表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/12

第三章 ゴブリン王 [後編]

 第4小隊長トールは、ハリー・ガネシムの天幕に呼びかけた。各中隊からの伝令者が到着し、今日一日の記録を持参したと伝える。

「知るか、そんなのっ。おまえらで勝手にやればいいだろっ」

 幕内から不機嫌で脅えた声が聞こえた。

 トールとユーゴは顔を見合わせ、「失礼します」と中へ入った。ハリーをはじめとする貴族三人が、酒瓶を抱えて身を寄せ合っている。

「誰が入っていいと言った! オレは大隊長だぞっ。命令もなく――」

「大隊長だからこそ、報告を聴く義務があります」

 トールは視線定まらぬハリーの目を見て訴える。

「なに言ってやがる……。どうせおまえらもオレたちを追いやろうと考えてんだろ? だが、そうはいかねーぞ? 簡単にはやられねーからなっ」

 酒瓶を持つ手を震わせながら、ハリーは虚勢を張った。

 兵士兄弟はまた顔を見合わせる。ユーゴが肩をすくめた。

「そんなことしませんよ。するならとっくにやってます」

 言葉に衣を着せても通じないと思い、ユーゴは直接的な言葉を使った。

 トールが引き継いで言った。

「ですが、このまま酒に溺れて作戦を台無しにするというのなら、帰還後に訴えざるを得ないでしょう」

「な、なんだとぉ?」

「あの異世界人アリアン……いえ、少年が言っていたではありませんか。これはチャンスなんだと。立って指揮を執り、ゴブリンを討伐するのです。そうすれば誰もがあなたを賞賛するでしょう。しかしこのままでは、本当に終わりですよ」

「オレにそんな大役が務まると思ってんのか? おまえらだって本当は無理だって疑ってんだろぉ?」

 ハリーの情けない声に兄弟はため息をついた。

「正直に申しまして、そのとおりです。異世界人たちだけでなく、兵士一同、あなたの指揮能力には期待しておりません」

「……!」

「が、そのために兵士長は我々をあなたの参謀につけたのです。あなたが必要としてくださるなら、わたしどもはいくらでも協力いたしましょう」

「本当か……?」

「剣にかけて」

 兄弟は剣を抜き、敬礼した。

 「おお……」ハリーは二人の兵士の姿に感動すらした。かつて子供のころに憧れた、父や騎士たちの勇ましくも凛々しい姿を思い出した。

「……わかった。やるぞ。やってやる!」

 ハリー・ガネシムは酒瓶を投げ捨て、立ち上がった。

「第2中隊長も呼べ。会議を開く。他の兵士、ならびに第2中隊は交代で周辺警護。ここからはじめるぞ」

「ハッ」

 トールとユーゴは、大隊長の命令を受けて陣幕を出た。

 にわかに活気づいた本営の影響で、第2中隊に所属するカッセは巡回を命令された。二人一組なので、彼は中隊違いながらショウを指名し、少年は従った。

「悪いな、付き合わせて」

「いえ、ぜんぜんいいですよ。小隊に戻っても、まわりは女性ばっかりで落ち着かないです」

「贅沢なこと言ってんな」

 カッセは笑った。照明石を灯し、森を照らし歩く。

「カッセさんが訓練所に入ってそろそろ三週間ですよね? まだかかるんですか?」

「最初の予定だった戦士の基礎講習は終わってるんだけどな。セルベント特典で金が浮いた分、追加受講して技に磨きをかけていた。この作戦後は魔術師コースを受けるから、当分は出てこれないな」

「そうですか……」

「おまえは管理局専属セルベントにならなかったんだな」

「はい。今回みたいに強制されるのもイヤだったんで」

「でも結局ここにいるわけだ」

 カッセがニヤリとする。ショウとしては苦笑するしかない。

「ところで、わざわざ巡回に付き合わせたのは理由がある。二人だけで話したいことがあったんだ」

「なんですか?」

 カッセの顔が真剣みを帯び、ショウも自然と表情を硬くした。

「おまえの知り合いに、ルカっているか?」

「……はい」

 ショウはドキリとした。さっきの暗殺者モドキの正体に気付いたのだろうか。

「そうか。それじゃ、あいつがよく話していたショウってのは、おまえでいいのか」

「話してた?」

「あいつとオレは訓練所のルームメイトなんだ。戦士コースでよく戦ったり、チームを組んだりしていた。あいつは武器戦闘に関しても、魔術に関しても、軒並み評価が高い。一種、天才だな」

「そうなんですか? すごいな、あいつ」

 ショウが顔を輝かせた。友人として誇らしい。

「ああ、本当にな。後発のクセに、すぐにオレより強くなりやがった」

「ハハ……」

 笑えないが、笑うしかない。

「それはまぁ、いいとして、あいつについて変なところはなかったか?」

「変なとこ? ……何を考えているかイマイチわからないところとか?」

「いや、突然、性格が変わるとか……」

「なんです、それ?」

 ショウは怪訝そうにカッセを見た。

 彼は知らないようだ。そうわかっても、訊いてしまった以上、話を濁すのも不可能だろう。カッセは自分の迂闊さにため息をつき、訓練所でのルカの暴走を教えた。少年は本当に何も知らなかったようで、かなり動揺していた。

「まさか、あのルカですよ? 普段ボーっとしたカンジで、クラゲみたいにのらりくらりしてるヤツですよ?」

 その表現はどうだろうと思いつつ、カッセは「事実だ」と告げた。

「なにかトラウマでもあるのかな……」

 ショウがそう言ったのは、シーナの件があったからだ。彼女も普段は明るく悩みなどなさそうな雰囲気だが、他人の目を気にして脅えることがあった。それは心の奥に刻まれた傷のせいである。もしルカが本当に暴走するようなことがあるのなら、それは心の問題なのかもしれない。

「トラウマか……。そうかもしれないな」

 カッセはうなずいた。

「ルカは大丈夫なんですか?」

「オレが知るかぎりではそのときだけだ。激しい敵意を向けられて過敏になったのかもな。普段があれだから、オレもちょっと心配しすぎたか」

「そうですか……」

 カッセの思いつきのフォローではショウの心は安らがなかった。ルカとゆっくりと話す時間が欲しいと思う。

「あまり離れても危険だな。ここらへんで折り返そう」

「はい」

 話題を打ち切るようにカッセは背を向けた。ショウとしてもこの話を続ける意味が見出せず、素直に従った。

 彼らは仲間のことで頭がいっぱいで、本来の任務を忘れていた。彼らが敵を探るように、敵も彼らを探っている。それが戦場というものであった。


 7月28日20時。ゴブリン掃討作戦の本営会議はまだ続いていた。前半は各中隊の位置や状況、行軍中の問題などの報告を吟味し、全体の把握に努めた。それが済むと戦術の話となった。

 大隊長ハリー・ガネシムは参謀の第4小隊・隊長トールの意見を取り入れ、兵士全員と、召喚労働者サモン・ワーカーから数人を陣幕に集めた。レベルが高いレックスとコーヘイ、戦士として期待度の高い体躯たいくの持ち主であるイソギンチャク、訓練所での作戦立案能力が評価されているカッセ、それになぜかショウがいる。トールから招集されたレックスが無理やり連れてきたのである。ハリーは顔をしかめたが、追い出しはしなかった。

 今作戦に参加している召喚労働者サモン・ワーカー200名は、戦闘に関してはほとんど素人である。多少の戦闘訓練を受けてはいるが実戦経験のない者が多い。兵士たちですら実際にゴブリンと剣を交えた経験者は半数以下だ。大隊長のハリー・ガネシムがよほどの戦術家だったとしても、相手が同数以上の場合は苦戦は必至である。

「こんなんで勝てんのか?」

 今さら大隊長がそんな発言をする。彼が欲しかったのはゴブリン討伐の栄誉であって、その過程は気にしていなかった。放っておいても味わえる美酒と疑っていなかったのだ。

「合同戦闘訓練も行っていませんので不安はあります」

 トールが正直に答えた。

「じゃ、どうする?」

「ともかく、隊の再編成が優先です。それぞれの得意分野で隊を作り、組織として戦えるようにします」

 そのために、トールは前もって二個中隊の召喚労働者に得意分野や習得技能などを書かせていた。

 40枚のプロフィール用紙をテーブルに並べる。トールに指示されてショウがそれを分類した。大きく、武器戦闘技能者、魔術師、未訓練者である。これをさらに、武器戦闘技能者の中で弓が使えれば優先して弓手にあて、魔術師も回復系と攻撃系で分けた。結果、近接・16名、弓手・8名、回復魔法・4名、攻撃魔法2名、未訓練者10名という内訳になった。ショウやシーナのように、未訓練者だが実戦経験から戦闘部隊に数えられている者もいる。アカリも貴重な弓手として弓隊に組み込まれた。

「この16名は前線に立たせても大丈夫か?」

 参謀役のトール小隊長がレックスに訊いた。彼はカードの名前を確認して人物を思い出す。二人ほど知らない者がいるが、他の14名に関しては問題ないだろうと答えた。ただ、誰も経験したことのない集団戦闘である。数人程度の小競り合いとは違うのだ。恐怖を駆り立てられないとは言い切れない。

「それは兵士も同じだ。サイセイ砦のような戦争経験者は一人もいない」

 そう話すトール自身が、畑荒らしのゴブリンや、町で暴れまわる外区の暴徒しか相手にしたことがない。

「おいおい、本当に大丈夫なんだろうな?」

 ハリーの心配はもっともだった。

「なんとかするしかないでしょう。……各隊に小隊長を割り当てる。近接組は16人を4人ずつに分けて、各一名・兵士の小隊長をつける。第5から第8小隊長、任せる」

「了解だ」

 第5小隊長のユーゴが快諾する。

「弓兵は第9小隊長、回復魔法組は付き添いの救護班に組み込む。攻撃魔法組はオレが全体の指揮をりながらみる。未訓練者は第10小隊長だ」

 各小隊長がうなずく中、カッセが発言を求めた。トールにうながされ、彼は未訓練者たちの扱いに意見した。

「彼らは訓練を受けていません。つまり、命令されるのにも慣れていないのです。ですから、小隊長のサポートに、こちらから実戦経験者を副隊長につけたほうがいいと思いますが、どうですか?」

「たしかに10名もの未経験者を一人で指揮するのは厳しいが、そうすると前線から人が減るぞ?」

「その10名が崩れ、全体の崩壊につながるほうが恐ろしいのではないでしょうか」

 訓練所において、ルカとともに戦術を駆使して模擬戦で全勝してきた彼である。一人の暴走に、作戦全体が崩れかけた経験は一度や二度ではない。

「一理ある。が、先も言ったが、前線から人を減らすことになる」

 「この男、知り合いなんですが」とカッセは一枚のカードを未訓練者から抜いた。

「未訓練者ですが武道経験もあり度胸もあります。その彼を前線に回します」

「交代するわけだな。で、君が第10小隊を補佐するのか?」

「いえ、オレは彼と前線に立ちます」

「では、だれが?」

「今回参加している召喚労働者ワーカーのなかで、唯一、訓練所通いもしていないのに実戦経験が多く、おそらく誰よりもゴブリンをたおしている者です。もっとも、自分も噂でしか知りませんが」

「そんなヤツがいるのか?」

 兵士たちは驚くが、陣幕内の異世界人たちは全員がピンときた。自然と視線が一人に向く。

「……まさか、オレですか?」

「おまえ以外、誰がいるんだよ」

 カッセはショウを見てニヤリとした。

「無理ですよっ。オレ、人を使うなんてやったことないし!」

「使うんじゃない。いっしょに戦うんだ」

「……!」

「おまえならわかるだろ。いきなり実戦を経験することになった人間の気持ちが。何が怖かったのか、どうすればよかったのか、おまえならそれがわかる。小隊の連中が焦ったりパニクったときは、おまえが先頭に立て。難しい説明も、威圧的な命令もいらない。おまえが生き延びてきたやり方を見せてやれ」

「……オレのほうがパニクるかも知れませんよ?」

「それはそれでよしだ。噂のゴブリン殺しが無様さを露呈すれば、『こんなヤツでも生きてるんだから』と思い込むかもしれないだろ?」

「冗談になってないんですけど」

「冗談じゃないからな。励まして元気になるヤツもいれば、同情すれば安心するヤツもいる。叱りつければ奮起するヤツもいるし、褒めれば調子にのるヤツもいる。人それぞれの『やる気』の出し方ってのがあるさ。深く考えるな。結果としてみんな生きてりゃいいんだ」

 カッセがショウの肩を叩いた。

「……わかりました。第10小隊の補佐、やらせてもらいます」

 これで陣容が決まった。第1から第3小隊は欠番となり、ハリーら各小隊長だけが本営として最後列に陣取る。その前にトールの第4小隊・魔法攻撃班、さらに前に第9小隊長率いる弓兵が並ぶ。次に治癒魔法を得意とする救護班が待機し、最前線と彼らの間に第10小隊が立ち、盾となり槍となる。最前線は中央がユーゴ率いるレックスたちの第5小隊とコーヘイの加わった第6小隊、右翼にシーナの参加する第7小隊、左翼はカッセが組み込まれた第8小隊だ。攻撃・防御ともに、この陣形が基本となる。

「第1・第2中隊はこれでいいとして、他の中隊はどうするんだ? 編成しなおすのか?」

 ハリーがトールに訊いた。

「それよりも、まず部隊を夜明けとともに召集したいと思います」

「夜明けだと? どうせ昼にはゴブリンの村で合流するだろうが」

「山狩りということもあり全体を大きく横に伸ばしてはいますが、このままというのは致命的な作戦ミスです」

「おいおい、兵士長が立てた策だぞ? それを否定すんのか?」

「作戦だからこそ従いましたが、作戦会議に出席できていれば異を唱えたでしょう」

「なぜだ?」

 ハリーにはまったくわからない。敵を虱潰シラミつぶしにしつつ、最後は包囲作戦へと移行する。完璧な策ではないか。

「単なる山狩りであれば常道でしょう。ですが、最後に大群が控えているであろう場所に、部隊が各個に近づくのは間違いです。完璧に時間を合わせて行動できるのならまだしも、タイミングが揃わなければ各個撃破されるだけです」

「なに?」

 トールはわかりやすく、テーブルに白い駒を10個、横一列に並べた。黒い駒も20マスほど離れた一点に置く。

「我々の中隊が白です。これが黒の駒を目指して進みます。このとき、横の連絡が密でない以上、どこかは早く、どこかは遅くなります」

 ある白い駒を3マス、別の駒を2マス、さらに違う駒を1マス進ませる。それを全中隊分おこない、一巡すると初めから同じ進行速度で繰り返す。何度かループすると、各駒の位置はバラバラとなった。

「こうして早く目的地にたどり着いた一中隊25名は、敵の大兵力の前に全滅するでしょう」

「……!」

「これが10回繰り返され、我が部隊は完全消滅です。一度敵に発見されれば、地の利もない我々は逃げることもままなりません」

「なぜこんな策を兵士長は立てた!? まさか、本当にオレを殺すため……!」

 ハリーは恐怖し、椅子に座り損ねて地面に尻餅をついた。

「いえ、そうではありません。兵士長は、作戦目標を二つ設定してしまったのです。一つはもちろん、山狩りです。どこに潜んでいるかわからないゴブリンを駆逐するには、今のように捜索範囲を広げるしかありません。二つ目が、サイセイ敗残兵の完全排除です。それがいるであろうゴブリン村を襲撃するのは当然ですが、山狩りと同時進行させようとしたのが問題です。作戦目標は一つに絞るべきだったのです。山狩りか、敗残兵討伐か」

「だが、どっちも同じサイセイの敗残兵だろう? 山を自由に動いているか、一箇所に留まっているかの違いだ」

「ええ、そのとおりです。だからこそ、兵士長はこのような策をとってしまったのです。本来とるべき策は、全軍を持ってゴブリン村を襲撃し、敗残兵を駆逐する。それから分散して逃げたゴブリンを山狩りで追い立てる。そうでなければならない。今のやり方では、ゴブリンは追い立てられて一箇所に集まってしまう。敵の数が増えていくのです。これが少数であれば一網打尽ですが、そうはならないでしょう。むこうの集団は、今も増えているかもしれないのです」

「……そいつぁ、ヤバいな」

 ハリーはもちろん、陣幕内の誰もが冷や汗をかいていた。

「……さらに敵が積極的なら、この時点で急襲してくる可能性もある。すでに各個撃破のいい的だ」

 カッセが唸るように言葉を発した。昔読んだSF小説がそんな始まり方をした。三方向から押し寄せる敵を、各個撃破の的として撃破していく。そうして戦力が倍する敵を圧倒したのだ。

「そうだな、そのとおりだ。その可能性もあるか……」

 トールはさすがにそこまで思い至らなかった。

「おい、さっさと全軍を集結させたほうがいいんじゃねーのか?」

 ハリーに言われるまでもない。だが――

「……この時間になっては伝令を走らせるのも危険です。何が潜んでいるかもわからない森です。無事にたどり着く保証がありません」

「夜明けまでは動けないか……」

 兄の説明を聴き、ユーゴは天を仰いだ。

 つられるようにショウも上を見て、天幕の屋根をボーっと眺めた。

「……いっそ撃っちゃったらどうだろう」

「なにをだ?」

 ショウのつぶやきが聞こえたレックスが、少年に訊いた。

「信号弾」

「そんなの撃ったら敵に居所を報せるようなものだよ」

 コーヘイが驚いて否定する。

「……いや、悪くないかもな。もし敵が急襲するつもりなら、とっくに居所はわかってるはずだ」

 カッセがあごに手を当てて考える。

「もし敵がここも知らなくて、急襲する意思もなかったとしたら? それで誘われて来るかもしれない」

 コーヘイの反問に、カッセは思考をまとめながら答えた。

「敵がここへ来るとしても、ゴブリンの村からの距離を考えて何時間かはかかるだろう。その間にこっちは何部隊かが合流できる。もし敵が合流前に到着するようなら、それこそ急襲するつもりだったということだ。その場合、信号弾を撃とうと撃つまいが同じだ。むしろ撃たないほうが危険になる。さらにいえば、撃つことで他の部隊に危険の可能性を報せることができる。それだけでも撃つ価値はあるんじゃないのか?」

 カッセの理論に一同はうなずいた。

「そうだ、そのとおりだ。信号弾を撃てっ。全軍を今すぐここへ集合させるんだっ」

 ハリー・ガネシム大隊長の命令である。

「わかりました。緊急集合の合図を出します。各小隊長は急ぎ部隊の編成を急ぐように。戦闘準備を!」

 兵士とショウたちは天幕を飛び出した。休んでいる一同に呼びかけ、戦闘準備と編成を伝える。蜂の巣をつついたような騒ぎとは、このことであろう。

 そして、トールが打ち上げた信号弾によって各中隊でも同じ光景が繰り広げられる。

「なんだよ、メシくらいゆっくり食わせろよ!」

 突然の本営合流命令に、第3中隊にいたマルが文句を言った。

「何かあったかな」

「なんでおまえ、嬉しそうなんだよ?」

 目を輝かせるルカにマルが呆れる。

「集合となればショウといっしょにいられるじゃないか!」

「どんだけショウが好きなんだよ……」

 マルは呆れた。その背後で、中隊長が第4中隊に向けて信号弾を上げている。派手なロケット花火だとマルは思った。


 信号弾が次々と上がっていく。

 それを見たのは人間だけではない。深い森の中で、彼もまた、それを見上げていた。

「4つ目……。勘付かれたか?」

 足をとめ、思案する。

「それともただの用心か、ハッタリか。意図するところはわからんが、罠の可能性もある、か……」

 男は考えた末、右手を上げて命令した。

「全軍停止。いったん退くぞ」

 周囲を走っていたゴブリンたちが動きをとめた。

「どういうこと、クラン?」

 彼の隣にいた女性が問う。黒髪に、褐色肌の美しい女性だった。特徴はもう一つ、先端が尖った耳。人間は彼女のような亜人種を『エルフ』と呼んでいる。ただ、普通のエルフは白磁のような肌で、金髪である。彼女は変異種だった。

「今の打ち上げられた光、おそらく人間たちの奸計かんけいだろう。そうでなくとも敵が行動したという事実が問題だ。ここで無理をする必要はない」

「でも、敵戦力を削る絶好の機会ではあるわ。それに――」

「なんだ?」

 エルフの言葉をクランはうながす。

「呼びかけが遅いから、もうかなりの数が行ってしまったわ」

「そ、そうか……」

 会話の隙にも、号令が届いていなかったゴブリンたちが二人の脇を駆け抜けていく。

 クランはもう一度命令を叫び、今度は彼より後ろのゴブリンはすべて停止した。

「行ったものは仕方あるまい。威力偵察としておこう。わたしたちは撤退だ、ディスティア」

「威力偵察ねぇ……」

 エルフのただでさえ切れ長の目が、さらに細くなった。

 クランはその視線を避けるように、外套がいとうひるがえして元の道を戻っていった。


 第1・第2中隊の50名はゴブリンを至近に観測した。

「弓、構え! 矢、つがえー!」

 ショウはその第9小隊長の声を聞き、後ろを振り返った。前線より高い位置で待機していた弓兵隊が、慌てふためきながら弓を構えた。その中にはアカリの姿もある。彼女は恐れていないのか、無表情で淡々と矢を番えていた。

「あいつ、怖いとかないのか? スゲーな……」

 ショウは感心し、彼女を見習おうと思った。が、思えばできるほど単純ではない。何度経験しようが戦いは怖い。それに彼の隣には、戦闘訓練すらも経験していない戦友が9人も並んでいる。皆、盾をガッチリと握りこんで、槍の穂先を震わせていた。

 ショウは深呼吸し、脅える仲間に呼びかけた。

「みんな、さっき言ったことを思い出せ! 盾を構えていれば滅多なことではやられない! 隣には必ず味方がいる! 背中にもだ! 怖くなったら槍を振り回せ! 怖いと叫んでいい! どうせゴブリンには日本語なんかわからない。叫びたいだけ叫べ! それが威嚇になる!」

 襲撃を待つ数十分の間に、ショウは自分が体験したゴブリンとの戦いを第10小隊に話していた。迂闊な行動や勝手な思い込みで危機に陥ったこと、ブルーに教わった戦法や心構え、仲間がいる心強さなど、戦果を上げた格好良さよりも自分の至らなさを多く語った。これが頭の片隅にでも残っていれば、直接の体験はなくとも経験値として蓄えられるだろう。少なくともショウはブルーの話を聞くだけで夜間巡回作業時の襲撃から生き延びられた。今度は彼が経験と知識を皆に渡す番だった。

 最前線の戦士たちはショウの演説を聞き、笑みを浮かべていた。馬鹿にするものではなく、感心してである。

「背中を任せるのには不安だが、よしとしておくか」

 カッセがつぶやく。

「実戦経験者の言葉だ、信じるとしよう」

 イソギンチャクが斜に構える。彼はこれが初陣である。

「聞いてのとおりだ、レイジ。隣にはオレもいる。オレの隣にはおまえがいる。後ろにはサトの弓とクロビスの魔法援護もある。気楽にいくぞ」

「わかってますよ、隊長」

「隊長はよせ」

 コーヘイは苦笑しながらレイジの盾を槍で叩いた。

「オレとジューザはレックスさんの援護を中心にします。思いきり振り回してください。隙はカバーします」

 タカシとジューザがレックスを頼もしげに見上げる。

 レックスは「おう」と応え、長剣を腰に収め、盾を捨て、背中の得物を構えた。刃渡り180センチを超える大剣グレート・ソードである。

「調子いいこと言ってるなぁ。わたしの隣にはいないクセに」

 シーナはボヤきながらも、頬をほころばせていた。ショウのおさがりの鎧に、ブルーからもらった剣を当てる。落ち着いてきた。

 ゴブリンの大群が迫る。


「弓、構え。矢、つがえー!」

 第9小隊長が号令を出す。アカリをはじめとする、弓兵たちが慌てて構えた。

 アカリは自分の心臓の音が聞こえ、急に恐ろしくなった。自分が何をしているのかすらわからなくなる。

「この矢を放てば、ゴブリンが死ぬ? あたしが殺すの? なんで? なんであたし、こんなことやってんの?」

 声にならず、喉の奥で自分に話しかけている。しかし体は何かに操られているかのように命令に従っていた。

ッ!」

 アカリの右手が矢を解放していた。狙いをつけていたわけではない。ただ森の奥を見つめて、矢を射っていた。それが結果としてよかったのか、草むらを飛び出した一人のゴブリンの喉に突き刺さっていた。

 アカリはそれを他人事のように見ていた。短い練習期間とはいえ、すでに体に染み付いていた行動を取る。すなわち、矢筒から矢を抜き、弓と左手に添え、両手で弦を引き、的に向けて放つ! 当たろうが当たるまいが、何も考えずに次々と射る。意識がつながったのは、矢筒の矢を右手が掴み損ねたときだった。

「……?」

 アカリは周囲の音と光景を脳に伝達した。

「弓、外せー!」

 小隊長が弓を下ろすように命令した。最前線では近接戦闘がはじまっており、矢を射れば同士討ちの可能性があった。

「以後は前線を突破してきたものや、弓持ち、サイドから襲ってくるものを各自で狙え!」

「はいっ」

 一部の小隊仲間が返事をしていた。アカリはそれをボーっと聞いていた。

「すごいな、アカリちゃん。2匹射抜いたよ」

「……え?」

 隣にいたサトが彼女を褒めた。サトのいるコーヘイ・チームとは、ショウやシーナを通じて知り合いとなっていた。

「あたしが、たおしたの……?」

「見ていないのかい? すごい集中力と連射だったよ。練習の成果なんだろうね」

 アカリが矢筒を確認する。10本ほど減っていた。弓兵隊の中でもっとも消費が多い。

「あたしが、殺したんだ……」

 アカリの表情は重くなった。サトは、彼女が集中していたのではなく、恐怖から逃避していたのだと気付いた。

「それを考えるのは後だよ。今は怖いかもしれないけど戦うんだ」

「……っ」

「それでも、どうしても怖くなったら隠れていい。誰もキミを責めないよ。それが普通なんだから」

 サトは彼女の肩を叩き、自分の仕事に戻った。弓を構え、前線を飛び越えようとジャンプしたゴブリンを空中で撃ち落とす。

 アカリは無表情で矢を射るサトの横顔を見つめ、唇を噛んだ。

「自分で選んだことでしょ。しっかりしろっ」

 言い聞かせ、頬を叩く。

「こんなとこで、あたしの冒険は終わらないのよ!」

 アカリは流れるような動作で矢を抜き、番え、引き、放つ。シーナを死角から狙っていたゴブリンを射抜く。

 シーナはヘッド・スライディングで地面に倒れこむゴブリンに驚き、その額に矢が刺さっていたのでまた驚いた。

「誰か知らないけどありがとー!」

 シーナには弓兵隊に振り向く余裕はない。

「貸しだからね」

 アカリは余裕ぶって見せた。


 戦況はけして悪くはない。ゴブリンに綿密な計画性がないため、ほとんどが走ってきた方向のまま、真正面から飛び出してくるからだ。

 しかし防ぐにも限界がある。時間とともに増えていく敵に、戦線は左右から圧迫されていく。

 それまでまったくの遊兵となっていた第10小隊が動き出す。

「行くぞ。もういい加減、覚悟は決まったな? 左、オレに四人ついてこい! 残りは右だ! 副隊につけ!」

 第10小隊長が命令を出した。副隊とは、副隊長のショウのことである。

「両翼を後ろから支えるぞ! 大したことはしなくていい! 隙間から槍を出せ!」

 小隊隊員の半数以上が震えながら小隊長に従う。

「小隊長の言葉どおり、難しくも危険でもない! ただ槍を突き出し、戻してまた突く。それだけを前の仲間に注意して繰り返して!」

 ショウは説明しつつ、自分の剣を右翼の戦士たちの間から突き出す。偶然なのか、嫌な感触がした。引き抜くと血がついていた。ゴブリンに刺さったようだ。

「ショウ、遅いよぉ!」

 シーナの声がした。ショウが剣を通したのは彼女の脇だった。

「悪い。ここからはいっしょだ」

「うんっ」

 シーナはやる気になり、盾に当たったゴブリンの攻撃を払って押しのけ、隙のできた小鬼の腹に剣を突きたてた。見事なパリィであった。


 戦闘開始から15分、状況は悪くなる。

 ゴブリンの数は減るどころか増えていた。速度の遅かった者が続々と追いついてきたのだ。

 何よりも体力の限界が近い。通常の人間が全力で戦闘を行える時間などごくごく短い。どんなに鍛えようが身体がついてはいかない。ほとんどの者が盾を構えるのすら辛くなっている。しかし、そうしなければ殺されるという観念が、かろうじて彼らを支えていた。槍を突き出す威力も落ち、剣を振るう握力も尽きかけ、弦を絞る力も、矢も乏しくなっていく。未だ死者が出ていないのが不思議なほどだ。救護隊の働きが素晴らしいとしか言いようがない。

 その戦況の悪化に、トールは最終手段を発令した。

「全員集結! ふぁらんくす!」

 その言葉に多くの仲間がホッとした。疲れて動きが鈍った最前線の兵たちは、少しでも休みたかった。

 全員が大隊長ハリーを中心に密集する。盾を前に突き出し、背の低い者がしゃがみ、高い者が上をカバーする。盾によるシェルターである。隙間からは槍の穂先を出し、ゴブリンたちを威嚇する。亀の甲羅とハリネズミの棘による密集陣形。

 この陣形を提案したのはカッセだった。襲ってこない敵を待っている間、考えうる最悪を予期し、トールに進言したのだ。元ネタは、数年前に見た映画である。実際のファランクス陣形ではないが、印象深いのでその呼称を借りている。

「あと少し耐えろ! もうすぐだ、もうすぐ援軍が来る!」

 トールがシェルターの中で鼓舞する。50人の勇者たちはそれを信じる。信じるしかなかった。

 ゴブリンたちは殻に閉じこもった人間たちを見て、はじめは驚き、そして突いたり石を投げたりして様子を見、それから踊って挑発し、それでも動かないので、最終的には笑った。

 馬鹿にして、おどけて、盾を叩き、槍先にちょっかいをかけ、跳ね回る。彼らはすでに勝った気でいた。こんな殻など、すぐに破れると考えていた。

 ゴブリンが殻に群がる。すぐに包囲網が完成した。100人以上の大群だった。

 管理局専属召喚労働者アリアン・セルベントの少女が隙間から除くと、ゴブリンの顔がすぐそばにあった。怖くなって彼女は地面近くの槍を振り回す。が、足で踏まれて動かなくなった。慌てて槍から手を放した。

「こんなの、こんなの無理。無理ムリ。耐えられない……」

 そのパニックは伝染し、あちこちで不安に脅える声が漏れはじめる。同時に、盾の殻が緩む。

 そこへゴブリンが剣を突きたてた。

 動揺がさらに広がり、殻が歪む。

「落ち着け! この陣は簡単には崩れない!」

 トールが呼びかけるが、効果は薄かった。

「体力が戻りしだい、討って出るか?」

 ポケットから非常用携帯食を出して、レックスが言った。

「出た瞬間にやられるよ。遊んでいるように見えるが、そこまでバカでもない」

 コーヘイが冷静に応えた。

「このまま待つのも限界だぞ。体力より、気持ちがもたない」

「でも今は、待つしかないです」

 ショウが二人の会話に割り込んだ。

「援軍をか?」

「はい。信号弾を撃ってから一時間は過ぎてる。だからすぐ近くにいるはずです」

「根拠は?」

 「それは……」ショウは言いよどんだ。暗殺者の格好をしたルカが現れたのは、彼が近くの中隊にいたからだ。そうでなくては一人でここまでは来れない。距離もそれほど離れていないはずなのだ。だが、ショウはそれを説明できなかった。

「オレもそう思う。こちらの信号弾のあと、すぐに別の光が上がった。あの距離はそう遠くはなかったと思う」

 カッセがショウとは違う理由で答えた。

「大丈夫だ、あと10分このまま耐えろ。そこからは大逆転劇だ」

 「10分でくるのか?」とは誰も言わなかった。

 その10分を待たず、ゴブリンは痺れを切らした。盾越しに強い攻撃を繰り返し、石を投げつける。周囲を回り、隙を探す。

「ずいぶん接近しているな。隙間から一斉に槍を突き出すぞ」

 全員がトールの指示にうなずき、武器を構えた。

「突け!」

 50の槍や剣が殻から飛び出した。迂闊に近づいていたゴブリンたち20人が重軽傷を負い、数人が死亡した。

 敵のまさかの反撃に、ゴブリンたちは距離をとり、怒りの形相を見せた。未だに数は圧倒的だ。ゴブリンたちに引き下がる理由はなかった。

 ゴブリンが再度寄ってくる。

「学習しないのか、こいつら?」

 レイジがウンザリしたようにこぼす。

「自分以外が傷つこうが、あまり関心がないんだよ。良くも悪くも利己主義のようだ」

 コーヘイは冷静だった。ブルーに忠告されて以来、意識して装うようになった。

「良くはないだろ」

 レックスがツッコむ。彼も多少の体力回復に、余裕を取り戻しつつあった。

「突け!」

 トールの号令。またゴブリンの悲鳴が響いた。

 ゴブリンはまた退き、今度は退いたままだった。それどころか、道を開けている。

「なんだ、どういうつもりだ?」

 覗き見ていたカッセが、十数メートル先にいるゴブリンに注目した。そのゴブリンは何かをつぶやき、腕を天空に振るっている。ショウも気になって盾の隙間から様子を窺った。

「シャーマンか!」

 カッセが叫んだ。彼を起点に恐怖が走る。

「魔法が来るぞ! 前衛、盾を体で支えろ! 一撃くらいなら耐えられる!」

 レックスが叫んだ。彼をはじめとする前衛部隊が、体を石のように硬くして耐える準備をする。

 が、一人だけ、別の対応した者がいた。

「アカリ、弓を構えろ! 空いた道の先にシャーマンがいる! レックスさん、合図をしたら一瞬でいい、盾を開いて!」

 アカリは考えるよりも早く立ち上がり、弓を構え、矢をつがえた。

「ショウ、なにを言ってる!?」

 カッセが言い返すが、少年はそれを無視して命令した。

「アカリ、あいつは魔法を放つ前に頭上に炎を浮かべるっ。その下を狙ってて!」

 カッセは舌打ちしたが、ショウの策を否定しなかった。彼もただ守るよりもマシだと判断した。

「用意……、開いて!」

 アカリはショウの視線の先を睨み、レックスの盾が開いた瞬間、即座に赤い火球を認識して矢を放った。アカリは体をぶらさず素早く二本目を射つ。その矢が殻の外に出ると、開いていた口がまた盾で塞がれた。

 「ぐぎゃっ」という声がかすかに聞こえた。様子を探っていたカッセは、二本の矢がゴブリン・シャーマンの喉と腹に刺さっているのを確認した。

「命中!」

 歓声が沸く。中にははしゃぎすぎて盾の防御を崩す者もいた。

「よくとっさにこんな判断ができる……!」

 カッセは背筋がゾクゾクした。

「経験です。シャーマンと初めて対したとき、怖くて何もできなかった。でも、そこにブルーさんが来て、詠唱中のシャーマンに剣を投げつけたんです。だからそのときなら無防備だってわかった。ゴブリンたちも同士討ちはイヤだろうから、こうして道を開けてくれたし……」

「オレもいっしょに経験したけど、こうは動けないよ」

 コーヘイがため息を吐いた。

「それよりも、なんであたしなのよ? もっと他に弓のうまい人がいるでしょうがっ。今になって震えてるわよっ」

 離れた場所でアカリが怒鳴った。近くの仲間たちから感謝と賛辞を浴び、照れ臭くなった反動もある。

 「他に知ってる人がいなかったから」とショウが答えると、全員が「ハァ!?」と呆れた。

「えーと、ボクもいたんだけど……」

 サトが遠慮がちに申し出る。

「すみません、オレの中で弓といえばアカリみたいになってて、焦ってたし、それで……」

「ま、結果オーライだな」

 レックスは笑ったが、全員がそんなに豪胆にはなれない。「まったくだ」と深く安堵しながらも、失敗の可能性を想像して震える者も少なからずいる。

「これで少しは時間が稼げたか……?」

 カッセは再び様子を探った。と、ゴブリンたちは萎縮するどころか、本格的に怒り狂っていた。あのシャーマンが彼らにとってよほど大切であったのだろうか。

「……ヤバイぞ。目が笑ってねぇ。一気に来るようだ」

 殻内部の雰囲気が一転した。唾を飲み込む音がそこかしこで聞こえる。

「それと、少しデカイのがいるな。ヘッド級か? 3匹」

 他のゴブリンより五割増しの体格と、それに見合う戦斧バトル・アックスを持ったゴブリンがいた。戦士に特化したタイプのゴブリンである。

 ヘッド級自体は珍しいわけではない。が、それ単体で集落の長になるほどの力の持ち主である。それが三人揃っているというのが不自然だった。

「……さらに上がいるのか? ロードが……」

 先ほどのシャーマンなど問題にならない統率者が背後にいて、それが動き出したのだろうか。カッセは自分の想像に冷や汗が流れた。

「ロード級だと?」

 近くにいたレックスは聞き逃さない。彼も話でしか知らないが、人間並みの知能を持ったゴブリンがこれだけの数を統率していたら勝ち目などない。

「恐れるな。もし、本当にロードがいるのなら、それは兵士たる我々がたおそう。君たちが相手をする必要はない」

 トールが言った。

「そうだ。おまえたちはザコ狩りに励め。それで充分、戦果があがる」

 弟のユーゴも沈みかけた気持ちを引き上げた。

「任せておけ」

 小隊長たちが異世界人に胸を張る。彼らにも兵士としての矜持があった。

 異世界人はすでに兵士たちを信用していた。役立たずのクズとも、傲慢なカスとも、陰湿なゴミとも思ってはいない。個人を見て、全体を疑うような気持ちはなくなっていた。少なくとも、ハリーとその仲間たち以外は信頼に値する人たちだった。

 ヘッド級の一人が、レックスの盾を強打した。戦斧の刃によって、彼の持つ盾が叩き割られた。もう少しずれていたら彼の左腕が粉砕されているところだった。

「なんだ、この破壊力は! 本当にゴブリンか!?」

 ヘッドとは言え、体格的には人間の大人には及ばない。だが、その一撃はあまりにも強力だった。

「【肉体強化フィジカル・エンチャント】系の魔法でもかけられているのか?」

 カッセも詳しくはないが、筋力を一時的に高めたり、敏捷性を増したりできる魔法があるのは知っている。ヘッド級に更なる力を与えているのは、きっと魔法に違いない。とすれば、シャーマンが他にもいたのか、それこそ魔法も使えるロードがいるのかもしれない。

「これは耐えられないぞ。防いだ盾ごとやられる!」

 レックスに言われるまでもなく、皆が一目で確信していた。もう亀のように固まっているだけではすまない状況となったのだ。それを悟り、しゃがんで盾役を果たしていた第10小隊の面々が恐怖に負けて後ずさった。殻は内から砕けた。

「討って出る!」

 もはや鉄壁の防御陣は崩壊したと悟り、第5小隊・隊長のユーゴが先陣を切って飛び出した。他の小隊長やレックスたち前線部隊も続く。

「第10小隊、信号弾を敵に向けて撃って! 味方には当てないように!」

 ショウの命令を、隊員たちはわけもわからず実行する。発射の呪文がうまく言えず、タイミングはバラバラとなった。だが、信号弾そのものが一種の火炎魔法である。群がろうとするゴブリンに当たり、跳ね飛ばし、突き抜けていく。

「攻撃に参加する!」

 ショウがさらに叫ぶ。

 前線の戦士たちが、バランスを崩したり信号弾の軌跡に見入っているゴブリンを次々と狩っていく。ショウも参加し、切れなくなった剣は収めて鎚矛メイスで殴りまくった。

 それでもゴブリンの勢いはとまらない。

 すでに陣形はなく、乱戦に突入していた。誰に従うわけでもなく、誰を頼れるわけでもなく、生きるために戦うしかない状態となっていた。

 その中の一番の弱者が第10小隊だった。彼らは自分を守る術すら知らない。戦う気持ちもない。恐怖を受け入れ、ただ叫び、喚き、盾や槍を振り回す。

 その混戦の中で、シーナが倒れた。第10小隊の援護をしていて、隙をつかれたのだ。

「シーナ!」

 その瞬間をショウは見ていた。見ていて、何もできなかった。小隊の他のメンバーのフォローに忙しく、気付いたときには彼女はゴブリンに後ろから刺されていた。

 ショウよりも早く一人の女性が駆けつけ、シーナを抱えた。

「ショウ、敵を近づけるんじゃないよ!」

 少女を抱き上げてリラが怒鳴る。ショウは彼女に従い、周囲のゴブリンにメイスを振って追い払った。

「もうちょいがんばりな。【治癒ヒール】」

 リラが魔法を唱えた。傷は深いがまだ生きている。間に合うはずだ。

「クソ、減った気がしねぇ……」

 カッセは口に入った泥とともに吐き捨てる。さすがに限界だった。それでも彼は剣を振るう。あきらめるのは性に合わないからだ。

「援軍はまだか……?」

 レックスとイソギンチャクは、ゴブリン・ヘッドの一人を相手にしていた。魔法強化されたヘッドは、巨体の二人すらも凌駕する力を発揮し、翻弄する。

「矢が切れた……」

 アカリは攻撃手段を失い、呆然とした。副兵装として短剣はあるが、それでゴブリンと渡り合えるとは思えなかった。どうしたものか悩む彼女に、サトが残り少ない矢をすべてわたした。

「ボクはまだ剣で戦えるから使って。隊長とレイジも待ってるしね。援護を頼むよ」

 そう言って、サトは身を翻して前線へと走った。

「……任せて」

 アカリは託された矢を矢筒に収め、必中の攻撃を開始した。

 限界が近い。体力がつき、立つこともできない者もではじめていた。重傷を負い、離脱した者もいる。救護班だけでは手が回らなくなってきていた。

「こりゃ、本気でヤベーな……」

 ハリーは戦闘開始時から大隊長の椅子を一歩も動いてはいなかった。動けなかった、という側面も確かにあるが、ここに至っても逃げようとはしなかった。

「トールよぉ、さっきやったように信号弾を撃ちまくるってどうよ?」

「こうも乱戦になっては味方にも被害が出る可能性があります」

「そうか、そうだなぁ」

 ハリーは立ち上がった。据えてあった剣と盾を取る。

「なにを?」

「戦うんだよ。どうせ死ぬなら戦って死ぬべきだろ。ガネシム家の男が女子供に守られて、あげくは無抵抗で死にましたじゃ、一族が笑いモンにならぁ」

 トールは目を見張った。彼の口からそんな言葉を聴く日がこようとは思いもしなかった。

「……オレだってよ、騎士になりたかったんだよ」

 ハリーが拗ねた子供のように付け加えた。

「生き残ればなれますよ」

「そうかもな。おまえも生きて帰れ。そんでいつかは兵士長になって町を守れや」

「そうさせてもらいます」

 トールも剣を抜いた。ハリー・ガネシム大隊長に敬礼し、前に立って歩く。

「最終局面である! もてる力を発揮し、この戦いに勝利せよ!」

「オーッ!」

 戦士たちは腹の底から声を出した。ゴブリンたちが一瞬、驚きに動きをとめた。

「まだ最終には早いんじゃないかなぁ」

 一本の鋼鉄の矢が、ゴブリン・ヘッドの額を貫いた。レックスとイソギンチャクは、突然戦闘相手を失くし顔を見合わせた。矢の来た方角を確認すると、離れた樹上で銀髪の少年がロングボウを構えていた。

「オレ様のターン! 喰らえ、【火炎弾ファイヤー・パぁンチっ】」

 南の森の草むらから火炎の球が飛び出し、カッセを囲んでいたゴブリン数人をまとめて薙ぎ倒した。

 さらに北のほうからも正確無比な矢が飛び、コーヘイたちの相手を次々と殲滅する。

 ときの声が全方位から発せられ、同時に槍を持った戦士たちがなだれ込んでくる。

「援軍が、来た……」

 ハリーはその場でへたり込んだ。戦おうとした気概がすっかり抜け、涙が溢れていた。

「おっす、ショウ。生きてたか?」

「マル! よかった、マジでよかった……!」

「なに泣きそうな顔してんだよ。【火炎弾ファイヤー・パぁンチ】」

 背後から攻撃しようとしたゴブリンに気付き、振り返りざま魔法を喰らわせる。ゴブリンは吹っ飛び、焼かれた。

「……魔法? おまえが魔法使い!?」

「なに驚いてんだよ? 魔法を覚えるっつったろ? 【火炎弾ファイヤー・パンチ】」

 次の標的にもぶちかます。

「すげぇな、魔法……」

「だろ? 超カンドーもんだぜ? 【火炎弾ファイヤー・パンチ】」

 調子に乗って少し遠い敵も焼き焦がす。

「あとはオレたちに任せて休んでろ。その間におまえの討伐記録を塗り替えてやるぜ!」

 マルは魔術を発動させる独自呪文キーワードの【火炎弾ファイヤー・パンチ】と叫びながら戦場を駆け巡った。調子に乗って魔力マナが切れたことにも気づかず、危うく死に掛けたことは誰にも言わなかった。

「そうだ、シーナ!」

 リラや救護班に連れられ、後方に下がった彼女のもとへと急ぐ。戦場には第3・第6中隊だけではなく、第4・第7中隊の姿も見えはじめていた。戦いはまもなく終結するだろう。

 一際大きな歓声が西のほうから聞こえた。

 第5小隊長ユーゴが、ゴブリン・ロードの首を討ち取ったのだ。残ったゴブリン・ヘッドも、二個小隊から一斉攻撃を受けて絶命していた。

 ゴブリンたちはリーダーを失い、逃走しようとする。が、周囲は人間の包囲網によって封鎖され、運のよかった数人以外は討ち取られた。

 勝ちどきが上がる。

 ショウは天幕に運ばれた重傷者たちを見回した。

 そこにシーナの姿はなかった。

「どういうことだよ……? リラさん、あいつは、シーナは!」

 怪我人を治しているリラに詰め寄る。

 そんなショウの額を叩き、後ろを向かせる。

「あははー、無事でごめん」

 シーナが照れくさそうに笑った。

「よかった……!」

 ショウはシーナを抱きしめた。「ちょっと!」と焦る少女だったが、その温もりには抗えない。そっと手を添えて「ありがとう」と言った。

「あんたら、治療の邪魔だから外でやって」

 リラが冷ややかな目で睨む。

 二人は慌てて離れ、天幕を出た。

 そのころにはもう、戦いは完全終結していた。ハリー・ガネシムが一段高いところから歓喜の声を上げている。周囲もそれに乗り、大騒ぎとなっていた。もっとも、第1・第2中隊の面々にそんな余裕はなく、大の字で倒れている者のほうが多かった。それでも表情は緩み、生き残った喜びに大笑いしていた。

 ショウはそれを横目で見ながら、少し外れた場所でシーナとともに座り込んだ。

「終わったぁ……」

 万感をこめた吐息だった。

「ホントもう、クッタクタ」

「いや、おまえ、死にかけただろうが。クタクタとかいうレベルじゃない」

 ショウのツッコミに、シーナは笑った。

「あれはヤバかったねぇ……。リラさんが来てくれなかったらどうなってたか」

「リラさん、知ってるの?」

「昼間にちょっと話す機会があった。ショウを弟分とか言ってたよ」

「ハハ……」

 ショウは困ったように笑った。少年は否定しない。彼女とカッセにはずいぶんと世話になっている。

「……ああ、でも、あの人たちがいっしょだったから、無事でいられたんだな」

「だねー。全員、生き残るってスゴイよね。あの大隊長の下でさ」

 シーナの視線が万歳をしているハリーへと移る。せっかくの余韻も一瞬で醒めそうだった。

「あれでもけっこう変わったんじゃないか? 最後まで逃げなかった」

「腰が抜けて動けなかっただけだよ」

 シーナの辛らつな言葉に、ショウは「それもあるか」と否定しなかった。

「こんなとこにいた」

 アカリが二人を見つけて、いっしょになって座った。

「お疲れ。野外初日でいきなり実戦とはな」

 ショウは自分を棚に上げて言った。

「まったくよ。もう必死すぎて自分が何をしたかもわかんないわ」

 アカリは弓を置き、震える手を見た。恐怖ではなく、酷使しすぎた結果である。戦いに対する負の感情はすでに麻痺し、薄れていた。

「大したもんだよ。オレたちの初陣なんて、おまえほど派手じゃなかった。シャーマンまでたおしたんだからな」

「あれはあんたが――!」

 言い返そうとしたアカリの言葉に、別の声が重なった。

「ボクはヘッドをたおしたよ」

「ルカ! マル!」

 ロングボウを持ったルカが現れる。となりにマルもいた。

「オレはザコ専門だったけど、数なら一番だろうな!」

「ハァ? 後からノコノコとやってきて何の自慢よ? 数でもあたしのほうが上に決まってるじゃないっ」

「あんだと、このクソオンナっ。8匹斃してんだぞ」

「うわっ、数えてんの? 小者ねぇ、あいかわらず。あたしなんて数え切れなくて忘れちゃったわ」

「ウソつけ、このヤロウっ。どうせ後ろでピーピー泣いてるか、他人の邪魔をしていただけだろうが!」

「ハァ!? あんたみたいに魔力が切れて逃げ回ってたのといっしょにされたくないわね!」

「そ、そんなわけねーだろっ。あれは……、敵の撹乱をしてたんだよ!」

「逃げ惑う相手に撹乱ン~? プッ」

 わざとらしく噴出すアカリにマルが言い返す。しばらく舌戦は続きそうだ。

「……懐かしい光景だな」

「だね」

 ショウとシーナがほのぼのと見守る。その二人の間にルカが無理やり座った。

 シーナが文句を言うが、ルカは聞き流す。

「来るの遅かったじゃないか。もっと早く来れただろう?」

「あはは、ごめん。途中でゴブリンと遭遇してさ。そっちに行くヤツがはぐれたんだと思う。20匹ほどいたから手こずった」

「みんな、楽してたわけじゃないんだな」

「そうだよ。実戦経験者はほとんどいなかったし、マルがいなかったらヤバかったかもね」

「マジで?」

「あのノリで魔法を使うだろ? だから強さと相まって、けっこうみんな励まされたみたいだよ」

「へー」

 ショウとシーナは素直に感心した。ムードメーカーというのは、時に必要となる資質だった。

「でも、そのおかげで中隊長が持っていた貴重な魔力回復薬をマルに使わざるを得なかったけど。中隊長、複雑そうな顔をしてたよ。マルって本当にノリで魔法を使うから、命中率がすっごく悪いんだよ」

「あはははっ」

 二人は遠慮なく笑う。

 それに気付き、マルとアカリも舌戦をやめて輪に加わった。

「なによ、ナイショの面白話?」

「ナイショじゃないけど、マルが嫌がる面白話」

「ルカ、テメェ、余計なこと言ってんじゃないだろうな!」

「余計じゃないよ。反省会だよ」

「どのツラで反省会とか言ってんだ? 燃費悪い腹しやがって。小隊の備蓄を隠れて食おうとして捕まったヤツが」

「おまえも何をやってんだっ」

「あははは。お腹すいたらしょうがないじゃないか」

 賑やかな会話が続く。この瞬間だけを切り取れば、これが彼らの望んだ冒険の一幕であった。

 呼子笛が鳴った。

 発信元を探ると、ハリーの脇に立つトールからだった。

「みんな、ご苦労だった。ひとまずの脅威は去った。が、まだ完全に安心はできない。全隊が集結するまではまだ時間がかかるが、先に今後について話しておく」

 トールはそう前置きし、話しはじめた。

 作戦は続行される。ゴブリンの村まで行き、そこに残存兵力があれば殲滅せんめつする。これは決定事項だった。

 異世界人たちはざわつく。これだけの戦闘をして、まだ終わらないというのは心身ともに負担が大きい。とくに、あまり戦闘に貢献できずにいた者には自信よりも恐怖が強い。

 しかし、過大な不安は杞憂に終わる。

 一夜明けたギザギ十九紀14年7月29日、ゴブリン掃討作戦からナンタンへ帰還した守備隊兵士トールは、報告書に結論を先に書き記した。

『西の森、ゴブリンの村に全部隊を持って進攻するも、敵軍の姿なし。数時間の監視後、撤退を決定した』

 これにより、ショウたちは二日にわたる行軍を終え、ナンタンの町へ無事に帰着した。

 なぜゴブリンの村が無人となったのかはわからなかった。山奥へとつながる山道に多くの足跡が残っていたので、村を放棄して逃げていったのだとはわかる。しかしその数は100や200ではきかなかった。もしその数と戦闘となっていたら、敗走したのはおそらくゴブリンではなく人間側だっただろう。その想像に召喚労働者サモン・ワーカーたちは背筋を凍らせた。彼らは運がよかったのか、それとも。


「ディスティア」

 29日の朝、白い仮面の男が、ゴブリン村を探索する人間たちを樹々の隙間から注視していた。 呼ばれた褐色肌のエルフが「ここに」と舞い降りる。

「撤退はすんだか?」

「はい、速やかに……。ですが、なぜ逃げる必要があったのです。あのくらいの数ならば残存兵力でも殲滅できたでしょう。ましてやわたしとあなたがいる。勝利は間違いなかった」

 ディスティアの声には批難の色が濃い。怒りはないが、不満はあった。

「イセカイジンを侮るな」

「イセカイジン? あの者たちのこと?」

「マルマの人間種と違うのはわかるか? 顔つきなど骨格からして異なるだろう?」

「人間の違いなどわからない」

 エルフは拗ねたように言った。

「わたしはこの20年、学んだ。ギザギという国はこの世界ではない人間を呼びだす魔術を持って、イセカイジンを召喚して使役しているのだ」

「あれらがそうなの?」

「うむ。わたしクラン・シアーズが最初の大敗北を喫したのは、たった一人のイセカイジンの力によるもの。侮ってはならぬ」

「……そんなの噂話でしか知らない。だが、クランがそう言うのなら従おう」

 彼女は納得しかねる顔でうつむいた。

「すまんな、ディスティア。次を待ってくれ」

 クランのたった一言の謝罪が、彼女の無念を払拭した。顔を上げ、仮面の男を見る。男はすでに彼女に一瞥いちべつすら与えていない。遠く空を見上げていた。

「……はい、クラシアス様」

 ディスティアは微笑んで受け入れた。彼女の寿命はまだまだ尽きない。焦る必要はなかった。それに、行くべき場所も、帰りたい家もない。唯一、この醜き小鬼の王だけが彼女じぶんを想ってくれる。たとえ同情からだとしても、居場所があるだけで彼女は幸福であった。


 強行軍ではあるが、無事に町へ帰れるとなれば疲れなど忘れられる。ゴブリン討伐隊のメンバーは一刻も早くゴブリンの森を抜け、人間のいる場所へ戻りたいと願っていた。想いは体を通じ、帰路は予想よりも早く進んだ。

 7月29日18時32分、作戦の大隊長ハリー・ガネシムはナンタンの南門を先頭で潜った。

 伝令兵を先に送ったためか、南門には兵士長エレファンをはじめとする守備隊の主だったメンバーが待っていた。

「よくやり遂げたな、ガネシム。お父上も誇りに思うだろう」

 兵士長からねぎらいを受けたハリーは、いつもの横柄さも、調子のよさも見せず、涙をこらえていた。

「成功はこいつら……いえ、部下のおかげです。労いは彼らにやってください」

 ハリーはそう言い、胸を張って馬を進めた。

 兵士長はハリーの意外な言葉に驚き、そして安堵した。どういう心境の変化かはわからないが、いい結果に転んだようだ。作戦が最良の形で終わったことがエレファンには嬉しい。

「トール、よくやってくれたな」

 次に現れたもっとも信頼する部下に、エレファンは笑みを向けた。

「いえ、わたしどもは大した働きはしていません。すべては彼ら、異世界人の力があってこそでした。とくに大隊長がもっとも嫌った少年が、もっとも彼を変え、もっとも戦場に影響を与えました。彼は英雄です」

「おまえにそこまで言わせるか」

「ほんの小さなですよ。本物にはまだ遠いでしょう」

 トールは笑みを浮かべ、兵の列に戻った。

 200名超の兵士と召喚労働者サモン・ワーカーが中区へと消えていく。

 その一番最後に、トールが英雄と称した少年がいた。もう一人の少女戦士とともに、疲労の激しい女性に肩を貸して歩いてくる。門を潜ると同時に座り込み、三人は休んでいた。

「彼らに癒しを」

 エレファンの命令で、待機していた医療班が駆け寄り、魔術で癒す。

 二人に支えられていた女性が何度も彼らに礼を言い、戻った体力を使い果たすかのように走って中区へと向かった。それを少年と少女は微笑んで見送っている。

 エレファンは出迎えに集めた兵を連れ、大通りを北上した。

「アリアドが認めた少年か。面白いな」

 彼は少年にも負けぬ晴れやかな笑みを浮かべていた。

 ショウたちよりも先行していたアカリは、町について早々、一軒の店に向かった。とっくに閉店の時間となっていたが、片付けに追われている店内からは灯りが漏れていた。

「ただいま」

 と、小さな声で言ったのは、自分の家ではないからだ。だが、住人は彼女を家族と思っていた。

「おかえり、アカリちゃん。怪我はなかったかい?」

 初老の婦人が手にしていた雑巾を投げ出して近寄った。

「はい、大丈夫です。ちょっと疲れましたけど」

 はにかんで笑う。

「おう、おかえり。元気そうでよかった」

 店の主人も顔を出す。明日の仕込をはじめていたのか、手が真っ白だった。

「アカリさぁん!」

 泣きそうな声で走ってくるのはアキトシだった。

「よかった、よかったよぉ~っ」

「なに、情けない声だしてんのよ。あんた、しっかりあたしも分も働いたんでしょうね」

「うん……。うん、ちゃんとがんばったよ」

 アキトシは目を潤ませながら訴えた。

 アカリも何故か、目頭が熱くなってきた。

「そう。ならよかったわ。悪いけど疲れを抜くために明日も休むから、しっかりやんなさいよっ」

「うんっ。明日もがんばるよ。パンを焼いて持っていくからね。みんなも無事なんだよね? みんなの分も持っていくから」

「大丈夫、みんな生きてるわよ。……では、今日は帰還のあいさつだけなので、またあさってからよろしくお願いします」

 アカリは頭を下げて店を出た。これ以上いると、本気で泣きそうだった。

「なんだよ、アカリ~。一人でどこ行くのかと思ったら、真っ先にここかよ」

「マル! ルカまで……!」

 マルがいやらしい笑みを浮かべている。

「マル、からかうことじゃないだろ。帰還を報せたい人がいるのはいいと思うよ」

「けどよー、アカリだぜぇ? 似合わねーじゃんか」

「なんですって?」

「そうそう。おまえはそっちが正しい。……んじゃ、オレもアキトシに会ってくるか。久々に町に戻ったんだ、みんなでメシ食おうぜ」

 マルはパン屋に突入した。そして、しばらくしてアキトシを連行して出てきた。

 ショウとシーナも合流し、討伐隊の帰還を聞いてやってきたリーバも交え、コープマン食堂でささやかな祝宴を上げる。

 少年たちの戦いはひとまず終わった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ