第五章 『緋翼』 [後編]
ギザギ十九紀14年12月15日、事態は大きく動き出す。
異世界人管理局専属召喚労働者は現在の職務をすべて休止し、ギザギ国最西の砦町サイセイへの集合を通達された。
理由は告げられず、不安と不信にまみれながらサイセイに集まるセルベントたち。砦ではすでに戦の準備が進められており、非戦闘員の疎開もはじまっていた。
「こりゃ本格的にヤバそうだ」
セルベント第1小隊隊長のカッセは、砦への門を潜るなりそう言った。
全員が揃うと、異世界召喚庁長官アリアド・ネア・ドネ自らが集会の場に立ち、説明をした。
「『緋翼』と呼ばれる竜が大陸を壊滅させつつ迫っています。あなたたちの役目は『緋翼』討伐の支援です。与えられた作業をこなしてもらえれば充分。それ以上は期待も希望もしません。よろしくお願いします」
魔女の言いぐさに反感を覚える者もいたが、彼女は無視した。個々の不満などかまってはいられない。それに大部分のセルベントは、直接戦闘に関わらずにすんで安堵していた。
「これがアリアドの召喚した者たちか」
サイセイ砦で常に最前線で戦って来た異世界人ランボ・マクレーは、若い世代を見て深く息を吐いた。彼自身はアリアドの前任者で彼女の父親クロ・ネアに召喚された第二世代である。その体も疑似体ではなく、元のままだ。
「あなたといっしょにしてはいけませんよ。彼らのほとんどは寄せ集めなのですから」
背後から降ってわいた声に、マクレーはさらに重い吐息を漏らした。
「フリーマン、おまえも来たのか」
「はい。国の命運がかかっていますから」
タキシードの青年は笑みを絶やさず言った。フリーマンとマクレーは、7月のサイセイ砦防衛戦のおりに顔見知りとなっていた。
「『緋翼』について何か知ってるのか?」
「概要だけは。全長数キロのドラゴンだそうです」
「数キロ!? そんなもの、斃せるのか?」
マクレーをして、絶望すら感じる強大な敵であった。
「どうでしょう。やるしかないというのが実状です」
「それで国一番の魔女が指揮を執るというわけか」
「はい。おそらくあの方が勝てないと判断したら、本当に勝てない敵でしょうね」
「アリアドをよく知っているようだな?」
マクレーはフリーマンの口ぶりに引っかかった。フリーマンが第三世代の召喚労働者である以上、アリアドを知らないわけがない。だが、それ以上の知己であるかのようだった。
マクレーはフリーマンが召喚十天騎士の一人だとは知らない。だが、夏の防衛戦で単眼巨人を追いやった力をみるに、その疑いは持っていた。マクレーが出会った唯一の十天騎士バルサミコスと比較しても遜色がないからだ。
「盟友たるマクレー殿には隠し事はなしでいたいのですが、今はご容赦を」
指を弾き花を一輪だし、マクレーに差し出す。
無骨な戦士は「フン」と鼻を鳴らして立ち去った。ペテン師にかまっている暇はない。
フリーマンは行き場を失くした花を指先で弄び、その背中を見送った。
暇ではない人間の代表たる『緋翼』討伐軍総司令官アリアド・ネア・ドネは、会議室に召喚十天騎士を集めた。
「全員そろったわね。カイン、報告を」
アリアドの指名を受け、『十番騎士』の女戦士が立ち上がった。彼女はここ数日、『最初の騎士』レナと『六番騎士』ノリアキを連れて『緋翼』の偵察に出ていた。
「『緋翼』は物理的に街を破壊したのち、遺体から魔力を吸い上げて力をつけている。吸収した分だけ体も成長しているようだ。それ以外に食事はとらず、睡眠もしない」
「そのへんはエルフの文献どおりね。人間側の対応は?」
「大型弩弓や魔術攻撃などで対抗していたが、いずれも効果はなかった」
「何をしても無駄ってことかよ」
『四番騎士』ロックが顔をしかめ、舌打ちした。
カインは彼を一瞥して、またアリアドに向き直った。
「これだけでは調査にもならんので、勝手だが『緋翼』に接触してみた」
「勝手すぎるでしょ!」
アリアドが驚いてツッコむ。
「だが、おかげでいくつかわかった。一つに、我々が近づいても『緋翼』は何ら反応を見せなかった。小数であったためか、歯牙にもかけない存在だからだろう。実際、攻撃しても何もできず、何もされなかった」
「攻撃までしたわけ!?」
「怒るな。こうして無事でいる」
カインは平然と応じ、報告を続けた。
「『緋翼』の周囲には魔力による障壁が張られているようだ。並の攻撃では本体にすら届かなかった」
「届かなかった?」
「ああ。並じゃない攻撃をしてみたところ、ほんの少しだけ鱗を削ることに成功した」
「……もうツッコまないわ。で?」
「奇妙なことに、その剥がれた鱗の破片は、赤い光の粒となって霧散した。あれは鱗の形をした高密度の魔力結晶のようだ。体の周囲を漂っているのは密度が薄いものと推測される」
カインは報告を終わり、席に着いた。
「光の粒ね……。仮称を『魔力粒子』とでもしておきましょうか。それが『緋翼』を守る鉄壁の鎧ってわけね」
「それを破らないとダメージを与えられないかぁ」
『八番騎士』エクレアが頭の後ろで手を組んでため息をついた。彼女の自慢の大弓も、今回ばかりは役に立ちそうにない。
「けど、おまえらの攻撃で少しは削れたんだから、まったくのノーダメージでもないだろ」
『九番騎士』のアキラがカインに訊いた。彼は魔術でも物理戦闘でも十天騎士の中では平均的で突出した能力はないが、思考の柔軟さも合わせてどのような作戦でもそつなくこなせる汎用性が評価されている。
カインはレナを見た。それを受け、緑髪の少女が補足する。
「たしかにわずかでもダメージを与えたと言ってよいでしょう。ですが、その欠けた部分はすぐに漂う『魔力粒子』で塞がれました」
「再生能力まであんのかよ!」
アキラは呆れたように椅子に体を預けた。
「だが、威力が桁違いであれば斃せないこともないだろう。再生するにしても魔力を消費しているのだから、無尽蔵ではない」
ノリアキは完全にあきらめているわけではなかった。
「どれくらいだよ、その威力ってのは?」
「さぁな。それは試してみなければわからない」
「なんだよ、そりゃ……」
アキラはまた呆れた。
「参考までにいうと、かつての古代王国時代にも『緋翼』は現れたわ。そのとき、天空より巨大な石を召喚して落とす魔術が使われたらしいの。それでもダメだったようよ」
アリアドが注釈を入れる。その魔術の威力は、現在のマルマでも最大級のものである。それ以上がないかぎり『緋翼』は斃せないのだ。
「隕石落としもダメなのかよ」
アキラにも、他の十天騎士たちにもお手上げであった。だがノリアキだけは伝聞の逸話程度では納得しない。
「その隕石の規模はどんなものだ?」
「規模といわれてもねぇ。術師によってピンキリだし。隕石を落としたとされる場所なら観られるけど」
アリアドは空中に映像を浮かび上がらせた。彼女が大陸中に仕掛けている監視魔眼から送られて来たものだ。
それをジッと眺めていたノリアキは、不意にほくそ笑んだ。
「作戦が決まった」
「マジで!?」
「ああ。『緋翼』は斃せる」
こうして『異界神の槍』作戦がはじまった。
「――で、ノリアキさんが言うには、重い物を加速して威力を高めて『緋翼』にぶつけるんだって。加速すると威力って上がるの?」
ハルカは小吉と会話をしていた。彼はアリアドが忙しいために放置されており、また、彼自身も去就を定められずにいるので、日本で日雇いアルバイトの日々を送っている。
「学校で習っただろ? 速度の二乗でウンタラってやつ」
目前に直径30センチ程度の光環が浮かんでいる。その中にハルカの姿が見えた。彼女が小吉と連絡をとるために開発した魔法道具『時空間通信魔具』、通称『J2M』である。環の中に通る物なら物質のやり取りも可能で、例えばノリアキに頼まれて関数電卓などを送っている。
「中学でやった? わたし、高校いってないから……」
ハルカの声がしぼんでいく。
「やったっけな……。う~んと、例えば、歩いてくる人にぶつかるより、走ってくる人とぶつかるほうがダメージがデカイだろ? そういうこと」
高校についてはさりげなく流す。
「それならわかる」ハルカは2回うなずいた。
「それでね、巨大な槍を作って空から撃つんだって。それに【加速】魔法をかけてどんどん加速して、『緋翼』にぶつけるみたい」
「考えたなぁ。重力に任せて隕石を落とすんじゃなくて、さらに加速するのか」
「それは見たかった」と小吉は残念そうにこぼした。
「ショウがこっちに来る頃には終わってるよ。そしたら、冒険行こうね」
「もちろんだ――と言いたいけど、まだ迷ってる」
「こっちに戻ること?」
「うん。覚悟とか決意とか言われると、どうなんだろうって」
「そっか。それはわたしにはどうにもできないね。来てほしいけど、それだけじゃ理由にならないよね……」
ハルカは寂しい気持ちになった。彼を引き留めるだけの理由になれない自分が悔しくもある。
「そんなことはないけど、ごめん、もう少し考えたい」
「うん、ゆっくりでいいよ。……みんなに何か伝えておく? なかなかサイセイからは離れられないけど、合間みてナンタンに行ってくる。みんな、心配してるだろうし」
シーナたちは異世界人管理局専属召喚労働者ではないので、『緋翼』のことなど知らずにナンタンで今までどおりの生活をしている。
ハルカは再召喚されたときにナンタンへ降り立ち、シーナたちに事情を説明していた。戸惑う彼女たちに詳しく話してあげられなかったのが心苦しかった。『緋翼』についても緘口令が敷かれているので濁している。ハルカはそれきりサイセイ砦にこもりきりで、ナンタンには戻っていない。
「おそらく年内に帰ることはできないと思う。もしこっちに残るとしても、一度はマルマに戻ってあいさつくらいはするから。それくらいかな。あとはみんな、元気でいてくれたらいいよ」
「一番伝えにくいよね、それ」
ハルカは困った顔をした。
「悪い」言った小吉も苦笑するしかなかった。
12月20日、『異界神の槍』作戦が決行された。
地上40キロメートルの頭上から、長さ3メートル、質量200キロの槍が回転しながら発射された。その槍は十天騎士・数名による【速度倍加】魔術を受け、秒速40キロを超える質量兵器と化す。
『緋翼』は天空より一瞬で飛来するそれを探知もできず、直撃を受けた。
衝撃波が拡がる。
『緋翼』の魔力障壁もその威力には耐えきれず消滅と拡散を余儀なくされ、赤い魔力の飛沫を振りまいた。
「やった!」
高度を下げていく『緋翼』に騎士たちは手ごたえを感じた。
が、『緋翼』は再び羽ばたいた。直撃した槍は原形をとどめずに転がり落ちていき、穴が開いたように見えた背中の傷が、拡散したはずの魔力を吸収して修復していく。
「マジか……!?」
何事もなかったように再び西に向けて漂いはじめる『緋翼』に、騎士たちは愕然とした。
「……もう一度だ。もう一発残っているだろ。今度は頭部を狙え!」
冷汗を流しながらカインが命令した。全員、慌てて準備に入る。
『異界神の槍』は『緋翼』の頭部に直撃した。
頭頂部が弾け、魔力の飛沫が舞う。しかし、またしても飛び散ったはずの赤い魔力の粒は、『緋翼』に吸い取られ復元していった。
「なんだ、このバケモノは!」
「再生能力と言っても限度ってもんがあるだろ!」
「どーやって斃すの、コレ……」
「神の使いと言うのも満更ウソではないようだな……」
打つ手がなく、ギザギ最高戦力はたった一頭の竜を見送るしかなかった。
『撤退しなさい。今のままでは勝てないわ』
アリアドからの【念波通信】を受け、十天騎士は悔しさを滲ませ退却した。
「あんなのどうすりゃいいんだよ……」
サイセイ砦の会議室でアキラはボヤいた。仲間からの沈黙しか返ってこない。
暗い雰囲気を醸し出す会議室の中で、場違いに明るい声が発せられた。
「みんな、よくやったわね。あの『緋翼』にダメージを与えるのに成功したわ」
アリアドの高く浮かれた声は、十天騎士たちには嫌味にも聞こえた。
「なにが成功だよ。ぜんぜん効果ねーだろうが」
ロックが吐き捨てる。それでもアリアドは笑みを絶やさない。
「次はもっと威力を高めればいいだけじゃない。だから今度はわたしも行くわ」
「アリアド様みずからですか!?」
レナは思わず車椅子ごと浮かび上がった。
「今回の結果をみるに、『緋翼』に敵を察知する能力は皆無よ。偵察のときも無防備だったようだし、今回もあなたたちに攻撃をしなかった。小数程度には反応しないと考えていいわ。だからわたしが近づいても大丈夫。一方的に攻撃できるってわけ」
「あれだけデカイと町などの規模の人口にならないと攻撃もしないわけか」
ノリアキはあごに手を当てた。考えるときのクセだ。
「まぁ、ダメージを与えたにも関わらず反撃がなかったのが気にはなるけど、結局は軽微だから無視されたのかしらね」
「あれだけやって軽微扱いか」
「次は反撃すらしなかったのを後悔させてやりましょう。それに、弱点も見えたわ」
「弱点?」
訊き返すカインに、アリアドは別のことを口にした。
「あなたたち、弾けた『緋翼』の体に肉や骨は見えた?」
「いや、そういえば……」
騎士たちはたがいに視線を送りあうが、困惑の表情しか見つけられなかった。
「わたしにも見えなかった。赤い魔力粒子だけ。つまりあれは、竜の形をした何かでしかないの。ただ、弾けた体の中心あたりがひときわ明るかったわ。あれがおそらく『緋翼』の核」
「『緋翼』を形作るための中心、心臓部か」
カインはそれを見ていない。【遠見】魔術で多方面から俯瞰観測していたアリアドだからこそわかったようだ。
「まず核を露出させ、塞がる前にもう一発撃ちこむ。これで勝てるはずよ」
アリアドは自信に満ちた笑みを残し、会議室を出ていった。砦に集めたセルベントたちに新しい『槍』の作成を頼むためだ。
「どう思う、カイン」
バルサミコスが『まとめ役』に訊いてみた。十天騎士の中でもっとも冷静に物事を判断できるのは彼女であり、好悪の差はあるがその点は誰もが認めている。
「核があるのなら、アリアドの言葉どおり終わるだろう。だが、それで済むのか……?」
「何か気になる?」
「仮にも神の使いと呼ばれる存在だろう? その程度で――いや、考えても無駄か。試してみるしかない」
カインは背を向け、「まずは休憩しよう」と真っ先に部屋を出ていった。
それには全員が賛同した。
12月23日、第二次異界神の槍作戦が決行された。
が、それは準備段階でつまづく。十天騎士とアリアドが『緋翼』上空に現れた瞬間、破壊竜は首をもたげたのだ。
「こっちに気付いた!? この前より距離をとっているんだぞ!?」
カインは驚きつつも、いったん撤退を指示した。アリアドも賛同し、すぐに【瞬間移動】で距離をとる。
『緋翼』が目測できるギリギリの場所で、12人の討伐隊は困惑の顔を並べた。
「一人増えただけでこれかよ。基準はなんなんだっ。ダース単位か!」
アキラが納得いかずに叫ぶ。
「アリアド様の魔力が強すぎるのではないでしょうか?」
アキラよりも有意義な意見をレナが述べた。ハルカは首をかしげたが、他のメンバーは得心していた。
「だが、アリアドの援護がなければ以前と変わらん。どうすべきか」
「気付かれない位置から撃つしかないな。アリアドの【速度倍加】が加わるのだから、多少の距離はないに等しい」
ノリアキがすぐに解答を出した。実際、それしかないのである。
一同はうなずき、再出撃した。
しかし、上空100キロに陣取った彼らを『緋翼』は感知した。こざかしい人間に向かって天空を昇る。
「撃っちまえ! むこうからわざわざ来てんだぞ!」
撤退か攻撃かを迷う中、ロックの好戦的な声が響く。
「それが正解か! エクレア、撃て!」
カインの号令にエクレアはトリガーを引き、巨大弩弓から重量300キロの超高硬度魔石の槍を放った。
同時に『緋翼』が口を開き、紅蓮の魔力弾を放った。
異界神の槍と魔力弾が激突。瞬間、大爆発が起きた。
槍の威力が上回ってはいたが、『緋翼』は無事であった。
「直撃させなければダメね……」
アリアドと十天騎士たちは継続の無為を感じ、奥歯をかんで撤退した。
一晩の休息を挟んだ12月24日、新たな策を求めて『緋翼』対策会議が開かれる。
「どうすんだ、これ?」
またも会議はアキラのボヤきから始まる。『緋翼』がギザギ国境に差し掛かるまで長く見積もって三日である。時間がなかった。
「『緋翼』は強い魔力を感知して攻撃してくる。だが、その魔力がなければ『異界神の槍』は充分な威力を出せない。更に距離を取るしかないが、そうなると命中率も下がるし迎撃される可能性も上がる。噛み合わないものだな」
カインも頭を振る。
唸る十天騎士の中で、一人だけ晴れやかな顔をしている人物がいた。ハルカである。
「それについて別の推測と対策があるんだけど、いいかな?」
「なんだ?」
カインは珍しく発言した黒髪の少女をうながした。ハルカは今まで他の十天騎士の指示に従うだけで自発的な行動はしなかった。同じ疑似体を持つとはいえ、仲間意識はたがいになく、遠慮があったためだ。ハルカが会議以外で話をする相手はバルサミコスくらいである。それとてもショウという一般召喚労働者の絡みであった。
「『緋翼』がわたしたちに反応を示したのは、魔力は関係がなさそう」
「なぜだ?」
「魔力の大きさでいうなら、アリアドさんはわたしほどじゃないから」
サラッとハルカは言い切る。ギョッとするメンバーだが、アリアドは「そうね」とあっさり認めた。
「ハルカだけじゃなくて、十天騎士全員がわたしよりも上よ。十天の疑似体はそういうものだから、ただの人間が敵うはずもないわ。でも、あくまで量と強さの話であって、術師としてはわたしのほうが圧倒的に上」
アリアドは胸を張り、自慢げに語る。
「うん。でも、『緋翼』が術師の腕ウンヌンを比較できるわけがない。視ているとすれば量と強さだけ。となれば、魔力で感知しているという説は間違い」
「では、なんだというんだ?」
カインが問いを投げる。
「アリアドさんが人間だから」
「……?」
多くの十天騎士が疑問符を浮かべる。彼女の答えの意味がわかったのは、カインとレナだけであった。
「マルマ人だからか……」
「うん。『緋翼』って単一種族を狙うって話あったよね? 今回はマルマ人が標的になってる。わたしたちは異世界人で、しかも疑似体。だからマルマ人と認識されていなかったの」
「なるほど!」
全員が納得した。
「マルマ人以外なら何でもアリってことか」
ノリアキは感心し、「それならばやりようもあるな」と数回うなずいた。
「よく思いついたな。オレたちは一つの結論で納得しちまって、深く考えるのをやめてたぜ」
アキラが新メンバーを褒める。
「残念ながら、これはわたしの立てた仮説じゃないよ」
「じゃ、誰だよ?」
「ショウだよ。昨夜相談したら、いっしょに考えてくれたの」
「ショウって、おまえの仲間だっけ?」
「うんっ」
ハルカは最上の笑みで答えた。「どうだ、すごいだろう」と言わんばかりである。
「そんじゃ、対策ってのもそいつが?」
「もちろんっ。わたしじゃ気付かなかったよ。こんな楽な方法があったなんて」
「楽な方法? 『緋翼』を斃すのにか?」
「うん。必殺必中で、それでいて絶対に誰も傷つかない方法」
「そんな都合のいい方法があるかよっ」
アキラは信じられなかった。アリアドすら半信半疑だった。
「じゃ、本人から説明させようか?」
ハルカはポケットから水晶球を取り出した。魔力を込めると、水晶の上に30センチほどの環が出現し、その奥に狭い部屋が映った。
「ルカ、どうした?」
ベッドでスマートフォンを弄っていた小吉が時空間通信魔具に気付いて体を起こした。日本は夜だった。
「おはよう……そっちはこんばんは? えっとね、きのう話した『緋翼』の討伐方法をみんなに聴かせてほしいの」
「みんな?」いぶかしむ小吉に、ハルカは会議室を見せた。
「おい、まさかこの人たちって十天騎士とかいう……」
「そうだよ? レナさんとミコさんは知ってるよね? 他の人は後日ヒマになったら紹介するね」
ハルカと話す少年を見て、アキラは想像と違い落胆した。とても斬新なアイデアを出すような知性を感じない。
「無駄話はいらん。『緋翼』を楽に斃せるというのは本当か?」
カインが多少イラつきながらうながした。ハルカと小吉の会話が緊張感を損なっているのが、生真面目な彼女の気に障っていた。
「理屈だけで実際にできるかはわかりません。ルカはできるって言ったけど……」
「大丈夫、できるって。わたしが保障する」
ハルカは嬉しそうだった。単純に、小吉がいるだけで安心だった。
「じゃあ、百聞は一見に如かずで説明しますね。……そうだ、ちょうどいい。ルカがお世話になってるから、みなさんに渡そうと思ってたんだ」
「ちょっと待っててください」と小吉は走って部屋を出ていった。
一分もせず戻ってくると、その手には白い箱が三つ重なっていた。
「これ、みなさんでどうぞ」
J2Mを通して箱がハルカの手に渡る。甘いいい匂いがした。
「まさか、これは……!」
カインはその匂いを知っている。その箱の大きさを知っている。貼られたラベルを知っている。
「ショートケーキだぁ!」
ハルカは目を輝かせて叫んだ。
「24日だからな。うちも祝ったりはしないんだけど、せっかくだし」
「嬉しいっ。クリスマスにケーキなんて初めてだよ!」
ハルカは感激して涙がこぼれそうだった。
カインをはじめとする女性陣には大好評で、甘味を苦手とするロックのケーキを巡るジャンケン大会まで行われた。その賞品はミルク・アレルギーで今までケーキを食べたことのなかったレナに渡った。「浅ましいヤツらにやるよりマシだ」と、ロックが所有者権限を発動したのである。『浅ましいヤツら』は漏れなく赤面した。
「で、このケーキと『緋翼』がどうつながるんだよ?」
綺麗に平らげたあと、アキラが訊いた。
「見てのとおりです。この魔具を使って槍を当てるんです。これならどこからでも撃てますよね?」
小吉が答えると、ハルカ以外が「ああ!」と声を上げた。
二日後の12月26日、大型改良版時空間通信魔具を用いた『異界神の槍』作戦は驚くほど完璧に仕上がり、『緋翼』を跡形もなく吹き飛ばすことに成功した。
『緋翼』が退治された二日後の12月28日夕刻、ギザギ国サウス領ナンタン町の一角で、栗毛の少女がため息をついていた。
「ショウはいつ帰ってくるんだろ……」
食べ飽きたコープマン食堂のスープがさらにつまらない味に感じる。
同伴するアカリはスプーンを置かなかった。
「ルカ……いえ、ハルカがきのう教えてくれたでしょ? なんかよくわかんないけど、問題は解決したから数日中には来るだろうって」
「その数日中ってあいまいさがねぇ……」
机に突っ伏したままため息を吐く。
「サルマルもルカがいないから寄り付かないわね」
アカリはもう一人の仲間の話を持ちだした。ここしばらく彼とは話どころか姿も見ていない。
「マルが女の子とツルむと思う? 男の召喚労働者と遊んでるのを見かけたよ」
シーナは体を起こして食事を再開した。
「ショウたちが戻っても、あいつはこのまま離脱かしらね」
「あれ、寂しいわけ?」
「そんなわけないでしょっ。いっそ清々するっ」
本気と冗談が半分といったところか。シーナはそう感じたが、口では「アカリはカワイイなー」とからかった。
言い返そうとするアカリを、食堂の扉を乱暴に開ける音が遮った。
「おい、外を見ろ! なんか赤い光が見えるぞ!」
客どころか店員までが外へ飛び出していく。北西の空を見上げると、赤い光の揺らぎが彼方に見えた。
「なにあれ? オーロラ?」
「なんか、ドラゴンっぽい形してない?」
アカリとシーナが疑問を投げかけ合っていると、揺らめく赤い光がいっそう輝きを増した。
その瞬間、彼女たちにも異変が起きる。
「え、なに、足もと……!」
誰かの声がした。アカリとシーナも確認する。足もとに光の輪が浮かび、体を包むように円柱状に伸びていく。
「なにこれ、なにこれ!」
「シーナ!」
アカリが焦りながら手を伸ばす。だが、二人の手は触れ合うことはなかった。
そして、ナンタンの町から若い異世界人が消えた。
「仕方がなかったの」
アリアドは後悔の言葉を告げた。
「わたしの見通しが甘かったわ。『緋翼』は斃せない」
一時帰還した十天騎士に、魔女は鎮痛の面持ちであった。
「それはわたしたちも同じです。丸一日経過を観測し、『緋翼』は消滅したと思っていました。まさか復活するなんて思いもしませんでしたし、実体すら持たないとは想像すらできません」
レナはサイセイ砦から見える『緋翼』らしきモノを睨んだ。それはかろうじてドラゴンの姿に見えたが、実像はなく、魔力粒子の薄い集まりであった。砂粒が舞っているようなものだ。
「あれでは『異界神の槍』も使えない。槍じたいに爆発力がない以上、衝突する物質がなければ衝撃が発生しようもない」
「二本の槍を衝突させようとしても逸らされて終わったしな。器用なこった」
ノリアキの絶望にアキラが愚痴を重ねる。
「だからといって、ナンタンの召喚労働者まで送還する必要はなかったでしょ?」
ハルカはアリアドに不満をぶつけた。
「やめろ、ハルカ。気持ちはわかるが、そうしなければここにいた召喚労働者たちは消滅していた」
カインの仲裁にハルカは何も言えなくなる。それしか方法がなかったと言われれば、彼女とて何もできなかった以上、反論のしようもない。
12月28日16時、サイセイ砦に突如として『緋翼』が現れた。警戒を解いていなかった十天騎士たちは、新型『異界神の槍』装置を使い迎撃を行った。しかし、実体を持たない破壊竜に槍は無力であった。
しかも『緋翼』の目標はマルマ人ではなかった。自分を殺すことのできる最大の障害、異世界人を排除にかかったのである。
十天騎士は管理局専属召喚労働者たちが逃げる時間を稼ごうとしたが、有効な策がないために陽動程度の動きしかできなかった。
アリアドはそれを見て、最終手段に訴えたのである。
異世界人の強制送還である。
アリアドに召喚された異世界人――正確には疑似体には、命の危機に際して送還装置が作動する仕組みとなっている。これをアリアドは自分の意志で作動させることができる。本来は対象者の選別ができるのだが、今回は余裕がないため一斉に作動させたのだった。対象者は十天騎士以外のアリアドに呼ばれた異世界人たち全員である。なお、ランボ・マクレーなど疑似体を持たない砦にいた異世界人は、小数であったためフリーマンとレナによって遠方へと【瞬間移動】で退去させた。
「十天騎士は引き続き、『緋翼』を砦に近づけないようにして。深追いはしないように。まずは時間が欲しい」
アリアドには後悔に沈んでいる暇はない。顔を上げると指示を出した。とにかく時間稼ぎをするしかなかった。突破口はないが、それが見つかったときに戦力が残っていなければ何もできない。
「わかった」
カインはうなずき外へ飛び出した。
他の10人も続こうとして、「ハルカは待って」とアリアドに乞われ、黒髪少女だけがその場に残った。
「あの子を呼んで」
「ショウのこと?」
「ええ。この状況を理解できるのはもう、あの子しかいない。猿の知恵でも借りたい心境なの」
アリアドの手は震えていた。ハルカは時空間通信魔具を取り出し、寝ている小吉を起こした。
「なんだよ……。まだ起きる時間には早い……」
小吉は呑気に文句を言った。
「それどころじゃないよ。『緋翼』が生きてた。ショウ、助けてっ」
「……詳しく」
小吉は驚くよりも愕然として訊ねていた。頭がまだうまく働いていないのもあった。
ナンタンの異世界人までも強制送還した話が出たところで小吉はさらに驚愕し、怒りがわいたが、アリアドの表情を観るにどうしようもなかったのだろうとわかった。憤りは悲しみに変わる。
ハルカの説明が終わると、魔女は歯を食いしばって小吉に訴えた。その瞳が潤んでいる。
「悲しんでる場合じゃないわよ? まだ十天騎士が残ってる。彼らは強制送還装置を持たない。やられたら消滅するわ。そしてもうここにはあなたしかいない。さぁ、どうする?」
小吉は考える。実体のない相手を消滅させる方法を。それも、魔力の集合体のような存在をである。
「魔力の消滅……? なんだろ。魔力……。魔力?」
小吉はハッとした。
「アリアド、『緋翼』って魔力の塊なんだよな?」
「ええ、そうよ。世界の意志を持った魔法生物よ」
「それが今は、ガスだか霧だか砂状になっている。でも、それでもあれは魔力なんだよな!?」
「ええ。だから斃せないのよ。人間の魔力程度では歯が立たない。魔力と魔力がぶつかれば、大きいほうが勝つのは条理よ」
「それだ!」
小吉は指を鳴らす。いい音は出なかった。
「敵が魔力の塊なら、魔力を使い切らせればいいっ」
「魔法でも連発させるの? それって攻撃されるってことじゃない」
「違う。世界にはただその場にいるだけで魔力が急激に失われる場所があるんだよ。そこに連れ込むんだ」
「そんな都合のいい場所があるわけないでしょ!?」
アリアドは小吉の言葉を疑った。
「それがアリアドの常識の限界なんだよ。その場所は、オレの世界だ!」
「異世界!?」
「そう。ルカは歩くのだってしんどそうだった。この世界に魔力がないからだ。『緋翼』が魔力の塊なら、すべてオレの世界が吸い取ってやる。この世界なら補給すべき魔力もない。臓器がないから人間のように食べることで魔力を作ることもできない。『緋翼』はただいるだけで死んでしまうんだ!」
「お、おお……!」
アリアドは感動していた。小吉のようにどちらの世界も経験し、差を肌で感じた者にしか出せない策だった。
ハルカが小吉の映った光の環に近づいた。
「さすがショウ。伊達に弱ったわたしを見てニタニタしてたわけじゃないね!」
「変態みたいに言うな!」
「具体的にはどうするわけ? 【瞬間移動】でも無理だからね」
アリアドが問う。彼女も考えてはいるが、使えそうな手立てはなかった。
「ルカの時空間通信魔具、使えないかな。その渦の中を通せばこっちの世界だろ?」
「こんな小さいのじゃ埒があかないよ。琵琶湖の水を桶で汲みだすようなもの」
「なら、送還しちゃえ」
「送還?」
アリアドが訊き返す。
「アリアドの強制送還を『緋翼』にやるんだよ。そうすればこっちの世界だろ?」
「あれは疑似体が送還装置を持ってるからできるの。『緋翼』にそんなものがついてるわけないでしょ」
アリアドが鼻を鳴らす。そんなこともわからないのか、と言わんばかりである。
「そんなこともわかんないの? バカねー」
言ってしまうのがアリアドである。
「すっげぇムカつく……」
小吉は拳を震わせた。
「あ、でもJ2Mはいいかも。それ自体を使うんじゃなくて、元の発想を利用するんだけど」
ハルカはそれに思いついた。
「あれってミコさんが籠ってた遺跡にヒントをもらったんだよね。新型の疑似体を作る手伝いしてたときに見せてもらったの」
「遺跡? 新型?」
「それは今はどうでもいいよ。そこに召喚門の原形みたいのがあって。それを小型化改良してJ2Mを作ったの。それを今度はわたしたち自身が装置となって行う」
「ぜんぜんわかんない」
「時間ないから説明は以上。とりあえずやってみるよ」
ハルカはアリアドに向き直り、十天騎士に【念波通信】を頼んだ。
『緋翼』相手に逃げながら、十天騎士たちはハルカの声を聴いた。
「策が決まったよ。あいつを時空間転移魔術で魔力のないわたしたちの世界に送り込んで消滅させる」
「できるのか!?」
カインが叫ぶ。赤い光の束を間一髪で躱す。
「やってみるしかないよ。やり方は簡単。『緋翼』を六方向から囲むの。天面、床面、左右と正面と背面。これを各一人が担当する。それぞれの面は時空間座標を表していて、下が相対時間軸、左右と正面がXYZ座標、天面が空間次元軸なの。背面に『門』を開く制御術者がいるから、全部で六人ね」
「その座標軸をわたしたちにやれというわけか」
「うん。これなら囲んだ中心物を『門』を通して送れる」
「理屈はわかるが、うまくいくのか?」
「大丈夫。付き合いは短いけど、みんなの能力はちゃんと把握できてる。あとは全員の魔力を統一させるだけ。これがズレちゃうとうまくいかない」
「信頼してくれているのだな。ならば応えてみせよう。メンバーはおまえが選べ」
カインは見えないハルカに微笑をむけた。
「ありがとうございます。では、カインさん、レナさん、ノリアキさん、ミコさん、フリーマンさん、よろしくお願いします。制御はわたしがやります」
「うむ」「はい」「わかった」「あいよっ」「光栄です」五人はそれぞれの言葉を、自信と笑みを混ぜてハルカに返した。
「残りの方は術発動まで『緋翼』の対処をお願いします。やり方は――言うまでもないですよね」
「おう」ロックがニヤリとし、「楽な仕事だな」アキラは余裕を浮かべ、「まっかせてー」エクレアはウィンクし、「承知」ツルギは気合を込め、「わかった」セリは腰の短剣を抜いた。
「では、ぶっつけ本番で行きます! ダイヤル役は仲間と等距離をとり、同調することだけを考えてください。あとはわたしがやります」
ハルカが【瞬間移動】で現れると、残り10人は集結した。
「心配しないの?」
砦の会議室に残されたのはアリアドと、魔具の向こうにいる小吉だけであった。彼女の問いに少年は自信にあふれた笑顔を浮かべた。
「ルカがやれるって言ったんだから大丈夫」
「根拠がないわね」
「あるよ。あいつが自分の意志でやりたいと望んで、みんなが協力してくれている。それだけであいつはやり遂げるよ。誰だって期待されたら応えたいって思うだろ? あいつはずっと、それを願って生きてきたんだ。誰かに望まれて、誰かを望んで、何かを目指して、何かを成し遂げたい。あいつはようやくスタートに立てたんだ。だから、こんなところで終わらない」
「それが根拠がないっていうのよ」アリアドはため息をつき、そして微笑した。
「……そういえば、アイリちゃんの質問はなんだったかわかった?」
「なんでこのタイミングで訊くんだよ? ……パス」
「やっぱりまだまだね」
アリアドは口もとを押さえて笑った。
天空では、11人の騎士が戦っていた。それももう、長い時間ではないだろう。
「囲んだ! ハルカ、やれ!」
『緋翼』の心臓付近をカインたち六人が取り囲んだ。それぞれに意識し、仲間と同調を計る。
「時空間転移門オープン! 座標修正! いけ!」
ハルカの両手から魔術信号が走る。それは左右のダイヤルを担当するフリーマンとノリアキに流れ、彼らから上下のカインとバルサミコスを通過し、正面のレナに向かう。彼らの背後に魔術陣が浮かび、歯車が回る。ハルカの意志で座標軸が設定され、中心部にあった『緋翼』の心臓部が発生した光に飲まれていく。
『緋翼』は逃れようとするが、光は『緋翼』の魂を根こそぎ狩るように吸い込み続け、赤い魔力粒子雲はほとんどが消えた。
『緋翼』は知らない世界にいた。下には海があり、果てに大地がある。その地には石造りの巨大な塔がいくつも並び、今までとは違う人間の気配が蠢いている。排除対象としていた気配とも多少異なるが、本質は同じと感じる。排除せねばならない。『緋翼』は明確な意思を持って大地を目指す。だが、その動きは著しく重く、鈍い。
『緋翼』は空をいこうとするが速度がまるで出なかった。それどころかどんどんと力が抜けていく。自分を構成する魔力が剥がれ落ちていくような感覚だった。このままでは散り散りとなるだろう。そう理解したが何もできなかった。魔力の補給が必要だが、吸収すべき対象がなかった。大気の中にすらあるはずの魔力はなく、乾き濁った空気が漂うのみである。『緋翼』はやがて薄れ、霧散していった。この世界が何かを理解することもできず、どうして消えるのかも知らず、それは散っていった。
「『緋翼』消滅! 今度こそ勝ったよー!」
ハルカが両腕を天に伸ばした。こぶしを握り、力一杯に。
十天騎士が呼応し、歓喜の声をあげる。
アリアドは窓から乗り出し、『緋翼』の消えた空を仰いだ。
「ご苦労様。さすがね」
「……でも、みんないなくなったんだよな」
J2M越しに小吉がボソッと言った。アリアドが振り返る。
「彼らがいたからこの結果までこれたの。感謝してるわ」
戦いに参加しなかった召喚労働者も含め、アリアドは心から礼を述べていた。もし、彼らの一人でも欠けていたら、小吉という少年はここにいただろうか。違う誰かが答えをくれただろうか。ハルカは救われただろうか。勇者ではない凡人だからこそ、ハルカは救われ、結果、みんなが救われた。誰かが誰かをつないだ、その結果だと魔女は思っている。
「そんなの、当人たちに言わなきゃ意味ないだろ」
「そうね……」
アリアドもそれ以上の言葉が出なかった。
「なぁ、みんなは戻ってこれるのか?」
「望めばね。でも、余裕がなくて強制的に召喚した時間に帰してしまったの。だから彼らはここでの生活を忘れている。いえ、もともとなかったことなの。もし、またわたしの呼びかけに応えてマルマに来たとしても――」
「それはここにいた人たちじゃない。同じ人間でも、違う人だ」
「そうよ。それが寂しいなら、あなたもいっそここでのことを忘れる? 過去には戻れないけど、それくらいならしてあげられるわよ?」
小吉は首を振った。
「オレまで忘れたら彼らのがんばりを誰が伝えるんだよ。それに、まだルカがいる。たった一人だけど、オレには大切な仲間だ。忘れたくないよ」
アリアドは少年に好感をもって微笑んだ。
「いつでも帰りたいときに呼びなさい。あなたのために『門』を開いてあげるわ。それくらいは英雄の特権でしょ」
「誰が英雄だよ。ベッドでスマホいじってゴロゴロしてる英雄なんてカッコ悪すぎてこっちからゴメンだ。英雄ってのは、ルカみたいのを言うんだよ」
小吉は笑い、手の中のスマートフォンを見た。とたん、顔が渋くなった。
「もう起きる時間……」
小吉はJ2Mから離れ、着替えをはじめた。
「アリアド、この借りは高いからな!」
小吉は上着とカバンを掴み、部屋から出ていった。今日も日雇いアルバイトで、家電の配送助手をする。
「はいはい、覚えてたら何でも聞いてあげるわよ」
アリアドは肩をすくめて、天から舞い降りてくる11人の騎士を出迎えた。
ギザギ十九紀14年12月28日19時00分、マルマ世界から『緋翼』の脅威は消えた。