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呪術医の治療薬  作者: 椎名華楠
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第一章 三節 アセナ・シュペルツハイド

ご無沙汰しております。椎名華楠です。

今回から人々との交流を見る事が多くなるかもしれません。

最初は入門感覚でお楽しみください。

それでは、ごゆっくりとどうぞ。

「ほれほれ、もう朝じゃぞ!」

 背中をバシバシと叩かれてシェーレは目覚める。疲れが溜まっていたのか椅子で寝たにも関わらず熟睡をしてしまったようだ。

「ん…ああ、もう朝か。」

 シェーレは軽く伸びをしてから鞄を持ち、宿を出ることにした。

 今朝は霧も無く昨日よりも暖かい。この地域であれば外を出歩くにはもってこいである。

宿から薬種商の所までは徒歩で約二十分かかるが、前日三時間以上歩いている少女でも平気だろう。

 

 予定通り二十分ほどで薬種商の店に着いた。

 しかし、まだ早かったのか店頭には誰も立っていない。

「おばあさーん! おはようございます!」

店主を呼んでみるが返事が返ってこない。

「まだ早かったみたいだな。少し待つか。」

此方(こなた)は構わぬぞ。それより、ここは普通の屋台では無いのか?」

「見た目はそうだろうな。だが明確な理由があってこういった見た目になっているんだ。」

 ほう、と少女は表に並べられている薬草を見ながら話に耳を傾ける。

 この先は少女の気に触れる話だろうなと不安に駆られながら、遠回しな表現を交えて話を続ける。

「薬用として薬草を取り扱っている事を(おおやけ)にすると、教会のやつらに目を付けられるからな。食用として販売をしている定で見せておけば教会等の目から(のが)れられるってわけだ。」

「人間もよく考えるのう。」

 何故教会が目を付けてくるかは敢えて言わないことにした。

『悪魔憑き』について冷徹な反応を示していた少女の事を考えてみれば、『魔女』の話にもきっと嫌悪感(けんおかん)を示すだろうと憶測が浮かぶ。

 出来ることなら、あの冷え切った瞳は拝みたくない。

「そこのお二人さんや、待たせてすまんかった。」

 店の奥から声が聞こえてきたと思うと、少女よりも小柄な白髪のおばあさんが足早に二人の元へやってくる。古着に褐色のエプロンを羽織っており、いかにも食品店を経営しているといった姿である。

「いやはや、今日は陽気が良くて寝ておったわい。」

「いえ、私らも早く来てしまったようで、早くから失礼いたしました。」

 おばあさんはカッカッカッと笑いながら少女の方にも目をやる。

「今日はお兄さん一人じゃないのだね。可愛いお嬢さんをお連れになって。」

 少女は目元を隠しつつ微笑みながらおばあさんに会釈をする。

「お嬢さんとは初対面だね。わしゃキナ・ドルマだよ。縁あってシェーレさんと取引をしているんだ。」

 おばあさんとは思えない豪快な話し声で少女に自己紹介をする。

 そして、ドルマは続ける。

「お嬢さん、お名前は何と言うんだい?」

「!」

 ドルマの問いかけにシェーレは意表を突かれたように身が強張(こわば)る。

 少女の名前の事など忘却の彼方へと飛んでいた。

一般に取引上で自己紹介をすることは基本中の基本である。名前無しでは信用を得られない事はおろか、不信感を抱かれるであろう事は言うまでも無い。

 偽名を出しても良いが…とっさには出てこないものだ。

 表面上は分からない程度の冷や汗をかき、少女をじっと見つめる。


「アセナ・シュペルツハイドじゃ。」


 驚くほど少女は冷静かつ穏やかに名前を答えた。

 シェーレは時が止まったかのようにその場に立ち尽くす。

 名前は無かったんじゃないのか、もしあったのなら何故自分に教えてくれなかったのか。

 考えるだけ野暮(やぼ)ということは分かっているが、様々な気持ちが拮抗(きっこう)し合い胸が窮屈(きゅうくつ)になる思いである。

 だが、当然の如く実際には時は止まっておらず、シェーレの心の内が表に出ているわけでは無い。

 ドルマは何事も無く少女に握手を求めている。

「そうかいそうかい、よろしくねアセナさん。」

 少女も(こころよ)く握手を受け入れる。

「あらまあ、こんなに手が冷えちゃって。早くお上がりよ。」

 ドルマは少女の手を握るや否やひんやりとした少女を心配し、店内へ誘導する。

 シェーレも二人と一緒に店内へ入っていくことにした。


 店内に入るとドルマは、ちょっとお待ちよ、と言って奥の倉庫の方へ入っていく。

 様々な香辛料の香る店内で二人は店内の商品を見てまわることにした。

 少女にとっては香りが強かったようで、鼻元を隠しながら店頭の商品を眺めている。

「これも全部薬草なんじゃろうか?」

「薬草と言えば薬草だ。店頭に置いてあるのは香辛料と言って食用として販売されているものだから、薬草とはあまり言わないがな。」

 表に置いてあるのは安全なものばかりなため、少女に自由に見て貰っていても大丈夫だろう。

 止めたところで聞きそうにないだろうな、と思わせるほど少女は香辛料をあちらこちらと見て回る。

「黒胡椒や白胡椒とやらは良い香りがするのう。」

 意外にも胡椒は気に入ったようで、何度も香りをかいでいる。

 少ししてドルマが店頭へ戻ってきた。

「何度も待たせちゃって悪いね。お兄さんは奥で少しお話をしようじゃないか。」

 そう言って少女の方へ身体を向けて続ける。

「お嬢さんはどうするんだい? お兄さんと一緒に来るかい?」

 シェーレは、どっちでもいいぞ、と目配せをすると少女は予め決めていたように着いていくと答える。

「分かった。一緒に来なさいな。」

 ドルマは最初とは打って変わり、低く重いトーンで二人を奥まで案内する。

 シェーレと少女はドルマに遅れを取らないよう着いていく。

「遊びじゃ無いってことは念頭に置いておけよ。」

此方(こなた)がそんなに信用ならぬか。」

 鋭い眼光で睨まれてしまい、シェーレはその圧に萎縮してしまった。

 少女も取引が重要な場面であり、立ち振る舞いに気を遣う必要があることは重々承知しているらしい。むしろ、自分が如何(いか)に圧にたじろいでしまうかを体感することになり、自分こそが気を引き締める必要性があるように思えた。

「さあ、お二人さん。そこの椅子に座りなさい。」

 ドルマは部屋の更に奥にある椅子を指さして言う。

 二人が席につく間にドルマは部屋の鍵を閉めていた。

 ガコン!と鍵が閉まる重い音が部屋中を響き渡る。その音は取引を重さを表すかのように聞こえ、一気に緊張感が(ただよ)い始める。

「さてと。ここに来た以上はお嬢さんと言えどもただの可愛いお客さんとして返すわけにはいかないよ。」

「構わぬ。」

 少女は目を(つむ)り至って冷静に答える。

「あまりここで長話はしたくないからね。さっそく本題の取引についてだ。」

 ドルマは優しいおばあさんから一変し、取引の手ごわい女性という風貌を(かも)し出す。それは獲物に狙いを定める狩人と言ったような雰囲気である。

「ええ。それでは早速、薬草の取引を始めましょう。」

 シェーレも応戦体制をする心構えをする。

 小さな薬種商で大きな意味を持つ取引が始まる。


「本日取引の品として持ってきたものはこれらです。」

 シェーレは自前の鞄の中から、四種類の薬草を取り出してテーブルの上に出す。どの薬草も種類ごとに丁寧に梱包されている。

「まずは品定めをさせてもらおうかねぇ。」

 ドルマは一種類ずつ手に取って薬草を眺める。だが視線は薬草のみに向けているわけでなく、時折、一瞬だがシェーレの表情も伺っている。

「良い品だね。だが二種類は毒草を梱包(こんぽう)しているようだが。」

「それはドルマさんがよくお分かりでしょう。」

 ドルマはカッカッと笑い、何度も取引をする間柄なだけあるわい、と返す。

「もちろん毒草が混じっている以上何もなくして取引は出来ません。私が正式にこれらを持っていることを証明します。」

 そう言ってシェーレは鞄の中から一枚の紙を取り出す。

「呪術医免許と毒草取り扱い許可証です。どうぞご覧ください。」

「ああ、遠慮なく見させてもらうよ。偽造だったらたまったもんじゃない。」

 軽く毒を吐きドルマは免許証と許可証に目を通す。

「問題ないね。教会とは無縁の呪術医であることは確認できたよ。毒草取り扱い許可証も正式なものだから安心したよ。」

「では金銭交渉に移りましょう。」

 ドルマは、気が早いねぇ、と微笑しながら軽く頷く。

 いくら呪術医で薬草ばかりに目が行くとしても、生きていくためには金銭が必要である。さらに取引上で金銭を用いないのであれば、それは取引と言うには(はなは)だ大げさな表現となってしまう。商人ほど巧みな話術を持っているわけではないが、最低限金銭のやり取りに慣れていなければ独立した呪術医になることは不可能だ。それが目的の達成に繋がるならば、言うまでもないことであろう。

シェーレは思考を巡らせながら相手の出方を窺う。

 ドルマも顎に手を当てて様々な知識や経験、情報から取引額を吟味しているようだ。

「銀貨三百枚でどうかね。」

 ドルマはシェーレの目をまっすぐ見て言った。

「内訳は?」

「カブラとチルファが各百枚。ルトールとロゼハが各五十枚にしたよ。」

 悪くない。薬草取引は裏取引と言っても過言でないため高額な取引になるのは当然だが、それを込みにしても中々良い金額だ。

 ここで渋っても関係が良好になることはないと判断し、早々に取引をしようとする。

 だが、それを遮るように少女が口を開く。

「薬草一つであればそれ自体の効能しかないじゃろう。しかし、薬草と薬草を組み合わせることでより高度な効能を持つものが出来るとも言えよう。今は幸運にも四種類もの薬草があるのじゃ。其方(そなた)(さま)の目に狂いが無ければ、これらが生み出す価値を見誤るとは思えぬ。」

 饒舌(じょうぜつ)に話す少女にドルマは一考する。

 少女はシェーレの腰を突っつくとドルマに分からないように、頭を使え、と目配せをする。

 シェーレもすぐに意図を掴み、薬草の調合の知識を巡らせる。

「ドルマさん。あなたほど薬種商を長く営んでいる身であればご存じでしょう。」

 シェーレは自らの知識を誇らしげに、そして自信に満ちて話す。

「カブラとチルファは毒草です。しかし、毒草は単体では有害かもしれませんが、毒と毒を混ぜ合わせれば必ずしも有害なものとは言えません。事実これら二つを等量調合させれば、それはルトールを凌駕(りょうが)する希少な治療薬へ変貌(へんぼう)を遂げます。これを銀貨百枚ずつとはいかがなものでしょう。」

 ドルマはシェーレに視線を向けて自信満々に口を開く。

「銀貨四百枚でどうだい。」

 ドルマの口調は、まるで自分の方が取引において上手にいると言わんばかりの自信に満ちあふれている。

 その圧を感じつつ、シェーレが考えようとすると少女が再び腰を突っついてきた。

 少女の方を見ると少女は(うつむ)いている。だが、よく見るとドルマにはちょうど見えない俯き加減で口だけを動かしている。それを読み解くと。


 飲み込まれるな。


 シェーレは少女からの無言のメッセージを受け取ると再びドルマの方に視線を戻し、自信があるよう迷いなく答える。

「五百枚なら手を打ちますよ。」

 見せかけの自信であるが、金銭交渉において初めて自分が上手に立とうとした瞬間であった。

 ドルマは驚いた顔をした後すぐにシェーレを鋭い視線で射貫(いぬ)く。

 シェーレも威圧を感じる。しかし、少女のメッセージを信じて自分を見失わないようにする。

 たった数分が何時間にも感じる中、ドルマの方から口を開いた。

「まいったよ。威厳で取引を優位に持っていこうと思ったのだがね。」

 やれやれと重い腰を上げるようにゆっくりと席を立つとシェーレの方へ腕を差し出す。

「銀貨五百枚。それで手を打とうじゃないか。」

 シェーレはドルマの手を握り交渉成立となった。

 少女はフードの下で牙をわずかに覗かせながら微笑んでいる。耳と尻尾もふわっと小さく動きなにやらご満悦なようだ。

 取引自体は三十分弱だがそれに見合わないほどの疲労感が襲ってくる。

 ドルマは早速銀貨を用意してテーブルに乗せる。そしてシェーレとドルマで薬草を倉庫にしまった。

「あんた、良いお嬢さんを貰ったね。」

 ドルマの一言に少女でなくシェーレの方が照れ隠しをしてしまう。少女も表情を表には出さないが、内心笑みを浮かべていることだろう。そんなことを想像しながら銀貨を鞄にしまい部屋から出ることにする。

 鍵を開けてもらい部屋から出るときにドルマが二人に向けて話しかける。

「治療薬は必ずしも治療薬とは言えない。それは時に毒になる。一方で毒薬も必ずしも毒薬とは言えない。それは治療薬になることもある。呪術医のあんたは、いとも簡単にそれを駆使出来てしまうんだ。その事を呪術医として…いや、誰かを守る一人の存在として、絶対に忘れてはいけないよ。」

 カッカッと笑うドルマは今朝会った時のような優しいおばあさんといった雰囲気に戻っていた。

「お二人さんの未来が楽しみだね。」

 その言葉に少し照れながら店を後にすることにした。


「其方よ。今回の取引は成功と行った所じゃろうか。」

 店を出て数分歩いた所で少女が尋ねてきた。

「当然だろう。あんな破格の金額で取引が成立したんだ。」

 シェーレは喜々(きき)として答える。

 だが、少女はあまり喜んでいる様子では無い。むしろ、少し不安そうな表情でシェーレの方を見ている。

「破格の取引が成立したのは良いかもしれぬ。じゃが、其方(そなた)が浮き足立たぬか心配なのじゃ。」

 少女は心配そうに笑みを浮かべながら続ける。

此方(こなた)はいらぬ心配をしているようじゃな。」

 シェーレは少女の言葉を深くは受け止めず、心配するなと軽く頭を撫でる。

 少女はそれを拒否せず、耳だけを少し動かしていた。

「一つ聞いて良いか?」

 今度はシェーレの方から少女に尋ねる。

 少女は軽く頷くので聞きたいことを思いのままに尋ねることにした。

「お前は名前があったようだが、何でそれを俺に隠していたんだ。」

―――――――――――

 少女は黙ったまま、その場で立ち止まった。

「偽名を出さねばならぬ状況だったから、その場で作った。ただそれだけの事じゃ。」

 返答はしっかりしているものの、耳や尻尾は小刻みに震えている。それは必死に本音を隠そうとしているように見えた。

 人目のある広場で問い詰めるわけにもいかない。

 シェーレは、そうか、と一言だけ返答をして歩き始めることにした。

 少女も駆け足で側に寄ってきて、一緒に歩いて行く。

いつも通りイタズラな笑みを見ていると、からかいたいのか、本当に隠したいのか分からない。

少女の方から話してくれるまで、この話題に触れるのは止めておくことにした。

 

今日は取引を終えた後は特に何をするわけでも無い。

その辺を歩き回ったり、宿へ早くに戻ったりと好きに時間を使うことが出来る。

「お前はどこか行ってみたいところはあるか?」

 ここはシェーレにとっては親しみのある村なため、敢えて少女が気になる所に行ってみようと思い尋ねてみる。

「小さな村だから希望に添えるかは分からないが。」

「屋台に行きたい!」

 少女は飛びつくように答えてきた。

 よく考えてみたら昨日は屋台が閉まっていたため、少女を連れて行くことが出来なかった。行ってみるのも良いだろう。

「この広場にも多く出店しているから、回ってみるか。」

「もちろんじゃ!」

 足早に屋台へ向かっていく少女を慌てて追いかけようとする。直後、誰かが肩を叩いてくる事に気づいた。

「よお、久しぶりだなシェーレ。」

「ラシド…?」

「おいおいマジかよ。まさか同じように呪術医を志した旧友を忘れているって言うのか?」

「いや、忘れてはいない。」

 時が経っても人はそう変わらない。そう思わせる旧友に会えたことに少し驚いてしまった。

「それにしても、こんな北の小さな村で再会するとは奇遇なもんだな。薬草でも採りに来たのか?」

 ラシドは面白い話でも無いかとでも言いたげに話しかけてくる。

「薬草採取か取引くらいしか来る用事は無いだろう。」

「かぁ~冷たいこと言うなあ。」

「お前は他に用事でもあるのか?」

 シェーレが笑いながら尋ねるとラシドは分かっているくせにと項垂れる。実に心情の分かりやすいやつだ。

「ばあちゃんが店やってっから来るんだよ。お前こそよく分かっているだろう。」

「はは、おばあさんには大変お世話になっているよ。」

 ラシドはドルマの孫である。その縁もあり、そこまで学生時代に関わりが無かったものの長い知り合いになっている。

 同じ呪術医であるが、ラシドの方は神や精霊崇拝を主とした治療をしている。

「積もる話もあるが、ここで立ち話をするより、そこらの飲み屋で一杯交わしながらなんてどうだ?」

「そうしたい所だが、あいにく連れがいるもんだからな。今回は遠慮したい。」

 シェーレが一言断りを入れるとラシドは首をかしげた。そしてシェーレの周りを何度も見回す。

「おいシェーレ。お連れさんはどちらに?」

 ハッと気づく。少女を追いかける途中だった。

「あっ、悪い。連れを探してくる。」

 シェーレが少女を探そうと振り返ると、背後に上目遣いで見つめてくる少女の姿があった。

「お金を持っていなかったのじゃ。」

 しょんぼりと俯いて服をつまんで強請(ねだ)るのは少しずるいのではないか。と思わせるような仕草を少女は見せつけてくる。

「おお!そのお嬢さんがお連れさんか?!」

 ラシドは少女に見とれながら急に声の大きさとトーンを上げて話しかける。

 ついさっきまでシェーレに視線を向けていたが、一切向けることなく少女だけを見つめている。

 人目につく広場にも関わらずラシドは(ひざまず)いて少女に手を差し出す。

「ああ、何ということでしょう。こんな辺境の地で(うるわ)しゅうお方に会えるとは。神に感謝する他ありません。」

 いつの日のためか用意していただろう台詞を惜しみなく使っている。その度胸を自分にも分けて欲しいものだと半分感心するしかない。

「何と紳士なお方なのじゃ。」

 少女はくふふと口元を抑えて返す。

 正直シェーレにとっては面白くない。

「もし貴女がよろしければ、その被り物を取り、美しゅうお顔をよく見せていただきたい。」

 ラシドは少女の顔を覗き込むように身体を前へと傾く。

 シェーレが止めようとする寸前で少女が口を開く。

「其方様は悪いお方じゃのう。此方(こなた)も一人の女性じゃ。秘密の一つくらいある方が女性は美しく映えるものじゃないかのう。」

 少女は目を細めラシドを見つめる。ラシドも少女の虜になっているのか、仕方ないなぁ、と骨抜きにされている表情で再び立ち上がる。

「話は済んだか。連れがいるから失礼するぞ。」

 低い声でラシドをあしらうと、ラシドは言い残さないようにと大きめの声で呼びかける。

「次こそは良い時間を過ごしましょう!」

 シェーレと言うより少女に向けて呼びかけた感じが否めないが、まあそれでも良いだろう。

 それよりも少女を取られなかった事に安堵してしまう自分がいた。

「面白いやつじゃったな。其方(そなた)にも友人とやらがいるのじゃな。」

「腐れ縁だけどな。」

「からかうにはちょうど良い。其方(そなた)を無闇にからかうと可愛そうじゃからな。」

 そう言って少女はケラケラと表情を緩めて笑う。

「まあ、信用している人間であれば被り物を取って姿を見せておる。」

 少女は一歩シェーレの前に立って(きびす)を返すと、ニッと牙を出して笑いかけてきた。

 少しは信用されているのだろうか。心情を全く読ませようとしない少女にたじろぎながら広場を歩き回ることになる。

「ところで其方(そなた)よ。プラムとやらを食べたいのじゃが。」

 ラシドと話している間に見つけていたのだろう。シェーレの手を引いて屋台の前に行くと、じっとプラムの方を見ている。

 プラムは甘い果実であり、生食やジャムに加工されて食べられる。生食の方なら安いのだが。

「ほれ、あそこじゃ!芳醇な香りが漂っておるのう!」

 遠目に見た様子では生食では無さそうだ。

「良い香りじゃ。何かこう、ふわぁっとするのう。」

 少女の頬が紅潮し始めるのが見える。心なしか目元も緩んでいる。

 どうやら酔っ払っているようだ。

「お前もしかして酒はダメな体質か?」

「そんなことは…ないのじゃぁ…ふにゃ…」

 妖艶さを纏っていたはずの少女はすっかりと腑抜けた様子になってしまう。

 意外な一面を見られたことで弱みを握ったように感じたが、正気を保てなくなってしまうとそれはそれで困る。人目につく広場で耳と尻尾を出されてしまっては狼ということがバレてしまう。

 シェーレは慌てて少女を抱えて裏路地に入り込んだ。

 宿までは距離があるため、近くにあったベンチで酔い覚ましをする事にした。

「プラムの絞り汁は発酵させて酒にすることも多いからな。」

 一人納得しながら少女の様子を窺う。

「こんなに早く眠るのか。広場から離れて良かったな。」

 この姿をラシドに見られなかった事も幸いだった。

 彼の場合は呪術医視点で少女の姿を見られる事もだが、普通に一人の男性目線としても少女を見られる事にやや抵抗がある。

 少女はピコピコと耳を動かしながら寝続けている。

「ん~、むにゃあ。」

 狼とは言っても、情けない寝言にシェーレは思わず声を出して一笑いしてしまう。

「う~ん…行か…ないで。」

「?」

 何か夢を見ているのだろうか。少女はシェーレの側に寄り添うようにして寝言を言う。

「置いて…行かないで!」

 人通りの少ない路地に小さく響く声。

 そして、少女の目にはうっすらと涙が浮かんでいる。

 シェーレの腕に顔を埋めながら涙を堪えているのだろうか。次第に強く腕を引き寄せていく。

 つい一昨日の事だが、谷底で少女が亡骸を撫でていたことを思い出した。

 あの時は人食い狼ではないかと畏怖(いふ)の感情を抱いていたが、少女は何か未練を残しており亡骸を撫でていたのだろうか、と考えると少女は畏怖の対象でないと自分の中で納得出来る。

「シュペルツ…ハイド…あなたは…くぅ…」

「…シュペルツハイド。か。」

 ドルマとの取引の際に出した名前が聞こえて、シェーレもその名前を反復する。

 この少女と共に過ごす中でいつもとは違う日常を味わっている。しかし、彼女の事も狼ということしか確証を得ていない。そして、この先にどんな事が起きるかも想像すら出来ない。

「起きたら宿に戻ろうな。」

 隣で寝ている少女にそっと呟く。聞こえていたかは分からないが、少女の表情に涙はもう無く、気持ちよさそうに寝ているのであった。


「寝言なんか言っていないのじゃ!!」

 部屋に響く大声にシェーレは耳をふさぐ。

 何故自分は正座をさせられているのだろう。

 少女が起きた後、そのまま宿に戻ってきたのは良いのだが、うっかり寝言の事をからかってしまったのが引き金となってしまったみたいだが。

其方(そなた)は酔っ払った(いた)(いけ)な女性が起きた後にも関わらず、デリカシーと言うものを感じぬのか!けしからんのう!」

 デリカシーを語っているがフィリニスで衣服纏わず走り回っていたのはどこのどいつだ、とは言うことも出来ず、頭を垂れて反省している様子を見せる。

 少女は尻尾をぶんぶんと振り回して布団の中に潜り込んでしまう。

「で、どこまで聞いたのじゃ?」

 一通り怒って気が済んだのか、少女の方から寝言の話題を振ってきた。

「置いていかないで。と、シュペルツハイド。の二つを聞いた。」

「…」

 少女は目元から上だけを布団から出してシェーレを見つめる。

「シュペルツハイドは、あの亡骸の人間じゃ。此方(こなた)を孤独にした(うつ)け者の名じゃ。」

 シェーレは言葉を返せず、黙って椅子に座る。

「何故その名を此方(こなた)が使ったのかが不思議なのじゃろう。」

 少女は少し間を開けて続ける。

「どんなに(うつ)け者であろうと、少年とある約束をしたのじゃ。その約束を此方(こなた)は果たせたのかは分からぬ。そして、少年に未練があるのも事実。だからその名を使った。」

 くっくっくっと自虐的な笑いは部屋の温度を底なしに下げるように感じる。

「アセナは人間が付けた名じゃ。この名は気に入っているからのう。人間に名乗るときは一緒に使っておる。」

 再び少女は布団にくるまりながら続けた。これで満足かと言わんばかりに大きく尻尾を振っているのが見える。

 これが少女の本音なのだろうか。

 自虐的な物言いは、ひたすら本心を隠そうと気丈に振る舞う人間そのもののように感じる。

 だが、それをいくら考えても、考えるだけ野暮という他ない。

 それに明日にはここを出発する予定である。目的地までは、徒歩で最低でも十日はかかる距離であり、道中は野生動物や盗賊といった危険な輩に出くわす可能性も高い。出来るだけ出発前は身体を休めておきたいのだ。

「ああ、満足だ。」

 シェーレは一言だけ返してやった。

「こんなか弱い少女に詰問(きつもん)をするとは、褒美でも貰わぬと割に合わないのじゃ。」

「詰問はしていない。お前が勝手に話してくれたのだろう。」

 少女はベッドから身体を起こし、シェーレにふくれっ面を向ける。

 シェーレは出来るだけ少女の顔を見ないようにして、冷静を装い話し続ける。

「そろそろ寝ておけ。明日から長距離移動をしないといけないんだ。」

其方(そなた)はやはり冷たいのう。」

 耳を倒しながら、仕方なさそうに少女は笑みを浮かべていた。

「明日は村から出る前にプラムを食べさせてくりゃんせ。」

 元通りくふっと笑いながら少女は寝床に着いた。

「ああ、一緒に食べような。」

 どっと疲労が襲ってくる中、翌日のわずかな楽しみを見つけたことで、今日一日を頑張ったかいがあったと思えてきた。

 また一つ、一人旅では味わえない魅力を味わうことが出来たのかもしれない。

【補足情報】

〇カブラ

効能:一般的には毒草と言われている。


〇チルファ

効能:一般的には毒草と言われている。


☆調合

それぞれ薬草は調合といった技法で別の薬草(効果)に変わる事がある。

毒が治療薬になることもあれば、治療薬が毒になることもある。


*実在の薬草・医薬品との関係はありません。

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