第三章 ゴブリン王 [前編]
牢屋から解放された翌日、ショウは丸一日休んだ。半日は寝て過ごし、午後は一人で街の散策などをして過ごした。
次の日には体を動かしたくなり、仕事をもらうために異世界人管理局で早朝集会に参加していた。
「薬草採取はまだ復活しないんだな」
「うん。当分お休みだね」
パーザ・ルーチンのお知らせを聞きながら、ショウは隣のシーナに話しかけた。彼女もそれが残念であり、今日の食い扶持を稼ぐために単発作業を求めてこの場にいる。
「では本日の作業です。はじめに指名作業から。ナンバー1914-0703-01のショウさん、ナンバー1914-0628-01のシーナさん、ツァーレのところに来てください」
「え、オレ?」
「わたしも?」
受付台のパーザから呼び出しを受けて、ショウとシーナは戸惑いつつもツァーレ・モッラのもとへいった。
「なんです?」と不思議がる少年に、見習い神官が依頼書を渡した。
「お二人とも、ブルーさんという方をご存じですよね?」
「はい、知ってます。以前、薬草採取の作業中、ゴブリンに襲われたときに助けてもらいました。それと関係あるんですか?」
「はい、実は――」
彼女は依頼書を見せて説明した。ブルーという召喚労働者から、去る7月13日に彼が請け負った警護任務のメンバーあてに依頼が来たのだという。そのメンバーがショウとシーナ、マルとクロビス、警護班だったコーヘイ、サト、レイジである。しかし、この場に呼ばれたのは二人だけだった。
「条件の中に管理局専属召喚労働者は除くとあります。理由はわからないのですが……」
ツァーレが困ったように付け加える。コーヘイたちはセルベント契約を結んでいるため、呼び出されなかったのだ。マルとクロビスはルカとともに訓練所に入所しており、この場にすらいない。
「民間異世界人組合の人だからなぁ。セルベントは嫌いなのかも」
ショウも予測でしか答えられない。
「それで、仕事内容はなんです?」
内容は彼の私物の運び出し作業であった。武具を倉庫二つ分、異世界人管理局へ届ける。報酬は運搬物から一品となっていた。
「え、武器とかくれるの!?」
普通にお金をもらうよりも高額報酬である。先日、ホリィの勤める武具店へ行ったが、どれも安い物ではなかった。普通の剣でも仕事数日分の値段だ。
「どうします? 受けますか?」
「もちろんやります!」
「わたしも!」
二人は元気よく挙手した。
「ですが、お二人でできる内容ではありませんよ? 作業員が足りないときはショウさんが選んで連れてくるようにとありますが……」
「セルベント以外ですよね? ……アカリは今日休みだから、誘えば来るかな」
「来ると思うよ。ガメツイ――じゃない、倹約家だから」
「言い直すなっ」とツッコみつつ、他に心当たりを探した。パッと目についたのは夜間巡回警備で世話になったレックスだった。彼のチームはセルベントにはならないと言っていたので最有力候補だった。しかし、その目の前で彼らは定番の畑警護についてしまい、見送らざるを得なかった。
次に発見したのが、ジャンケン大会に負けて肩を落としているニンニンだ。急いで彼に接近し、状況を説明すると仕事に飛びついた。
他に人員が見つからず、アカリを含めた四人はリアカーを押して現場の貸し倉庫へ向かった。その倉庫は召喚労働者の先輩が開業した施設で、一部屋二畳ほどの小部屋を連ねた簡易宿泊所のようなところだった。
「よぉ、来たな」
作業開始時刻11時前ではあるが、依頼人のブルーが待っていた。薬草採取の警護で世話になった魔術師のピィもいる。
「こんにちは、ブルーさん、ピィさん」
ピィは無言でうなずいた。
「四人だけか? それで大丈夫なのかよ?」
ブルーが開口一番、不満を述べる。
「人を集めたかったんですけど、みんなもう他の仕事についてたんですよ」
「なら仕方ねーな。じゃ、四人でがんばれ」
「ピィさんはどうしてここに?」
「発掘」
白服の少女魔術師は一言で終わらせた。当然ながらショウたちは首をかしげる。
「いらない武器を片付けると言ったら、図々しくもらっていくつもりで付いてきたんだ」
ブルーの説明にショウは納得した。
「つまり、手伝ってくれるってことですね?」
「イヤ」
「イヤじゃねーよっ。これは依頼だ。仕事しねーなら何もやらん」
「……」
ピィは無言になった。反論するわけでも帰るわけでもない。あきらめてやる気になったのだろう。
「じゃ、はじめるぞ」
六人はブルーの倉庫部屋へ向かった。
借りている三部屋のうち二部屋の扉を開く。
中を覗いたショウたちは驚きの声をあげた。反対の壁が見えないほど武具が詰まっている。しかも適当に投げ入れられていて、取り出すだけで一苦労しそうだった。
その直感は正しかった。なにしろ嵩張るもので数も多い。ニンニンが自前の台車と木箱を持ってこなければ、作業は倍以上の時間がかかったことだろう。
リアカーに積み込んだあとは管理局への運搬が待っている。四人は重量物を転がして、倉庫と管理局を3往復した。
「貯めこみすぎでしょ!」
アカリが息を切らせながら叫んだ。
「これ、ぜんぶ管理局に寄付するんですか?」
ショウが管理局の裏庭に詰まれた武具を眺めながらブルーに訊いた。少年からすればまさに宝の山だった。
「どうせ使わないしな。おまえらもこれで少しはマシな装備で山に入れるだろ」
ブルーが薬草採取のときを言っているのはショウにもわかった。あの仕事のあと、ブルーは管理局で後輩たちに戦闘についてのレクチャーをしたが、その際も装備の大切さを力説していた。
「パーザさん、これで全部だ。好きに使ってくれ」
ブルーは目録を作っていたパーザ・ルーチンに声をかけた。
「ありがとうございます。有効に使わせていただきます」
「そうしてくれ。……で、おまえらはどれを持っていくか決めたか?」
ブルーはショウたちに向き直って訊いた。四人とも迷いに迷っている。
「一品となると迷うなぁ」
「まずは武器だよね。でも、あの鎧も捨てがたいっ」
「武器と鎧、どっちが高いのかしら」
「大きいほうが売れそうだなぁ」
「貧乏人どもめ」ブルーは呆れた。しかし、その表情は柔らかい。かつての自分の姿が見えていた。
「あー、わかったわかった。二つ持ってけ。もともと仕事には7、8人想定してたんだ。報酬的には問題ねぇ」
「ホントに!? ありがとうございますっ!」
大喜びする新米たちに、ブルーは「やれやれ」とこぼしつつ笑った。
その横を、ピィが短剣を持って通り過ぎる。仕事開始直後から懐にしまっていたのをブルーは見ていた。
「おまえも二つ持っていっていいぞ」
「ピィはこれでいい。残りは管理局のヒヨコが使う」
ピィは一足先に管理局を離れていった。
報酬選択で最後まで迷っていたのはアカリだった。彼女は戦闘経験がなく、かといってニンニンのように売却目的でもないため、何を選ぶのが正解かわからないでいる。とりあえず薄梅紫色の革鎧はキープしてあるのだが、武器はどうしたものか。
「その体格じゃ近接戦闘は厳しいだろ。運動神経に自信があるなら素早さを活かす方法もあるが」
ブルーがアカリを眺め回しながら言った。アカリは小柄で、筋力もないのが一目でわかる。
「自信はないわね。だから弓かなぁとは思うんだけど……」
「そうだな、短弓ならいけるだろ」
そう言ってブルーはシンプルな短弓を拾い上げた。長く使っていなかっため弦は外されていた。
「見ておけ」
アカリの前で弦の張り、矢を番えて射つ。10メートル先の木に刺さった。
「「お~」」ショウたちが拍手する。
「止まっている的に当てるなんざ、できて当たり前なんだよっ」
ブルーは気恥ずかしさに大声を出した。それから今度は無造作にステップを踏みながら矢を連射する。これもすべて命中した。
「「おおおーっ!」」
拍手が歓声つきになって響く。
「これができて一人前だ。どうだ、やってみるか?」
「……はいっ」
ブルーから差し出された弓をアカリは興奮しながら受け取った。
短時間ではあるが、アカリだけではなくショウもシーナも戦闘指南を受けた。濃密で有効的な指導は、三人の技術を一気に高める。元が底辺であったため、一段階上がるだけなら早かったとも言える。それでもまだまだ半人前以下だ。
「装備のメンテナンスについては管理局勧めの武具屋で聞け。あそこの親父は訓練所の鍛冶教官でもあるから、丁寧に教えてくれるはずだ」
「ホリィさんのいるところかな。たしか、そう言ってたような」
「それはわかんねーが、あとは勝手にやれ」
ブルーはショウたちの礼を背中に受けて帰っていった。
「それじゃ、ホリィさんのところに行ってみようか。オレも剣や鎧のメンテについて聞きたいし」
ショウはブルーが選んでくれた長剣と鉄の胸あてを抱えた。
「だね」シーナは剣と盾だ。鎧はショウが管理局からもらった物をお下がりする予定だった。
三人はホリィのいる武具店を訪ね、いろいろな話を聞いた。ついでにショウは盾を買い、その後シーナとの剣術練習に励む。アカリはホリィからも弓の指導を受け、ブルーの技も混ぜて自分にあった弓術を育んでいく。
彼らがそんな充実した一日を満喫しているころ、異世界人管理局に町長じきじきの命令書が届けられていた。
『ナンタン西部におけるゴブリン掃討指令』、いわゆる『山狩り』の正式通達であった。
異世界人管理局が就労レベル3以上に向けた新制度――アリアン・セルベント制度――を導入して一週間、訓練所にはマルとルカの姿があった。
彼らは共に魔術師コースを第一に志望した。
マルは座学が苦手で初歩の魔術理論だけですでに頭がパンクしそうであった。一方のルカはスポンジの如く知識の水を吸収し、すでに実技講習まで終えて魔術師コースを卒業している。今は戦士コースで武器戦闘を体に覚えこませていた。
その間にショウらしき召喚労働者が兵士にケンカを売って牢屋送りになった噂を聞いたが、二人には何もできなかった。もっともマルは大して心配はしておらず、ルカが一人でヤキモキしていただけであるが。
さらに一週間が過ぎ、ルカは戦士としても急成長を遂げていた。もはや訓練所内では無敵であり、全勝記録は日々更新されていく。
それを面白く思わない者もおり、今も突っかかってくる一人を簡単に倒したところだった。うまく技が決まったのが嬉しくて、ルカはつい笑みをこぼした。
それが対戦相手の逆鱗に触れた。ただでさえ圧倒的な敗北だった。それを笑われてはプライドがズタズタである。
「なに笑ってやがる! 弱いやつを見下すのが楽しいか! フザケンナ、てめぇ!」
驚いたのはルカである。
「別に見下してなんていないよ。ただ勝てたのが嬉しいだけさ」
「ああ、オレなんて相手にもならないんだろうよ! オレが弱いから楽しんだろ? 一方的に相手を痛めつけるのが面白くてしょうがないんだろ!」
「そんなつもりはないよ。だいたい、キミのほうから挑んできたんじゃないか。言ってること、メチャクチャだよ?」
「ウルセーッ!」
怒りに我を忘れた彼には道理が通じなかった。勢いのまま立ち上がり、ルカへと襲い掛かる。
ルカは焦らない。余裕を持って槍の石突で彼の足をひっかけ、転ばせた。
「ちょっと落ち着こうよ。冷静さを忘れちゃダメだって先生も言ってたじゃないか」
「どこまで……、おちょくるつもりだ……!」
彼は怒りに染まった顔をルカに向けた。それは殺気をまとう形相だった。
「……っ」
ルカは硬直した。強い痛みが頭の中を走った。一瞬、ここではないどこかが見えた。今の彼と同じ表情をした、誰かが浮かんだ。
「ぶっ殺してやる!」
対戦相手の叫びに周囲も異常を悟った。もっとも近くにいたカッセが彼を羽交い絞めにした。
「落ち着け、バカ。熱くなり過ぎだ」
「放せ! あいつを殺さなきゃ気がすまねぇ!」
「おいおい、物騒なこと言うな。いいから落ち着け」
カッセは彼の膝を蹴り、強制的に座らせた。それでも暴れる彼に、カッセはさらに拘束を強くする。一方で、もう一人の当事者にも呼びかける。
「ルカ、おまえは離れて――」
が、銀髪少年の様子がおかしいのに気付き、言葉がとまった。
「ルカ……?」
「……殺すだと? 違う……。ボクが、おまえを、殺すんだ……!」
ルカは今まで見せたことのない表情を浮かべていた。憎しみに溢れた形相である。手にした槍を構えなおし、羽交い絞めで動けない的に向けた。
「おまえが、いるから、ボクは、わたしたちはァ!」
ルカの殺気は、相手を数段上回るものだった。気迫だけで、言葉だけで本当に殺せてしまうのではないかという雰囲気をまとっている。目の錯覚か、彼の髪が黒っぽくなって見えた。
その気に当てられ、相手はもちろん、カッセも身の危険を感じた。
ピクリと、ルカが予備動作をみせた。
二人が『来る!』と感じた瞬間、ルカのみぞおちに木刀が刺さっていた。
呻き、ルカはその場で倒れた。気絶している。
「やれやれ、心に何を抱えているのやら」
戦士コース教官のフィレオが頭をかいた。
「今日は解散だ。風呂に入って寝ろ」
「ルカはどうします?」
カッセが心配げに訊ねた。
「任せておけ。殺気に当てられて、防衛本能が過敏に働いたんだろう。ま、人にはいろいろあるってことだ。触れぬ神に御加護なしというだろ」
「違います」
カッセは生真面目にツッコんだ。
「いいんだ、細かいことは。さぁ、いけ」
フィレオに追い払われ、訓練生たちは納得がいかないまま解散した。
十数分後、ルカは意識を取り戻した。何があったのか探るように周囲を見回すと、フィレオの背中があった。
「気付いたか。まともに戻ったようだな」
ルカは意味がわからない。なぜ倒れていたのかもわからない。誰かと組手をして負けたのだろうか。
「……まぁ、いい。おまえ、何かトラウマでもあるのか?」
「トラウマ? なんです、それ?」
フィレオが観るかぎり、少年がとぼけているようには思えなかった。おそらく、本当に深層心理の問題なのだろう。となればフィレオの手に負えるものではない。忠告するので精一杯だった。
「そうか。つまらんことを訊いた。……いいか、戦うときは常に冷静でいろ。相手に呑まれるな。それができれば、おまえはいい戦士になる」
「はぁ……」
反応が鈍い教え子に、フィレオはつい笑みがこぼれた。
「ルカ、今日で戦士教練を終了とする。さらに技を磨きたいなら残ってもいいが、どうする?」
「んー、終了ならそれで。明日からは別の講習を受けます」
「そうか、がんばれよ」
「はい。ありがとうございました」
ルカは頭を下げ、宿舎へと戻っていった。
「稀有な逸材ではあったが、危ういな。彼を支える者があればよいが――」
フィレオは月を見て嘆息した。
部屋に戻ったルカに、ルームメイトのカッセが血相をかえて近づいた。
「大丈夫か!?」
ルカは怪訝そうな顔でカッセを見た。フィレオもそうだが、質問の意味がまったくわからない。
「おまえ、練習相手を殺しそうな気迫だったぞ?」
「なんか相手が怒ってたのは覚えてるけど、ボクが殺そうとしたの?」
ルカには記憶がない。
「覚えてないのか? ……いや、いいさ。平気なら風呂にでも行ってこい」
「そうだね。そうしようかな」
カッセの勧めに従い、ルカは大浴場へ向かった。
脱衣所で、風呂上りの訓練生たちの会話が聞こえた。
「明後日、山狩りがあるんだってよ」
「ゴブリン残党狩りか。オレたちも参加すんのかな?」
「らしいぜ。さっき教官たちが話してるのを聞いちまったんだ。セルベントは強制参加だってよ」
「ウソだろ? まだオレたち訓練中だぜ!?」
「はじめからこれも織り込み済みだったんだろ。セルベントになる条件としてよ」
「特務扱いか……」
一団が脱衣所を出たため、話は聞こえなくなった。
「ゴブリン退治か。おもしろそうだなぁ。ショウもきっと来るよね」
ルカは誰もいないのをいいことに、湯船に大の字で浮かぶ。露天でないのが惜しいところだが、充分に開放感はあった。
ルカは自主訓練を思い出そうとした。練習相手から殺意を感じたのは覚えている。が、そのさきが霞にかかったようにおぼろげだった。
「ボクは、誰かを殺したかったような気がする……」
そのつぶやきには誰も答えない。
7月27日、翌日に『山狩り』を控え、異世界人管理局は召喚労働者に集合をかけた。訓練所にいる者以外の若い異世界人たちが管理局の庭に並ぶ。
ショウのまわりにはシーナとアカリ、それにアキトシとリーバの姿もある。このメンバーが揃うのも久しぶりだった。
「あのサルとルカもどっかにいるのかしら」
アカリの素朴な疑問にシーナが何も考えずに答えた。
「まだ訓練所じゃない? 訓練所に行った他の知り合いも見かけないし」
「……訓練所?」
アカリが訝しむ。それでシーナはハッとした。ショウも頬が引きつっている。
「なに、それどーゆー意味?」
「え、ええとぉ……」
シーナの視線が逃げる。だが、こうなっては逃げられず、ショウはあきらめてアカリたちに話すことにした。
「なるほどね。それならそれで言えばよかったじゃない」
アカリは内緒にされて腹は立ったが、怒鳴りはしなかった。
「だから守秘義務で言えなかったんだって。悪い」
「もういいわ。……けど、よりによってあの二人よ? ゼッタイに管理局専属になんかならないタイプじゃない」
「それぞれ何かあるんだろ。仕方ないさ」
ショウはそう言ってアカリをなだめつつ、自分を納得させた。
場がざわついた。正面に設置された壇上に中年男性が上っていく。
「集まってもらったのは他でもない」
総務部長カダスは前置きも挨拶もなく本題に入った。
「明日、午前7時より、ゴブリン殲滅のための山狩りを行う」
どよめく会場。なんとなく予測していたショウさえも唸った。昨日、集合の通達を受けたときから、この発表を疑っていた。進んで参加するつもりはないが、大方の準備は済ませている。
「これは特務である。管理局専属召喚労働者は全員、強制参加となる」
周囲でさらに大きな戸惑いの声が上がった。セルベントの中でも戦闘訓練を未だ受けていない者たちのものだった。
「加えて、人数が不足しているため、セルベント以外からも最低8名選出する」
今度はショウたち、セルベントではない者たちが騒ぐ。
「そのうちの1名はすでに決まっている。このまえ、兵士に対して無礼を働いたショウ、前に出ろ」
幾人かいたショウの中で、そんなバカをしたのは彼だけである。ショウは心配げな仲間に軽く笑んで、前へ出た。
「おまえは先方から強い推薦を受けている。期待されているようだな」
ショウは返事をする気にならず、沈黙を保った。選出理由は総務部長の説明どおりだろう。あの兵士の差し金だ。
「それでは――」総務部長はもうショウを一顧だにしなかった。
「セルベントは右端に移動しろ。あと7名の選出をするのに邪魔だ。……希望者はいるか?」
残った非セルベントたちはたがいをうかがいながら、だが、一人として手を上げなかった。
つねにショウと行動を共にしてきたシーナも今回ばかりは動かない。さすがに危険度が高すぎた。
「どうした、勇者候補がゴブリンごときを恐れているのかね? 最低、あと7名決まるまでは解散にならんぞ」
総務部長は無能・無力・無才の異界人種を睨みつける。しばらくしても動きはなく、彼は痺れを切らした。
「もういい、こちらで勝手に選ぶ! ……そこのデカイの、おまえだ。その二人は仲間か? よし、まとめていけ。それと、そこのおまえと隣もついでだ。あとはそこ。最後におまえでいい。前に出ろ」
壇上から指をさされ、全員が嘆いた。
「こんな戦いに興味はないんだがな……」
レックスは自分の巨体を恨めしく思った。戦いが好きならセルベントになっている。
「レックスさんに巻き込まれちゃいましたね」
「一人で行かせるわけにもいかないな」
タカシとジューザが軽口を叩いた。
「ちょっと待ってよ……。野外作業も断ってるのになんで……」
ある一人は泣きそうな声を絞り出す。
「そうだよね、オレはだいたいこういうのは当たるんだよ。そういう星のもとなんだろうなぁ」
ニンニンはすべてをあきらめていた。
「選ばれちゃったよ。行ってくる」
シーナはいっそスッキリして前に出た。ショウと約束はしたが、いっしょに行きたいという気持ちはごまかせない。それに、二人揃えばなんとかなると本気で信じていた。
「アキトシ……」
リーバとアカリは、頭を抱えて脅える友人にかける言葉がない。彼は震えたまま、一歩も進めなかった。
「おい、そこのヤツ、さっさと出て来い。うずくまっても決定は変わらんぞ!」
総務部長はアキトシを指差す。周囲の注目も集まり、心無い者は「さっさと行けよ」と舌打ちしていた。
「ボク……ボクは……」
アキトシは何か言おうとして、できなかった。顔を青くして、震えるばかりだ。
リーバは頭をかきむしり、「あーっ」と自分に気合を入れた。そして、口を開きかけた瞬間、アカリの罵倒が聞こえた。
「こいつみたいなヤツが行って、なんの役に立つっての? 選ぶほうも選ぶほうよ。バカじゃないの?」
その声は明瞭で、総務部長の耳にも届いていた。否、アカリの罵倒は、はじめから彼に向けられている。
「バカ、だとぉ……?」
「見なさいよ、この臆病者を。これが勇者候補? あんたにはそう見えるんだ? 目玉交換したほうがいいんじゃない?」
「こ、小娘が……!」
「あんたみたいのが上にいるようじゃ、管理局も先行き不安だわ。さっさとギルドに移ったほうがよさそうね。じゃ、メンバーも決まったし、解散解散」
きびすを返すアカリに、総務部長は怒声を上げた。
「小娘! そこまでいうならキサマが行くんだろうな! 勇者候補としてゴブリンと戦うんだろうな!?」
「おことわりよ! あたし選ばれなかったし、行く理由がないわ!」
「よし、選んでやる! おまえがそいつの代わりだ! 文句はあるまい!」
「あるわよ! あんたさっきなんて言った? 『うずくまっても決定は変わらんぞ』って偉そうに言ったのよ? 覚えてないわけ!?」
「う、ぐ……!」
「あー、やだやだ。こんな自分の発言に責任も持てないアホウの下にいるなんて。自分が哀れで泣けてくるわ。きっと部下の人もそう思ってるでしょうよ」
「い、言わせておけば……!」
顔を真っ赤にして、額の血管を破りそうになっている男を見て、アカリは潮時だと思った。
「――と、まぁ、このへんで許してあげるわ。あたしがこいつに代わっていく。文句ないわね?」
「行け、おまえで決定だ!」
総務部長は怒りに拡声器を叩きつけ、高台を降りていった。
会場がざわめく。
パーザが慌てて拡声器を拾い、「そ、それでは、選出メンバーはこの場に残り、次の指示を待ってください。それ以外の方は解散して構いません」とつくろった。
選ばれなかった非セルベントたちが引き上げていく。
未だ鼻息を荒くしているアカリに、ショウとシーナが駆け寄る。
アキトシは泣いていた。
「ボク、ボクは……」
「なに泣いてんのよ、うざったい。さっさと店に戻って仕事をしなさい。店長たちだけじゃ、手が回らないんだから」
「でも、ボク……」
「ウルサイっ。あんたはパンを焼け。それでいいのよ」
「ありがとう……」
アキトシは心から礼を述べた。
「悪いけど、そんなわけで明日も休むからね。あんた代わりに、店の掃除もやんなさいよ」
「うん……」
アキトシは何度もうなずき、振り返っては礼を言い、リーバとともに裏庭を離れていった。
「あのさショウ」
シーナがアカリから目を離さずに呼びかけた。
「なに?」
「アカリが男だったら、わたしゼッタイ惚れるね」
「オレはあいつと素のまま、拳を合わせる友情が築けると思う」
「あははは」
二人は笑った。
「何がおかしいのよ?」
アカリは気恥ずかしくなって顔を赤くした。
「いや、おまえ、いいヤツだよ。さっきの啖呵もなかなかだった。すげぇスッキリした」
「わたしもー」
シーナがアカリに抱きつく。「離れろっ」と言われても離れなかった。
仕切りなおしに15分ほどかけ、壇上には総務部長にかわって人事部安全保障課・課長が立った。総務部長は姿すら見せない。
「えー、では、まず作戦の概要から。えー、編成は、兵士50名、召喚労働者200名の混成部隊となります」
この時点で不穏な空気が流れる。兵士50名とは何事だ、と不満が漏れた。
安全保障課長は与えられた原稿をただひたすらに読む。
「えー、みなさんは設定されたルートを辿りつつ、目的地へ進軍します。目的地は西の森・深部にあるゴブリンの村です。そこがゴブリンたちの巣窟になっていると思われます」
「村ごと潰すのか」ショウは唖然とした。日本人の感覚としてはついていけない。実際、その場に立ったら実行できる気がしない。シーナもアカリも同じなのか、顔をしかめている。
中には賛同者もいる。「元から断たなきゃキリがないからな」との声が聞こえた。
「えー、なお、今作戦の大隊長は、ナンタン守備隊ハリー・ガネシム兵士長補佐が勤めます」
「あいつが司令官? 大丈夫なのか……」
「もうなんか、お先真っ暗なんだけど」
「そんなに酷いの?」
「アカリは知らなかったっけ? そいつがショウに叩きのめされた兵士」
「そりゃダメそう……」
アカリも首を振った。戦闘素人に倒されるような大隊長の、何を期待しろというのか。そもそもなぜ、そんなのが250名を率いる大隊長を任されているのかが不思議だった。
「きっと親の七光りだな」
偏見からそう決めつけるショウであったが、それが真実である。
その後、全員に必要最低限の道具を詰めたカバンが配られ、集会は終わった。専属召喚労働者たちには追加で国が支給する槍や革鎧などの装備一式が配られた。
それらがないショウたちは自分たちで足りない物を調達するしかない。そうやって忙しい一日は終わり、寝つきの悪い一夜を過ごすこととなった。
ギザギ十九紀14年7月28日7時。
ゴブリン掃討作戦に参加する召喚労働者たちは、全体集合場所のナンタン外縁・西の監視塔前に到着した。
異世界人たちの装備はほぼ統一されているが、一部に個性的な者たちがいる。管理局専属召喚労働者ではない、一般の召喚労働者たちだ。他が兵士の色とセルベントの色で分けられているので、目立つことこの上ない。
大隊長にして、栄誉あるサウス公爵近衛騎士長の子息ハリー・ガネシムは、その中に仇敵を発見した。
「おい、そこの小僧、こっちにこい」
ショウは仕方なくハリーのそばへ寄った。
「あれ、ショウじゃねーか?」
訓練所組の列にいたマルが、隣のルカに話しかけた。
「そうだね。いつの間にかいい装備してるね」
「いや、それはいいだろっ。なんでアイツ、名指しで呼ばれてんだ?」
「あまりいい雰囲気じゃないね」
ルカは動向を見守った。
「久しぶりだな、小僧。これからよろしく頼むぜ。おまえはオレの小隊に入れてやる。ありがたく思えよ」
ショウは何も答えなかった。何を言っても反感を買うだけなのはわかっている。
ハリーは手にしていた馬鞭を落とした。「拾え」と命令され、ショウは屈んだ。
そこへ、後頭部に衝撃が走った。
ハリーが馬上から鉄靴で踏みつけたのである。ショウは完全に油断していて、その場に倒れた。革の兜と鉢金のおかげで出血はなかったが、目の前が真っ暗になり、立てなかった。
異世界人・兵士を問わず、見ていた全員が驚いた。声をあげた者も少なからずいる。
「あいつ――!」マルが飛び出しかけたのを、ルカがとめた。
「なんでとめんだよ! おまえ、頭こねーのかよ!」
「……キてるよ。けど、今は見逃す。ここで暴れたら、ショウの立場がさらに悪くなるからね。だけど機会があればヤるよ。ボクの大切な人を傷つけたことを泣き叫びながら後悔させ、それからさらに刻んでやる……!」
「お、おう……」
普段のルカからは想像もできない過激な発言である。先日、戦闘訓練中にも過激な行動に出そうになったと聞いたが、マルは詳しく知らない。
「さてと、そんじゃ小隊編成を行う。小隊は、兵士1名に対し、おまえらが4。5小隊を1中隊とし、各方面からゴブリンを駆除しつつヤツらの巣を目指す」
ハリーは地面に這いつくばるショウを無視して話しはじめた。
「まず男女で分かれろ。オレの右手が男だ」
ハリーが右手を軽く上げる。異世界人たちはすぐに行動した。理由もなく――禍根はあるが――無抵抗の者を蹴りつけるような相手に逆らってもいいことはない。そもそも兵士と事を構えるつもりははじめからなかった。
「大丈夫?」
人の波が生まれると、シーナとアカリはすぐにショウのもとへ駆けつけた。同時にマルとルカも寄ってくる。
「……ああ、大丈夫」後頭部を押さえてショウは立ち上がった。
「ショウ!」
「マル、ルカも。元気だったか?」
「たりめーだろ。少なくとも今のおまえよりな」
マルが軽口で返す。ショウは懐かしく、嬉しくなった。
「ショウ――」
ルカも声をかけようとして、「なにやってんだ、おまえら!」とハリーの邪魔が入る。
「さっさと移動しろ! 作戦はもう始まってんだぞっ」
ショウたちはハリーを睨みつけるが、そんな彼らの間に入る者がいる。
「ほら、並ぶぞ」
「女の子はこっち」
カッセとリラだった。カッセはショウの肩を軽く叩き、リラはウィンクして、それぞれの陣営にマルたちを連れて行った。
コーヘイやレックスたち知り合いも、ショウに心配げな顔を向けて移動していた。
「カッセさん、リラさん、みんな……」
「おまえはそこで座ってろっ」
感慨に浸るショウの背中をハリーが蹴る。ショウは拳を握ったが、振り上げることはなかった。
「よし、分かれたな。女は50人くらいか? 残念だがちと多いな」
ハリーは馬を進めて女性陣を一通り眺めた。そして、「おまえ、前に出ろ」と馬鞭で指名する。ショウの知らないセルベントの女性だった。
「わ、わたしですか……?」
「そうだ。前に出ろ。それと、おまえ、おまえ……」
次々と指名していく。その中にシーナとアカリ、リラもいた。全部で19名。
「おまえたちはオレの中隊だ。第1から第5小隊の好きなところに入れ。あとで交換するかもしれないがな」
ハリーは笑った。彼の背後にいる第2・第3小隊の隊長も下卑た笑みを浮かべている。この3名だけが他の兵士と雰囲気が違う。他の小隊長たちは、たしかに兵士の風格があった。おそらく第1から第3小隊長は兵士ではなく、貴族なのだと皆、感じた。とすると、同じ第1中隊でも、第4・第5小隊長は貴族の護衛ではないだろうか。だとしたら相当の腕利きのはずだ。
「次は男のほうだ。第6から第10小隊は第2中隊として露払いを任せる。おまえらにはレベルってのがあるんだろ? その高い順に整列しろ。同レベルは背の順だ。前から20人が第2中隊だ」
男たちはレベルを宣言して、入れ替えを繰り返しながら順番を決めていく。巨漢のレックスが先頭、コーヘイも前にいる。レベル3が団子状態で、背の高さで言えばイソギンチャクが一番高かった。ルカとマルは馬鹿らしいのか、順番を無視して列の最後尾に並んでいた。
「残りは第11から第50小隊だ。各小隊長が前にいる。適当に並べ」
各小隊長は、小隊旗を掲げていた。それぞれに番号が振ってある。異世界人たちは一様にバス旅行の集団を思い出した。6番や11番など、5の倍数プラス1の旗が一際大きいのは、中隊長を表すと説明がされた。
中隊の並びは、西の森の外縁沿いに北から南に一列となっている。もっとも北側に第5中隊、そのすぐ南に第4、第3と続き、第2と本営である第1が南北の中心にいる。その南側に第6が、以下、第10中隊まで125名が列を作る。
この編成で西の森へ入り、放射状に広がって進む。中間点を過ぎたあたりから最終目的地であるゴブリンの村へ向かって収束する計画だった。ゆえに南北両端に属する第5と第10中隊のメンバーがもっとも長く行軍する。逆にもっとも短いのが、直進する第2と第1である。
「よし、まとまったな。では、ゴブリン掃討作戦を開始する! 各中隊、進めー!」
中隊長を先頭に、小隊単位で森へと入っていく。実戦部隊は兵士50名と召喚労働者200名だが、その他に救護兵・補給隊・伝令兵などが、中隊ごとに数人ついている。
馬に乗って移動しているのは貴族の三人のみである。貴族であるのを特権と思っているのか兵士の規律など無視して小隊長自らが隊列を乱し、第1から第3小隊ははじめから混成していてまとまりがない。
「いや、よいものですな。女戦士に守られての行軍というのは」
ちょびヒゲの、コセル子爵家長男にして第3小隊・隊長のカオン・コセルが馬上から女性たちを見下ろし、ニヤけた。
「まったく。こんな楽な旅に同行しないなんて、他のヤツらはつくづく臆病者だ」
ライリ・アフ第2小隊・隊長が同僚の貴族をこき下ろす。彼は男爵家の息子で、この作戦を名を高めるための単なる箔付け旅行と思っている。
「あいつ大丈夫かしらね」
アカリが前方のショウに注目する。彼はハリーから奴隷のような扱いを受けていた。わざわざ馬に括りつけてあった荷物を降ろし、ショウに担がせている。それだけではなく、馬鞭でときおり頭を叩いていた。兜がなければ腫れあがっていただろう。
「きのう、ショウがこうなるのを予測してたけど、わかっていてもムカつく」
シーナが加害者の男を睨みつける。当人はその殺意をこめた視線に気付いていない。
「でも、あんなのでも大将だからね。短気を起こして反発したら、無関係な人にもどんなとばっちりがいくかわからないのもたしかよ」
ショウはそれを理由に、できるだけ自制すると二人に話していた。
「だからって、我慢にも限度があるよ」
「わかってるわよ。たぶんあんたより、あたしのほうが先にキレる自信があるわ」
アカリは断言した。
同じころ、ナンタン外区の一角で、二日酔いの男と白い魔法少女が話をしていた。
「山狩り……」
少女が男につぶやいた。
「あ? ああ、今日がそうだっけか? あいつら行ったのか?」
ブルーは椅子にもたれ、上を向いたまま目を閉じた。とりあえず寝たかった。
「行った」
「そうか、成功を祈る」
ブルーは酒のかわりに水のコップを空けた。
「行かない?」
「行かねーよ。兵士がついてんだろ? メンドクセー」
「行かない?」
「行かないっつーの。集団戦になったら自分の稼ぎがわからなくなるだろ。他人にスコアをやれるか」
「残念」
「つか、行きたいなら行けばいいだろ」
「一人は危険」
「そうだな。じゃ、あきらめろ」
「……」
ピィはテーブルに突っ伏した。
7時間ほどの移動後、森の景色が変わった。これまでは馬でも通れるような、起伏が緩く、木々の隙間も充分にある明るい森であった。しかし、徐々に木々の密度が増し、勾配が上がってきている。植物も青々から少しくすんだ色が目立ち、苔の生えている一帯もあった。人間の領域からゴブリンの領域へと踏み入ったのだ。
「この先はゴブリン領になります。周囲警戒を怠らず、大きな音を立てないようにお気をつけを」
第4小隊・隊長トールが大隊長ハリー・ガネシムに具申した。
「こっからが本番か。なら、そろそろ野営地を探すか」
目指すゴブリンの村は、ここから数時間ほどである。夜に近づくのは危険なため、手前でキャンプを取る計画となっていた。明け方に出発して、朝の早い段階で村へ着くように考えられている。夜行性のゴブリンに対して少しでも利を得るためだ。立案はもちろんハリー・ガネシムではない。兵士長エレファンをはじめとする守備隊幹部が作成したものだ。
「それがよいでしょう」
第4小隊長はハリーのもとを離れ、伝令兵を先行する第2中隊へ走らせた。
「兄貴、そろそろ野営か?」
第5小隊長ユーゴが第4小隊長トールに呼びかけた。二人は兄弟である。両者は兵士長に次ぐ剣技の持ち主で、その腕を買われて大隊長のお守りを任されていた。
「そうだ。夜通しの護衛になる」
「ゴブリンたちもこっちの動きにはもう気付いてるだろうしな。奇襲もありえるかな」
「それが一番怖い。なにせ、こっちは兵力を分散している。山狩りとはいえ、探索範囲が広すぎた。せめて野営時は密集しておくべきなのだが」
「そのへんは兵士長も甘かったというしかない。けど、ゴブリンがそこまで考えるかな」
弟のユーゴは多少、楽観視している。しょせんはゴブリンだろうと。
「ヤツらが大集団でいること自体がおかしいと思うべきだ。誰かが必ず統率しているはずだ」
「そもそも本当に大集団なんてあるのか? 憶測だけで、誰も見ていないんだぜ?」
「たしかにそうだが……」
「兄貴は心配しすぎだ。それに今さらどうにもできない。オレたちはオレたちのできる範囲でやるしかない」
気楽な弟に、兄はため息をついた。
「そのやることが、あのバカ貴族のお守りだからな。あの少年も気の毒に」
「異世界人、暴発してくれないかと密かに期待してるんだけどな」
「物騒なことをいうな。異世界人とはいえ、子供を斬りたくはない」
「それもそうだ」
彼らのように、兵士の中にもまともな者がいる。というよりもハリーら貴族出身者を除けば、彼らも元は平民であり、心から町を守りたいと志願して兵士となった者たちである。さらには、兵士長エレファンの意思によらずにハリー・ガネシムが大隊長に任命されたときから、兵士長は信頼のおける者だけを選りすぐって掃討作戦に送り出したのだ。それを異世界人たちはもちろん、ハリーすらも知らない。
それから30分後、野営に向いた場所を発見した。
「女は中心に集まれ。男は外周で円になってろ。警戒も同時にできるだろ」
ハリーによるボス猿的な命令であった。しかし、理には適っている。群れの弱い者と王が中心となり、周囲を護衛に守らせる。
本来なら焚き火をしたいところだが、敵陣が近いため、火の使用は認められない。召喚労働者たちは昼に続いて夜も携帯食で済ますことになる。
一方、ハリーたちには補給隊が用意した食材で料理が出された。火は使えないが、高熱を発する魔法のプレートがあった。
当然のように嗅覚が刺激され、ひもじい食事をしている召喚労働者たちの視線がハリーたちのほうへ向く。
「なんだ、羨ましいのか? ならこっち来いよ」
「おら、酒もあるぞ。せっかくの夜だ、楽しもうじゃねーか」
ライリが酒瓶を掲げて女性陣に呼びかける。が、誰もが視線を避けていた。
「……ンだよ、オレの酒が飲めねーのかぁ? おう、そこの赤毛、こっちにきて酌をしろよ」
「するわけないでしょ。バカなの?」
アカリは毅然として睨んだ。
「ンだぁ……!」
昼からの酒量ですでに限界を越えており、ライリは足元をふらつかせながらアカリのもとまで歩いた。
アカリは少したじろいだが、逃げるつもりはなかった。
「いいから来いって――!」
ライリ・アフが腕を伸ばす。周囲はただ事態を見守る。その理由は人によりさまざまある。権力に脅える者、遠過ぎて何が起きているのかわからない者、助けに踏み切れなかった者、嘲る者、無関係でいたい者、兵士に睨まれて動けない者……
アカリは貴族の手を跳ね除けようとした。が、その前に男は腕を掴まれた。さまざまな理由を意に介しない、ただ一人の少年のものだった。
「嫌がってんだからやめろ」
ショウが睨みつけると、ライリは手を振りほどき、おぼつかない足取りで数歩下がった。
「なんだ、おまえ、オレに逆らうのか? オレはアフ家の者だぞ? 男爵の息子だぞ!」
「飲みたいなら勝手に飲めばいいだろ。嫌がる人間を巻き込むな」
ショウが強い口調で言い返す。それを好機と見る者がいた。
「ようやく手を出したか。待ちくたびれたぜ……」
ハリー・ガネシムが立ち上がった。
ショウは酔っ払い貴族を無視し、大隊長に相対した。
「上官に対する不敬。重罪だな」
「上官がクズだった場合は従う必要はない。そんなヤツはかえって害悪だ」
「小僧が! おい、そいつを捕まえろ!」
そばに控える第4・第5小隊長が、顔を見合わせて仕方なく前へ進み出た。
「大隊長のくせに、小僧が怖くて一人では近寄れもしないのか」
二人の有能そうな兵士を視界の隅におき、ショウは挑発した。
「な、にィ……!」
「そうだろ? 以前、無様に泥につっこんだ記憶が頭にこびりついて離れないんだ。だから怖くて部下を使わないと捕まえることもできない。この、臆病者の卑劣漢が!」
ショウは言い切ると、今までのうっぷんが少し晴れた。
「今回は手加減しねーぞ、小僧」
ハリーが悪鬼の形相で剣を抜いた。
「アカリ、みんなも下がってて」
ショウも剣を抜き、盾を構えた。遅かれ早かれ再戦があると思っていたので、覚悟はついていた。
しかし、二人の距離は縮まらなかった。一歩を踏み出そうしたハリーの足元に、矢が刺さったのだ。
「なんだ!?」
驚くハリーの前に、小隊長のトールとユーゴ兄弟が立ち塞がり、盾となってかばう。
「そいつを殺すのはボクの役目だよ」
ハリーの正面、ショウの背後の上方からくぐもった声が届いた。
振り返ると、樹上に弓を持った男がいた。頭部をフードと布で隠している。声がおかしいのは、その布のせいだろう。しかし、ショウにはその正体がわかった。ルカだった。
「……っ」
ショウは呼びかけた名前を飲み込んだ。なんであれ、彼の正体がばれるのはマズイ。すでに矢を射ってしまっている。どんな理由があろうと許されはしないだろう。
「何者だ! 暗殺者か!」
ユーゴ第5小隊長が問う。
「それはそいつ次第だよ」
「どういう意味だ?」
「ハリー・ガネシム」ルカはユーゴを無視してハリーに呼びかけた。
「おまえには想像力が足りないようだ」
「なに?」
「おまえは今、極めて危険な状態にいる。おまえの周囲に、味方が何人いるかわかるか?」
ハリーも、兵士も、異世界人も一様にざわついた。
「盾になるのはたった二人の兵士。あとは役立たずのお連れ貴族。対するは40名の武器を持った集団。どうやって勝とうか?」
その数は正確ではなく、第2中隊の兵士5名が計算されていない。しかし彼らは外縁で警備をしており、ルカの視点で考えれば壁にもならないのは確かだった。
「ましてやここにボクがいる。少しでもそこの兵士がどけば、おまえを確実に射抜いてみせるよ」
ルカは矢を引き絞った。
「こ、こいつらがオレの命を狙うってのか!? ありえねー。こいつらはオレの下僕だ。盾なんだよ! 逆らえるわけがねーんだ!」
ハリーが引きつった笑みを浮かべて叫んだ。
「なら、そこの兵士をどかしてみなよ。そしてボクが矢を射る。そうすればわかるよ。本当におまえを守る盾になってくれるかどうか」
ハリーの顔は青ざめ、引きつった。
「だ、だが、オレが殺されれば、こいつらも責任をおわされて死罪になる! そんな馬鹿な死に方、こいつらだって……!」
「そんなの、先に死ぬおまえが心配する必要はないだろ?」
ルカの声が低くなった。
「な……!」
「おまえの死の先に何があろうとおまえには関係がない。違うか?」
「ちょ、ちょっと待てっ。そんなのオレの親父が絶対に許さない。そうだ、異世界人全員、皆殺しにあうぞ! オレを少しでも傷つけたら、きっとそうなる!」
ハリーは混乱し、どうにかこの窮状から脱出すべく弁舌をふるう。
ルカは呆れ果て、弓の弦をゆるめた。
「おまえは幸せな頭をしているな。父君は、そんなにおまえを溺愛しているのか?」
「もちろんだ! 親父は最高の騎士だ! こんな暗殺まがいなやり方、絶対に認めない!」
まがいではなく暗殺なんだけどな、とはルカは言わなかった。
「……おまえがこの作戦の大隊長となった理由はわかっているな? おまえに手柄を立てさせるためだってことを」
「わかってる。オレが親父に頼んだんだからなっ。そして故郷に錦を飾る。ガネシム家三男として、騎士長の息子として凱旋するのさ!」
ハリーは胸を張った。その姿を想像しているのだろう。
「実はもっともいい方法がある。おまえの名誉にもなり、ガネシム家の誇りとなり、末代まで語られる英雄譚となる方法が」
「本当か!?」
ハリーは敵であるはずのルカに前のめりとなった。ユーゴとトールが押さえる。
「おまえがゴブリンとの死闘の果てに死ぬことさ」
「……!」
ルカの冷ややかな声に、一同は息を飲んだ。
「たとえおまえが活躍して凱旋しても、それはきっと一時のこと。生来の放蕩癖は抜けず、いずれはまた家名を汚すだろう。だからおまえはここで死ぬんだよ。ゴブリンと勇敢に戦い、兵士を鼓舞し、異世界人を指揮し、そして殺される。そうすれば家名は永遠に汚されず、おまえは名誉を得、民はおまえを讃えるだろう。……どうだい、素晴らしいシナリオだろ?」
「そんな……。そんな馬鹿な話が――!」
「当然、そこの二人の貴族様も、名誉を担う資格をお持ちだ。家族はおまえたちの死を望んでいるんだ」
ライリ・アフもカオン・コセルも酒が抜け、酸素さえ抜けたのか、呼吸が荒くなった。
「だからここで異世界人に殺されても、誰も罪には問われない。口裏を合わせればいいだけ。『彼らはゴブリンと立派に戦い死にました』と。死体を持ち帰る必要もないし、たとえ持って帰っても誰も検分なんかしない。むしろ家族はとめるだろうね。そして真実は闇の中さ」
ハリーたちは震え上がった。
「……でも、正義感のお強い兵士様たちはそれを許さないかな?」
ルカはトールとユーゴを見た。彼らは暗殺者を睨むが、行動ができない。動けば、すぐに矢が飛んでくるだろう。
「兵士たちも考えて欲しい。このさき、彼らが生きていることで起こる弊害を。もし彼らがあなたがたの上司となったらどうなるだろう? 平和な町になる? いや、腐敗の進む守備隊となるだろう。そのとき住人は? あなたの家族は? 無類の女好きの彼らは、部下であるあなたの恋人を、妻を、娘を欲望のために欲するかもしれない。いや、確実になる。なぜなら彼らは平民など人とは思っていないのだから。便利な駒で、使い捨ての道具としてしか見ていない」
「……!」
たとえ想像でも考えたくはないものがある。兵士として完璧に近いトールですら、その想像を完全には否定できない。
「キミたちはただ見逃せばいい。自分と家族のために、正義を信じればいい。そいつらはこれまでにも罰を受けるだけの罪を犯しているんだ!」
ルカは断言する。実証もなく、だが、疑いもなく。
ハリー・ガネシムは周囲の視線に気付いた。自分が置かれている立場にも気付いた。後ろ盾はなく、部下もなく、自身を守る術もない。恐怖に憑りつかれ、すがりつく二人の役立たずを引き剥がし、逃げ出したかった。
「……もう一つ、方法があるだろ」
一人だけ、ハリーを見ていなかった人物がいる。樹上の友を見上げ、少年は訴えた。ショウが立ったのは、ハリーのためではない。友人を案じてのことだった。なぜ彼がこんな暴挙に出たのかわからない。ショウも知らないハリーとの因縁でもあったのだろうか。だとしても、このやり方は違うと思う。
「……どんな?」
ルカは友の目を見返した。相変わらず、濁りのない色をしている。
「この機会に真人間にしてやるんだよ。どんなバカだってわかっただろ? 自分がどれだけクズで、カスで、誰からも必要とされていないゴミのような人間かって」
「おいおい」シーナが足元でツッコむ。
「わかったなら、変えていける。ちょっとしたきっかけで変わることはできる。今日明日で変わるとは微塵も思わないけど、任務をまっとうすれば世間の見る目も変わる。そうしたら自分も変わるかもしれない。そんなチャンスが、一度くらいあってもいいだろ?」
語りながら、ショウはアイリを思い出していた。彼女は変わったのだろう。小さな冒険の果てに、何かを見出して。ならばハリーが変わらないなどと誰が言えるだろう。そして、自分も変わるためにマルマへ来たのだ。その可能性を否定したくはない。
「……甘い考えだね。こういうヤツは、一生変わらないよ」
ルカは冷めた声で応えた。そんな人間を知っているかのように。
「じゃあ、最後のチャンスだ。これでダメなら社会的に死んでもらおう」
「どうやって?」
「真偽関係なく悪逆非道の噂を流せばいいのさ。今までの彼ならどんな噂でも世間は信じる。それだけのことをしてきたってオレも思うから。そうすれば自動的に親父さんの耳に届き、実家に戻され以後は音信不通になるさ」
ルカは呆気にとられ、そして笑った。
「キミはボクより悪辣だね。……今回はそれで手を打とう。それじゃ、自分のためにがんばるんだな、ハリー・ガネシム」
ルカは枝をわたり、森に消えた。
命拾いしたハリーは、集中する視線に気付いて天幕へと隠れた。二人の悪友もそれに続く。
それを見て異世界人たちの顔が輝き、沸騰寸前になったところを第4小隊長のトールが「騒ぐなよ。ゴブリンどもに気付かれる」と機先を制した。
彼らは小さくガッツポーズをとった。自分たちは今回の解決になんら寄与していなかったが、単純に気持ちがよかった。
ショウは物理的にも精神的にも肩の荷が下り、その場に座り込んで一息ついた。
「あ~、疲れた……」
「おつかれー。なんか、突然の乱入のおかげでうまくまとまったね」
シーナはその闖入者がルカだとは気付かなかった。
「まったくよ。あいつが来なかったらどうなってたか」
「おまえに言われたくない。そもそもおまえがきっかけだろうが」
ショウはアカリにやり返す。
「そ、そりゃ、そうだった気もするけど……」
「気のせいじゃない」
「わかったわよ。あたしが悪かったわよ」
アカリはあきらめて認めた。
「悪くはないだろ」
「え?」
「おまえは悪くない」
ショウは生真面目に言った。
「そ、そうね。うん、たしかにあたしは悪くない。……ありがと」
アカリは顔を赤くして横を向いた。
「うん」と少年がうなずいたとき、外縁から彼を呼ぶ声が聞こえてきた。久しぶりに聞く声だった。
「カッセさん!?」
ショウは立ち上がり、第1小隊の女の子たちをかき分けて進んでいった。
ルカは賑やかな空間から距離をとり、顔を隠していた布を取った。
「せっかく敵を排除してあげようと思ったのに」
その顔は残念がってはおらず、むしろ嬉しそうであった。
「やっぱりキミはいいな。なんだか気分が落ち着く……」
銀髪の少年は大樹に寄りかかり、夜空を見上げた。
「あー、こんなトコにいやがった!」
「あれ、マル。どうしたの?」
「どうしたじゃねー! 偵察サボって何してんだよっ。もう戻らねーと、捜索隊がだされっぞ」
「あはははっ、それは困るね。怒られる」
「笑ってねーで行くぞっ。ったく、世話の焼けるヤツだ」
「悪いね、面倒かけて。じゃ、行こうか」
ルカは立ち上がり、マルとともに第3中隊のキャンプへと戻る。
マルにはその少年の顔が少し寂しそうに見えた。けれどそれは、月明かりの加減であろうと思った。ルカが寂しく感じる理由を、マルは知らないからだ。