«2»
4月28日(金)との書き出しで書き始めた文章は、対象者穂波深雪はとまで書いたところで手が止まってしまった。
穂波深雪…旧家・五辻家の跡取りである五辻秀政様へと年の初めに嫁がれた花絵様の連れ子だ。
彼女の父親は死んだと穂波の者達は言っていたが、久世の調べたところによると何処の馬の骨とも知らぬ男と行きずりに出来てしまい、産まれる前に母親ごと捨てられた。との調べがついている。
僕の実家である久世家は、表向き久世警備会社として五辻と業務提携という形をとっているが実際は仇なすモノは片っ端から消していくという盲信的分家でもあり、彼女のことも”ウチ”としては消したいのだろうが如何せん決定打に掛けている。という所だろう。
正直こう言ってはなんだが穂波の家は不動産業としてはそこそこ。
だが結局はそこそこ、しかもお相手であった花絵様は未婚の子連れ、となるとまさか結婚までいくなんて誰もが思っていなかった。
しかし花絵様のお腹には子供が居る、と。
五辻家に降って沸いた大惨事に久世も五辻も上へ下への大騒ぎだった。
お付き合いされているのは確認済みであったので万一に備え久世の監視は万全、相手は確実に秀政様であるのは疑いようのない事実であったし幾らそこそことはいえ穂波は金を握らせて黙らせるには大き過ぎた―――
そうやって慌てて形だけの婚儀を済ませ、最後に残ったのが深雪ちゃんの問題だった。
腹に子供もいなければ遠縁へと養子に出し折を見て結婚という手も取れたものを今からでは外聞が悪い、とは父の談だ。
しかしそれも最もな話で邪魔なコブだけ捨ててきた。では信用第一の上流層の人間にとって余りに醜聞が過ぎるのも事実であった。
結局考えあぐねているうちに秀政様のうちで引き取る。の鶴の一声で深雪ちゃんは五辻の家へとやってくることになったのである。
「それにしたってなぁ、本人に問題なんかないし聞き分けも良い、むしろ弁えすぎてるし…父さん達の気持ちも分かるけどどうにも言い様がないよこれは」
先程まで訪れていた彼女の部屋を思い出す。
専属の使用人の出入りもなく、冷蔵庫には使い古した2ℓペットボトルに入った水道水のみ。必要最低限五辻の使用人達が揃えたであろう身の回りの品だけが並ぶ自室で唯一の贅沢品と言えるのは穂波の家から連れてきたというペットの猫1匹。
あれは本当に五辻に引き取られた娘なのか?
体調不良で今回休暇を取ったと聞いて慌てて訪ねたが、放っておけば治ると言わんばかりの態度。
丁度母から仕送りの惣菜が届いたところで本当に良かった。
食堂の利用が少ないと彼女と同学年に在籍する弟から報告を受けてからは今日のように僕の仕送りを半ば強引にお裾分けするようにした、あれでは気をつけないと彼女は倒れてしまうかもしれない。
『芳樹、しっかり自分の目で見極めて来なさい。久世の跡取りとして五辻に使えるものとして』
頭の中で帰省中に彼女の入学の件と共に父に言われた言葉が木霊する。
18になり久世の跡取りとして表も裏も仕事に携わり始めた僕にとって彼女の監視、この件は初めての難解な仕事になるのは確かだった。