女性がいる。知人ではない。ショウは助けを求めて声を上げようとして、叶わなかった。
「体が動かなくて怖いだろうけど、落ち着いて。今、キミの体は修復中なんだよ。大怪我したの覚えてる? すごい事故だったんだよ? 生きてるのが不思議なくらいね。だからもうしばらくそこで休んで。ひと眠りするころには動けるようになってるはずだから」
金髪の女性はそう言ってニッと笑んだ。顔立ちは日本人なので、召喚労働者のようだ。
ショウは自分の身に起きた出来事を思い出し、納得した。動けない不安は拭えないが、彼女の言葉を信じるしかない。力を抜いて液体に身を委ねた。回復プールなんて漫画みたいだ、と思ったら笑いたくなった。
「そうそう。今は寝てな。起きたらぜんぶ話してあげるから。わたしはミコ。じゃ、おやすみ」
ショウは静かに目をつぶった。
うつろな夢の中で、ショウは二人の女性の話声を聞いた。聞いたような気がした。
「実験中で助かったよ。データも取れるし、あの子も命拾いしたし」
「彼のことは話してあるのですか?」
「アリアに? そもそもあの子の埋まってた座標くれたのアリアだよ」
「そうですか。サークルが壊れても、あの方ならわかるみたいですね」
「そこまでした理由がわかんないけどね。特別ってわけでもないのに」
「わたしにもわかりません。普通ですよ、彼」
「アリアと言えば、わたしら誤解してたね。これを作らされるまでわかんなかったよ」
「頭の回転が早すぎて自己完結してしまうのでしょう。自分がわかっているから他人もわかると説明を忘れてしまうんです。彼に関してもそうかもしれません。なにか特別な理由があるのかも」
「アリアの悪いクセだね」
そこまで聞こえ、強烈な眠気にまた眠った。
次に気付いたとき、ショウは簡易ベッドで寝かされていた。石造りの薄暗い建物に、周囲は化学で使うような薬品や実験道具が並んでいる。
「起きたかね? もう体は動くと思うけど無理はしないでね。まだ定着はしてないから、暴れるともげちゃうよ」
ミコと名乗った金髪女性が笑顔で言った。
ショウは彼女に従ってゆっくりと起き上がる。節々が痛む。頭痛もする。だが、五体の感覚はあった。
「ここはどこですか?」
擦れた声。ショウは自分で出して驚いた。
「声も無理に出さない。首回りが一番ひどかったんだよ?」
ミコは彼の状況を説明した。
この場所はナンタンから南西20キロほどの山奥で、古代王国時代の遺跡だ。ショウはもっと東の、ナンタンから数キロ程度の崖下で発見された。彼の状態はひどく、普通の魔術治療では間に合わないと判断し、ミコはここまで連れてきて実験中の生体組織培養プールに放り込んだ。どうにか成功して現在に至っている。
「ただ、さっきも言ったようにくっつけたパーツがまだ定着してないから、しばらくは安静にね。ぶっつけ本番で試したから経過も観察しないと。最低でも一月は大人しくしててもらうよ」
「一月……」
ショウはうなだれる。助かったのならすぐにでもナンタンに戻りたかった。
「まぁ、気持ちはわかるけどさ、まだ完全に助かったわけじゃないからね。いつ崩壊して本当に死ぬかもわからない。そんなの人に見られたくないでしょ」
「そんな、ギリギリ?」
声が出しづらいのでどうしても単語で話してしまう。
「そうだよ。けっこうな奇跡だからね。わたしがいいと言うまでは、この部屋からすら出さない」
ミコの強い口調に、ショウは残念そうな表情でうなずいた。
数日後、ショウは声を出すことに違和感がなくなった。そうなると、ミコは実験成果を知りたく、質問を重ねた。その中で彼女がもっとも興味を持ったのは、彼が培養中に見た夢であった。意識だけが日本に戻り、マルマで知り合った少女と話をしたというものだ。
ミコはそれを「夢だね」と一蹴した。ショウとしてもそうだろうと思う。だが、ミコはショウのもとを離れると、さらに地下の施設にこもった。
「あの子が見た夢の時間、たしかここで実験をしていたっけ。それと彼の意識が同調したってこと? もしそうなら――」
ミコは奇妙な部屋にいた。入って来た面以外の壁や天井に魔術陣が描かれている。その円形は常に回転を続けており、まるで歯車のようであった。
「この『異世界召喚門』は今も生きている……!」
11月4日は、ショウが死んで三回目の月命日にあたる。
シーナはこの日のためにかつての仲間たちに声をかけていた。来月以降は真冬となり、山に入るのが禁止される。その前に墓参りに行こうと。
アカリは賛同し、マルとルカも休暇を取って任地からナンタンへ戻って来た。アキトシとリーバも賛成はしたが、危険が皆無ではないために山登りは断念した。代わりにアキトシは全員分のパンを焼き、リーバは約束した彼らだけの特別なコートを仕立てた。
シーナたちは合流した当初は近況などを話したが、それが切れると黙々と歩く作業に没頭した。シーナとルカに至っては、未だ一言も言葉を交わしていない。
4時間ほど歩き、正午前にはショウが行方不明となった崖にたどり着いた。以前は一面の花畑であった。水と風が大地を抉り、すべてを砕いて崖にしたのである。
今、そこは雑草とはいえ緑に覆われていた。小動物が走っていく姿も見える。
ショウの遺品である剣が地面深く刺さっている。盾はフレームを残して朽ちかけていた。
四人は黙とうし、ショウの冥福を祈った。
「……わたしさ、今度、管理局専属召喚労働者の仕事で東の村に常駐することになった」
シーナがアカリたちに話しはじめた。
「そうなの? そしたら――」
「うん、おそらくもうこのメンバーで会うことってないだろうね」
シーナは残念そうにこぼす。
「セルベントやってりゃ、いつかはそうなるだろ」
マルは割り切っている。すでにナンタンを離れて二ヶ月以上が過ぎており、任地での生活も慣れてきていた。
「アカリも来る? セルベントになって」
シーナは答えのわかりきった質問をした。わかってはいたが、シーナはアカリへの感謝を忘れていない。だから、いてくれるならこんなに嬉しいことはなかった。
「あたしはならないわよ。だからといってこの先、どうするかは決めてないけど。でも、もう少し自信がついたら、この国の町巡りくらいはしてみるわ」
「そっか……」
アカリの目標をシーナは今さらに羨ましく思う。それに参加できなくなったのは、すべて自分のせいである。
「シーナ、最後だからあやまっておくよ」
ルカが言った。
「ショウがいなくなった責任を押し付けて悪かったね。ボクだってわかってたんだ。でも、誰かのせいにせずにはいられなかった。だから、ごめん」
「いいよ、わかってる。わたしも責められたほうが楽だった。自分で認めていることをみんなが否定してくれた。それは優しいけど、辛かったんだ。わたしの手があと少し早ければショウは助かった。それは事実だから」
シーナはショウの剣に向けて手を伸ばす。剣まですら届かない。
「それじゃ、これでボクも心置きなく行けるよ」
ルカは一息ついた。
「行く? なんか任務あったっけ?」
「違うよ、マル。ボクはこのまま旅に出る」
「「ええ!?」」
「退屈な村の生活も飽きたし、のんびりと世界を回ってくるよ」
「おまっ、そんなあっさりとっ。セルベントの掟はどーすんだよ!?」
「どうでもいいよ、そんなの。ボクはもともと魔法とか技術を身につけたくてセルベント制度を利用しただけだし。頃合いを見てショウと冒険に行こうと思ってたんだけど、いなくなっちゃったから仕方なく小隊に参加したんだよ。もし、管理局がボクを捕まえようとするならそれも面白いね。少しは生きる楽しみができそうだ」
ほくそ笑むルカに、マルたちは呆れるしかなかった。
「ルカが本気なら、集まるのは本当にこれが最後になりそうね」
「こうやってみんな別れて、ショウのことも過去になっちゃうのかな」
「すでに過去だろうが。もうどうしようもねーからな」
マルの言葉は真実だが、まだ彼ほど覚悟のなかったシーナには重かった。
「……イヤだな。これ、こんなの、イヤだ……」
シーナは我慢していた涙を溢れさせた。今日、ここへ来たのは踏ん切りをつけるためだった。未来に進むために必要な儀式だった。けれど、理性と感情は違う。
「ショウがいればさ、こんな別れしないでいいのにっ。みんなで冒険に出る未来だってあったはずなのにっ。わたしだってセルベントにならないで、こんな気持ちにならないで、あきらめたりしなくてよかったはずなのにっ。会いたいよ、ショウっ。奇跡でも魔法でも何でもいいから帰って来てよ! この世界はそういう世界じゃなかったのぉ!」
その絶叫を、アカリたちも共感していた。たった一人の死が、世界を変えてしまったのだ。
「もうどうにもなんねーよっ。受け入れる以外、できることなんて何もねーんだよ!」
マルは吐き捨てた。
シーナは一層悲しくなり、大声で泣きはじめた。
「――で、キミはこの辺から流されて死にかけたわけ」
【瞬間移動】魔術から着地しながら、ミコはショウに説明した。
「へぇ……?」ショウはその景色を眺め、ふと前方に四つの人影を見つけた。
「……!?」
相手も突然の人の声に振り返り、金髪の女性と黒髪の少年を目にした。
「え、みんな……?」
「……ショウ?」
五人が一様に呆然とする。
「シーナ、アカリ、ルカ、マル!」
「ショウ!」
彼らの顔が驚きから喜びに変化する。そして互いに駆け寄った。
一番早くショウにたどり着いたのはルカだった。ショウを抱きしめ、ガッチリとホールドする。
「痛っ! ルカ痛い! 強すぎ!」
ショウの文句にもルカは耳を貸さず、彼の温もりを全身で受けとめる。
「このバカ! 今まで何してたわけ!? 脳ミソ腐ってんじゃないの!」
「おまえ、ちゃっかり生きてんじゃねーよ!」
アカリとマルが続く。
「オレだって信じられないよ。つい最近まで寝たきりだったんだぜ?」
「そのわりに元気そうじゃねーかよ!」
「そこにいるミコさんが助けてくれたんだ。あの人がいなかったらホントに死んでたよ」
「なんでもいいや! 生きてたモンの勝ちだからな!」
「そうだっ。生きてれば、こんなに嬉しくなれるんだから!」
ショウはふと最後の一人を見た。シーナはルカたちのように彼には抱きつかず、数歩の距離で泣いていた。
ショウは三人を押しのけて、シーナの前に立った。
「ごめん、心配かけたね」
「……ホントだよ。ホントに、ホントに、なにしてたのよぉ……」
シーナはうつむいたまま鼻をすすっていた。
「だから――」
ショウが言い終える前にシーナはショウに抱きついた。
「ショぉぅ~!」
そして大声で泣きだした。その涙は先の涙とは違うものだった。
その後、20分にわたりシーナは泣き続け、ようやく落ち着いてもショウの腕に掴まったまま放さなかった。
「じゃあ、元気で。次はないからね? 無茶だけはしないように!」
ミコはショウを町まで送るつもりでいたが、仲間と合流したのでここで別れることにした。
彼女の忠告にショウは「はい」と応えた。
「ナンタンに戻ったらみんな驚くね」
シーナが元気に笑う。それを想像するのが楽しそうだった。
「でも、ショウの追跡ができなかったのはなんでだろう?」
ルカが口にしたのは、ステータス・サークルの位置情報発信装置についてだ。召喚労働者は管理局に居所を監視されており、その発信源が消失したためにショウは死亡認定されたのである。
「事故でサークル自体が壊れたんだ。今も出せなくなってる」
ショウは首もとを叩く。本来、ステータス・サークルが浮かび上がるのだが、反応しなかった。
「なるほどね。あの人が見つけてくれなかったら、本当に危なかったね」
ルカはミコに深く感謝した。ただ、帰り際、ミコが自分を見て驚いた表情をしたのが気になっていた。
「ショウ、これ」
シーナが手にしていたコートをショウに差し出した。リーバが作った彼らの専用衣装である。
「みんなとおそろい?」
「そ。リーバが作ったの。墓に供えるつもりが、こんなふうに役に立つなんてね。あいつも喜ぶでしょ」
「ありがたいな。早く他のみんなにも会いたい」
「といってもね、けっこうみんなバラバラよ。セルベントの仕事で地方に派遣されてたりするから」
アカリの言葉をショウは残念に感じた。さらに残念な報告がシーナから続く。
「……わたしもセルベントになっちゃったんだ。ショウがいなくなって、どうしようもなくて。それに今度は地方駐在が決まってる……」
ショウは言葉がない。それぞれの三ヶ月が過ぎていたのを知る。
「セルベントを辞める方法ってないんだよな?」
マルがルカに訊いた。ルカはセルベント第1小隊の副隊長であり、規則はすべて記憶していた。
「10年後の任期終了まで無理だよ。あれば脱走を考えないって」
「クッソぉ、オレも辞めてーよ。だってクソつまんねーんだぜ? 村にこもってばっかだしよ」
マルの不平を聞きながら、ショウはアカリを見た。
「なに、その目は? あたしが管理局専属になんかなると思う?」
「だよな」
ショウはホッとした。
アカリはその様子に照れが湧いた。つい冗談を口にして紛らわせたくなる。
「しょうがないわね。寂しいならあたしが冒険でも何でも付き合ってあげ――」
「「ダメ! アカリ一人はダメ!」」
シーナとルカが同時にさえぎった。両者が睨み合う。
「ルカは今すぐ独りで行くんでしょ? 遠慮しないでドウゾ」
「キミだって任地に行くんだろ? ボクは脱走してでもショウと行く!」
睨みすぎて火花が散っていた。
ショウは懐かしい光景に和んだ。
「セルベントのルールはわからないけど、どっかに穴があるかもしれない。探してみよう」
ショウに肩を組まれ、シーナとルカは休戦した。
「じゃ、まずは帰りましょう」
アカリが弓を背負い直して歩き出す。他のメンバーもそれに続いた。
その帰路、真紅背毛大猪という巨大な獣に襲われたが、五人の小さな勇者たちは巧みなチームワークでこれを撃退した。
ショウを送り届けるはずの場所で、ミコは車椅子の少女と面会していた。彼女はミコとともにショウの救命に尽力していたのだが、ショウは一度も彼女と会ってはいない。少女がわざと避けていたのである。
「レナ、ショウちゃんの仲間に生きてることを報せてなかったの?」
「はい。結果的に体の再生は成功しましたが、ぬか喜びになったら困りますし」
「あー、そうだね。それに再会は劇的なほうが面白いか」
「そういうつもりはなかったのですが……」
ミコが笑うと、レナは困った顔になった。
「それより、ちょっち気になったんだけど、ショウちゃんの仲間に特別な子がいたよ」
「知っています。『イレブン』です」
「やっぱり……!」
ミコは唸る。今さらそのナンバーを聞くとは思わなかった。
「どういう経緯であるかはわたしにもわかりません。あの方の考えることですから。意味があるのか、ないのかすらも」
「だよね。本人も気付いてないっぽいんだけど、なんだろね」
レナは首を振るしかなかった。
「考えるだけ無駄か……。あ、そうだ、レナっちに一つ頼みがあるんだ」
「なんでしょう?」
「ショウちゃん、冒険とか出たいみたいなんだよね。けど仲間のほとんどが管理局の奴隷バッジをつけてた。あれってどうにかなんないの?」
「あなたがそこまで気にかけるなんて、珍しいですね」
レナが大人っぽく微笑む。彼女は見かけどおり実年齢でもミコよりかなり下だが、態度や仕草はよほど年長だった。
「わたしらの冒険は短かったけど、彼らはこれからじゃん。せっかく生き延びたんだから、楽しくやってほしいんだよ」
「そうですか……」
レナは数年来の友人をとても好ましく見つめた。
「失礼いたします。お茶をお持ちしました」
扉がノックされ、女性が入室してきた。
「やぁ、パーちゃん。ひさしぶりぃ~」
ミコは管理局職員のパーザ・ルーチンに手を振ってみせた。
「その呼び方はやめてくださいと何度も言いましたよね? バルサミコス様」
「う……。わかってるよぉ。なんだよぉ、パーちゃんもミコちゃんて呼んでくんないくせに」
ミコことバルサミコスは拗ねたように言う。世間では『放浪の女魔剣士バル』とも呼ばれる彼女は、その名はもちろん、本名すらも好きではなかった。彼女は『バルサミコス』という語感が気に入って名付けたのだが、『バルサミコ+酢』という意味を知らなかった。仲間たちとの初顔合わせで自信満々に自己紹介をして爆笑されたのを決して忘れない。
「それはあなたが改善しないからです、バルサミコス様。それとも偉大なる勇者バル様のほうがよろしいですか?」
「ごめんてばっ。そういう意地悪する人には、感動物の大ニュースを教えてあげないからね」
「けっこうです。あなたが持ってくる話のほとんどはロクなものではありませんでしたし。……では、失礼いたします」
パーザはお茶を置いて異世界人管理局・局長室を出ていこうとした。
それを局長のレナが止めた。
「ルーチンさん、申し訳ありませんが、明日の昼までにセルベント全員の資料を持ってきていただけますか?」
「はい。……明日の昼でよろしいのですか?」
資料の管理は万全なので、持ち出そうと思えばすぐにできる。明日まで時間をかける必要はなかった。
「明日まででかまいません。ただ、契約書など全員の必要書類が揃っているかの確認はお願いいたします」
「わかりました」
パーザは疑問に思いつつ、部屋を出た。
その数時間後、パーザは奇妙なセルベントの資料と、行方不明者の生還に直面した。彼女はバルサミコスのドヤ顔を想像して頭を振ったのち、微笑んだ。
ギザギ十九紀14年11月4日15時00分、召喚労働者ショウはナンタンに帰還した。
異世界人管理局に足を踏み入れた途端、受付業務に携わっていた三人は目を丸くした。ツァーレ・モッラは涙を浮かべて光の神に感謝の印を切り、ベル・カーマンは席を飛び出しショウの手を取って喜び、パーザ・ルーチンは前述とおりの反応を示した。
時間が時間のため、管理局には召喚労働者の姿は少なかった。まだ仕事中の者がほとんどである。ショウがかろうじて知っている顔は一つしかなかった。
その相手も、ショウよりもシーナのほうが縁深かった。
「ダイゴ……」
シーナは緊張を強いられた。話さねばならない事案が多かった。けれどそれは彼らセルベント第17小隊が滞在している宿でと思っていた。この場で遭遇するのは想定外だった。
シーナとダイゴはとっさに言葉が出せずに硬直した。
第17小隊の仲間であるオックス、パルテ、ヒデオの三人はそんな二人を見比べる。状況は理解できていた。あのシーナの幸せそうな顔を見たからだ。さらにはベル・カーマンが呼んだ『ショウ』という名前ですべてがつながる。彼女が助けられなかったという、かつての仲間の名だった。
その空気を無視してパーザが立ち上がった。彼女には彼女の緊急案件がある。
「ショウさん、詳しい話を聞きます。二階の第三会議室に」
ショウはシーナに声をかけようとしてためらい、何も言えないままパーザについていった。
「やべぇ、修羅場だぜ」
マルがワクワクしながらルカに言った。ルカは興味をもたず、成り行きを見ていた。
「……ショウさんが、帰って来たのか」
第一声はダイゴからだった。目にしていても、信じられない出来事というのがある。
「うん。山奥で助けられて、ずっと療養していたんだって。サークルが壊れちゃったから、居場所がわからなかったって。お墓参りに行ったら偶然に会えて……」
シーナはそこで言葉に詰まった。
「そうか。そうか……」
ダイゴは天を仰ぎ、目をつぶった。深い呼吸が彼の心情を表していた。
「だからわたし――」
「よかったな」
ダイゴが微笑んだ瞬間、シーナは涙をこぼした。「うん」と答えるのが精一杯だった。
「現時刻をもって第17小隊から除名する。……元気でな」
「……!」
シーナはダイゴに謝罪をしたかった。けれどそれはできない。してはいけないと思う。それに動けなかった。堰を切ったように大声で泣いてしまったからだ。
ダイゴはアカリに近づいた。
「自分は、うまくできたでしょうか?」
「上出来よ。でも、前にも言ったけどあんたはあんた。あきらめる必要はないわ」
アカリの真剣な言葉に、ダイゴは一瞬だけ呆然とした。
「……ありがとうございます。ですが、そうじゃないんです。これが自分の役目だった。今ならそれがわかります」
「そんなわけあるかっ。勝手にあきらめるんじゃないわよ」
アカリは納得できない。そんな生半可な気持ちで、ヒト一人を支えてこられるはずがない。
「相変わらず、厳しいですね、アカリさんは。でも、本当に満足してしまったんです。さっきと笑顔と今の涙を見たら、何も言えないですよ」
「……ありがとね」
アカリの深く短い感謝の言葉を受け、ダイゴは満足して管理局を出ていった。
リーダーを追うように、第17小隊のメンバーがシーナに一声かけて去っていく。
「今までありがとうございましたっ。助けてもらいっぱなしで恩返しもできずスンマセンっ」
黒服・黒武装の少年オックスが深く一礼した。
「荷物、取りに来ますよね? 一杯くらい付き合ってくださいよ」
弓を担いだヒデオがのんびりと告げる。
「来たらブン殴ってやるっ。この恩知らず!」
少女魔術師が憎々しげにシーナを睨んだ。
「パルテ!」
オックスはパルテの腕を引いた。少女はまだ言い足りなさそうな顔をしていたが、その場は鼻を鳴らして出ていった。
「……あんま面白くなかったな」
マルはあっさりと片が付いてつまらなそうだった。
「ショウ以外にもかなりのお人好しっているもんだね」
ルカはやはり興味がなさそうだった。
その後、事情説明を終えたショウにかわり、シーナとルカ、マルが会議室に呼び出された。不思議がる三人を前に、パーザは『異世界人管理局専属召喚労働者契約書』を並べた。三人の契約書が紛失しており、再度の記入を求めたのだ。
「こちらの管理ミスで紛失したようです。申し訳ありませんがご記入をお願い致します」
パーザは見えざる意思に逆らわず、手続きを行った。結果ももちろん知っている。作為しか感じない。この件にバルサミコスと局長が絡んでいないわけがないのだ。
「これを書かないとどうなるの?」
目を赤くしたままのシーナが訊ねた。
「セルベントとしての特約が解除されます。当然、税金を契約当初の日付に遡って払っていただきます」
せいぜい意地悪くパーザは答えた。思い通りというのも癪に障る。
「ゲ、金とんのかよ」
「でも、セルベントは辞められる」
ルカはそちらに喜びを見出していた。
「違約金ってヤツか? ま、しかたねーな」
マルもニヤリとしながら用紙を突っ返した。
「冒険に出られるね! みんなで!」
シーナは満面の笑顔で契約書をビリビリに破り紙吹雪にした。そしてまたパーザに怒られる。「紙は貴重なんですよ!」と今回は掃除だけではなく罰金も喰らった。
「全員、再契約はしないということでしょうか?」
「「はいっ」」
三人は気持ちよく返事をした。
12月に入るとギザギ国は本格的な冬を迎える。これから二ヶ月、雪がちらつく日々が続くのだった。
ショウたちは冬がはじまる前にナンタン町を出て諸国漫遊をはじめるつもりでいたのだが、準備が整わなかった。
一つに作業依頼の急増が上げられる。
ナンタンも冬ごもりの支度に忙しくなっていた。畑の収穫の残りや、燃料となる薪などの調達、日持ちする食料の調理と貯蔵、煙突掃除や屋根の補修など、どこも人手が足りず、召喚労働者たちは休みなく働かざるを得なかった。ショウたちも頼まれては嫌とは言えず、流されるままに仕事をこなす毎日となっていた。合間を見て訓練所でのサバイバル教練や魔術習得はこなせたが、それでもまだまだ準備が足りない。
「どうにか落ち着いたみたいだ」
ショウはコープマン食堂でぐったりとした。今日だけで朝から晩まで三つの仕事をこなしてきていた。一番堪えたのが雪かきである。日本でも経験のない作業に、体中が疲れている。
「だね。冬もはじまっちゃえばいつも通りになるみたいだし」
シーナは熱いお茶を両手で掴み、冷えた手を温めた。
「それって結局、仕事はあるってことじゃない」
アカリはいつも通りのパン屋仕事なので、仲間のしんどさは伝わってこない。
「冬眠ってわけにもいかねーかんな」
「ボクはゆっくり寝てたいなぁ」
マルの言葉にルカがため息をつきながら応えた。
「極寒の旅立ちってのも辛いし、こうなると町を出るのは冬が終わってからだな」
ショウの結論に、一同に異論はない。
「せいぜい稼いでおきましょ。旅先で仕事があるかもわからないしね」
アカリは食べ慣れたスープをすする。いいかげん飽きてきており、ときどき自分で料理をしたいと思うときもある。だが忙しさに負けてしまい、それが叶ったことはない。
「ここで正月を迎えるわけか。いろいろあったけど、無事に年を越えられそうだな」
「「あんたが」「キミが」「おまえが」言うかっ」
ショウの感慨にアカリとシーナとマルがツッコむ。ルカはそのタイミングのよさに噴きだしていた。
和やかな冬の訪れは、しかし、無事な年越しを保障しなかった。
世界最大の脅威がギザギにも迫っていたのである。