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詩織さんの微笑みは天使のように冷たい。  作者: 綾峰 はる人
Mの遺言
29/32

私には、探る理由があります。

夢を見たの。

真っ赤に燃える彼岸花。それをベッドのようにして眠る私。それ以外は何もない。

怠惰でいて恍惚で。情熱的なのに冷酷で。とても官能的な空間。私の住処。


なのに私はそこから逃げるように歩き出した。

一つだけ、不満があったの。そう、たった一つだけ。


そこにいると、のどが渇いて仕方がないの。

「そうですか。なかなか、過去作のキャラを愛していた読者にはショッキングな展開ですね。……ですが、それを知ったところで私にはもうどうすることもできません。依頼は解決済み、無関係なのです」

 そう、私はあくまで五十嵐まほの依頼をこなすために送られた立場。そして、目的のイヤリングは回収。もう二度とあの世界には行くことはできませんし、そのあとの物語も勿論です。

「――本当にそうですか?」

 シルビアさんは、これまでになく真剣な眼差しで私を見つめる。

「詩織さんなら、気づいてるんじゃないんですか?」

「……さて、どういう意味でしょうか」

「からかわないでください。あなたの常識が、思考が、様々な現象で狂わされたはずです。違いますか?」

 まるで、物語の中にいるときの私をすべて見ていたかのような発言に、私は一瞬驚く。しかし、蒼井さんと繋がりがあり探偵でもあるとなれば当然のことでしょう。

 すこしだけ、悔しいですが。

「湯賀レイという作者の作品はどれも数年前に完結済みです。ちょうど、詩織さんが記憶を無くしている時期と同じくらいなんですよ」

「……なかなかオカルトではありますが、もしかすると、記憶をなくす前の私は湯賀レイの作品を愛読していた可能性があると?」

 私は、記憶をなくす前の私を知りません。どういう性格だったのか、どこに住んでいたのか、どんな生活をしていたのか、全く分かりません。ただひとつ分かっていることは、『私を探そうとする人間はいない』ということ。

「聡明のアカツキは、戦闘系の小説です。そっちでは政治委員はかなり活躍するみたいですが、ロストブルーでは逆にせいぜい名前が台詞として出てくる程度で、本人たちはほぼ出てくることはありません。まほさんが数回出てくる程度でしょうか」

「?? な、何の話ですかいきなり」

「それを調査中に知ったとき、私は驚きこそしましたが、記憶が疼く……所謂、懐かしさのようなものは一切感じませんでした。とてもじゃありませんが、聡明のアカツキの時から愛読していたとは思えません」

 私はロストブルーの世界にいる間、時折妙な懐かしさに囚われるときがあった。それは残像であったり、居心地の良さであったり、はたまたその場所の風景であったり。

「なるほど、でもね詩織さん。私は絶対に何か繋がっていると思います」

「……ふむ、なぜですか?」

 今まで店の庭で見てきた愛くるしい雰囲気のシルビアさんは、今ここにありません。マスクを取ってからというもの、その瞳は真剣そのものです。

「湯賀レイは、ロストブルーとその後日談である【Mの遺言】の二作品以外の主人公の名前を“必ず同じ”にしているんです」


 ――その名前は、篠崎詩織。


「………………………………………………」

 全身の鳥肌が立ったのが分かる。

 私は、意識が戻ったときにはあの店に保護されていた。そして、何もかも思い出せなかった。勿論、自分の名前さえも。ただ、ひとつだけ思い出せる名前があった。それが自分のものなのかは分からない。でも、真っ白な思考の中にはっきりとしてあったもの。それが篠崎詩織という名前だった。密島紗江に苗字を聞かれたときに、とっさに出たものがこれだったのも、それが理由だ。

「なにも思い出せなかったあなたが何故この名前を口にしたのか、これがたまたまなんてないと思いますよ。私」

 私の記憶が、取り戻せるかもしれない。本当の私に、人生を返してあげられるかもしれない。湯賀レイの作品を読めば、何かわかるかもしれない。

「あの、湯賀レイの作品。貸していただけないでしょうか?」

「あー、えと。私はあくまで探偵の助手ですから、湯賀レイの作品を持っているわけではありませんから、それはちょっと難しいですね」

「あ、……そうでした。すみません。ちょっと、私としたことが取り乱してしまいました」

 記憶を取り戻せる。これは、私の唯一の願望であり欲望である。それを信憑性のある餌にされると、つい思考が浅はかになってしまう。いままでも、蒼井さんとの会話でやってしまっている。シルビアさんは何も悪くないのだが、期待させてしまったことに、申し訳なさそうにしている。

 私は、ほとんどのことを断捨離出来るが、自分のせいで誰かの心を追い詰めるのは好きではない。

「でも、それこそそちらのオーナー様に聞いてみたほうが良いのではないでしょうか。世界最大の図書館を経営しているらしいですし」

「――それは……」

 ここで、私のケータイ端末が着信を知らせる。相手は、蒼井さんだ。

「電話です。少し待っていてください」

 私は少しだけ席を離れ、電話に出る。


「もしもし、何の用ですか」

[――おいおい、その言い草はねーだろ。店長だぞ]

「今日は私非番なので」

[お前が休みの日であっても、店長は店長だから。それ理由になんねーから]

「おや、それは申し訳ありません。でも、私今シルビアさんとのデートで忙しいので手短にしてもらっていいですか?」

[いや……、うん、あーっと。お前にお客様だ。シルビアとデートと仕事、どっちが詩織はしたいか気になってな。とりあえず、今は店に留まってもらってるんだが、どうする?]

「仕事させてください」

[即答かよ]

「はい。すぐ帰ります。失礼します」

 まだ蒼井さんが電話越しに何か言っているのを無視して、電話を切る。

 ちょうど、たった今、私は何かの物語の中に入りたいと思っていたタイミグです。今回の依頼人の物語りが湯賀レイの作品かは分かりませんが、そうである可能性もある。それを明日に引き延ばすなど、悠長にはしていられません。

「シルビアさん。申し訳ありませんが、仕事が入ってしまいました。これから店に戻らなくてはなりません。今日は、この辺で失礼してよろしいでしょうか」

「うんうん、私のことは気にしなくて大丈夫ですから、行ってきてください!」

 さわやかな笑顔でそう答えるシルビアさんに感謝しつつ、私は急いで店に戻り、制服に着替え、潜入道具をあらかじめ用意してお客様の待つ部屋へと向かった。

「――お待たせして申し訳ありません。ようこそいらっしゃいました。何を飲まれますか?」

「ホットミルクを一つ」

 そう答えた彼女の声を、私は知っている。紛れもありません。この声は……。

「密島紗江さん?」

「…………本題に入っていい?」

 どうやら、答える気はないようです。もしかすると、答えられない理由があるのかもしれません。

「――ええ。どうぞ、ご用件をお聞かせください」

「一人の女の子を救出してほしいの」

「なるほど、それは単純明快な依頼内容ですね」

「彼女は、ある実験のせいで収容室に隔離されて取り残されてんだけどさ、あの子を救わないと、アイツが暴走しちゃうから。ラビットもペーパーフェイスもアタシも離れ離れになって最悪の結末になんのよ。どうせなら、あいつら二人には生きててほしいし、アタシも死ななくていいならそれがいいしさ。だから救ってよ。あいつの事」

 表情は見えない。というより、見えないように俯いて話している。しかし、彼女は明らかに紗江さんだ。彼女はあの話以降に死亡しているらしい。どのタイミングかは分からないが、教師からの大量虐殺の被害者で生き残った最後の一人ではない。


 ――……………………おや?


 ということは、つまり、もしかしなくとも今回の物語りはMの遺言で決まりではないでしょうか。ロストブルーではイレギュラーな出来事が沢山ありましたが、事件を解決したタイトルの本はもう二度とここへ来ることはできません。これは、物語りを改変し過ぎる可能性を危惧しての、蒼井さんが施したウイルスです。なので、これは間違いなく、Mの遺言だ。

「……いいでしょう。快くお受けします」

 

小さなヒビはいずれ大きな亀裂となり、中にあった水は零れゆく。

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