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第二章 アリアン・セルベント [前編]

 ショウがマルマ世界に来て二度目の日曜日となった。前回の日曜日は彼が召喚された日で、曜日も日付もわからないまま一日を過ごし、ブルーと出会った。

 一般市民にとっては待望の休日であるが、ショウは今や学生ではなくフリーターだった。ゆえに彼は多くの人間が休日を満喫しているときに、朝から市場での品出し作業に勤しんでいた。以前にも請け負った店で、現場のリーダーも変わらずイソギンチャクという先輩召喚労働者(サモン・ワーカー)だ。元・大学ラグビーの選手だけあって、体格はショウの40%増しである。

 空の木箱を片付けながらイソギンチャクと雑談をする。彼は昨日でレベルが3に上がったらしく、今日がこの現場の最後の日だった。その話を聞き、不意にカッセとリラのコンビが脳裏に浮かんだ。あの二人との別れを思い出し、寂しさがわいた。

 12時の鐘が鳴る。作業は早めに終わり、ショウはそのまま市場に残った。異世界人管理局へ戻っても休日ゆえに窓口は開いていない。報酬は明日まで待たねばならなかった。ならばと昼食ついでに屋台を物色していく。ついでに何か珍しい物や、役立ちそうなアイテムでもないか漁っていた。

 人ごみの中で目を引く人物を発見した。正確にはその人間ではなく、衣装が目についたのだ。あれはこの世界でも一着しかない希少価値の高いものだった。

「アカリ」

 背後から声をかける形となり、彼女は驚いて振り返った。露店を覗いていたらしく、手にはキラキラと光るネックレスが握られていた。

「……ビックリしたぁ。なによあんた、こんなところで」

「こんなところってことはないだろ。オレたちが暇を潰せるところなんてここぐらいしかない」

 彼らは就労レベルが2に上がり、召喚労働者サモン・ワーカーの第二講習を受けて一時的な町外活動は認められたが、危険度を考えれば町の外区域すら不安がある。となれば他に娯楽施設もないので市場か公園くらいしか楽しめる場所はなかった。

「ま、そりゃそうね」

 アカリは不意打ちから復活したのか、いつものふてぶてしい顔に戻った。

「それ、着てるんだな」

「着ないのも悪いじゃない」

 アカリの服は、アイリが残したワンピースだった。ゲームの『インフィニティ・ハーツ3』に出てくる騎士エルティナの普段着と同じようなデザインである。そして今、アカリが持っているネックレスは、エルティナの装飾とよく似ていた。

「オレ、ファイ・オニ派でインフィニやってないんだけど、いいな。似合ってるよ」

「そ、そう? ありがと」

「でもたしか、エルティナって金髪だよな。赤毛なのが惜しいな。サイド・テールほどけば、長さは合いそうなのに」

「うっさいわね。アカリはそういうキャラだからいいのっ」

 ショウは「え?」と軽く驚いた。

「原作キャラなのか? なんの?」

 アカリは顔を赤くして、そっぽを向く。

「うっさいなぁ。どうでもいいじゃないっ」

「んー、ゲーム……? アカリなんて名前、ありふれてるからなぁ……」

「もういいって言ってんでしょ!? あたし帰る!」

 手にしていたネックレスを露店商につき返し、アカリはさっさと行ってしまった。

「悪いことしたかな……」

 まさか逃げるとは思いもせず、ショウは反省した。

「にーちゃん、にーちゃん。カノジョを怒らせたときはプレゼントが一番ですぜ。今なら安くしとくよ?」

 商人がアカリの持っていたネックレスを見せびらかす。

「カノジョじゃないんだけど……」

「だとしてもさ、仲直りはしなきゃ」

「ん~、ちなみにそれいくら?」

「銀貨7枚――のところを5枚にまけるよ」

「2500円かぁ……。う~ん……」

「このぉ、にーちゃん、商売上手め! 4枚でいいよ」

「うーん……」

 ショウはしばらくその場で悩んだあげく、買わずに立ち去った。


 ショウは陽気のよさに誘われるように町の散策を続けた。考えてみればこの一週間、ナンタンの中区、それも南側しか歩いていない。主に仕事の都合なのだが、いい機会だと思って北側へ向かった。

 そのためにまず内区と中区を隔てる第一防壁へ行き、壁伝いに北を目指そうとした。ついでに関所も見てみたい。うまくすれば少しでも内区の様子がわかるかもしれない。

 第一防壁までは10分もかからなかった。高さ5メートルほどの石壁が続いており、壁越しに綺麗な屋根が見える。家の大きさも中区とは異なり、高さも広さもありそうだった。

 左手を壁に押し付けるように進んでいく。すぐに関所らしき門が視界に入った。

 多くの荷馬車に混じって、人だけが乗る豪華な馬車も行きかっている。

 その片隅がやけに騒がしい。どうも只事ではなさそうな雰囲気だった。

 兵士二人が銀髪の少年を門に近づけまいとしていた。少年は顔立ちからして日本人であるのがわかる。肉体変換のさいに整形で髪の色を変えたのだろう。少女かとも思ったが、体型で男だとわかった。

 彼の目が、成り行きを見守っているショウを捉えた。瞬間、ニンマリと微笑む。ショウとしては嫌な予感しかしない。典型的な巻き込まれイベントに遭遇した気分だった。

「ねーねー、キミ、日本人でしょ? ちょっとこの人達に話しつけてくれないかな」

 やっぱり、とショウは思ったが、こうなっては仕方がなかった。

「たしかに日本人だけどさ。力にはなれないと思うよ? オレ、こっちにきてまだ一週間だし」

「大丈夫、ボクはついさっき来たばっかりだから!」

「何が大丈夫――って、来たばっかり?」

「うんっ。だからいろいろ珍しくて歩き回っていたんだけど、どうしてもこの先に入れてくれないんだよ」

「この先に行くには許可証が必要なんだよ。だから今は無理」

「同じ町でなんで許可がいるの? 大使館とか自治領とかいうヤツ?」

「どっちでもないけど、偉い人の住むエリアだから一般人は入れない」

 第二講習で得た知識を活かし、ショウは説明した。

「あー、特権ヤロウのエリアか」

 彼は口汚く吐き捨てた。それを聞いた兵士の表情がこわばる。

「キサマ、今なんと言った!」

「え、聞こえなかったの? 耳悪いね。とっけ――」

 「わー!」ショウがあわてて口を塞ぐ。

「すいません、今日来たばかりの何も知らない異世界人で、これからきちんと教育します! では!」

 「なんだい、教育って」と憤る銀髪少年の腕を取り、ショウは壁からダッシュで離れた。

 兵士の一人は追う素振りを見せたが、もう一人が「かまうな。異世界人アリアンだぞ」と相棒を止めた。

 そんな背後の状況を観察する余裕もないショウは、息切れするまで走った。

「……もう、追って、来ない、か……」

「初めから来てないけどね」

 彼はさもおかしそうに笑った。息切れ一つしていない。

「あ、そう……」

 全力で走った自分が馬鹿みたいに感じ、ショウはヘコんだ。

「そうそう、名前がまだだったね。ルカだよ」

 笑顔で名乗る少年はとても男とは思えなかった。男装している少女のようにしか見えない。一瞬ドキッとしてショウは自分を叩きたくなった。

「オレはショウ。よろしく……」

 とても『よろしく』な表情ではなく、握手を求める。ルカは気にせずに手を握り返した。その感触も柔らかく、とても男とは思えない――と感じて、ショウはさらに壁に頭を打ち付けたくなった。

「さて、ショウ。これも何かの縁だし、いろいろ教えてもらおうかな」

 「あー、うん」どうにもやる気が出ないが、召喚初日の人間を放っておくわけにもいかない。

「じゃあ、ハンドブック出して。もらってるでしょ?」

「もらったよ。でも落とした。あはは」

 ルカは笑った。

「マジか。少しは読んだ?」

「いや、ぜんぜん。ホールを飛び出して、ずっとフラフラしてたからね。その途中で落とした」

「それでよく笑ってられるな。怖いとかないの?」

 自分がその立場ならかなり怖いと思うだろう。知る人のいない、どことも知れない場所にいきなり放り出されるのだから。たった一冊の本でも、頼るものがないよりは心の持ちようがぜんぜん違う。一週間前のショウも到着と同時に街へ飛び出しはしたが、ハンドブックだけは失くさないように気にかけていた。

「怖い? なんで?」

「なんでって……」

「だって自分で望んで来た世界だよ? 言葉も通じる。それだけでどうにかなると思うだろ?」

「思わねーよ!」

 晴れやかに語る銀髪少年に、ショウは力いっぱいツッコんだ。

「ショウってけっこう心配性なんだね。男なんだから、もっと状況を楽しまなきゃ」

「男女は関係ない」

「それじゃ性格の問題かな。ボクはあんまり深く考えないから」

「幸せそうだなぁ」

 ショウは本気で感心した。彼くらい奔放だと、どこにいても楽しく生きられそうだった。

「幸せかどうかはわかんないけど、楽しいのはたしかだね。で、もっと楽しむためにはどうすればいい?」

「とりあえず異世界人管理局へ行こう。そこで簡単な説明を受けて、それからまた話をしよう」

「わかった。案内を頼んでいい?」

「いいよ。ハンドブックもないんじゃ、場所がわからないだろ」

「いやぁ、助かる。最初の友達がキミでよかったよ」

「友達……?」

「友達がイヤなら、戦友? だってボクたち、同じ道を志す仲間だろ」

「……そうだな。じゃ、友達で」

「改めてよろしく。で、ついでと言ってはなんだけど、お腹すいたな、ボク」

 ふてぶてしく言い放つルカに、ショウはもうあきらめた。いっそ清々しい。

「その顔はもう、目星をつけてるんだろ?」

「わかる? さっき見つけた屋台が、すっごくいい匂いさせててさ」

 先に立って歩き出すルカに、ショウは苦笑をもらしながらついていった。

 異世界人管理局に到着するまで間に、ルカは5軒の露店をはしごして満足するまで食べた。ショウ自身はすでに昼食は済んでいたので、ただたかられている状態だった。それでも最後まで付き合ったのは、相手が初心者であったのも理由の一つだが、ルカという少年が嫌いではなかったからだ。タイプとしてはマルに近いが、黒髪の少年と違い、ルカの言動には嫌味がない。両者とも言いたい放題だが、マルは皮肉や嫌味を混ぜるがルカは感じたままを言う。それが棘にならないから、話していても疲れないし面白い。

「ここが管理局」

「なんだ、出てきたところの隣じゃないか。どうせならつなげておいてくれれば外を出歩いたりしないのに」

 ショウも「やっぱりそう思うよな?」と力強くうなずいた。

 扉を開けて中へ入ると、いつもと雰囲気が違った。平日の真昼は人が少ないが、今のようにまったくいないのは珍しい。受付にも誰もいない。

「そうだ、日曜だから窓口もやってないんだった」

 カウンターへ向かう。職員の呼び出しに使う呼出鈴ベルも置いていなかった。声もかけてみたが返事はない。

 二階へ上がる階段にも立ち入り禁止のロープが張ってあり、上がれそうになかった。

「完全にお休みだ。講習は明日だな」

「仕方ないね。出直すよ」

 ルカはあっさりしたものだった。

「といっても、お金もないわけだろ? 初日が日曜の人はどうやって乗り切れって言うんだ?」

 ショウがシステム上の問題にグチる。考えてみると、ショウも日曜に召喚された口だ。もしブルーに出会わなければどうなっていたのだろう。そう思うと、今回ルカがショウと出会ったのは、その再現ではないだろうか。こうして世界は回っているのかもしれない。

「――なんて思うかっ。なんていいかげんなんだ!」

「まぁまぁ。彼女も悪気があったわけでもないし、許してやろうよ」

「彼女? ……アリアドか! そうだよ、あいつが呼び出したんじゃないかっ。ホント、無責任なヤツだよなぁ」

「ん~、それはどうだろう? 本当に無責任なら、こっちの都合お構いなしで適当な場所に放り出してるよ。それがこうして管理局なんて造ってる。けっこうマメで親切だと思うけど」

 ルカの言葉は頭に浮かんだ直感そのままだった。ショウはそれとわかっていたので、なるほどとうなずいた。

「とりあえず、管理局内なかを案内しようか?」

「うん、頼むよ」

 ショウのあとを、ルカは観光気分でついて行く。

「といっても、今、案内できるのは――」

 窓の向こうに見える裏庭と井戸と洗濯場、廊下の途中で診療室を、さらに歩いて休憩所とトイレ、最後にガラクタ置き場に到着。そこで持ち出しのルールを説明した。

「それじゃ、とりあえずこれをもらっておくかな」

 と、入り口近くの棚に置いてあったウエスト・ポーチを取った。

「それ……」

「ん? まずいの?」

 「いや」ショウは首を振った。アイリが置いていったポーチだ。戻してあったのを彼は知らなかった。肩掛けカバンはアカリが使っている。

「でもそれだけだと荷物が増えたときにぜんぶ持てないよ? ロッカーや家があるわけじゃないから、自分で管理しないとね」

「そっか。それじゃ、大き目のカバンもいるか……と、これでいいか」

 ルカは目についた背負い袋を拾い上げた。口紐だけではなく、底面にも布紐が縫い付けてあり、背中に背負って口紐と結んで固定できるようになっていた。

「普通のリュックもあるけど?」

「いや、これがいいな。このほうが冒険家っぽい」

 ショウは乾いた笑みを浮かべた。彼はまだ、自分が『冒険者』ではなく『労働者』であるのを知らない。

 ショウがそれを伝えると、当然のようにルカは驚いた。ついでに仕事や、町についても教えた。ショウが初日に熟練召喚労働者(サモン・ワーカー)のブルーから聞いたときのように、ルカも呆然としたのか無言だった。

 銀髪の少年が重い息を吐く。伝えたほうもため息がこぼれた。しかし、その呼気の意味は、二人ではまったく逆だった。

「すごいね、そこまで親切なんだ? 国内通行権が出るレベル3になれば自由じゃないか。まぁ、はじめの数日はしょうがないさ。オリエンテーションってことで手を打つよ。でもそのかわり、レベル3になったら好きにやらせてもらう。どのみち冒険にもお金は必要だしね」

 まくし立てるルカに、ショウはぽかーんとした。そして慌ててルカを諭す。

「え、聞いてた? ぜんぶ管理されているんだよ? どこにいてもわかっちゃうし、税金だってある。自由になんかならないんだ」

 ルカは首をかしげた。

「それでどうして自由にならないんだい? 要は犯罪行為をしなきゃいいだけだろ? それに税金だって払いたくはないけど、払えば済むじゃないか。だから位置がわかろうが関係ないよ」

「……!」

 ショウは衝撃を受けた。ルカの言い分は正しい気がする。『気がする』で止まったのは、大先輩であるブルーの言葉を先に聴き、真に受けていたからである。来たばかりの新人よりも経験豊富な先輩の言葉を真に捉えたいのは人の常識として普通である。

 だが、噛み砕いて考えてみればルカの言が正しいと思える。それに、ショウ自身の希望に沿う答えであった。冒険者をあきらめる必要がない。それはとても魅惑であった。

 天秤が傾くと、ショウはブルーの言葉を疑いはじめた。新人をからかって遊んでいたのではないかと。けれどそれも首を振る。彼は異世界に浮かれるショウに、間違いなく現実の一面を伝えていた。それがあったからこそ彼は暴走もせずに一歩ずつ進むことができた。一種のあきらめが地歩を固めてこられた要因である。

 第二講習を受けたとき、外の世界がどれほど危険かを改めて学んだ。知識もなく夢や希望にはやっていたら、きっとロクな結果にはならなかっただろう。現実を観たうえで目標を目指せばよい、それがブルーの言いたかったことではないか。それはショウの好意的な解釈であり、ブルーはただ単に新人に脅しをかけていたにすぎない。なぜなら彼自身がすでに冒険者としてギザギ国内漫遊を経験していたからである。

「大丈夫?」

 ショウが身じろぎ一つせず考え込んでいるため、ルカは顔を覗き込んだ。それに気付き、ショウは慌てて飛びずさる。接近されるとどうしても女顔が気になるのである。

「だ、大丈夫っ。ルカの考え方にちょっと思うところがあっただけ。……もう管理局には用がないし、また外を見に行くか?」

「そうだね。ここにいても仕方ないし」

 二人はそのまま夕刻まで街をぶらつき、最終的にはコープマン食堂に落ち着いた。

 先に食事をしていたマルやアキトシ、その後やって来たアカリやリーバにもルカを紹介し、共にテーブルを囲む。

 仲間が一人減り、一人が加わった。単純なプラス・マイナスとは言えないが、少なくとも昨日に比べれば明るさが増した夜となった。


 週明けの月曜日、アカリとアキトシは定番作業レギュラーにつくと決め、いくつかの候補から同じパン屋で働くこととなった。

 もう一人の仲間、リーバもまた縫製工場の仕事に定着していた。彼の技術は高く評価され、先方からの指名もあった。

 対してショウやマルは毎回異なる仕事を経験できる単発スポットが嫌いではなかった。このあたりは個人の性格などで意見がわかれるので、二人はアカリたちの選択にとやかく言わなかった。

 この日、ショウは家具の配送助手作業を請け、先輩召喚労働者(サモン・ワーカー)のニンニンに教わりながら数ヶ所にタンスを納品した。

 ニンニンという青年は日本では仕事運に恵まれておらず、その過去をとかくボヤいていた。しかし、その経験がいろいろな場面で役立ち、結果的にこの世界で仕事をうまくこなしている。その技術力や考え方にショウはすっかり魅了(洗脳)され、彼を心酔するようになる。この地方の言語であるカクカ東部共通語の講習を受けようと決心したのも、彼の影響である。

 その夜、仕事を終えたショウとルカは異世界人管理局の二階で、ベル・カーマンが講師を務める語学講習を受けた。ルカは知識欲に貪欲で、ショウから話を聞いて同伴したのだった。

 講習が終わり、新たな知識を求めて資料室へ行くというルカを残して、ショウは階下へと向かった。階段を降りている途中、アカリとアキトシが給料をもらう列に並んでいるのが上から見えた。

 そこに事件が起きる。

「ツァーレさん、手当てを!」

 革鎧を身につけた青年が跳びこんできた。肩には血まみれの男を担いでいる。玄関先でそっと降ろし、もう一度ツァーレ・モッラを呼ぶ。

 ショウは突然の出来事に対処できず、立ち尽くすだけだった。

 ツァーレ・モッラが飛び出してくる。パーザ・ルーチンの姿もあったが、彼女は呆然とするアカリの手を取ってまっすぐ診療室へ走っていった。

 「大変!」語学講習後の片づけを終えて出てきたベル・カーマンも、事態に気付いて階段を駆け降りていく。ショウは彼女の声にハッとして、あとを追った。

「どうしたのですか?」

 ツァーレが血まみれの男の様子をうかがい、出血元を探した。

「ゴブリンだ。畑の巡視作業中に襲われた」

 革鎧の男も腕に切り傷を負っていたが、相方の心配に意識が集中しており、痛みを忘れていた。

「背中を刺されたのですね。すぐに傷口を塞ぎます」

 ツァーレは出血箇所を確認し、【治癒】を施した。肩口にも裂傷があったので治しておく。

「これで血は止まります。呼吸も安定してきていますし、もう大丈夫だと思います」

「よかった。ツァーレさん、ありがとう」

「いえ、神のご加護です」

 ツァーレは光の神(シャイネ)の印を切った。

「ツァーレ、大丈夫なの?」

 パーザ・ルーチンが包帯やタオルを大量に持ってやってきた。後ろには水桶を持ったアカリがいた。

「はい。傷は塞ぎました。あとはゆっくり休んでもらえれば、回復すると思います」

「そう。これで体を拭いてあげて」

 アカリに水桶を置くように指示し、相方にタオルを渡した。彼は「ありがとうございます」と受け取り、血まみれの戦友を拭ってやった。

「他のメンバーは大丈夫ですか?」

 パーザは彼が夜間巡回作業員の一人であるのを覚えていた。今日のメンバーは全部で10名だったはずだ。残り8名はどうなったのだろうか。

「無事だ。襲われてすぐに笛を吹いて仲間を呼んだらゴブリンどもは逃げていった。全員で畑を離れるわけにも行かないから、オレだけコイツを連れて戻ってきたんだ」

「そうですか。今日は休んでください。明日、他の方からもお話をうかがいます。……ツァーレはしばらく診療室で彼らについていて。ベルは後片付けをお願い」

 二人の後輩が返事をすると、パーザは階段を上がっていった。彼女には上司に対応策を相談する役目があった。

 革鎧の男が怪我人を担ぎ上げようとした。が、彼自身の負傷と、仲間の無事に緊張感が薄れ、力が入らなかった。

 それと気付き、ショウはようやく自分にできることを見つけた。怪我人の反対側の肩に腕を回し、鎧の男と同時に立ち上がった。

「助かる」

「いえ、お互いさまですから」

 怪我人を診療室で寝かせ、ショウは部屋を出た。

「こういうの、ホントにあるんだね」

 エントランスで立ち尽くしていたアキトシがショウに言った。不明瞭な言葉だったが、ショウは理解できた気がした。ゴブリンの存在や襲撃。重傷を負った仲間と助ける仲間。事件が起きても仕事は放棄できず、恐怖しながらも続けなければならない現実……

「今の人たちって、夜間野外作業だからレベル3以上なのよね?」

 ベル・カーマンを手伝って床の血を拭いていたアカリが、作業を終えて近づいてきた。顔が青くなっている。

「そうだな。レベル2以下は参加できなかったはず……」

 朝の作業分配集会でレベル制限をかけていたのをショウも覚えている。レベル3ともなれば、訓練所に入って基礎戦闘訓練を受けているはずだった。人によっては魔術や戦闘スキルの一つも覚えているだろう。

「それでもゴブリン相手にあれだけ負傷するのね……。ゲームとは違うってわけね」

 アカリの言葉は強がりではなく、確認だった。現実の戦闘が数値や武器で決まるわけではないのだと思い知らされていた。

「ボクはパン屋でいい……」

 アキトシは気分が悪いのか、下を向いたまま休憩所へ歩いていった。

「あたしも当分はお店でがんばるわ。覚えなきゃいけないこともたくさん残ってるしね。じゃ、お先ー」

 アカリもカバンを担いでアキトシのあとを追った。

 ショウはうっすらと血痕が残る濡れた床を見た。背中が寒くなり、自分の肩を抱いた。服に手が張り付く感じがして、なんだろうと手を広げる。その手に、負傷者の血がついていた。彼を抱え上げたときについたのだろう。少年は慌てて服で拭い、赤黒いシミを上着に伸ばしていく。

「どうしたんだい?」

 いつの間にかルカが目の前にいた。

「あ、今、ゴブリンに襲われた人が……」

 真っ青な顔で服を汚している友人に、銀髪の少年は察した。ショウの汚れている手をとり、玄関を出て裏の井戸までつれていった。

 ポンプの前に座らせ、水を汲み上げる。手から血糊が落ちるまで、何度も繰り返した。

 ショウにタオルを投げると、今度は手桶に水を汲み、自分の手も洗う。ショウの手から伝わった血を流すために。

「服も洗ったほうがいいよ。落ちるとは思えないけどね」

 ルカが笑った。ショウはその笑顔でようやく気持ちを落ち着けた。

「で、何があったんだい?」

 ルカは三階の資料室にいたので騒ぎには気付いていなかった。資料室で適当な本を見繕っていると、全職員に急報が入って部屋を追い出されたのだ。そして一階に戻ってみると、ショウが血相を変えて手を拭っていたのである。

「ゴブリンだよ。町の外に畑があるんだけど、その巡回作業を請け負った先輩たちがゴブリンに襲われたんだ。一人が大怪我して運び込まれてきた」

 ショウは事の重大さを伝えるべく力を込めて説明するが、ルカはきょとんとしている。「えーと、誰かが怪我したのはよくわかったんだけど……」

「なんだよ?」

 ルカの平然とした態度にイラッとした。

「ゴブリンってなに?」

「え?」

「なんか、童話かなんかで聞いたような名前なんだけど、思い出せないんだよね」

「……ゴブリン、知らないの?」

「うん。知らないとダメなヤツ?」

「ダメだろ! ファンタジーの常識みたいなものだぞ!」

「あ、そうなんだ。よければ教えてくれる?」

 ルカはパッと顔を輝かせた。

「……いいけど、からかってないよな?」

「ないない。ボク、ゲームとかマンガとかよく知らないからさ、これからいろいろ勉強しなきゃだね」

「それでよくこの世界に来る気になったな」

 と、ため息をつきつつ、怪我が原因でやってきたイソギンチャク先輩のような人もいるのを思い出した。理由はさまざまあるのだろう。

 カバンからハンドブックを出し、「これにも出てただろ」とゴブリンのページを開く。

「ふーん、外にはこういうのがいるんだね」

 ルカはゴブリンのページだけではなく、他のページにも目を通していた。

「……外に出るのが怖くなった?」

「いや、むしろ楽しみだね。冒険のしがいがありそうじゃないか」

 ルカは目を輝かせながら言った。

 ショウはホッとした。アキトシもアカリも外へ出るのを萎縮していた。リーバはそもそも地に足をつけた選択をしている。ルカも同じだったら仲間が誰も残らなくなってしまう。知った顔の冒険仲間が誰もいないのは寂しい。

「――て、マルもいたか。でもなぁ」

 いつか彼と共に外へ出たとしたら、面倒をみるのに疲れそうな予感がした。

「ありがとう、返すよ」

 ショウはルカから渡されたハンドブックをカバンにしまった。血のついた服をゴミ集積所に投げ捨て、二人は建物内に戻った。

 翌日、少年は再び現実を思い知る。


 ギザギ十九紀14年7月12日、その朝の集会は昨夜起きた畑での事件報告から始まった。

 ゴブリンによる襲撃で負傷者2名が出たこと。ゴブリンたちは逃げ出し、消息が不明なこと。そのためゴブリン討伐の特務が出ていることなどが異世界人管理局受付のパーザ・ルーチンの口から語られた。

 この物騒な事件により、野外作業をしていた者の数名が危険を感じて辞退を申し出た。

 ショウとマルは減った野外作業員の補充に便乗し、薬草採取の仕事にありついた。彼らは町内の仕事に飽きていて、危険よりも外に出られる好奇心が勝った。

「山にはゴブリン以外にも危険な動物がいます。気をつけてくださいね」

 ツァーレ・モッラは依頼書を二人に渡しながら忠告した。

「はい。先日、講習を受けたばかりですから大丈夫です」

「採取作業は他に2名、護衛が3名、案内役兼依頼人が1名つきます。お二人より経験豊富な方たちばかりなので、ちゃんと指示に従い、勝手な行動は謹んでくださいね」

「はいはい、子供じゃねーんだからさ」

 マルが面倒くさげに返事をする。その態度が子供だと、ショウは内心でツッコンでいた。

「ツァーレさん、あとはこっちで説明しますよ」

 横から入ってきたのは、柔和な表情の青年だった。革鎧に金属の篭手、腰には一振りの剣。説明を受けるまでもなく、護衛の一人だとわかった。

「では、よろしくお願いしますね、コーヘイさん」

 ツァーレは彼にあとを任せ、パーザの助手に戻った。

「コーヘイだ。採取作業の護衛をやっている。よろしく」

「こちらこそよろしくお願いしますっ」

 ショウとマルは頭を下げた。

「じゃ、行こうか。他のメンバーとは南門で集合なんだ。そうそう、昼飯、買っといたほうがいいね。作業は14時までだけど、体力勝負だから」

「了解っす。途中、パン屋寄っていいっすか?」

 マルが訊くと、戦士は「たまにはいいな。オレも行く」と爽やかに答えた。

 三人が入った店は、アカリとアキトシが働いているところだった。

「そういや、二人とも朝に見かけなかったな」

「あー、そーいや」

 ショウとマルがそんな話をしつつ扉を開けると、アカリの「いらっしゃいませー」が聞こえた。

「アカリ、こんな早くから仕事してんのか?」

「なによ、あんたたちか。そーよ、パン屋は朝早いんだから。さらに夜まで遅いという……」

 アカリがため息をついた。

「客の前でため息つくな」

「うっさい。ほら、おたがいに暇じゃないんだから、さっさと買って出て行ってよ」

 手で追っ払う仕草をされ、ショウは苦笑いしながらパンを選んだ。マルはいろいろと目移りしながらトレイに山を作っている。「そんなに食えるのかよ?」とツッコむと、「朝飯コミだよっ」と言いつつ、一つ戻していた。

「あんたら今日は何の仕事?」

 清算しながらアカリが訊いてきた。

「山で薬草採取」

「……外、行くんだ?」

「怖いけど、やっぱり行ってみたいしな」

「そ。まぁ、怪我しないようにね」

「ありがとう、気をつけるよ」

 馴染みになりつつある電子音がする。袋詰めされたパンを抱え、ショウは先に店を出た。外で一つ食べているとコーヘイが、最後にマルが出てきた。

「あの子、知り合い?」

 コーヘイの問いに、ショウはうなずいた。

「はい。いっしょにレベル2に上がった仲間です」

「カワイイ子だね」

「どこが? あんな性格悪いヤツ、そうそういないっすよ」

 マルはアカリへの不満をぶつけるようにパンに噛み付いた。

「それなら中身はホントに女の子だな」

 コーヘイは含みを持たせた顔で、一人で納得していた。

「中身?」

「こういう世界だろ? しかも肉体変換もある。だから性別が本来とは逆って人もいるんだよ」

「「マジっすか!」」

 ショウとマルは同時に声をあげた。その可能性をまったく考えたことがなかった。

「ネットゲームと同じ感覚でいる人もいるみたいでね」

「はー……」

 衝撃で、それ以上の感想が出なかった。

「そういう人って、後でだいたい後悔するみたいだよ。ここは遊びじゃなくてリアルだからね」

 コーヘイはパンを食べながら南門へと歩きはじめた。

 三人は第二防壁の外区へつながる関所に着いた。兵士が立っており、行き来する人や馬車を検閲している。

 三人の番になり、外区通行許可証を見せる。さらに異世界人のためか、ステータス・サークルまで調べられた。

「外区といっても、建物の造り自体は中区と変わらないな」

 関所から南門に続く一本道を歩きながら、ショウとマルは視線をアチコチに巡らせていた。珍しいものがないかと探しているのだが、めぼしい物は見つからない。裏道に一歩入ればスラムだとコーヘイが教えてくれたが、二人は確認に行こうとは思わなかった。

 南門にはすでに残りの採取作業メンバーが待っていた。コーヘイと似たような装備をした二人の男と、案内人らしき中年男性、採取作業員らしき軽装の若い男女。

 顔合わせを簡単にすませ、外へ出る。

 門の外はなだらかに波打った草原が広がっていた。緑の匂いが強く鼻腔をくすぐる。風が吹き、新鮮な空気が体を包んで流れていく。空が高く、ずっと果てまで見渡せた。

「街にいたから忘れてた……。すげぇ大自然だ」

 ショウは思わず走りだしたくなった。子供のころ、父方の田舎へ初めて行ったときと重なる。未知への憧憬と、冒険への高揚感が湧き上がってくる。それを許す世界の雄大さがここにはあった。

「なんかこう、ムズムズするよな!」

 マルは今にも走りだしそうだった。

「はい、キミたち、そこまで」

 メンバー唯一の女性が一つ手を叩いた。栗色のボリュームのあるセミロングの髪に大きめの瞳、女性らしい体のラインを誇張する、やや小さめの半袖短パン姿。何より印象に残る生気溢れる表情が、漫画定番のスポーツ少女ぽくショウには見える。名前はシーナと言った。

「外出ではしゃぎたいのはわかるけど、お仕事優先だからね。……はい、これ、二人の分」

 シーナは、ショウとマルに背負い袋を一つずつ預けた。中を見ると革袋に包まれたガラス瓶がいくつか入っている。採取物の保管瓶だ。

「よろしくお願いします、シーナさん」

 ショウは先輩指導員に頭を下げる。マルは「よろしくー」と、いつもどおりの軽さだ。

「シーナでいいよ。キミたちよりは長くいるけど、同じレベル2だしね。あと、敬語もいらないから。じゃ、仕事について説明ね」

 シーナは自前のカバンから数枚の紙を取り出した。植物の絵がカラーで描かれており、細かな注釈もついている。同じ紙が二枚ずつあるので、二人に一枚ずつ分けた。

「今回、採取するのはその四種類。一つの瓶に一種類ずつ入れる。必要部位が違うから、摘み方は現地で教えるね。注意するのは、今後の収穫も考え、根こそぎ採らないこと。皮膚がかぶれる物もあるので手袋を常備すること。似たような植物があるので気をつけること」

「似たようなって、それって素人目にわかるもんなの?」

「たぶん初めはわからない。だからわたしかクロビスに聞いて」

 と、前を歩く軽装の男性を指した。声が聞こえたのか、少しだけ顔を後ろに向け、手を振った。

「あとは……、一人で勝手に動き回らないことかな。ゴブリンの話を聞いたでしょ? 単独行動してると危ないからね」

「この作業で襲われたことってある?」

「わたしはないよ。でも、ゴブリンらしい影は一度見た。こっちが大人数だからかすぐに逃げたけどね」

 シーナは森の中の危険な状況について二人に語った。その話が終わる頃には森の入り口にたどり着いていた。

「今日は少し奥へ入るとしよう」

 案内人のクーリスが森の奥を指差す。

 コーヘイがうなずいて先頭を進み、他の護衛二人が後方につく。彼らが三角形を描き、中心に採取班が入る形だ。

 薬草が生えるのは、木々があまり密集していない日当たりのいい場所である。そうしたスポットがいくつかあり、一同は採取に適した場所を目指した。

「よし、ここならいいだろう。採取を頼むよ」

 案内人が許可を出し、採取作業が始まる。マルにはクロビス、ショウにはシーナがついて指導をする。その間、コーヘイたち護衛班はつかず離れずの距離をとって、森の警戒をしていた。

 作業は進み、瓶の半分以上が固くフタをされたころ、シーナのお腹の音が森に響いた。

 集中していた意識が一気に切断され、周囲が大笑いする。

「シーナの腹時計が鳴ったということは、昼が近いな」

 コーヘイが笑いながら言うと、「お腹すくのはしょうがないじゃん!」と真っ赤になってシーナが反論する。

「ではいったん休憩にしようか」

 案内人も遠慮なく笑っていた。

「マル、メシにしよう――」

 ショウが立ち上がって周囲を見渡す。が、小さな黒髪少年の姿が見えない。

「あれ? マル? マルー?」

「どうしたの? マル、いないの?」

 あたりを見回すショウに、シーナが近づいた。

「ああ。はじめはクロビスさんといっしょだったはずだけど、いないよな?」

「クロビスー、マルはいっしょじゃなかったー?」

 シーナが声を上げて彼に訊ねる。それでクロビスもうるさい少年がいないことに気付いた。

「一人はぐれたか。みんなはここを動かないで。サト、いっしょに来てくれ。レイジはここで待機」

 護衛仲間に指示して、コーヘイはサトと周囲の探索を開始した。

 そのころマルは、かすかな声を聞いて我に返った。意外にも採取作業が面白くて夢中になっており、気がつくと一人でいた。

「あれ、みんなどこだ?」

 周囲を見るが、木ばかりである。太陽の光もあまり届かず、薄暗い。さすがにヤバイと思ったが、よく観察すると自分が這いずってきた跡が残っていた。

 道を戻ろうとする。が、その背後で草が揺れる音がした。

「なんだ、誰か探しに来てくれたのか?」

 振り返ると、変な人間の顔が草むらの奥に見えた。目が大きく鼻の高い、血色の悪い子供の顔。頭には帽子だか兜だか判別つかない皮の何かをかぶっている。その手には長い木の棒が握られ、先端には錆びたナイフがくくりつけられていた。

「あ……?」

 マルとその生物はたがいに睨みあった。マルはどこかで見たそれを思い出すのに、たっぷり5秒かかった。

「やべ……。ゴブリンじゃん」

 こんなとき、なぜか笑いがこみ上げてくる。脳が対処しきれず、ランダムな行動を選んだようだった。しかし、マルはまだ冷静だった。相手の情報があるので、このあとの行動もどうにか導き出せていた。

 第二講習のときのパーザの言葉を思い出し、大きく息を吸い――

「ゴブリンだー!」

 と、叫んだ。さらに大声を上げて、少しずつ後ずさる。背中を見せてダッシュすれば、きっと襲われるだろうと思った。

 ゴブリンのほうも予期せぬ遭遇に驚き、大声を上げた。

「こっちだ!」

 コーヘイはマルの叫びを聞いた。剣を抜き、サトとともに走る。

 ゴブリンたちも同じだった。仲間の声が届き、三人のゴブリンが走っていた。

 コーヘイがマルをかばうように前に立つのと、ゴブリンたちが草むらから飛び出すのはほぼ同時だった。

「4体2か……。威嚇しても逃げてくれないかもな……」

 コーヘイはマルを戦力として数えてはいない。そもそも、マルは武器すら持っていないのだ。せいぜい採取に使うナイフくらいだ。

 サトが剣で盾を叩き、大声で威嚇する。が、ゴブリンたちは粗末な武器を三人に向け、少しずつ距離を縮めていた。

 その隙間をまた広げるように、コーヘイたちは下がる。それがゴブリンたちを調子づかせるとわかっていても、数の不利を補うには皆と合流するしかなかった。幸い、合流地点はそれほど離れてはいない。防御に徹していけばどうにかたどり着けるだろう。あとはこちらのほうが人数が多いとわからせれば、逃げて行くはずだ。

 しかしその考えは、すべてのゴブリンがここにいれば、という仮定の元でこそ有効であった。

「ゴブリンだー! 三匹ィ!」

 レイジの声だった。

 コーヘイたちは愕然とした。7対7の同数だった。しかしこちらは戦闘訓練を受けているのはわずか3名。残りは一般人である。こちらには八人目もいるが、彼は異世界人ではなく案内役兼依頼人であった。彼だけは絶対に守らなければならない。

 コーヘイは一瞬だけ迷い、しかし決断した。

「マル、こうなったらキミにも戦ってもらうよ」

「たりめーだ。ただ守ってもらおうなんぞ考えてもいねーよ!」

「いい返事だ。腰にある短剣を使ってくれ」

 マルはコーヘイの腰に差さっている短剣を引き抜いた。磨きぬかれた両刃の剣。未だ血肉に汚れていないのか、刃こぼれ一つ、曇り一つない。

「マルを中心に右がサト、左がオレだ。けして離れるな。応戦しつつ下がる。とにかく合流しないと向こうがヤバイ」

 ショウたちは四人だが、実質、戦えるのはレイジ一人である。彼にしてもまだレベル3に上がって間もないのだ。初戦闘の緊張に加え、単独での戦いに重圧を感じて、いつくじけるかわかったものではない。

 そしてコーヘイの予測は正しかった。

 切り株の並ぶ広場で、レイジだけが突出していた。ショウたちは案内人を大木に押し付けるように囲み、ただ見ているしかできなかった。

 レイジは闇雲に剣を振るっていた。訓練所で学んだ剣術など忘却し、子供のチャンバラのように叫びながら振り回す。ゴブリンはそんな貧弱な人間の攻撃を嘲笑あざわらうようにヒョイヒョイとかわし、手まで叩いて挑発していた。

 それがさらにレイジの冷静さを奪っていく。根が真面目な彼は、皆を守るという使命感で動いていた。コーヘイたちがいない今、自分がやらなくては。自分が、自分が――と、追い込んでいく。

 レイジは息が苦しく、口を大きく開けて呼吸した。剣が重い。視野も狭くなっていく。

「ここままじゃ危ないんじゃない……?」

 シーナがクロビスとショウを見比べながら言った。それは二人にもわかっていた。そもそも3対1の状況だ。不利にならないわけがない。

「なんとかしなきゃ……!」

「おまえに何ができるんだ」

 周囲を見回し武器になりそうなものを探る彼女をクロビスが止めた。

「でも、このままじゃ見殺しじゃない!」

 シーナが叫んだ。

 ゴブリンがそれに反応し、一人が怯える人間どもに力を見せ付けるべく走った。人間どもは数は多いが戦闘意欲も武器もない。ただのザコだと決め付けた。

 「こっちにくるぞ!」クロビスが顔を引きつらせた。

 「これって……」シーナは冷静につぶやいた。

 「チャンスだ」ショウはシーナを見た。二人の眼が重なり、うなずきあう。

 ショウは地面に投げ出していた背負い袋を右手で拾った。彼女も気付いて同じように背負い袋を取る。

 錆びた短剣を振り上げて一直線に迫るゴブリン。

「「せーのっ!」」

 二人は同時に背負い袋をゴブリンめがけて振りぬいた。シーナは手を放したため、そのぶん早くゴブリンの顔面に直撃した。中のガラス瓶が割れ、破片が突き刺さる。

 空ぶったショウは、体勢を整えると痛みに暴れるゴブリンの顔に改めて背負い袋を叩きつけた。

「質量兵器だぁ!」

 興奮して叫び、三度叩きつけるころにはゴブリンは動かなくなっていた。

 その様子を見て、残った二人のゴブリンが怯む。

 ショウとシーナはヤケクソになって大声を張り上げ、新たな背負い袋を振り回す。

 そこへ、興奮状態でわけがわからなくなっていたレイジが剣を振り、偶然にもゴブリンの一人を斬りつけていた。剣の重さに負けて、勢いのまま地面までえぐる。それはゴブリンの右肩を砕き、深手を負わせる結果となった。

 絶叫を上げゴブリンは逃げて行く。残った一人も後を追っていった。

 全員が荒い息をしながら、呆然と見送った。

 そして助かったのを確認し、その場にへたり込んだ。

「……ゴブリン、殺したんだな」

 目の前にあるゴブリンの死体に気がつき、ショウはせいの喜びよりも、死へいざなった気持ち悪さを実感していた。

「しかたないだろ。やらなきゃやられていた」

 クロビスはそんな慰めを口にしたが、受け入れがたかった。

 そこへレイジが駆け寄ってきて、ショウに抱きつき「ありがとう」を連呼した。彼は泣いていた。恐怖から解放され、それこそ生を実感しているのだろう。

「わたしたち、いいコンビだったんじゃない?」

 シーナが笑顔を向けてきた。

「……そうだな」

 ショウも笑顔を返した。こうして仲間が助けられたのだから、よしとしなければならないのだろう。少年はそう割り切ろうとした。

「コーヘイくんたちは大丈夫だろうか」

 案内人が落ち着いた声で言った。それで一同は「あ」と思い出す。

「全員で移動しましょう! 早く!」

 ショウはレイジを引き剥がし、自分がしとめたゴブリンの剣を拾った。ついでに『質量兵器』も担ぎ、走り出す。

 コーヘイたちはどうにか凌いでいた。掠る程度の怪我は負っていたが、まだ心は折れてはいない。

 ゴブリンたちは無理をせず、得物の長さを活かして遊んでいた。人間どもはこちらが武器を振り回せば大げさに避け、突けば声を上げて身をよじる。どうやら攻撃してくるつもりはないようで、守るのが精一杯のようだ。

 もうしばらく遊んで、それからトドメをさしてやろうとしていたところ、仲間の叫び声が聞こえた。奥のほうから血まみれの一人が走ってくるが、こちらにたどり着く前に倒れて、それっきりだった。もう一人は無傷でやってくる。「一人やられた!」と喚いている。途中、さきほど倒れた一人を目にしたのか、「二人やられた!」とセリフが変わっていた。

 四人のゴブリンは怯んだ。だが、後続に人間の姿はない。仲間二人をたおして安心したのか、追ってこないようだ。四人は「これで5対3だ」とニヤリとする。走ってくる一人に呼びかけ、「こいつらを殺して敵討ちだ」と騒ぐ。

「向こうで何かあったのか……? 一匹増えた」

 背後が見えないコーヘイは、結果としてゴブリンが一人増えたと思うほかない。ますますの不利と、残した仲間たちの安否が気になり、集中力が落ちてきていた。

「ショウのやつ、くたばったとかないよな」

 マルは歯を食いしばった。これでショウたちが死んでいたら、ぜんぶ自分のせいとなる。無自覚の事故だとしても、それで済む問題ではない。

 ゴブリンの一人が調子に乗って跳びかかってきた。サトが盾でその一撃を受け、マルを守る。

 攻撃が失敗したゴブリンは尻餅をつき、はやし立てる仲間の列に笑いながら戻った。

「完全に遊んでやがる……」

 怒りがわくが、マルにはどうにもできない。

「このまま下がるって選択肢はなくなったみたいですね」

 サトは状況を分析した。後方の仲間たちに何かあったのは疑いなく、敵が一人増えている。このままでは自分たちの命すら危ない状況だった。

「まず一匹、確実にたおすか」

「そうですね。守っていても調子づくだけです」

「オレも賛成。こいつらいいかげん、頭きた」

 マルは短剣を強く握った。その怒気は殺気となり、ゴブリンたちに向けられる。

 コーヘイとサトも戦う覚悟を決め、腹の底から声を出した。

 ゴブリンは今までと違う人間に一瞬、脅えた。だが、数の有利が彼らを退かせなかった。

「一人一匹だ。そうしたら残り二匹。逆転だ」

「おう!」

 マルたちが一歩踏み出す。今度はゴブリンが半歩退いた。

 剣を掲げる人間に、ゴブリンも笑みを消して得物を構えた。

「行くぞ!」

 コーヘイの号令に、三人は一斉に正面のゴブリンめがけて突進した。

 しかしそんな単調な攻撃をバカ正直に受け止めるわけもなく、ゴブリンたちは散開し、すばやく背後に回った。

「フッ、背中がガラあきだぜ。まぁ、なかなか楽しませてもらったよ。人間にしてはなかなかだった。だが、貴様らが悪いのだよ。人間の分際で我らの領土に踏み入った愚かさを呪うがいいさ。さらばだ、人間」

 ゴブリンの一人が余裕の笑みを浮かべた。あとは刺すだけだった。

 が、そうはならなかった。

「避けることくらい想定している!」

 コーヘイは金属篭手で覆われた左腕を、サトは右手の剣を横なぎに振りぬく。予想外の攻撃に、避けそこなったゴブリン二人が弾き飛ばされた。

 しかし、後背に回っていたゴブリンの一人は、すでに攻撃準備を完了していた。三人の中でもっとも弱そうなマルを狙い、槍を突き立てる。

 鈍い音がした。

 それはマルを貫いた音ではない。彼を狙っていたゴブリンの、右肩甲骨に石が当たった音だった。

「マル、大丈夫か!」

 マルはその声に体が震えた。一瞬、自分の立場を忘れて喜び、涙が出そうになった。

「あ、あったりまえだろぉ! おっせーよ、ショウ!」

「いや、おまえが早く戻って来いよな」

 ショウは呆れながら、右手で石ころを掴みなおした。

 セットポジションからクイックで投石する。今度はコーヘイを狙っていたゴブリンの背中に命中した。

「すごーい。ショウ、ピッチャーだったの?」

 場違いなシーナの質問に、ショウは苦笑いが出た。

「……万年補欠でさ、自分に向くポジションを探していろいろ試したんだよ。結局、器用貧乏で終わったけど」

 次の一投がサトのそばのゴブリンを掠める。

 ゴブリンたちは人間の増援を見て戦意を失った。サトの横なぎ攻撃を受けた一人は当たり所が悪かったのか即死しており、状況は完全に不利だった。ゴブリンたちは負傷箇所を押さえて逃げていった。

「あ、テメェら、逃がすかよ!」

「待て、追うな! こっちもギリギリだ」

 はやるマルをコーヘイがとめた。マルは不満だったが、あきらめた。

「全員、無事なのか?」

「はい。案内人(ク―リス)さんはクロビスさんとレイジさんに守られてもう来ると思います。オレとシーナだけ先行しました」

 コーヘイに答え、それからショウはマルを見た。

「おまえ、みんなにすげぇ迷惑かけたって自覚あるんだろうな?」

「ンなっ。……あるよ、ありますよ。今回は完全にオレのミスだ。悪かったよ……」

「それ、みんなにちゃんと言うんだぞ」

「へいへい。まずはここにいるみんなに謝るよ。ごめんなさい。ありがとうございました!」

 心がこもっているようには見えないが、ショウたちは許した。

 その後、最大の被害者である案内役兼依頼者のクーリスには全員で謝罪した。

「ある程度は覚悟の上だからね、仕方がないよ。それに全員無事だったのだから、おたがいによかったじゃないか。もっとも、採取はうまくいかなかったがね」

 割れたガラス瓶を前に彼は笑った。

「今日のところは引き上げよう」

 コーヘイがメンバーを促した。軽傷ではあるが負傷者もいる。ゴブリンの残党が襲ってこないとも限らない。早めの撤収は正しいと全員が賛同した。

「その前に――」

 コーヘイはまとめておいたゴブリンの死体から、手の親指を切断した。

「ゲッ、なにしてんですか?」

 ショウは顔をしかめた。

「退治した証だよ。検分役がいないから、こうして証拠を持っていくんだ。これで賞金がもらえる」

 コーヘイは一組をタコ糸のような物で縛り、ショウに差し出した。

「なんです?」

「君がたおしたんだろ? 君の物だよ」

「いえ、オレはトドメをさしただけで、きっかけはシーナが……」

「あんなのたまたま先に当たっただけじゃない。キミがもらっておいてよ」

 シーナはニッコリと拒絶した。

「それなら、これはレイジさんの活躍があってこそじゃないですか。レイジさんががんばってくれたから、オレたち助かったんです」

「そういってくれるのは嬉しいけど、オレはただガムシャラに剣を振り回しただけで結局は助けてもらったと思ってるよ。それに一匹は討伐したし、それで充分だよ」

 レイジはもう一組の指を振ってみせた。

「もらっておきなよ。でも、調子には乗らないようにね。今回は運がよかった。それを忘れないで」

「はい」

 ショウは心に留め置くように力強くうなずいた。そして、翌日にはコーヘイの忠告どおりに運がよかったのだと思い知る。


 翌7月13日、彼ら薬草採取作業チームは再びゴブリンの襲撃を受けた。サトが腕に矢を受け、コーヘイはゴブリン・シャーマンの魔法で左腕を砕かれ、マルは気絶し、ショウは大腿部を刺されてパーティー全滅の危機に陥った。

 無事に生還できたのは、民間異世界人組合ギルドからの警護人派遣が間に合ったからだ。

 民間異世界人組合ギルドはその名のとおり、異世界人だけで構成された異世界人のための組織だ。管理局の堕落と強権に脅かされた異世界人が作っただけあって、反骨精神に溢れた人材が集まっている。戦闘能力は折り紙付きだった。

 管理局職員パーザ・ルーチンは、足りない警護人員をギルドに求めた。それが異世界人管理局の体面を大きく傷つけると知っていても、個人的に好まない組織であっても、彼女はためらわなかった。

「わたしには彼らを守る義務があります。大丈夫かもだとか、何とかなるだろうで済ませるわけにはいかない。わたしは自分ができる精一杯を持って彼らを助けます。彼らが無事仕事を終え、帰ってくるまでがわたしの仕事なのだから」

 パーザはそう言って頭を下げた。

 その姿にギルド・マスターは折れた。そして高レベル召喚労働者サモン・ワーカーブルーとピィが進んで参戦したのだった。

 戦士として一流のブルーと、大怪我も治す【治癒】魔術と複数の敵を攻撃できる【光弾】魔術を持つピィは、圧倒的強さでゴブリン8匹を葬った。

 あと2分も遅れていれば、ショウは間違いなく死んでいたであろう。その光景を間近で見ていたシーナは日本にいたころのトラウマを思い出し、恐慌に陥った。彼女は帰還後にそのときの理由をショウにだけ話した。

「わたし、日本ではすっごいデブなの」

「……は?」

 シーナの第一声にショウはポカーンとした。

「しかもブスなの。今の容姿と181度違う」

 彼女は薄く笑った。ショウにはそのプラス1度が、本気で話すべきか冗談ですますべきかを悩ませている気がした。

「あのさ、ちゃんと聴くから」

 ショウが真剣にうながすと、シーナは空笑いをやめた。

「……ごめんね、自分から振っておいて。うん。ちゃんと話す。わたしがデブでブスなのは本当。名前も亀子かめことかありえないのも本当。未熟児で生まれてさ、長生きするようにっておばあちゃんが付けたらしいんだけど、ホントやめてって思う」

「わかる。オレも似たようなもんだ」

 ショウこと日比野小吉には身に染みている。

 シーナは実感のこもる同意に、少しだけ微笑んだ。

「もうわかると思うけどさ、そんなだから鈍亀ドンガメとか言われて馬鹿にされてきた。でもさ、名前もそうだけど、太ったのだって仕方ないじゃん。家族みんなそんなだし、子供のときからたくさん食べろって言われて、子供だから遠慮も考えもないし、食べまくってたらデブになってて。顔だって遺伝じゃない。どうしろっていうのよ」

 目の前のシーナからは想像もできない。これが彼女の理想なのだとよくわかる。

「でも、痩せるのはできたんじゃ――」

 シーナがキッと睨んだ。ショウはそれ以上いえなかった。

「……そうなんだよね。わかってる。でもわたしは意思も弱ければ根性もなかった。悔しくても見返す努力をしなかった。ただ周りを恨んで、妬んで、自分を殴りつけたくなるくらい甘えた人間だったと思う」

 シーナはいったん言葉を切った。

「その日も学校でさんざん馬鹿にされて、でも家族にも言えなくて、何もなかったように家族とご飯を食べていたの。わたしの大好きな唐揚げが並んでいて、どんどん食べなってお母さんが言って、わたしは笑って食べた。ホント、馬鹿みたいに何事もないように。でも、一番情けなかったのは、食べるのをやめなかったこと。その一個をやめればいいのに、わたしは喜んで食べている。おいしいって食べている。それに気づいたとき、すごい自己嫌悪が襲ってきた。同時に、いじめていた人たちの顔が浮かんだ。さっきのゴブリンみたいに人を笑い者にして喜ぶ、あの顔そっくりだった。そして、わたしが家族に見せている作った笑顔と、彼女たちの人をさげすむ笑顔のどっちがマシなんだろうって思った。どっちも同じだった。同じくらいみじめで、捻じ曲がったものだと思った。わたしはもう自分がイヤになって、突然涙が溢れ、大声で泣き叫んだ。わけがわからなくなってベランダに走って、空に向かって気が狂ったように喚いた。ぜんぶ壊れてしまえって願って、誰かどうにかしてってすがって、でも何も起きなくて、両親が押さえつけようとするのを暴れて抵抗して。そして、わたしは落ちた」

「え!?」

「そこをアリアドさんが拾い上げてくれたの」

「ああ……」

 ショウは過去の話と知りつつもホッとした。

「絶望するわたしを見つけて、どうせ死ぬならこっちでがんばってみませんかって、人の弱みに付け込むようなキャッチに乗って、わたしはここに来たの」

「ハハ……」

「でもわたしはそれで救われた。こうして理想の姿でいられる。……だけどさ、やっぱりこの姿はニセモノなんだよ。努力もせずに得られた結果なの。その証拠に、わたしの中身は変わっていない。ゴブリンにショウとコーヘイがやられかけたとき、わたしはまた、誰かにすがるしかできなかった。その場にいない誰かに助けを求め、絶望するしかなかった。わたしはあのころからぜんぜん変わらない。変われない。それがすごく、気持ち悪い……」

 シーナは我慢できず、涙をこぼした。

 ショウには気のきいた言葉をかけることも、行動もできなかった。少年は大きな悩みを抱えた経験がない。理解もできないし、何がダメなのかもわからない。

 けれどシーナの変わりたいと願う気持ちはわかる。ショウがこの場にいるのも根は同じだからだ。

 だからこそ余計にかける言葉が見つからない。彼は今の自分に対して、同調して慰めて欲しいとか、否定して励まして欲しいとは思っていない。ただいつか自分を省みて、自分が好きになれていればいいなと思うだけである。

「……まぁ、いろんな人がいるよな」

 少年は無意識につぶやいていた。

「え……?」

「あ、いや、思いついた言葉が出ただけで、深い意味はないから」

 慌てて否定するも、吐いた言葉は飲み込めない。

「それがキミの結論なの?」

「いや、結論とかじゃなくて、感想というか……」

 さすがにマズイと感じ、フォローを探すが出てこない。出てくるくらいなら、そんなセリフをはじめから吐きはしないのだ。

「………………」

 恨めしく睨むシーナに、ショウはバツの悪い顔をする。

 その顔が、シーナには微妙に面白かった。

「……うん、いいよ。聴いてくれるだけでいいって言ったの、わたしだしね。少しスッキリした。それに結局は自分がどうしたいかだから、他人ひとに答えを求めるのは間違いだよね」

 シーナは目元を拭った。

「でもさ、それがわかったってことは、がんばれるってことだろ? それだけでもいいと思う」

 ショウはまた思いついたままを口にした。それでもシーナは嬉しくなった。

「……そうだよね。がんばれる。うん、がんばれる気がする。もし今、日本に戻れたとしたら、どうにかしようって思えるような気がする」

「ずいぶんあいまいだなっ」

「さすがに決意とか覚悟までは難しいよ。……でも、約束してくれたらがんばるよ」

「約束?」

「ずっと友達でいてくれるって」

「それ、約束しなくてもいいと思うけど」

「わたしにとっては死活問題だよっ」

「わかった、それじゃ約束で」

「うんっ」

 シーナは笑い、ショウの手を取って歩きはじめた。

 その後の調査により、このところ出没するゴブリンはサイセイ砦を襲撃したゴブリン軍の残党とわかった。敗戦の後にこちらへと流れて来たと予測されている。

 サイセイ砦はギザギ国最西にある砦町である。西の大山脈からやってくる魔物を迎撃するために作られた防壁だった。

 去る7月6日にゴブリン王クラシアスが率いるゴブリン兵5000と18メートル超の単眼巨人サイクロプスが砦を襲撃した。結果としてサイセイ砦は異世界人ランボ・マクレーの活躍もあって守られた。が、ゴブリンたちはそのまま離散し、こうして各所で問題を起こしていた。

 ここにいたって異世界人管理局は実戦部隊の増強を図る。

 異世界人管理局アリアン・専属召喚労働者セルベント制度の発足である。

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