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第二章 アリアン・セルベント [後編]

 ギザギ十九紀14年7月14日、二日連続でゴブリンとの死闘を潜り抜けたショウたちは、朝の集会で突然の休業を言い渡された。

「ゴブリンの件が落ち着くまで、山林での作業はすべて中止となりました。採取・伐採・狩猟組はしばらくの間、休業となります。他の作業は継続してありますので、もしよろしければスポット作業をお願いいたします」

 朝一番でベル・カーマンが告知を出した。

「もう一点、皆さんにご報告があります。昨日、異世界人管理局は、召喚労働者サモン・ワーカーの方々にむけた職場改善案を協議し、このほど新制度の施行を決定いたしました。これはレベル3以上の召喚労働者の方が対象となります。条件を受諾し、誓約書にサインをされた方に、次の特典が与えられます」

 ベルは巻紙を縦に広げ、特約を読み上げた。それは以下のようなものだ。


 1、10年間の税金免除

 2、就労レベル×1金貨の年金支給

 3、訓練所の利用料金減額、各種基礎講習の無償、特殊技術・二種類無償受講


 エントランス・ホール内は一つが読み上げられるたびに盛り上がり、三つ目で爆発した。特に『特殊技術・二種類無償受講』は想像の埒外らちがいであり、無料で魔法を二つも覚えられるのと同義であった。今まで高額受講料のためにあきらめていた召喚労働者サモン・ワーカーにとっては夢のようであった。

「次に、特約を受ける条件をご説明します」

 ベルは先輩のパーザを見習うべく、冷静に言葉を進める。会場が一気に静まった。

「第一項、契約者は向こう10年、異世界人管理局専属召喚労働者(サモン・ワーカー)とする。第二項、特務発令の際は、最優先でこれにあたる。なお、一般の召喚労働者(サモン・ワーカー)と区別するため、専属の召喚労働者(サモン・ワーカー)を『アリアン・セルベント』もしくは短縮し『セルベント』と呼称する。以上です」

 ホールは依然として静かだった。あまりにも条件が少なすぎて、かえって反応しづらかった。

「専属ってつまり、国に付くから公務員になれってこと?」

 ショウが仲間に問いかけた。

「もしくは社員登用アリってヤツかな」

 リーバが冗談ぽく笑った。

「どのみち、ボクらにはまだ関係ないね」

 ルカがバッサリ斬り捨てた。ショウたちはレベル2、ルカに至っては未だ1である。

「この制度は、本日12時より運用されます。契約書は後ほど広報誌配布スペースに配置されますので、申し込みをされる方はお持ちください。最後に、次に名前を呼ばれた方は今すぐ二階・第三会議室に集合を願います。レベル2のクロビスさん、シーナさん、マルさん、ショウさん、ニンニンさん、ルイードさん、コロネさん、レベル1のルカさん。以上8名は第三会議室に来てください」

 呼び出されたショウたちは首をかしげたが、この場でわかるものではない。早速、会議室に向かおうとした彼らにアキトシが手を振った。

「それじゃ、ボクはパン屋に戻るね」

 彼は管理局を足早に去っていった。

「がんばるな、アキトシ」

「あいつ、今日から店の三階の空き部屋に住むんだって。住み込みでパン屋やるみたい」

 アカリからの情報は一同を驚かせた。

「すげーな、そこまで本気だったのかよ」

 マルも素直に感心している。

「キミはどうなんだい?」

 「あたし?」ルカに問われ、赤毛の少女は肩をすくめた。

「そこまで入れ込む気はないわよ。でも、うらやましい気もするけどね」

「それじゃ、オレも朝食をとって工場へ行くよ。また」

 話の切れ目と判断し、リーバが背を向けた。ショウたちが手を振る。

「アカリ、今日は休みだろ? オレたち呼び出しだから上に行くけど、戻ったらいっしょにメシいくか?」

「そうね。休憩所にいるから」

「じゃ、あとで」

 アカリと離れて、ショウとマル、シーナとルカは二階へ上がった。

 ショウたちは第三会議室に入った。クロビスはいるが、他には誰もいない。

「なんの呼び出しだろうね?」

 シーナがクロビスに訊ねるが、彼にもわからないので答えようがなかった。

「そういえば、クロビスさんはルカと会ったことないですよね? ルカ、クロビスさん。採取班の先輩」

「どうも、ショウがいつも世話になってます」

「お前が言うか!」

 二人の掛け合いには立ち入らず、「クロビスだ」と会釈して紹介は終わった。

 続いて、小柄で筋肉質のニンニンがやってきた。

「やぁ、ショウくん……」

「あ、ニンニンさん、お疲れ様です」

「まったくだよ、こういう呼び出しは嫌な予感しかしないよ。それでちょっと思い出しちゃった。昔、どうしても行っておきたい場所があってね、お金がなくて一日だけ派遣の仕事をしたんだ。そうしたら――」

「はーい、すんません。通るよー」

 扉前で立ち話をしていたショウとニンニンの間を、オレンジ髪の男が手で割るように進んで行く。

「あ、ルイードくん。久しぶりだね」

「ちーす、ニンニンさん。相変わらず過去の呪縛に捕らわれてるみたいっすね」

「聞いてくれるかい? 実は――」

「長いからいいっす! おつっ」

 彼は会議室でも一番遠い席に座り、大あくびをした。

「知り合いですか?」

「何度かいっしょに仕事した程度だけどね。そういえば、語学講座を受けてるんだって?」

「はい。きのうの夜も受けました。まだ字は覚えきれないですけど」

「急ぐことはないよ。学ぼうとする意思が大切なんだ」

「はい、ありがとうございます」

 ショウが頭を下げているのを、シーナとルカがじっと見ている。

「なにあの人、だれ?」

「ショウに語学の勉強を勧めた人みたいだよ」

「ふーん。わたしもやろっと。ショウと机並べて勉強なんて、学生みたいでいいなー」

「それはボクの楽しみだ」

 睨みあいながら、二人は適当な席に座った。間を一席空けているのは、もちろんショウの分である。

 が、彼はパーザ・ルーチンが入ってくると手近な席についてしまい、せっかくの席は無駄となった。

「全員、集まりましたね。では早速ですが、みなさんにお話があります。特例として即時レベル3への昇段が可能となりました」

 「え……?」全員が予想外の展開に言葉がなかった。

「驚かれるのも無理はありませんが、今回は特殊な事情があり、特例として施行されます。なお、条件がいくつか付帯します。こちらの書類をよく確認の上、レベル3への昇段をお望みであればサインをお願いいたします」

 一人ひとりに手渡された用紙には、『特例昇段申請書兼機密保持契約書』とある。それには昇段するための2つの条件が書かれていた。一つは本契約過程を口外しないこと、二つに異世界人管理局(アリアン・)専属召喚労働者(セルベント)となることである。

「これって、さっき下で聞いたレベル3以降の新制度ですよね?」

「はい。つまりは皆さんをセルベントに勧誘しているのです。ただ、セルベントになるにはレベル3以上という条件がありますので、特例でレベル3にします。ただしそれを口外してはならない、ということですね」

「なるほど、了解」

 ショウたちはうなずいた。

「さっき聞いてて思ったけどさー、これってすげぇサービスだよなー。年金つくってサイコーじゃね? レベル3まで待たなくてもいいなら受けないほうがおかしいっしょ」

 ルイードはあっさりサインした。

 軽い気持ちで受ける者もいる一方、不信が募る者もいる。

「わからないのはなんでボクまで? ボクはまだここへ来て五日で、レベルも1だよ?」

 ルカに睨まれてもパーザは動じない。

「ここにいる方は大きく三つに分かれます。まず、すぐにでもレベル3にあがるだけの経験を積んでいる方。二つ目が、実戦経験のある方」

 パーザはルイードやコロネを見、それからショウやシーナに視線を移した。それで彼らは納得した。

「最後に、特別優秀な方です」

 彼女はルカを見据え、銀髪の少年はその眼を睨み返した。優秀と呼ばれるのは悪くないが、それが即・二階級昇段は怪し過ぎる。

「ボクの何が優秀なの?」

「そうですね、たとえば、きのうのあなたが見せた類稀たぐいまれな運動神経でしょうか」

「きのう……?」

 ルカは思い返す。防壁掃除の仕事こなし、帰ってきたら裏庭でベテラン召喚労働者サモン・ワーカーのブルーが後輩たちの手ほどきをしていた。それはいつの間にか百人組手に発展し、ルカも参加した。叩きのめされはしたが、一矢を報いている。

「レベル1のあなたがレベル27に一撃を与えた。これは運がよいという問題ではありません」

「なるほどね、管理局は即戦力が欲しいってことか」

「はい。そのため、もうすぐ上がる方も前倒しでお呼びしました」

 パーザはごまかさずに明言した。

「あー、やっぱりなんか嫌な予感がしたんだよねぇ。この先、よくないことが起きるんだろうなぁ。派遣での悪夢を思い出すよ」

 ニンニンが天井を見上げて独り言をつぶやく。そしておもむろに用紙を破いた。

「じゃ、オレはこれで。口外はしませんのでご安心を」

 手を上げて、扉を出て行った。

 「さすがだなぁ」と、ニンニンを心の師匠としているショウは感嘆した。

「ショウはどうするの?」

 シーナはショウに一任するつもりだった。

「決まってるだろ」

 ショウは用紙を破く。

「冒険者が国に縛られてたまるか」

「だよね!」

 シーナも豪快に破る。細かくちぎって天に投げた。

「あとで掃除をしてくださいね」

 パーザに冷静にいわれ、シーナは「はぁい……」と沈んだ。

「ルカ、マル、行こうぜ。オレたちには関係ない」

 呼びかけるショウに、二人は無言だった。

「どうしたんだよ?」

「……わりぃな。オレは、強くなるのに手段を選ぶほど余裕がねーんだ」

 マルはサインした。

「どうして!?」

「オレは強くなりてーんだよ。最短で走りてーんだ。それにはこれが一番だろ? スキル2つだぞ? 魔法が2つも速攻で覚えられるんだっ。何十万円もかかるものが、タダですぐに手に入るんだっ。こんなチャンスは二度とねぇ」

 魔法の習得にはとにかくお金がかかる。一つを覚えるのに最低10金貨リスル、上級や回復系ともなると50金貨は必要だった。

「だけど、いっしょに行くんじゃなかったのかよ? パーティーを組むんじゃなかったのかよ!」

 初めて会ったときの約束をショウは覚えている。マルは生意気で大言壮語で、だが一本筋が通った少年だった。共に行くと思っていた。仲間だと思っていた。しかし彼は違う道を選ぼうとしている。

「オレにだって叶えてーことの一つもあるんだよ。それが何より優先なんだ。すまねーな」

「……わかった。がんばれよ、マル」

「おう。別に今生の別れじゃねーだろ? 暇なときは遊んでやらぁ」

「こっちのセリフだ」

 二人は拳を合わせて別れた。

「……ルカもか?」

「うん。まさかこんな形で別れるとは思わなかったよ。でも、ボクもやりたいことへ最短で走りたいんだ。キミといっしょなら、なおよかったんだけどね」

「召喚されるのが遅いからだろ。もっと早く来ればよかったんだよ」

「ホント、そう思うよ……」

 ルカは無意識に左頬に触れていた。それからためらうように右手を伸ばした。

 固く握手して、「またな」とショウは立ち去った。少年は振り返らなかった。

 シーナはショウについていく。が、彼女は振り返らずを得なかった。「掃除!」とパーザに怒られたからだ。用具庫からほうきとちりとりを持って撒き散らした書類を片付ける。

 廊下で待っていたショウにシーナは近づいた。彼は寂しそうな顔をしていた。

「……結局、みんなバラバラか」

 あのときのコープマン食堂の光景をショウは覚えている。アイリが微笑み、マルとアカリが言い合い、アキトシがとめようとして、リーバは我関せずと食事に専念する。そしてあの六人からアイリが抜け、ルカが居ついた。今はリーバもアキトシも自分の道を選び、シーナと出会ってすぐ、マルとルカも先を急ぐように走りはじめた。

「わたしはいるからね」

 シーナは口にして、違うのだろうとわかっていた。でも、今、そばにいる自分を見て欲しいと思う。

「行こうか」

 ショウは笑って見せ、歩きはじめた。

「そういえば、クロビスさんは……?」

「速攻サインしてたよ」

「そっかぁ……」

 忘れていてわがままではあるが、それも残念だった。

「アカリ」

 休憩所で荷物整理をしていたアカリに、ショウは声をかけた。その目にアイリの作った服が映る。

「意外と早かったわね。残りのうるさいのは?」

「ルカとマルは特務に行く。しばらく会えない」

「……あんたは行かなかったんだ?」

 沈んだ顔をするショウにアカリは裏を察するが、知りたい欲求は抑えられない。

「行かない」

 「そう」一言で返され、アカリはそれ以上訊けなくなる。

「じゃ、ご飯いこっか」

 アイリが使っていた肩掛けカバンに、アイリの作った服を畳んでしまい、アカリは板間を降りた。

 エントランス・ホールを通り抜けようとした三人は、ベル・カーマンの慌てた声に呼びとめられた。

「す、すみません、みなさんは今日、お仕事入ってませんよね?」

 「薬草採取が休止ですから」とショウ。

 「同文」とシーナ。

 「あたしオフだし」とアカリ。

「あぁ、よかった。ぜひお願いします! 何でもいいので仕事を受けてください!」

「なんでもいいって何よ?」

 すがりつくようなベルを、アカリが挑戦的に見る。

「新制度の発表で、レベル3以上の方が軒並み今日の仕事をキャンセルしてしまい、人手が足りないんですっ」

「「あー……」」

 それはそうだろうと思う。新制度を受け入れる者は、一刻も早く訓練所でスキルの一つでも学びたいところだ。受付にはすでに長蛇の列ができていた。ツァーレ・モッラが病欠らしく、受付は今、降りてきたばかりのパーザが一人で回している。それまではベルが孤軍奮闘していたのだろう。

 三人はたがいを見てため息を吐いた。そして、可笑しくなって笑った。

「いいですよ、急に暇になってどうしようかと思ってたし」

「ありがとうございますっ。では、これとこれとこれ、お願いします」

 ショウは作業依頼書を三枚も渡され、「容赦ないな!」とツッコむ。

 アカリとシーナは二枚だが、少し後悔している。

 ベルが何度も頭を下げて去って行くと、三人は準備をして管理局を出た。朝から慌しく、外の空気を吸ってようやく落ち着いた気がした。

「朝飯、食べて行く時間はある?」

 ショウの問いに、アカリとシーナはうなずく。

 三人はコープマン食堂に入った。ともに、ここのモーニングは数日ぶりだ。ショウとシーナは薬草採取チームのコーヘイに誘われて、きのうの朝食は外区にある食堂へ行った。この世界では唯一とも言える日本食を出す店で、主人はタウエ・ホウサクという召喚労働者サモン・ワーカーである。アカリは仕事先のパン屋で焼きたてパンをいただいている。

 三人もいるのに静かだった。雑談はしているが、いつもの賑やかさがない。一番うるさいマルも、シーナと言い合うルカもいない。アカリとしても張り合いがなかった。

「……あいつら、どれくらいいないの?」

 ショウの正面に座っていたアカリが、食事から目を離さずに訊いた。

「さぁ。少なくとも一月ひとつきはいないかな」

「長いわねぇ」

「長いな」

 少し、沈黙があった。

「あの新制度はどう思う?」

「どうって、みんなは喜んでるだろ? 免税・年金・無償スキル、大出血サービスだろ」

「じゃ、あんたはレベル3になったら受けるんだ?」

 アカリがショウにフォークを向けた。ウィンナーが突き刺さったままである。

「オレは……」

 ショウはさきほどのように断言するのをためらっていた。マルとルカの選んだ道が間違いだとは思わない。かといって自分の選択も正しい自信はない。彼らは自分の理想を目指し、ショウも理想を選んだ。今ここで自分の気持ちを伝えると、それは彼らを否定することにならないだろうか。

「もらったァ!」

 シーナがアカリのフォークからウィンナーを食い取った。

「あ、あんたねー!」

「食べ物で遊んでるからだよ。ごちそうさま」

 シーナは飲み込み、意地の悪い笑みを浮かべた。

「く、あんたのポテトもらってやるっ」

 アカリのフォークがマッシュ・ポテトに走るが、シーナは皿ごと回避した。

「アカリは迷ってるの?」

 シーナは皿を抱えたままポテトを頬ばった。

「はぁ?」

「だって、他人の意見を求めるってことは、迷ってるからでしょ?」

「ち、違うわよっ」

 アカリがそっぽを向く。

「アカリってわかりやすいよねー。カワイイなー。好きだなー」

「あんたに好かれても嬉しくないっ」

「またまたぁ。同姓の友達なんてそうそうできないんだし、仲良くやろうよぉ」

 そのお気楽な態度にアカリは苛立ち、シーナを睨んだ。

「あんたはなんかロコツ過ぎなのよっ。芝居臭くて、やたら男にベタベタするし」

 シーナはキョトンとし、それから「あー」と漏らして何度かうなずいた。

「わたし、日本では男はもちろん女の友達もいなくて、人との距離感ってよくわかんないんだよね。だからこっちにきて自分を変えようと思って、精一杯明るく生きてやろうとして、気が合いそうな人がいると考えなしで近づいて、甘えちゃうんだろうね。それが不快だったならあやまるね、ごめん」

「……別に、あやまることじゃないわよ。あたしがあんたを気に入ろうが気に入るまいがどうでもいいじゃない」

「よくないよ。ここでアカリまでいなくなったら、やっぱり寂しいよ」

 アカリは真正面から言われ、照れて顔を背けた。

「なんであたしがいなくなるのよ。意味わかんないっ」

「だって、新制度を受けるかどうか悩んでるんでしょ? もしかするとわたしたちとは道が変わるかもしれないじゃない。あれって管理局の駒になれってことだし」

「だからよ。管理局の駒になるってことは、もしかしたら王都への召集もあるかもでしょ?」

「うん、まぁ、あるかもな。で?」

「だから、王都へ行ってアリアドに会う確率も上がるってこと」

 「あ」ショウはアカリの論法に、新鮮な驚きを感じた。

ショウ(あんた)の最終目的ってアリアドに会うことでしょ? なら、それが最短距離じゃないの?」

「考えもしなかった……」

「脳ミソ腐ってんの? アリアドに会いたいなら、管理局の直接配下に入るのが一番でしょ。でもそれって、あたしが考える未来と違うし……」

 アカリの声が小さくなっていく。

「バカだな、オレだって冒険者になるんだ。駒になんかなるかよ」

「バカってなによ。……まぁいいわ。それが聞ければ充分よ」

 アカリは横を向いたまま食事を再開した。ウィンナーを一本損したが、それ以上の回答が得られたのが嬉しい。

 シーナが二人を見比べてた。

「もしかして、ラブラブなの?」

「「ちがうっ」」

 二人は真っ赤になりながら、同時にツッコんだ。


 同時刻、ギザギ国王都オースム・異世界召喚庁長官室――

 アリアドはデスクに山となっている書類を眺めて、今日のお昼は何にしようと現実逃避をしていた。

 そこに入室してきた補佐官が新たな書類を重ねていく。

 そうだ、今日はチキンにしよう、と決めたとき、補佐官が上司に質問した。

「長官はなぜ管理局から提出された新制度導入案をお認めに? あれでは異世界人を優遇し過ぎではありませんか?」

 アリアドは質問の意味を噛みしめているのか、思い返しているのか、たっぷり10秒かけてから答えた。

「そうねぇ。管理局の局長が決めたんだからいいかなーって」

「は?」

「べ、別に考えるのが面倒だったとか、どうでもいいからとかじゃないのよ? 現場には現場の判断が必要ってこと」

「はぁ……」

「局長がサインしたのなら間違いないわ。それだけ現場は困ってるのよ。うん」

 アリアドは自身を納得させるように数度うなずいた。

「そうでしょうか? 長官がこの8年で召喚された異世界人は、それまでの12年のおよそ4倍です。数だけでしたら余っているくらいです」

 数字を持ち出されアリアドは不機嫌になった。それだけ無能者を呼び出して税金を無駄にしている、と陰口を叩かれていた。

「1185名。これだけの異世界人がこの地に呼ばれ、現在は843名が生活している。でも、勇者と呼ばれる者は100人に一人いるかいないか。わたしたちは闇雲に人口を増やすために召喚をしているわけではないのよ」

 偉そうに語るが、闇雲に召喚しているのはその口の持ち主だ。

「しかしいたずらに彼らを優遇すれば、彼らは増長し、国民からは反感を買い、いずれ災いとなりかねません。使えぬなら使えぬなりに、市政に奉仕させておけばよいのです。どうせ彼らは後の世に何も残せぬのです。使い捨てでよいではありませんか」

「残せないねぇ……。本当にそうかしら」

「そのための疑似体、肉体変換術ではありませんか。彼らは子孫を残せない。ただ使われ、滅ぶための、人間に似て非なる異界の亜人種アリアンなのですから」

「……」

 アリアドは応えない。ただ薄く笑むだけであった。

 お腹すいたなぁ、とは口にしなかった。


 異世界人管理局の新制度情報は、すでに民間異世界人組合ギルドにも伝わっている。この件に関し、管理局はむしろ喧伝していた。ギルドに流れた人材を取り戻す好機であるからだ。

「マスターはどう思う?」

 ギルド・メンバーに問われ、壮年のギルド・マスターは酒瓶を磨く手を一瞬だけ止めた。

「ギルドは管理局の反体制だが、何にでも反抗するわけじゃねぇ。国が異世界人オレたちの待遇を考え直すというのなら、悪いこっちゃねぇ」

「だが、オレたちの自由はいつまでも保障されねぇ! 新制度はオレたちをさらに縛りつける鎖じゃねーか!」

「それを望むヤツもいる。自由だけじゃ生きていけねーよ」

「チッ」

 面白くなさそうに男はカウンターから離れていった。

 マスターは一人で酒を飲む青い髪の青年に目を向けた。

「ブルー、おまえ、きのう来た管理局のネーちゃんとこの話をしたのか?」

「いや、オレも初耳だ。シロウトどもを助けたついでに山の様子は報告しといたがな。ゴブリンがうじゃうじゃいたって」

「それで重い腰を上げたってわけか」

「だろうな。けど、きのうの今日でどれだけ役に立つってんだ? 無駄死にするヤツを増やすだけだろうに」

「……」

 ギルド・マスターは沈黙し、ただ酒瓶を磨き続けた。


 翌7月15日、連続作業や管理局内の雑務をこなしたショウとシーナは就労レベルが3に上がった。この日の午前中に請け負った管理局の仕事が特務扱いであったのが効いたようで、滞在日数の長いシーナはともかくショウは不意打ちを喰らった気分だった。レベル3になると管理局内の休憩所は使えなくなり、自分で住む場所を決めねばならなかった。

 「無駄な出費が増える」と彼はボヤいたが、嘆いたところで何も解決しない。

 それに、当面の問題はもう一つあった。レベル3に上がって早々、実戦経験を買われて夜間の畑巡回作業に駆り出されてしまったのだ。

 断るに断り切れず、二人は32名からなる巡回作業員に合流する。

 異世界人管理局・二階にある第一会議室に、夜間巡回作業員と、会議を見守る広報課のパーザ・ルーチンが揃った。

「それでは、これから本日17時より開始の第三防壁外・巡回作業の全体ミーティングを行う。今回、全体の指揮を執るレックスだ。よろしく頼む」

 まばらに「よろしくお願いします」の声が上がった。

 レックスはこのメンバーの中では最高となるレベル6で、戦士クラスの免状を持っている。ゴブリンとの戦闘経験もあるが、討伐記録はない。しかしそれを抜きにしても警護や巡回任務の経験値は高く、周囲からの信頼も厚かった。彼を今回のリーダーに据えたのはパーザの判断である。

「まずは概要だ。時間は17時から翌朝7時まで。場所はナンタン外縁部の畑全域。作業内容は巡回警備。作業人員は32名」

 一拍おき、彼は細かな説明を始めた。

「巡回は4名一組のグループで行う。各グループにはそれぞれのエリアを担当してもらい、グループ内で二人一組に分かれて巡回を行って欲しい。休憩の方法やタイミングなどはグループ内で決めてくれ。エリアについては後ほど説明する。もし異常を感知した場合、まずグループで集合し行動するように。明らかな異変があった場合、呼子笛で周辺のグループを即座に呼ぶこと」

 レックスは笛を掲げて見せ、一度吹いた。かなりうるさい。最前列にいた人たちは耳を塞ぎ、迷惑そうな顔をした。

「今回の急な増員は、警戒エリアの拡大によるものだ。これについて、広報課のルーチンさんよりお話がある。どうぞ」

 レックスにうながされ、パーザが皆の前に立った。

 彼女はあらかじめ貼っておいたナンタン周辺地図に指示棒を当てた。

「知ってのとおりナンタン北門を出ると、北に向けて街道が延びています。畑はこの北に伸びる街道より東にありますが、これは町の西および南側は山林であり、ゴブリンなどの魔物がこちらから襲って来るためです」

 畑の配置理由を初めて知ったショウは、感心して何度かうなずいた。

「今まではこの西側と南側に注意を払っていればよかったのですが、先のサイセイ砦防衛戦においてゴブリン軍は敗走し、ちりぢりとなりました。現在、町を騒がせているゴブリンはこの敗残兵だと思われます。南下をしているゴブリンたちは、最新の情報によるとここで目撃されています」

 パーザはナンタンのほぼ北にある村を指した。

「経路を考えると、ナンタンの北東から襲って来る可能性もあるということです」

 場がざわついた。

「これは目撃された情報です。目撃されなかっただけで、東エリアに侵入したゴブリンはもっと多いかもしれません。ゆえに今回は増員をかけ、畑の全域をカバーすることとなったのです。わたしからは以上です」

 パーザは報告を終えるとレックスに場を譲った。

「状況はわかってもらえたと思う。畑全域を守るため、今回は警戒範囲を見直し、新たなエリアを追加した。畑の北側より時計回りに8エリア、もっとも遠いところは東門より出たほうが近いだろう。では、グループわけをする。経験者と未経験者でまずは分かれてくれ」

 レックスの指示に従い、ショウとシーナは窓側の未経験者組に属した。未経験者は8名、残りは程度の差はあれ経験者ゾーンに集まる。4名1グループなら8組作れ、各グループに1名ずつの未経験者が配属される。

「では経験者は3名一組を作ってくれ。仲間同士でもかまわない。手早く頼む」

 レックスの言葉で、まずは普段から仲がいいメンバー同士が固まり、そこからはみ出したり、元からフリーだった者が合流して即席パーティーを組む。

 まとまったとみると、レックスが未経験者を眺めた。

「未経験の女性は一人か……。ホリィ、預かってくれるか?」

「はいよ」

 腰まである長いポニーテールの女性が手を上げた。彼女のパーティは女性1、男性2で組まれていた。そこにシーナは配属される。

 ホリィはレックスから手渡されたシーナの業務履歴などが書かれたシートを読み、声をかけた。

「シーナね。実戦経験があるのは心強いよ」

「討伐数はゼロですけどね」

「それでも充分だよ。ところで――」

 ホリィはシーナに耳打ちした。

「あの男の子と知り合いなの? 仲良く話してたみたいだけど」

 レックスの班に呼ばれたショウが、ちょうど返事をしたところだった。

「同じ薬草採取班で、いっしょにゴブリンと戦いました」

「ほうほう。あとでじっくり話をしようか。夜は長いしね」

 ホリィはシーナの肩を抱いてニヤリとした。他人の恋バナは大好物である。

 グループわけとエリア配置が済むと装備の点検がはじまった。野外かつ夜間である。十全の装備が必要だった。管理局から全員に支給されたのは、呼子笛と照明になる魔法の石、最近開発された棒状信号弾、ペースト状にされた薬剤に包帯である。

 武具も貸し出された。ショウとシーナもいろいろと借りていく。そのさいに参考になったのは、先日、ブルーが管理局で行った戦闘講義だった。装備の重要性を何度となく説かれ、ショウはいちいちうなずいていた。

 そのおかげでショウは闇夜の戦闘にパニックになりながらもゴブリンを二人も仕留めた。

 しかし別のエリアでは被害が出ていた。ゴブリン・シャーマンの放った炎で畑が焼け、召喚労働者サモン・ワーカーの一人が重傷を負った。ショウの個人的な活躍など意味はなく、仕事は失敗に終わった。

 その後、ショウはナンタン守備隊により牢屋に放り込まれた。


 暗く、陽光の差さない地下牢で、ショウは自分に何が起きたか思い出していた。

 きのう――時間の感覚がないのでおそらくだが――、明け方に畑の消火活動が終わった。原因はゴブリン・シャーマンによる魔術と聞いた。

 消火が終わると、ショウは同じレックス班の仲間が待つ物見やぐらまで戻った。レックス自身は現場責任者として火事の現場に留まっている。

「畑は少し焼けたけど、みんな無事でよかったよね。大怪我した人も【治癒】持ちがいたおかげで助かったみたいだし」

 途中で合流したホリィ班のシーナが晴れやかにいった。青空が広がりはじめ、空気が少し暖かく感じる。

「ホントだよ。でもしばらく夜勤は勘弁だな」

「だねー」

 シーナもニコやかに同意した。

 物見やぐらについたショウとホリィ班は顔を曇らせた。

「こいつはお宝だ。兵舎のヤツらに自慢してやるぜ」

「これでオレたち、こんな星空の酒盛りから解放されるな!」

 兵士二人が、ゴブリン討伐の印となる親指に紐をつけて振り回していた。それは昨夜、ショウと共にゴブリンと戦ったレックス班のタカシとジューザが命がけで手に入れた勲章であった。

 ショウは瞬間的にカッとなった。

「おい、おまえら!」

 踏み出す少年をホリィ班が羽交い絞めにした。暴れるが、多勢に無勢だった。

「兵士に関わっちゃダメ」

 耳打ちするホリィにショウは激しく反発する。押さえ付けがさらに強くなる。

「お、なんか言ったか?」

 兵士たちはすでにショウをロックオンしていた。聞こえないわけがないのだ。

「そこのガキだよ。こっちに来させろ。命令だ」

「いや、なんでもありません。夜通し働いてテンション上がっちゃってんです。気にしないでください」

 ホリィが愛想笑いで取り繕う。

「ハ、そうかよ」

 兵士も機嫌がいいのか、子供一人に目くじらを立てるのはやめようと思った。

 が、その兵士は子供の下げる麻袋に目をとめた。血が滴っている。ショウの戦利品だった。

「その袋はなんだ?」

「いえ、いやぁ」

 ホリィは頭をかいた。

「なんだと訊いている? 返事がないなら勝手にあらためるぞ」

 仕方なく、ホリィは「ごめんね」とショウの袋を取り上げ、兵士に渡した。

「おい、ハリー、またもゴブリンの指だぜ!」

「ホントかよ、儲けたな!」

 ショウは我慢ならず、拘束を振りほどいて進み出た。

「返せ。それは戦ったオレたちの物だ。臆病者のクズが持っていいものじゃない」

 ごまかしようのない言葉と態度だった。ホリィはもうとめるのは不可能だと思った。だが一方で、無謀な勇敢さに感動もしている。

「オレたちがクズだとぉ……!」

 一人は顔面に怒りを讃えて吼えるだけであったが、ハリーは言葉よりも行動が速い。

 ショウの顔をめがけて拳が飛ぶ。

 少年は後ろに引いてよけた。兵士は自分の拳の勢いに負けて、回転しながら転んだ。

 その無様さに失笑が漏れる。

「おまえ、わかってんだろうな? 兵士に……いや、オレにケンカを売るってのがどういうことか」

 ハリーは立ち上がりながら剣を抜いた。

「おまえたちはクズだ。人を守るべき兵士が、やぐらに立て篭もって味方に罵声を浴びせて他人の獲物を掻っ攫(かっさら)う。そんなのが兵士だって言えるのか? 恥ずかしくないのか!?」

 ゴブリン襲撃の際、物見やぐらにはこの二人の兵士がいた。が、彼らは必死になって戦っていたタカシとジューザを見捨てたばかりか、撃退できない二人をなじっていた。ショウはその怒りを忘れていない。

「こ、こいつ!」

 兵士にはもう、手加減する理由がなかった。彼、ハリーは代々サウス公爵家の近衛騎士長を勤めてきたガネシム家の三男に生まれ、不自由のない人生を歩んできた。いずれは騎士にもなろうという身分の者が、召喚労働者サモン・ワーカーなどと呼ばれる人外アリアン虚仮コケにされる言われはない。下等生物で、奴隷階級で、家畜以下の存在に、自分を否定する権利はないのだ。いや、そもそも口を利く資格すらありはしない!

 兵士の剣が唸る。

 ショウは盾で受けた。衝撃はゴブリン以上であったが、技術もなければ覚悟もない棒遊びだ。そんな攻撃をショウは怖いとは思わない。

 押してくるハリーにショウは盾をずらす。剣がすべり、ハリーはたたらを踏んだ。そこに足を引っ掛け、転倒させる。

「みんなにあやまれ。戦ってくれた人たちに感謝しろ。命を懸けた人たちに敬意を示せ」

 剣を杖に立ち上がろうとするハリーに、ショウはメイスで剣の腹を叩き、撥ね飛ばした。

 ハリーは支えを失い、また膝をついた。誇り高き剣は畑に刺さり、泥にまみれた。

「オレが、膝を……? こんな汚い地面に、膝を……」

 恥辱に震えるガネシム家三男に、少年はバカらしくなってきた。どうせこんな人間は反省もしなければ、かりそめの謝罪もしないのだろう。かまうだけ時間の無駄な気がした。

「帰ろう、シーナ」

「うん」

 シーナは差し伸べられた手を掴んだ。

 戦利品を回収して立ち去ろうとする一団に、前方から馬を飛ばしてやってくる騎馬隊が近づいた。

「これはどういう状況か? なぜ兵士が倒れている? 説明を求める!」

 先頭の偉丈夫が人を圧する声を上げた。

「ヤバ、兵士長のエレファンだ……」

 ホリィは困惑し、どのようにごまかそうか考えたが、何も浮かばなかった。

「エレファン兵士長、ライリ・アフであります。あそこのいる異世界人が、ハリー・ガネシムに暴行を働きました!」

 この場にいたもう一人の兵士が敬礼し、申告する。

「事実か?」

 ショウは兵士長の眼力にたじろぎ、「はい」と答えた。

「でもこれには理由があって――!」

「黙れ。……拘束し、牢に入れておけ」

 後ろの騎馬兵に命令を出し、エレファンは東に進路をとった。彼の本来の目的は畑の視察である。些細なケンカにかまっている暇はなかった。

 ショウは両手首を縛られ、騎馬兵が持つロープに引かれて町へと連行されていった。

「ショウ!」

 シーナが叫ぶが、ショウには応える暇さえなかった。

「これ、大丈夫ですよね?」

 シーナがホリィに訊ねる。だが、彼女にも答えられない。

「ともかく、管理局に戻って報告しよう。どうにかしてくれるかもしれない」

 それが気休めであるのはホリィにもわかっていた。今まで兵士がらみで問題があったとき、管理局が頼りになったためしがない。だから皆、兵士には関わりあわないように沈黙し、目を逸らせてきた。この地には、偏った『正義』しか存在しないからだ。

 報告を受けた異世界人管理局の幹部は緊急会議を招集した。異世界人は知らぬところであろうが、今回の被害者は大物の子息である。騎士階級とはいえ、ギザギ国・名士禄に名を残す人物だ。さらにその上には、ギザギ国四大貴族にしてこの一帯を治めるサウス公爵がいた。異世界人管理局の職員など、簡単に吹き飛ぶのである。

 その事情を鑑みて、彼らが下した決断は『我関せず』であった。先方の気が済むようにどうぞ、というわけだ。彼らにとって異世界人の命などどうでもよいのである。

 それから五日、ショウは一度だけ兵士長エレファンの尋問を受け、以後は地下牢に閉じ込められたままだった。

 エレファンは高圧的ではあったが、ショウの言い分はすべて聴いた。だが、感想も結論もなく、投獄は続いている。

 ときおり食事が運ばれてくるが、カビたパンやすえた臭いのするスープだった。何か入っているのではないかと、いっさい手はつけなかった。

 何もできず、寝るしかない少年に、ときおりあのハリーという兵士がやってきては水をぶちまけて起こしていく。石畳は冷たく、体が震えた。

「これも冒険て言うのかな……。有名な赤毛の剣士は、なぜか大国に追われてたっけ……。こんなとき、あのゲームなら仲間が壁を壊してやってくるんだけどなぁ」

 ゲームのキャラクターを思い出す。ずいぶんと懐かしく感じた。

「壁を壊すのは面白そうだけど、鍵があるのだからそのほうが早いわよね」

 ボーっとする意識に、一つの影が集約していく。鉄格子のむこうに誰かがいた。女性の声。シーナか、アカリか、アイリか……。それは事実の確認ではなく、彼の深い願望であった。みんなに会いたいという、ささやかで、強い気持ち。

「とりあえずそこから出て、お風呂でも入って。臭くて話もできないわ」

 開いた鉄格子から二人の兵士が入ってきてショウを抱えた。少年にはもう抵抗する体力はなく、引きずられるままに連行された。

 されるがままに従った結果、ショウは町の時計塔を目の前に、清潔なテラスで食事をしていた。体は綺麗に洗われ、用意されていた新しい服を着て、口いっぱいに食べ物を詰め込んでいる。なぜだか食べれば食べるほど体力・気力ともに満ちていく気がした。ショウは知らぬところだが、食事だけではなく、このエリア全体に魔術による癒しの効果がかけられていた。

 胃が落ち着くころを見計らったのか、一人の女性が姿を現した。

「アリアド!?」

 ショウは驚き、立ち上がった。

「はい、アリアド・ネア・ドネです」

 アリアドはショウの正面に座り、自分でお茶を淹れた。絵になる姿だと少年は思った。

「でさー、ぶっちゃけキミ、何したわけ?」

「……は?」

 眼前の美人が、いきなり砕けた言葉を使い出した。

「ん? なに?」

「いや、そういう性格……?」

「性格? ああ、そうね。公私混同はしないタイプなの。できる人間でしょ、わたし?」

「自分で言うんだ……。というか、それ、公私混同とは違うんじゃ……」

「気にしないの。まぁ、キミのおかげでこうして羽を伸ばせて感謝してるわ。もうこのところぜんぜん勇者候補が捕まらなくてさ、上も下もせっついてくるのよ。そんな簡単に見つかるなら、とっくに見つけてるって。なんでそれがわからないのかしらね。そう思うでしょ?」

 ショウは勢いに負けてうなずいた。

「でしょー? さすが当事者にはわかるわよね。自分が勇者どころか候補にもなれないって。そんなの何人集めたって仕方なくない?」

「さすがにそこまでディスられると悲しいものがあるんだけど」

「あ、ごめんね。普段こういう話できる人いなくて、悪いけど少し付き合ってよ」

「いやいや、そのまえに、あんたなんでここにいるの!?」

 ショウがツッコむ。ツッコむしかない。

「なんでって、なんだっけ? ああ、兵士に逆らってケンカしたバカがいるって聞いて見に来たの」

「え、そんな理由? あんた、けっこう偉い人じゃないの? 兵士との揉め事がそんなに珍しいわけ?」

「珍しくはないわね。でも、今回の相手がハリー・ガネシムだから、わたしの耳にも届いたのよ」

「あの兵士、有名なの?」

 ショウは不機嫌になった。

「良いほうじゃなくね。彼の父親が、このサウス領・領主の近衛騎士長なのよ。質実剛健、周囲からも、もちろん公爵からも信任が厚いわ。長男・次男もいい男で、どちらかが間違いなく次の騎士長になるだろうと噂されてる。でも、三男のハリーはねぇ……」

「クズだな」

「そうなの、クズでゲスなのよ。あろうことか、わたしに言い寄ってきたこともあってね、ま、見る眼はあるわね。でも、あれはダメでしょ?」

 ショウは力強く同意した。

「というわけで、あのクズにクズと正面きって言ったお馬鹿な人を見たくて来たの。父親が有名だと、なかなか言えないでしょ、フツー?」

「そんなの知らないから」

「そうよね。さすが異世界人、怖いもの知らずよね。で、ことの顛末、はじめから聴かせてもらえる?」

 アリアドが新たなお茶を注ぐ。

 ショウはあの夜の出来事を話した。一部、ハリーのクズっぷりを誇張はしたが、都合よく改変はしなかった。する必要もない。

「なるほど、嘘はないようね」

「嘘?」

「いちおう聴取だから嘘がないか調べていたの。しかしまぁ、兵士の風上にも置けないクズね。エレファンが参るのもわかるわ」

「エレファンて、兵士長?」

「そ。あれの直属の上司だからね。で、彼の上位にガネシム騎士長がいる。わかるでしょ、めんどくさい関係が」

「なんとなく……」

「エレファンはね、いい兵士よ。子供のころ近所に住んでたお兄さんで、遊んでもらったこともある。そのころから正義感にあふれていて、だから守備隊兵士になった。真面目すぎて損をするタイプね。もっと気を緩めてもいいのに、気苦労背負い過ぎ」

 アリアドは笑った。彼を馬鹿にするものではなく、それがいいところなのだとわかった顔で。

「だからオレ、放置されてたんですか?」

「ええ、おそらく。ハリーは厳罰を望んだんでしょうけど、エレファンはどちらが正しいかわかっていた。でも父親の手前、何もせず釈放もできないから禁固刑にしてたのよ。ずいぶん緩いけどね。で、それとなくわたしが知るように仕向けた」

「なんで?」

「わたしこれでも召喚庁長官よ? 騎士長よりも断然偉いし、話もわかる。だからわたしが口ぞえすれば、あなたは即釈放ってわけ。かわりにわたしが疎まれるんだけどね。ま、それも慣れてるし、別にいいかなって」

 冗談ぽく笑うアリアドに、ショウは言葉がすぐに出なかった。やっと出た言葉は、感謝と謝罪だった。

「……ありがとうございます。ご迷惑かけてしまってすみません」

 ショウは頭を下げた。

「いいってば。それにわたし、こうして自分が召喚した(呼んだ)相手と話す機会ってなかなかないのよね。だからちょっと嬉しかったりする。同じ人と会うのは、だいたいその人が元の世界へ帰るとき。このあいだは、アイリという女の子と会ったわ」

「アイリ!?」

「知ってるわよね? あなたのお友達だった子。実はね、彼女からあなたの名前を聞いていたの。何人かいる『ショウ』の中から探すのは面倒だったけどね」

「なんで彼女が……?」

「彼女は帰る前に、わたしに一つの質問をしたわ。わたしは逆に訊いた。なぜそれが知りたいのか。元の世界に帰る彼女には、もう関係のない話だったのに。そうしたら彼女は、あなたの名前を出したの」

「なんで?」

 ショウは知らずうちに前のめりになっていた。それをアリアドは好ましく思う。アイリの本当の答えを見ている気がする。彼女はただ――

「それは言えない。で、わたしはその問いに答えた。彼女は満足して帰って行ったわ」

「そっか……。よかった」

 ショウは重荷の一つがおりたような気がした。別れを言えなかったのがずっと心残りだった。手紙をもらって、一方通行の感謝だけを受けて、自分は何も返せなかった。たぶんその場にいても気の利いたことも言えなかっただろう。だとしても、見送るくらいはしたかった。

「彼女がなにを訊ねたか、気になる?」

「どうせ教えてくれないんだろ?」

「もちろん」

 アリアドはニヤッとした。

「なら別のことを訊きたいんだけど、いい?」

「なに?」

「この町に来てからずっと思ってたんだけど、異世界人オレたちってあんまり歓迎されてないよな?」

「そうね。一般的にはあまり好意的ではないわね。でもそれは仕方がないでしょ。人から見て異質な存在は忌避されるものだから」

「うん、それはわかるんだ。だからこそわからないのが、なんでそんな状態を放っておくのか、そしてなんでわかってて召喚なんてするのか」

「ふむ」

 アリアドは腕を組んだ。このような話を異世界人とするのは久しぶりだった。あのとき話したのは祖父が召喚した年配の異世界人だった。彼は目の前の少年よりも過激で、「おまえらが認めないならオレたちは勝手にやるぞ」と冷徹な瞳で静かに怒りをぶつけてきた。その結果が、異世界人のもう一つの組織である。

「前者の回答はこう。そういうのは上から命令したって何も改善しないから。次のは便利だから」

「便利? 召喚するのが?」

「ええ。もともと召喚が行われたのはこの国がピンチだったから。そしてそれをあなたの大先輩がたった一人で解決した。だから勇者召喚が業務にまでなったの。強い戦士を育成するのは大変だから、召喚で済むならそうしようってことね」

「う、うん、まぁ、わからなくもない……」

 ショウは納得しかかるが、しきれない。

「なにより死んでも気にかけない。そう言えばわかるかしら」

「あ……」

 その冷淡な言葉でショウは完全に納得できた。マルマ人にとって、異世界人は自分たちの代わりに戦わせるための駒に過ぎないのだと。

「わたし自身はそんなつもりはないのだけれど、信じられないわよね」

「……」

 ショウは眉根を寄せたままだった。

「なんにせよ、ここへ来るのを望んだのはあなたたち自身よ。帰るチャンスも与えていたし、何をして欲しいかも伝えてある。あなたもわかっていたはずよ。あとは覚悟を決めて生きていくのね」

 アリアドは立ち上がった。

 ショウは何かを言おうとしたが、言葉が出ない。

 歩き去るアリアドの衣擦れの音だけが聞こえる。

「……選択肢は無限よ。その無限の中の一つを、は形にし、アイリちゃんは夢にして帰ったの。あなたはどうかしらね」

「……!」

 ショウは反射的に立ち上がり、アリアドの背中を見た。『彼』というのが誰かはわからないが、その『彼』は何かを成したのだ。そしてアイリも答えを見つけたのだろう。

「あの子を失望させないでね。……そうそう、もう一人の面倒もよろしく。どうもあなたをお気に入りらしいから。では、さようなら」

 ショウは意味がわからないまま、アリアドを見送った。

 その後、ショウは解放された。

 第一防壁の関所から出ると、そこにシーナがいた。

「ショぉぉぉ~!」

 感激して抱きついてくる。ショウは荷物を落として抱きとめた。

「心配かけて悪かったね」

「ホントだよ。釈放されるって連絡があって朝から待ってたんだから」

「連絡って、誰から?」

「パーザさんが教えてくれた。あー、でもよかったよー!」

 さらに強く抱きついてくるシーナの背中を、軽く叩いてやる。

「とりあえず管理局に戻ろう。報告をして、あの日の報酬をもらわないとな」

「うんっ。今日はわたしがご馳走してあげるからね」

 シーナと並んで歩く。

「仕事はしてたの?」

「あんまりやる気はなかったんだけど、考え込んでいてもしょうがないってみんなに励まされてね、畑作業やってた」

「ゴブリンはどうなった?」

「相変わらずちょこちょこと出てくるみたい。わたしは昼仕事だから遭遇してないけど、夜にはときどき」

「そうか……。薬草採取もまだ無理?」

「うん。根本的にどうにかしないとマズイみたいな話になってる。近く山狩りをやるとか」

「山狩りか。オレたちは参加しないだろうけど、みんな、怪我しないで欲しいな」

「だね。……ところでショウ、意外と元気だよね? 牢にいたんじゃないの?」

 シーナはショウの体をジロジロと見る。怪我の一つもない。

「いたよ。五日間くらい食べてなかったし、よく寝られなくて睡眠不足だった。で、今日になって牢から出されて、風呂と食事が提供された。それで体力が戻った。魔法かなんかかな」

「え、なにその鞭と飴」

「なんか、管理局の偉い人が口を利いてくれたらしい」

 ショウはアリアドのことは言わなかった。

「へー。たまにはやるじゃん。わたしたちが訴えたときは完全無視されたのに」

「そういうフリも必要だったんじゃないか? 示しがつかない、みたいな」

「なるほどねー。ツンデレだね」

 ショウは笑った。

「そういや、元祖ツンデレはどうしてる?」

「アカリのこと? 心配はしてたけど、仕事には行ってたよ。パン屋寄ってみる?」

「いや、それこそ仕事の邪魔だろ」

 そんな雑談をしながら、管理局へと向かった。

「ああ、ショウさん、お帰りなさい」

 管理局の扉を開けて早々、ツァーレ・モッラが光の神(シャイネ)の印を切る。

「元気そうでよかったです。大変でしたね」

 ベル・カーマンは、わざわざカウンター席から出向いて労った。

「今後はくれぐれも迂闊な行動は控えてくださいね」

 パーザ・ルーチンは一瞥いちべつしただけで、すぐに手元の書類に眼を戻した。

 三者三様のあいさつを受け、帰ってきたという気持ちが湧き上がる。

「あ、そうだ。装備を返さないと」

 目の前のベルに、ボロボロになった兜や鎧を見せる。

 ベル・カーマンは困った顔をした。

「かなり痛みましたね……。まずは修理が必要になりますね」

 ショウが身につけていた物は実戦を経ているので穴まで空いていた。

「それはもう使い物にはなりません。廃棄しますが、必要なら持っていってもかまいませんよ」

 パーザが無関心そうにショウたちを見た。

「もらっていいの?」

「廃棄物扱いですから、お好きにしてください」

「でも、直せばまだ――」

「すでに新しい物も入荷しています。そもそも傷だらけの鎧など危険です。誰が使うんですか」

 そう言われると反論も出ない。

「儲けたね! 感謝してもらっておきなよ」

「そうだな。パーザさん、ありがとう」

 シーナが笑い、ショウも笑った。

 お礼を言われたパーザは「使うのでしたら修理をしたほうがいいですよ」と、また書類に戻った。

 ショウは未払いだった先日の巡回作業の報酬をもらい、目的地に向けて管理局を出た。

 二人は今までずっと憧れていた店へと向かった。異世界人管理局で教えてもらった武具屋である。

 ファンタジー・ゲーム好きとしてはまず何よりも見学したい場所であったが、リアルではお金も用事もなく行くところではない。こういうところは頑固で厳つい中年男が出てくると相場が決まっている。冷やかしで入ろうものなら怒鳴られること間違いはない――と信じて、ショウは行かなかったのである。

 しかし今回は大義名分があった。

 中区7番街のど真ん中に、その店はあった。屋根には剣と盾のレリーフが存在感を誇示し、店の周りにも剣や鎧が立てかけてある。

 ショウとシーナは感動した。

「これだよね? RPG(ロープレ)といったらこれだよね!」

「おう、これだよっ。うわ、ワクワクする!」

 二人ははやる鼓動を抑えて扉を開けた。

「いらっしゃーい」

「……あれ?」

 所狭しと武具が置かれた店内の小さなカウンターには、若い女性がいた。しかも、知った顔である。

「ホリィさん?」

「あ、ショウ、釈放されたんだ? よかったぁ。ごめんね、役に立てなくて。あー、でもホント、よかった」

 ホリィはカウンターから出てショウを抱きしめ、背中をバンバンと叩いた。圧に潰されそうだった。

「なんでホリィさんがここに?」

 真っ赤になりながら押し戻し、ショウは訊いた。

「あたし、鍛冶師志望なんだよね。自分で剣とか作りたくてさ。訓練所で基本は学んだけど、やっぱり親方の下で修行するのが一番かなって。それにこないだのあれでつくづく思ったんだ。あたしは戦いには向かないってね」

「女だてらに鍛冶やりてーなんて、バカなヤツだろ?」

 店の奥から、今度こそ店の主人と思しき男が出てきた。ショウの想像どおりの外見である。

「自分で選んだ仕事ができるって、いいと思いますよ」

「でしょ? ショウはわかってるね。さすが兵士にケンカを売るだけあるよ」

「それ関係ないし」

 シーナが静かにツッコむ。

「そうか、この小僧が言ってたヤツか。なるほど、いい面構え……は、してねーなー」

 親方が大笑いした。いっしょになってホリィも笑っている。

「これ、修理頼めますか?」

 ショウは苦笑いしながらホリィの前に硬革鎧ハード・レザー革兜レザー・ヘルム、それに鉢金はちがねを並べる。

 ホリィは親方から腕試しにやってみろと言われ、作業にかかった。


 異世界人管理局の三階では、総務部・部長カダスが安全保障課・課長から報告を受けていた。

「なに、アリアドがこの町に来ている?」

「いえ、もう王都へ戻ったようです」

「何をしにだ? まさか、この前のガネシム家の三男坊の件ではないだろうな?」

「どうもそれらしいです。あのとき捕まったショウという召喚労働者ワーカーを釈放し、二人で密談をしていたと聞いています」

「召喚庁長官が異世界人一人のためにここまで来て、しかも密談だと? 怪しいな……」

「そう思い、そのショウとやらを調べてみたのですが……」

「何か出たか?」

「いえ、それどころか、この世界に来てまだ三週間も経っていません」

 総務部長は「ふむ」と考え込んだ。

「何かあるならそのうち尻尾を出すだろう。いちおう監視をしておけ」

「わかりました」

 安全保障課長が退出すると、総務部長カダスは思案に沈んだ。ショウという者がアリアドの息がかかったスパイであるなら、逆用するなど使い道もある。違うとしても目をかけるほどの者だ。いずれ何か役立つだろう。ショウのファイルを、総務部長は鍵つきの引き出しに閉まった。


 ショウの夕食は久しぶりのコープマン食堂だった。

 シーナとアカリも同席していて、赤毛の少女は食事が届くまでショウにお説教をしていた。

 その途中、珍しくリーバがやってきた。彼は現在、縫製工場そばの民家に下宿しており、町の反対側になるこちらのほうには来なくなっていた。

「それじゃ今日は何の用で来たのよ?」

 アカリに問われ、リーバは異世界人管理局アリアン・専属召喚労働者セルベントの制服デザインを任されている話をした。その候補作を管理局幹部に見せに来たのだという。

「制服、いいなぁ……」

「暇があったら君たち専用の服をデザインしてあげるよ」

 シーナがしみじみとこぼすと、機嫌がよいのか、リーバにしては珍しく冗談を言った。

 しかし、そんな冗談が通じる三人ではない。ものすごい勢いで食い付き、リーバは念書まで書かされるハメとなった。

 リーバは「暇があったらだからな」と焦りながら帰っていく。

 「オレたちも帰るか」とショウが自分の荷物に手を伸ばしかけたとき、正面の二つの荷物に気付いた。アカリのカバンである。

「……アカリのカバン、ずいぶんパンパンだな」

 一つは彼女が出会ったころからの物で、もう一つの白い肩掛けカバンはアイリが使っていた物だ。

「なんだかんだで物って増えていくのよね。あんただってその鎧、着て歩くわけ?」

 ホリィに修理してもらった鎧入りの麻袋を、アカリは指さした。

「さすがにないな。でも持ち歩くしかないし……」

「あ、荷物といえば、これ、ショウの?」

 シーナが自分のカバンからハンカチを出した。正確には、そのハンカチに包まれていた物を、だ。

「あのとき、失くしたと思った」

 ショウはそれを取り上げた。金属製の髪留めだ。樹脂で鮮やかな黄色のコーティングがされている。

「それって……」

 いっしょに覗き込んでいたアカリは少し驚いた。見覚えがある。

「やっぱりショウのなんだ? 畑にあったよ。ゴブリンと戦ったときに落としたんじゃないかな」

「ありがとう」

 ショウは柱にかかるランタン照明にそれを照らす。樹脂に反射して光った。

「それってアレに似てるわね。インフィニのエルティナが、普段着で食事をとるシーンで出てくるやつ。髪をわずらわしげに左手でかきあげてると、クライヴがそっけなくそれと似たような髪留めを――」

 ウンチクを語るアカリに、ショウはそれを差し出した。

「……なによ?」

 アカリは髪留めとショウを見比べた。

「あげる」

「はぁ?」

 彼女は驚くというより、理解不能を示す表情になった。

「日曜日に市場で会ったとき、買い物の邪魔したろ? 悪いことしたと思って買ってみた。エルティナの普段着バージョンはイラストで見たことがあったから、それに似てるなって」

「……」

 アカリは無言でそれを見ている。

「ホントなら、見ていたネックレスのがいいんだろうけど、さすがにあのときは余裕がなくて買えなかった。安物だけど、あの服にはこっちがいいかと思うんだ」

「……」

 アカリはまだジッと見ている。

「受け取らないの?」

 はたからやり取りを見ていたシーナが、動きのないアカリに痺れを切らした。

「……受け取る理由がない」

 アカリは生真面目に答えた。いつもの図々しさはどこへいったのだろうと二人は思い、シーナにいたっては声に出していた。

「いつもの図々しさはどうしたの?」

「あたしのどこが図々しいのよ!」

 反射的に反論するアカリに、今度はシーナが真顔になった。

「……アカリ、自覚ないにも程があるよ?」

「ええっ!?」

「いい、アカリちゃん。男の子からプレゼントをもらえるなんて今のうちだけだよ? そのうち見向きもされなくなるかもだよ? たとえそれがショウからだとしても、一生懸命考えて、悩んで、神経をすり減らして選んでくれた物だよ? アカリに似合う、アカリ最高って想像しながら、日々の糧を捨ててまで買ったんだよ? そこらへんを考慮してあげてもいいんじゃないかな」

「いや、そこまで考えてないんだけど。ていうか、『たとえオレから』ってなんだよ?」

 ショウのツッコミはスルー。

「わたしなら喜んで受け取るね」

「そこまで言っておいて受け取るのか!」

 シーナはまた、真顔になった。

「わたし、日本で男の子からプレゼントなんてもらったことないもん」

「そ、そうか……」

 ショウはそれ以上いえなかった。

「……わかったわよ。受け取るわよ」

 アカリはそっぽを向いて手を伸ばす。ショウはその手に髪留めを落とした。

「まぁ、いちおうお礼は言っとくわ。ありがと」

 二人の姿にシーナはほっこりとした。

「せっかくだからつければいいのに。見たいなー。見たいなー」

「ゼッタイつけないっ」

 「えー?」と不服を訴えるシーナに、アカリは無視を決め込む。

「気が向いたらでいいよ。それこそコスプレ向きだし」

「そうね。気が向いたらつけないこともないわ」

 アカリの顔は少し赤らんでいた。

「それじゃ、行こうか」

 三人は食堂を出て歩き出した。方向は管理局ではなく、宿屋街だった。シーナとアカリは二人部屋を借りており、ショウも今日からは宿暮らしとなる。

「二人部屋より四人部屋のほうが単価は安いのよねぇ」

「四人目探す?」

 アカリのボヤきにシーナが訊いた。

「え、それはオレもいっしょってこと?」

 ショウが驚いて訊き返す。

「別にあんたなら無害そうだし。切実、安いほうが助かるのよ。毎日のことだから」

「わたしもいいよ。ベッドごとにカーテンでも引けば問題ないでしょ」

「二人がいいならオレだって安いほうが助かるけど、四人目はそれで納得するのか?」

「探してもいないうちにわかるわけないでしょ。とりあえず今日のところは三人で借りてみる? 三人で四人分払っても別々で部屋借りるより安いし」

「だね。というかもう、考えるのが面倒。明日のことは明日考えたい」

「わかる」

 ショウも同意だった。牢から出られて仲間と会い、気が緩んでいる。ようやくゆっくりと寝られるというのに、これ以上考えごとはしたくなかった。

 その日三人は、今までのストレスから解放されたように深く眠った。

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