第一
私たちが生まれ住むガドロア共和国の独立と、長く続く実質的内戦状態の説明は意外と短く済む。
カスピ海に面した中央アジアに位置するにもかかわらず、国民の六割がロシア人、それに続くのはカザフ人、そして三位に極東ドイツ人たちだ。
では、もともとこの地域に住んでいたであろうアジア民族はどこにいったのだと思うだろうが、その答えがガドロアの歴史そのものでもある。
ガドロアと呼ばれる地域には、ソヴィエト連邦時代にガドロア人によるガドロア人民自治共和国が確かに存在した。
しかし、ガドロア人たちが今日に至るまでどうして主流から脱落したのかと言えば、彼らが第二次世界大戦中に枢軸国加盟と独立を目論んだことに尽きる。
彼らはスターリンとベリヤという赤い化け物に徹底的に弾圧され、代わりにあらゆる地方から追放されてきたドイツ人たちがカスピ海沿岸の収容所に収容された。
その時点でガドロア人は共和国内人口の四割にまで低下していたが、まだ自治共和国の議会は傀儡とは言えガドロア人たちのものであった。
では、なぜガドロア人たちは今日に至るまでに冷戦とソ連崩壊という民族自決真っ盛りな時期に没落したのか、その答えもまた単純なものなのだ。
ガドロア人民自治共和国のカスピ海沿岸において、追放されたドイツ人たちを強制労働させ設置された封鎖都市―――≪アクタウ21≫の存在と、それに伴うロシア人たちの増加。
見えない不協和音はソ連崩壊によってピークを迎え、西側路線派ガドロア人と、独立国家共同体派のロシア人による小さな内戦が勃発した。
まともな軍備力もない彼らの戦いの結果は誰もが予想できるものだ。結果はガドロア人たちの徹底的弾圧と排除で終結し、かくして彼らは表舞台から姿を消した。
かつてのタタール系民族の血を引くガドロア人たちは、その数を大きく減らしながら山岳部や石質の砂漠に逃走し、それがこの国の実質的内戦状態の敵対勢力となった。
この実質的内戦状態が数十年も続くガドロア共和国の汚点と化したのにも、理由がいくつかある。
まず第一に軍備力において旧ソ連駐屯軍から装備を引き継いだガドロア共和軍は、陸軍と空軍にある程度の戦力はありはしても海上戦力は皆無であったこと。
それがカスピ海経由での密輸入経路となってイランから多量の武器や資金が流入し、共和軍はさらに強力になったゲリラの殲滅に失敗した。
そして第二に、山岳部や石質の砂漠に住む羊や山羊、ラクダを飼育する半遊牧民たちはそうしたガドロア人たちに同情的だった。
イスラム圏の影響も強いガドロアにおいてガドロア人たちは共産主義とイスラム教を同時に信仰し、半遊牧民たちを集団農場にぶち込むことをしなかったのも大きい。
現地の協力と第三国から供給される武器や資金によって地盤を手に入れたゲリラは、そうして数十年間、私たちの国に存在し続けている。
―――
それが私の国の歴史よ、とジナイダ・ルキーヴァはクスリと微笑む。
小悪魔のようなその微笑みはアジア系の顔立ちのジナイダによく似合っていて、とても可愛らしい。
少し日に焼けた白い肌に褐色の瞳、綺麗な黒髪は月光で艶やかに、柔らかく光っているように見える。
程よく柔らかい肉のついた身体は染みもなく慎ましい線を描いていて、僕は腰にそっと触れて「そうなんだ」と相槌を打つ。
旧ソ連時代に大量に建造された五階建て集合住宅、フルシチョフカの暖房は当てにならないので、僕は毛布を引き上げてジナイダと一緒にそれに包まる。
ガドロア共和国内のゲリラ勢力である≪ガドロア・オルダ≫が≪イスラム・ガドロア民族主義≫を掲げているけれど、ジナイダのように共和国側で生活するガドロア系の人々もいる。
もちろん、不穏分子を国内に抱えるガドロア共和国の経済は良いとは言えない。
旧ソ連時代の原子力発電所は二十年前に老朽化で廃炉になり、それまでカスピ海の脱塩処理を担っていた原子力発電所の停止で水不足に悩まされた。
ここ十年で水不足による都市部の治安悪化に音を上げた政治家たちが、かつての閉鎖都市≪アクタウ21≫―――≪ノヴォゴニエフスク≫に新型原子力発電所を建設したのもそのためだ。
ナトリウム冷却高速炉の誘致とそれと並行して建造された海水淡水化設備、ロシア連邦との大規模な合同事業はスキャンダルと≪ガドロア・オルダ≫の過激化をもたらす。
ジナイダが小さく「眠たい」と言うので、僕はその頭をゆっくりと撫でてあげながら「おやすみ」と囁くと、部屋の隅に吊るされている≪カスピ艦隊航空隊≫の略帽をが目に入った。
五年前、≪ノヴォゴニエフスク≫の原子力発電所建設企業を標的とした《ガドロア・オルダ》の海上テロが過激化し、ガドロア共和国はロシア連邦から対テロ装備を購入した。
それが≪カスピ艦隊航空隊≫の主力装備、Mi-24Dハインド。
正式名称としてはその輸出仕様型番であるMi-25、攻撃ヘリコプター。
旧式化甚だしい空飛ぶ重戦車が、僕とジナイダの、二人の翼なのだ。