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ブブブ―――と、スマホのバイブレーションが何かのメッセージの受信を告げたのに気付き、商談後の歓談中だった先方に失礼。と声を掛けて席を外した。
画面に映る深雪の名前を見てまさか連絡が来るとは思わなかったので向こうから歩み寄ってくれたのか!と嬉しさを抑え開いたページの内容を見て気分は一転、ジェットコースターの様な急降下に頭を抱えた。
「母さんは一体何をしているんだ…全く、おい大山!」
すぐ後ろに気配を感じる慣れ親しんだ秘書を呼べば何かを察したように手帳片手に近付いてきた。
「お呼びですか社長」
「この後の予定は全部キャンセルだ、至急車を前に回せ」
「は……?一体どちらへ!?」
この十数年会社に入ってから一度も言ったことのない内容にどこの株でも暴落したのかと慌てた顔で大山が聞き返す。
「学園へだ。詳しい事は車で話す」
「学園て、えっまた深雪さんですか!?」
どうにもならない仕事だけを電話対応やノートPCで対応しながら車を走らせさせ腕の時計が八時を回った辺りを示した頃、懐かしい学舎の中へと車が滑り込んでいった。
入校手続きを終えると寮棟の受付で娘の穂波深雪を。という呼び出しをして初めて感じる緊張を覚えながらラウンジのソファに腰掛け、何とも言えない手持ち無沙汰を感じながら長い様で短い時間を待った。
人気の少ない寮のエレベーターがポーン、と優しい音で到着を告げるとそこから数ヶ月前に見たまま…いや、あの時よりも幾分雰囲気が柔らかくなった深雪が制服姿で現れ駆け寄ってきた。
娘が駆け寄ってくるというのは、中々に嬉しいものだな。
「えっと、その…こんばんは」
「……あぁ、突然すまない」
ぎこちない挨拶をお互い交わして一体何事かと困惑している深雪に手紙の事で来た。と告げると、ここじゃなんですから部屋へいらっしゃいますか?と躊躇いがちに聞かれ懐かしい寮室へとお邪魔させて貰うことにした。
初めの感想は殺風景、だった。
さぞかし可愛らしい女の子らしい部屋だろうと思ったが部屋には必要最低限の収納と生活必需品、穂波から引き取ったと聞いた飼い猫のものであろう使い込まれたペット用品しか無い。
その上家具は見覚えのある物ばかりでどうやら本家の離れに仕舞い込まれていた不用品を持ち込んだのだと気付く。
一体どうしてこんな事になっているんだ……
「緑茶しかないんですが、良かったら…」
そう言いながら湯気の立つカップを差し出され思考の海から浮上する。
温かいお茶は上手に淹れられていて大山にも劣らない美味さだ。
「荷物と手紙を見せてもらっても?」
「あ!持ってきます」
パタパタと寝室に取りに行く彼女の脇を黒い猫がするりとすり抜けて此方へとやってきた。
彼女は気付かなかったようでそのまま奥へと姿を消してしまい猫だけが残される。猫は怯えもなく私の足周りをくんくんと嗅ぎ回ったあと目を細めて膝の上へと器用に飛び乗ってきた。
猫を触るのは初めてだ…
温かい体温と綺麗な毛並みに惹かれて恐る恐る触ろうと手を伸ばし掛けたその時、ちょうど深雪が箱を抱えて戻ってきて膝の上に気付きあっ!と声を上げると猫はひらりと身を翻し寝室へと戻っていった。
「すみませんうちの子が」
「いやいい、人懐こい猫だな」
「むしろカヌレは結構人見知り……あ、荷物と手紙こちらです」
「…あぁ、すまないな」
思った以上に大きな荷物と内容に軽くこめかみが痛む。
一人息子としてある程度溺愛された覚えがある身ではあるがこれは一体、驚く程の気合いの入り様だ。
内心可愛がりたいらしいとは聞いていたがこれ程とは。