絶望という病2
私は、長い夜を過ごした後に神殿に戻り、皆休養をとるよう伝えた。
かく言う私も、正直限界だ…確かに命が助かった素晴らしい技術だが、腹を切り裂き吹き出す血、中をえぐる彼女の姿は、尊敬よりも驚愕と恐怖だった。
だが、子供を優しく抱く彼女の姿もまた忘れられなかった。
子供を見る柔らかく、優しい表情が瞼から離れない。
そのままベッドに倒れ、泥のように眠る。
久しく夢など見なかったが、起きた時も夢の内容は頭に残っていた。
暗闇の中で、彼女が独りで泣いている…あの時のダルクを亡くした時の様に、中庭で声を殺して…
声をかけたくても声が出なかった。
私に気付かず、彼女はフラフラと歩き出す。
待ってくれと追いかけるが、追いつけない…
そんな夢だった、何だろうか嫌な感じだ…この首がチリチリとする感覚はいつも悪い事の前兆だ。
その後も、いつもの様に、執務をこなし日が暮れるのを見ていた。
いつも、問題を持ってくる彼女には慣れたが、先に報告して欲しかったと心から思う。
そんな時だ、アイザックが血相を変えて部屋に入って来る。
「どうした?!お前らしくもない。」
普段のアイザックならば、こんなにも動じたりはしない。
「アイリス様が…居なくなられました…」
何故??
昨日まで、あんなに一生懸命に医師として働いていた者が、突然いないなるはずが無い。
「何があった…何もなければ居なくなるはずなどないだろう!!
あそこには、マリアンナ様が居られるのだぞ!」
患者を放り出して、出ていく人間ではない、何があった?
「大総統閣下が…マリアンナ様の所に向かわれました。
私は、カーディー中尉より報告としてしか受けておらず、その場には居りませんでした。
カーディー中尉の話では、アイリス様がいらっしゃる前で、マリアンナ様の子を大総統閣下、自らの手で処分されたと…」
それは、真実なのか?そんな事があるのか?
自分の孫にあたる子供を処分しただと?
それも、アイリスの前で?!
「私はその話を聞き、其方に向かいました…これは、独断なので軍は知りません。
そして、亡くなった子を抱いたままのマリアンナ様だけが其方にいらっしゃいました。
娼婦の話では、何かぶつぶつと呟きながら外に出て行ったと言う事で…」
すぐに近くを探しましたが、見つからないと言う。
すぐに、アイリスの顔を知っている神官達に声をかけ、ローガン街周辺から捜索する様に命令する。
日が暮れて、外気は突然冷たくなる。
彼女ならば何処に行くだろうか…必死に彼女の思考を探る。
「どこか遠く静かな場所がいいですね…」
彼女の言葉が脳内で浮かぶ。
ローガン街からも、街からも離れた場所に向かって馬を走らせる。
灯が遠くなり辺りは暗くなっていく…
きっと、彼女ならばこうする筈だ…苦しかっただろう、昨日の光景が目に浮かぶ。
息をしていなかった子供を必死で助けようと、頑張れと言っていた。
子供を嬉しそうに抱かせる彼女の姿が何度も頭の中で再生される。
あまりにも残酷だ…あの光景を大総統は見ていない…そして、立場上処分した。
軍人とは何なのか、もう、彼女を痛めつけないでくれ…
どうか、どうか神よ…彼女を救いたい…
神に祈りを捧げていると、暗闇の中に人が立っていた。
幻だろうか、そこには小さな身体のアネモネがいた。
アネモネは、ゆっくりと指を指した。
アネモネは指を指した後、
「ごめんね」
そう言うと、私に背を向け闇に消えて行った。
アネモネが教えてくれているのだろうか…指の先に馬を走らせた。
その先で見た光景は、悲しく、美しくも感じさせる…そんな光景だった。
真っ白な雪の中に埋もれ、月明かりが照らす、胸の上で手を組み眠る彼女だった。
恐る恐る近づく、その姿は死んでいった者達を彷彿させられ、結果が分かるのが恐ろしかった。
ゆっくりと横に膝をつき、顔に触れる、まだ温かい。
脈も触れている…生きている。
起きてくれ、お願いだから起きてくれ…身体を起こし、彼女の身体を揺さぶる。
薄く瞼が開かれるが、そこに目には光を感じさせない。
「もう…疲れました…眠っていいですか…」
ポツリと彼女の溢す言葉が、苦しい…こんなにも世界に絶望している人に生きてくれと、言わなければならない…眠って良いと、言えない自分を呪う。
「お願いだ、1人にしないでくれ…君が居ないと嫌なのだ…側に居てくれ…」
そのまま抱き抱え、アイザックと合流した。
「アイリス様!!ご、ご無事ですか…」
アイザックは、白い彼女の顔から生きていると思えない様だった。
「まだ、息をしているが、だいぶ冷えている。このままスヴェンの屋敷に行く。
済まないが、神官達を頼んで良いか?」
アイザックは、分かりましたと、走って行った。
「アイリス…どうするか…このまま私達も逃げてしまいたいな…。」
アイリスの頬に触れて話しかける、虚な目は何も写していない。
「しかし、スヴェンに迷惑をかけてしまうか…あいつは、私にとって無二の親友だからな。
とにかく、その冷えた身体を温めよう。
後のことは私が考えるよ。」
アイリスは何も応えない、表情も身体も何処からも反応が見えなかった。
スヴェンの屋敷に戻り、雪に濡れた服を脱がせ、シーツを巻き湯に浸けた。
その間、何も抵抗することもなく、光を失った虚な目だった。
ベッドに横にして、彼女を見守る。
彼女が時々口を開き小さく呟く
「もう…疲れました…」
生きる意志を無くした、いつか言った死者の生き方…未来など見えていないのだろう。
大総統に対し、不敬だと言われても我慢できない怒りが込み上げて来る。
もう、私は軍人に戻れそうにないな。
君に出会う前は、世界に疑問を抱くこともなかった。
しかし、出会わなければ良かったと思えない…きっと、過去に戻れたとしても同じ結果を選ぶだろう。
手を握り、見守ることしか出来ないが、生きていると分かるだけで、嬉しいんだ…生きてさえいれば未来を想像できるから。