Case:1 Girl Meets Guns
——拝啓、お母様。私は今、修学旅行でイギリスへ向かっています。お母様。私は今、大変後悔しています。なぜ私は、個別行動をしてしまったのでしょうか。
「——おい。動くなって言ってるだろうが」
——お母様。私は、誘拐されております。
石畳に、フィルターまで吸い終えた煙草を投げ捨てる。天へと登る白い煙は、ブーツに揉み消されて次第に消えて行った。
「……子豚が2匹、暴れてるらしいぜ」
彼は呟いた。常人が着ければコスプレにしか見えぬモノクルも、彼が着けていればそれなりに際立つ。
「ウチの島を荒らしたらどうなるか、教えてやらんとなぁ。……なぁ、ワトスン」
彼の言葉に、青年は頷いた。屈強な肉体を包む黒いスーツは、ワトスンが表社会の人間では無いと言うことを暗に語っていた。
「アンタの手は借りねぇさ、シャーロック。俺が軽く『治療』してやる」
ワトスンは煙を吐くと、ポケットへ手を突っ込んだ。闇夜の路地を、ヘッドライトが照らし始める。
「——的が来たぜ、ワトスン。ダンスの時間だ」
どれ程の時間が流れただろう。『私』は、まだ車に揺られていた。こめかみに押し付けられた銃口は、いつまで経っても外されない。自業自得。そう言ってしまえばそうだろう。友達のいない『私』は班別自由行動が嫌で、一人で班を抜け出してしまったのだ。——そして、結果は見ての通り。妙な集団に誘拐され、未だにロンドンの薄暗い街を揺られている。
「シャーロックの野郎、仕掛けてきますかね」
『私』に銃を当てている男性が呟く。英語なら、少しくらいは理解出来た。したくは無かったが。
「テメェの島を荒らされても放置しておく様な奴じゃねぇ。……だが、ロンドンは元々、俺たち『モリアーティ商会』のモンだ。借りたモンは返す。常識だろう?」
「ヤクの売り上げの五分の二を流すって協定を破ったのはアッチでしょう? 何も俺たちが悪役にならなくても……」
「俺たちは悪役。だがアイツらも悪役さ。映画じゃねぇんだ。サーカスにヒーローはいらねぇ。……来たぜ」
車が止まる。路地の先に、二人の男が立っていた。
「間違いねぇ。シャーロック・ホームズとジョン・ワトスン。ホームズ探偵事務所の二番頭だ」
「そういや、何で探偵事務所なんですか? アイツら、真逆の存在でしょうに」
「金が入れば何だって良いのさ。彼奴らの肩書きはただの探偵じゃねぇ。顧問探偵。警察が『手に負えなくなった』仕事を消すハイエナさ。地元の警察とのコネも出来る」
ヘッドライトに照らされた二人の内の一人が、一歩前へ出る。『私』に銃を向けていた男の銃口が、その二人へと向いた。
「ワトスンって男は?」
「ジョン・ワトスンはシャーロックの舎弟さ。地獄の医師、ジョン・ワトスン。元衛生兵だったが、ベトナム戦争でイカれちまったらしい。腕は確かだぜ」
「獲物は?」
ワトスンが、スーツから二丁のマシンガンを取り出す。
「見りゃ分かるだろうが。……悪いな、嬢ちゃん。仲良く蜂の巣になっちまいそうだ」
男が呟く。——『私』は、咄嗟にドアを開いた。地面に転がる様に落下し、顔面を石畳に打ち付ける。多少の怪我など、既にどうでもよかった。——銃声。連続的な銃声と共に、車に大量の穴が開けられて行く。
「……何なのよ、これ……!」
イギリスへの修学旅行。それも、大都市のロンドンだ。一人ぼっちでも楽しめる筈だった。——しかし。
「これじゃ……」
ぐいっと、誰かに襟を掴まれる。
「これじゃあまるで、シチリアじゃない……!」
ふわりと、身体が宙に舞った。否。持ち上げられたのだろう。
「あんな豚小屋と一緒にしないで欲しいな、お嬢さん」
さっきの男だ。モノクルを着けた男が、『私』を軽々と持ち上げていた。
爆音。その後に『私』の頬を撫でる爆風が、車が爆発した事を『私』に教えてくれた。『私』を誘拐した二人組は、もう生きてはいないだろう。
「よくやった、ワトスン。上出来だ」
「後の処理は、レストレードがやってくれるさ」
「ああ、グレゴリー・レストレードが。ロンドン市警の面汚し」
「ジョージだ。ジョージ・レストレード。面汚しってのは違いない」
ワトスンと呼ばれた男が、煙草に火を点ける。その煙を直に吸い、『私』は思わず咳き込んでしまった。
「ワトスン。レディの前だぜ?」
「ただのクソガキだろ。……で、殺すのか?」
「目撃者は消すってのが、ウチの社訓さ。……だが、気が変わった」
ドサリと、地面に落とされる。シャーロックは冷めた目で、『私』をじっと見下ろしていた。殺される。直感的にそう理解出来た。シャーロックもワトスンも——この二人は、まともな人間では無い。ギャング。マフィア。ともかく、裏社会に身を置く人間だ。——シャーロックが、『私』の額に銃を押し付けて来る。一日に二度も銃口を突きつけられるなんて、日本を出る時には思いもしなかった。
「選べ。ここで頭の風通しを良くするか、俺の秘書になるか」
「おいシャーロック。秘書なら俺が……」
「ドンパチに人数制限は無い。首は多い方が都合が良いんだよ」
促す様に、更に強く銃口を押し付けられる。——このまま一人ぼっちで生きて行くか、安楽的な死か。答えなど、二つに一つだ。
「殺し——」
殺してくれ。そう言おうとして脳裏に過ぎったのは、病室で眠る母の姿だ。『私』は、動いている母を知らない。母の声も知らない。『私』を産んだ時から、ずっと意識を失ったままなのだ。父は、そんな『私』を男手ひとつで育ててくれた。そんな父の期待を、裏切ってしまって良いのだろうか。母の笑顔を、見なくても良いのだろうか。——気が付けば、『私』は自分の意思と真逆の言葉を放っていた。
「私は、生きたい……」
シャーロックが、煙草に火を点ける。甘い香りだ。
「お前、名前は——いや、良い。お前の名前なんぞに興味は無い。お前は今日から——」
——拝啓、お母様。私は、貴女に貰った名前を捨てました。親不孝だと罵っても構いません。私は今日から、アイリーン・アドラーとなってしまいました。