終わりのない戦闘
1
逃げ出したい。
ここに来ると、その思いだけが頭の中をぐるぐる回る。しかし、それは許されないことだということも十分理解していた。だから心を殺して、コックピットに搭乗する。
そこは暗くて狭い部屋のような場所だった。人ひとりがやっと入れるくらいの狭さで、その部屋の中央には、椅子が置いてある。いつも通り(・・・・・)、俺はそこに座らなければならない。これは義務だ。何度も繰り返したその動作を行い、わきに置いてある神経出力コントローラを頭部に取り付けた。
神経出力コントローラは、ヘルメットのような形状をしていて、かぶるとバイザーが目の前に降りる。
「freed activated」
その文字が目の前に表示され、いつも通り儀式が始まった。神経出力コントローラからジェルが分泌され、俺の頭にぴったりと吸い付く。最初は気持ち悪かったはずのその感触も、もう慣れた。だが、そのあとに来るアレは、いつまで経っても慣れない。まるで頭から自分の意識が吸い出されるような、不快な感覚が襲う。
吐き気を耐えるうちに、その感覚が終わった。それは、強化外骨格「フリード」の起動が終了したことを示していた。
起動前とその後で、何も変化はないように感じる。しかし、俺は知っている。実際には、俺は人の肉体の上に、今フリードという外骨格を手に入れた。立ち上がる――そう意識すると、大きな音を立てて自分、つまり外骨格であるフリードをまとった自分が立ち上がるのを感じた。
外骨格(freed)――有人対ゴアワーム兵器。神経接続・装着型強化外骨格の巨大な人形。パイロットの脳波を読み取り、パイロットはまるで自分の体を動かしているかのようにその機体を動かす。
今、俺はフリードそのものだ。
フリードのアタッチメントを通じて、upsilon小隊の回線から通信が流れてくる。
「俊希、今日はゲロゲロした?」
「いいや。いつもより気分がいい。美佳は?」
「ゲロってないよ。全然クラクラしなかった。ガンガン動けそうだよ」
「小隊合計の撃破数、今日はトップを目指そう」
「ノリノリじゃん。OK、その意気で行こう!」
美佳の声は相変わらず明るい。これから戦場に赴く者とは思えないくらいに。
格納庫の床が上昇し、外骨格を纏った俺と美佳は第二隔壁前の出撃ゲート前に浮上する。すでにそこにはいつも通り、もう一体のフリードが待ち構えている。その男は、野太い声で機械的に言った。
「upsilon小隊、出撃予定メンバー全員の起動を確認。第二隔壁と第三隔壁を開放」
同時に、目の前の分厚い強化クリスタル製の隔壁が大きく割れ、三人の通り道を作り出す。
「小隊長! 小隊長はゲロりました?」
「喋るな。現在phi小隊が交戦中だ」
「了解!」
先行する武さんに、俺と美佳は声を合わせて答えながら追いかける。武さんは、俺たちが属すupsilon小隊のリーダーだ。まだ十八歳の俺たちの二倍くらいの年で、いつも眉間に皺を寄せ、笑顔など見せもしない鉄面皮だった。
開いた第一隔壁を抜けると、そこは廃墟だった。
人々の営みの跡が残る、建物の残骸たち。死んだ都市の名残。
倒れたビルや、窓ガラスの割れた住宅。誰もいないその場所は、現在俺たちが生きている世界を端的に表している。ここは、平和な世界ではない。俺たちは、ある存在と戦っている。毎日、毎日、飽きるくらいに。戦わない日はなかった。二十四時間、交代制で延々と戦い続ける。それが俺たちの常識だった。
廃墟に感傷を抱く暇もなく、俺たちは加速する。
「現在phi小隊と交戦中ターゲットの他に、多数の生体反応を確認。Omega小隊からphi小隊まで、合計四小隊が交戦中だ。我々はそのうち、まだ未接触の群体のもとへ向かう」
「数を教えて、美佳」
「だいたい十体!」
バイザーに映るマップに変化が起きる。
美佳から情報が転送され、事前に収集した情報をもとに敵を表す点が追加されていく。美佳は狙撃手だ。戦場の全体を見て最適な位置に陣取るため、本部から情報を受信するアタッチメントを装備している。
俺たちのupsilon小隊は、中くらいの階級で、全員に完全なアタッチメントを取り付けられるほど物資に余裕はない。
「俊希を中心に据えたプランαで行く」
その言葉を反映して、視界の片隅に三機の動きとターゲットの動きを表す模式図が現れる。まず一機が遠距離からの射撃で注意を反らし、その一瞬の隙に残りの二機が敵に急接近する。そこからは、二機の接近戦の力量が問われるシンプルな作戦だ。
「つまり、いつも通りってことですねー。小隊長」
「だからと言って気を緩めていいわけじゃない。美佳、サポートを頼む」
「ちぇっ、二人とも真面目かよー。さっさと終わらせよっ」
美佳がつまんなそうにぼやこうが、一緒にふざける気にはならない。気が滅入るのは確かだが、これは命のやり取りだ。俺たちupsilon小隊は、装甲の薄い練習機しか使わせてもらえない。攻撃をくらうことは、直接死を意味する。
ただ、小隊長機は装備が少し俺たちよりも上質で、よく美佳はそのことに文句を言っている。
「二十秒後に接敵する」
廃墟の先には、鬱蒼とした森林が広がっていた。かなりターゲットの近くにまで来ていた。俺を含め三人とも、フリードの速度を落とした。音を限界まで立てないように、森林の中へ入っていく。
美佳だけが進行方向を変え、姿を消す。敵が存在するはずの場所を回り込んでいるのだ。俺と武さんは静かにその場に待機し、美佳が所定の位置で止まるのを確認――
「撃て」
武さんの声で、作戦が始まった。
一条の光線が、木々の間を貫く。美佳が、遠距離狙撃レーザーを放ったのだ。それは一瞬でターゲットに命中したことが、バイザーに表示される。
その瞬間に遅れず、俺と武さんは脚部モーターをフル稼働させ、驀進している。
俺は背面に固定されていたレーザーブレードを抜く。そして――
ついに、森の開けた場所で、ターゲットの前に躍り出る。
それは、光り輝く生物だった。一瞬だけ、視界に入った一瞬だけ、それは美しく見えるだろう。だが、その全貌を見たとき、誰もが己の錯覚を悔やむことになる。
俺は、巨大なイモムシだ、と最初見たときからずっと思っている。実際は、イモムシのほうがまだ可愛いかもしれない。
ワーム――不気味な緑色に輝くゴアクリスタル結晶に全身を覆われた、ずんぐりと長い生物。先端に口らしきものがあり、胴体の脇からは、触手のような何かが飛び出していて、それぞれが独立して蠢いている。
俺は、構えたレーザーブレードを点火した。輝きを増すそれを、流れるような無駄のない動きでワームの上から三番目の節へと振りぬく。超高温がゴアクリスタルを一瞬で昇華させ、ワームの頭部と胴体が切り離される。
ワームには、銃器が通用しない。全身を覆うゴアクリスタルは、現在、世界中で一番、固い物質だった。ダイヤモンドが最も硬度が高い時代は終わった。ゴアクリスタルはあらゆる物理的な攻撃を跳ね返す。最初にワームに出会った者は、その異様な固さに絶望しただろう。
クリスタルを熱して、状態変化を起こすことだけが、この物質を退ける方法だった。六千度の超高熱で熱することでゴアクリスタルは融解ではなく、昇華する。氷が溶けて水になるのではなく、一足飛びに水蒸気になってしまうかのように。
このレーザーブレードは、レーザーで出来た刀身で敵を焼き切る。だが、その点火可能時間は、六千度もの高熱を保たねばならないことから極端に短かった。
――その時間、わずか六十秒。
だから俺はその限られた時間の中で、最大の戦果をあげるために効率よくワームの頭部を切り取る。二体目、三体目――武さんも同じスピードで敵の命を奪い取っていき、わずか十二秒のうちに辺りに死体の山が出来る。
俺はいったん、レーザーブレードを消灯した。残り時間は四十八秒。
「統率者は」
「頭部に命中したけど、指令系を破壊できなかった。逃走中」
「位置はわかるか」
「視界が悪くて微妙。おおよその方向なら。南南東」
「美佳は最適な位置を模索。俊希は俺とコマンダーを追う」
「了解」
ワームには、目がない。そのぶん、音つまり空気の振動を全身で感知し、俺たちの位置を探り当てる。その精度はかなり高く、接近するとすぐに気づかれる。
だから、さっきもまずは美佳の狙撃で注意を反らした後接近したわけだ。
敵は耳がいいが、俺たちにはフリード越しの目しかない。俺と武さんのアタッチメントは最小限で、振動感知装置など感覚系のものは皆無。脚部に装着された高駆動モーターのみが頼みの綱だ。
「あえて音を出して引き付ける。急襲を警戒」
武さんに従い、モーターを全力で駆動させる。音を殺してゆっくり忍び寄っても、逃げられてはしょうがないという判断だろう。美佳が統率ワームの位置として想定した場所に、すぐに辿り着く。森林が急に開け、その先に待ち受ける者がいた。
巨大だった。先ほど殺したワームより、一回りも二回りも大きな巨体。俺たちが乗るフリードの二、三倍の高さがある。口を開くと、長くとがった鋭い歯が、びっしりと並んでいる。あれが、ワームの一番の武器だ。ワームはあの口で、どんなものでも噛み砕き、自らの糧とするという。俺は自分の仲間が、あの口に食いつかれ、犠牲になる姿を何度も見てきた。
俺と武さんはその姿に怯むことなく、左右二つの方向から接近する。しかし、ある程度以上は近づかない。
大型のワームの力は、他のものと桁違いだ。巨体をいかした体当たりを食らうだけで、upsilon小隊が用いるフリードの装甲だと、致命傷になりかねない。
(敵の動きを待て。動きを見てから、その隙に仕掛けろ)
頭の中で、声が響く。凛々しい、女性の声だ。まだフリードに乗ったばかりのころに、散々言い聞かされた言葉。この言葉をかけたのは、俺の師匠であり、命の恩人であり、憎しみの対象でもある人物だった。
ワームが向こうから接近し、豪快に噛みついてくる。俺はそれを待っていた。当たらないとはわかっていても、巨大な牙がびっしり生えた口が迫るのを見ると、心臓の鼓動が早まる。しかし決して、冷静さを失うことはなかった。これまで見てきたワームの動きから、その動きを完全に予測して、ちょうど敵が追撃を仕掛けられないギリギリのところへ回避する。
攻撃を外したワームは、その勢いのまま、しばらく無防備な状態になる。俺はレーザーブレードを点灯し、胴体に切り込む。ゴアクリスタルが昇華し、刃が内部の柔らかい肉に届く。ワームが不気味な叫び声をあげ、身をよじって刃から逃れる。
――残り四十秒。
しかし、そのワームの巨体には、俺の攻撃では少し傷をつけたに過ぎない。これでは、大したダメージを与えられていないことは明白だ。しかし、深追いが禁物であることは何度も聞かされていた。仲間たちの犠牲で、身をもって知ってもいた。
「相互に連携する。頭部に狙いを集中」
武さんからの通信は、わかりきった内容だ。それでも繰り返すのが武さんのやり方だった。
今、ワームは開けたその場所の中心にいた。その周りを二人揃った動きで、回り始める。
ワームは巨大なぶん、素早い動きに対する反応が追い付かない。これは、ワームのほうからの攻撃を誘う手段だった。
やがて、狙い通りワームが俺に攻撃をしかける。胴体を反らせ、尻の部分をしならせてぶつけようとしてくる。リーチの範囲内にいたら、絶対によけられない攻撃だったが、俺はそれも予想したうえで、あらかじめ距離をとっている。少し後退するだけで、回避することが出来る。
――残り二十八秒。
その大きな隙を、武さんが突く。背後から無駄のない動きで、素早く迫る。頭部に存在する命令系を破壊するため、点灯したレーザーブレードを突き立てた。
洗練された動きから放たれる、正確な一撃だった。しかし、ワームは動きを止めない。武さんは振り払われ、吹っ飛ばされる。
しかし、俺はそのことに問題がないばかりか、武さんにとっては想定済みであることを知っている。武さんが綺麗に受け身をとったのを目の端で確認しながら、再び俺は攻撃を仕掛ける。レーザーブレードを一閃し、胴体から触手を数本切り飛ばす。
――残り二十一秒。
残された時間は少ない。普段なら、このくらいの時間で決着がつくが、今回の敵は戦い慣れている。おそらく、これまで何体もフリードを殺してきたのだろう。
引き続き攻撃と回避を繰り返し、数本の触手を切り落とすが、頭部を破壊するには及ばない。
――残り十三秒。
そのとき、鋭くレーザーがワームの頭に突き刺さる。遠くから美佳が狙撃したのだ。だが、動き回るワームの頭部の、さらにその奥の指令系に命中させるのは難しい。ワームはレーザーの直撃を受けて悲鳴をあげるが、結局動きを止めない。
「ちっ……外したっ!」
無線越しの美佳の声を気にしている暇はない。
予期せぬ攻撃を受けたことで、ワームに隙が出来ていた。俺はそれを見逃さない。残り時間を考えると、もうここしかチャンスはない。俺は大胆に回避を一切考えずに、ワームに急接近する。
時間がゆっくりと過ぎる気がした。限界まで意識を集中させて、ワームの頭部にレーザーブレードを突き出す。今抱えている思いを、全てぶつけるつもりで。
――なんでこんなことをしなくちゃならないんだ。
――これしか、俺が生き残る方法はないから。
――フォートレスのみんなを守らなきゃいけないから。
――そんなことわかってる。でも、なんで俺たちだけがこんなに辛くなきゃいけないんだ。
自問自答を憎しみに変えて、動きが鋭く研ぎ澄まされる。
俺は絶対に引き返せないスピードでワームに肉薄し――
そのとき、急激な吐き気が襲う。自分の中の何かが、吸い込まれていくような感覚。脳みそが、どこかに引っ張られるような。
同一性障害。
そんな言葉が朦朧とする意識の中に浮かぶ。しかし、なんとか意識を保ちながら、俺はついにワームの頭部、狙った通りの場所にブレードを突き刺した。
反撃はなかった。ワームが動かなくなり、その場に倒れ、地響きが起こる。
「統率者を排除。これ以上の敵は付近に確認できない」
「フリードの欠損はなし。これよりフォートレスに帰還――」
そう言いかけたとき、無線に美佳の高い悲鳴が届く。