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第一章 サモン・ワーカー [後編]

 ギザギ十九紀14年7月5日。ショウにとってマルマ世界で二度目の朝を迎える。

 慣れない環境と仕事に全身筋肉痛に襲われながらも、彼は朝市の仕事をこなした。無事に終えられたのは、異世界人管理局の臨時局員であり『光の神(シャイネ)』の見習い神官ツァーレ・モッラによる魔術の回復を受けられたおかげだった。

 仕事が片付いたのは昼をわずかに過ぎた時間だ。懐具合の寒い少年には、今日の仕事を終えるには早過ぎた。

「早く次の仕事をもらいにいかないと――」

 走りかけて、微妙な臭いに気付いた。明らかではない、かすかに臭い。それが自分から発しているのに気付き、顔をしかめた。

 この世界に来て三日目である。それに汗をかくほどの仕事をしている。それは臭い立つというものだ。

「風呂とはいわないけど、水浴びくらいは必要だよな。となると洗濯と着替えもか。みんな休憩所の外に服を干してたけど、許可をとればいいのかな」

 ぐるぐると考えはじめる。どのルートが正解なのか、答えを出すのにしばらく時間がかかった。

 結論として、まずは管理局で今の報酬をもらい、次の仕事を斡旋を頼む。その作業の開始時間によっては、買い物と洗濯と水浴びを挟むか後回しにするか決める。

 ショウは優先順位に従って管理局へと急ぎつつ、パン屋で昼食の丸パンを二つ仕入れた。

「水筒もあったほうがいいな。水分をあまりとってない気がする。そのへんのはまずいだろうけど、管理局の水なら飲めるかな。生水って飲んだらいけないイメージなんだけど」

 パンに口の中の水分を奪われながら、買い物リストに水筒を追加していく。

 異世界人管理局の受付は窓口が三箇所あり、どれも空いていたが、ショウはまっすぐツァーレ・モッラの場所を選んだ。この世界に来てまだ50時間ほどではあるが、馴染みのある相手のほうが話しやすい。

「作業終了しました」

「お疲れ様です。依頼書の提出をお願いします」

 少年はサイン付きの作業依頼書を渡し、報酬792銅貨を受け取った。

「午後って何かありますか?」

「申し訳ありません。現在、初心者可能の作業はありません」

「そうですか……」

 ショウはあからさまに落胆した。

 「いやいや、仕方ない仕方ない」少年は頭を振って思考を切り替えた。

「ところで、洗濯をしたいのですが、裏庭の物干しは勝手に使っていいんですか?」

「はい。場所が空いていればご自由にどうぞ」

「ありがとうございます。……それじゃ、午後は買い物でも行ってくるか」

 ショウが一人で納得していると、ツァーレが「あの」と申し出た。

「着替えがご入用でしたら、こちらでも販売しております」

「え!?」

 驚くショウにツァーレは小冊子を差し出した。商品カタログだった。服の他にも水筒やカバンなどの道具類が記載されていた。

 ショウは流し見し、外の市場と比較して買うほうがよいと判断し、その場はいったん離れた。

 管理局を出ようと出入口の扉を開けると、女の子の驚く声が上がった。彼女は外側から扉を開けようとしていたようだ。

 ショウは慌てて謝った。

「大丈夫? 扉にぶつからなかった?」

「は、はいっ。大丈夫、です……」

 少女の声はだんだんと小さくなっていった。

 召喚労働者なのだろうが、そのわりには軽装だった。いや、荷物は手に握られているハンドブックだけで、カバンも何もない。服装もショウと似たような簡素な物で、熟練のような物々しさも、こなれてきたシャレっ気もない。おそらくこの世界に来たばかりなのだろう。それだけに、ピンク色の長い髪が異様に目立つ。

「来たばっかり? なら、中の受付の人に話を聞くといいよ。まずはビデオを見せられると思うけど、その後の相談は受付にすると親切に教えてくれるから」

 ショウは扉を大きく開け、彼女の道を作った。

 少女は「ありがとうございます」と頭を下げ、受付のほうへと小走りに進んでいった。

「後輩……になるのかな。といっても、こっちのほうがまだまだ教わる側なんだけどな」

 扉を閉め、ショウは市場へと出かけた。

 今までも流し見はしていたが、じっくりと時間をかけて品定めしてみると、店舗にも個性があるのがわかった。衣服一つとっても、何ヶ月も売れ残ったような古着を売る店、新品だが奇抜なデザインの物を並べるところ、民族衣装のような品だけを扱っていたり、女性や職業限定の服だけというものある。ショウはいま着ている服を参考に、この国の標準的な物を探した。それと、仕事に向くような軽くて丈夫そうな服も。

 古着を扱っている露店で、安くてよさそうなシャツとズボンが眼についた。アイボリーというか薄汚れた白というか、とても味わい深い色の麻の上下である。少し迷っているとおまけで麻紐ベルトを付けてくれるというので、買おうとした。

「ちょっと待った。後輩なんだ、もう少しまけてやってくれないかな」

 背中越しの声はカッセだった。さらに後ろにリラもいる。早朝の畑仕事明けだった。

「カッセの知り合いか? しょうがないな」

 店の親父は清算水晶球を叩きなおし、ショウに突き出した。さきほどの三割も安くなっている。

「え、あ、ありがとうございますっ」

 ショウは清算を済ませ、主人に頭を下げる。

「そのかわりまた来いよ」

 商品を渡され少年はうなずき、カッセは「依頼があればな」と応えた。

 店を離れながら、ショウがさっきの答えの意味を訊いた。

「そのまんま、依頼があったんだよ。古着の保管倉庫の仕事。オレの初めての仕事でな、そのときに作業効率を上げる提案して、気にいられたのか何度か行った。それで服も安く買えるようになった」

「いいですね、それ」

「まぁ、オレたちの仕事は結局、誰もやりたがらない街中の面倒ごとが大半だからな。ちゃんとこなせば客も喜ぶし、つながりもできる」

「なるほど」

 ショウは素直に感心した。

「けどね、それをさっぴいても言い値のまま買うのはやめときな。異世界人だと足元見られるからね。値札がない物には注意が必要だよ」

 リラは手にしていた袋から赤い果実を出してかじった。

「勉強になります」

「まじめだねぇ」

 リラは喉の奥で笑った。

「他に何か買うのか?」

 カッセに訊ねられ、ショウは彼に向き直った。

「水筒はあったほうがいいかと思ってます」

「そうだな、持っていたほうがいい。どこでも水が飲めるわけじゃないからな。管理局周辺の井戸は大丈夫だが、外区がいくのはまず腹を壊す」

「そうなんですか」

 『外区』という単語に一瞬疑問が浮かんだが、ショウはハンドブックに描かれていた町内地図を思い出した。町を取り囲む三重壁の一番外側の区画だ。

「外区から外に行くときは自前で持っていくか、買うしかない。だからオレたちも」

 と、カッセは腰に縛り付けてある水筒を見せた。彼は二本、リラは一本下げていた。

「それって、管理局のですか?」

「ああ。市場で安いのを買ったんだが、品質が悪くてな。水漏れはするし、臭いしで、結局買いなおした」

「管理局のは安心なんですか?」

「ダメだったら文句を言えるだろ。こんなフリー市場だとその店が同じ場所にあるとは限らないし、レシートもないから返品てのもまず無理だ」

 ショウは深く納得した。

「だから多少、値が張っても保証はあったほうがいい。結局、自分を護るのは自分しかいないからな」

「わかりました。水筒は管理局で買います」

 「そうしとけ」カッセは先輩面でうなずいた。

「ところで、二人はこれからまた仕事ですか?」

「ああ、14時からな。おまえは終わりか?」

「朝市の仕事しか取れなかったんです」

「仕事がほしいなら受付で待ってるといいぞ。この時間でも急な依頼はあるし、前の仕事が押して次にいけないヤツのキャンセルもある」

「そういうのあるんですねっ。じゃ、戻っていてみます」

 ショウは礼を言い、走っていった。

「意外と面倒見いいわね、あんた」

 リラは手についた果汁を舐めながら、相棒の一面を皮肉った。

「今日明日にもレベルが上がる。そしたら新人にかまっている時間はなくなるからな」

 表情を硬くするカッセにリラも真剣な顔になったが、それは一瞬だった。

「だね。いっそこのままでもよかったのにねぇ」

 彼女は空を見上げた。この穏やかな空気は心地よく、ついいつまでも浸っていたくなる。

「……メシにしようぜ。ちょっと贅沢にな」

「賛成」

 二人は揃って歩きはじめた。

 ショウは管理局に戻ってすぐ掲示板をチェックした。が、新人用グリーン・ラベルの求人はなかった。

 嘆息し、水筒を買おうと受付に行く。ツァーレ・モッラは接客中だったので、となりの窓口に近づいた。

 と、ショウが用件を伝える前に、ツァーレから声がかかった。

「ああ、ちょうどよかったです。ショウさん、これからお仕事できますか?」

 願ってもない幸運だった。「いけますっ」と元気よくツァーレの窓口に寄ると、そこにいた少女が驚いて一歩避けた。

「あ、ごめん。――て、さっきの人?」

 買い物に行くときに玄関でぶつかりそうになった女の子だった。さきほどは突然で気にかける間もなかったが、よく見るとかなり可愛い。背はショウの顎くらいで、ふわっとした薄ピンクのロング髪。細身の割りに胸もある。まるで漫画かアニメにでも出てきそうな美少女だった。

「……て、あれ? あれぇ?」

 ショウはマジマジと彼女を視る。絵に描いたようなと表現したが、その髪、体形、雰囲気、どこかで本当に見た気がする。

「ショウさん、お話、いいでしょうか?」

 女の子をガン見している少年に、ツァーレも苦笑せざるを得ない。少年もそれと気付き、「失礼しました!」と真っ赤になりながら受付に体を向けた。

「お仕事というのは、こちらのアイリさんと倉庫作業をお願いしたいのです」

「倉庫……」

 少年の脳裏に、カッセの話が浮かんだ。

「時間は15時から18時。作業人員2名。報酬は税抜き7銀貨シグル。場所は中区オスティン通り78です。お受けになりますか?」

 「はい」と即答で引き受ける。いろいろと出費した後なので仕事を選ぶ余裕はなかった。

「ではショウさん、アイリさんは初めてなのでよろしくお願いしますね」

「はい。よろしく」

 少年が先輩らしく強気で挨拶すると、アイリは少し怯えながら「お願いします」と小さく頭を下げた。

 ショウは管理局印の水筒と肌着を仕入れたあと、アイリを休憩所脇のガラクタ置場に連れていった。自分の経験上、カバンは必須であったので彼女にも勧める。少女は肩掛けカバンとウエスト・ポーチを選択し、小物を詰めた。

 準備ができると二人は倉庫へと向かった。

 道すがら、ショウは彼女に知っているかぎりを話した。受けた仕事のことや、出会った人のこと、経験して驚いたことや、感心したこと、日常生活ではトイレの話や買い物の仕方など、途切れることがなかった。

 彼女はただ黙って聞いている。興味はあるらしく、うなずくときは眼が輝いていた。彼女とて異世界転移を願ってここにいる以上、無関心でいるはずがなかった。

 目的地の倉庫は敷地がそこそこ広い平屋の木造建築だった。大扉が開いていたのでショウは「すいません」と声をかけながら中へ進んだ。大量の衣服が溢れている。新品ではなく古着のようだった。

 倉庫の奥で待っていたのは、ショウと同じくらいの身長で、横が二倍はある中年女性だった。

「あんたらが仕事を頼んだ召喚労働者ワーカーかい?」

 忙しく事務仕事をしながら倉庫管理人のラムジーが訊いた。

 ショウが「はい」と応えると、女性は簡潔に仕事の説明をした。

「男の方はそこにいるガラといっしょに箱の移動、女の方は向こうで他の女たちと衣服をたたんで箱にしまっていく。わかったかい?」

 二人がそれぞれの声量で返事をすると、ラムジーはまた自分の仕事に戻った。

 アイリは唯一の顔見知りのショウと離れて不安があったが、指示どおり女たちのいる場所へ行った。5メートル四方はある布のシートの上に、衣服が山となっている。脇にある大きな木箱が横倒しで空になっているので、その中身だろう。

 四人の女たちが思いおもいの場所に座って、談笑しながら服をたたんで重ねている。内一人がアイリに気付き、声をかけた。

「ああ、来たね。そのへん座って、どんどんたたんでいって。物によってたたみ方があるから、まずは教えてあげるよ」

 アイリはその女性のとなりに座り、手近な服を取った。

「汚れている物や、破れていたりボタンがなかったりする物はねておく。わからないことがあれば遠慮しないでいとくれ。一度で全部覚えろなんて言わないからさ」

 アイリは戸惑いながらうなずき、女性の手の動きを見逃さないように集中した。

 彼女と木箱の山を挟んだ反対側で、ショウはガラと呼ばれた褐色肌の青年と力仕事に励んでいた。大型木箱の大きさはおよそ2メートル四方で、中には古着が大量に詰まっている。ガラの説明によると、倉庫主ケリーは各所から古着を回収し、リサイクル販売をしているという。この大型木箱はその集荷物で、整理がついていないものだ。それを女性陣が着られる物かどうか仕分けし、商売に使える物をたたんでしまっていく作業をしている。

「オレたちは整理が追いつかずにたまった箱を移動・保管する作業だ」

 そういって、ガラはショウに具体的な説明をはじめた。

「あんた、黙々と仕事するねぇ」

 アイリの面倒をみていた女性が、彼女に話しかけた。それまでもいくつか話題を振っているのだが、真面目なのか無口なのか食いつきが悪く、会話が長く続かない。

「すみません……」

 アイリは自分が口下手なのを欠点だと思っていた。この世界に来たのも、それが原因の一つであった。

「いやいや、あやまることじゃないよ。一生懸命でいいじゃないか。文句も言わずにがんばるのは偉いもんだよ。ウチの子なんて、何か頼むと文句ばかりでさぁ」

「そうですか」

 例えコミュニケーションが得意だったとしても、この場合はそれ以上の回答はないだろう。

「あんた、覚えも早いし、丁寧だし、またおいでよね」

「……はい」

 アイリは褒められたことに照れてうつむいた。

 作業終了間際になり、表門がにわかに賑わいだした。街商に出ていたケリーが戻ってきたようだ。何台かの馬車を引き連れているのか、馬と人の声が複数していた。その荷下ろしがショウの最後の仕事になった。

「よし、今日はここまでだ。あがっていいぞ」

 ガラがショウの背中を叩いた。彼も仕事終わりが嬉しいのか、今まで見せたことのない笑顔が浮かんでいた。

「お疲れ様でしたっ」

 ショウはリュックを拾い、作業依頼書を出す。ガラはサインは管理者のラムジーからもらってくれと手を振った。

 アイリも解放されたらしく、カバンを肩にかけながら少年のほうへと向かってくる。

「作業終了証明のサインをもらいにいくから、依頼書を出しておいて」

「うん」

 彼女の返事が、うなずきか「はい」から、「うん」に変わった。この短時間での心境の変化の理由はわからないが、ショウは仲間意識が強くなったのが単純に嬉しかった。

 二人がラムジーのデスクに行くと、彼女の前に中年の男性がいた。おそらく彼がケリーなのだとショウは思った。

 そしてそれは正解だったのだが、それ以上に驚いた。

「あれ、昼間のおじさん……?」

「ん?」

 振り返った男も、少年を見て少々驚いていた。

「なんだ、思ったより早く来たな。お疲れさん」

「昼も、今も、お世話になりました」

 ショウが頭を下げる。この世界に来てから、礼を述べたり挨拶することが増えていた。日本ではこんなにしょっちゅう頭を下げることはなかった。少なくとも、きちんと心を込めては、ない。

「なんだい、知り合いかい?」

 ラムジーが二人を見比べながら訊いた。

「いや、昼は客だ。カッセの知り合いっつーから値引きしてやったんだよ」

「ああ、あの坊やの。最近来ないけど、元気にしてるのかい?」

「オレ……ボクもきのう出会ったばかりなんですけど、お世話になっています。今は畑仕事のほうでがんばっているみたいですよ」

「チッ、恩知らずめ。今度は来いと言っといてくれ」

「わかりました、伝えます」

 ショウとアイリは作業終了のサインと、売り物にならない古着を二着ずつもらった。二人がマルマに来たばかりと知ってサービスしてくれたのだ。

 アイリが選んだワンピースはかなり傷んでおり、「それでいいのかい?」とラムジーが念押ししたほどだった。彼女は自分で直せるからと答え、一同は納得した。

 帰り道、まだ所持金のないアイリに、ショウはパンを分け合った。自分がブルーに助けられたように、自分も誰かを手助けしたかった。

「ショウ、ちょうどいいところであった」

 異世界人管理局の休憩所でアイリと休んでいたショウは、カッセとリアに声をかけられた。

「カッセさん。お疲れ様です。今、あのケリーさんの倉庫で仕事して来ましたよ。カッセさんに今度は来いって伝言を頼まれました」

 さも面白そうに話すショウだが、二人の表情は困ったような笑顔だった。

 二人はレベルが上がったので明日から訓練所へ入るという。一時の別れだった。

「自立するときが来たってことさ。だから顔なじみにあいさつしとこうと思ってな、最後がおまえだ」

 カッセがショウの肩を叩いた。

 出会って日も浅いのに、ショウはとても悲しかった。いい先輩に出会えたと思っていた。まだまだ教えてもらいたいこともあったのだ。

「辛気臭い顔しない。今生の別れってわけでもないだろ。ここで寝泊りできなくなっただけさ」

 リラが笑ってショウの頭を撫でる。

「そうですよね」

「そうそう。ま、しばらくは訓練所で合宿生活になるから会えなくなるけど」

「がんばってください」

「おまえもな」

「じゃあねぇ」

 カッセとリラは笑みを残して去っていった。その背中が見えなくなっても、ショウは硬直したように動かなかった。

「……あの、さっきもらった服、破れてたから、パンのお礼に、縫わせて……」

 アイリは顔を上げずに、こもるような声で言った。

 ショウはアイリに振り返った。なんとか聞き取れたので反問はしない。それでも少し考え、リュックを開けた。

「じゃ、頼むよ。オレじゃどうしようもなかったし、ありがたい」

「うんっ」

 彼女は受け取り、さきほど買った裁縫セットを開けて針と糸を取り出した。器用にほつれているところから直していく。

「うまいもんだな。コスプレ衣装を作ってるってさっき言ってたけど、どんなものか見てみたいな」

「ダ、ダメ。とても、見せられないから……」

「見せないコスプレって面白いのか? よくわかんないけど」

「……」

 アイリは答えなかった。

「そこ、大きな穴が空いてるけど、さすがにそれは無理じゃない?」

「大丈夫。……二、三日預かっていい?」

「いいけど、無理にがんばらなくていいからな。どうせ仕事着にしちゃうし」

「うん」

 アイリの手はとまらなかった。細かな作業が繰り返されていく。

 それを見ていて、ショウはだんだん眠くなっていった。そのうち耐え切れず、横に転がり寝息を立てはじめた。

 少女はチラリと彼を見て、また手を動かした。


 7月6日早朝、ショウはとなりで眠っているアイリをどうしたものか迷っていた。仕事を決める朝の集会に参加するために起こすべきか、寝かせておくべきか。心情的には慣れない環境に置かれた彼女を寝かせておいてあげたいとは思う。が、それでは生活がままならない。迷った末、起こすことにした。

「アイリ、仕事請けるなら起きないと。おーい」

 モゾモゾと身じろぎするが起きる気配がない。そうこうしているうちに、お仲間たちはエントランス・ホールに移動をはじめていた。

「まずいな。せめて起きるか休むかだけ答えてくれー」

 質問が無意識下でも聞こえていたのか、腕を振った。寝ぼけているらしい。

「ほっといて、お母さんっ。わたしはいいのっ」

 今まで聞いたことのない音量であった。ショウはもちろん、周囲も注目する。

「完全に寝ぼけてる……」

 ショウが苦笑すると、通りかかった栗毛の女の子が「あるある。慣れないうちはしょうがないよー」と笑って去っていった。周囲からも笑い声が漏れている。それに混じって、見知らぬ男女の会話も聞こえた。

「なぁ、あの子、どっかで見たことない?」

「そうそう、あたしも気になってたんだ」

「あ、あれだ、思い出した。インフィニティ・ハーツ!」

「あーあー、それっ。インフィニ3のアイリ!」

「でもコスプレって感じじゃないよな」

「肉体変換のときに似せたのね」

「あそこまで変えるって、相当だよな」

 ホールへ向かう二人の会話は、そのあたりでショウの耳には届かなくなった。

 インフィニティ・ハーツは大人気コンシューマRPGだった。ファイア・オニキスと肩を並べる日本RPGの代表であり、どちらがゲームとして上か、派閥争いもあるほどだ。

 ショウ自身はファイ・オニ派で、話に出たインフィニ3は未プレイだった。だが、ゲーム情報系ホームページなどで紹介記事は読んでいたので、『アイリ』というキャラクターに覚えはあった。

「なるほど、どこかで見たと思ったらそういうことか……。て、いや、それどころじゃない。どうする、寝かせておくべきかな」

 ショウは頭を振って、改めて彼女を見下ろした。

「やっぱり、寝かせて――」

「……いやなの。怖いの……」

 アイリは辛そうな表情を浮かべて、ささやいた。

 ショウは悩み、考え、頭をかきむしった。

 そして――

「起きろー!」

 怒鳴ってみた。休憩所には二人以外残っていなかったからできた暴挙である。

「はいっっ!」

 アイリは飛び起き、見慣れない風景にキョロキョロと視線を飛ばした。

「起きたね。よし、仕事いくぞ」

「え? え? え?」

「自分の状況を思い出して。もうみんな出て行ったよ。ヘタすると一日中ここに篭もるハメになるぞ」

 ショウは靴を履き、少女に手を差し出した。

 アイリはしばし呆けて、それからおずおずと手を伸ばした。

「ほら、いこう」

「……うん」

 アイリは小さくうなずいた。カバンを掴み、引かれるままについていく。

 ホールのほうから多くの声が聞こえてくる。皆、仕事の開示を待っているのだ。

「はい、静かに。おはようございます」

 受付台の()で挨拶する女性がいた。受付職員の中で最年長のパーザ・ルーチンだった。

 ところどころ返される挨拶を聞きながら、ショウとアイリは何が起きているのかわからず、とりあえず群集の最後列に回った。ショウはここへ来て三回目の朝だが、きのうもおとといも寝坊していたので集会は初めてだった。

「本日の作業依頼を発表します。まずは定番作業者レギュラー・メンバーから。名前を呼ばれたら依頼書を受け取ってください」

 ショウとアイリは更に頭の上に『?』を並べた。

 戸惑っている二人に気付いたのか、近くにいた青年が親切に説明してくれた。

 作業にはほぼ毎日のようにあるものと、一度かぎりの単発ものがある。前者が定番レギュラー作業と呼ばれ、それに従事する召喚労働者サモン・ワーカーを『レギュラー・メンバー』という。対する後者の単発スポット作業を行う者を『スポット・メンバー』と呼称している。

 ショウは二度うなずき、アイリはその倍以上の数と速度で繰り返した。

「コーヘイさん、サトさん、レイジさん、本日も薬草採取の警護をお願いします」

 二人が説明を受けている合間にも、レギュラー・メンバーに呼びかけるパーザの声が続いている。呼ばれたメンバーがパーザの補佐を務めるツァーレ・モッラから依頼書を受け取っていた。『警護』と言われるだけあり、全員が革鎧と剣を装備している。ショウは憧憬の目で彼らを見た。

「レギュラー枠から二名の空きが出ました。レベル2以上限定の早朝からお昼までの畑作業です。また、薬草採取班など、常時募集中の定番作業も掲示板に貼りだされています。興味のある方は後ほど受付までお越しください」」

 受付台から響くパーザの声にショウは寂しさを感じた。きっと空いた二名枠というのがカッセとリラなのだろう。二人はもうここにはいないのだ。

 スポット・メンバー選出がはじまった。高レベル者むけの作業から埋められていく。レベルが高い人間は低レベルの仕事もできるが、逆は不可能だからだ。例外が初心者でもできるグリーン・ラベルの仕事で、こちらはレベルが低い者が優先される。

 そうはいっても、全員に満遍なく仕事が回るわけではない。一つの募集に対し、希望者が複数集まるのが常である。よさそうな仕事や、楽そうな作業などを厳選している余裕はない。ヘタをすると稼ぎがないまま終わってしまうからだ。その心理をついた振り分けがパーザ・ルーチンは絶妙だった。

 最終的に、多過ぎる人数を淘汰するのはジャンケンである。ショウとアイリは、レベル1でも可能な依頼が出てくるまで大ジャンケン大会を見学していた。解説をしてくれた青年は三つ目の依頼でようやく仕事が決まり、依頼書を受け取ると二人に手を振って出て行った。

「では、ここからは先にグリーン・ラベルを決めます。レベル1の方、前に来てください」

 パーザに呼ばれ、ショウたちは受付前に集まった。合計6名、男4女2。レベル1は自分とアイリだけだと思っていた彼は、他に四人もいたのに驚いた。

 作業依頼は二つあり、一つが縫製工場での縫製作業と荷運びなどの補助、もう一つが建設現場の荷揚げ・手元作業だった。

「ではまず、建設現場のほうから。どなたかいますか?」

 ショウにはこの場合の選択肢はなさそうだった。ヘタに縫製工場を選んでジャンケン大会にでもなればアイリが弾かれかねない。

「「オレ行きます」」

 ショウの声と、もう一人がかぶった。小柄な黒髪少年だった。

「やっぱ男ならこっちだよな。よろしくな、マルだ」

 ニッと笑い、マルはショウの肩を叩いた。

「他にいますか?」

 パーザの問いかけに残った男二人は互いを見るが、それ以上の動きはなかった。

「では、縫製工場を希望する方」

 残り四名が手を挙げる。サイドテールの赤毛の少女だけが自己主張するように大きく手を上げ、アイリを含めた残り三人は肩の辺りで手がとまっている。

 ショウの横から舌打ちが聞こえ、マルを見ると二人の男たちに露骨に嫌な顔をしていた。情けないとでも思っているのだろう。

「募集は三名なので、優遇対象となる裁縫ができる方を優先したいと思います。挙手を」

 アイリと、二十歳くらいの男が小さく挙げた。「ホントかよ」とマルが毒づく。

 さすがにムッときたのか、男が「これでも服飾の専門学校に通っていたんだっ」と怒鳴った。が、その勢いはすぐに衰え、「中退したけど」と付け加える。

 マルはそんな彼をさらに挑発するかと思いきや、男のほうに体ごと向いた。

「それは悪かった。すまん」

 と、頭を下げた。

 全員が意外に思い、一瞬だけ空気が固まった。

「では、二人は決定ということで、もう一人は――」

「彼はともかく、彼女はわかんないでしょ」

 もう一人の女の子がアイリを指差した。

 アイリはビクつき、一歩下がった。

「いや、彼女が裁縫できるのはきのう見てたから知ってる」

 ショウがアイリをかばう。しかしそれがさらに彼女を刺激したようだ。

「何よあんた、関係ないでしょ。話に割り込まないでっ」

 その迫力にショウもたじろぐ。

 「ったく、めんどくせぇなぁ」マルが舌打ちしながら、縫製工場グループにいた最後の一人を引っぱった。

「おら、こっちこい。おまえがこっち来ればすべて解決なんだよ」

「ボク!?」

 見るからに気弱そうで少しふくよかな少年が、声を裏返させた。

「そうだよ。裁縫できんのか? できないんだろ? だったらこっちで男の友情深めようぜ」

「やだよ、せめてジャンケンで――」

「いいからこいって。これ以上、みっともないとこ見せてるとモテねーぞ」

「別にいいよ、そういうのがイヤだからこの世界に来たんじゃないかぁ!」

「バカヤロウ、こっちに来たからこそ、向こうで出来なかったことすんじゃねーのか? どうせならモテようぜ!」

 マルが強烈なウィンクをする。だが、少なくともこの場にいる女性には効果がなさそうだった。

「……わかったよぉ」

 どこに説得のツボがあったのか、彼は折れた。

 そんな彼の背中を「それでこそ男だ」とマルがバンッと叩く。

「なによあんた、いいとこあるじゃん」

 突っかかっていた女の子も、何がハマったのか『いい雰囲気』に流れていた。

「だろ? そっちも仲良くやれよ。仲間なんだからな」

「わ、わかってるわよ」

 彼女はアイリに「悪かったわね」とぶっきらぼうに謝る。意外な素直さに皆、内心で驚いていた。

「えー、では、メンバーはこれでお願いします。こちら依頼書になります」

 パーザが苦笑いしながらそれぞれに依頼書を配った。

「まずは朝メシ行こうぜ。おまえも来いよ」

 マルは引っぱりこんだ三人目のお仲間に目を向けた。

「ボクも?」

 三人目は驚いた。必要以上にかまって欲しくはなかった。

「いーじゃんか、今日のお仲間だろ。えと、名前なんだっけ?」

「……アキトシ」

「まんまか! まぁ、名前だもんな。大事だよな。オレはマルだ」

 「今おまえ、なんて言った?」とツッコみたいのを我慢して、ショウも名乗った。

 男三人がワイワイやっている横で、赤毛の少女がアイリに近寄った。

「あたしらも行こうか。あいつじゃないけど、ご飯食べるでしょ? いい店しってるから」

「あの、えと……」

 アイリは人見知りモードを発動させ、返事に困っていた。さらには、謝罪はされたが先ほどの剣幕はマイナス・イメージしか残っていない。

「あ、名前ね? アカリよ。あんたは?」

 「訊いていない」とは言えず、「アイリ……」とか細く答えた。

「やっぱ、インフィニのアイリなんだ? あれカワイイよね、狙い過ぎだけど。でもヒロインはやっぱ女騎士のエルティナでしょ? ね?」

「えと……」

 さらに答えに困る。

「そのへんも交えてとりあえず行こうか。ご飯食べる時間なくなるわよ」

「えーとぉ~……」

 アイリはそのままアカリに拉致られていった。ショウはアカリをそれほど悪い人間とは思わなかったので、あえて口を挟まなかった。

 そんな慌しい一幕のあと、レベル1グループ6名は、なぜか同じ店で同じ卓を囲んでいた。アイリを連れたアカリが先に店にいて、それからマルに引きずられたショウとアキトシが、最後に一人でゆったりと食事をするつもりだった元・服飾学校生のリーバがやってきた。店が混んでいるので相席となり、作為的ともいえる偶然の結果、同じテーブルにつくハメになった。

「なんであんたらまでこの店なのよっ」

 アカリがマルに突っかかる。

「オレのが先にこの店を発見したんだ!」

「あたしはあんたより先にここを教えてもらったわ」

「いつだよ!?」

 「騒ぐな」ショウは、テーブルに乗り出すマルのベルトを引いて座らせた。

「しょうもないことでケンカするなよ。どう見たってここ、召喚労働者ワーカーの溜まり場だろ」

 ショウが『コープマン食堂』の店内を見回す。どのテーブルも同業者で埋まっていた。異世界人管理局から最も近く、最もリーズナブルな食堂だからだろう。メニューの値段を確認して、ショウはすぐにわかった。

「チッ、今回は勘弁してやらぁ」

「なんで偉そうなんだよ」

 呆れるショウの正面で、アイリが注文を真剣に選んでいる。どうやら緊張は解けているようだ。

 ショウもメニューを広げてみたが、朝は専用メニューしかないのがわかった。チラリとアイリを覗うと、あからさまにガッカリしている。通常メニューに気になる物があったのだろう。彼女が倒したメニュー表はスイーツのページを上に向けていた。

 全員が注文を終え、しばらくの待機時間が生まれる。

「でさ、あんたら日本むこうではいくつ?」

「ブフッ」

 アカリの発言に、ショウは水を噴いた。

「いきなりリアルぶっこむか!?」

「なによ、これだってリアルでしょ? まさか夢をみてるとか思ってる?」

「いや、思ってないけど、この世界に実年齢とかプライベートを持ち込むことないだろ」

「そんなに怒ること? 軽く流せばいいじゃない。ちな、あたし17」

「なんだ、オバサンか。言動も体もガキっぽいから小学生かと思った」

 マルが呆れたように頭を振った。

「クソガキ、年下か。道理でサルっぽいと思った。マルじゃなくてサルでいいわよね」

「なんだと?」

「やめろっての。だからそういう話をするなっていうんだ」

 誰も仲裁しないので、仕方なくショウが二人を止める。

「そういうおまえは何歳なんだよ。妙に悟ったように言いやがって」

 マルの矛先がショウに移る。

「だから話さないっての。親友にでもなったらそのときな」

「よーし、なってやるからみてろ」

「はいはい」

 ショウがため息をこぼしたとき、最初の注文が届いた。Aセットが3つ。ショウとアイリとリーバの分だ。パンと野菜スープ、ハムののったサラダがセットになっている。ドリンクには紅茶がついてくる。コーヒーはそもそもないらしい。

「久々に食事って感じだ。一日目以来だな」

 そのときも思ったのだが、この街の食事は基本的に塩気がきいている。というか、他の調味料がないのだろうかと疑いたくなるほど、塩味が目立つ。

 そのうちに他の三人にも食事が運ばれてくる。マルとアカリが目玉焼きとウィンナーがメインとなるBセット、アキトシはピザ・トーストとマッシュ・ポテトのCセットだ。

 腹が満たされると心も安らぐのか、その後は揉め事もなく店をあとにした。

 途中で道を分かち、それぞれの現場へと向かう。

 ショウたち三人は建設現場ということで身構えていたが、規模としては大きなものではなく、作業も楽ではなかったが想像したよりも苦労はしなかった。高所で足場が悪く、材木などの長・重量物の取り扱いであったが、監督の指示に従い、装備を整え充分に注意を払って行動をしたからだ。作業前の危険予知(KY)活動がしっかりとしていたおかげであろう。

 ただ、ショウがこの日に学んだ一番のことは、町のトイレ事情だった。それまで魔術式水洗トイレしか使ってこなかった彼だが、一般的な家や店では桶が便器であるのを知る。

「これはキツイなぁ。そっか、これが本当のこの世界なんだなぁ」

 少年は臭いに顔をしかめながら用をたした。

 異世界人管理局への帰路は、マルの提案で行きとは別の道を選んでいた。ショウ一人であれば大した寄り道もしなかっただろう。三人だからこそ知らない道も楽しめた。町という小さな舞台ではあるが、一つの冒険に違いはない。もしかするとこの同期三人でもっと大きな冒険に出る可能性もあるのではないかと、少年は少しワクワクした。

 一時間ほど歩くと見覚えのある場所に出た。ショウが昨日、朝市の仕事をした広場だ。

「あ、三バカ発見」

「誰がだ!」

 不意の声にマルが噛み付く。声の主はアカリだった。

「あんたらよ、あんたら。ガキみたいに街中まちなかではしゃいで」

「いーだろがっ。おまえ、ダチがいないからってヒガんでんじゃねぇよ」

 「ふっふーん」アカリは鼻で笑い、背後にいたアイリを前面に押し立てた。

「友達ならいるもんね」

「……脅迫されているなら助けるけど」

 ショウがアイリに訊く。

「あんた、失礼でしょうがっ」

「いや、朝あんなに噛み付いといて、友達と言われてもな」

「そ、それはそれじゃないっ。仕事を通じて結ばれる友情だってあるわよ」

「まぁ、あるにはあるだろうが……」

 チラリとアイリを見る。彼女の表情は困ったままだった。

「やっぱイヤがってんじゃん」

 マルがしらけた眼でアカリを見る。

「えと、そうでも、ない……かな」

 アイリがつぶやくと、アカリは我が意を得たと彼女に抱きついた。

「どう、これが友情パワーよ!」

「どうでもいいや、行こうぜ」

 そろそろ飽きてきたマルが、すべてを打ち切って歩きだした。

「おまえ、すげぇ身勝手だな」

 ショウは苦笑してアイリたちに手を振って続いた。アキトシは軽くお辞儀をしてからついて行く。

「待ちなさいよ。どうせ同じところに行くんでしょうがっ」

 アカリはアイリの手を引いて追いかける。結局、呉越同舟である。

「そっちはどうだった?」

 アカリがマルとの舌戦を再開しはじめたので、ショウはとなりのアイリに訊ねた。

「ずっと服を縫ってた。肌着だと思う。ミシンがないから、ちょっと大変」

「そっか。こっちは建築中の家で、床とか壁の板を三階まで上げてたよ。握力がもうないや」

 強く握ろうとしても力が入らない。今日はツァーレ・モッラに頼んで魔術治療を頼もうと思った。

「大変そう」

 「大変だったよ」ショウは笑う。

「この世界に来なきゃ、一生経験しなかったかもな」

「働くって大変なんだね。わたし、知らなかった。大人になれば自然とやることで、自然にやれることだと思ってた」

 その発言に、ショウは本当の彼女も見た目どおりの小さな女の子なのだろうと推測した。

「この世界はアイリには合わないか?」

「……わからない。来たばかりだし。でも、キライじゃない。ここには、わたしとちゃんと話してくれる人がいるから」

「あー、それ。オレもそう思ってた。日本での自分にはちゃんと話せる人がいたんだろうかって」

「……いなかったの?」

 アイリは戸惑いつつも訊ねた。その答えを彼女自身が探している。

「いたんじゃないかな。たぶん、おそらく、だけど」

「それなら、どうしてそう思ったの?」

「決め付けてたんだよ、いないって。でも、本当はそうじゃないのかもしれない。こっちから話さなかっただけでさ。……まぁ、そもそもオレにはそんな真面目で深刻な話なんて何もなかったからなぁ」

 少年は照れ隠しに笑った。

「ショウさんは、日本に帰りたい?」

 その質問はきっと、彼女自身の迷いなのだろう。自分がそうであったように、彼女もまた、今と以前を比べて答えを出せずにいるのだ。

「オレは決めてるんだ。この世界で何かをやりきって、アリアドに会うって。そして日本に帰る。帰れるかどうかわかんないけどな」

 ショウは自然と笑顔になった。今日の昼で帰還できる刻限は過ぎていた。このさきは進むしかなかった。

「……」

 アイリの表情は彼とは対極だった。彼女にはまだ悩む時間が与えられている。それに、覚悟もできていなかった。

「……なぁ、アイリはこの世界で何かしたいか?」

 ショウの唐突な問いかけにアイリは首を振った。「わからない」というつぶやきは嘘ではなかった。

「もし残ると決めたときは、いっしょにがんばってみようぜ。マルもアキトシもアカリもいる。同期でパーティーを組んでみるのも悪くないだろ」

 少年は顔を輝かせた。

 少女はドキッとし、下を向いた。肯定も否定もできなかった。

「おい、ショウ! こいつが寂しいからいっしょにメシを食いたいとか言ってんだけど、どうする?」

「そんなふうに言ってないでしょ! たまたまいっしょになったからついでにって――」

「それが寂しがりッてんだよ」

「このクソガキー!」

 騒がしさがさらに増す。ショウはただ笑い、アキトシが仲裁に入る。一番後ろのアイリはそんな四人を眺め、少しだけ顔をほころばせた。

 その夜、コープマン食堂でショウたちは乾杯をしていた。何の記念か、誰のためのかも知らずに、ただ雰囲気に流されて。テーブルを囲み、雑談し、食事をする。途中でまたも一人で食事にやってきたリーバを巻き込んで、レベル1の勇者たちはささやかな宴を楽しんだ。


 ショウが目覚めたのは昨日同様、早朝のざわめきによってだった。まだ眠っているマルたちとともに、昨夜はコープマン食堂で最終時報となる20時の鐘が鳴り終わったあとも騒いでいた。そのおかげで寝床を確保できずに床で寝るハメとなったのだが、疲れは残っていなかった。ツァーレ・モッラに頼んだ回復魔法のおかげである。

 アキトシとリーバも目をこすりながら起き上がり、アカリも「うるさいなぁ」とボヤきつつダルそうに上体を起こしていた。マルは自分のカバンを抱きしめてイビキをかいている。

 アイリは二日目特権で板の間で寝ていた。手には縫いかけの服が握られている。ショウがケリーの倉庫からもらった物だった。

 一度伸びをして、ショウは立ち上がる。アイリとマルを起こして朝の集会に出なくてはならない。

 一日の開始を告げる6時の鐘が鳴った。異世界人管理局・一階エントランスホールには召喚労働者サモン・ワーカーたちが集い、本日の依頼案内当番のベル・カーマン嬢がおっかなびっくり受付台に上がるのを見守っていた。彼女の年齢はツァーレ・モッラとパーザ・ルーチンのちょうど間で、背の高さも二人の中間であった。受付としての能力は際立ってよくはないが、不足もない。ワーカーたちからの評価は『普通の人』である。ただ、その普通さが落ち着くという理由で隠れファンは少なくない。

「みなさん、おはようございます」

 律儀に頭を下げるベル。つられてなぜかほとんどの人間が頭を下げている。なんとなく小学校の先生を思わせるのだ。

「今日はみなさんにとても大切なお話があります」

 新人たちを除いて一同がザワめきだした。このはじまりを『知っている』のだ。

「特務が来ました」

 やはり新人以外がざわめく。その顔は人によって異なり、不安を駆り立てる者、陽気に口笛を吹く者、何かに祈る者と、反応が違い過ぎてショウたちは困惑するしかなかった。

 マルが近くで頭を抱える先輩の肩をつかんだ。

「おい、特務ってなんだよ!?」

 先輩は「すぐわかる」とため息を返した。

「はい、静かにしてくださいね。特務についてわからない新人さんもいらっしゃるので、改めて説明いたします」

 ベルがゆったりとした声で話しはじめた。

 特務とは特殊任務の略で、民間からの依頼ではなく、国や都市などの公的機関から持ち込まれる案件だった。仕事はさまざまあるが、主には魔物討伐や要人警護、かわったところでは偵察任務などもある。機密性が高く、受けた依頼については他言は禁じられている。もし破った場合は最悪、死刑もある。

「――と、いったように、とても大切なお仕事です。そのぶん報酬も高めに設定されていますので、みなさん、ご参加のほうよろしくお願いいたします」

 ベルはお辞儀をした。

「へぇ、カッコいいじゃん。けど、オレたちみたいなペーペーには関係ないな」

 マルの感想はショウも同意するところだった。

「では、肝心の特務内容ですが――」

 ベルの次の一言を待つ間、周囲からは生唾を呑む音がいたるところで聞こえた。

「コードOBTです」

 阿鼻叫喚に変わった。期待していた者も、不安を感じていた者も、祈りを捧げていた者も頭を抱え、嘆いた。もちろん、ホールにいる全員が理解しているわけではない。特務だけあってコードOBTの内容を知らない者のほうが多く、この騒ぎの異様さにヒいている。

 ショウたち初心者もその仲間だ。

「な、なんだよ!? そのコード・おーびーてぃーって」

 マルが膝をついて絶望する先輩召喚労働者(サモン・ワーカー)の胸倉を掴んで迫る。

「言えない……。教えたいが言えないんだ……。言ったら、言ったら……」

「特務の掟ってやつか……」

 ショウたち初心者チームは恐ろしさに震えた。

「今回の募集人数は三名、任務期間は本日8時から明日18時までとなります。報酬額は50銀貨シグルです。では、参加者を募集いたします。我こそはと思う方、挙手をお願いします」

 にこやかに促すベルに対し、集会場は静まり返っていた。それどころか彼女のほうを見もしない。

 ショウたちも沈黙を保っている。そもそも初心者にできる仕事ではないのだから、蚊帳カヤの外だと思っていた。

「……誰もいらっしゃらないようですね。では、特務規定により、強制選出を行います」

 周囲で安堵の声が広がる。強制的に仕事をさせられる可能性があるのに、なぜか一様に「助かった」と胸を撫で下ろしていた。そしてその眼は、なぜかショウたちに注がれている。「気の毒に」というつぶやきもあった。

「なんだ、なんなんだよ?」

 マルでさえ、異様な雰囲気に後ずさりする。

「では、レベル1の方で、この地に72時間以上滞在している方、挙手の上、前に出てきてください」

「は?」

 ショウは耳を疑った。なぜ最下位レベルが呼ばれるのだろう。しかも滞在時間まで指定で。わけがわからないが、ショウ、マル、アキトシ、アカリ、リーバの五人が前に進み出た。アイリの心配そうな顔をショウは見た。

「ジャンケンをお願いします。負けた三名が特務班となります」

「負けたほうなの!? これ絶対、ヤバそうな仕事じゃない!」

 アカリが危機感を増して声を上げる。諸先輩は「あ、気付いちゃった」みたいな顔をしている。

「あ~、神様、あたしに力を!」

 アカリが天を仰ぐ。

「どの神様にお祈りでしょうか? 今でしたら光の神(シャイネ)様があなたを歓迎いたします」

 神官でもあるツァーレ・モッラが印を切りながら勧誘する。

「あたしを勝たせてくれたら考えてもいいわ」

 アカリはため息をついた。

「では、ジャンケン――」

 ベルの掛け声に合わせて、五人がかまえた。

「ポイ!」

 「ちぇー」とマル。

 「ホントにぃ?」とアキトシ。

 「しょうがないか」とショウ。

 勝者のアカリとリーバは、ハイタッチをして喜んでいた。

「では、特務班のショウさん、マルさん、アキトシさんは、二階の第二会議室で出発の準備をしてお待ちください。他の方は、通常の依頼をご紹介しますので、そのままで」

 会場が緊張から解放された。見知らぬもの同士でも肩を叩いて喜びを分かち合っていた。

「なんだよこれ、新人イビリじゃねーの?」

 マルが不平を漏らす。今回ばかりはショウも同意せざるを得ない。

「ショウさん」

 アイリが人波を掻き分けてやってきた。珍しく切羽詰った表情だった。

「まいった。今日はいっしょにメシも食えそうにないな」

「……うん。それと、あのね……」

「おい、ショウ、上でパーザの姉さんが呼んでるぞ。急げって」

 マルが階段から顔を出して叫んだ。

「わかったよ。……じゃ、また明日な。たっぷり報酬出るから、夕飯、奢るよ」

「あの……、あの、ありがとうっ」

「まだ気が早いって。明日、楽しみにな」

 ショウは手を振って階段を上がって行った。アイリはその姿が消えるまで、じっと見送った。

 第二会議室にショウたち三名が入ると、待っていたパーザ・ルーチンが一人ずつに書類を差し出した。

「確認のうえ、サインをしてください」

 三人は手にとって日本語訳のついた文章を読んだ。守秘義務に関する同意書兼契約書だった。本日8時から翌18時まで生活管理局での作業に従じ、その内容については一切の他言を禁ずるとある。反故した場合の罰則についても記述があった。

 三人は胡散臭く感じてもサインせざるを得ない。特務を放棄すればそれはそれで罰則が待っているからだ。

「……はい、手続きは終了しました。このまま裏口から出て、待機している馬車に乗ってください。現場まで送ります」

「贅沢だなぁ」

「特務だからな。それくらいの役得はないとな」

 マルは喜び勇んで部屋を出て行った。

 裏口で待っていたのは馬車だけではない。早々に仕事が決まった召喚労働者サモン・ワーカーたちの姿もあった。

 馬車に乗り込む三名にしきりに声をかけてくる。「がんばれ」「くじけるな」「宿命だ」「泣くなよ」と励ましの声を多い。

「……おい、なんか本気で心配になってきたぞ」

「うわぁ~、すっごいヤな予感がするよぉ!」

「今回はマジでヤバイのか?」

 見送られる三名には不安しか募らなかった。

 最後に振り返ったショウは、もう小さくなった群衆の中にアイリを見つけた。何か叫んでいたが聞こえない。大きく手を振る彼女が、どこか物憂げに見えた。


 馬車が行き着いた場所は、外区でも外れにある大きな施設だった。そもそもショウたち三人は外区へ来たことがない。就労レベル1の異世界人は内区と外区には立ち入り禁止だからだ。これは異世界人にとっても、中で生活する者たちにとっても安全のためである。滞在五日以上、就労レベル2で受けられる第二講習は、内・外区移動に関するものだった。今回は特務なので例外であり、それでも自由行動は許されていないので馬車での移動となったのだ。

「……なんか、臭わないか?」

 ショウが鼻を塞いだ。

「ああ、する。つか、マジ臭ぇ」

 マルも鼻をつまんで呼吸を抑えている。

 御者は何も語らず、マスクをして敷地内に入った。

 建物の扉前で馬をとめ、三名に降りるように促した。

 下車すると、馬車は何も言わずに街のほうへ戻っていった。

「なんだ、ありゃ。どうしろってんだ?」

「扉があるんだから、入れってことだろ」

 ショウは扉をノックした。中から「どうぞ」という声が返ってくる。

「失礼しまーす」

 扉を開け、中に入る。異世界人管理局のエントランス・ホールほど広くはないが、充分なスペースに20脚ほどのデスクが並んでいた。そのうちの一つに、先ほどの声の主らしき小太りの中年男性が座っていた。なぜか全身を覆う防護服姿である。

「依頼した召喚労働者ワーカーだね。キミたちを担当するサミュエンだ。よろしく」

「こちらこそよろしくお願いします」

 ショウが代表して応え、三人は頭を下げた。

「とりあえず扉はすぐ閉めて。となりの部屋で説明するから」

 サミュエンは立ち上がり、となりに続く扉の前で三人を待った。

 ショウたちは案内されるまま隣室のロッカールームに入り、与えられた仕事着に着替えた。

「では、作業の説明をはじめる。わたしはナンタン生活管理局・衛生管理課・課長のサミュエンだ。キミたちにはこれから、衛生業務に携わってもらう」

「衛生業務……?」

「平たくいえばウンコの処理だ」

 課長は今までの硬い表情を一変させ、破願一笑した。

「「ウンコ!?」」

 当然ながら三人は叫んでいた。この驚く顔を見るのが課長の楽しみの一つであった。

「左様。ここでは街の汚物(OBT)を一括処理している。下水路から流れてくる物はもちろん、各家庭の回収物もね」

「ウンコ……」

 アキトシはまだショックが抜け切れていなかった。

「普段は外区の労働者を雇っているのだが、今日は人手が足りなくてね。そこでキミたちの出番となったわけだ」

 サミュエンは大笑いした。

「ウンコ……」

「この仕事は街を保つために絶対必要な仕事なんだぞ? キミたちだって汚物にまみれた街に住みたいとは思わないだろ?」

「はい……」

「こういう裏方がいるからキミたちは綺麗な街を見ていられるんだ。その感謝を込めて作業に従事してもらいたい」

「なんかうまくまとめられてる気がするぞ」

 マルが不平をこぼすが、課長はまったく気にしない。

「仕事は仕事だ。嘆いたって終りゃしないんだ。ともかくやろう」

 ショウは開き直った。考えても嘆いても逃げられはしないのだから。

「うむうむ、偉いぞ。ま、どれだけ働こうが町が滅びるまで永遠に続く仕事だがね。では行こうか」

 課長はロッカールームからさらに奥の扉を潜って廊下へ出た。

 道すがら、サミュエンは処理場についての熱い想いを語った。

「昔は穴を掘って埋めていたのだが、町が大きくなるにつれ、それだけでは間に合わなくなっていった。キミたち異世界人の先輩たちが召喚されるようになり、この町に集まりだした頃だ。不衛生な町の惨状に彼らは我慢ならず、処理場の建造を訴え、完成させた。汚物を効果的に堆肥たいひへと変える技術もそのとき教わった。昔はそりゃ臭くて汚い街だったよ。それが下水道や汚水処理場ができて以降、町は少しずつ綺麗になっていった。汚さに慣れていた住人の意識も徐々に変わっていったよ。今でも異世界人を嫌う住人は大勢いるが、わたし個人はとても感謝しているよ」

 サミュエンの心情は、その長い語りから伝わってくる。三人は誇らしかった。自分はまだ何も成してはいないが、先輩たちのように語り継がれる人物になりたいと思った。

 だが、その決心も扉が開くまでだった。

 第一処理室でマルが、次にアキトシ、最後の行程を行う部屋にショウが配属された。それぞれに作業内容は異なるが、やっているのは同じ汚物処理である。

 日中の仕事が終わっても、続く夜業が待っていた。街を巡り、各家庭から汚物の詰まった桶を回収する仕事だった。これには馬車の御者として外区住民が雇われており、ショウは自分とさして年の違わない少年と回ることとなった。

「みんなが寝ている間に、こんな大変な仕事をされているんですね」

 ショウは荷台に肥入り桶を積みながら、御者に話しかけた。

「こんな仕事でも、ないよりはマシだからな」

「え?」

「異世界人にはわからないだろうよ。……次はそこだ。さっさと行って来い」

 ショウは問いかけたかったが、許す雰囲気ではなかった。「はい」と応じ、新しい桶とフタを持ってまた走った。

 夜業明け、数時間の睡眠のあとはまたも処理施設での仕事が待っていた。16時までこなし、残りの時間は風呂に入って汚れと臭いを落とした。

 出発ギリギリまで風呂で過ごし、自前の服を着る。作業依頼書にサインをもらい、笑顔でサミュエンに別れの挨拶をした。終わってみればあっという間の出来事だった。

「帰ったらアイリにメシを奢らなきゃな」

「50銀貨シグルだもんな。なに買おうかな」

「ボクは貯金しておこう……」

「ンだよ、ケチくせぇなぁ。ぱーっと使おうぜ、ぱーっと」

「そ、そうだね。たまには使おうかな、自分のご褒美に」

「たしかに今回は自分に褒美をあげたい気分だな」

 そんな楽しい会話が帰りの馬車のなかで繰り広げられた。

 18時25分、三人は異世界人管理局の裏口で馬車を降りた。出迎えたパーザ・ルーチンに従って二階の第二会議室で作業終了を報告し、報酬を受け取った。

 その際、聞きなれないファンファーレと音声が流れた。

『マル ハ レベル ガ アガッタ!』

『アキトシ ハ レベル ガ アガッタ!』

『ショウ ハ レベル ガ アガッタ!』

 三人はきょとんとして、それから「マジかぁー!」と叫んだ。

「おめでとうございます。全員、レベル2と認定されました」

 パーザの声はいつもどおり事務的だった。

「三名は明日10時に研修室へお越しください。召喚労働者・第二講習を行います。なお、受講されませんとレベル2の作業には従事できませんのでご注意ください」

 「了解っす!」マルは上機嫌で敬礼した。

「けどよ、なんでオレとおまえで同じ日にレベルが上がるんだよ? おかしくね?」

 マルはショウのレベル・アップに不満そうだ。同レベルとはいえ、滞在期間を考えればショウはまだのはずである。

 その疑問にはパーザが答えた。

「特務を完了したからでしょう。レベル・アップにはいくつかの要素があります。作業回数や顧客満足度などですね。特務は国政につながる任務ですから、成功させれば評価は通常よりも高まります。そもそもマルさんの場合、作業回数も少なかったですよ? 召喚から14日間レベル1というのは、圧倒的ワースト1位です」

 「へいへい」マルはふてくされて背中を見せた。説教はゴメンだといわんばかりだった。

「これ以上はメシがマズくなる。明日のことなんて明日でいいんだよっ」

「そうだな、今日は食って休もうか」

 ショウも賛同した。

「おっし、行くぞぉー!」

 マルが大はしゃぎで会議室を出て行く。アキトシも珍しく陽気にあとを追った。

「それじゃ、お疲れ様でした」

 さらに続こうとショウも立ち上がる。と、パーザが彼に呼びかけた。

「もう一点、あなたにお話があります」

「オレだけですか?」

「はい。これを……」

 そう言って、彼女は床に置いていた物をショウに差し出した。

「これ……」

 見覚えがあった。少し汚れた白い肩掛けカバン。

「それと、これも預かっています」

 一通の封筒だった。宛名にショウの名があった。予感ではなく、予測でもない。差出人はすぐにわかった。封筒を裏返すと、頭に浮かんでいた名前があった。

「アイリ……」

 ショウはつぶやき、腰から砕けるように椅子に座った。

「アイリさんは――」

「帰ったんですね、日本に……」

「はい。それをあなたに渡してくださいと頼んで、今日の正午、アイリさんは帰りました」

 パーザはそれだけ告げ、会議室を出て扉を閉めた。

 ショウは不思議と何も感じなかった。もとより、出会って数日の間柄だ。深い友情を築いたわけでも、ましてや愛情が芽生えていたわけでもない。ただ出会って、話して、仕事をして、ご飯を食べて、それだけだった。

 手紙を開いた。少女らしい可愛い文字だった。

 それにはショウへのお礼と、川見幸かわみさちという日本での彼女のことが書かれていた。『アイリ』というゲーム・キャラクターのことにも触れており、熱がこもっていたのか筆圧を強く感じた。

 読み終わったとき、ショウの目に涙が浮かんだ。それは流れ落ちることなく、ただ溢れてとまった。

 無造作に彼女が使っていたカバンをとり、開けた。彼女が繕ってくれた古着があった。

 穴が大きすぎたのか青い端切れでパッチがしてあった。凝った意匠だったので、元からのデザインかと勘違いした。袖のほつれまで完璧に直してある。

 そしてカバンの底にもう一つ、彼女がここにいた証がしまってあった。

「なんだよ、まさかと思ったらまだここにいやがったのかよ」

 マルが乱暴に扉を開けて入ってきた。後ろにはアキトシと迷惑顔のリーバ、それと室内を眺め回しているアカリがいた。

「早くメシいこーぜー」

「お腹すいたよぉ」

「なんでまたオレまで……」

「あれ、ここにもアイリ来てないの?」

 賑やかになる会議室で、ショウは少しだけ笑った。

「悪い、さきに行っててくれないか。どうせコープマンだろ? おごるから好きなもの注文して待っててくれ」

「マジ!? ちょっと金が入ったからって調子に乗ってんじゃん。遠慮はしねーからなっ」

 マルは言い捨て、ダッシュした。

「アキトシとリーバさんも行っててください」

「そう? じゃ、おさきに」

「悪いな、オレまで」

 二人はマルを追うように続いた。

「あたしはアイリを探してから行くわ。あの子、きのうも今日も仕事を休んだのよ? 体調悪いのかな。今朝は元気だったんだけど……」

 アカリが心配そうに顔を曇らせた。

「そのアイリのことで話があるんだ」

「なに?」

 ショウの重い声に、アカリはいぶかしげに彼を見た。白いカバンが映った。

 「それ……」アカリは大股で近づいた。

「なに? 何があったの? アイリは大丈夫なの!?」

 アカリは最悪の想像をして蒼白になった。

「大丈夫だよ。ちゃんと元気でいる」

「あ、そう? ならよかった……」

 安堵はしたが、安心はできなかった。

 ショウは自分宛の手紙をアカリに渡した。アイリは怒ったりしないだろう。彼女ならきっとアカリにも知ってもらいたいと望むはずだ。

 アカリはむさぼるように読み、肩を震わせた。

「……なによこれ。こんな、勝手じゃない!」

 感情のはけ口がわからず、アカリはショウに怒鳴った。

 きのうも今朝も、アイリは何かをずっと考え込んでいた。それは頼りにしていた少年が一日とはいえ離れてしまったからだろうとアカリはニヤニヤしていた。実際、彼女に問いかけると「寂しい」と答えた。そして仕事まで休んで「やりたいことがあるから」と男物の古着を繕いだした。

「なに、仕事サボって直すの? こりゃ重症ね」

 からかうアカリにアイリは照れもせずに言った。

「これが今、わたしがしたいことだから」

 アカリのほうが赤面するセリフだったが、手紙を読んだ今ならわかる。彼女は残していきたかったのだ。どんな些細なことでも何かを成し遂げたという証を。やりきって、本当の世界でもやりきれるという自信を身につけて帰りたかったのだろう。たった72時間の大冒険を無駄にしないために。彼女にとって、この世界は奇跡だった。

「……あたしさ、両親が何をするにも口うるさくて、いいかげん頭にきてこんな世界イヤだって叫んだらこっちに来ちゃったの。すっごい清々した。でもさ、あの子は違うのね。帰りたいところがあって、自分で帰ろうって決めたのよね」

「そうだな。オレとも、おまえとも違う。まっすぐに現実を見ていたんだ」

「なんだろね、あの子。まだ中二だって言ってたくせに……」

 アカリは打ちのめされた気分だった。友達というよりも、妹分のように感じていた自分が恥ずかしかった。

「マジか。オレが中二のときなんて野球ばっかやってたぞ」

「あたしなんて繁華街で遊んでたわ」

 二人は笑った。

「……これ」

 ショウはカバンに残った最後の品物を出した。

「なにこれ、くれるの? すごい綺麗じゃない。……あれ、なんかこれ、エルティナの普段着に似てない?」

 一着のワンピースだった。肩や腰、裾の部分が本体と異なる生地でできていて、他にも各所、補強やおしゃれを気遣って縫製がされている。ケリーの倉庫からもらった二着の服を、一着に仕立て直したものだった。目立たないが、襟に小さく銀糸で『AKARI』と刺繍が施されていた。

「アイリから、おまえにだよ」

「……なんでよ、まったく……」

 アカリは抱きしめ、涙をこぼした。馬鹿な妹分を笑ってやろうとして、うまくいかなかった。

「コスプレいっしょにしたかったんなら、言えっての……」

 アカリは大声で泣いた。


 二人は落ち着くと、仲間の待つコープマン食堂へ向かった。

 アイリの服を着ないのかとショウは訊いたが、アカリは首を振った。

「あのサルにゼッタイ笑われる。それに、もらってすぐに汚したり破いたりしたら申し訳ないしね」

 ショウはテーブルに揃った仲間に、アイリの帰還を告げた。

 場が一瞬静まったが、マルがいつもの調子で空気を壊した。

「帰りたいヤツは帰ればいいんだよ。それがそいつの生き方なんだ。そんだけだろ」

「おまえ、ときどきいいこと言うよな」

 黒髪の少年ほど割り切りのよくなかったショウは、素直に感心した。

「オレはいつでも本音トークしかしねーよ! オラ、乾杯しようぜ。72時間しかいなかったけど、いっしょにメシ食った仲だ。オレたちくらいは覚えておいてやんないとな」

「ホント、いいこと言う。ウルトラ・レア・カード並みだけど」

「うっせーな、レベル1のくせに! オレたちゃレベル2だぞ! ひれ伏せ!」

「はっはーんっ。あたしも今日、レベル2に上がったわっ」

 「オレも上がりました」リーバが小さく主張するが、誰も反応しない。

「なにぃ!? 他人に難癖ばっかつけてるババァが?」

「なによ、クソザル。……ん? ホントにクソみたいな臭いさせてるじゃない!」

 アカリが鼻をつまんで席を離す。

「おまえ、コノヤロ。せっかく忘れかけてたのに……!」

「わぁ、マル、言っちゃダメだって!」

 アキトシがマルの口を塞ぐ。

 そんな光景を、ショウは笑って見ていた。

「笑ってんじゃねぇ。おら、おまえが音頭とれよ。あいつの初めての友達ダチだろうが」

「わかった。それじゃ、アイリの帰還と未来に――」

「乾杯!」


 正午の鐘が鳴る。

 アイリはこの地に初めて降り立った場所にいた。異世界人管理局に隣接する召喚聖堂ホールだ。

 入国管理課で手続きをして、この場で待つように指示された。手荷物は何もない。すべてを一つのカバンに収め、置いてきた。ウエスト・ポーチは一足早くガラクタ置場に返した。またいつか必要とする人が現れるだろう。肩掛けカバンはどうするだろう。手紙に書き忘れてしまった。返しておいてくれるだろうか、それとも、自分のかわりに使ってくれるだろうか……

 そんなことを考えていると体が軽くなった。この感覚は知っている。召喚されたときと同じものだ。

「帰還をお望みですか、アイリさん」

「はい」

 目の前に立つ魔女アリアド・ネア・ドネに、アイリははっきりと答えた。

「この世界はお気に召しませんでしたか?」

「いえ、優しいところでした。もっといたかったです」

「ではなぜ?」

「日本でやらなければならないことがあるからです」

「今までやらなかったことですか?」

 アリアドは召喚した者のほとんどすべてを知っている。いや、知らなければ召喚ができなかった。

「はい。それと、やりたかったことです」

「うまくいくとはかぎりませんよ? だからこそあきらめ、ここへ逃げてきたはずです」

「それは以前のわたしです。今のわたしは、変わりたい、変えたいと思っています」

 彼女が理想とする『アイリ』が、そうであったように。

 アリアドはしばしピンク髪の少女を見つめ、それからガックリと肩を落とした。

「はぁ~、せっかく召喚に成功したのに……。それにあなたには素養があったのよ? それだけの肉体変換の苦痛にも耐えられる精神力と意志の強さ、それに人を想いやる気持ち。それがあればいつか本物の勇者にだってなれるはず。ね、もっかい考え直さない?」

 急にフランクになるアリアドに、アイリは苦笑いした。そしてこんな表情ができる自分に驚いた。

「……ありがとうございます。この数日はわたしの宝物です。本当に、素晴らしい時間でした」

 彼女の笑顔に、アリアドはあきらめた。

「はいはい、わかりましたよーだ。じゃ、最後の質問。あなたはすべてを望む? それともすべてを捨てる?」

「え?」

「あなたはここで得たすべてを持ち帰ることができる。もしくは何も持ち帰らない。時間も、物質も、記憶も」

「それは、この体もってことですか?」

「体は無理。あなたの世界とは構成が違うから、また肉体変換をして元の体に戻すわ。だからそれ以外ってことになるかしら」

「でもそれでは、持ち帰らないメリットはないような……気がします」

「そうでもないわ。過ごした時間もなくなるなら、元の世界であなたがいなくなっていた時間すら存在しなかったことになる。なんでしたか……ウマシカダロウ?でしたか、海から地上に出たら時間が進んでいたというお話は」

「浦島太郎……」

「ああ、それ。すべてを持ち帰ればその状態よ。もっとも、いなくなっていたのは72時間なんだけどね。それに、人によってはいい記憶だけではない。降り立った瞬間、強盗に襲われて刺された人もいたし。その彼は泣き叫びながらすぐに帰ったわ」

 アイリは体を震わせ痛そうな顔をした。

「それらを踏まえて、あなたはどうしますか?」

 アイリの心は決まっている。しかし、すぐには答えなかった。

「その前に一つだけ質問してもいいですか?」

「なに?」

 アイリの問いに、アリアドはごまかさず答えた。それが本当なのかどうかはアイリにはわからない。けれど、彼女の心は晴れた。

「ありがとうございました。では、わたしの答えです」

 アイリは笑顔で望みを伝えた。

 ギザギ十九紀14年7月8日正午、アイリ、日本へ帰還――


 日本、東京。八月の日曜日――

 少女は自宅の階段を駆け上がった。バス停へ向かう途中、忘れ物に気付いて走って戻ってきたのだ。

 フローリングの床をドタドタと走る娘に、母親が「うるさいわよっ」と台所から注意した。

 父親は朝食後のコーヒーを飲みながら、肩をすくめるだけだ。

 少女にも母の声は届いていたが、時間がない。部屋に飛び込み、机に置きっぱなしにしていた紙袋を取った。

 再び慌しい音。

 我慢ならず、母親は玄関で娘を待ち構えた。

「なんなの、うるさいわねっ」

「ごめんなさいっ。バス行っちゃうから、あとで」

「あとでなんて覚えてないでしょうがっ」

「もう一度、いってきまーす」

 娘は手を振って走っていった。

 「まったく」と呆れる母親に、父はコーヒーを飲みながら「いいじゃないか」とのん気に言った。

「元気になったんだから」

「なりすぎよ。一月ひとつき前まであんなだったとは思えないわ。……ホントに、あの三日間で何があったのかしら」

「あいかわらず話さないのか?」

「ええ。怪我も事故もなかったからいいけど……」

「まさか、あの子が家出をするとはな」

 当時の自分を含めた大騒動が懐かしく思えた。突然いなくなった娘を探して、警察や消防まで動いていた。学校側は彼女に対するイジメをようやく認め、対策を練るようになった。

 その中で、娘は空っぽだったはずの部屋から突然現れた。

 驚く二人に、娘はさらに爆弾を投げた。

『わたし、明日からちゃんと学校行く。今まで迷惑かけてごめんなさい。それと、ありがとう、わたしを大切に思ってくれて』

 大きな声ではっきりと語り、深く頭を下げる娘に、親は何も言えなくなった。

「性格や世界観が変わるほどの大冒険でもしてきたのかしらね。あんな服を自分で作って見せびらかせに行くなんて」

「子供にはどんな些細なことも大冒険だよ」

 父は冷めたコーヒーを飲み干し、テレビのリモコン・スイッチを入れた。

 今日もどこかで起きた若者の行方不明事件が報道されていた。

 少女は走りながら紙袋の中身を確認する。そこには薄ピンク色のウィッグが入っていた。肩から掛けた大き目の白いバッグには、きのう完成したばかりの真新しい神官着が収まっている。今日は彼女のコスプレ・イベント・デビューである。

「遅ーい、サチ。バス見えてるよー」

 バス停から手を振る友達の姿があった。ここではない世界の友達と一瞬ダブった。

 少女は笑顔で彼女に手を振り返す。

「わたしはわたしのなりたい自分になるよ、ショウさん、アカリさん!」

 少女はこの世界で冒険を続けていく。

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