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結局子一睡も出来ずに下へ降りていった私を、昨日と同じ久世の車が他の生徒達の送迎車に混じって待っていた。

恭しく開けられたドアから中へ入るとつまらなそうに新聞を読む先輩の姿が目に入った。


「おはよう、ごさいます…」

「…うん。おはよう」


ちらりともこちらを見ようとしない彼の姿勢に、私自身も必要以上の接触は望んでいないと窓の外に向き直り目を閉じた。

静かな車内では新聞を捲るくしゃり、という掠れた音と運転手の操作音だけが響いている。



跡取りだから、ね―――


昨日のことが思い出され頭の中がぐるぐるする。どうしてだろうか、胸の奥がキリキリと握り潰されているような、押し潰されているような息苦しさを覚える。

私の何処にそんな価値があるのか、ただのおまけでちっぽけな私に…



『るるる、』


その静寂を破るように聞き慣れない着信音が響き渡った。

慌てた様子もなく先輩がスマホを取り出すのを見てなんだ、先輩か。とまた目を瞑り横を向く。

先輩は、はい、はい。と何度か返事をした後分かりました。と返して通話を切る。すぐ新聞に戻るのだろうかと耳を澄ましていれば運転手へどこだかの病院名を告げる。


「えっ…!学校は…」

「済まないそれどころじゃない、悪いけど行き先変更だよ」


溜息のような息を吐きながら頭を抱える先輩。


「じゃあ、あの、私下ろして貰えませんか…?」

「いや、駄目だ。君も行くんだよ。花絵様が、産気付かれた」











分からない、この感情はなんだろう。


分娩室の前、待合の為に置かれた椅子にはお爺様もお祖母様も、そしてお父さんも居る。

外れの方では久世先輩や数名の見たことの無い人々が何やら話をしているし、お父さんの隣には仕事の出来そうな分厚い眼鏡の男性が素早い速度でノートパソコンを打ち込みながら何かを幾度か確認している。

久世先輩の方から漏れ聞こえる会話ではもう少しで穂波の家族も来るということが分かった。



私は、ここで何をしているんだろうか――




母に子供が、私の弟か妹が産まれる。

私とはちがう、五辻のみんなとちゃんと血が繋がった子供が。

男の子だろうか…

いや、女の子だろうか…

グルグルと朝から続く目眩に加え、息を吸っているのに吸えていないような、そんな息苦しさが襲ってくる。


「まだ、かしらね…」

「あぁ…少し長い、な」


お祖母様とお爺様が呟くように零した時、中からおぎゃあ、と力強い泣き声が上がった。

瞬間みんなの思い詰めた顔がぱっと明るくなる。

しばらくして扉が開かれ、看護師さんに促されみんなが部屋へと入る。その隙間から、ふわりと捲れたカーテンから母の、幸せそうな笑顔が目に入った。


あぁ―――




満面の笑みと家族からの労い、誰だかが口にした男の子だそうよ。との声。

開かれたままの扉は酷く大きな門として聳え立ち、私は…、私には一歩が踏み出せないまま、視線を逸らすことも出来ず立ち尽くす。

その時母の視線がこちらを向いた。


その瞬間私は走り出していた。

何処へとは、ここが何処かとは何も考えず。

行く宛もなくただただ広い院内を走って、すれ違う患者さんの目も看護師さんの声も振り切って何処かへと走っていた。



きっともう用済みだ、母はあれで負け犬じゃなくなった。

五辻という凄く大きな家の男の子を産んで、あんなに家族に祝福されて、もう私はいらない。

私が物心ついてから私の前であんな風に笑う母は見たことが無い。


どうして、私が男の子じゃなかったんだろう―――

どうして…私が、あの子じゃ、なかったんだろうか―――



足は自然と病院の入口に向かっていたようだった。

自動ドアをくぐった先には広い駐車場と深い緑の木々、小高くなった場所に建てられているようで空気はほんのりと澄んでいる。

けれど今はその澄んだ空気がツン、と鼻を、胸を刺す不快なものになっていた。

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