0 strike 0 ball
──暑い夏、うだる夏。
蝉が空を覆いつくし、新緑の若葉たちが帆を真緑に染める。
海に呼ばれる人がいる。甘い一時に身を投じる人がいる。そして受験生にとっては天王山。
夏。
じりじりと焦げるような陽射し。扇風機が毎夜登板する家。
毎年それは繰り返されてきた、一種の儀式だ。
──そんな。季節の片隅で。
額に浮かぶ汗、弾け飛ぶ歓声。
だんだんとボルテージの上がる球場と、繰り広げられる駆け引き。
そして土煙の舞い起こり、声援が飛ぶ。
そのスポーツの正体こそ、野球。
簡単なルール、打つ、走る、投げる。
その単純明快なプレイが、時に人を揺れ動かして、行動を起こさせたり、手汗を握らせる。
ただ、その僅か一球に人生をかけるために。陽の当たる場所を目指している。
どんな人間でも、子どもに戻れるタイムマシーン。野球。
世界の認知度でこそ、マイナーなスポーツでこそあれ、サッカーを追い越すほど盛んな国だってたくさんある。
野球は、青春を謳歌している人たちだけのスポーツじゃない。年齢差を物ともしない、全国の野球児たちがそこには立っている。
デスクワーク疲れの痩せ球児。ビール腹のドデカイ球児。みんなそれは一つに繋がっているから。
野球というスポーツを介したボールパークで。観客もコーチも監督も、そして主役の選手たち。
その季節にはいつも汗と努力。そして感動がある。
額に浮かぶ汗、弾け飛ぶ歓声。
だんだんとボルテージの上がる球場と、繰り広げられる駆け引き。
そしてその中心でいつも輝いているもの。
──────白球──。
綺麗な。彼らの運命を乗せるボール。
糸目が縫われていて、一見小汚いイメージがある。
しかし、それこそが未来で。みんなが掴もうと汗水をつぎ込んでいく。
それに魅せられた者たちが。追いかけて、飛び跳ねて、そして歓喜、悲鳴を上げる。
──皆好きなんだ。どうしようもなく野球が。
だから集まる。だから懲りもせず、しょうもなく野球をする。
エースと呼ばれる人間が居る。主砲と呼ばれる人間が居る。
それがなんだ。ただの称号でしかないだろ。彼らだけじゃないんだ。野球にかける人たちは。
打順もポジションも。全ての力が結束してドデカイ車が動く。相手にドデカイ戦車を見せ付ける。
それは確かに剛速球や、アーチと呼ばれる。固有の美しさもあるかもしれない。
でも、それを際立たせているのは誰なの?
──ああ。そんなものは簡単すぎて答える気にもなれない。
──野球バカたちがあつまる場所。
生息地は球場。活動時間は陽の昇るその時間。
もちろん。日曜日にもなれば、どんなにボロくさい市営球場にだってバカたちは押し寄せてくる。
僕は、入り口に立っていた。
真っ白の帽子、純白のユニフォーム。黒のベルトに首からかける小さなネックレス。
片手に持つのは茶色の木製バット。もう片方にはコルク色のグラブ。
小さな身体と細い腕。華奢な身体は野球向きとはいえず、それどころか慢性的な病弱な身体は、大半の人は気の毒に感じるんだろう。
──それでも立派な野球人だ。僕は野球人なんだから。道にはずっと野球が敷き詰められてるから。
理由なんてそれで充分。だから打つ、投げる、走る。時にはスライディングだってする。クロスプレーだって恐れず突っ込んでいく。
野球──いつでもどこでも野球。
道は遠い。ずっとずっとその先の向こうにある。
四つのベースで作るダイヤモンド。てらてらと輝いているグランド。敷き詰められた黒土。芝生に覆われた外野。
────故郷なのだろう。土のにおいと白のプレート。
ホームベースには程よく土が舞い、こびりつく黒土。
「か、監督!? ヤツです! あの噂の……ヤツが!」
「なに!? ま、まさか各地の野球場に出没するという……」
阿鼻叫喚の声で言い寄る男。眉毛の太い、中年の男性だ。もう一方の男はお世辞にも、痩せているとは言えない、中年腹の男。なにやら男二人が筒抜けの密談をしている。
一人はサングラスをつけて、中年腹をしたオジさん。もう一人は頭のアレが物寂しい中年のオジさんだった。
「───キ、キング!! 今から代打で出てくれませんか!?」
本当に切羽詰っている声だった。
お願い…と言うよりも、最早懇願していると表現した方がいいかも知れなかった。
「今、最終回のツーアウト満塁なんです! 一点でもいいですから、代打してもらえないですか?」
「僕はいつからキングになったの?」
もうだいぶ前、いつのまにかいろんなチームに顔を覚えられて、なぜか僕はキングと呼ばれている。
「あなたがキングじゃなかったら、誰がキングですかっ。とにかく打席に行ってくださいよ」
「難しい。3―6だったら負け……」
それに七回ツーアウト満塁。僕が凡退なんかしたら、それこそ重たいムードの纏わされて冷たい目で見られるに違いない。…………代打なんかダメ。
「キングがそんな弱気でどうするんですか!? そう言わないで代打してください」
「最後の打者くらい自分のチームで出してくださいよ……」
「いや、私たちはキングの雄姿が見たいんですよ……」
「無理ですよ、普通に考えてください。これで負けてしまったら、僕がさびしくなります」
「キングが凡退するワケないじゃないですか! ではでは、頼みますよ!」
バシッと背中を押される。チラリとベンチを盗み見してみると、監督らしき人が勝手に僕の代打を告げていた。……状況はかなりまずかった。
「ち…、巷のホームランキング……」
「音楽寺の機関銃……」
「満塁じゃなきゃ敬遠するんだが……」
口々に相手チームは僕を警戒して、マウンドでなにやら秘密会議している。
「………はあ。いいよ、もうなんでも」
誤解を解く必要時間を考えると憂鬱なので、もう僕の誤ったイメージを正すようなことはしない。
それなら、さっさと敬遠してくれるかもしれない。
僕は持参の茶色アオダモバット『金剛地君2号』を二、三回ぶんぶん素振りした。
ブォーンと小さな風を切る音がして、土が舞い散り、ジャリ…と土を踏み締める。
「じゃあ────行ってきます」