現実逃避
手は後ろ手に縛られている。
声を上げようにも口には猿轡がしっかり咬まされている。
目隠しをされていないのは私がなめられているからだろう。
きっと何回か下見をして私がゴミ捨てに行きたがり、裏口から一人で出るのを計算に入れ私がゴミ捨てに行こうとしたのを見て誘拐されたのだろう。
完全に『唯一の弱者』として認識されている。
『唯一の元男』なのだが一番弱者なのは間違いがない。
イシュチェルさんは「強さだけがその人の価値ではないわ。
それに私に鍛えられてある程度強くなれなかった人はいないわ。
ここには4人、私を含めて5人の人間がいるのは知っているでしょう?
一人は私、もう一人はヨランダ、もう一人はカーリー、もう一人はサラス・・・もう一人、モリガンっていう人間の女の子がいるでしょう?
彼女もサラスと同じ、異世界転移人じゃないの。
その上、なかなかスキルが発現しなかったの。
私が『誰でもスキルは発現する可能性はあるけどスキル発現が早い者と遅い者はいる。死ぬまでに発現しない者も多くいる』という考え方をするようになったのは、モリガンのスキル発動を見てなのよ。
モリガンは中々スキルが発動しなくても、必死で私の鍛錬に泣き言一つ言わずについて来たわ。
カーリーが強くなりたいなら、私の鍛錬について来なさい。
別に強くならなくてもカーリーはカーリーの良さを見つければ良い。
日本にいても異世界にいても、自分の道は自分で切り開くのは同じよ」とイシュチェルさんは言っていた。
イシュチェルさんは「焦らないで、焦ってもろくな事がないわ。
焦らず一つずつ積み上げていけば良いんだから」と言いたかったのだろう。
だからこそ、まだ出来る事がありそうなウェイトレスの仕事から覚えさせようとしたのだ。
なのに私は「自分だけが役立たずだ」と焦り「するな」と言われていた事をした挙げ句、人質として捕らえられている。
わかっている。
本当は焦りだけではない。
「月とうさぎ亭」で元男は私だけなのだ。
なのに私は一番弱い。
一番力がない。
そんな自分を惨めに感じていた結果「ゴミ捨てくらい一人で出来る」と意地になって、最悪の結末になったのだ。
こんな私だから、ダンジョンに潜らせたらきっと焦って独断専行をして皆の足を引っ張り、命の危険にさらされる・・・イシュチェルさんはわかっていた。
ダンジョンで『力がない』事は大した問題ではない。
誰しも最初は無力なのだ。
少しずつ周りに迷惑をかけつつ、頼りながらも力をつけていけば良い。
最もダンジョンに潜る資格がないのは『愚かである事』『自分の能力を過信している事』。
それを理解するまで、私はダンジョンには潜れなかった。
それをようやく理解した今、私は拐われて命運尽きかけている。
どうしようもない。
こんなバカに助けなど来ないだろう。
「助けよう」などと思わないだろうし、思ったとしても助ける術が思いつかない。
第一、今まで助けが欲しい場面で助けが来た事などない。
小学校の時、私がプールで足がつって溺れていたら周りの小学生は「コイツはどうせ生贄になって死ぬんだぜ?」と笑っていて助けてくれなかった。
助けてくれた教師は「おい、コイツが生贄になる前に死んだらどうするんだ?」と教師らしからぬ信じられない事を言った。
私の性根は腐りきっている。
子供の頃からゴミ以下として扱われ続けて、人間性が壊れてしまったのかも知れない。
性根が腐っていると自覚しているから、周りに見放されるのを恐れて「自分はこんなに役立つ人間だ」というのを見せたかったのだろう。
そして自分のキャパシティを超えた事をやろうとして失敗している。
「その失敗を次に活かせば良い」という小さな失敗ではなく、命取りになるような大きな失敗だ。
私は覚悟を決めた。
生まれて初めて良くしてくれた、人の温もりを教えてくれた人々に迷惑をかける訳にはいかない。
どうせ生贄になって消えるはずだった命だ。
村のヤツらの代わりに生贄になるのは真っ平ご免だが、イシュチェルさんの、「月とうさぎ亭」の先輩方の犠牲であれば、それも悪くはない。
しかし覚悟をどう示せば良いのだろうか?
いざという時に人質として利用されないように、自分から命を絶てば良いのだろうか?
自ら命を絶とうにも手足は動けないように結ばれていて舌を噛もうとしても、しっかり猿轡が咬まされている。
そんな事を考えながらモゾモゾしていると、見廻りの私を拐った連中の下っ端が私が軟禁されている部屋へ顔を出した。
そいつは無遠慮に私の顔をアゴをつまみ自分の方へと向けた。
「上玉じゃねえか、ただの人質にしておくのは勿体ねー」
下っ端は下卑た笑いを浮かべた。
猿轡で口を隠している私を『上玉』って・・・どれだけ美女と縁遠い暮らしをしてきたんだろう?
よく「マスクで口を隠していると美人だが、マスクを取ったらそうでもない」という女性がいる。
『美女』とは『顔のパーツのバランスが整っている』という事で、顔のパーツが隠されている状態では判断出来ないはずだ。
だからパーツのバランスが狂っている箇所をメイクで補えば『美女に見せる』事が出来るのだ。
だが私に「よっぽど美女と縁遠い生活をしてきたんだね」と下っ端を憐れんでいる余裕はない。
下っ端は「ちよっとは俺が楽しんでも罰は当たらねーよな?」と独自の論理を構築しながら私の服に手をかけた。
「罰当たりまくり!
どういう理屈だよ!?」私は大声で抗議しようとしたが、猿轡を咬まされているので「むー!むー!」と身体をくねらせるしか出来なかった。
その私の姿を見て、下っ端は私が自分を誘惑していると思ったらしい。
この事から私は「男はバカで単純」と思い始めた。
殺されるのはしょうがない。
覚悟も決まった。
ただここで「この下っ端に操を捧げる」というのは別の話だ。
イケメンなら操を捧げても良いのか?
いやいや、そういう話じゃないだろう!
犯す相手がイケメンだろうがブサイクだろうがイヤなものイヤに決まっている。
ましてや男相手に性行為をするつもりは今のところない。
『今のところ』?
時間が経ったら男と致しても構わないと深層心理では思っているのか?
そんな事考えている余裕はないだろう!
パニックになって、恐怖から逃れるためについ、現実逃避して思わず冷静になって考えてしまった。
自分にはもう守る物はないと思っていた。
だが仲間をこんなに大事に思っていたとは・・・。
そして操をこんな必死に守らなくちゃいけないとは・・・。
そんな事はどうでも良い。
大ピンチだ!!!
誰でも良いから助けて!