第一章 サモン・ワーカー [前編]
ここは異世界である。
マルマは剣と魔法の世界。魔物がいて、魔法使いがいる。妖精が飛び、ドラゴンが暴れる。憂い嘆く民がいて、王が勇者を求める。そんなファンタジー世界。
異世界マルマ最大の大陸、カクカの東部にギザギ国はある。土地は豊かで資源も多く、気候は平均すれば穏やかで住みやすい。周辺を山と川と海で囲まれ、他国からの侵略には天然の要害が味方をしていた。人間の国としては理想的であった。
だが、元よりその天然の要害に住みつく魔物の攻撃からは万全ではない。
「陛下、西の砦サイセイに向けて、ゴブリン王クラシアスの軍勢が進攻中との報が入りました」
息を切らせてまくし立てる伝令に、第十九代ギザギ国王は不快な表情を浮かべた。
「サイセイ砦にはランボ・マクレーがおる。援軍を送るまで持ちこたえてくれるだろう」
ギザギ王エーライヒは王都防衛隊から半数の派兵を命令した。
伝令が下がると、すぐに次の案件が突きつけられる。東の海上で大海蛇が暴れているという。
そうした問題をいくつも裁定し、ギザギ王は玉座でひとときの休息をとる。
「まったく、いつになればこの地は落ち着くのだ」
王はため息を吐いた。戴冠より14年余、年齢は40代であったが、労苦のためか高齢に見えた。
「アリアド殿が真の勇者を呼ぶまででしょうか」
国務大臣が皮肉交じりに答えた。
「あの娘は偉大なるドネ老師とは違う。期待した十天騎士も今はどうなった? 勇者など呼べぬよ。……そのアリアドはどうした?」
「召喚大聖堂にございます」
「そうか。その精神力だけは見上げたものではあるが――」
「無駄な努力だ」とは王は口にしなかった。たとえ勇者ではなくとも、候補者にすらならなくとも、それには使い道があるのだから。
窓一つない薄闇のホールに、アリアド・ネア・ドネはいた。彼女は、召喚魔術陣の中央で呪文を繰り返していた。
ギザギ国は魔物からの侵攻に疲れきっていた。その打開策の一つとして、強靭な肉体と精神力を持つ異世界人の勇者を求めた。今、それができるのはギザギ国髄一の魔術師である彼女だけであった。
アリアドは異世界に問いかけ、応えてくれる者を探していた。
『わたしの声が聞こえますか? 世界を救う意志を持つ勇者よ、呼びかけに応えてください』
こうして数時間が過ぎている。『声』が聞こえるのは、現世を離れたいと望んでいる者だけである。聞こえることが最低条件だった。
『ちょっとくらい能力が低くてもいいのよ? 鍛えれば大丈夫っ』
集中力が切れかかると、妥協が生まれ、呼びかけも雑になる。
『わかったわ、時給もアップする。労災もつける。手足がなくなってもくっつける!』
さらに時間が経つと――
『死んだって大丈夫ですって。たぶん生き返るから。ねぇ、誰か応えてくれませんか?』
そして最終的には――
『もう誰でもいいからっ。こっちに来てくれるならそれでいいから。能力不問! 新天地で人生やり直してみませんかー!?』
勇者とはなんだろうと疑いたくなる呼びかけに、召喚陣が光を放つ。その中に一人の少年がいた。
日比野小吉、高校二年生。趣味はゲーム。かつては野球少年であったが、万年ベンチで公式試合出場経験なし。そんな自分の能力を見限って、今ではもう一方の趣味であるゲームに没頭している。
その日も、彼は学校が終わると家でゲームをしていた。最新作のRPG『ファイア・オニキス7』だ。日に数時間かけ、つい先ほどエンディングを迎えた。
その感動を伝えるべく、彼はスマホを掴み、小学校以来の友人にメッセージを送る。彼もこのシリーズは大好きで、よく進行速度を競ったものだった。
返信がきた。
『おー、早いなぁ』
『オレ、まだ最初の町だわ』
『野球部忙しくて』
『悪い、部の連中と飯食ってんだ。またな』
それ以後の返信はなかった。
小吉はさっきまでの興奮も喜びも霧散していくのを感じた。
友人には野球の才能があった。いや、努力の結果だろう。どちらにしろ、同時期にはじめた野球で彼は活躍し、自分は落伍した。
とたんに虚しさが胸中を襲う。気持ちがどんどんと沈んでいった。
と、そこに声が聞こえた。
『新天地で人生やり直してみませんかー!?』
新天地!
もしそんなものが本当にあるのなら、今のままでいるくらいなら、どこだって行ってやる。小吉はそう思った。
アリアドと日比野小吉の願いが重なる。
小吉は光の渦の中にいた。そこがアリアドの創った召喚魔術陣の中だとはわからない。
「わたしの呼びかけによく応えてくださいました。わたしはアリアド・ネア・ドネです」
ゆったりとした白服の女性が言った。
「ここは……?」
「あなたにとっての異世界、マルマへとつながる門。マルマへと降り立つための準備をするところです」
「異世界なんてホントにあるんだ?」
「あります。そこはあなたの世界での『ふぁんたじぃ』と呼ばれるものにそっくりな世界です」
「オレたちはその世界で何をすればいいんだ?」
この展開ならゲームでも漫画でも『打倒・魔王』が定石だろうが、彼は自分がその器とは思えなかった。小吉は野球をあきらめたときから自分を過大評価するのをやめている。
アリアドはそんな彼にニッコリと微笑んだ。
「あなたは選ばれし勇者です。どうか、我がギザギ国を魔物の軍勢からお救いください」
小吉が「おお!」と熱い展開に喜びかけたとき、アリアドは視線をそらせた。
「――と、言いたいのですが、今回は勇者候補ということで、まずはその、地域活動から……」
「え?」固まる小吉に、アリアドは体ごとそっぽを向く。
「いえ、でも、地域活動といいましても、多岐に渡っておりまして、ドブさらいや害虫駆除、獣乳配達や家具造りなどいろいろあって楽しいですよ?」
「……」
「……えー、まことにお伝え辛いのですが、あなたはその、勇者としての資質と申しますか……」
「じゃ、なんで呼んだんだよ」
「いちおう? とりあえず? みたいな……」
「はァ!?」
「で、ですが、もとの世界よりは快適かつ意義があるのではないでしょうか? あなたがわたしの声に応えたのは、今の生活に疑問を抱き、何かを成したいと願ったからです!」
「……たしかに今のままよりはマシなのかなぁ」
納得しかねる顔で小吉は唸った。
「ありがとうございます、勇者様!」
「候補」とアリアドが小さくつけたのを小吉は聞き逃さなかった。
「では、我がマルマの世界へと行く前に、肉体変換をします」
「肉体変換?」
「はい。マルマとそちらの世界では肉体の構成が少々異なります。ですから、疑似体というマルマに適合した肉体に魂を宿すのです。整形もできますからご希望があれば伺いますよ。たとえば痩せたいとか、身長を伸ばしたいなど。今の肉体をトレースしたほうが馴染みやすいのですが、変化による多少の苦痛を我慢できるのであれば、どのような体にもできます」
アリアドの説明に小吉は首を振った。
「このままでいいよ。オレが変わりたい自分は、外見とは関係ないから」
「そうですか」アリアドは少年を好ましく感じた。が、彼女の好みと能力値は必ずしも比例しない。どうみても彼は普通の少年だった。今回も不作だと彼女は思いつつ、態度には一切ださない。
「では名前を決めてください。ただし表記はカタカナでお願いします」
「カタカナ限定?」
「わたしたちギザギ国民のほとんどが日本語を読めません。特に漢字となると皆無です。カタカナ程度であればわかる者も稀にいますので、おたがいの知識の折り合いですね」
「なるほどね」
「それと、名前の他にこちらがつけた管理番号が与えられます。事務的処理に必要となるので覚えておいてください」
「そういうところだけファンタジーっぽくないのな」
「あなたがたは異質な存在、一歩間違えれば脅威にもなります。なのでわたしどもも管理せざるを得ないのです。その作業効率化のための管理番号です」
「住民登録みたいなものか」
「そう思ってもらってかまいません。番号はこのステータス・サークルに書いてあります」
アリアドが小吉の胸のあたりに手をかざすと、小さな円形の光が浮かんだ。その中には彼の管理番号をはじめ、能力値などが並んでいる。
「急にゲームっぽくなったな……」
小吉は少し落胆した。こういうゲームのような設定はリアルさを損なう要素ではないだろうか。
「その体はそもそも本物ではないのですよ? それに、先ほども言ったように野放しもできません。ステータス・サークルはギザギ国にとって必要なシステムです。許容してしかるべきでしょう」
「郷に入っては、てヤツだな。わかった」
小吉は胸から浮かぶ光の円を眺めた。管理番号の#1914-0703-01が目立つ。これは召喚された日付、ギザギ十九紀14年7月3日の一人目という意味である。
「では、お名前の登録をどうぞ」
少年はしばし考え、名乗った。
「ショウでお願いします」
「ショウキチではなくてよろしいのですか?」
アリアドは確認のために訊いた。
「小吉って名前は好きじゃない。ぜんぜん今風じゃないし。おみくじ引くたびにからかわれるんだぜ? ばあちゃんも変な名前を付けてくれたよ」
小吉は鼻を鳴らした。『大きくなくとも小さな幸せを掴み、喜べる人間になるように』と願いを込めて付けたと聞いたが、いっそ『大吉』でもいいじゃないかと思う。
「では、登録は以上です。これであなたはマルマの世界に足を踏み入れる条件を満たしました。こちらに用意しましたギザギ国の衣装と、生活に必要な情報が満載のハンドブックをお持ちください。着替えが済みましたら、ギザギ最南端の町ナンタンへ送り届けて差し上げます。そこは、あなたと同じように異世界から来た者たちの始まりの町です。彼らと合流し、この先の道を決めてください」
「くれるのは服と本だけ?」
「はい」
「当面の生活費とか、武器とか、特殊な能力とかは……」
「ありません」
アリアドがニッコリと答える。
「そっかー、ないのかぁ……って、おい! そっちから呼んでおいて、放り投げるってのはおかしくないか!? 歓迎しろとはいわないけど、もう少し何かあってもいいだろ!」
小吉改めショウの激しいツッコミに、アリアドは肩をすくめてため息を吐いた。何度となく繰り返してきた会話である。
「召喚をはじめたころはいろいろなサービスがあったのですが、さすがに財源にも限度がありまして、最近はこんなカンジなんですよ。ご了承ください」
「了承できるか!」
「『ノースリーブは寒い』って言うじゃありませんか。仕方ないのです」
「ない袖は振れないって言いたいのか」
「そうとも言うらしいですね。……それはともかく、大丈夫ですよ」
アリアドはショウの両手を包むように握った。少年は綺麗な年上の女性に間近で微笑まれ、ドキッとした。
「大丈夫、あなたなら何にでもなれます。その勇気がある者だけが、わたしの声に応えてくれるのです」
「そ、そう?」
「はい。では、あなたの新しい未来に祝福を」
彼女が手を放すと、ショウは光に包まれ、マルマの地に降り立った。
「あ~、やっと今月のノルマ終わったわ……。さて、お風呂入ってご飯にしよっ」
アリアドは肩の荷が降り、気分よく召喚大聖堂を出ていった。
ギザギ国最南端の町、ナンタン。人口およそ19,000人。主な産業は林業と農業である。半径3キロほどの円状で広がる敷地は外区・中区・内区に分かれており、それぞれが高い石壁で仕切られている。これは魔物に対抗する砦としての役割もあったが、単純に人口の増加に合わせて建設していった結果である。
特色のない町ではあるが、その実、大陸でも稀有な存在であった。それは人口の約4%が異世界人であることだ。ここはアリアドによって召喚された勇者候補が最初に送られてくる、『始まりの街』だった。
ショウが薄暗い聖堂の扉を押し開くと、木造の町並みが広がっていた。日本にいたときは夜だったはずが、ここではまだ太陽が頂点あたりにいる。
巨大な時計塔が見えた。正午を告げる鐘の音が響く。まるで自分を歓迎しているかのようだ、と少年は都合よく解釈したが、アリアドがこのタイミングで送り届けただけである。
「おおー」というありきたりな感嘆の声をあげ、彼は町を歩きはじめた。ゲームでは馴染み深い光景がそのままに存在した。色とりどりの民族衣装に身を包んだ行商人や住人、果物や野菜を並べた荷馬車、軒先に吊るされた獣肉を販売する店、紋章つきの鋼鉄鎧を纏い巡回する兵士、人間に似ているがどこか違和感を覚える亜人種たち。すれ違うすべてに、ショウは心を奪われていた。
物見遊山で歩き回り、気がつけば陽が傾いていた。
歩けば体力が減る。すなわち腹も減る。
「そういえば金も食べ物もないんだった。どうすりゃいいんだ?」
ショウは与えられた服のポケットをまさぐるが、硬貨一枚出てこなかった。かわりに、一冊のハンドブックを引き出した。
「これに必要な情報があるといってたけど……」
ショウは街灯の下で本をめくった。
「ちゃんと日本語で書かれてるのが親切だな。えーと、『衣・食・住を得るにはお金が必要です。まずはお金を稼ぎましょう。お金が溜まれば全部そろいます』……て、アホかぁ!」
少年はハンドブックを石畳に叩きつけた。
その行動は住人たちの目を引いた。
「あらあら、また異世界からの勇者様らしいわよ」
「アリアド様も懲りないねぇ」
「ちょっと誰か教えてあげたら?」
「イヤよぉ、かまってたらキリないもの」
通行人の誰もが異世界から来た少年に一瞥だけを残し、去っていく。ショウは彼らをこの世界の住人だと思った。彼らが自分を異質と感じるように、自分も彼らに異質を覚えるのである。
周囲の反応に冷静さを取り戻し、ショウはハンドブックを拾った。
「怒っていても解決しないな。まずは他の日本人を――あ、あの人はそれっぽい」
ショウは直感に従って、通り過ぎる鉄鎧の戦士に声をかけた。統一感のない装備と、顔立ちから日本人だとわかる。
「あのっ、すいません、オレ――」
ガチガチに緊張しながら自己紹介しようとした少年を、青い目の青年はさえぎった。
「新参か……。面倒だが声をかけられちゃな。しょうがねぇ、ついてこい」
「は、はいっ」
ショウは驚きつつ、歩き出す戦士についていった。
「あの、オレ――」
少年はまたも言葉を続けられなかった。
「自己紹介はいい。深く面倒をみるつもりはない。ただ、同郷のよしみで案内するだけだ。それに名前を覚える価値があるようにも見えねぇ」
明らかに歴戦の戦士たる彼から見れば、ショウはただの少年だった。少なくとも、戦士の資質はまるでない。早晩、街外で死ぬか、違う道を歩むであろう。この出会いは縁ではない。戦士はそう判断していた。
ショウは何も言えない。たしかに彼のような体格も風格も少年は持ち合わせていない。他人に認められるには実績が必要なのだ。少年は長くもない野球人生の中でそれを学んでいる。
「……我が友に捧げる魂は、彼にふさわしく炎のように純粋でなければならない」
つい、大好きだったゲーム『ファイア・オニキス3』のライバルのセリフが口をついた。ライバルが主人公を裏切った理由を語ったときの一幕である。
「!」
戦士の足がとまった。
ショウは下を向いていたため、彼の停止に気付かず背中のリュックに顔をぶつけた。
「おまえ、今の言葉どこで聞いた!?」
「どこって、ファイア・オニキ――」
「3か! ここでそれを聞くとは! 3最高だよな!」
戦士はショウに詰め寄った。青髪の青年が子供のような笑顔を浮かべている。
「ファイ・オニ、知ってるんですか?」
「あったりまえだろうが! あれを買うのに徹夜したんだぞ! ……あ、おまえ、外見からするとリメイクだろ。オレは違うぜ。スーパー・ゲーコン版のオリジナルのことを言ってるんだからな!」
「は、はぁ」
やたらテンションが高くなる熟練戦士に、ショウは呆然とするしかなかった。
「おまえ、ファイ・オニはどれが最高だと思う?」
「え、えーと……。ストーリーでは3が。システム的には6が……」
「6? 6出てんのかよ!? 5までしか知らねー!」
「いえ、このあいだ7が出ましたけど……」
「おいおい、ウソだろ? オレがこっちにきてる間に7までェ? ぐわぁ、やりてぇぇぇ!」
悶絶する戦士にショウは気付いた。彼はファイア・オニキス5発売から6発表までの間にこの世界に来たのだろう。そしてずっと生き続けてきた、本物の歴戦の勇士なのだ。
「おまえ、ちょっと付き合え。じっくり話を聞こうじゃないか。この出会いはもう運命だな」
彼に連れられ、ショウは一軒の酒場へと入った。ショウは落ち着きなく周囲をキョロキョロしている。
「おまえ、やっぱり未成年か?」
ショウはうなずくと、戦士は自分用の酒と、少年のための食事を頼んだ。飲み物は果汁入りのミルクだ。
「金、ないんですけど……」
「わかってる。来たばっかなんだろ、おごってやるよ。じゃあ、まずはさっき打ち切っちまった自己紹介からだ。ネームはブルー。髪の色、まんまだよ」
髪の色は地毛である。肉体変換のときにそうイメージしたからだ。ショウは今更ながら髪色くらいは変えても良かったかなと思った。
「オレはショウです」
「どれ新米、おまえがどれほどの能力かステータスを見せてみろ」
ニヤニヤするブルーにショウは疑問符を浮かべた。
「ステータス?」
「なんだ、開きかたも知らないのか? 今はハンドブックとかいうのをもらえるんだろ? ちゃんと読んだのか?」
少年は首を振った。
「カーッ。これだから最近のお子様は。チュートリアルに頼り過ぎだっての。まず説明書を10回は熟読しろよ。……こうやんだよ」
ブルーは胸当てを外し、首元を右掌で叩く。すると金色の光円が現れた。
「おまえも出してみろ」
ショウがおっかなびっくり首元を叩く。同じような円が出てきた。ブルーのものとは異なり、円は白い。
「自分の意志で出せるんだ……」
「異世界人の身分証明書だ。提示する機会も多い。覚えとけ」
ブルーは『能力値』についてもいくつか説明した。ショウが覚えたのは数値が50を越えれば一流ということくらいだ。ショウの数値は平均すれば20弱といったところである。
「オレって初期パラメータが低いんですか?」
「低過ぎるってことはないが、高いわけでもない。初期パラメータってのは、肉体変換時のイメージで決まる。ゲームみたいなヒョロヒョロの筋力バカなんぞいないんだよ。イメージでマッチョにしてれば初期でも筋力は高くなるし、細工師でも想像しておけば器用さが高い。おまえは今までの自分のままこっちに来たってかんじだな」
「……あたりです」
「落ち込むことはねぇよ。鍛えれば成長するのはこっちの世界でも同じだ。地道に自分を磨くんだな」
「はい」ショウは自分を納得させるように応えた。
合わせるように「お待ちどう」とウェイトレスがテーブルに注文品を並べる。
店員は二人の胸から浮かび上がる魔法円をチラリと見て下がっていった。あまりいい印象ではなかった。
「……なんです?」
「異世界人とわかったからだろう。この町は異世界人に開放されてはいるが、誰もが好意的というわけじゃない」
そう言ってブルーはステータス・サークルを胸に押し戻して消した。ショウも慌てて倣う。
「まずは食え」と促され、ショウは「いただきます」と頭を下げてパンをとった。見た目どおりの硬さである。味は少し塩辛い。
「そういえば、ステータスに『運』の項目がなかったですよね? ゲームなら定番なのに」
「運なんぞ数値化できるかよ。ダイスを振ってるわけじゃないんだ。幸運も不運も、突き詰めればそれまでの行動によってついてくるもんだ。もしくは、そいつの考え次第だな」
「そうなんですか」ショウはよくわからないまま納得することにした。
「覚えておけ。各パラメータは疑似体の持つ現在のポテンシャルであって、必ずしもその力を発揮できるわけじゃない。その日の体調や気分でも差が生じる。数字は数字だ。仕事を請ける際の目安にもならない」
「仕事?」
「ゲームで言うところの『クエスト』ってやつだな。斡旋所に『召喚労働者』向けの依頼がいろいろ来るんだ」
「サモン……なんです?」
「『召喚労働者』。アリアドによってこの地に呼ばれた者に対する名称だ」
「冒険者とかじゃなくて?」
「違うな。少なくとも本当の冒険をしているヤツなんか数えるほどしかいない。ゴブリン退治や郵便配達を冒険と言いはるなら、冒険者なんだろうがな」
ブルーは皮肉たっぷりに笑い、鎮めるために酒を一気に呷った。
「なんかすごいカッコ悪い……」
「いいか、冒険てのはワクワクするんだよ、ドキドキするんだよ。けど実際にオレたちがやってるのは、普通の人間がやりたがらない雑用だ。こんなのは仕事だ。冒険じゃない」
「なら、冒険しましょうよ! せっかくの未知の世界じゃないですか! いろんなところへ行って、いろんな物を見て、感じましょうよ!」
納得いかずショウが訴える。
ブルーは苦笑した。かつての自分を見ているようであった。
「残念だが、その体に刻まれた追跡装置が有るかぎり無理だな」
「どういうことです?」
「オレたちはあくまでも勇者候補なんだ。その能力があろうがなかろうがな。魔物を殲滅するための兵隊なんだよ」
「そんな……!」
「いや、言い方を変えよう。オレたちは傭兵だ。アリアドの募集にのってやってきた傭兵。そのほうがまだ自由意志が感じられる」
ブルーは喉の奥で嘲った。
「ステータス・サークルはな、オレたちを監視するためにあるんだ。どこにいてもすぐにバレるし、財産も管理されている。それに税金も課せられていて、払えないと強制労働だ。わかるか? ここにはおまえが望む自由も夢もないんだよ」
「……」
ショウは絶句した。まさかそんな世界だとは思いもしなかった。
「……なんて、脅かし過ぎたな。完全に自由がないかといえば、そうでもない。オレたちは兵隊ではあるが、あくまで傭兵だ。気に入らないなら戦わなくてもいい」
「え?」
「おまえのようにさほど体格に恵まれないヤツ、戦いに向かない気質のヤツ、女、子供、老人だって条件さえ整えば召喚される。まぁ、そういうのはだいたい早々に帰還するがな。それでも現世に戻りたくなくて居座るヤツは大勢いる。そういうヤツらは普通の住人として暮らしているのさ。要は税金を払い、問題を起こさなければいいだけだ」
「ゲームの『幻想世界生活』シリーズと同じカンジ?」
『幻想世界生活』は剣と魔法のファンタジー世界で、畑を耕したり、魚を獲ったり、家具を作ったりして暮らすコンピュータ・ゲームだ。魔物との戦闘もできるが、無理に行う必要はないので、スローライフを楽しめるゲームとして人気がある。
「ああ、そうだな、それがわかりやすいか」
ブルーはショウの例えに何度かうなずいた。
「……あれ、ちょっと待って。今、帰還するって言いました? できるんですか?」
「召喚から72時間以内ならな。異世界人管理局で申請すればできるらしい」
「らしい?」
「戻ったのを他人が確認できないだろ? もしかすると、秘密裡に処理されていたりな」
ブルーがニヤリとする。
「まさか……」
「冗談だよ。真偽を知る術がないのも本当だがな。とりあえず三日暮らしてから考えることだ。こっちが辛かったり、日本でやり直す気があるなら帰ればいい」
「……そうします」
ショウは沈んだ顔で答えた。この世界でなら自分を変えられると想像していたのだが、モブはどこまでいってもモブなのかもしれない。
「そう落ち込むな。オンライン・ゲームで開始早々、ベテラン・プレイヤーに捕まってお仕着せされた初心者の顔になってるぞ。いきなり現実を教え過ぎたのは悪かったな。まずは楽しめ。オレなんてワクワクして暴走して、初日から兵士に捕まって牢屋で説教くらったぞ。それでも何とかなってるしな」
「なんとかなるのかな」
「このナンタンの町を含むサウス公爵領内はまだ緩いからな。他の地方、とりわけ西は厳しいぞ。むこうは魔軍との最前線だからな」
「戦争やってるんですか?」
「そりゃそうだろ。そのための勇者候補なんだから。といっても四六時中戦ってるわけじゃない。周期があって、今はゴブリン軍の季節だな」
「季節って……」
「生物には繁殖期がある。もっともゴブリンも人間も年中発情期みたいなもんだが、それでも最も盛り上がる時期ってのがあるんだよ。そうすると食料や繁殖場所を求めて人里を襲ったりするのさ」
「なるほど」
「そういったわけで、今はゴブリン退治の仕事が多い時期なんだ。もっとも、おまえの場合は希望してもそこまでやらせてもらえないだろうがな」
ショウが「え?」という顔をするのを予測し、実際したのでブルーはほくそ笑んだ。
「召喚には手間・暇・金がかかる、らしい。使い捨てとはいえ、勇者候補に簡単に死んでもらわれちゃ困るんだとよ。だから職業訓練所なんて場所もある」
「そこで戦闘訓練とか受けられる?」
「ああ。サバイバル技術や動植物学、建築だって学べる。召喚労働者から元を取るには遊ばせておけないからな。どれも短期合宿だから、宿泊所もあるし軽食も出る」
「なんか、けっこう至れり尽くせり?」
「タダとは言ってねぇ。格安ではあるが、講習代はきっちり請求される。前金で二割は払わなければならないから、その分は稼がないとな」
「いやそれ、本末転倒ってやつじゃ……。今、手持ちがないんですよ?」
「明日、朝イチで異世界人管理局へ行け。仕事の斡旋もやってるから受付にサークルを見せろ。初心者には配達や荷積みなんかのバイトを紹介してもらえる。特に配達はやって損はないぞ。この町の地理を覚えるのには最適だ」
「なるほど」
ショウは深く納得した。
「初心者に説明するのはだいたいこんなところだな。あとはハンドブックを読め。他のヤツはそうやって初日を乗り切るんだからな」
「はい、ありがとうございましたっ」
90度に届かんばかりに頭を下げる。
「よーし、それじゃファイ・オニの話を始めるぞ」
ブルーは追加の酒を注文し、長い夜に備えた。
それから数時間、二人はファイア・オニキスについて語り明かした。オリジナル版1の頃からプレイしてるブルーと、最新ハードによるリメイク版からはじめたショウとでは一部内容が異なったが、共通する話題に大いに盛り上がった。
話が一段落つくころには真夜中であった。
ショウはわずかに寒気を感じた。ガラスも張っていない窓から入る外気のせいではなく、もよおしてきたのだ。
「すいません、ちょっとトイレ……」
考えてみればここへ来て、まだ一度もトイレには行っていなかった。
「なら裏手にある共同トイレを使ったほうがいい」
「共同ですか?」
「店のより綺麗なんだよ。行けばわかる」
「はぁ」と気抜けした返事をし、ショウは店を出た。
酔っ払いで賑わう店から出て、壁沿いに裏手へと回る。石造りの簡素な建物があった。
「ちゃんと男女別れているんだ……」
見慣れた男女を示す図柄を確認し、中へと入る。魔法なのか、一歩踏み入ると照明が点いた。明る過ぎず、暗過ぎない。
内部もまた、見慣れた陶器の小便器と洋式便器が並んでいた。
小便器で用を足す。ふと、眼前の透明な球体が気になった。そのそばにプレートがあり、日本語と見たことのない文字らしきものが書かれていた。
『てをあててください』とあり、ショウは球体に触れた。すると、便器に水が流れた。
「すげぇ、まさかの水洗式!」
そういえば出入口にも似たような装置があった。手も洗えるというのだろう。
「デッカイほうは?」
俄然、興味がわき、洋式便器を覗く。脇に似たような透明球体が二つあった。
「なんで二つ?」と、小さいほうの球体に触れると、便器から小さな噴水のように水が飛び出した。
「まさかのウォシュレット!」
水は数秒で止まった。脇にB5サイズほどの紙束があるので、そのあと拭くのだろう。
ショウはこの面白発見を伝えたくて店に駆け戻った。
「スッゴイですね、もっと原始的かと思ったのに、トイレが最新式ですよ!」
紹介したブルーは当然知っている。少年の反応は彼の期待を裏切らなかった。
「ここに来たオレたちの大先輩が町の不潔さに嘆いて造ったんだよ。昔はその辺で適当に用を足してたらしくて、どこ行っても臭かったんだと」
「へ~」
「あの水洗装置は触れた者の魔力を使って動かしている。だから魔力が空っぽのときは作動しないから気をつけろ」
「はい」
「あと、紙も共有財産だからな。使ったときは1アトルでいいから寄付していけ」
「アトル?」
「銅貨のことだ。まずはハンドブックを読め」
ブルーにあきれられ、ショウは通貨のページを開いた。銅貨、銀貨、金貨が、ギザギ国で流通している硬貨である。ちなみに日本円に換算して、銅貨は5円、銀貨が500円、金貨が5万円ほどの価値を持つ。実際の日本の相場ではありえない価値比率だが、産出量の問題なので追求するなとブルーは付け足した。
「もっとも――」ブルーは再びステータス・サークルを呼び出した。その一部に『所持金』の欄があり、1から始まる七桁の数値が書かれていた。銅貨の枚数である。
「オレたちの所持金は、基本、データとなっている。税金をごまかされないようにな。仕事をこなしても現物ではなく、ここに書き込まれるんだ」
「どうやって使うんですか?」
「この町ならほとんどの店舗で掌紋と魔力認証による決済ができる。他へ行くときはあらかじめ管理局で現金化してもらう。余所で現金が手に入った場合は、手近な管理所でデータ化する」
「それってごまかせるんじゃ……」
「金額が小さければ目溢してもらえることもある。だが、金貨1枚以上となると、どこからともかく徴税官がやってくるんだ」
「スゴイぞ、あいつら」ブルーは露骨にイヤな顔をした。経験があるのだ。
「……まぁ、面倒ではあるが、便利でもある。重い硬貨を持たなくて済むし、盗まれる心配もないからな」
「現代日本よりよっぽど近代的だ」
ショウが深く感心する。
「さて、オレはそろそろ休むとするが……そうか、おまえ、宿もないのか」
「はい……」
「ここの二階に部屋をとってやるから、そこで寝ていけ。つっても、一番安い大部屋だけどな」
ショウにとってはどんなボロ部屋であろうと、屋根がある場所ならそれ以上は望まなかった。何度も頭を下げる少年に、ブルーはもう少し奮発してやってもよかったかと思った。
「明日は寄り道しないで管理局へ行けよ」
「はい。あの、ブルーさんは行かないんですか?」
「オレはギルドに行く。おまえとは違うところだ。一人前になったらそこで会うこともあるだろうよ」
ブルーは飲食代と宿泊費を清算し、酒場を出て行った。彼には自分の塒がある。
「ギルド? 冒険者ギルドってヤツかな? でも、冒険者って名称は使われてないんだから、違うんだろうなぁ」
そんな疑問を口にしながら、二階の割り当てられた部屋に入る。照明はなく、月明かりが薄く照らす。狭い部屋には木製の二段ベッドが四組も並んでいた。それぞれに番号が振られており、ショウは上段にある五番のベッドで横になった。
新天地に興奮しているのか、硬く温かみのないベッドのせいなのか、なかなか眠りにつけない。
ふと、実家を思い出した。今頃、家ではどうなっているのだろう。書置きさえ残さずに消えてしまった息子に、両親は戸惑っているだろうか、怒っているだろうか、心配しているのだろうか……
今すぐ帰れば夜遊びが過ぎた程度で済むのかもしれない。でも――
「オレはまだ、何もしていない……」
それは少年の葛藤の言葉であった。
ショウが目を覚ますと陽はすでに高くなっていた。周囲のベッドは空っぽで、彼は慌てて飛び起きた。彼はのんびり寝ていられる身分ではなかった。
階段を下りるとヒゲ面の主人から「おはようさん」と声をかけられ、サービスでパンと一杯の水が差し出された。遠慮なくいただき、礼を言って酒場兼宿を出た。
街には人が溢れており、それぞれの場所へ向かって歩いている。
ショウはハンドブックを出し、町の簡易地図を眺めた。
「異世界人管理局って、きのう出てきたホールの隣じゃないか」
あのときは舞い上がって地図も看板も見ずに街へ飛び出していた。道理でブルーが「寄り道するな」と言ったわけだ。本来なら直行コースなのだから。
管理局に近づくと、見るからに日本人の若者が目立つようになった。彼らはこれから仕事へと向かうのだろう。少年は彼らにこれからの自分を重ね、緊張から唾を飲み込んだ。
管理局の大きな扉を潜る。ホールとなっており、奥に受付カウンターがあった。人影はまばらだった。
列や整理券などはないようなので、空いている受付に近づいた。
「どのようなご用件でしょうか」
受付の女の子がにこやかに応対する。名札にツァーレ・モッラとある。ショウと同い年くらいだが、ずいぶんと落ち着いており、姿勢も正しい。大きな銀のメダリオンを首から下げている。服装もゆったりとした白いローブで、ゲームによく見る僧侶っぽいとショウは思った。
「きのう着いたばかりなんですけど……」
「きのうですか?」ツァーレは驚いた。通常、日曜日の召喚はありえない。この異世界人管理局も日曜は終日休業しており、新しい異世界人が来ても対応できないからだ。その異世界人はそれこそ無一文で過ごさなければならない。それでも極まれに日曜日に召喚される者がいるのは、アリアドのノルマという都合がほとんだだった。
「無事に過ごせましたか? 何か、悪いことに巻き込まれたとかありませんでしたか?」
「いえ、いい先輩に出会えまして、どうにか無事に……」
事情を知らないショウは、なぜ彼女がそれほど親身になっているのかわからない。
「そうですか、それはよかったです。では、二階の研修室へどうぞ。そちらで新人の方むけのご案内をします。係員が来るまでビデオを観てお待ちください」
「わかりました。ありがとうございます」
『ビデオ』という単語に首をかしげたが、ショウはカウンター脇の階段へと足を向けた。
「あなたの新しい旅路にシャイネのご加護があらんことを」
去っていく少年に、彼女は胸の前で光の神に捧げる印を切った。ショウには『シャイネ』が何かわからなかったが、ありがちなフレーズと彼女の第一印象が合わさって神様なのだろうと思いついた。もう一度「ありがとうございます」と礼を言って、階段を上がっていった。
研修室に入ると、巨大な水晶球がまず眼に付いた。入室と同時に作動し、映像を映し出す。脇の黒い玉からは音声が流れている。
『席にお着きください。一分後に召喚労働者・第一講習ビデオを開始します』
ショウはビデオの真正面に腰掛けた。
『第一講習を開始します――』
水晶ビデオはこの世界でのルールを簡単に説明した。続いて、仕事の受諾と完了報告、報酬と税金、禁止事項と刑罰などが流れていく。
「なんだろう、この、ファストフード店か派遣バイトの紹介ビデオみたいなの……」
ビデオはたしかにわかりやすい。が、『ビデオ』という単語をファンタジー世界で聞くこと自体が違和感アリアリなのだ。『召喚労働者』という言葉然りだ。
「オレ、ここにバイトに来たのか……」
ショウは熱が冷めていくのを感じた。
ドアが開いた。いかにも定年を迎えた臨時職員のような男性が入室してきた。
「えー、ビデオは観たかね」
ショウが「はい」と答えると、職員は油の切れた機械人形のようにぎこちなくうなずいた。
「では、これから最低五日間は研修期間となるから。滞在五日以上、かつ、就労レベルが2以上になれば第二講習が受けられるからね。それまでは初心者向け作業で経験を積むといいよ」
彼はショウの胸元に指先を走らせた。ステータス・サークルが勝手に出現し、サークルの背景色を白から緑に変える。第一講習受講終了と、就労レベル1に認定された証である。
「質問いいですか?」
「……ん? なにかね」
老人の反応はいちいち鈍い。
「召喚されて72時間以内なら元の世界に帰れるってのは本当ですか?」
「ん? んん? あ~、そうだねぇ。そういう話もあったねぇ。その辺は入国管理課で聞いてもらえるかね」
「なら、別の質問です。自分がこっちの世界にいる間、元の世界ではどうなっていますか? 死んだことになっているんですか? それとも行方不明? 存在自体なかったことになっているとかでしょうか?」
都合よく、こちらの世界にいる間は元の世界では時間がとまっている可能性も考えたが、それはすでに否定されている。ブルーは最新ゲームのファイ・オニ7を知らなかった。彼にとっては、日本では確実に時間が流れている証拠だ。
「わかんないねぇ。それも管理課で聞いたほうがいいと思うよ」
ショウは彼に質問するのは無駄と決め付けた。
「では、他になければ解散で。お疲れ様」
職員はゆっくりと退出した。
その彼を追い越す勢いでショウは廊下へ出て、階段を駆け下りた。
「入国管理課ってどこです?」
一階の総合受付に迫る。ツァーレ・モッラがにこやかに「三階にございます」と答えた。
少年はまた走る。
野球から遠ざかり、すっかり体力が落ちていたショウは、多少息切れしながら入国管理課の扉を叩いた。
乱雑な書類束に囲まれたデスクがいくつも並んでいる。皆、忙しそうに書類に目を通し、時にはサインし、場合によっては『再提出』の赤印を押していた。
小さな受付ブースがあったので、ショウはそこにいた職員にさきほどと同じ質問をした。
今度の職員は若い男性で、ハキハキと答えた。
「ええ、72時間以内でしたら帰れますよ」
「で、こっちにいる間は、元の世界ではどうなっているんですか?」
「それにつきましてはお答えできません。私どもも知らないのです。異世界召喚庁長官にも問い合わせてはいるのですが、返事がありません」
「なんていい加減な……。じゃあ、ここで死んだらどうなるの?」
「もちろん死にます。復活の儀式もありますけど、よほどのお金持ちではないとお支払いが難しいかと」
「ちょっ! 召喚されるとき、生き返らせるっていいましたよ、あのアリアドって人!」
「まぁ、そうでも言わないとなかなか、ねぇ……。よくある話ではないですか。ですが、そんな都合のいい話を信じるほうも無用心ではないですかね」
そうかもしれない、とショウは思いつつも釈然としなかった。
「では、元の世界へ帰りますか?」
「あ、いや……」ここで帰るほうが正解なのだろう。少なくとも自ら苦労を背負い込み、死地に赴くようなマネはしないで済むのだ。けれど――
「……ギリギリまで、考えてみます」
「そうですか。あなたの召喚日から算出しまして、49時間以内に決断してくださいね」
話は終ったと判断し、事務員は手元の書類に眼を戻した。
ショウは飛び込んできた勢いをすっかりなくし、一階へと戻った。掲示板の前で足をとめ、初心者用のグリーン・ラベルが貼られた作業依頼書を眺めた。とりあえずでも残ると決めた以上、今日の食い扶持を稼ぐ必要がある。
「……公衆トイレの清掃作業? ペンキ塗り作業補助? 煙突掃除にパン製造……」
どう見てもやっぱりアルバイトだった。貼り出されているのは長期のものばかりで、初めてのショウには困惑が浮かぶ。かといって、単発もしくは短期で探すと、初心者向けではなく、高レベルの要人警護や荷馬車護衛、ゴブリンなどの魔物退治などになってしまう。
ショウがどうしたものか悩んでいると、背後から声をかけられた。
「初めての方でしたら、こちらはどうでしょう」
振り向くと、受付のツァーレが立っていた。一枚の書類を差し出している。
「たったいま来たばかりの依頼ですが、町内配達なので誰にでもできますよ。報酬は少ないですが、安全区域ですし、遠くもありませんから」
「じゃ、やってみます」
ショウは作業依頼書を受け取った。荷受の住所と配達先は親切に日本語のルビがついていたが、それがどこかはわからない。ハンドブックを開いてみるが、主要施設以外の場所は記されていなかった。とすると、個人宅だろうか。
「地図ってあります?」
「町内詳細地図でしたら2シグルです」
「シグル……銀貨か」
銀貨どころか銅貨一枚ありはしない。
「後払いでかまいませんよ。綺麗なままでしたら返品も可です」
彼女は笑顔で隠し持っていた地図を渡した。少年は完全に虚をつかれ、赤面した。
「あ、ありがとう……」
「では、がんばってくださいね。あ、時間指定なので、夕方までには完了してください。できないと判断されましたら、すぐに連絡を」
「は、はいっ」
ショウは慌てて異世界人管理局を出ようとする。それを受付職員が止める。
「待ってください。まだ作業契約書にサインしてません」
「あ」
ショウは振り返り、彼女が差し出した書類にサインした。
「はい、けっこうです。確認します。作業番号04510-1914-0704-067、集荷・配送業務。配送数1個口。作業完了期限、本日17時。報酬・税抜き6シグル。所得税・就労レベル1なので6アトル。以上です」
「では、いってきます」
「お気をつけて」
彼女は手を振って見送った。それでやる気があがるのだから、ショウは自分でも単純だと思う。
「というか、集荷地点くらい目星をつけてから出ろよ!」
と、自分の浅はかさにツッコミをいれる。路上で10数枚の紙束からなる地図を広げ、住所を調べる。
「わりと近所じゃん」
ついでに配達先も確かめると、紙面にして丸一枚ぶん南東へ行ったところだった。
「あれ、この地図って……」
改めて地図を見直し、切れ目を重ねるように並べてみる。すると、きれいに円を描いた。地図には街区番号が振られており、北を基準にすると12街区が真上に来て、その右下が1街区、次が2街区となり、一周すると11街区で終わっている。
「時計の針と同じだ。この区分けはわかりやすいな。管理局が6丁目12番地、きのう泊まった宿が7丁目、これから行くのが5丁目11番で、届け先も同じ5丁目か。街区によって通りの名前がついてるんだな」
そんなちょっとした発見が楽しい。ショウは知らないが、ナンタンでは町内区分は『丁目』ではなく『番街』と呼ばれる。管理局なら『6番街12』となる。
「でもこれ、町全部じゃないな。真ん中がすっぽりと抜けてる。……あ、中区地図って書いてある。この町ってたしか――」
ショウはハンドブックを出して、町内地図のページを見た。ナンタンの町は三重の壁で仕切られている。それぞれが内区、中区、外区である。ショウがいるのは中区で、彼が持っている地図はその部分しかなかった。
「他はまた別で買えってことかな」
ショウは必要部分の地図だけ抜き取り、ズボンのポケットに丸めてしまおうとした。が、束が厚すぎて丸まらない。仕方なく無理やり二つ折りにして、背中側の腰紐に差して集荷先へと向かった。
集荷先と配達先の距離は大したことはない。これは楽勝か、と集荷先にたどり着いたとき、仕事はやはり甘くないと痛感した。
お客は感じのいい老婦人だった。小さな一軒家に住み、花壇には世話の行き届いた花がたくさん咲いている。そんなささやかで和みのある家の住人にふさわしい人物だった。
「趣味で育てていてね、友人がどうしても譲って欲しいというので差し上げることにしたの。少し重いけれど、お願いしますね」
直径40センチ、高さ60センチはあろうかという陶器の鉢植えに、すくすくと伸びた植物が植えてあった。もちろん土もたっぷりだ。
「わ、わかりました……」
声が引きつっていた。
持ち上げてみる。上がらないことはなかったが、とても楽勝ではない。だが、ショウには仕事をキャンセルしようという考えはなかった。一度引き受けて断るのが男らしくないとか、格好悪いとか、そんな単純な発想もあったが、何よりも逃げるのがイヤだった。それでは今までと変わらない。大それた仕事ではないが、だからこそ余計にそう思った。
だが、気概に反して50メートルも進まず、ショウは一旦鉢植えを降ろした。
「ヤバイな、思った以上に体力が落ちてる……」
ふぅ、と一息つき、また抱え、歩き出す。今度は100メートルがんばってみた。
そうして普通に歩けば20分もかからない距離を、二時間弱かけてようやく辿りついた。
「お待たせしました……」
息も切れぎれで玄関に立っていた少年に、配達先の老人は驚いた。
「ここまで担いできたのかい? ご苦労だったねぇ。いや、異世界人だから魔法で運んで来ると思っていたが、そうでもないんだねぇ」
ショウは汗を流しながら、笑みを浮かべるしかなかった。魔法の世界でバカ正直に重量物を運ぶなんて、たしかにナンセンスだった。
一杯の水と受領サインをもらい、ショウは配達先から離れた。ともかくこれで2970円。地図の代金を払い、生活必需品を揃えたらいくらも残らないだろう。そんなマイナス要因を考えながら帰路についた。
異世界人管理局に戻ると、先ほどよりも多くの同業者がいた。仕事を終えた報告に訪れているようだ。今度は列ができていたので最後列に並ぶ。
ほとんどの人がパートナーと、もしくはパーティーを組んでいるようだ。仲間内で盛り上がる者、他のパーティーと情報を交換する者、人数や職業構成はさまざまだが、とりあえず仕事が終わり安堵しているようだった。
そんな様子を眺めているうちにショウの順番が回ってきた。三つある窓口で、偶然ながらツァーレが担当となった。
「無事に終わりましたか?」
彼女が微笑む。
「は、はい」
少年は照れくさくなって視線を逸らす。容姿が完璧にストライクだった。
「では、作業依頼書を提出してください」
うながされ、ショウはポケットにしまっていた書類を渡した。
ツァーレが集荷サインと受領サインが書かれているかを調べる。
「はい、確認しました。右手をこちらの水晶球に置いて、そこの鏡を見てください」
彼女の指示どおり、受付台にあった水晶球に手を載せ、脇に据え付けられている小さな鏡を見た。ツァーレが手元のテン・キーを叩く。すると、鏡に594と数字が表示された。これがこの世界の清算機であるのは、昨夜、ブルーが酒場の支払いするときに見て知っていた。
「数字は読めますね? 税金を差し引いた報酬額に間違いはありませんか?」
「はい」
「では、お支払いします」
ツァーレがエンターキーを押す。すると電子音のような高い音がした。
「ステータス・サークルを出して確認をお願いします」
言われるままショウは首元を叩き、サークルを呼び出す。所持金の欄に594が書き込まれていた。
「大丈夫です」
「お疲れ様でした」
丁寧に頭を下げる彼女につられ、「どうも」とショウも同じ動作をする。が、ハッとして背中にねじ込んでいた物を取り出した。
「これ、これの代金!」
「ああ、地図ですね。お買い上げでよろしいですか?」
「はい。汗かいちゃったから、返品てわけにいかないし」
そんな弁明を気にもかけず、ツァーレは「では、もう一度、こちらに手を載せてください」と促した。
清算水晶球に右手を載せる。彼女がテン・キーに200と入力すると、ピピッという音が聞こえた。同時に、彼の所持金が200減った。
「他に何かご用件はありますか?」
「えーと……」
ショウは考えてみる。聞きたいことは山ほどあるが、彼女の質問はあくまで仕事関係についてだろうと見当がつく。窓の外を見て少し考え、ショウは訊いた。
「この時間からでもできる短時間の仕事って何かありますか?」
まだ夕刻まで時間がある。一日の稼ぎが銅貨394、1970円では心許ない。食事や宿代も稼がなければならない。
「調べますね」
ツァーレは数枚の作業依頼書をめくった。この時間で、かつ初心者向きの作業など多くはない。検索もあっという間である。
「終業時間後の店内掃除作業が一件あります。17時から二時間作業です」
作業依頼書を提示されるが、ピンと来ない。それでも即答で「お願いします」と応じたのは、ツァーレの選択を信じているからである。自分で判断できないならば、熟練の意見に従うほうがよい。
「わかりました。では――」
少年は指示を受け、作業依頼書を手に受付から離れた。作業開始まではまだ二時間弱ある。その間に軽く何か食べておきたかった。それに買い物もある。すでに邪魔になりつつある町内マップを、いつまでも背中に差しておくわけにもいかない。
「最低限、カバンはいるな。いくらするんだろう……」
つぶやきとため息を同時に漏らすと、意外なことに返事が来た。
「キミ、カバンが欲しいの?」
ショウは不意の声に驚き、相手を見た。薄紫の短髪女性と、金髪オールバックの男がいた。どちらも見た目、二十歳前半である。
「初心者だろ? だったら利用できる物があるからついてきな」
「はぁ」
ショウはさっさと歩きはじめる二人の後を追った。
「そういや名乗ってないな。オレがカッセで、こっちがリラ。この世界に来て三週間てところだ。レベルもまだ2だ」
金髪男性が背中越しに紹介した。ショウも名を告げ、「二日目です。よろしくお願いします」と頭を下げた。
カッセは「これから大変だな」と応じ、前方に見えてきた部屋を指差した。
「この奥の部屋が休憩所だ。就労レベル2以下の召喚労働者ならタダで寝泊りもできる。っても、布団も敷居もないから雑魚寝だけどな」
広いスペースに出る。床から40センチ程度の高さに、15メートル四方の板の間が広がっていた。
「雑魚寝でも何でも屋根があれば」
「みんなそう思って集まるから、うるさいし狭いし臭いけどな」
「そうそう。お金がないとお風呂にもいけないしね」
「風呂があるの?」
「民間の大浴場な。もっとも、風呂って言ってもサウナだけどな。入浴料は40銅貨。水浴びでいいなら、ここの裏の井戸でやれば金はかからないぜ」
「すごい助かる情報だ。ありがとうございます」
「いや、こういうのはお互い様だからな。オレたちだって来た当初は困惑したもんだ。それを先輩たちが教えてくれた。そのお返しだ」
笑みを浮かべながら話すカッセに、ショウは感動していた。基本、召喚労働者たちはいい人の集まりなのだろうと結論をだすほどに。
「で、キミに今、必要な情報はこっち」
リラがさらに奥を指差す。
小部屋だった。中には乱雑に物が置かれている。いや、投げ捨ててあるようにすら見える。物は多種多様にわたり、古着や使い込まれた武器や鎧、ロープなどの雑貨だ。変わったところでは釣竿や洗濯板などがある。
「ここにあるのは先輩たちが置いていった物なの。ボロいけどまだ使える物が大半だよ」
「二つまでなら持っていっていい。数日借りるだけならいくつでもかまわないが」
「これは助かります!」
「そんじゃ、ゆっくり探してみるといいよ。掘り出し物があるかもだから」
リラが手を振って部屋を出て行った。そのあとをカッセも追う。
ショウは二人の背中に大きな声で礼を言い、宝探しを開始した。
カバンはすぐに見つかった。ついでに手垢まみれのナイフも借りていく。鞘を抜いてみると先端が少し欠けてはいるが、全体としてはまだ使えそうだった。
「ありがとうございました。感謝して使わせてもらいます」
誰もいない部屋に一礼し、少年は出て行った。
それから管理局付近を散策し、手ごろな串焼きを見つけて食べる。獣肉らしいが、塩の味が強過ぎて何の肉かはわからなかった。
その後は現場に向かいつつ、今後の必需品に目星をつけながら歩いていく。
商店が立ち並ぶ一角に、そこはあった。
「魚屋か……」
ショウは魚屋という存在を珍しいとは思わなかった。しかしナンタンの町では希少であった。この町には港がない。海は東に遠く、川はあるが商売が成り立つほどの魚はいない。その知識を、少年はまだ持ち合わせてはいなかった。
ショウは店の清掃業務に励んだ。その仕事は初めてにしては上出来であったらしく、主人は彼を褒め、手みやげの魚の燻製まで持たせた。少年は認められたのが純粋に嬉しかった。
帰路の途中、少年はもらった魚をかじった。海の味だろうか。塩が絶妙にきいていて、魚の素材と合わさりいい風味をだしている。さらには骨までおいしくいただけるほどの柔らかさと弾力があり、二枚の魚は跡形もなく胃袋におさまった。
「今回は5シグルだから、税金引いて2475円の稼ぎか。晩飯代も浮いたし、明日一日がんばれば風呂と着替えくらいはなんとかなるかな」
今日一日は、終わってみれば悪くない結果のような気がした。一日程度では考えが甘いのだとはわかるが、いい日だったと思える。日本にいたときは褒められることがなかった。誰かに心からお礼を言うこともなかった。生きているのだと感じることもなかった。
「あと一日、がんばってみよう。それからどうするか決める」
ショウはこの世界に残るのがイヤではなかった。ただ、残ったことで日本では両親がどうなっているかが気になるのだ。いっそ、両親の記憶から消えていてくれればと願ってしまう。
「休憩所で情報を集めてみるかな」
答えを知っている人間がいる可能性もある。それこそ甘い願望だが、少年は子供としての責任は果たしたかった。
異世界人管理局の窓口は、一つを除いて閉ざされていた。利用者はおらず、ホールには談笑する数人がいるだけだった。
世話になったツァーレ・モッラは勤務終了なのかいない。清掃作業の終了報告はパーザ・ルーチンという別の受付職員が処理した。
「明日の仕事は今もらえるんですか?」
報酬を受け取ったあと、ショウは訊いてみた。
「当日・朝6時からの集会で募集をします。今日はゆっくり休んでください。お疲れさまでした」
彼女は事務的にそう言い、『離席中』の札と呼び鈴を出して奥の部屋に引っ込んだ。
ショウも休憩所へ向かう。慣れない作業に疲れているのが体の重さでわかる。とにかく手足を伸ばしてのんびりしたかった。
近づくほどに賑わいが大きくなっていたのだが、直接見て驚いた。すでに人で埋まり、足の踏み場もない。あぶれた人間は通路で座りこんでいた。猛者になると、例のガラクタ部屋で道具に寄りかかって寝ている。
「こんなにいたのか。甘く見てたなぁ」
呆然としていると、人波の中からこちらに手を振ってくる者がいた。カッセだった。となりにはリラがいる。
何か言っているが、遠いうえに雑音に消されてよく聞こえない。かろうじて聞こえたのが「二日目だ」という単語だった。
すると、人ごみが綺麗に分かれて、少年の前に一筋の道ができていった。
一番近くにいた青年が伝言ゲームの末に、最後の道を開いた。
「召喚三日間は優先だ。奥へ行け」
ショウは戸惑いつつも礼を述べ、靴を持って板間に上がった。
道に従って歩くたび、「ようこそ」「がんばれよ」などと声がかけられた。
カッセとリラのもとにたどり着き、狭いながらに腰を落ち着ける。丸まれば寝られる程度のスペースだが、ショウにとってはありがたい。
「よぉ、お疲れ」
笑顔で迎える金髪の男に、ショウは感謝を告げる。
「また、助けてもらってありがとうございます」
「気にすんな、これが伝統なんだよ」
「いいですね、こういうの。仲間意識が芽生えるというか」
「実際、こういう通過儀礼みたいのがないと仲間が集まらないからな。なるべく顔見知りは作っておいたほうがいい」
「そうします」ショウはこの世界でやっていく上での心得として胸に刻んだ。
「ところで、ちょっと質問があるんですがいいですか?」
「なんだ?」
「ここにいる間、日本ではどうなってるかわかりますか?」
「……」
カッセとリラは顔を見合わせた。彼らはその答えを持っておらず、また、他の仲間も同様だろうとカッセは言った。
ショウは別の質問をした。
「二人は、三日のうちに帰ろうとは思わなかったんですか?」
リラとカッセはまた顔を見合わせ、さきほどと同じようにカッセが答えた。
「思わないでもなかった、てのが正直なところだな。オレは日本でも似たようなフリーターだったからな、どっちも変わらないなら新天地のが面白いだろ? 家族についてはまぁ、悩みもしたがいつまでもガキじゃいられないからな。決断は自分でしたよ」」
「あたしは半ニートで親に迷惑かけてたし、いないほうが喜んでるんじゃない? でも、帰りたいと思うこともあるし、実はあきらめてもいないんだよね」
「え?」
「帰る方法を知ってる人間が一人いるだろ?」
「アリアド……?」
「そ。こっちに呼ぶ力があるなら、戻す力もあるはず。だからあたしは目標を立てたんだよ」
「目標?」
相棒のカッセが訊いた。彼も知らなかったようだ。
「王都へ行って、アリアドに会って、日本へ帰る。それがあたしのゴールだよ。それまではこの世界で生きていく。ちゃんと楽しみながらね」
リラの微笑に、ショウは心が晴れた。少年に足りなかったのは、覚悟と信念と、そして、目標だった。それに気付き、ショウは初めてこの世界にきた意義を感じた。
「それ、いいですね。賛同しますっ」
「おいおい、おまえは今すぐでも帰れるだろうが。悩むくらいならとっとと帰れよ」
カッセがあきれ顔を浮かべる。けれど少年はすっかり感化されたのか、激しく首を振った。
「オレ、このまま漫然と生きるのが怖かったんですよ。だからこの世界も怖かった。でも、目標を定めて生きていくなら、ここにいる意味もできるんですっ」
「まぁ、おまえの人生だから止めはしないが、アリアドに会えるかどうかはわかんねーぞ? それに会っても解決しないかもしれない」
「だからこそやる価値があるんです。そうでしょ?」
ショウに詰め寄られ、リラはたじろいだ。「そ、そうかもね」と引きつって答えたのは、少年の圧と純粋な瞳に押されたからだ。それに彼女はそこまで深く考えてはいなかった。アリアドに会えれば帰れると疑ってもいなかったのだ。会っても無駄かもなど、思いつきもしなかった。
「そういや、有名どころも何人かいるけど、あの人たちは王やアリアドに会ったりはしてないのかねぇ」
リラが天井を見上げながら疑問を口にした。
「有名どころ?」
「勇者候補じゃなくて、本当の勇者ってヤツな。オレも詳しくはないが、不退の戦士の二つ名を持つランボ・マクレーと、放浪の女魔剣士バルの名前はよく聞く」
「そういう人って本当にいるんですか!?」
「マクレーは西の砦で遊撃隊長をやってるらしいよ。バルは対照的に、町から町を転々としてるって話。どっちもレベル50超えらしいけど、それでも王都には入れないのかねぇ」
そう口にしてみて、リラは自分の考えの甘さを感じた。一生かかってもアリアドと話す機会は得られない気がする。
「そこまでいっちゃうと、もう元の世界なんてどうでもよくなってそう。悟りも開いてるカンジ」
「ああ」カッセはショウの単純な感想に納得した。
「そうかもな。けど、その域に達するには何年もかかりそうだ。オレは気の長い話より、明日の食いブチと健康のほうが気になる。てなわけで、もう寝る」
カッセは背負い袋を枕に、丸くなって横になった。
「もう?」
「あたしらは定番で早朝から昼まで畑仕事に入ってるからね。午後は単発で別の仕事に行くこともあるし、休むときもあるの。だから今日の午後はここにいたってわけ」
「あー」
と、ショウは二度うなずいた。
それを見届けると、リラも「悪いけどおやすみー」と倒れた。
仕方なく、ショウも体を縮めながら横になり、読みかけのハンドブックを開いた。
その文字の羅列は強烈な睡魔を呼び起こし、彼はいつの間にか眠っていた。