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birth

 水色のシャツと裾の広いボトム。ゆらゆらと揺らめいてしっとりとした少女の褐色の肌に纏わりついている。四肢を覆う痛々しい包帯に目をつぶれば、エイミーは可憐な少女であった。


「それじゃあ、私はご飯をつくりに行くよ」


 おおかた、鏡の類を片付け終えたリチャードは、居間に戻ろうとするついでに、エイミーの柔らかな髪を撫でる。リチャードの手を、エイミーは許容した。そして、廊下を歩いていくリチャードの背中を俯きながらも目で追っていた。指をくわえながら、彼が消えて行った廊下の先、居間の扉を指をくわえて見つめている。一時は隔離も考えていたが、容体はそこまで重くはないようだ。

 ただ、予想をしなかった問題が彼女にはあったが。時が薬になってくれることを期待しよう。


「じゃあ、エイミー。行こうか」


 エイミーは私の声を聞くと、イザベラを楯にした。当分の間は、私に対する警戒を解くのは難しそうだ。

 結局彼女は、私の後をついてくる形ではなく、イザベラに手を引かれる形で居間にやって来た。カウンターを介してキッチンと繋がる居間。カウンターには、イザベラとナンシーが庭で摘んだノゲシが花瓶に挿されている。


「リチャードおじさんっ、卵はいくつ必要?」


 浮ついたナンシーの声がキッチンから聞こえてくる。

 ナンシーは、リチャードの料理を手伝うのが何よりも好きだ。いつものままごと遊びも好きだけど、料理はやっぱり食べれるから好き。ナンシーが料理が好きな理由は単純だ。最近になって卵が上手く割れるようになったのが自慢らしい。


「五つだな」

「はぁーいっ」


 冷蔵庫の下の段。扉の裏側に紙製の卵トレイ。ナンシーは嬉々として、卵を取り出して、慣れた手つきでひとつひとつ割っていく。


「ほらほら綺麗に割れた」


 はしゃいでいるナンシー。リチャードははにかみながら、玉ねぎ、ホウレン草、アスパラガスを炒めている。


「ジェイクさんっ、今日はキッシュとラタトゥイユだってさ」

「そうか、それは楽しみだな」


 リチャードと一緒に料理をしているときのナンシーは、見ているこっちまで楽しくなってくるぐらいに上機嫌だ。毎日の食事はいつも二人で作っている。

 その待ち時間にいつもの恒例行事がある。

 ピーターが紙飛行機を飛ばしてアンディと遊んでいたのが、私が居間に入って来た途端にふたりして私の脚元にすり寄って来た。

 それが合図になる。私はスタンドに立てかけたギターを膝の上に乗せる。

 ブルースハープのストラップもセットして、拳で叩いてリズムを取る。ブルースハープに唇をあてがって、歌う曲はザ・モンキーズのデイ・ドリーム・ビリーバーだ。


 私が歌うとピーターもそれに合わさる。ピーターは歌が好きだ。それはアンディも同じようで、歌を聞いているときは口元が緩んでいる。だが、エイミーは歌が始まっても、やがてキッチンからおいしそうな匂いが立ち込め始めても、呆然と居間に入ったところで立ち尽くすだけだった。

 まるで魂の入っていない人形のようで、イザベラに手を引かれるというよりも引きずられているかのようだった。椅子に座らせられたエイミーは、爪を噛みながら前髪のベール越しに私を見つめている。いや、見つめているのだろうか、ずっと明後日の方向を見ているようにも感じる。


「ジェイクさんの歌、素敵でしょ?」


 前髪のベールで被われたエイミーの顔を覗き込んで、イザベラは呼びかける。そして、彼女の髪をそっとかきあげたところで、私は彼女と目が合った。澄んだ緑色をした瞳から、透明な滴が頬を伝っていた。


「エイミー?」

「……ここ……どこ……?」


 静かに涙を伝わせるところから、やがて声を出しておんおんと泣き始めた。私も流石に、ギターの演奏を止め、彼女のもとへ。おどおどとした無力な手が宙を舞う。

 彼女は、イザベラに縋り付くようにして泣いていた。


「ジェイク、誰かが泣いているときに出来ることは、多くはない」


 いつの間にやらミルクパンに温かいミルクを用意していたリチャードは、湯気の立つホットミルクをマグカップに注ぎ入れて、カウンターに置く。前にもこんなことがあったか。そうだ、ピーターが怖い夢を見て起きてしまったときも、ホットミルクを飲ませたんだった。

 何も学んでいない自分が不甲斐ない。そう思いながらも、マグカップを彼女の前にそっと差し出した。けれど、手を伸ばそうとはしない。


「エイミー、ジェイクさんが――」

「……私、ここにいて……なぜ……。ここで、いいの……?」

 

 自分が今いる環境を拒絶も許容もできない。彼女はただ、自分がなぜここにいるのか分からないという理由で泣いていたのだ。


「エイミーはここにいていいんだよ」


 ここにいていいのと聞かれてたから、ここにいていいよと答えた。理由はない。ただ、ここにいていい。それが彼女が望んだ答えだと思ったから。彼女はよりいっそう、声を上げて泣いて、ひとしきり泣いた後。涸れた喉にミルクを流し込んだ。浴びるようにこぼしながら。そして少し噴いた。せっかくの着替えが早速汚れてしまった。

 苦笑いをしながら彼女の口元と服をハンカチで拭うイザベラ。そして彼女の華奢な肩を強く抱き寄せる。背中を優しく、ぽん、ぽんと叩いて摩る。泣いて嘔吐いて咳き込んで。だけど、どこか彼女は喜んでいるようにさえ思えた。赤子の産声のようなものだったのだろう。


「焼けたよ」


 キッチンから、ナンシーの声がした。

 キッチンに皆が集まって、それぞれの食器を配膳する。テーブルの上には、ふんわりと焼き上がったキッシュと、彩りの鮮やかなラタトゥイユ。ふかふかのフォカッチャが並んだ。

 エイミーが来てから初めての食卓だ。配膳が終わったところで、少し落ち着いた彼女。しかし、まだ過呼吸気味だ。

 皆が食卓を囲んで、時折まだ涙の止まらないエイミーをちらちらと見ながら、手を合わせる。


「父よ。あなたの慈しみに感謝して、この食事を頂きます。ここにある物を祝福し、私たちの心と身体の糧としてください」


 そして、揃って空中で十字を切った。


「父と子と聖霊の御名によって、アーメン」


 最後にリチャードは、歓迎の言葉を付け加えた。


「ようこそ、エイミー」


 彼女を迎え入れる言葉に、エイミーは涙を絞り出すために閉じていた目蓋をゆっくりと開けた。まだ潤んでいる、けれど透き通った緑色の瞳。リチャードはそれを真っ直ぐに見つめ返して、優しく微笑んだ。すると、彼女は視線をそらして、そっと口元を緩ませた。まだ笑顔というには程遠いけれど、緊張が少しばかりか解けたのだろう。


 思えば――彼女の中でそれが産まれたのは、この瞬間だったのかもしれない。




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